ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

ござさんのピアノ生配信

 

ござさんは、ここ数年ほぼ毎週のペースで、曜日も土日とかに固定で大体予想しやすい時間にYoutube生配信をされている。

月刊ピアノでも毎月欠かさず楽譜と解説を連載されている。

これだけ書くと話題に乏しい。

自分は性格が新聞記者だからか、ここの日記部屋は最近更新が滞っていて、それはこうした一見話題に欠ける状況だったからなのかもしれない。

 

この日記部屋が話題に欠ける状況は意識してこうなったわけではなく、気づいたらここに書く話題無いよねと無意識に消極的な感じになっていた。一見話題として扱えるコンサートのレポ以外をここ数年書いてない気がする。

ござさんを知った当初は、ござさんの存在自体が事件だったし、その存在は今までの考察でおおよその概念はつかめてきたのでこの部屋の存在意義はそうした意味では役割を終えているともいう。

 

そこで、ござさんのピアノにおける話題性ってなんだ?と考え直すことにした。

新聞記者の観点で話題を探すから手掛かりが無いのであって。

これはござさんの音楽活動が本格的に軌道に乗ってきたといえるのかもしれない。

これを断言するのを目標に、こうした状況になることを夢見て自分はこの部屋で書いてきたので、それが現実になってきていることを目の当たりにして、無意識に

「あーこの部屋でもうアピールしなくても大丈夫になったんだ、良かったー」

と自分の中で切羽詰まった危機感は去って行った。

 

この「プロとしての安定した演奏」を支えてるのが毎週の生配信(Youtubeにキャスも入れたら週2回)だし、即興のアイデアもこれらの生配信を通じて供給されてるはずで、いわば生配信は毎日のござさんの練習風景を無料で見学してるようなもの。

 

欠かさず同じことを続けて練習するというのは、実際世の中一般的には一番難しいのではないかと思う。ござさんが凄いのはこの点ではないのかなあと思う。

ここでいう練習というのは基礎練のことではなく。(もちろん基礎練自体はがっつり毎日のルーティーンの中に空気のように消化されているはずで、それがないとあの鉄壁の技巧は維持できないはずだ。)

 

ござさんが続ける練習というのは即興アレンジをあの頻度とあの熱量で毎週こなしてるという事実。レパートリーや豊富な発想のアレンジはこれらの継続の賜物だ。

というかYoutube配信はいちおうござさんのチャンネルにおける看板コンテンツだが、しかし同時に上記の通りござさんのアレンジを維持するうえで欠かせない手段でもあるから、あえて練習を兼ねていると書いた。

 

そこで練習だとアレンジが野球で言うところの置きに行く、いわゆる安全圏内、安牌の域を出ないものになりがちなんですが。

レパートリーも3000曲を超える数を誇り、そこにアレンジパターンを加えると組み合わせはまさに無限に広がるのだが、こう何年も続けてると同じようなアレンジの繰り返しでマンネリ化の退屈なものになりがちですよね、普通はそうなる。

(自分は常に一番悪いパターンで想定するため)

生のコンサート以外だと、ござさんのチャンネルのメインコンテンツがYoutube生配信に固定されつつあるなと観測する中でどういうふうに流れが変わっていくか静観しようとしていた。

 

そこで静観してたのだけど、流れはそのままだった。

というか見かけのスタイルは何なら生配信始めた2009年から、本質は変わってないまである。トークの有無、リクエストの取り方(今はおおかまにメドレー式に拾われている)、配信時間の変遷など細かくいうときりがないが、しかし

「チャット欄に流れてる曲をできるだけ拾って弾く」

という本質は変わってない。

 

そういう形骸化した外見は置いといて。

たぶんこの外見だけを見てるからチャンネル登録者数は漸減してるのかもしれない。しかしござさんのチャンネルの本質はそこではない。

 

同じジャンル、同じ曲、と生配信聴いてると度々繰り返し演奏されることも多いが、聞いてて全く違う発想で新しく今までの履歴を上書きしてくるので聞いてる方は同じ曲と認識しないくらいに、別の曲っていうイメージで楽しめる。

また、ござさんの演奏には物語が組み込まれてて、ひとつの曲の中で、また一つのメドレー、そして配信全体が起承転結の区分を以てそれぞれの部分にテーマづけられ、冒頭から最後まで、抑揚がなだらかな稜線を描いてるのが読み取れる。

 

そして不思議なことに「どこかで聞いたなあこのアレンジ」とかいう手応えの無さは一度も感じたことがない。

絶対に「今回の配信も最高なんだろうなあ」と確信をもって聴けるし、

実際に「今回も予想はしてたけどほんとに今までで一番最高だったなあと断言できる」と感慨に耽るのだ。

 

コンサートなどの、人前で聴かせる形態にまとめたアレンジというのがハレの場だとすると。

毎週の生配信は褻(け)の日(=普段の生活である「日常」)におけるござさんの自由な発想を一緒に閲覧できるというか共有できる場。

ござさんの寡言にしてピアノにだけ100%向けられた情熱を画面越しに浴びることができる。毎週が贅沢な体験すぎて、ファン冥利に尽きるというものです。

 

いま話題の曲を弾けばYoutube上での視聴者数が増えるのは自明の理なのですけど、それを単体動画で上げたりすればその効果はもっと上がるのですけど、ござさんのチャンネルはそういうのが目的ではなく。

たとえばJAZZ曲は非常に人気のある分野でコアなファンも多いようだが、そしてござさんのJAZZアレンジはお洒落でなおかつ深い陰翳があり、そしてアドリブは迫力とエネルギーに満ちてて圧倒されるのだ。あまりにも素敵(語彙力死滅)なのでござさんはJAZZピアニストとしてやっていけばいいのにと思ったことも一度や二度ではない。

しかしあくまでJAZZもまた音楽の一分野にすぎなくて、ござさんの司る音楽の世界での要素でしかない、ということが言いたいのかもしれない。

ござさんにとっては自分の目標を実現する手段のひとつに過ぎないのかもしれない。

 

結果論だけど生配信の継続は今になってみるとござさんの貴重な財産となっている。

過去にも惰性による単なる配信の継続は企画性に欠けるとか商業性がないと続かないとか、散々言っていた気もするがすいませんでした。手のひら返して謝ります。

企画性というか、ござさんのアレンジそのものが刺激的な企画コンテンツなのでした。

 

ござさんにとっては「生配信は期間を空けすぎるとダメ」とかいう依存症患者みたいなこと言われてたこともあった。そんな無意識に楽しく趣味としてできるレベルで、創作活動の本質である即興アレンジをメンテナンスできるとは、まさしくピアノはござさんにとって天職なのだなとしみじみ思う。

 

何かをまとめるというお題ではないが、とりとめもなく、取り急ぎつぶやいてみた。

 

 

 

budoさんのコンサートについての簡潔な報告

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はじめに---行ってみたのは思いつきから

budoさんのピアノは、去年2025年11月の防府におけるござさんとの2台ピアノコンサートで初めて聴いたが、完全なソロ公演に行ったのは今回が初めてだった。というわけでbudoさんのツアーが岡山にも来るというのでこの間の2026/8/22(土)に行ってきました。岡山というか正確に位置をいうと、岡山市と倉敷市の間の早島町のホール。

アクセスでいえば岡山市から児島に向けて伸びているJR瀬戸大橋線(早島は快速マリンライナーが止まる駅)の沿線。ただ、ツアーだけあって、お客さんの話す言葉から察するに、来てた層は岡山県内のひとが大半のように思え、新幹線や飛行機で来てる人は少数派だったかもしれない。

ていうか、ツアーはこういうのが本来の姿だと思う。

現にホールは500人収容の規模だったけど満席ではなく、アットホームなほっこりした空間を醸成していて、ステージのbudoさんとお客さんの精神的な距離は非常に近かった気がする。そして音響も良かったと思う。

しかし。

電車の路線でいえば中四国の広域ターミナル駅である(しかも新幹線のぞみも全便止まる)岡山駅から近いホールをなぜ選ばなかったのか?それは、大きなホールは大阪とか東京でやるから、あくまで地方都市ではこぢんまりしたローカルなところを選んだということだろうか。

その目的が客席との距離感が近いホールをのこすことでお客さんとのコミュニケーションを取ることを意図しているのだとしたら、ほんとに現地のホールは実際に来ていたお客さんも、トークへのレスポンスも客席が一体となって盛り上がっていてものすごく楽しかった。今回初めて行ってみたアウェイ民でも純粋に楽しめたので、地方公演はお客さんの数は集められなくて収益があがらないのは分かっているけど、個人的にはこうした機会は残してほしいなあと思ったりする。

 

ところでなんでいきなりbudoさんのツアーに行こうと思ったのか。

budoさんのコンサートは去年もツアーで回られてたと思うし、ほかにも色んなコラボコンサートも出られてて、自分が行った去年の防府以外にも多様なものに参加されたり、または主宰されてるものも多かった。

しかし今回の岡山公演に行ってみたのは、単に香川から近かったからだ。岡山県内の各地からは、岡山駅で一度乗り換えて瀬戸大橋線に乗らなきゃいけないので大回り+時間かかるのが早島駅。しかし、香川からだと(県内乗り換えからの)マリンライナーで、計50分くらい?でちゃちゃっと行けてしまう。朝起きて、今日行こっかなーというノリで行ける距離感。さすがに今回はチケットは前売りで買いましたけど、でも行こうと思ったのは当日ラクラク日帰りできるからだ。あ、お盆明けじゃん、用事ないわと思って即チケットを買っておいたので、もーあとは当日電車に乗るだけだった。

侮り過ぎていた早島駅

そこでお昼からの公演のため、当日早めに行って現地周辺で何かお昼ご飯食べよう♬という軽ーーいノリで到着するも、炎天下のなかお目当ての飲食店に着くと長蛇の列であり、しかし他にお昼ご飯食べれるところはなさそうで、仕方なく駅前の観光案内所で涼を取ることにした。

よく考えたら瀬戸大橋線は自分は通学に使ってはいたが早島で降りたことはなくて、駅周辺は田園地帯なのは知ってたがそれだけに周辺の土地勘は全くない。

あきらめて観光案内所で飲み物買って涼んでると店内の棚には何か特産品が並んでいた。イグサ製品だ。そんなん買うしかないじゃん。気づいたら買ってその場で手持ちの文庫にセットして続き読んでましたし。

この日記部屋は、ござさんファンが書いてるため、こういう脊髄反射は不可抗力にてご容赦願いたく存じます。

今回の記事も、あくまでござさんファンの立場からの番外編という立ち位置です。

 

しかしお昼ごはん難民でもあったが、駅からの炎天下の道のりをホールまで歩いていくのも、実際は無理があった。

まじで命の危険を感じた。

途中で熱中症で倒れてもおかしくなさそうだなと自覚した。

ほかにもホールまで駅から徒歩の民もたくさんいたが、みなさん体力に自信があるのだなあ、日ごろの鍛え方が違うわと妙に感心した。

ここまできてちょっと思った、マリンライナー沿線とか言ってないで、ふつうに瀬戸大橋を車で来たほうがよっぽど快適だったしなんなら時間も早く着いた可能性が大きいなあ。と。イベント開催に備えてホールでは近隣の臨時を含めて駐車場の枠を大量に確保していたようだから、台数の許容量からいっても全然ありだったのになあ。

そのため今度このホールに来るときは車で来てみよう、と誓ったのであった。(春とか秋の快適な季節であれば話は別)

