6/29の生配信。
前回の配信で咳をされていた事からもコロナ感染後の後遺症が心配でしたけど、そんなことで気を揉むのは無用だったようです。
すっかり元に戻られて、思う存分ピアノを弾く姿を拝見してようやく自分は心の底から安堵した。ちゃんとこの目で(配信画面でも)お元気そうに喋ってるところを見ないと信用しないタイプなので。前回配信の咳の具合は、体調の50%程度しか回復してなかったらしい、とチラッと本音を口にされていたし。うん、いつもの発言なんて全く信用ならないな。
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通常運転
別に、重箱の隅をつつきたいわけではない。
ござさんはコロナ感染から体調が復帰するとともに、順調にいつもの調子に戻ったのであった。
ユニコーンの「すばらしい日々」の演奏を聞いて、去年のlo-fiBGM動画を思い出し、あれ以来メンバー限定動画や限定の練習配信やるって言ってたわりに、音沙汰ないなーとか。
【Lo-fi】決定版!!邦楽・洋楽の泣ける名曲25曲「レコード風」アレンジメドレー【Hip Hop】 - YouTube
今回も配信予約枠の開始時間が1970年だったよねとか。
そもそも前回配信も開始時間が各告知でバラバラだったよな、とか。
ござさんのTwitterアカウントからござの日の文言がやっと消えたけど、公式HPはそのままで、相変わらず時間軸が5月で止まってんなーとか。
初めての人はまず公式ページ見るのに、全くほんとに。とか。
Youtubeの再生回数上位動画の概要欄もござの日モードのまま直ってないじゃんとか。
そんな事ちっっっとも、頭の片隅にも思ってませんから。
そういう基本的なところを押さえてないから登録者数が増えないんだよとか思ってませんよ、ちっとも?全然??
この桁数の登録者数になってくると、そんな重箱の隅について考えるよりももっと大局を見る視点が大切ですよね。
新しい視聴者層に訴えるにはわかりやすいキャッチーな方針が必要だ。ファンというコミュニティも常に新陳代謝を図っていかなければ健全さは保てない。新しい風、先入観のないフラットな発想は、通りすがりの人に入りやすい雰囲気だなって訴求する効果があるだろう。気軽に声をかけれる環境って大事だ。
まずおおらかな心でピアノを楽しむことだ。
ファン界隈はそのまま推しを反映するというから。みんなで楽しく推せる雰囲気が大事なんだ。
ねっ????
ちっとも重箱の隅はつついてませんので。
細かい事は気にしない。
ピアノをして饒舌たらしめる
そう、細かいことは気にしない。
営業上は、顧客サービスを抜きにしては事業運営は成り立たないのが通例だけど、ござさんのチャンネルにおいて最大の顧客サービスって何なの?って思ったとき、それはピアノ弾くことだなと思ったので。
きめ細かい配慮は大切だけど、それを重視してる人は昨今の趨勢を見て黙って界隈から去ってるかもしれないけど。(特にござさんチャンネルの、メンバー限定サービスの貧弱さはそれが有償だと考えると致命的なのだけど!!)
でもござさんは黙ってピアノ弾く。
配信でも投稿動画でも最初から最後までピアノ弾いてて、字幕があれば楽曲解説と「ご視聴ありがとうございました」の挨拶のみ。
何も言わなくても。
その演奏が全てを語っていると言っていい。
なによりピアノを弾き出すと俄然別人のようになる。全ての情熱を注いでるのが手に取るようにわかる。
ていうか、かつてタコ部屋みたいなとこでコッペパンと焼きそば食べるくらいの休憩しか無かったらしい嘗ての職場、体力と精神力が勝負の介護現場。その僅かな休憩時間にシンセとDAWのマニュアルをノートに写して覚えたり、仕事終わってから深夜まで配信とか動画編集したり。家での空き時間は恐らく全部ピアノの練習。
そんな生活、心底ピアノが好きじゃないととてもじゃないがやってられなかったと思う。ピアノはござさんにとって仕事でもボランティアでもない。ただ音楽に関わることが好きだったから、楽しかったから続けられたのではないか?
