音楽は雄弁だ。
何も言わずに聴き手に語りかけてくる。
それは1月15日のござさんのソロコンサートにて。
場所は浜離宮朝日ホール。
観客席とござさんの間には、目に見えない熱気が渦巻いていた。
生配信ともCDアルバムとも違う生演奏ならではの一体感。そこにいる観客席のファンとの阿吽の呼吸で独特の響きとリズムが生み出されている。
ござさんの一挙手一投足を固唾をのんで見守る観客席の人々。
鍵盤から放たれる音。
ホールの空間いっぱいに広がる波動。
ござさんの思いをのせた音は静かな浜に寄せる波のように、聴衆の意識の奥の岸辺を洗う。
超絶技巧の演奏であっても一つ一つの音が語り掛けてくる。
観客席で見ている人々はみんな、そのままござさんの手に乗り移ったみたいに流れる音楽と一体となって響きを味わい、劇的な展開に胸をうたれ、和音の一つも噛みしめているようだった。
ござさんはピアノと対話していたし、ホールの空間そして観客もろともに一つの楽器になって音楽を生み出していた。
一度、このコンサートの感想は投稿している。
だけどもうちょっと言いたい。アーカイブ期間も終わったのに本当すいません。
そもそもこんなにも今回長い感想になったのは、自分はやっぱりソロコンサートをずっと待っていたかららしい。
この記事にいまいちまとめられていない事を、思い出してどっかでツイートしたので要約すると。(それぞれの当時の感想も貼る)
ねぴらぼは斬新な試みで意表を突かれた。そしてセッションが生み出す思いもよらない展開に手に汗を握っていた。また、初回のねぴらぼは自分がコロナ流行後初めて体験した配信・無観客ライブであり、この時期以降配信の文化が根づいてきたことを勘案すると感謝しかない。
ねぴらぼライブの感想 2020/7/24 - ござさんの魅力を語る部屋
一瞬先は、未知の世界 - ござさんの魅力を語る部屋(ねぴらぼinvention)
また、ござの日ライブでは自分は不完全燃焼だった。周知のとおり、本来は有観客で(レストランの料理と共に楽しむ形式で)開催されるはずだった、初めてのライブ。それが目に見えない何かにあっさりと握りつぶされ、どこにも不満を言えないし自分は陰でこっそり泣いた。
5月3日は、ござの日です - ござさんの魅力を語る部屋
ソロアルバムが発売されるに及んで、やっとござさんの音楽が手に取れる形になり、前から夢見てたことが現実になると思うと居ても立っても居られなくなって記事にした。(※実際のソロアルバムの感想は、それこそ不完全燃焼なので貼りたくない)
重大発表 - ござさんの魅力を語る部屋
こういった経緯があって、開催にこぎつける事ができたソロコンサート。
なんか自分の中ですっと解決できた気がした。
ござさんの動画を初めて見た時から(自分は髯ダン動画だった)、意識のどこかでずっとわだかまっていた強烈な違和感。
※初めてこのビジュアル見て、ピアニストの動画とは分からずに偶然見たわけです。
なんでサングラスにキャップにこんなダサい格好で、通りすがりの駅で弾いてるの?
そんなシチュエーションなのになんでピアノはそんなに素敵なの?
というか素敵を通り越して、自分は何か鋭利な刃物で心臓を一撃されたような決定的な衝撃を受けて、意識がどっかに飛んでいったとでも言おうか。世界が塗り替えられて頭で考えるより先に手が動いてたというか。(そんで気づいたらこの部屋でなんか書いていた)
たぶん、この気持ちが引っかかっていたから?
どうすごいのか、うまく表現できないな!!!でも、とにかくこんな通りすがりに聴いてていいものじゃない。こういう凄い人がいるんだって、もっと幅広く知ってもらいたい。
また、もっとちゃんとした所での演奏もきいてみたい。
とか言う意識をずっとどこかに抱えていた。
大きなステージに立つ正装したござさん。
フルコンサートグランドピアノを操る勇姿(に見えた)。
席を埋め尽くす観客。
割れんばかりの拍手。
(歓声も聴きたかったけど今回はわがままは言わない。)
今回開催されるかどうか最後まで分からなかったから、この光景を画面越しにでも実際に目撃できたので、自分の中での矛盾が解決できたのだと思う。
実際に見える観客席もさることながら、コンサートホールで響くござさんの演奏の素晴らしさに一番衝撃を受けたのかもしれないけど、とにかく
「ござさんのピアノを」
「目の前で聴いてる人がいて」
「みんな感動してるみたい」
という事実を見届けた事で、満足です。
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以下、吹奏楽関連のものすごいマニアックな話題に入ってそのまま帰ってきません。
現実世界よ、さよーならー。
離脱する方、今のうちにどうぞ。
また、参考に貼った動画が約50分×2つあります。そのためこれ以降はお時間がある人向けです。
とにかくリアルコンサートでホールに響くござさんの音は圧倒的に美しかった。
この現象を何といえばいいのか……
アーカイブ期間が終わってから、この何物にも替えがたい感動にもう二度と会えない現実を直視したくなくて、本来こういう思考は解決できないから嫌いなんだけど、でも割り切れずに自分はネットをさまよっていた。
ござさんの過去の動画?ねぴらぼinventionのアーカイブ?
