ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

ピアノ初心者の練習日記

 

この日記は推してるござさんの事と共に、自分の推し活日記でもある、

ただ自分は偶然推し活できるタイミングでござさんを知った。2020年2月28日、つまりコロナウイルスで翌日から学校が休校になるタイミング、発見するのがそれより数ヶ月早ければ自分は推し活もピアノもままならなかっただろう。

 

人生のそれぞれのタイミングで推し活すればいいのであり、この記事も読む人それぞれのタイミングで共感してくれればいいと思う。

というかファンそれぞれのペースで自分なりに推し活すればいいのでは。

ござさんのチャンネルは定期的に配信してくれるし、アーカイブもメンバー会員じゃなくても一か月?くらいは無料で見れるところにあるから、マイペースで応援できてそういう意味ではファンに対して敷居は低いと思う。

自分は自分の時間を全く取れない時期が10年くらいあったので、今自由に時間を使えて家族の理解も得られ、ネット環境もあることに感謝しながらこの記事を書いてる。

 

 

自分はもともと吹奏楽ファンだ。学生時代は部活の休みも正月の2日間しかなくてずっと楽器と一緒だった。朝始業前も、昼休みも練習してた。

パートはクラリネット

初めて買ったCDも、東京クラリネットアンサンブルのアルバムだった。それを学校に持って行き部員みんなで聴いて、プロの技と音色に憧れたものだ。ただ楽器に関わっていたのは学生時代までであり、今はもっぱら吹奏楽は聴いて楽しんでいる。コロナ前は、近辺で開かれる管楽器関連のコンサートにも行っていた。

 

自分がピアノを習っていたのはそれより前の子供の頃の話で、過去の苦い思い出として記憶にしっかり蓋をしていた。埃をかぶった家のピアノは、主に姪っ子専用と化していた。はずだった。

だからピアノ曲とかなんも詳しくないし楽器として避けて生きてきたはずなのだけど。

 

Youtubeで偶然ネットピアニストのござさんを発見してから今まで親しんできた吹奏楽や管楽器の演奏が、色褪せたわけではなく今も大好きだけどそれよりなぜかピアノが好きになってしまった。

吹奏楽大好きのはずだったんだけど、不思議現象。

正確に言えばピアノが好きになったというよりは、推しの作り出す音楽が好きなのかもしれない。

ネットでピアノ関連の演奏を聴いていくなかで従来のクラシック音楽に触れる機会や、コンサートでピアノを聞く機会もあった。コンサートで聞いたピアノはかてぃんさんとオーケストラの共演だったから、やっぱりピアノとしてはクラシック音楽というよりその人独自の演奏に自分は興味がある気がする。

 

それはともかく自分が推しているござさんは、独自に、自由に音楽を発信していて、あまりにも伸び伸びと楽しそうだったので、うっかり自分もピアノの蓋を開けてしまったのだ。

その頃すっかり姪っ子専用機と化していたピアノ、それにちょっと自分も触ってみようっていう気になった、なぜか。

 

それがちょうど2年前の今頃。その後ねぴらぼinventionを経て練習を手探りで始めてみたのだった。

 


 

ただ当時の自分のピアノという楽器に対する認識は

月刊ピアノにファンが弾けるようなアレンジも連載してくれていて、楽しく気軽に始められる楽器」

だった。子供の頃やめてから関わってない自分の知識といえばその程度。(なんならピアノは黒歴史だったし。あえて関わるのを避けてきたから何にも知らなかった)

 

気軽に始められるという意味では何ら間違いではない。電子ピアノがあれば、振動の問題はあれどマンションなどの住環境でも演奏できるしもっと身近な入り口として子供むけの小ぶりなキーボードや折りたたみできる電子ピアノまで出てきたのだから。

 

 

自分はござさんの指練習動画を解説してくれている動画(ややこしいな)を手掛かりに練習を始めてみた。それから何十年かぶりに練習本を入手してやってみる毎日。

でもそこには海よりも深い落とし穴があった。

ござさんは音楽って素晴らしいってことを、ピアノを通じて、またあらゆる手段で発信してくれている。ファンの好きな曲を生配信で弾いてくれ、ちょっとしたアレンジの発想はすぐに楽譜つきでTwitterにあげてくれて、Youtube動画でも独自のアレンジをスタジオ収録された本格的動画を投稿されている。