 

理想的な活動

さて。前置きが長すぎる(通常運転)。

現地のホールはゆるびの舎 文化ホールというところで、のどかな田園の中にたたずむ和風の外観。岡山市から倉敷市一帯は、紀元前後から古くは吉備の国として栄えてて内海を形成していた中の島の一つが早島。こんなこと言ってるとさらに横道に逸れるな。

その後だんだんと河川の堆積によって内海は消えていって平野を形成し、中国山地からの豊かな水系が潤す穀倉地帯となった。

そのイメージか、ホールの外観は、周辺一帯を象徴するような漆喰のなまこ壁と瓦屋根が目を引く。(よく思い出すとなまこ壁じゃなくて、白壁に黒い材質の壁を貼ってるデザインだった)

ホールに入ってみて、空間も小ぶりながら入ってみて音響は悪くないなという感じがした。budoさんの今回のツアーはクラシックツアーだそうだから、ホールの反響は大事だよなと思いながら行ったので。ござさんとの共演では多様な演目をこなされていたが、今回あらかじめ発表されていた曲目はクラシックで占められていた。

もらってきたパンフレットを載せておく。え?折り目がついちゃってる?すいません、帰りに慌てて走ってて転んだ拍子に折れてしまい、そこから伸ばすことはできなかったんです、ほんとうにすいません・・・

 

ここでツアーというかコンサートに不可欠な要素をbudoさんは網羅されてて、まさにbravoだった。わざわざ説明するよりこれ見たら一目瞭然ですよね。

トータルでイメージブランディングされてて素晴らしいです。ツアーの演奏コンセプトってあると思うんですけど、クラシックツアーと銘打たれてて、曲のテーマはというと、ラブソングを中心に演奏されるというわけです。

ツアーのロゴもイメージ写真も、というかパンフレットのデザインもほんのりピンクからbudoさんのイメージのスミレ色が艶消しした感じで、シックで上品、しかも愛らしい。

しかもこのパンフレットは岡山公演の印字があるので、ここだけで配ってる版らしい。そんなの全国ツアーなんだから全箇所で同じもの配ればいいのに、いちいちここだけ版を作って持ち込んでいるらしい。(全席指定だからだいたい枚数は予測つくとしても)

思いつきで行った初見民からするとこういうのあると嬉しいわけです。しかも当日の曲名も(クラシックコンサートだからですけど)全部乗ってて、そのうえで、当日アレンジが違うラストの曲もあったりするわけです。アンコールの曲は当日の思い出だから乗ってなくて当然なわけです。

ファン界隈じゃないとこから突然ツアーに行ってみた民からみると、初見でも活動の方向性もよくわかるし、スタッフ含め全員で同じ方向を目指してる感じがして、ピアノ聴くにあたってどういうふうに焦点あてたらいいのか、はっきりしてていい。

何よりもbudoさんがドレスアップによく映えるというかツアーのコンセプトを背負って見事にハマってる。

 

クラシック曲は古今東西普遍的な芸術性を秘めていて、Budoさんが今回掲げたラブソングっていうテーマのほかにも多種多様な切り口を持つ。

そこで、今後のコンサートではどういうコンセプトでくるのだろう?と想像を巡らせてわくわくするという余剰の空間をのこしている。それにbudoさんにはクラシック以外にもレパートリーを広げようという姿勢もあるし、色々想像が尽きない。

要するに、今回行ってみておもしろかったので、次はどんなだろうと期待する自分がいた。

 

自分は性格が新聞記者なものでコンサート行くとこういう発想からしかピアノ聴けないもので、前置きが長くなることをご了承ください(遅い)。そんな世俗の判断基準をベースにすることでしか芸術を楽しめない体質なんだけど、しかしピアノは聞いたそのままなのだということも、ピアノコンサートに行くようになってはじめて知った。

 

ピアノの印象

この記事はあくまで簡潔な報告なので、かんたんにまとめたい。

さてこのツアーのテーマはラブソング、ツアーのロゴもかわいいレタリングでピンク色で愛らしいのだけど。

budoさんのピアノ自体はそうしたテーマとは一線を画していて、竹を割ったような明朗な感じだった。

影も暗さも全部のエネルギーを表に全振りしたような明るさ。

自分はピアノはまったくわからないシロートなので詳しいことは知らないが、ピアノの音は性格が出るなーとは思ってて、生で聴くとよりはっきりと違いが手に取るように分かるなーと、現地のホールで聞くようになって実感しているところだ。

そこでbudoさんってトークからして

「ごきげんよう、みなさま~~~~~!!!」

って最初から掴みはOKじゃないですか。

いやそれピアノの演奏に関係ないやろと思われるかもしれないが、しかしそれは本質を突いてるのではないかと思うし、いつも髪型からファッションからトータルでスタイリストさんが良い仕事してるというか、ほんとによくお似合いのコーディネートだと思おう。

大人びたお洒落な外観にラブソングがテーマのツアー。

そこから連想されるのは儚い恋の物語を夢見てピアノに耳を傾ける聴衆、という構図だ。

しかし客席を包むクラシック曲へのほのかな期待に、budoさんのはっきりとした輪郭をもった概念が殴り込みをかけてくる。

演奏は混じりけの無い明るさに支配され、陰翳への礼讃はない。

そこへbudoさんならではのパワーと重厚さによるダイナミックな表現が、物量的な上振れを味方につけてさらに迫力を増し、怒涛のように客席に訴えかけるのだ。

 

夢見る恋というよりは、ベートーヴェンのソナタの題名にあるように、このツアーのテーマは情熱的な恋といったほうがしっくりくるかもな?と思った。

何より視覚的に訴えてきたのですけどね。

前半のbudoさんの衣裳は黒いフリンジのあるジャケットにバックに飾りのあるデザイン。しかし前半のリストの曲の前に、「これは気合い入れないと弾けない」とか言ってささっと脱いでしまい、素敵なジャケットのデザインはあまり見れなかった。

そのシックな装いもよかったけど休憩をはさんで後半の衣裳が客席の度肝を抜いた。これでいきなり登場するの、びっくりするじゃないですか。なんか間違えて出てきでしまったのかと思い、袖に下がるのかと思ったらそういう衣装らしいし。

ふつうこれでピアノ弾くって考えませんよね。

でもこれで視覚的に、恋とラブソングというか、それにまつわる情熱がテーマというか。コンサート後半の熱量がステージのbudoさんも客席も共に数段テンションが上がったのは間違いないと思う。

そこへbudoさんならではの楽しいトークが曲への理解をいっそう深めてくれる。

「リストは当時のスター、アイドル、聞いててあまりの素敵な演奏に失神する女性が続出・・・」とか。また尾崎豊に例えてみたり、クラシックもピアノの事も知らなくても面白かったし、音楽理論で曲の解説されるよりも、直感的に曲への理解が深まった気がした。

サプライズアレンジの白鳥の湖の演奏は、岡山ではハッピーエンドだった。でもbudoさんの演奏だとそれ以外、悲劇的結末って似合わなすぎてありえんと思ってしまう。今までのツアーで悲劇的結末があったなら、それはそれで聞いてみたい。そんなの、演奏の端々に隠し切れないbudoさんの天性の明るさがはっきりと出てしまうじゃないか、と思ってしまうのは自分だけか。

 

そしてアンコールは自分が個人的にお気に入りだったカルメンファンタジーだった。budoさんの得意曲、ホロヴィッツがピアノ向けに編曲した超絶技巧版。防府でbudoさんのソロコーナーで初めて聞いて以来、気になっていた曲だったので。単独の演奏動画とかYoutubeにも無かった?(たぶん)と思うし、またここの素晴らしい音響で聴けてもう思い残すことなし。

 

そして本当のアンコールのラストは、尾崎豊の「I LOVE YOU」 だった。当日はクラシック曲ばかりの中でこの曲だけがPOPSだったし、しかもなんかJAZZアレンジだったような。この演奏というかこのアレンジだけ、ちょっと陰があるというか全体の構成の中で存在が異色というか。

白鳥の湖とカルメンファンタジーという難曲を立て続けに2曲続けて弾き切って、ちょっとトークするのに呼吸を整えてたくらい息切れしてたbudoさんだが、それ見て体力づくり大事だよねとか、もうちょっと食べる量増やしてスタミナつけないと、と心配になったのだけど、その2曲とは全く趣が違うラストの曲だった。

自分は表現というのは、陽があるなら陰があって初めて完成するというか、こういう表現もあるんだと思った。というかbudoさんはこういう表現もされるんだ、と思ったというか、防府での演奏でいろんな表情があったはずなのだけどちょっとその印象が薄れてて、また今年は全く別のコンセプトでやってただけに去年の演奏の思い出はどっかに飛んで行っていたというか。

 

そこで思い出したのだけど(遅い)、budoさんが今ピアノをなりわいにしてやってるのは元からではなく、youtube動画にも投稿があったけど、元々音大を出ていたけどピアノの道は一旦やめていて、カナダに行ってたことがあったらしいがそれは留学とかそういうのではなくて、ピアノをやめていた時期にカナダに行っていたことがある、ということらしい。

それからまたネット上でという形で、今までとは違うスタイルでピアノを弾くようになるという、紆余曲折を経ていまのbudoさんがあるわけだが、そういう意味で自分がいつもきいてるござさんのピアノと共通してるなあと思う。

この部屋はいつもはござさんのことしか書いてないので、今回の記事もござさんのピアノが関係してくることについてご了承いただきたい(後付け)。

なんていうんですか?ピアノを職業にするにあたって、世の中でいう決まったルートをたどってきたのではなくても、結局ピアノ弾くのが好きでやめられなくてずっと弾いてきた結果、それを仕事にできてるというところが同じだなー、と最後の尾崎豊の演奏を聴いていてぼんやりと思っていた。

それぞれにピアノの音も表現も違うように歩んできた道もそれぞれに違うけど、budoさんはちゃんと自分に合う道を見つけてて、それはすごくご自身がお持ちの個性にぴったりと合っていた。

演奏もそのコンセプトのイメージ通りで、それぞれの曲がクラシックコンサートだから原曲通りのイメージが鉄則だとしても、budoさんのカラーで統一されててお似合いの仕上がりだった。

 

岡山のここのホール、気に入ったんですというコメントもされていたので、また次にツアーあるなら、またここのホールなり岡山市のホールとかに来られることがあるなら、ソロの演奏もまた聴きに来てみようかなと思う。

自分がYoutubeでbudoさんを知ったころはもっと画一的な演奏だったという印象があるが、今回はまた違ったからまた次は別の表情を見せてくれるかもしれない。

 

ついでに。

budoさんの過去の生配信にこんなのあったので貼っておく。

倍音の話をピアノ演奏を交えながら語られている。ピアノの豊かな響きというか、豊かに聞こえる原理を解説されていてわかりやすい。

ほかにも倍音については色んな動画がYoutubeにあるけどどれも論理的というか概念だけどいうか、budoさんの説明が一番腑に落ちる気がする。

www.youtube.com

この論理はbudoさんだけじゃなくて演奏するにあたって大前提なのかもしれないけど、知ってるとよりピアノ演奏を楽しめることに違いはない。

ていうか自分がピアノのシロートすぎるので、管楽器はともかく、ピアノの倍音発生原理をシランカッタので、ここに貼って置くものである。というか思い出したいので自分はこの動画をブクマしておいてことあるごとに聴き直している。