何も言わなくても、その熱い魂は火の玉となってストレートに画面のこちらに飛んでくるのだ。引っ掛けもフェイクもない。いつも、ござさんは自分らファンに音楽の情熱を真正面からぶつけてくる。
人目を引く宣伝を抜きにして音楽に向き合う姿勢に、ファンは信頼と期待を投影し、実際にござさんはいつも見事に期待に応えてくれる。
期待を通り越してどこか宇宙の彼方へ思考回路も演奏もすっ飛んで行っている、とも言う。
ござさんはコンビニ入ってもBGMからコードを考えてしまうくらいだから、配信ができずピアノが弾けなかった時期というのは病気の辛さ以上に精神的に打撃だったのではないか?第一言語である音楽を奪われて、息を吸うことも吐くこともできない日々。袋小路の先にある暗い路地に追い詰められてただ黙ってうずくまっていた姿。
そんなござさんの悔しい気持ちは、先週(6/21)の蔭がある演奏に全部置いてきたんだなと思った。
見えない枷に繋がれていた魂が解き放たれたからか?喜びのあまり鍵盤の上を滑るように踊る指。
そのピアノの音からござさんの気持ちがそのまま伝わってくる。
画面のこちらで聴いてるほうも自然とござさんお帰りなさいって、口をついて出た。
ファンにとっても、毎週生配信で演奏してくれる事実、それはなんと贅沢なことだろうってあらためて思う。こうやって一歩ずつ進んでるござさんの姿を目の当たりにできるから。いろんな舞台、色んな経験を経て演奏が味わい深くなっていく様を、ごく身近に感じられるのが生配信の醍醐味だ。
リズムが跳ねて浮き立ってる。
音の艶が違う。
一片の曇りもない、明るくて綺麗なPOPな原色の音。
静かに聴かせるところは…山深い渓流の湧水みたいに澄んだ音が聴こえる。
深い淵にたたえられた水が堰を切って奔流となるような劇的な展開に驚く。
そう、堰き止められてた色々な感情が一気に迸り出たような。ござさんにとって音楽は第一言語ですから話せるようになって水を得た魚なのでしょう。(なんか違う)
暑くなればなるほど盛り上がる夏
夏メドレー?こないだの配信でもあったよね?曲とかジャンルがかぶるじゃん?って勘繰ってすいませんでした。自分が悪かったです。
水を得た魚といえば。
ペンギンは地上、つまり南極なら氷の上だとヒレのついた足で一歩ずつ歩くしかない。(お腹でも滑れるらしいけど)でも一旦海の水に潜ると一変して魚みたいに自由に泳げる。
自分は南極観測船から遥かその様子を観察してる記録員…?「海でいきいきと泳いでて、イルカとクジラと出会って楽しそうでした」…みたいな。(何言ってるんだか…)
というか夏メドレーっていえば?そして、風になりたいっていえば?こちらのペンギンさんを抜きにしては語れないでしょう。
真夏のテンションに盛り上がるペンギンさんがクラッカーを鳴らす!!
!!!………あれ?
……などと御託を並べている場合ではない。
風になりたいで爽やかに始まったのは気のせいだった。今回の夏メドレー、なにもかも置き去りにしていく勢いで凄い。
夏の熱気とお祭り騒ぎ。
リップスライムとか打ち上げ花火とか夏祭りとか……みんなで夜店の屋台を冷やかしながら遊んでたの思い出す。(ついでに砂浜にロケット花火並べて点火したり、日付が変わる頃にお寺の誰もいない公衆電話が鳴るのを待機してみたりってやつ…別にヤンキーだった訳ではない)
ただ大江千里の曲はポンキッキーズのTV番組でおなじみらしいが自分は世代が一回りずれててその曲は夏の思い出ではない。大江千里っていえばかっこ悪いふられ方だよね?