月刊ピアノの連載にも毎月オリジナルのアレンジ楽譜をのせてくれる。一般人でも弾ける難易度、特徴的な和音と独特なリズムはちょっと和音を弾いてみるだけでもござさんの世界を楽しめる身近な存在だ。

それらの曲を、昔やってたハノンの教則本と合わせて楽しく練習するはず、だった。ウチでは昔妹もサラーっとピアノ弾いてたし、あんなふうに弾けるといいな、練習楽しいな………

 

というのはあくまで曲が弾けた、それだけの話だ。それ以前に曲を弾くことで精一杯だったけど、でも指を覚えても自分がイメージしてきたござさんの曲、ピアノの音にはなんか程遠い。なんか違うぞ?

そう思って、基礎練からやり直すことにしたやり直すって言ってもピアノ再開後の道のりは短いものだったけど、それにしても短絡的すぎたから。

 

楽器としてのピアノを考えたとき、何も考えずに自分はただ鍵盤を押していただけらしい、と思ってそこをもうちょっとゆっくり考えたかった。

 

鍵盤を押すと音が鳴る。

ピアノの中でのそのハンマーの動きまでは見えないけど、鍵盤の押し方、指の動き、力の伝わり方、手の関節の動き、手への体重の伝わり方、体幹から手へ、また音が出た後の指の動き、姿勢と音への影響……

一つの音にはそれらの一連の流れ、体から伝わるメカニズムがある。

 

それは基礎練以前の音を出す観念だ。

機械的に、指の物理的運動として基礎練を捉えると、早くて正確だったらいいじゃないかってことになる。タイムを競い合って優劣をつけるようなものだ。

で、楽器の表現はそこに重きを置くものではない事に段々気づいてきて、自分の練習を振り返ったとき、まさにタイムを気にする競争みたいだったから、角度を変えて考えてみることにしたのだ。

 

ピアノを再開してからその境地に至るまで約一年を要したけど、その間も基礎練はやってはいたわけで、色んな曲も弾いてみたし、無駄な時間だったとは自分は思わない。

ピアノの本当の音の存在に気付くのに必要な時間だったと思えばいいのだろう。

 

そこから練習方針を変えてみた(今んとこ更に1年経過)。まず自分の出す音をじっくり考えられる速さでやってみる方向へ。メトロノームでいくらでも遅くできるから、音の間のつながりと指の動きも考えつつ。

それから最初、一番分からなかったのが腕の脱力だけど、今の所弾いてて肘とか手首が痛くなることはなかったので、関節の使い方は間違ってはいないみたいだ。合ってるならござさんみたいに一日10時間とか弾いてても平気なわけで。自分はそんなに弾けませんけどね物理的に。

 

忙しかったり疲れていたりで、時間ないときはピアノに触れないことも多い。

しかし3分でも5分でも、隙間時間でなんでもいいから鍵盤さわるだけでも意味があるというなかば都市伝説のような噂を聞いたので、とりあえず一式の練習はできなくても少しでも弾いてみることにした。そんな短時間でなんか意味あるのかと半信半疑だったけど、鍵盤の感触ていうか感覚で覚えてたことを忘れないようにするっていう意味では、効果はあったのかもしれない。一週間とか空いてしまうとほんと忘れてしまうので。

 

そういう少しづつの練習を続けて行っても、ハノンとござさんの指練習は長い時間かけてどうにか覚えたのに、スケールだけは楽譜のページ開いても、やり始めて2小節で眠くなる。さっぱり頭に入ってこない。まずどういう並びの調で書かれてるのかもわからなかったし、長調は1種類しかないのに短調は2種類あるのもわからなかったし、短調は上行系と下降系で音が変わるのも意味わからなかった。

しかしござさんのアレンジにはスケールやアルペジオがしょっちゅう登場するし、まずスケールできた方がいいのだろうか????と疑問に思って悩む日々。そんなんに時間取られてたら間違いなく曲なんて練習する暇はなくなる。

でもやっぱりそこをスルーしてごまかすことはできないようだったので、観念してひとつひとつ覚えることにした。

 

 

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ここで去年は大きく練習の間が空いた。

ござさんが6月、流行りの感染症にかかって自分もテンションが地まで堕ち、さらにパソコンが壊れてブログが8月前まで更新できなくなって詰んだからだ。ブログ書けないということは?自分にとって言葉書くのは息するのと一緒なので、呼吸困難になったみたいに口をパクパクさせる鯉のごとくジタバタしながら精神不安定でに陥ってピアノどころではなかった。