こういう知識を思い出しながら、また次にホールできくときに、budoさんの音がどういうふうに変わっているか、楽しみにしたい。

 

 

7/20東京公演のレポ「ござ コンサートツアー2026 -Evolution-」 

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資料コーナー(ツアーの他公演について)

・5/30 尼崎市 アルカイックホール・オクト

・番外編 グッズ、リリース記念ミニライブ

 

・6/13 静岡 札ノ辻クロスホール

・6/14 名古屋 今池ガスホール

 

千秋楽 

ツアーのラストを飾るのは東京の第一生命ホール。

最終日の公演を千秋楽と呼ぶのは古く大相撲とか、国立劇場の歌舞伎界隈での言い方ではある。そうした一か月であったり二週間通しての日程を乗り越えて迎えた最終日。この単語には公演に出る側、観戦・観劇するファン、どちらにとっても特別な思いがこめられている。

個人的には劇場とか近くに無くて1か月連続公演という形態を見たことはないけど、しかし変則的スケジュールではあるが(アルバムという)統一したテーマをもとにライブを行ってきたござさんのツアーもまたこの千秋楽という観点で振り返ることができると思う。

以下、独断と偏見によりござさんのツアー千秋楽を振り返る。

趣味と職業

そもそもアマチュア時代(~2019年)のござさんが企画していたのは新宿の定員30人のピアノサロンが会場で、いつも配信で人気がある曲をリクエストしてもらったり即興したりしてお客さんと交流するという、極めてこぢんまりとしたコミュニティだった。

本業(介護士)をやりながら趣味としてピアノを弾いていた時期だったから、当時の規模としてはぴったりな形態だったのかもしれない。

 

しかし、演奏とか音楽理論においては《個人的視点からみて》昔からずっとプロだったと思ってる。(初めてきいたストリートピアノ動画も音大教授が変装してやってると思った)

でも今の演奏と、2019年以前の動画や配信つまりアマチュア時代の演奏の間には、歴然とした差を感じる。兼業時代も発想は今に通じるものがあるが、しかしどれももっと掘り下げてほしいのにという余地を残して終わっている。そこが兼業しながらの、物理的限界だったのかもしれない。

だからござさんにはどうあっても今のままピアノを生業(なりわい)として、主たる職業として、ずっと携えていてほしいと心底思う。

必然的な無意識

世の中の通年としてはこのツアーは3rdアルバムEvolutionのリリース記念ツアーであって演奏曲もアルバムの物が中心で、ツアーのどこで聴いても同じクオリティで仕上げるというのが前提条件なのかもしれない。

特にクラシック畑の演奏だとそういうイメージがある。また、バンドとか歌手のアルバムツアーも連日の公演が続く中でいつも同じパフォーマンスができるかどうか、というのがプロとしての基準みたいなところがあると思う。

そこでござさんのピアノは特色としてはリクエストを拾って即興とアドリブで応えるという点を信条としているから、自分は今回のツアーを(複数個所)回ってみようと決めるにあたって、一番見所として意識したのはその点だった。

アルバム音源という決まった展開、しかも今回同時発売で公式楽譜まで公開しているという徹底ぶり、それを踏まえて、どう出るのか?

実際に自分は尼崎、静岡、名古屋と回って聴いたが最後の東京も含めて結果論からいうと

アルバムという公式音源を元にしているという点は最大の強みだったし、そこをベースに自由に発展させてて生ライブならではの衝撃も備わっていた

と、まとめることができると思う。

 

ひとことでいうと、虚を突かれた気がした。

それも途中で感じたのではなく東京まで全部終わってみて振り返ってみると、なんかとんでもない現場を目撃したなあーと実感したという感じ。

アルバム曲を半年間同じクオリティをキープして聴衆に届けるということは、継続して一定の水準を求められることから、それこそがプロとしての矜持を示すところだと自分は今まで思っていた。

しかしござさんがアルバムをもとに複数個所ツアーを行うにあたり、素人の自分でも危惧する点として思いつくのが

「ござさんは即興とアドリブが命なのにそれを封印するってこと…?そういえば、去年複数個所を回られたときはどういう表現をされていたのだろうか…?」

という点だった。

早く言えば決まった曲のみ(今回でいえばアルバム音源だけ)を元に演奏すると飽きると思うのだ、ござさん自身が。

決まった楽譜をもとにした曲だけを弾くツアーなんて、ござさんの演奏じゃない。

じゃあどうするのだろう?

そこで東京公演のMCの中で(家路の前に)自ら語られていたところでは、「『ツアーを通して弾いていく』ことを念頭にアルバムを構想し、組み立てていったこともあり、今まで楽しく練習できました」

ということだった。

つまり。

決め譜の中にも弾いてて楽しい要素を介在させる

=きっちりねじを嵌めない、遊びと余裕をもたせた設計

をアルバムの中に自ら盛り込んだのだと思われる。

 

ツアーの演奏の中で随時カスタマイズを自ら施すことができるのも、すべては自分で作ったアレンジだから。

構造を知ってるからこそ後から手を加えることも不可能ではない。

Evolutionつまり進化、進展、発展という意味がまさにぴったり。

アルバム曲ははじめyoutube動画として投稿されていたものも多いし、去年2025年のツアーでも演奏されていた曲もある。

しかしツアーで演奏された曲はアルバム収載の音源と並べても、もはや完全に別物と化していた。

いわば生配信でも素晴らしいアレンジの数々でおなじみだった曲たちだし、

それらがyoutube動画に上がってきたのを聞いてすごいな!?と感じ、

さらにアルバム音源に収録されてその垢抜けた表現に驚き、

そして実際にホールでの演奏を聴いてみて、ええ?と度肝を抜かれる。

ござさんの演奏がその都度、劇的に印象を変えていく様は、まさに根本的に別の個体に進化していくようないわばカルチャーショックだったといって過言ではない。

言い換えれば、時系列でそれらの楽曲が生態系でいう種として、進化していく様を目の当たりにしたともいえる。

 

そしてこれらの現象はござさんご自身にしてみれば、

「意図してないところから発生した偶発的な出会い」

とでも思われているのであろう。

しかし深層意識の中で緻密な計算が行われているはずで、それを計算していると気づかないござさん。

たとえば文字書くときに、ひらがなのあの字をどうやって書くんだっけ?って悩まないですよね。

ござさんにとってピアノは第一言語だからそこは無意識にアレンジは紡がれて出てくるものなのだろう。あくまでござさんにはその場限りの発想との新鮮な出会いを楽しむ、少年みたいな初々しさをいつまでも持っていてもらいたいと思う。

(いつもの配信を聞いていればお分かりの通り、思いついたアレンジを嬉々として弾いてる様はまさにいつまでも少年のようだったので、ファンとして全く安心している)

 

ツアーの最終日という存在は、こうした変化を胸に秘めつつ最後でさらにどういう変化を見せるのか、胸を躍らせながら現地を訪れる、いわばファンにとってはご褒美みたいなものだった。

それより表現者としてのござさん自身にとってはこうした変化を自覚されていたのかどうか、最後にどういう結果になるか蓋を開けてみないとわからなかった可能性はある(単なる想像)。

 

トリトンスクエアとホールの光景

千秋楽を迎えるにあたっては、それまで自分が回った3か所の演奏からどのように変化してくるのだろうか、という不安と期待を抱いたまま、現地へと足を運んだ。

場所は晴海トリトンスクエアの一郭を形成する、第一生命ホール。月島とお台場とか豊洲に挟まれたいわばウォーターフロント地区。

再開発ビルというか都会にはこういうオフィスとかホテル、ホールに商業施設といった様々な機能が組み合わさった複合機能ビルをよく見る。

田舎には大きなビルがあったとしてもせいぜいゆめタウンとかイオンモールなので、こういう立体構造もよくわからない近未来的風景のなかにホールがあるってだけで盛り上がりますねっ!

エントランスのガラス屋根が青空の下に幾何学的な線を引いていて素敵です。

 

ここへのアクセスは、最寄り駅に地下鉄がある。埋立地に位置するので運河を渡っていくのだけど、橋を渡ろうとして、自分のすぐ前を歩く人たちが皆すぐ左側の入口へ入っていく。もう開演も間近となった時間帯でたぶん全員目的地は同じと思われ、自分も同じく橋の左側の入り口に行ってみた。そこは「トリトンブリッジ」という名がつけられた歩行者専用の橋で、いわゆる動く歩道になってて、透明アクリル?の屋根と壁つきの全天候型になってるではないか。さすが税収が国内トップクラスの中央区。資金を湯水のように使って公共インフラに還元しても全然痛くも痒くもなさそう。

しかし最寄り駅からこのホールまで、建物がぎっしり並んでてずっとコンクリートとアスファルトなのに辟易した。東京駅とか新宿とか渋谷周辺がターミナル駅として施設や商店が集積してるのはまあわかる。ここは単なる地下鉄の沿線にすぎないのに、土地がぴったりと隙間なくしかも立体的に埋め尽くされててゆとりの空間が無くて、詰め込みすぎやろと思う。こんだけ都会ならその辺に屋根付きベンチとか広い遊歩道とかの空間的な緩衝地帯があってよさそうなものだけどな?動く歩道ってなんか使い道を間違えてる気がするな?そこじゃないていうか。(あとで調べたらホールの向かい側には公園もあったらしいけど)

まあ、こういう再開発ビルはたまに遊びに来るテーマパークみたいな感じとでも思えば面白いのかもしれない。

 

さて。ビルの外観はともかく、今回の東京公演の目玉はなんといってもこのホールそのものにある。第一生命ホール、去年のツアーの最終日も確かここだったらしいし、その後のBudoさんとバレエ音楽のコラボで出演されたのもこのホールだったようだ。それらの公演を鑑賞された方々によれば、ここのホールの音響は素晴らしいものだったと聞く。

このホール両端に2階席がちょっと見えるが、これが1階席を楕円形に取り囲んでいて立体的な構造になっていた。


反響板もばっちりめぐらされていて、浜離宮ホールとかの音楽ホールとはまた違った思想で設計されているのだろうか、置かれたピアノもスタインウェイのグランドピアノではっきりいってこれ以上の環境は望めない。っていうぐらい、音楽的に豪華な空間に見えた。

そういえば浜離宮ホールでメモを取ろうとして紙をめくるのも音が響いた事を思い出して、念のため今回は音のしないメモ帳を持参してたのだけど、試しに開演前にちょっと触ってみると、ダイレクトに紙の音が反響をもって聞こえてきて(のような気がして)、あわててメモ帳を膝の上に戻した。

確かにFFさんたちが口をそろえて、「ここのホールで聴くござさんのピアノは、ほんと最高だよ~~~っ!!!!!」ってのたまうだけはある。

まさにツアーの最終日、伏線を回収しに来るのにふさわしいではないか。

 

コンサートの印象

おまけ:外見のこと

いえ別に見た目は演奏に関係ないとは存じますが、念のため衣装を簡単にメモしておく。というか髪型はさっぱりと前でふたつに分けていて、巻くとかなんか色々手を加えられてないのは今回のツアーで共通のようで、短めの襟足とかもあわせてピアノの演奏を邪魔しなくてお似合いだしいい感じだった。スーツもツアー通して同じぱりっとした素材(?)の濃いグレーのスーツ、そこにえんじ色のシャツに、途中で気づいたんだがえんじ色の蝶ネクタイ…?名古屋の蝶ネクタイは、黒のシャツに真っ赤なネクタイでコナン君ふう(たぶん)だったし、今回のシャツも蝶ネクタイも赤ってなんか意味あるんですか…?