それぞれに大好きなんだけど、自分が余韻に浸りたいのはそこじゃない。
もうどうにもできないのでピアノ動画から一旦離れてみることにした。
ピアノ動画を聴くようになるまではよく聞いていた吹奏楽関連の動画。Youtubeのおすすめに流れて来たのでちょっと選んで聴いてみたのである。すると昔Youtubeで見た事があるかもしれない、という動画を見つけた。
※この動画はTVのドキュメンタリー番組です。一つが50分くらいあります。ご注意ください。
【天国の丸谷先生に捧ぐ】復刻版「ブラスの星~前編」大阪・淀川工科高校吹奏楽部【ABCテレビ ドキュメンタリースペシャル#8】 - YouTube
※後編はさらにコンクールに内容が絞られていますが貼っておく。
【天国の丸谷先生に捧ぐ】復刻版「ブラスの星~後編」大阪・淀川工科高校吹奏楽部【ABCテレビ ドキュメンタリースペシャル#9】 - YouTube
概要を説明しておくと、この番組は2002年3月放送、ABCテレビの番組なので大阪で放送されたものだと思う。ここで取り上げられているのは動画の題名の通り、吹奏楽について。大阪府立淀川工科高校吹奏楽部についてのドキュメンタリーである。
ここの顧問の先生の訃報を最近耳にした。
その先生は自分が部活で吹奏楽をしていたころから知らない人はいないくらいであり、いわば憧れの存在。
その人が鬼籍に入られたと聞いて、一つの時代が終わったんだなと色々思う所があった。そこで以前見た事がある動画を見つけ、懐かしくなって見返してみたのだが。
この先生の言葉がいちいち考えさせられるのだ。
動画を以前いつ見たのか覚えてないが、自分はピアノという楽器にもう一度出会って、ござさんの演奏を聴くようになってから、音楽に対する視点が変わったからだろうか、この番組は今見ると全く違う印象を持って迫ってくる。
その先生の名は、丸谷明夫先生。
たぶん音大卒ではなかったと思う(部活で吹奏楽をされていたかな?)。音楽の指導は全部現場で身につけられたはずである。叩き上げというか指導者に向いていたというか。なるべくしてなったとしか思えない。
この部活に入ってくる子も大体は初心者と聞いた。そこからあのレベルに育てるのにはどうやってるんだと思ったらやっぱり練習量だったが、それ以前に子供たちがついてくる、慕われる魅力みたいのがあるんだろうなと思って番組を見ていた。
その先生は指導の厳しい事で有名だったが、こうやって見返すと生徒への温かい視線、音楽への熱い思い、あくまで生徒のためには、教育上どうしたら成長させられるかというのが発想の原点のようで、(晩年には色々揶揄される事もあったが)やはり吹奏楽界としてというか人間として惜しい人をまた一人なくしたなあ、と思う。
中学から上手い子をスカウトして集めれば、演奏はすごくなるかもしれない。
でも育てるって、音楽って、そういうんじゃないよね。
ってこの番組見てると、思う。
ライブじゃないけど昔の思い出。
— かまたまうどん (@pEcXkXhkAeo0D6t) 2021年5月8日
高校生の時は部活バカだった。
吹部の全国大会のプラチナチケットが当たったので
郵便振替という面倒な方法で支払い
往復は夜行バス。
訳も分からず地下鉄乗って観戦行き、
すごい演奏にブラボーって叫んで、
夜行バスで帰り翌朝普通に登校してた。
(あれ制服は?)
この時現地で聴いた淀工の演奏がYoutubeにあった。番組の2002年よりは前だけど。
1995年 第43回 全日本吹奏楽コンクール 大阪府 府立淀川工業高等学校吹奏楽部 バレエ音楽 「ダフニスとクロエ」 第2組曲より - YouTube
番組の中で取材に応えてる部員の言葉。(動画前編 8:27頃)
「どういう時が楽しいですか?」
「出来ない所が出来るようになった時が嬉しいです」
まずこの部員の返事を聴いて、自分の下手ながらもやってるピアノの練習で、この問答はぴったり当てはまることにひそかに驚愕した。
ピアノやってもその進歩具合は亀より遅い状況だけど、やってもムダ、とかどうせ練習しても一緒、という思考に陥りやすいけど、そんな中「昨日よりマシになった所」を自分で見つけることで、モチベーションを保ってるところはあるなあ、と思ったので。
また、登場する丸谷先生の話される言葉を拾ってみた。練習中厳しく指導されてる様子が映ってるが、こうやって話されてるその眼には限りなくあたたかく、人情味にあふれた光があるのだ。
「音楽には答えがない。だから、難しい。」(動画前編 7:40頃)
答えがないから、その解釈は聴く人の数だけあるのだろうし、自分なりの表現を求めて演奏家は日々研鑽を積むのだろう。
(この場合は教える方針に正解がないという意味だと思うが)
「歌うことが出来なくてどうしてうまく演奏できるだろうか、いや無理だ。」(動画前編 9:40頃)
センテンスの感じ方、リズム、間合い、全て歌えないと演奏できないって最近もピアノ界隈でどっかで耳にしたんですけど。やっぱりそうなんやな、それをそんなに短く的確に言われてて、これもハッとした。
「負け戦には学ぶべき教訓がある。
だから、負けたほうが成長できる。
勝ったらその瞬間から油断が始まる。
人生そのものだ。」(19:15頃)
この勝ち負けっていうのは番組の中、部活動の中であって今の自分の自由なピアノ活動には関係ないけど、でも上手くいった時、そうじゃない時があって、うまくいかない時は何が駄目だったのかを考えると言う意味では、やっぱり共通点があるなと思った。
自分はござさんのホールの音を思い浮かべている。
そこに近づいてみたい。
実際無理だけど。
でもピアノに関わるのはやめませんので。
往生際悪いようだが、こうやって音を追求するってどんなことなのかを再認識できたので、ちょっとピアノ動画から距離を置いてゆっくり考えられたのは、良かったのかなと思う。
※参考資料:実際のコンクール動画。TV番組より13年前だけど。時代的に画質が悪いですが、すいません。