ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

番外編:ネット社会

ネチケット」とは。(古い言い方をすれば)

(※9/4、ござさんのライブでスーパーチャットを投げた人を読むだけ、という配信があった。そのライブ配信を元にしたブログ記事にこれを書きかけたが、あんまり長くて暗すぎたため、切り取って番外編にしました)

 

↓↓ 11/1追記:このあと、9/26の生配信以降はスパチャすることに変更した。その生配信の記事に書いた通り、東独のシュタージに追われる地下運動家じゃあるまいし、こんな所でこっそりやってても応援したことにはならない事に気づいたから。)
 

自分はYouTubeにおける生配信ライブにおいて、スーパーチャット=スパチャを投げないため、原則このライブはそもそも見なくていい立場。でも見たい(>人<;)

 スパチャしないのは、単に自分が単身かつひとり親だからに過ぎない。財源なさすぎて、そこは冷徹に切り捨てる。いわゆるどケチ。そんな湯水のように湧いてくる財源があれば、とっくにござさんにグランドピアノと、専用スタジオと、超高性能配信用パソコンくらいぽーんとプレゼントしてますよ。(←という願望込み)

 自分はそれよりメンバーシップ制度ならいけるかもと思い、そっちに入った。《これは最近ちゃんとネット教育を受け、ネット上での金銭トラブルの恐ろしさを叩きこまれてる、うちの中3息子には秘密。まだバレてないはず…?》

 

 そもそもの問題。スパチャって名前残るじゃないですか、チャットに。そしてござさんに一つ残らず読み上げられますよね。絶対嫌なんですけど。そーいう、現実世界で言えばスクランブル交差点の真ん中かっていうくらい、雑多な人が行き交う所 = 生配信ライブで、しかもござさんの所なんて常に3000人以上が行き交ってんのに、そんな公共の場でHNが読まれ、アーカイブに残るとか、自分はそんなの絶対に御免被ります。謹んで控えさせていただきます。

(チャットで配信者の方に自分の意見言うとか、そんな手軽なコミニュケーション・・・まるで芸能人に事務所を通じてしょっちゅう手紙とかe-mail送りつけて、一方的に応援メッセージだの意見だの要望だの果てはクレームだのを言ってるみたいではないか。)

 

HNであっても、ネット上の世界=公共の場で、わずかでも自分の痕跡・若くは意見が残るようなことしたくない。存在を知られたくない。(えー、ここも公共の場ですが、YouTubeほど通りすがりの人はいないと考えています。悪しからず。)

 

また、どういう形であれ、ネットを通し、手軽に自分=個人の意見が直接配信者ご本人に伝わるのは、絶対怖い。

 ↓

そういった「手軽に発信した情報」っていうのは、往々にして正確に伝わらず、歪曲して解釈されることもある。果ては自分の思ってもない結果に繋がる可能性もあり得る。

 

要するに、ネット上って相手がどんな人なのか、会った事ないし分かりませんよね。そういったお互いに全く理解どころか知らない人同士でコミュニケーションが取れてしまうのが、ネットの怖さ。犯罪の温床でもある。

 

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L'Absinthe(アプサントを飲む人) エドガー・ドガ

From Wikipedia, the free encyclopedia

例えばこういう場面?

これはパリのカフェが舞台だが、登場人物の視線はお互いに別方向。虚ろな表情。その思索は交錯しない。構図的にもテーブルの線が平行線を描き、どこまでいっても交わらない。

現代でいえば、現実でもネット上の仮想世界でも、どんなに近くにいても他人と関わらない。精神世界の孤独。そんな社会をすでに19世紀に表現しているという意味で、この絵は今見ても胸に刺さってくるものがある。

 (アプサント=19世紀に流行した安価なアルコール。依存症が問題になった事で有名)

※ 参考サイト:アブサン - Wikipedia

 

 このドガの絵とくれば、まずこれも思い出す・・かな? 

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Le balcon (バルコニー) エドゥアール・マネ

※参考サイト:バルコニー (マネの絵画) - Wikipedia

この絵も19世紀パリだが、やはり登場人物は無表情だし、それぞれの視線の先は一致せず、独自の世界からお互い踏み込んでいない。まるで別々のストーリーが展開しているようだ。

 この2つの絵は都会における人間関係を描いているが、現代のネット社会を前提に考えると、よりその意図を鮮明に感じられると思う。

 

 例えば電車に乗っても、職場で休憩していても、(スマホが普及してから一気にというか)全員が携帯を眺めている光景。ちょっと異様。←いや、普通なのか・・・?携帯がなかった頃は、食堂ならテレビや新聞、電車なら吊り広告、家庭でもお茶の間でテレビを見るといったぐあいに、そこでいる人たちで(そういった媒体を通じてでも)空間を共有していたが、それが携帯の中へ変わっただけなのだけど…

