ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

番外編:東日本大震災は、自分にとって遠い地方のできごとだった。

 

11年前のその日は金曜日だった。

自分はその頃働いていた某病院で事務員をやっていた。

時間は夕方6時ごろ、残業もそこそこに帰り際にみんなで談笑していた時。

デスク脇の一角には古いブラウン管TVが置かれ、夕方のニュースが流れていた。画面にはどこかの田園風景と冷たそうな色の川。川面にはなぜか波しぶきが立っている。

 

田んぼのビニールハウスも、大きな波が次々となぎ倒していき……?

船も波に乗って田んぼを行き交い…??

 

?????

 

波の色は真っ黒だった。

東北関東大震災 - Tsunami No.04 - YouTube
(※生中継のNHKニュース映像。この2:20~の様子を繰り返し流していたらしい)

 

波は船とか……家とか車とかを乗せて、というか巻き込んで、そのまま道路と橋、その上で立ち往生しているトラックや運転手さんを今にもひと飲みにしそうに見えた。

 

その後、別のニュースでは海のように見えた港の岸壁から滝みたいに流れ落ちる車。

 

一目見ただけでは何のことか理解できなかった。ただその場でTVを見ていた人全員であっけにとられ、ええっ???とみんな我に返り、そこからとにかく全員家路に急いだ。スマホもなかった時代、仕事中に耳にしたのは「東北で地震あったらしいですよ」「そうですか」程度のものだったから。ロビーのTVでNHKのニュース流していたはずだがそんなものは見ていない)

 

他にもたくさんニュースはあったはずだけど、この映像を見た時の事をよく覚えている。

 

 

 

地震津波原発事故

 

 

毎年この時期になると回顧される話題。

そこで自分が思ってることを書いてみた。そもそも東北に行ったことのない部外者の立場ですけど、自分なりに思ってること。

 

その日は2011/3/11、東北で大きな地震があったらしい。それから津波

自分はネット環境がなかったから毎日ひたすら新聞、TVで調べていた。

詳しい情報が手に入るにつれ被害の規模が明らかになっていき、未だ聞いた事もないような情報が毎日報道されていた。

 

数字で挙げると。

 

避難民の数は最大47万人。

地震マグニチュードは9.0。最大震度は7、広範囲で震度6以上。

揺れに伴う液状化現の発生。地盤沈下による満潮時の冠水が復興作業を妨げた。

津波の高さは最大で15m以上。内陸まで遡上した高さは最大で40メートル以上。

死者・行方不明者は計18425人。

建物の全半壊は40万戸以上。

停電は最大800万戸、断水は180万戸。

津波の浸水面積は561km²。

津波の被災農地は2万ha以上。

漁船被害は2万8612隻、被害漁港は319港。

被害総額16兆円~25兆円。

(引用:東日本大震災 - Wikipedia

と、統計的にいうと日本の災害史上記録的な地震だったことは間違いない。

 

TVで繰り返し流されていた被災地の状況。

津波によって家の基礎のみ、もしくは基礎から根こそぎなくなっている住宅。

津波の海水が排水されないまま残る中、濁った水にがれきが浮かぶ光景が地平線まで広がる。また、そういったがれきが一面に広がって道も無いさまは第2次世界大戦の資料画像かと見間違う。今まで普通の生活が送られていた場所がその時を境に跡形もなくなり避難を余儀なくされているのを見て、まるで戦争と一緒だな……と思った。

何か協力しなくちゃ、と思って日赤を通じて手縫いの雑巾を贈った記憶はある。

 

しかしそれはTVや新聞のメディアの向こうに流れていた光景だ。

 

自分の住むうどん県は西日本。地震のゆれはなかったし、津波も来なかった。どちらかといえば避難してきた人を医療機関で受け入れ、また公営住宅を避難先として提供していたような部類に入る。

自分の周辺では普段通りの生活が続いていて、地震はあくまでニュースの中のことだった。

阪神大震災の記憶が頭をよぎったがあの時もあくまで当事者ではなかったから。

 

