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NEO PIANO Far Beyond の感想その② クラシックと菊池さん

 

NEO PIANO Far Beyond  ピアノフェスねぴふぁびの感想その

菊池さん編(この記事は4つ連続の2つ目です。その①は下記参照)

 

〘注〙 資料コーナー:感想その① たくおんさん編

 

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

クラシック音楽とは(その①の記事の補足)

クラシック音楽を定義するなら「アコースティックに演奏される楽曲に、規範から外れることなくどのように自分なりの表現を盛り込むか」だと思う。

 

どこで演奏するか。

その意味の中にはホールや場所に左右される音響も含まれる。その場に響き渡る音も含めて、音楽が構成されるのだ。

また、誰がどのように演奏するか。

演奏するフィジカルな部分も含めてその技法も問われるし、また奏者の個性が発揮されるところでもあるだろう。

 

この点を考えると今回のフェス会場はクラシックコンサートを主眼に造られた所ではない。(過去のねぴらぼも、1回目はZEPP羽田、ねぴらぼinventionは舞浜アンフィシアターであり、どちらも各種ライブ・イベントホールとなっていてクラシックに特化した造りではなかった。)

演奏の主題をクラシック音楽に置きつつも、今回のライブではそういう楽器での表現という物理的な塀を超えて、別のベクトルでのエンタテインメントを我々ファンに提示してくれたと思ってる。

 

 

たくおんさんが純粋にクラシック音楽表現者にして伝道者なら、他の3人の出演者はそれぞれに活動ベースのフィールドが違う。

比べるという意味ではなく、それぞれの特色を考えながら魅力を探ってみた。

 

 

 

セッション ①ー剣の舞 たくおんさん×菊池さん

ねぴふぁびでは、楽器がピアノ2台のみということもあって?ライブの進行は主にソロ演奏が中心、その間に連弾を挟みながらの展開となっていた。

ねぴらぼinventionのわちゃわちゃと入り乱れて次に誰の何の曲が来るか?とかいうのとは違う、やっぱりベースはクラシック、ピアノを聴かせるプログラムだ。

 

たくおんさんが次の出演者をコールする。マイクを両手で持ち、控えめに「きくち   りょうた君……」かわいすぎでしょ。え???いや何でもありません。クラシック演奏家のたくおんさんと連弾するのは同じくクラシックを研究テーマとしている菊池さんだった。

 

連弾曲は剣の舞。旧ソ連グルジア(今のジョージア)出身のハチャトゥリャンのバレエ組曲「ガイーヌ」のなかでもあまりにも有名な曲である。

というよりおふたりのファンにとっては、去年の9月20日たくおんさんの企画した鳴門ストリートピアノイベント(なんと自分で発案してグランドピアノを山上の展望台に搬入し、鳴門海峡の渦潮を見ながら演奏するという企画、素晴らしい(泣)で連弾されていた思い出の曲、といったほうが的確な表現かもしれない。このイベント動画はYoutubeに上がっているのでここにはリンクは貼りません。たくおんさんのチャンネルには、ウィーンの美しい街並みに置かれたストピでの剣の舞連弾動画がありますが、字幕で連弾の見どころを解説してくれていて、そちらも必見。

このような経歴からも息ぴったりのお二人による連弾でしたが、今回のライブが映像・音響共に最高の設備だったし、さらに演奏も息をのむスリリングな展開だった。

コーカサス風の旋律が、ハチャトゥリャンの大胆にして熱いリズムにのって響き渡る。

たくおんさんはさっきまでは猫かぶってたのか(違う)。いや、ちゃんとタッチはクラシックの弾き方みたいだけど?普段リサイタルでは絶対弾かないであろうアレンジをテンション爆発気味にやれて、思う存分はっちゃけているたくおんさんが楽しそう。

そう、これの見どころはピアノの蓋でのリズム取りです。観客はここで手拍子しなきゃならない所だったのです(違うったら)。(※ピアノの蓋でリズム取り?ねぴらぼinventionのラストのボレロ冒頭で菊池さんが、手でスネアドラムのリズム叩いてたな、そういえば?)