でも今聞くといい歌詞、小学生の夏の思い出が詰まってそうだな。
そんな田舎の郷愁まで、Summerと夏影で一気に呼び起こされる。
昔のゆっくり流れていた時間。携帯もパソコンもないアナログな世界、夏休みの午前中は涼しいから早く宿題やれって怒られながら、ちっともやらなかった。外で真っ黒になって服も泥だらけ?で遊んでいた。
(↑写真サイズが調整できなくてすいません)
※自分的に夏っていえば夏はスイカ。
納屋にいっぱい並んだ出荷用のスイカ。ぽんぽんって叩いて明るい音がすると熟れどきだって教えてくれた。それに一個一個シール貼るのが唯一の自分の仕事、トラックに一緒に乗って街の市場へ出荷するのについて行った。
うだるような暑さの昼下がり。井戸には縄でぶら下がった大きなスイカがひえていた。冷蔵庫のよりも冷たかった。それを切り分けてもらい、トレイにずらっと並んだのを我先にかぶりつく。甘くておいしくて、山のように切ってくれてもいつも一瞬でなくなった。
田植えは 邪魔して 手伝ってたし、学校のプールは放課後2時間は泳いで、夏休みになると田んぼでカブトエビとザリガニとトンボとバッタをつかまえて、暑い時はかき氷食べて、海水浴、ラジオ体操、それから近くの湧水で泳いで、近所の店でアイス買い、……
アカン。色々手が滑って横道のものすごくどうでもいい所へ突っ込んだ。元へ帰らなきゃ。
しかしござさんの演奏でこういう昭和な田舎の夏の風景を想起させるのはなぜなのか。それは人類の永遠の謎。(なんのこっちゃ…)
アニソンとゲーソンは聴き逃してはならない
今回の配信でいえばゲーソンが感動巨編、アニソンはバラエティ枠って言ってしまえばそれまで、でもその時代の振り幅とノリ具合がね?全身全霊かけて情熱と気合いをぶつけてる様がどうみてもリクエストの範疇じゃないよね?昔単体動画で上がってた曲:ジャパリパークも再現度がさらに凄い。極めつけに、三千里旅してきたマルコの感動を呼ぶ物語。
気迫通り越してピアノに対する執念?が滲み出る。左手のビートに乗って目にも止まらぬ速さで疾走していくメロディ。その裏で装飾音、ゴーストノート(?)までどの音も絶対落とさないっていう、隙あらば一つでも多く和音に音をねじ込もうという執念。わずかな休符の隙間を正確に感じてることで緊張感がいやでも高まる。
この異様な空気に呑まれるようにして息するの忘れ、どの曲にも(正確にはござさんの演奏に)ワクワクしている自分がいる。
これも時代を超えて色んな名曲が散りばめられているが、どうやってこの弾ける曲ラインナップを揃えたのか素人には想像つかない。面白いコード進行の曲とかをマニアックに集めるとこうなるんだろうか。
でも17歳ですよね??どういうことですか😂(実際には古い曲はだいたいニコ動で覚えられたはずですけど……)
ゲーソンは……アニソンでさえ部外者の自分なので、ゲームは全くの門外漢につきこんなとこで語るのは控えます。しかしそんな素人目線にも今まで配信で聴きかじった曲も動画の曲も、さらにキレッキレになって蘇ってるということを申し添えておきましょうか。
さらに素人目線だけどFFのテーマとかEyes on Meとか、ゼルダの曲や風の憧憬とかRPGの曲はござさんが語り部となって壮大な叙事詩が紡がれていくようで…配信で何回も聴いたことあっても、はっとさせられる。
真のメインコンテンツは最後のノンストップメドレー
スパチャリクがあった頃。さらに、ペンギンマスク被る前はもっと配信の視聴者数も少なくて途中の休憩でスパチャ拾うまでの前半は全部ノンストップでリクエストを拾っていた。初めて聴いたとき、その流れの自然さというか繋ぎの芸術的なアレンジにびっくりして、さらに最後のノンストップメドレーではそのつなぎがスピード感があってとても即興でやってるとは思えず、自分が配信にはまったのはそこからだった、気がする。
自分の知ってるピアノ演奏って楽譜見ながら1曲ずつていうものだったから、ああいう即興演奏ができるっていう事実をござさんで初めて知ったから。
トークで色々話してくださって、近況や興味のある音楽分野とか好きな料理とか何でも言ってくれるのも楽しいのだけど、自分はやっぱ無言でメドレー弾いてるござさんのピアノが1番好きなんだなあって思うのだ。
……どっちやねん。
なんと贅沢な悩み。
最近で言うと。配信中のメドレーで拾えなかったジャンルを補完するという位置付けよりは、この最後のメドレーがメインまである。
そういう勢いで最後の演奏に気合い入ってるのだ。
なんせ今回は冒頭に10−4だから。
ほかのどの曲も昔のノンストップメドレーみたいに10〜15秒で代わるというよりむしろそれぞれ渾身の演奏でフルサイズで弾いてくれてて、これこそ贅沢。
つまりござさんんの配信はまるごと全部贅沢といえるだろう(投げやりな解説やな)……