ちなみにこういう色合いですが。

去年がスーツが真っ赤でシャツが白だったから東京タワーって言われてた気がする。

じゃあ今年は夜のライトアップ版東京タワーですか…?(テキトーな推測)よくわからないですね…赤って気合入る色なのかもですね…

 

※資料:去年のスーツ。この上下赤のスーツを探すのが地味に大変だったとかなんとか

 

エリーゼの変容

忘れられた街

(基本的には、今回のラインナップも原則はアルバム音源に忠実であったことを付け加えておく。)エリーゼも、冒頭がJAZZふうにリズムを崩して始まったあとは基本的に原曲の雰囲気を保っていた。

ござさんのアルバム音源がクラシック曲から故意にペダルを切って「ゲーム曲みたいな」民族音楽のように軽快なリズムに変えてたのがそもそも革新的ではあるけど。『変容』というネーミングも、今まで「(JAZZ風)」とか「(ゲーム風)」とかの観念でアレンジに名前をつけてこられてたござさんが、曲名に固有名詞つけて、その場限りじゃないちゃんと現存する個体として認識されるようになったんだなあと思うと、配信主体だったころからの変化がはっきり感じられて感慨深い。

しかしここまで徹底的にアルバムを聞きこんできた耳には、

(たぶん冒頭はコンサート導入部、王道展開としてきちんとイメージ通りでくるだろう)

という自分の観測通り、予想を裏切らない結果となった。

 

忘れられた街は何か抽象的なモチーフや主題をもとにしてるわけではないようで、純粋に思いついたコード進行を元に、浮かんだ印象を題名にしたそうだが、コンサート版は題名の寂しいイメージからは見事に乖離した演奏になっていた。

中間部のアドリブがクラシック曲、それもモーツァルトとかハイドンの古典派みたいな典雅さと上品さを備えた即興演奏で彩られていて、それはもう息を呑むような美しさ。

 

果たしてここのホールは、ござさんの演奏をしてビロードのような手触りとつややかな光沢を備えた素晴らしい音たらしめる、噂にたがわぬ名建築だったといえる。

ござさんの音をそのように聞こえさせるというよりは。

ござさんの音の真の姿をありのまま伝えることができているという意味で名建築だと思う。

 

どこで演奏してもござさんのピアノはござさんらしさを失わない。しかしこのホールで最初の音の初めから印象的だったのは、エフェクトとかブーストとかフィルターとかかけずに、生の音、純粋にそのままのピアノの音が今まで聴いたござさんの演奏の中でも最も輝いていると感じた点だ。

それはホールという外的要因が、求められている役割を最大限に果たしたから。いや期待されている以上の仕事をみごとにやってのけてみせたからだ。少なくとも自分はこのホールに対してこうした最大限の賛辞を贈りたいし、またここでコンサートの機会があればぜひ行ってみたいと思う。

 

(ツアーと関係ない後日談)なんか幻が見えた

余談。この間ローカルTVのニュースで地元の音楽科ピアノ専攻の高校生を特集していた。譜面台に置かれたショパンの楽譜は触らなくても表紙が落ちそうなくらいボロボロだった。

ござさんは、ニュースに出演してた音楽科の高校生とは違う道を歩んではきたが、そこまで使い込むくらい練習してきた事実は、想像だけどたぶんそう変わらないと思う。

目指してる夢は違うかもしれないけどそれだけピアノが好きでひたすら練習してるというのは同じに見える。

ピアノを触るのが楽しいから練習続けていたらうまくなっていたと言ったほうが正しいのか、それも共通点のように感じられる。

ござさんは演奏するというよりは小学校の音楽室じゃなくてパソコン室で、休み時間に作曲してたというくらいだから演奏で表現するというより音楽で遊ぶという表現のほうがいいのかもしれないが。

その番組に出ていた高校生は「曲のストーリーを考えたり演奏に感情を乗せることが得意です」と紹介されてて、それってござさんそのままやなと思った。

 

音楽科とか高校での教室の詳細はともかく、番組見てて、ありし日の高校生のござさんがピアノの練習に打ち込むさまをタイムマシーンに乗って横で見てるような錯覚に陥った。

制服のござさんが画面の中で先生と弾いてるように見えて、「ござさん、大人になってもピアノだけを職業にできてるで、ずっと一生懸命練習してきたんやな、ものすごい練習したんやな、今も楽しそうにやってるみたいやで、よかったな」と思わず画面に話しかけそうになった。

(一見関係ないニュースに幻影が見えてきたのでだいぶやばい部類のファンだなあと、はっと我に返った。)

 

ハミングがきこえる

 THE GARDEN OF EVERYTHING 〜電気ロケットに君をつれて〜

気を取り直して演奏の感想を書く。

この2曲もビロードみたいな手触りで優雅にまとめられている。ハミングの曲はウォーキングベースがついてJAZZがベースだしここのピアノとホールのイメージからは外れるという声も聴いたが、しかしこのツアーはクラシック曲のみがテーマとかいうのではない。JAZZでも存分にこのピアノは存在感を発揮していた。というかそのように見事にござさんが弾き分けていたように感じた。ピアノに、いくら曲調がはじけても受け止められる度量がある、みたいな。

クラシックみたいなイントロから幻想的に始まる電気ロケットも、というかこの曲のイントロとラストが、一番今回のピアノの演奏の白眉かもしれない。これらの繊細な印象を一切失わずに、見事に電気ロケットの曲というイメージを演じ切ってみせていたというか。サビの左手16分音符ビートの音もきっちり機械的に拾ってきて、かつ余韻を残している。

 

MCでは引き続き咳嗽が出て困っている話だった。本番が7/20(月)だったが、直前の土日の生配信もやろうと思ったが大事を取ってやめたそうで、あれだけ配信ジャンキーなのに丸々一週間飛ぶのはさぞ苦しいことだろう。お察しします。

あら奇遇ですね、咳がすごいといえば自分も東京のライブから帰ってから次の週の一週間、黄銅色みたいな痰出て夜も寝れんかったし、ほぼ声出なくなって電話で喋る部署なのにめっちゃ困ったので、なんか似てるんじゃないですかね。

そうなると昼夜問わず咳が出て寝れなくなるのわかりますし。

しかしここで管楽器とか弦楽器だと楽器吹いたり弓で弾いたりするのに咳が出ると演奏できなくなるところがピアノだと関係なくなるとか、美容院行ってものど飴でがんばったとか、とにかく外出できないから練習がはかどったとか、前向きに捉えられてて要するに気持ちの持ちようだなあと思った。

いやほんと、咳で寝れなくなるとまじで練習どころじゃなくなるはずなんですけどね。

どうやら肺炎とか気管支炎とかの感染症ではないようで、アレルギー体質からくるもののようですが、どうですござさん、やっぱ東京の空気が悪いからじゃないんですかね、ここはひとつ空気のきれいな(たぶんね)わが四国とかに来てみたらどうですかね。ピアノ配信なんてリモート業務みたいなもんで、どこにいてもできるからいいんじゃないですかね。空気のきれいな(水が綺麗とはひとことも言ってない)四国とかだと体質も改善するんじゃないでしょうか(^o^)

(あっコラボのリハーサルとかアー写撮影とかインタビューとか、たぶん職業としての活動はやっぱどっかの都会じゃないと無理なのはあるよね、そうですね)

 

………余談が多い。さっさと次の項目へいこう。

エチュード幻想曲

今回もほかの3か所と同様、たぶん曲の前だったか右手だけで4つのモチーフをサラーっと解説していくござさん。この片手で弾くさまが自分からは鍵盤も見えてなかったけど簡略化されたモチーフがなんとも粋で洒落ていた。

生配信で颯爽と素敵なメドレーを披露しといて、「……みたいな、ねっ」と照れ隠しかなんかみたいに軽く笑ってごまかす、あの感じ。客観的な形容はいいから、演奏聞いてくれという無言のアピールか。

 

さて、クラシック向けのホールでスタインウェイの状態のいいピアノとくれば、この曲が一番演奏がどうなるか気になる筆頭ではあった。

いえ結果としてはそこが焦点とはならなかったけど。

 

黒鍵のテーマから続いて、別れの曲の旋律が劇的にあらわれる。原曲の楽譜上もそういう展開だけど、単に順番がきたから現れましたていうのじゃなく、もっとこう、満を持して登場みたいな衝撃を感じた。

暴れん坊将軍のドラマで悪役たちが「ま、まさか…」とかうろたえる中、上様が正体をばらす時の展開に似てる。え?たとえがピアノじゃない?まあ分かりやすいからいいじゃないですか。

この劇的な雰囲気がなんかこう、次の曲の演歌のノリを感じたのは気のせいですかね。

そんな中、さりげなくアルペジオが木枯らしにすり替えられて、その中を左手の中音域のモチーフが儚い影の薄さで通り過ぎる。以後の部分も含めこの曲はスタインウェイの上品さが最も活かされた、アルバム音源の印象に最も近いものとなっていた。曲の編成の中でも最もクラシック寄り、前のアルバム収録のCHOPIN SYNDROMEが活動的な印象だったのでそれとの釣り合いも取れていて、こういうコンサートの編成の中でも存在感がある名アレンジだなあと感じた。

「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズ

ビロードみたいな音色だなと感じた今回のスタインウェイ、その本領が最大に発揮されてたのはショパンじゃなくてこっちだと思う(素人感)。

イメージで言えば一番劇的度が高いアレンジ。

ピアノのテンションを最大に引き出してる。

 

たとえば電気ロケットに君を連れてのラストシーン、高音部に向けて弱音で締めるところ、客席がまるで水を打ったように静寂に包まれる。

津軽海峡の序盤もそのような弱音でモチーフを淡々と提示するところがあった。

そういう最弱音に近い音、PPP(ピアニッシッシモ)のレベルで限界まで、果敢に境界線上のぎりぎりを攻めまくってくるござさん。

また逆に、どれだけ強く打鍵しても音がちゃんと和音として成り立ってて全く音が割れないし濁らなかった。津軽海峡の演歌としての見せ所、決めの場面がまるで歌舞伎の見栄を切るシーンみたいに型どおり目に見えるようだ。でもくどい程のクライマックスの表現も、ダメ押しで大音量で鳴らしてくるのにあくまで上品で脂っこく感じない。

 

ござさんはどこのホールでもピアノときちんと向き合い、いちから手に馴染ませて仲良くなり、正面から対峙しているように見える。

ここのピアノは過去の経歴から2~3度めだったかもしれないが、初めてではなかったと思う。そこで今回、前の手ごたえを思い出していたのか、

「どこまでいける?もっといろんなパフォーマンスできるよね?」

と、ピアノに尋ねるというよりは、演奏のパートナーなのにむしろ煽りまくって挑発してた感がある。

しかしピアノはそんな無理難題を突き付けられてなお涼しい顔で返していた気がした。

 

ピアノのポテンシャルも高かったと思うが、ここのホールならではというか、ござさんの真の姿を見たというか、これが本来の演奏なのかもしれない。

過去の仕事と兼業時代の配信や、ストリートピアノ動画を聞いていた時代、「これご本人のほんとの演奏ってどんななんやろな」と、いつか解明したい世界七不思議のひとつみたいになってたから。