この上品で奥ゆかしいながらもはっちゃけるのが好きらしいたくおんさんのキャラが、クラシックピアニストとしては自分は意外に感じた。この正統派の演奏を踏襲しながらもどこかに忍ばせているユーモアが面白そうで、また動画が出たら見てみようかなあ?

その演奏の本質はやはり奥ゆかしく優雅でやわらかいピアノの音にあると思うけど。

リサイタルも多数計画されているようだしYoutubeの登録者数も増えている。ますますこれから人気が出ることだろう。ご活躍をお祈りします。

 

 

さて、この連弾ではたくおんさんを旋律に持ってきて、横で地味に左手の過酷なリズムや裏拍を刻んでいたのが菊池さんであった。

次は菊池さんのソロ演奏である。

菊池さんの考える変奏曲

菊池さんはピアニストとして様々な顔を持つ。バンドのキーボード奏者、ゲーム音楽やアニメ音楽の制作者、そしてYoutubeでは動画や生配信でピアノ演奏を投稿しつつ、様々なイベントにも出演されている。また大学院に入り直してクラシック音楽(主にリスト)を研究され、その音大で講義を依頼されたこともあるようだ。

MCとして曲紹介をする流暢な語り口も、もはや板についてきた感がある。

どの分野の経験も、お互いに影響しあっていてそれぞれが意義のある活動だという事だ。

 

今回のライブではたくおんさんの次の出番とされていることもあり、菊池さんのフェーズはクラシックに舵を切っていた。

( ↓ ↓ 資料:菊池さんの初有観客コンサートも、クラシックのホールでだったなあ)

 

この去年8月のサントリーホールでのコンサートでも演奏されていたのが、オリジナル曲の 「パガニーニの主題による変奏曲」である。

(※菊池さんのチャンネルにはこのソロコンサートからの切り抜き動画が上がっている。作曲の経緯と、それぞれの変奏への菊池さんのこだわり解説と共に。)

菊池さんの言う通り、この主題については名だたる大作曲家が揃って変奏曲を残しており、錚々たるラインナップが並んでいる。でも自分はこの曲がサントリーホールで演奏されてからもどこかで引っかかっていた。

主題を提示し、それをアレンジしながら様々に展開していく曲。

 

・・・・・・?

どこかで聞いたな?

主題を様々に変容させ、発展させて作られる……

 

それ、いつも菊池さんが投稿動画とか配信でやってることじゃないの?というか菊池さんの演奏は(バンドのバッキングとかアニメ、ゲームに提供する楽曲以外)いつも常に変奏曲状態じゃないの?しかもその展開はいつも奇想天外にして自由自在、縦横無尽に主題を操って思うがままに原曲を再構築してるんじゃないの?

(ていうかネットピアノ界隈は多かれ少なかれみんな同じ事やってるんじゃないの?)

わざわざ曲名を銘打って発表してるってことは、往年の名アレンジは多々あれど、そこに菊池さんなりの解釈を見える形で残したって意味だろうか。

それも有名なパガニーニの主題を用いて。

そこにただならぬクラシックへの思い入れを感じる。

そんな、菊池さんが心血を注いだであろうと思われるオリジナル曲、聞いてみよう。

「難しい曲です。緊張しますが温かく見守っていただければ………」

いや……見る限り堂々と落ち着き払っておられますけど?

 

それは置いといて。

菊池さんのアレンジといえば超絶技巧と、ひとひねりした和音進行。最初の冒頭からして「うっっっ!」と思わずうめいてしまう謎の和音がねじ込まれている。

そこから始まる怒涛の高速連打とアルペジオなのかスケールなのか。素人にはわからないけど鍵盤の上を残像を残して指が滑っていく。

青い光の中で浮かぶように乱反射する万華鏡?謎の分散和音、その中にこっそりエリーゼのためにを潜ませるのも忘れてはいないようだ……何かの警笛のような合図を境に、熱いラテンアレンジからの高速移動でオクターブ連打。これ以上ないっていうくらい全編菊池さんカラ―全開。

吹奏楽版アレンジの曲は知ってたけど)他にもある作曲家の、ピアノアレンジの常識の範疇を軽々と突き抜けて成層圏に飛んでいく勢いである。

どの辺が緊張していたのか、自分にはさっぱりわかりません。

 