配信で放出しきれなかったエネルギーと情熱を全部ここで燃やし尽くしてる感がある。
静かな情感溢れる曲もうっすらと青白い炎が燃え上がるのが見える。
(配信の感想って…いつも同じよね?と思ってやめようと思いつつ気がついたら書いてしまう症候群なのですいません)
ござさんの研究
ござさんの世界はそもそも音楽に全振りしてるので、(昔のフォロワー数少なかった時代のツイートは見なかったことにして)そのつぶやきは音楽について語り出すと突然饒舌である。
全くの素人である自分はそこにツッコミはできないのでのびのびとした呟きを陰から静観してるところであったが、ちょっとだけ。(そのためコード進行のつぶやきはスルーする。いや全部スルーすべきともいう…そんなのにリプできない…)
旅の情景
行ってみたい場所があってもGoogle mapで見て満足してしまうことが多い。「実際に行くと写真より良かった」という体験が少ないからなんだけど、「足るを知る」「大海を知らず」どちらに捉えるべきかだろうか迷う。コストが抑えられるのでしばらくは前者で行こうかな
— ござ 🎹 (@gprza) 2022年6月23日
このござさんの「行ってみたい」のはあくまで色々な興味ある音楽を現地で体感してみたいという意味に集約できる気がする。だってそもそも旅行とか、家を離れるとピアノの練習できなくなるから嫌だって言われてましたでしょ?そういう風に色々な場所に思いを馳せるぶんにはGoogle Mapは一瞬で世界旅行できて便利だ。妄想する分には。
ただ、ネットで調べる事はできても、民族音楽は現地の風土を自分の五感で体験してこそだと思うんだ。
現地の空の色、大地の色と景色、空気、水、その国の人々と言語、食べ物、街並み、…全て文化というのはその土地の風土と自然に根づいたもので、絶対にモニタとイヤホンからの情報だけでは分からないと思うんだけどなあ。
地球上のまだ見ぬ世界に触れてみたいという好奇心から人間は旅に出る。
また、そこで得るものによって人間は内面を磨く。
ござさん、パソコンで見るバーチャル体験だけでは色々無理があるんやで。
(……持論に走ってるな?お題はなんだっけ、そうだウイグルだった)
ウイグルの音楽理論
ちなみに今はウイグルにまでマカーム(イスラム圏音楽の特徴というか理論)が来ていて近隣地域とだいぶ違うことになってておもろいなということに思いを馳せています
— ござ 🎹 (@gprza) 2022年6月23日
ここで言うウイグルというのは中国の新疆ウイグル自治区を指すと思うが、歴史的にはかつてこの地域を支配したテュルク系民族のことである。テュルク系民族は遊牧民であり、有名なのは匈奴とか突厥が挙げられる。その後のイスラム教の広まりにより中央アジアは広くイスラム化していった。
(※テュルク系民族の分布。右の方の緑色がウイグル自治区。中央が空いている所は砂漠。)
画像引用:ウイグル - Wikipedia
新疆ウイグル自治区もイスラム化してテュルク系民族の住む地の東方、つまり東トルキスタンと今は呼ばれているが、ござさんの言う「ウイグルの近隣地域とはだいぶ違う」ってどこの事だろう?北方のキルギス、またカザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、そしてアフガニスタンあたりのイスラム教諸国へはこのマカーム、つまりアラビア音楽理論(?)が来てる。ということは、ござさんはウイグルを中国の漢民族圏と比べてるんやな。
新疆は一応中国の自治区のひとつだし、いま比べてるとしたら中国ってことかな?
でもそのウイグル自治区は中国の代々王朝が万里の長城まで作って北方騎馬民族と支配権を争ったシルクロードの要衝。ここは中国というより他民族との覇権争いの最前線、ウイグル人の容貌はイラン系の影響が濃く、古代つまり唐までは中国の支配下だったかもしれないが、歴史的には中央アジアのイスラム圏であり文化も風習も当然イスラム風、中国の漢民族の文化こそここでは少数派、比べる必要ないと思うな…
(ここ数年の中国共産党とウイグル情勢についてはここでは省略)
インプットとアウトプット
ここ数年、世界の音楽からステージで緊張しない方法に至るまで音楽にまつわる色々な事を勉強してきた。で、自分の中での消化を経てそれを今少しずつアウトプットに向かってきた実感がある。演奏とは違って時間がかかって地味な作業だけど、これから頑張っていきたいな。
— ござ 🎹 (@gprza) 2022年6月24日
これも最初よく分からなかったんですよね…世界の音楽は以前から調べてるって言われてて、そのアウトプットは演奏とか動画とか配信とか?それとかブログにupされてくるのかなーと思いきや。
ほら色々やってましたよね?
