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(クラシック)音楽と経済活動− 2023年5月の現状③音楽と収益

 

この間から、ずっとひっかかってるこのお題について考えたい。

 

 

この話題は、このツイートが発端ではないようでここで取り上げるのは申し訳なく思う。でももう時系列を遡れないのでとりあえず考える。

 

 

そもそもは、

楽家

= 率先して仕事(演奏など)で利益を出そうとしない

  _人人人人人人_
= > お金持ち <
   ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄

というテンプレが世の中を闊歩しているので、自分も自分なりにそこにツッコミを入れたいということだ。Twitterでは自分の説明だと言葉が足らずに、謎論理になってしまう未来しか見えなかったので。

 

 

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楽家の分類

ここでの話は日本に限った話にする。日本以外だと、音楽家・芸術家への評価基準とか価値観とか全く違うし、その国の経済水準に左右される話でもあるから。

 

「昔の作曲家」について言えば、貴族のパトロンがつくか、音楽的に評価される又は商業的に流行りに乗るかのどっちかになれないと、中には貧しいまま短命で亡くなる人もいたようだ。

この評価されないまま音楽のみで生きようとして、貧しいうちに亡くなるというのは理不尽なのでは。今でいうCMとか大々的な広報を打ったりしなかったのだろうか。という素朴な疑問が胸をよぎる。

それは置いといて現代の音楽家について考えたい。

 

楽家と言っても演奏家、作曲家、編曲家など様々だ。

作曲・編曲にはTV・映画などのメディアで使われる劇伴音楽を専門に作曲する人とか楽曲のミキシング担当とかあらゆる職種が関わって成り立つ世界だから、一概に線引きはできない。創作の手法もDTMが主だったり、ここにはボカロPさんも含まれると思われるので、この時点で趣味でやっている一般人から、主たる収入を得ている専業音楽家もいてさらに一概には言えなくなる。

しかしボカロPさんは星の数ほどおられるはずで、作編曲を専業として収入を得ている人もどれだけの割合いるのか、この部分がまず不透明。

 

演奏家という括りも、まずボカロPさんとの線引きができない。彼らは音源をそのまま作れるからだ(そこには音響のエンジニアさんも関わっているとしても)。

ロックバンドとかもここに含まれると思うが、この記事ではアコースティックまたは電子の楽器演奏家について考えるのでポップス歌手・ボーカルの方については対象から外す。ロックバンドの構成メンバーつまりギターやベース、キーボード、ドラムについても恐らくメインの話題の対象ではない。

 

たぶんTwitterで話題に上がっている演奏家」はいわゆるクラシック音楽を生業としている演奏家のことを指すのだろう。アコースティックな楽器演奏を主たる専門にする演奏家クラシック音楽でなくても、そのジャンルは幅広く色々な楽器演奏を専門にしている方は存在する。

 

 

楽家=お金持ちのイメージの原因

・まず親・実家がお金持ちであるという前提

習い事をさせてくれる家。そこ自体は敷居は低いかもしれないが。

楽器の購入費用がたいていは何十万円とかかる。

それからアコースティックな楽器だと、演奏できる環境、つまり一戸建て又は防音室。電子楽器とかだったとしても、自宅に練習に専念できる環境が必ず整っているとは限らない。ヤングケアラーとかだったらまず無理。

高校の音楽家とか音大に進むと学費も天文学的数字になってくる。

 

これらの点がまず音楽家になる前提として、厳然として存在することに異論はありませんね?少なくとも日本においては。どこまで該当するかはその人によって違うとしても。

 

 

・音楽を主たる職業とする ≠ 音楽が主たる収入源である

Twitterで話題に上がっていたのはこっちのお題だと思う。つまり学校を卒業して収入を何に拠るか、という点で。そこまでのスタートラインは各個人の技量は様々であってもほぼ変わらないだろう。飛び級で音大卒業でもしない限りは。

 

音楽を専業にすると日本ではだいたい個人音楽教室とか音大、高校音楽家の教師とかじゃないと安定した収入は得られない。そういう職業ではなく単に演奏のみを主たる収入源としているクラシック音楽に対して、

・演奏だけで暮らせる=実家とか配偶者の収入に頼ってる

とか

・掛け持ちで働いてないからじっくり演奏の練習時間が確保できる

という現状が、

「余裕ある暮らしができていいですね」

って言われる原因になってるのではないか。

 

 

演奏家の現実(単なる部外者からの視点から)

この演奏活動だけで主たる収入を得ている音楽家に対して遊んで暮らせて余裕だねって言う人はまったく実情を分かってない人だと思うので、自分は意に介さないでいいと思うのだが、とりあえずここでこっそりツッコミを入れたい。

 

演奏家になれたのは、就職するまでに文字通り血の滲むような努力を積んできたから

経済的にある程度の条件が前提だったとしても、そこから実際に演奏家になれたのは間違いなく本人の(小さい頃からの)人生を賭けた努力が実ったからであって、彼らは遊んで暮らしてるわけでもないし余裕でもない。親はお金持ちかもしれない事実は否定しないが演奏家がお金持ちなわけでは必ずしもない。

実際芸術分野でもスポーツ分野でも、職業を得ている人というのは誰しもそういった努力をしてきているものだ。確かに何でも経済力は必要だとしても結局は本人の努力次第、その分野が好きという気持ちが才能を開花させる最後の鍵なのでは?