リアルにホールで演奏聴けるようになって徐々にその謎は解かれつつあったがまだ、どこかにわだかまりがのこっていて消えなかった。

それがついにここのホールで明かされた感じ。

 

ござさんは「いつもリクエストに応えてたら、自分の弾きたい曲を自由に弾くのが突然ではできないですねえ」とかいって「あなたの聴きたい曲を弾く」っていうスタイルを堅持してたと語られてるが、実態はかなり乖離している気がする。

実際はござさんの弾くアレンジが聴きたいから、みんな配信とかライブに集まってくる、のがほんとのところではないのか。

ござさんのアレンジ、展開する和音進行、選ぶフレーズの多彩さ、どれをとっても揺るがないござさんの意思、強い主張をはっきりと感じるからだ。

ござさんはどこでも自分の音を見失わずに冷静に提示してきてて、それを隠さずに自分の音だけで勝負してきている気がする。

 

いい演奏は自然と人を惹きつける。

ござさんのピアノのホスピタリティは、そこが本質なのかもしれない。

 

間奏曲

ここで15分間の休憩を挟んで後半がはじまり、最初の曲は他の公演と同様に間奏曲から始まった。この曲は少なくとも今年のツアーでは曲の元の構想通りにゲーム音楽での場面を区切る曲と同様、コンサートの前後半を仕切る物理的障壁をイメージしているようだ。

どの曲も、アレンジ、また現地の演奏の微妙な呼吸の間とかがこなれてきて、やっぱり現地でお客さんの前で演奏を重ねていくと譜面が手になじんでいくってほんとなんだなと感じる。ござさん、東京の自宅で生配信は続けていただきたいですけど、こうして人前で弾く機会は大事だなって感じましたので、ぜひ次もツアーという形式は続けていただきたいと存じます(素人ながらに)。

さて後半最初のアナウンスが流れ、喧騒に支配されていた客席が瞬く間に静かになったかと思うとござさんが登場したが、しかし沸き起こる拍手が終わって再びホールの空間が完全な静寂に支配されてから、その瞬間を待っていたようにござさんは鍵盤に手を置く。やっぱり純粋に演奏家としてここのホールと、このピアノと対話したいのだろう。

決して対戦ではない、対話するのだ。

 

さてこの曲は和音の展開で印象が変わっていって、次第に背景とか場面が変遷していく情景を思い出させる。ゲームで言うところのステージが進む緩衝地帯でのつなぎBGMを想定している、とござさんは語られていた。

はたして曲全体のモチーフは基本的にスタッカートで高音のそれは金平糖が転がり出るようなかわいらしさ。

しかしこの曲の展開は和音が基調になっていて、その変化で曲自体が進行していく。和音の変化が曲の表情すべてを物語る根幹を成す。

特にここのホールでの演奏は、和音ひとつひとつに燃え立つような豊饒な幻影が見えるようだった。

この倍音の多彩さは、エンジニア処理されたアルバム音源では表現しきれてない部分があると思う。その生きた音の波動を同じ空間で手に取るような感触で楽しめるのが、ライブならではの醍醐味だ。

 

そしてやっぱりこの曲もサビのクライマックスの頂点の音量でも、全く音割れしない。複雑な倍音を、どっしりした重厚な音圧に換えてくる。ござさんの表現と楽器のレスポンスの素晴らしいコラボレーション。

リクエストコーナー

さて。去年のツアーから引き続き、今年も各公演でもおなじみとなったリクエストコーナー。というか今年はチケット販売時、公にリクエスト曲を募ったのでそれぞれの公演に対するリクエスト曲から選んで弾いていくスタイル。いままでの目をつぶって客席を指さす方針から脱却したござさん。そうそう、あれは無理があったと思いますね、公平という意味で言えば、チケットを買った全員に権利が発生する今の方針のほうが良いと思います。

ぎっしりと並んだ曲リストを眺め、東京公演には格別に思いの籠ったファンが多かったのか、ござさんは

「リクエスト曲にも傾向があって、優しさを感じるタイプ、叱咤激励してくるタイプ、などと色々あります。ござ甘えんじゃないぞ、と言って下さってるわけですね」

とかなんとか、自虐気味にぼやいていた。前半を終わってあまり残されてない体力を慮りながらなのか、もうあまり余力が遺されてないことを示唆していたのか、にしてはその後の演奏と矛盾するが。

 

メドレーはスタンダードJAZZから始まった。自分の手元のメモにうっかりチュニジアの夜とか書いたが違う、ガーシュウィンのサマータイムだ。JAZZの中でも元祖の分類、ブルースってことだ。いつも生配信で拾われにくいスタンダードJAZZを採用してくださりありがとうございます。アドリブが得も言われぬ妖艶さを醸し出してて何よりも本人が一番乗っていた。

はっきり言っていいですか?ここまで婉曲な表現とか色々使って散々言及してきましたが、もう言っちゃっていいですか?年齢レーティング無い範囲で言っていいですよね?

ござさんの演奏、特に即興、色っぽいんですよね。

配信始めてからでも(少なくとも)17年かそれ以上、いま年齢を重ねてきて創作にも最も脂が乗ってきている境地に差し掛かっているのではと思われる。濡れたようなつややかな輝き、そしてそれに奥行きを与える、重々しく深みのある渋い音。

ござさんの演奏で最も鍵を握っている、そして聴きどころとなるのはこの色っぽさだろう。

サマータイムから短いアルペジオの間奏を挟んでモルダウがいきなりメインモチーフのサビから入った。そしてメドレーの短縮版だからか、いきなりラスサビの盛り上がってるところへワープする。この盛り上がりパートを最大限に使うためかラストの展開は全部乗せ豪華バージョンで、次にいきなりワルツになった。

あれ?オリジナルのワルツ第一番?そんなわけないやろもっと曲は複雑だ、でもなんだこれ?と思っていたら、ワルツ風に改竄されていただけのキテレツ大百科のはじめてのチュウだった。えー、悩んだ自分の気持ち返してください。でもワルツ風なだけあって超かわいく擬態されている。もともとの曲もかわいいけど方向性が違う。

このへんで、ライブも後半だしござさんもお茶目になってきたというかそろそろ遊びたくなってきたのだなと推察する。いい子でアルバム曲だけ弾くフェーズは終わりを告げたのだと。リクエストコーナーだから自由にしてもええやろ説あるし。

ワルツつながりだからか、Waltz For Debby(Bill Evans)でこれもJAZZが採用されていて生配信でなかなかお目にかかれなくなってきたジャンルだけに、いっぱい聴けて(しかも生で)嬉しかった。オーソドックスな展開で、スマートで軽妙なアドリブが跳ねる。

それから続いてワルツつながり?で Waltz for Ariah (たしかVenus & BravesってゲームのBGM?)、印象的なテーマが抒情豊かに語られる。ござさんならではの間合いを用いて。美しい高音部のパートを経て、ラストに掲げられたのはジブリのあの夏へだった。前の曲から畳みかけるようなダメ押しの展開。さらにPPPの表現になると、雫が滴って波紋が幾重にも広がっていくような美しい和音が透き通るように美しい。しかしペダルの効果もあるだろうが、あくまで複雑な和音も濁らせまいとする繊細に設計された表現が胸を打つ。

仕上げには長調版のモルダウが据えられてメドレーのトリを飾っていた。全体的に癒し系に徹することにしたのだろうか。最近のござさんのこういう傾向、テクい方向から表現に全振りする方針がござさんの最近の演奏の艶っぽさとあいまって、自分の感情にストレートに入ってきて本当に胸打たれるのだった………

 

さてこのツアーのリクエストコーナーを総括してMCで語られていたところでは、今年新しく考案した試みだったけど結構たのしかったとのこと。

ござさん曰く「リクエストコーナーはみなさんの優しさに支えられてできている。」

でも、生配信のようなその場で曲を募って即興でやるコーナーは実質ここだけなのだから、ツアーの中でもござさんにとって貴重な自由時間かつ癒し枠、なくてはならない存在と思われるので次回のツアーでもぜひ採用していただきたいです。ファンとしても、珍しい配信では採用されにくいような曲も、ござさんの目に留まるチャンスなので、来年もこのコーナー楽しみです。

未定のコーナー

続いて、他のツアー公演と同様にリクエスト曲からではない完全に自由な選曲のコーナーとなった。リクエストコーナーを採用曲を曖昧にして即興メドレーに仕立てたのと同様、気づいたらもうひとつ即興コーナーが作られていた感じ。ツアーで決められた譜面での演奏が続く中、この流れはござさんにとってひょっとして生命線なのかもしれないなと思ったのも、他の公演と同様だ。

だってあれだけ配信ジャンキーで即興演奏一週間に1~2回(うち片方は練習キャスだから原曲通りだとしても)しないとメンタルが滅ぶござさんが、ほんと全曲譜面通りのツアーって矛盾するってなったのも当初自分が危惧してた通り。

去年、一昨年のござの日公演でもリクエストコーナーでは即興があったし、それぞれの楽曲に時折自由な即興は組み入れられてきたが、今回はっきりと事前に即興と掲げられたコーナーになってきて、ござさんはこの仕組みに明らかに手ごたえを感じてる気がする。ここで自由なアレンジを入れることで、ほかのアルバム曲の部分は原則シンプルな演奏にして、表現の点で揺らぎを持たせるという意味では各公演で違いが出ていたというふうに住み分けていたのかもしれない。

 

選曲のほうは、

「(意訳)7月序盤に梅雨明けしてからというもの暑さが厳しいですが夏真っ盛りということで、夏祭りの曲でアレンジしてみましょう」

という簡単な説明からさっさとござさんは演奏に入ってしまった。そりゃそうだよ、アレンジ思いついたらコード進行とか忘れないうちにさっさと弾いてしまわないとどっかいくか賞味期限過ぎるんですよね?