自分が初めて菊池さんの演奏を聞いたのはござさんとのコナンのストピ連弾動画だったのだが、第一印象から暫く感じていた、ただただ怖いっていう恐怖感はもう感じない。

演奏がすごすぎて怖かったのだけど、それよりも生配信でのお話を聞いたり、Twitterでどんどん流れて来る笑えない寒いギャグとかを見ているとやっぱり人間味を感じて、ちゃんと実在する人なんだってそれで実感したというか(じゃあ一体第一印象は何だったんだ)。なんだろう?機械みたいで怖かったのかなあ。

しかし、その実態はただひたすらピアノ弾くのが趣味通り越して命賭けてる、寒いギャグと猫さんが好きな、実は帽子が本体の人だった。

こう書くと俄然親近感がわく。

 

 

修行中につき

そういえば菊池さんのピアノは誰が聴いてもこの超絶技巧が印象に残ると思うが、でも菊池さんとしては、ご自分で「練習不足を隠してる」とか「ああいう演奏になるのはどこかに不安があるから」と発言されていた気がする。

でも「不安な気持ち」は最近薄れてきたようだ。過去のものとしてとらえられているのだろうか。こういうつぶやきからも、不安な気持ちというのは練習によって解決できるというふうに前向きな姿勢が感じられる。

 

「不安な気持ち」があったからか?去年8月のサントリーホールでのコンサートも終わった秋ごろ、このような呟きをされていた。

 

この論点はソロコンサートを開催するかという点である。

結局、他人にどう思われるかという客観的なものではなく、菊池さん自身の主観的基準に合致してないと、コンサートという場所で自分を目当てにきてくれたお客様に提供できる演奏はできないという判断をされたようだ。自分の納得いく作品ができなかったら全部割ってしまう陶芸家みたいに。

ほんと根っからの職人気質である。寡作にして名作の造り手、菊池さん。

その後も冬から春にかけて菊池さんはバンドのスタッフとして、また各種業界に楽曲提供をしたりと、生配信ライブの頻度が落ちるくらい精力的に各方面で八面六臂の活躍であった。しかしあくまでそれは音楽業界の一構成員としてであり、このねぴふぁびも厳密にはソロピアノコンサートではない。

 

菊池さんの気持ちの中で満足いく演奏ができる!という自覚が持てたらその時にソロコンサートをなさるのかもしれない。菊池さんなりに、「いつかはお客さんの前で」というビジョンを描いて準備されている気がするので(オリジナル曲を用意しているという発言があったような……)、時が来ればご本人から発言があるはずだ。自分も内心ドキドキしながらその瞬間をこっそり楽しみにして待っている。

菊池さんが満足するレベルって、一体どんだけ?今の状態でだめだとすると?何ならいいの?と常々疑問に思っているから。

 

 

静かな世界

変奏曲が終わると「身体が温まったところで」という謎の発言が飛び出した。あれが準備運動だったのかなるほど。いやいやいや……で次は静かな曲なのか。何のために準備運動したんだ!

 

というコントまがいのコメントはさておき。

次はいわゆるNEO PIANO ライブシリーズでいうところのチル アウトに当たる部分じゃないんですかね。菊池さんはほら、休憩中もピアノがあったら弾いちゃうし、休日もピアノ弾いちゃうし、休みにならないから、こういう曲を間に於くことで休憩としてるんじゃないですかね?体力的に。

それは自分の想像の世界。

 

次はショパン24の前奏曲から第15番「雨だれ」だった。

ショパンの繊細な部分とダイナミックな部分を分かりやすく感じることができる曲」

に共感を覚える部分があるらしい。

 

パガニーニ変奏曲が、菊池さんなりに技術とアレンジの自分への挑戦だとすると、この雨だれは菊池さんの内面世界に自ら問いかけているような精神性を感じる。

原曲通りではないけど、ぽつんぽつんと落ちてくる雫を一粒ずつ表現したかのような静寂の中に広がる音。水紋みたいな同心円を描いて広がる音。その感触は水よりも繊細にしてふんわりと溶け合う和音に姿を変える。

左手の和音の変化だけで曲が進行するクライマックス、ここだけはあえて手を加えていないのかもしれない。菊池さんの内面に存在する機械的ではない繊細さとダイナミックな部分を表現したということか?