誰もそこに至るまでに遊んでのんびりやってきたわけじゃないよね、そんなんでは一瞬で競争に負けるシビアな世界ですよね。

 

演奏家で兼業せずに暮らせるようになるには?

この実際に演奏活動だけでは収入が満足に得られないという社会の構造自体は、それは日本人の意識が問題なのであって、それで稼げない演奏家が悪いわけでは毛頭ない。

日本では芸術分野に対しての評価が低すぎるのが問題なのだ。

何でも価格、お金に換算して考える。エコノミックアニマルと揶揄されても仕方ない。

今で言うクラシック音楽が明治時代以降、本格的には第二次世界大戦後に普及したという歴史の浅さが前提にあるとしても、芸術に対して日本人は評価もしないし関心がない。反応とか感情をあらわにしない国民性を勘案しても、しかし演奏会でブラボーと叫ぶ情熱がなくても演奏家として雇ったら対価として出演料を払うべきだろう。

………いや、そこじゃない。

そもそもの問題は、演奏会に足を運ぶ人が少なすぎることが根本的問題なのでは?と思う。そこに芸術に対する関心の無さが如実に表れている。

 

演奏会の客席が埋まらない

→演奏会の開催頻度が世間一般的に少なくなる

→ チケットの平均単価が上がる

→ 敷居が高くなる、襟を正す先入観が入る

→学生や子連れの人が行きにくくなる

→一番上に戻る(無限ループ)

 

こういう構図なのでは。

 

もっと親しみやすいテーマで気軽に訪れることができる演奏会、知識がなくても楽しめるイベントが少ない。

特に小~大学生こそ瑞々しい感性でどんどん色んな芸術に触れるべき。そういう若い年齢層が買えないチケット単価も、その後の人生で長く音楽に関わってくれる可能性がある予備軍を丸々逃している。

 

都会ではこういった問題は解消されつつあるのかもしれないが、都会で音楽に親しみ、じゃあ電子楽器じゃない楽器で家で練習したいってなったときに、最初に挙げた問題つまり練習場所が無いという壁に当たる。

田舎では練習は近所に遠慮しなくていい立地もあるとしても、上記の無限ループにより演奏会に足を運ぶ客層はほぼいない。

 

この無限ループを埋めるためのマネジメントが音楽業界つまり、クラシック界には必要不可欠なのだろうけど、なぜかクラシック界には「黙ってればお客さんが演奏会に来てくれる」という不文律があるみたいで、全く問題は解決してないと思う。実際に自分の居住地の周りのような田舎では、音楽に興味がある人が増えた!という現象を聞かないので。

 

・「待ってればお客さんが来る」という認識こそが陥穽

それじゃ明治初期の士族の商売と一緒である。絶対に儲からない。

世の中にはクラシック音楽以外に、商業的に成功してる音楽ジャンルがたくさんある。彼らと売り方は別になるとしても音楽活動を続けるためには経済的基盤が不可欠だという現実をもう少し直視したほうがいいのではないか。

クラシック演奏会の常連のお客さん以外の人は、音楽家の肩書つまりコンクールの成績とか留学実績とか所属してた音大とか言われてもわからない。それが集客の呼び水になっていると考えてるのだとしたら、永遠に溝は埋まらないだろう。

 

ただ少数ながら商業的に成功してるクラシック演奏家はいる。ほんとに一握りの割合で。

この、余裕があっていいねっていう見方に反論されてるのは、実際に商業的に成功されてる人たちと思われるので、彼らの日々の努力と経営的なセンス、先見性には脱帽するばかりでありこの記事ではそこを論点にしているのではない。

 

収益性を求めないクラシック界全体の性質が問題。

「芸術性の高い演奏をすればお客さんが集まる」と思っている、その売り方が問題。

 

問題はそこじゃない。

言い方は悪いが週刊誌がなぜ売れるのか?

面白いから、刺激があるからです。

大衆へもっと幅広く売り込もうとすればそういう要素は必須です。

演奏の芸術性を損なわず、大衆に売り込む要素をどう確立するか?が、演奏家がほんとに考えるべき論点なのでは。

娯楽にこれだけ多様性が出てきて、しかもネットという国境すら超えて自宅でもどこでも楽しめるコンテンツが充実してきた昨今、実際にホールやイベントに足を運んでもらうには?という対策を立てることは急務と思う。

 

度々書くけどこれは、ある田舎の辺境の地での実際の状況。

都会ではきっちりクラシックファン以外の一般民を巻き込んで、素晴らしいイベントが続々開催されてて広く世間に訴求できてると思う。その最たる例がストリートピアノ。気軽に一般人でも本格的な演奏家のパフォーマンスを間近に体験できる素晴らしい設備、もしくは一般人でも気軽に、無料で本物の楽器に触れることができる夢のような企画。各地で期間限定ではあるけど継続して設置されてるようで、その影響力は計り知れない。

そのため、この記事は都会でのことは除外して考えている。