その後自分もセオリー?どおりに流行りの感染症にかかってそれで夏は終わった。

その間、ござさんの活動方針にも自分は明るい道を見いだせずに悩んでて、結局まともに練習再開したのはいつなのか?10月ごろ?覚えてないけど。

 

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ござさんの誕生日後に自分は気持ちを整理するきっかけ(なんだっけ忘れたけど)を見つけてブログもすらすら書けるようになり、ピアノも楽しく再開できるようになった。

 

と、そんなわけでピアノ練習歴としては一年の約3分の一を自分は棒に振ったわけですが、案外色々基礎連した分は指が覚えてるもので、また毎日練習してるともとのペースに戻ってきた。

 

そっから目から鱗の案件です。

先月つまり12月上旬くらい?から、いきなりスケールの指を覚えられるようになって驚いた件。あれだけ一日1小節とかだったのに。最初、いつまでもハ長調から抜け出せなかったのに。

スケールもすらすら初見の所を弾けるようになって一気に先に進めるようになった。弾けてたところも指を忘れなくなった。

また、月刊ピアノの練習してた曲も、どうにか曲として成立し始めた(速さはおいといて)。

 

要するに弾けるようになってきたので、弾いてて楽しくなってきたのだ(日本語よくわからないな)。

自分が小学生でピアノやめたのはつまんなかったからだ。なぜつまんなかったのかというと弾けなかったから、それは練習しなかったからなので当然なのだが。

なぜピアノの練習しなかったのか?それからあと中学の部活で始めた吹奏楽は下手なりにもあんなに楽しかったのに?

たぶん基礎練がつまんなかったのかもしれない。そういう積み重ねるっていうことをやってこなかったからかも。

というわけで、基礎練楽しいモードになれたので、練習続けられるかなと思う。毎日ちょっとでも鍵盤に触るっていうのも練習嫌いじゃないからこそできることだし。嫌いなら強制されでもしない限り、ピアノにまず自分からは近づきませんよね。

 

しかし進捗状況は限りなく変化がなく、前日より後退しなければいい位のレベルである。でもそういう現実は事実として考えて、なんか前日より変化したところを自分で勝手にピックアップして、「よし今日もがんばった!」って考えることにした。どんな小さいことでも、その日できるようになったことを探して、進歩したってことにしとくのだ。そう考えるとネガティブな考えにはならない。

ただ弾いてる最中は、手の神経、体全体の使い方に気を配って音に細心の注意を払って弾きながら聴き耳を立てている。どうすればもっとよくなるのか暗中模索しながらも自分なりに考えて弾いてみている。

 

月刊ピアノの連載楽譜も色々なアレンジがあるようなので、もうちょっとピアノに慣れてきたら、というか今やってるアレンジを弾けるようになったら、色々ほかの月の楽譜もチェックしてみたい。

ござさんのオリジナル曲も、自分で譜読みレベルでいいから通しで弾いてみたい。

 

こんなほぼ基礎練しかしてない民でも弾いてて楽しいのは、ちょっとやってみるござさんアレンジの曲が、曲名は何にしろ、何弾いても和音がござさん特有の響きで、ひとつ弾くだけでも、ちょっと演奏するだけでまるでござさんがそこにいるみたいな、目の前で弾いてるみたいな存在を感じられるところだ。

(ちょい妄想入ってるけど決してヤバイ人ではない)

毎週生配信もやってくれてそれだけでも十分ござさんの音に接することができて幸せなのだけど、その音を、自分で弾くことでホログラムかなんかみたいに自分のそばに再生できる…………

 

そろそろこの辺で風紀警察(なんだそりゃ)につかまりそうなので、自粛することにします。

ござさんアレンジの曲は、ござさんを身近に感じられる、初心者ファンにも優しく弾ける難易度の曲なので、どなたでも気軽に挑戦できます。

毎月月刊ピアノで絶賛連載中。

また、ソロアルバムの曲と連動した公式楽譜集も発売中。

くわしくは、公式サイトをご参照ください。

ござ オフィシャルサイト

 

(……公式サイトが充実すると、こうやってリンクを参照に貼る事もできるので、初見さんにも信用度爆上げだと思うんですよね、ほんとよかったです)