 

自分が覚えている震災の時のイメージは、ACのCMだ。

このCMの内容がどうこうというより、これらのAC関連しかCMで流れないという不自然な空気がむしろ不安だった。

何か発言するのは不謹慎という空気。状況が分からないからやめておこうという雰囲気。

 

 

※別バージョンのCM動画。
【東日本大震災】から1週間後を特徴的づけるCM - YouTube

 

また、中古車売り場の在庫が空になってみるみるうちに街から消えた。中古車販売店の店頭に軽トラが1台のみという光景がよく見られた。

 

 

これらを見ながらなんとなく思った。新聞やニュースで言っていることは表面的なのではないか。言えない事があるからこのACのCMで済ましているだけじゃないのか?っていう疑念が自分のどこかにあった。

 

報道されてないことって何だ。

想像するのも怖い。

 

女の人の生理用品は絶対足りてないはずだけど?

赤ちゃんのおむつやミルクや水も足りてないよね?離乳食の子はどうなってるの?

病院が軒並み潰れてるのに地震津波の患者さんはどこでみてるの?普段通院してる人も薬とかインスリンなくなるんじゃないの?ていうか透析患者さんは?

保育園とか介護施設障がい者施設は大丈夫なの?

4月になったら学校始まるのにどうなるの?

 

【資料リンク】避難所についてのちに考察されている。

「雑魚寝」の避難所は変わったのか?欧米との差は歴然【東日本大震災10年】 | ハフポスト NEWS

避難所の確保と質の向上に関する検討会 第2回 : 防災情報のページ - 内閣府
→ この中の「資料2」を参照:注意、PDFです(東日本大震災における避難所の状況)

 

※現場の様子の例1:東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS

例2:避難所生活での困ることや問題点は?具体的な内容と対策について紹介|HOME ALSOK研究所|ホームセキュリティのALSOK

 

それに(当時)誰も指摘しないけど原発はどうなったの?

 

その後自分がネットを使えるようになったのは2013年末のこと。

それで調べてみて知った事も多かった。

実際の津波の映像。

地震津波の具体的な被害の実態。

津波被害があった地域は全く復興していない。(それには住宅が建てれない地域になったとか、事情もあるだろう)

 

その後仮設住宅は、Google mapsに映るのを見る限り、減ってはいてもいまだに完全になくなってはいないという事実。

仮設住宅から出られても以前のコミュニティはなくなり孤独な生活を強いられる人もいるという現実。高齢になってから新しいコミュニティを築くのは難しい。

 

 

 

ただ実際に災害を体験もしていないし住んでいるのもうどん県の自分は、当事者の人達の実際の気持ちは理解したとはいえないだろう。

実際に体験した人の気持ちにはなり得ないから。

 

だから自分はせめて忘れないようにしようと思う。

こういう災害や事件は忘れられたときに風化すると思うから。

忘却は罪。

 

人も、亡くなっても、他の人の記憶や思い出の中にいるうちは、まだ生きていると思っている。

 

 

歴史は繰り返す。

教訓にして同じことをしないようにするために、何ができるかを考えるのがせめて自分にできることじゃないか?と思って、Youtube動画を時々見ていた。つくづく自分たちは準備や意識が足りないな、と思って家族間で何気なく話題にしてみるようにもなった。

 

 

ただ、教訓にできる事ばかりとは限らないけど。

 

戦争で空襲があったときの死因はほぼ焼死や火傷後の感染症

 

阪神大震災での時の主な死因は建物の崩壊による圧死。

 

それを教訓に、この東日本大震災の時も自分の職場(病院)からも、D-MAT隊(救急医療を担う)が東北地方へ派遣されたらしい。でも実際にはD-MAT隊は早々に帰還した。

「やる事が無かったから」だそうだ。

津波による溺死が90%以上を占め、D-MAT隊が対応できるケースがほとんどなかったかららしい。

 