 隣り合ってる人(住居の位置でも、通りすがりでも)とは関わらないが、ネットで見ず知らずの人とはすぐコミュニケーションできるという矛盾ここにネットトラブルの原因がある。

 

インターネットの普及初期はーー90年代後半ーー平和なのか危険なのか、ある意味素人は入れない世界。→つまり自分がパソコンを触り始めたころ。通信速度もADSLだったし、知り合いとしかできない「チャット」なるものを使い、最先端!とか言いながら文字だけで通信してた。そもそも携帯電話が存在しないし。掲示板といえば2ちゃんねるで、危なくてとても入れない。そこで何か自分から発信しようとすれば、HTML言語を駆使して(ホームページビルダーもあったけど)、ウェブ上に自分のHPを作るしかなかった。ハードル高すぎ問題。また、ネット上に堂々とWindowsとかPhotoshopとか落ちてて、ダウンロードし放題という無法地帯だった。(今も同じでハッキングからサイバー攻撃、ネットウイルス、麻薬やら自殺方法やら何でも有りアングラな性質は変わらないけど。)

 

 今は便利なアプリ(ex.いわゆる各種SNSに代表されるツール)がたくさんあって、さらに手軽にネット経由で知らない人と会話できてしまう。ライブストリーム上で、スーパーチャット=投げ銭までできてしまう。

 元々CD、ラジオ、TVといったメディアや大きなコンサートホールでしか音楽に触れる機会がなかったアナログ民としては、いきなり演奏家に直接話しかけることができますよ!聴衆と喋るのも自由です!」って言われたようなもので、「はあ?」ってなって、戸惑いしかなかった。そういう昔の意識がどうしても抜けない自分にとって、そうやってネット上で個人として動くとか、あんまり怖すぎる。手軽にチャットとかって言われても、そんなのできるわけ無いでしょっとなり、どうしても1歩が踏み込めないでいた。

ネット上で会話するには、現実の友人程度に匹敵するところまで、お互いの理解を掘り下げる必要がある(はず)。そうすることで、配信者さん、またリスナーさん達に誤りなく自分の意見が伝わらないといけない。それは現実問題、生配信ライブのチャットでは不可能なこと。そんな高等技術、YouTube初心者の自分は持ち合わせていない。

 

 でも、ござさんの存在が衝撃的すぎて、生配信を初めて見たとき咄嗟によくわからないけど何か言ってみたい!と思った。(←語彙力なし)

 そこでまず、一方的に配信者さん=ござさんを理解することから始めてみることにした。そうすることで、その生配信ライブに来るリスナーさんもどんな人たちか、少しは分かるかもしれないから。

 まずござさんの動画をひたすら聴いた。徹底解剖。ライブも過去のも含めて、ござさんってどういう人なのか、チャット上はどのようなことが話されてるのか、休憩時のわずかなトークまで一言残らず聴きまくった。そこでわかったのはござさんのライブは、
楽しそうで安心できるとこだったという事。

犯罪が行われている雰囲気はなかった(笑笑)。みんなお互い優しくて、親切にしてた。思いやりの広場。それをみてうちの中3息子がいうには「こんな平和なチャットありえんなー初めて見たわ。ほかの生配信(たぶんピアノじゃない)ではもっとみんな自分勝手やのにー。あれっ、YouTube動画の低評価も異様に少ないじゃん。アンチいないの?」だそうで、まあネット社会は基本的にはそんなもんなんですね💦

(※たまに違和感を感じることもありましたが・・・以下参照。)

tushima-yumiko.hatenablog.com

 

 

 そんなこんなで、雰囲気もつかみ、何となくやってはいけないことがおぼろげにわかってきた。そこで、今回9/4(金)の生配信において、雑談だと思ってたらアレンジの作曲が突然始まってびっくりしたのもあって、思い切って生配信ライブのチャットにコメントを投げてみることにした。というより思わず「すごい」と口をついて出ていたという方が正しい。ほんとに毎回度肝を抜かれる、ござさんのライブ。自分は当たり障りないコメントしかしませんでしたが、

人畜無害なことを言っている限りにおいては、ライブの

チャットって楽しいかも!

(←気が変わるの早いな)

 

 

YouTubeの投稿動画は、だれが見てるかわからない。しかも人によって捉え方が違ってくるので、そこにコメント付けるのはハードル高過ぎて絶対無理。しかも1回コメントしたら永久に撤回できない。恐ろしすぎるネット世界。