そのあとの、あたりにやわらかく溶けていくような、そっとピアノに問いかけるようなpppの音。

 

自分は配信で聞いていながら、時間を忘れて思わず聴き入った。

静謐な暗い空間にピアノが深々と響く中、天上から差し込んでくるかのような光の筋がはっきりと浮かび、菊池さんだけを浮かび上がらせている。

 

思わず息をのむ瞬間だった。

 

 

祈り

世界情勢つまりロシアがウクライナに侵攻している現状を鑑みて菊池さんが提示してきたのは、ムソルグスキー組曲展覧会の絵」から、「キエフの大門」だった。

( ※ 展覧会の絵について補足)

この曲はムソルグスキーの友人の亡くなった画家ヴィクトル・ハルトマンの遺作展からの印象が元になっている。もとはピアノソロの曲だったが、編曲としてはラヴェル管弦楽版が有名である。ラヴェル版以外は編曲として認めない。しかし管弦楽版も原則、ピアノソロ版を和音や構成的には踏襲しているので、菊池さんがアレンジしているのはどっちからなのか、はっきりしない。

ただ言えるのは、やっぱりピアノアレンジに際して菊池さんの特色が全開になってる所だ。

 

菊池さんは今の世界情勢に対して心痛を表明しているようだが、しかし「現状に際して自分にできる事」としてだた一つ音楽で表現することを挙げられて、音楽に罪は無いと言われている。

罪は無いというか、音楽に政治も人種も国境もないという意味だったのだろうか。音楽という言語を超えた表現で、人類同士の諍いは鎮められないものかという菊池さんなりの唯一の手段だったのかもしれない。

 

この曲を選ばれた理由を考えてみた。

舞台がキエフ(キーウ)という今問題になっている場所を扱ったものであるという事。

キエフウクライナの首都である。その起源は政治・経済的にも古く、宗教的にもビザンツ帝国から受け継いだ東方正教会のロシア地方での中心地、聖地であった。

この曲の題材もロシア正教会の讃美歌から取られている。

 

この演奏こそ菊池さんのキエフに対する解釈そのものといっていいだろう。

組曲の前の曲「バーバ・ヤガーの小屋」が終末のクライマックスから一気になだれこんでくるので、「キエフの大門」の冒頭は輝かしくフォルテッシモの最大音量で、華やかに始まる。のが原曲だが、今回のアレンジでは冒頭のこのテーマは静かにおごそかに扱われている。合間には正教会の讃美歌が出てくる。そこにプロムナードのテーマが絡んで壮大に曲は展開していく。

 

和音進行は菊池さんらしくひねってひねって、裏の裏を行っている(どうひねってるのかは詳しくは知らない)。原曲にはない低音も最大限にバーンと効いていて、体全体で思いっきりそのtuttiを表現することでその古都の偉大さを表し、また讃美歌の旋律にはキエフへの畏敬の念が込められていたと思う。

 

キエフは一国の首都、ウクライナは国際的に独立した主権国家だ。

(今の現状を遠くシベリアを挟んで海のこちら側から見ているしかない一市民の立場で、菊池さんは色々思う所もあったのだろうが政治的な発言は公式にはできない以上)精いっぱいできる事と言えばピアノを弾くことだった、と言われていて、自分も唇を噛んで見ているしかないのかともどかしさを感じた。

展覧会の絵全曲を、自分は学生時代に部活の演奏会で演奏した。パンフレットも作って曲目についてあれこれ調べたのだが、その頃はまさかキエフウクライナがこんなことになるとは夢にも思っていなかった。

キエフってどこ?ウクライナの首都で、川のほとりに広がる美しい古都。

ウクライナって?黒海沿岸の黒土地帯を有するヨーロッパでも有数の肥沃な穀倉地帯。

当時の認識はそういうものだった。

ソ連崩壊後の混乱の中とはいえ、その当時は未来は明るかったのだ。

 

ウクライナに栄光あれ。

 

 

 

ここから以降、コンサートは JAZZ色が濃くなっていった。

 

ーーその③へ続くーー