対策を講じたとしても想定外のことは起こるもの。

阪神大震災を経て防災という概念がおこり、耐震化が叫ばれるようになり、災害時の医療が見直されても、それまでの対策が正解だとはいえないということだ。

事態は常に変わっていくし、臨機応変に対応するしかない。

 

今後どういう災害が起きるかもわからないし。

 

常に考えることで新しい対策やアイデアも生まれるだろうし、忘れない事で、世代を超えて問題は共有されなければならない。

(昔からの神社が高台や標高が高いところにあるのはそういう理由らしいから。)

 

 

 

 

当時ニュースに正確な情報が出てこなかった件:原子力発電所

 

・資料:環境省_原発事故由来の放射性物質

福島原発事故による放射能汚染とどう向き合って生きていくか?(PDFファイルです)https://www.r-info-miyagi.jp/site/wp-content/uploads/2012/02/8cfc1c4cc87fcabfe56e5be19b6961f6.pdf

 

 

ここからニュースの記憶が少ないのでさらにうろ覚え状態ですが、確か発電所は当初地震の影響は無く安全、と言われていたはず。

周辺地域へは「念のため」一時避難をするように通達があっただけだと思う。

それで地震の後片付けも家財道具も何もかも置いて避難させられた、周辺に住む人々。

 

しかし、同時に避難した人々へは緊急対応としてヨウ素剤が配られていたはずだ。当時のニュースが見つけられなかったけど。という事は政府と東電は、急性放射能障害を念頭においていたことになる。そこについての説明もなかったと思うし、真相は闇の中。

 

でもそのあと発電所電源喪失による水素爆発とメルトダウンを起こし、放射能の影響で帰宅困難地域になってしまう。

 

 

何か想定外の事が起これば次からは未然に防ぐ対策を講じる。

しかし原子力発電所という事故が許されない環境では、想定外という単語は通用しないのである。

失敗は通用しない。

試運転という言い訳をしても後の祭り。

 

 

実際の放射線の影響は上に貼ったリンクにくわしい。

つまり実際の影響といっても様々で、それよりもこうした事実をマスコミが伝えず、風評被害が広がっていることの影響が大きいと思う。

 

しかし発電所の周辺では今も居住可能地域は制限されている。

実際に発電所周辺地域では放射能汚染を「除染」したあとの削り取った地表をどう処分するかが問題になっていたはずだし、解決したという話は聞かない。中間処分地として一時的に周辺に置いておくていうのは聞いたが。

 

津波の被災地でもある発電所周辺地域。

 

他の被災地は徐々に地図も新しく塗り替えられていく。実際に津波がきた標高の低い土地を整地したとしても土地の運用がスムーズにいっているかどうかは別問題として。

発電所周辺をGoogle mapsの航空写真モードで見る限り、津波被害後の復興はさておき帰宅困難地域に指定されていない地域も含めて、実際に住んでいる人は発電所作業員と医療機関職員くらいなのではないか。(単なる想像。)

 

そういう地図情報からもわかるのが、そのあたりにどんどん増えていく黒い袋。要するに放射能汚染された周辺の地表を最終的に処分する場所が決まらず、中間処理地として屋外に放置しているだけではないのかなあ。実際の住民が戻ってこないのをいいことに。あまり大きな話題にならないので置きたい放題というところでしょうか。(単なる想像)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東電旧経営陣、二審でも無罪主張 原発事故巡る強制起訴: 日本経済新聞(2021/11/2)

 

 

今も裁判の決着はついていない。

最終判決がでたとしても、実際の決着はつかないままだろう。

 

 

 

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花は咲くという曲が、当時震災の追悼の意味で作られたときいた。

そんなきれいな曲作っても復興は早まらないし、原発の事実から目をそらしてるだけじゃないか、と当時は反感しかなかったけど、毎年その曲を聞くと思い出すという意味で、一つくらいそういう曲あってもいいなと思うようになった。

津波に遭った建物が、震災遺構として保存されてる例があるように、記憶からなくしてはいけないと思ったから。