夏祭りの曲っていうのは原曲がJitterin’ Jinnで、たぶんござさんのアレンジはWhiteberryがカバーしたほうみたいでちょっとアレンジがマイルドな気がするが、これぞ夏っていう永遠の名曲です。ござさんの配信で夏メドレーでもほぼ確定で必ず入ってくる、おそらくお気に入りの曲。構成がシンプルなのか、アレンジしやすいからなのか?わからないけど。

イントロはいつもの3倍は遅めに設定されたであろうと思われる、華麗なアルペジオから入る感動版。ツアー千秋楽限定の豪華版というかいつもより多く回しております感。

それから我に返ったような爆速の原曲モードになってそのまま突っ走るござさん。途中に爆速のまま勢いで「あの夏へ」の旋律を拾ってるが、目にもとまらぬ速さ。

一瞬息をついて穏やかになったかと思いきや、そこから荘厳で重厚な感動アレンジへとなだれこむ。ラストに向けてテンションもリズムも、ござさんが自らを追い込んでいくかのような息詰まる展開に、客席は息もつかせぬ鬼気迫るアレンジに呆気にとられ、誰もが気を呑まれたように視線はござさんに釘付けになっていた。

 

-----※過去動画の引用コーナー-----

夏祭りのアレンジで個人的に印象に残ってるアレンジが、今回のツアーとは全然状況も使用楽器も方向性も違うけど、これはこれで自由で面白かったなと思ってるので動画を置いておきます。メンバー限定じゃないから誰でも見れます。

言わずと知れた2020年のネピサマライブ。このサムネにも当初から夏祭りの曲はメイン曲のひとつとしてセトリに入っていたようです。

今振り返って見てようやく余裕をもって話せる。初回のネピサマのほうですか?自分は二度とあれはトラウマになってて見れないです。

(これを企画されたのは菊池さん、またござさんも手探りの状況だったと思いますが、ネピサマを配信でやってくれて、ファンとしてもどれだけ救われたことか。)

たしかこれの冒頭に甚平にバンダナ巻いてござさんが登場して、それだけで嬉しかったですねえ。アレンジもこの前の8/16の一人合奏配信からさらにバージョンアップしてて最強モードになってて、楽しかったのを覚えている。

 

以上、引用コーナー終わり。

 

ワルツ第一番

自由なコーナーが終わって、ござさんはMCで次の曲目のワルツ第一番について解説を始めた。

他の公演でも言われていたがこの曲の目的というか存在意義は、アルバムリリースと同時にツアーすると必然的にアルバム曲ばかりのプログラムとなり、したがって難曲ばかりの濃いラインナップになってしまい、実際にツアーで弾くと演奏するのも大変だし、ファンの方々も聞いてて食傷気味になって大変である。

そのためライブの演目構成にメリハリをつける目的で、ワルツみたいなのがあれば箸休めみたいな感じでいいのではないか。

ここまではたぶん前回までのコンサートで言及されていたことだ。

しかし、ござさん曰く。

「そのつもりだったんですが、なんか違うことになってきてて。作曲してるときの自分が悪さするというか悪い事考えてて、『ツアー当日に実際に弾くのは別の自分だから、少々難しかろうが大変だろうが、まあいっかー』ってなりがち。

そうして結局は、しんどい曲が完成してしまう。

で、がんばるのは本番演奏するほうの自分。まあ、しょうがないです。」

………???

ござさん、ドッペルゲンガー現象で分身しちゃったんですか……?

じゃないですね、結局アレンジしてるときの自分は現実の演奏を考えてなくて、面白いアレンジ思いついたーとか、この和音進行かっこいいーとかいうノリで作曲してしまい、あとで我に返って後悔するも時すでに遅しって感じですか。

なるほど、いかにも変態おもしろいアレンジマニアのござさんならではです。

 

このMC通り、このワルツの曲もどう見ても演奏されてるござさん本人が一番乗ってるのが何よりの証拠かもしれない。

インタビューで言われてた「お客さんだったらどう聞こえてるかというのが客観的に演奏中にわかってきた」という感覚がもたらした結果なのかも。

ワルツという曲のジャンルの特性上、曲調は優雅に展開していく。でもござさんならではの数字とか楽譜上にはあらわれない訛りみたいなちょっとした拍の間合いがアクセントになってて、ござさんのライブでしか聴けない、自作曲ならではの面目躍如といったところか。

ウィーンフィルが演奏するウィンナワルツが、独特の間合い(3拍子の間合いが絶妙に遅れる)でもって他の楽団にはないオリジナリティを出してるのと同様に。

 

「名探偵コナン」メイン・テーマ

ルパン三世と同様にJAZZ要素の詰まったアニソンだと思うが、しかしござさんのアルバム収録アレンジではクラシックが基調となっている気がする。

この日の演奏もひとことで言えば、優雅で高貴といったところか。

Youtube動画に投稿されたときのキャッチフレーズはおしゃれアレンジだった気がするが、そういう平凡で一般的な概念でこの曲を見ると正体を見失う。ござさんは故意に何げない表現でアレンジに込めた真意をごまかして、曲への視線を逸らす癖がある気がする。

原曲のフレーズをもっと鋭く解析してアルペジオとかちりばめた緊張感あふれる名アレンジだと思うが、特に東京の演奏が優雅に聞こえたのは、ほかでもないホールの響きがすばらしかったから印象がクラシック寄りになったっていう、いわば結果論だ。

 

どちらにしても、アルバム収録曲はどれも既存の音楽ジャンルからは逸脱している。どれもござさんならではのアレンジに彩られていて、しっかりそこに軸足を据えて動かない。今までの2枚のアルバムではいまひとつ焦点がよく見えない気がしていた。しかし、今回のEvolutionではっきり作風がわかってきた。ござさんの拠り所とするスタイルも、ファンとしてどういうところを推せばいいのかもはっきり形を伴って把握できつつある気がする。

 

MC

・コンサート終盤に向けて僕の喉はどんどん終わりに近づいている。

---------だからござさん、空気のきれいな場所に引っ越したらどうですかね。住む場所はそうですねえ、大きな山がない島とかに移住してしまえば、花粉症とかも含めて関係なくなるのではないですか?はい、そんな小さな島はウーバーイーツが無いだろうから引きこもれないので無理?しょうがないですね・・・

じゃなくて。こうしてのど飴でがんばりながらも千秋楽を迎えることができたのは、咳がひどいというアレルギー体質寄りの現象にとどまっていたからに過ぎない。ちゃんと医療機関を受診されていたようだからよかったですが、気管支炎とか肺炎とか系の感染症にやられてたらそれどころじゃなかったはずです。あの咳でそういう炎症がひどかったら普通に数週間入院ものだったりするし、そっちの咳じゃなかったと分かって自分は胸をなでおろしましたけど。

何が言いたいかって、7/12(日)にちゃんと配信を自粛してくださってほんとによかったということです。そのために休養が要るなら7/20の千秋楽は中止になってもやむを得ないと勝手にあきらめの境地になってましたし。しかしツアーの最終日という大切な節目へ向けて、体調を合わせて這ってでも出てほしい、どうしても間に合ってほしいとも思っていて、当日ちゃんと千秋楽のホールに着くまで自分の中で二つの気持ちが拮抗して折り合いつけれなくて大変でした……

何か知らんが無理は禁物です。体のことは、がんばってもどうにもならないときはあるんで。ていうか演奏家というのは自営業なので、ござさんは腕一本でやってるわけですから、まじで体が資本なので、ほんとに気を付けてほしいところです。

・この回でツアーも終わるので、夏休み気分だけでも味わいたい。体調はこんなだけど、スケジュールなんとか繰り合わせて(旅行とか)どっか行きたい

---------後日の7/25の配信を聞くかぎり、この咳が関係してることもあってどっか行くのは見合わせられたようで、それも一安心でした。

ふらっとどっか行きたくなったら都内にも六義園とかあるじゃないですか?(暇なとき息抜きに行ってたって、昔なんかの打ち上げでピアノ配信者さんたち同士で話してましたねえ。それで同席してたぜろいちさんに、「暇だからって六義園ですか!渋いですねえ!」って激ツッコミ入れられてましたねえ)

そのうち涼しくなってきたら出かけやすくなると思うし、合間を縫って静養できるようになるのを願ってます。

・めんつゆトラップ(この項はもっと前のMCかもしれない)がコバエによく効いたが、コバエによく効くギドラックス買ってさらに対策して云々。

---------このタイミングだったか、コバエの後日譚は分散していろんなMCで詳細に語られてたので、よっぽど日常生活のうえで迷惑だったのか(そらそうよ)、解決して心底ほっとしたのか、なんだっけ結局このゴジラかギドラみたいな名前の謎の殺虫剤?では解決しなかったんだっけ?忘れたが、めんつゆがよく効くのは朗報だったなと思った。

今年は暑すぎるせいか、うちにはコバエが発生していないけど、田舎は開けっ放しの空間なのでそのうちコバエが発生したらめんつゆやってみます。便利な情報ありがとうございます。

 

………なんかMCで大事なことを語られてたのが抜けてますね、なんでしたっけ、違う、告知をちゃんとされていた。これも確かMCが抜けないようにあらかじめ用意されてたメモを棒読みしながらだったかもしれないけど。なんでもいいから、このツアーに初見でフラッと来られた人もいるかもしれないので、ござさんのこれからの活動について、ほかにも様々な演奏に携わってるんだよとかロビーでは新しいアルバムも、連動した公式楽譜も売ってるんだよとか、それについても話してたかどうか(どうだっけ)?

まあこのツアー最終日に、次のコンサートの予定ありますって言えるって地味にすごいですよねと勝手に感動していた。

ありがたい話です、ほんとに。

今後の告知その1:9/18のbudoさんとの浮世絵をテーマにしたコラボコンサート(この記事はインタビューなので、サイトの中にコンサートの詳細も書いている)

 

今後の告知その2:11/28に菊池さんと月刊ピアノ30周年記念事業?の一環としての2台ピアノコンサート

 

家路

原曲はドヴォルザークの交響曲第九番第二楽章、家路というのは日本での愛称で、昔から合唱曲などにアレンジされてきた(今でいうカバー曲扱い)。

ここまではアルバム収録のアレンジの話。

確か尼崎公演では順序が宝島のあとに演奏されたためか、ラテンのリズムを引きずってて陽気なアドリブに占領されてた気がする。それは例外としても。

その後の静岡・名古屋と連日続いた公演では、家路は即興演奏枠として位置づけられていたようだ。今までのコンサートレパートリーでいう、ダニーボーイ枠だなと会場で誰かが言っていた気がする。自分もそう思う。民族音楽を取り入れたシンプルで親しみやすい旋律、それから(たぶん)アレンジしやすいコード進行ていうのもあるかもしれない。

静岡・名古屋で家路にこのように大幅なアレンジの改変を入れてきてたので、東京公演では個人的にはある程度心の準備はできていた。

なんでも受け止めるからかかってこいと、鷹揚に構えていたつもりだった。

 

不思議な浮遊感のあるアルペジオで演奏は始まった。簡単にいえばキラキラしてる素敵な幕開け、いやそんな純粋にアイドルの曲みたいなわくわくする展開ではない。

時代を超えて愛される、郷愁を誘う主題が静かに穏やかに乗ってくる中で、左手がいわゆるマイナーコード?みたいな響きでずっと和音のままリズムを刻んでいる。なんか簡単に書いてるがずっと和音でリズムって弾いててしんどそうだなって、咳よりも自分は聞いててそっちが心配になった。

それから徐々にワルツ風の拍子にのってJAZZワルツ、というかJAZZバラード系の展開へ変化していく。

ここからの展開が単なる家路のアレンジとかバラードの変形という想定を超えていた。

万感の思いを込めて、ひとつひとつ足跡をふりかえり噛み締めるように、和音をホールに向かって打ち出してくるというイメージで、ござさんはひとつひとつの打鍵になにか意味を込めているように見えた。

 

まわりくどいんで結果から行きますがね。

この曲、日本での愛称は家路じゃないですか。それは偶然だったかもしれないですが、しかしござさんはこの曲に対して、色々な意味で題名の文字通り、家に帰っていくという標題をつけて、ツアー各地で弾いてきたのかもしれないな、と思うようになった。

そう仮定すると、千秋楽での演奏が最も印象に残ったのもうなずける。

ござさんは今に至る道程を振り返りながら、足跡をたどりながら、この曲を弾いていたのではないだろうか(という妄想)。

原点に回帰する。

ここに到達するまでに得たものを携えて、ござさんの胸には様々な思いが去来していたように見えた。ござさんは黙して語らないけど、代わりに第一言語ピアノが思いを全部代弁してくれている気がした。

 

客席で聴いていたファン、それぞれにも抱えてきた思いはあるだろう。それがござさんの気持ちを雄弁に語るピアノと呼応してか、客席の自分の周りだけでも、涙してハンカチで拭う人や、すすり泣く声が聞こえた気がする(気のせいではない)。