このラテンの研究ってのは色んなリズムパターンとそのルーツを調べてたのだと思いますが。
流れていないラテン(とベーシストとドラマー)の血が騒ぐ(本を沢山買い込んだので勉強します) pic.twitter.com/Fn3YeIwW02
— ござ 🎹 (@gprza) 2021年8月30日
最近マンドリン(弦楽器)とバンドリン(ショーロとかでつかうマンドリン系)とタンバリン(打楽器)とパンデイロ(ブラジル版タンバリンっぽいもの) とタンボリン(バトゥカーダとかで使うパンデイロよりかはタンバリンっぽくないやつ)の名称がやっと頭に入ってきました
— ござ 🎹 (@gprza) 2022年5月14日
買った中古書に過去の所有者の方宛の10年前の納品書が入ってまして、それが大変有名なギタリストの方でした。楽器は違えど同じ道を辿っていると考えると感慨深いです。勉強頑張ります。 pic.twitter.com/BYuECEoRiO
— ござ 🎹 (@gprza) 2022年5月28日
Google mapで旅した気になるというよりは。
こういうことを調べていたいんだろうな?というか。浜離宮のソロコン以来モチベーション爆上げとか言われてましたし…それに調べ物はコロナ感染後の療養の時期にもどうせ家で絶対されてたしょうね、何もせずにじっとしてるとかあり得ないと思ってたんですよね。
ござさんの音楽の世界
自分は単なる素人、どれも全く分からない民なのでいちいちツッコミません。アルカイックスマイルでも浮かべてそっと遠いところから眺めてますのでご安心ください。
ござさん楽しそうだなーって心の中でつぶやくのがささやかな楽しみ(ストーカーではない)。
#今日知 音楽における「暗→明」「苦悩→歓喜」の図式はベートーヴェンが先駆的存在で(運命交響曲など)のちのロマン派以降に広まった
— ござ 🎹 (@gprza) 2022年6月27日
ベートーヴェンの「暗→明」の図式、「短調だけど(サビで)長調になる曲」にも通じてる気がして、そうするとハンガリー狂詩曲第二番だったりブラジルのTicTiconoFubaだったり、中島みゆきの旅人のうただったりコンギョだったり果ては髭男のcry babyにも通じてる訳ですごいなあと
— ござ 🎹 (@gprza) 2022年6月27日
ここに挙げられてる音楽がジャンルも時代も地域もいちいち違うのを見るだけでも面白すぎる。
ベートーヴェンの交響曲「運命」……18世紀古典派クラシック
リストのハンガリー狂詩曲第2番……19世紀ロマン派クラシック
Tico Tico No Fuba……19世紀ブラジルのショーロ(下記に引用)
中島みゆきの旅人のうた……昭和J-POP
コンギョ(攻撃戦だ)……2010年の北朝鮮のプロパガンダソング
髭男のcry baby……令和J-POP
※【ショーロ】(Choro、Chorinhoとも)は、ブラジルのポピュラー音楽のスタイル(ジャンル)の一つである。19世紀にリオ・デ・ジャネイロで成立した。ショーロという名前は、ポルトガル語で「泣く」を意味する「chorar」からついたと言われている。ショーロをアメリカでは「ブラジルのジャズ」と称されることがあるが、即興を重視した音楽としてはジャズよりも歴史が古い。ショーロはサンバ、ボサノヴァなどのブラジル音楽の誕生に影響を与えた。
引用:ショーロ - Wikipedia から
そこでどっかで埋もれてた記憶があった。最初クラくて最後いきなり明るくなる……モルダウじゃん!?ロマン派というか国民楽派だけど!
何々……ふむふむ最初はホ短調で最後にホ長調になり明るく希望に満ちた終わり方…?なるほど暗い曲だけどシメが明るいから前向きに終われるんだなこの曲。
まあどっちにしても自分にはそんな発想は逆立ちしたって出てこない。そういう仮定を立てたとしてそんなラインナップの曲思いつかない。
ござさんがコロナで流した悔し涙。
その気持ちの分だけ前向きに動こうとしてる、そういう姿に、6/21の配信聞いていつまでも余韻に浸ってしんみりしてた自分は、あわててエンジンをかけた。
やっぱり気がついたら置いていかれそう、こんなんじゃだめだ。
しかし7/10の工事までウチはネット回線切れてて、スマホの貧弱な編集では進まないのでここでとりあえず投稿しときます。
すいませんがご了承ください。
この続きやろうとして、片手間では終わらないことに気づいた(要するに一旦諦めた)。
ござさんの出してきた宿題をまじめに考えたい。(今まで講座動画にそんな考え込んだ事ないんやけどおかしいな)