ホールを埋め尽くしたファン、彼らが願うのはござさんがござさんらしくあること、

それに対しござさんが返せるのもピアノによって、この構図が最も如実に表れていた光景だった気がする。

なんかそれ当然だろっていう構文になってるけど、しかしござさんとファンって純粋にピアノでだけつながってるから、まさにこの通りだと思う。

 

宝島

この曲はほかの曲と同様に、アルバム音源に沿った表現だった。軽快でさわやかな青春の思い出。それを吹奏楽とT-squareの原曲が合体させるという、編曲の技術上どうなってるのかもはや謎に包まれてるアレンジで、それぞれの聞きどころをミックスさせてつないでいく。

ラテンが基調だが吹奏楽版が入っているのでそこまでヒートアップせずに楽しい演奏となっていた。

ござさんの意図は、この曲が家路のあとだからか、または元々こういうアルバム版に沿った素直な演奏にしようと思っていたのか。

たぶん絶対に前者だと思うんですよ(断定)。

家路で、ござさんも、客席のファンも、これまでのござさんのピアノに始まりピアノで続く人生を振り返ってきて、重いものを心の中に抱えてたと思う(たぶんね)。

そんな中ござさんのいつぞやの動画に付されてた字幕がよみがえる。

「最後と言えばこの曲!」

「しんみりするのはイヤなので、盛り上げていきましょう!」

そう、ござさんといえばこういう性格なんですよ。

 

今回はツアーの千秋楽をめでたく迎えたステージというお祝いムードに包まれた雰囲気で、無事そこに至った安堵の気持ちが多く含まれた演奏のように感じられたが。

しかし、いつでも、先が見えなくても、たとえ理不尽な結果に終わった場合でも、苦労が報われなくても、というか演奏家という実力社会なんて9割方うまくいかないというか、結果の出ない日々を送るばかりなのだろう。

とはいえピアニストにとっては毎日の練習こそ最も大切な演奏活動と言える。

ござさんはたぶん見えないところで毎日驚異の練習量をこなすことで、あの演奏をキープしているはずなので。でもそれが続けられるのは、ただピアノが好きだからなのだろうし、まさにピアノ弾くために生まれてきたんだなというか、天職だと思う。

自分はそう感じたので、家路の演奏に対するものとは別の意味でこの曲でも涙が止まらなかったが、ござさんのピアノは

「そんなモヤモヤとした気持ち抱えてないで、明るくいきましょ!」

と、自分の後ろから肩を叩いてきた気がした。

そうだなあ、前向きに考えるのが一番大事なのかもしれないな。

 

 

参考動画:このメドレーの最後の曲のところで出てくる字幕を参照した。

 

アンコール---情熱大陸

今回の自分の席はステージに向かって右側だったので動画撮ってるとお客さんも映り込んでしまったため、ここにはUPしない。Twitterなどにタグつきで動画が沢山上げられてるので、そちらをご覧いただきたい。

Twitterの仕様変更なのか、2:20以上の動画も投稿できるようで、ござさんのアンコールはいつも4,5分はあるのでどの投稿動画も角度が違ったり微妙に音響が違ったり、どれ見ても楽しめる。

……じゃなくて、ピアノの蓋側に座ると、弦から発する音がダイレクトに響いてくるのでピアノソロに限っては自分の座った角度はよかったらしい。なるほど?そりゃ聞こえ方は素晴らしかったですが。しかし席はあくまでくじ運によるものなので、ここでは考察しない。

 

全プログラムを演奏し終えたござさんは、いつもの通りIQが著しく低下してるとかなんとかで袖からのアナウンスからの指示により、動画は今回も撮影OKとなった。このアナウンス聞いてるときのござさんの姿勢というか表情というか、そんなちょっとした所作もきちんとしてて好感が持てる(いえ別にマナー警察などではなく…)。

このござさんの、なんでもないときの所作が好きっていう意見に賛同いだたけないですかね……?なんなら生配信でのピアノ弾いてる合間みたいなとこすらも、ちゃんとしてると思うんですよね…単に家なのに、きちんとしてる気がするんですが(気のせいか?)

 

そんな余談はいいから、このアンコール動画だけでもホールのすばらしさ、ござさんの即興が炸裂してるところが存分に楽しめると思う。

全演奏を終えて、というかツアー全公演を終えて肩の荷が下りたのか、よりいっそう即興のアドリブが疾走してていい感じに力が抜けてて、色々大義名分を省いた本来のござさんの即興が帰ってきたという気がした。

 

それぞれの公演で違う曲のアンコール、そして全く別の発想の即興演奏。

最後の瞬間まで、ござさんらしさにあふれたツアーでした。

 

即興は今も昔も、ござさんライブの醍醐味

ござさんの演奏は、ストリートピアノのメドレーでも、ひとつの生配信でも、というか曲ごとに、なんならワンフレーズにも、いやひとつの音にさえ、物語が感じられる。

プロの演奏家は実際、ひとつの音を出すのに、姿勢や体の使い方、呼吸、音の入り方から音の出方に至るまで、こだわりを持っているはずだ。

ござさんのアレンジはそこまで楽器そのものという物理的な、アコースティックな媒体に全てを委ねるのではなく、楽器とともにご自身の構築するアレンジ、和音といった表現方法も駆使して全体で音楽を表現しているという独特のスタイルではある。

結果として生まれる演奏にはござさんの全てを賭けた情熱、執念といったものが音の端々に感じられる。

執念、それがござさんのピアノを表現する語彙としてぴったりだ。

音楽を手掛ける者としてそこだけは絶対に譲らない、この一線は絶対退かないという執念。(指が足りなければ、届かなければ、じゃあ練習してできるようにすればいいじゃないという本末転倒な理念をひしひしと感じる。)

 

ござさんの即興演奏は、ライブそのものが映画のような起承転結を持ったはっきりしたストーリーの上に組まれた中で、意表を突く展開だったり観客を巻き込んで共感を呼んだりするうえでの重要なファクターを担ってる。

(そもそも生配信からしてそれぞれが一編の映画のように作り込まれた展開で、最初から見ないと途中の感動もラストのシーンの意味もわからない)

 

ツアーのみどころは毎回違うアンコールとか、現地に行けなくてもアンコール動画のSNS投稿を許可してくださったのでファンみんなで楽しめるという意見がある。

それはござさんのツアーならではの楽しみ方としてほかでは体験できないことだし、ファンコミュニティの中で平等にライブを体感できる画期的な発案だったと思う。

 

それを前提としたうえで、やはり、ござさんはご自分の最も得意とし、また最も観客と市場に訴求できる要素である即興演奏を、ライブの構成に組み込むことで、現地に足を運んだファンに対してピアノで応えてくれているんだな、と痛いほど感じる。

ファンとしては人生の中でそれぞれのペースでそれぞれの姿勢で各自ござさんのピアノを楽しめばいいと思う。

しかしござさんも、ファンが(あくまでできる範囲で)現地に来てくれたら付加価値をつけてくれるという事実は、ピアノを楽しむファンとして夢がある。

現地に行ったから聴けた演奏っていう付加価値。

 

(※ここで現地に行けない人もいるという説もあるが、その議論はここではしない。人生みんな色々な事情がある。それぞれの事情でやればいい。自分もたまたま人生のうちで今時間がとれる時期なので動いてるだけであり、いつ行けなくなるかわからないから今のうちにがんばって現地に行ってるともいう。)

 

 

 

 

 

ござさんの吹奏楽レパートリーをさらに分類してみた

この記事は、ござさんのレパートリーのうち特に吹奏楽についてまとめたものだ。

レパートリー曲にそれぞれ原曲動画をつけてみるだけの記事。原曲動画は別にYoutubeリストにもしてみる。

つまりこの記事には、ござさんのレパートリー曲以外は列挙しない。あしからず。

 

この記事で引用しているすべての動画リスト:55曲

吹奏楽 - YouTube

 

吹奏楽曲は1990年代ごろまでは、管弦楽曲をもとに吹奏楽向けに編曲したものが(おもにコンサートなどの座奏では)中心に扱われていて、通称アレンジ曲と呼ばれていた。

(※ちなみにござさんのレパートリーのうち、吹奏楽向けアレンジ曲っぽいなーというものは以前にまとめた記事がある。(ちょっとオペラとかバレエ音楽も混ざってるけど)

 

そこで、アレンジ曲とは違って吹奏楽のために特に作曲されたものを通称オリジナル曲という。この記事ではオリジナル曲に焦点を当てて、それぞれに原曲動画を挙げてリストアップしてみる。

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

吹奏楽って何なの

この記事は具体的にいうと、ござさんの数あるレパートリーの中から吹奏楽だけ抜粋して、原曲の動画をYoutube動画リストにしようと思い、それぞれの曲に個人的コメントをつけようというのが目的です。

そこで、吹奏楽って編成とか演奏が管弦楽(オーケストラ)とよく似てるけど、何が違うのか

という疑問がこれをお読みの方々には真っ先に思いつくと思いますので、その違いをまず簡単にまとめてみます。

 

ハモるという概念

よくピアノ配信界隈では「リハモする」っていうワードを目にしますが、リハモって何なのかというと「リハモナイゼーション」という語の略称で和音つまりハーモニーを編集、書き換えるという意味らしい。

ござさんの生配信でピアノアレンジに常日頃から親しまれている皆様におかれましては、和音を編集するとどうなるか実際に度々ご経験されて、リハモの演出効果と影響について実感されていることと存じます。

ここで、ピアノアレンジでひとりの演奏でリハモが可能なのは、ひとりで鍵盤の上で全部の和音を自由にその場で操作、創作できるからにほかならない。

 

吹奏楽の一般的な演奏においては、和音を形成する原曲の楽譜は基本的に昔から変わらず、奏法や表現や解釈に至るまで伝統的に受け継がれ守られてきているものであり、まず和音を改変するという発想が無いと思う。

よってここに挙げる原曲動画では19世紀の曲から現代作曲家の最新曲まで、演奏されるにあたって原曲の表現は基本的にどこで聴いても同じだ。

それぞれの楽団において演奏の特色はあるけど、楽曲そのものの特色を生かそうという演奏方針にはどこも変わりないのではないかと思う。

 

様々なアコースティックな楽器の合奏が生み出す自然の倍音は、ピアノ一台で(それがグランドピアノの演奏だったとしても)表現するリハモの幅とはまた違ったベクトルで、豊かな響きを生み出すから、生の楽器の演奏は原曲そのままの楽譜でやるのが一番楽曲そのものを生かせられているのかもしれない。

 

それになにより全パートが揃うと数十人規模の編成になる吹奏楽では、その場の思い付きでどんどん和音を変えて遊ぶっていうこと自体が無理という事情もある。

それ以前にどんどん和音を変えるという発想ができる人が楽団にいるかどうかという事情。

ふつう、和音を変えるという発想が無いだけに、

(その場で)コードを変えて曲の表現を改変するという技術をもつ人はいない。

ふつうは。

(管弦楽から吹奏楽へ、また小編成のアンサンブルへと編曲できる人はいたとしても)

 

だからござさんが生配信でその場でコード変えて自由に編曲しつつ弾いてるらしいという事実を把握して、ちょっと信じられなかったですよね。

部活は吹奏楽部だったということを聞いて、余計に、じゃあなんでこういう発想があるんだ?というかなんでこういうスキルを習得するに至ったんだ?という疑念が長い間解決しなかったですね。

どうやら小学校で休み時間に音楽室じゃなくてパソコン室か、そこで自分で作曲して遊んでたとか聞いて、そういう素養というか土壌をもともと持ってたんだな!?と、無理やり納得してみるも、今でも完全に謎が解けたわけじゃない。

だいたい、ござさんの自由に弾いてるストリートピアノ動画を初めて見たとき、根拠ないけど「きっと音大の教授が変装してるんだろう」と思ったんだが、その理由は、即興で編曲する人なんて絶対音大で教えるレベルの知識と技術があるからだっていう思い込みがあったのだ。たぶん。

だから音大とかいう教育システムと無縁のござさんが自由に即興で編曲するに至るまでには、(しかもあらゆるジャンルで(ここ重要))、結局は独学でこの境地を獲得したのだというなんか昭和のスポ根理論になって全然解決にならなかった。

 

なんか話がそれた。

アコースティックな楽器の演奏には自然の倍音が発生し、重厚で繊細な響きを生む。

ござさんのピアノアレンジには、ひとりで鍵盤を弾いてるだけのはずなのに、そういう大編成の演奏から聴こえるような贅沢な和音が聞こえてくるのも聞きどころの一つだと思う。

 

実際の演奏だとこういう音(該当箇所を頭出し済み。)

 

すいませんが個人的な選択により、千葉ロッテの公式動画より野球応援の演奏を引用した。この高校独自の公式動画チャンネルが無いので。

管打楽器合わせて約200人(ダブルリード以外)の編成、それとチューバなどの低音と木管(のクラリネットとフルートの高音)の間に、ホルンとユーフォニアムとトロンボーン(それとテナーとバリトンSAX)ていう中音域を支える楽器が何十人といる編成で、ここの中音域が支えることで、オルガンみたいな贅沢な音が聞こえてくる。

(なぜこの吹奏楽はこんなにたくさんいるのか?というと、たぶん普段は座奏のコンサート部門とマーチング部門に分かれて練習してて、この野球応援には全員出るとこの人数になるらしく、部員全員で活動できる数少ない機会だから、らしい。高校野球の選手兼の地方大会1回戦からこの熱量で応援してるのは変わらないようなので、このノリが通常運転らしい。いろんな意味で常軌を逸している。(いい意味で))

この習志野高校、自分が学生時代の頃から大好きで、全国大会でここのが聞きたかっただけで往復夜行バスで、紙の乗り換え地図見ながら中野区方南町のホールまで聴きに行きましたねえ。そういう座奏でも当時から圧倒的に無双の敵なしでしたし、こういう「人に聞かせる」演奏はどういうものかという点でも素晴らしい大好きな団体ですねえ。

人に聞かせる、人を楽しませる演奏って自分はクラシックのピアノ演奏ではそうういう音に出逢ったことなかったのだけど、ござさんのピアノ聴いて、ピアノっていう楽器に対する「つまんない演奏」っていうそれまでの概念が根底から覆った。

聞いてて楽しい演奏というのに吹奏楽以外で初めて出会って、価値観が書き換えられたなあ。ピアノってこういうこともできる楽しい楽器だったのか、みたいな。

 

※ピアノアレンジの演奏例:生配信動画から引用

ござさんによる吹奏楽曲のピアノアレンジメドレー(頭出し済み)。生配信がどちらもメンバー限定公開のものですいません。

ピアノ放送 リクエスト受付中! / Piano live 2019/10/14 - YouTube

(→2:16:26 ~のメドレー)
 

 

【ピアノ配信】ピアノ弾いてますリクエスト募集中 2023/07/09 - YouTube

(→1:02:05~のメドレー)

 

ツイキャスではフル尺の吹奏楽曲を原曲準拠で演奏されている。

(リードの春の猟犬、スパークのアローザのための音楽、あとアレンジもののウイリアム・テル序曲とかトリッチ・トラッチ・ポルカなどもある) 

突発リク無しレパートリーランダム練習配信 / ござキャス - ござ🎹 (@gprza) - Twitcast

(2024年8月28日のツイキャス)

 

これらの例をもとにレパートリー表から全部の曲の原曲動画を並べてみる。

吹奏楽曲は様々に分類できるけど、それらのあらゆるジャンルでまんべんなく演奏されてるのがこれらの分析からはっきりと浮かび上がってくるだろう。

即興で偶然配信のリクエストから拾ってるだけ、のはずなのにこの平衡感覚は驚異的だなと思う。

 

マーチ

吹奏楽の起源は、戦場での前線で隊列を鼓舞する軍楽隊とか軍隊ラッパにある。

よって今も各国の軍隊と日本の自衛隊には音楽隊が必ずあるし、それらの軍楽隊が吹奏楽の一郭を黎明期(19世紀)から牽引してきたと言っても過言ではない。

各国の有名どころを挙げてみると。

・オランダ王立海軍軍楽隊

・パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団(Orchestre de la Garde Républicaine)→フランス国家憲兵隊の共和国親衛隊(Garde républicaine)に所属する軍楽隊

これら欧州の楽団では、演奏会向けとして、管弦楽曲(クラシック)から行進曲を編曲したいわゆるアレンジもののマーチがレパートリーの中心となっている。

・アメリカ海軍軍楽隊(U.S. Navy Band)

・アメリカ海兵隊軍楽隊(United States Marine Band)

そこで特にマーチ王とも呼ばれ100を超える行進曲を作曲したスーザは、吹奏楽のためのマーチというジャンルを初めて確立したと言えると思う。

また、スーザフォンという特に行進曲を演奏する(つまり立って歩く)という用途に特化した形のチューバを考案したり、吹奏楽に与えた影響は大きい。

 

スーザ

原曲動画リスト(7曲):スーザのマーチ - YouTube

(以下、それぞれの個別動画リスト)

Hands Across the Sea (海を越える握手) 

個人的にいえば。小さいころ、地元のローカルTVの競艇・競輪のCMでBGMになっていた。当時競艇も競輪も知らなかった自分は、ローカル天気予報の後に必ず流れるこのCM曲が好きだった。ブラウン管TVで今思えば音質は最悪だったのだけど。スーザの曲と知ったのは大人になってからだった。

 

Manhattan Beach (マンハッタン・ビーチ) 

The Corcoran Cadets March(士官候補生 コーコラン・カデッツ) 

この曲のネーミングは由来が必ずしも正確ではなく、学生バンドのために作られたようなので、軍隊の士官学校は関係ないらしい。

 

エル・キャピタン 

 

キング・コットン

 

シカゴの美人 

アメリカ海兵隊軍楽隊

コールドストリーム・ガード連隊の軍楽隊(イギリス陸軍 バッキンガム宮殿の近衛兵)

 

ところでマーチとは(概念)

クラシック曲に登場する行進曲と名前のついてる曲は単に♩=120くらいの行進に適した速度で作られた曲、というほどの意味でしかない。

それに対し吹奏楽で演奏されるマーチはだいたい形式が決まっていて、それはスーザの活躍した当時からずっと今まで変わらないともいえる。クラシック界隈でいう古典派とかバロックとかの時代のソナタ形式とかなんとかいう展開が厳密に決まってるのと一緒なのかもしれない。

マーチの形式は、

・短い序奏(大抵全員によるtutti)

・主題A

・主題B(主題の裏で中低音部が演奏する別の主題を対旋律(=オブリガード)という)

・中間部(穏やかな旋律=Torioトリオ)(ここにオブリガードが来る場合もある)

・主題C(主題A、Bの発展形だったりもする)

ラストはダメ押しにtuttiで終わる。フェードアウトするように静かに終わる曲はない。

 

ござさんのピアノアレンジで聴きどころは対旋律

異論は認めない。(吹奏楽曲のマーチにおいての話)

誰がなんといっても、いちいち絶対にオブリガードを拾って超強調してて悠然と雄大にかっこよく演奏されている。

それ難しいと思うんですよね、旋律と伴奏部分のリズムがすでにあって両手は塞がってるはずなのだが、そこに対旋律を絶対にねじこんでくる。

もはや執念ともいえる。

なぜ?なんでそこまでするの?

ござさんの(部活時代における)担当楽器であったユーフォニアムは、まさにこの対旋律をおもにホルンと担当するオブリガードにおける花形楽器だからです。学生指揮もされていたそうだから、指揮をするにおいても対旋律に重きをおいて合奏を組み立てていたはずです。

対旋律が中音域つまりテナーtenorでバシッと決まるとめっちゃ渋くかっこいいので。そのかわり演奏効果が不十分だと、楽曲において変化が乏しい展開に終わってなんとも印象の薄い曲になってしまうため。

 

また、なぜかレパートリーに入ってないけど絶対ピアノで弾けるであろうと思われる、「星条旗よ永遠なれ」はこのセオリーとちょっと違う展開だけど、中間部が2回あって2回目のオブリガードが有名なピッコロのソロなので引用する。(この動画はソロの4人が前に出てきてくれるのでわかりやすい)

(※「星条旗よ永遠なれ」は春の選抜高校野球大会で入場行進に使われていたかも)

 

とにかくピアノのレパートリーにこれだけきっちりマーチが残ってるのは、きっと部活で(運動会の行進でBGM吹いてたとかも含め)それなりの数のマーチを演奏してきたからに相違ない。

(ほかにも例えば演奏の機会として高校野球の開会式に合同編成として県内の吹奏楽部は行進曲演奏に駆り出されたりするし、あと定期演奏会でマーチの曲目もあったり、とにかくあらゆる場面でマーチに触れる機会は多かったのだろうと思う。)

 

いろんなマーチ

ここのコーナーの原曲動画の再生リスト(5曲)

いろんなマーチ - YouTube

Colonel Bogey (ボギー大佐) [ケネス・アルフォード]

イギリスの軍楽隊隊員による作曲。「戦場にかける橋」ではこの曲をアレンジした「クワイ河マーチ」が使われている。そんな昔の話はさておき、日本では小学校の体育の時間で踏み台昇降運動のBGMで某替え歌として歌われていた(はず。ですよね?)

 

ブロックM [Jerry H. Bilik] 

ござさんの配信でも演奏頻度が比較的多い、聞いてて楽しい曲。(大阪市音による演奏、ライブ録音のためか拍手が入る。)

こっちは爆速の演奏。

 

双頭の鷲の旗の下に [J.F.ワーグナー]

自分は吹部でしたが、体育祭の入場行進でこれをエンドレスで生演奏していた。ほかの学校も多かれ少なかれ同様だったのではと思われ、このイントロは結構有名だと思う。

作曲されたのがまだ第一次世界大戦前、ハプスブルク家の時代だったので、曲名に使われてる双頭の鷲とはハプスブルク家の紋章を指す。(動画のサムネ画像参照)

古き良きオーストリア・ハンガリー二重帝国の時代、いかにもクラシック・マーチの面影を残す悠然とした堂々たる佇まいの旋律が有名。

 

行進曲「忠誠」 [L・チレネイ] (イタリア憲兵隊分列行進曲)

アメリカ海兵隊の公式行進曲。

 

ラテンのジャンル

ここのコーナーの原曲動画の再生リスト(2曲)

ラテンのジャンル - YouTube

ブラジル(吹奏楽)

サンバの名曲を吹奏楽に編曲したもの。これのほかにも、ござさんのピアノアレンジには高校というより中学でやったなというイメージの(でも実際の難易度は高校程度の技術)吹奏楽ではオーソドックスかつ王道の曲をよく演奏してる印象がある。

吹奏楽のジャンルといってもこうしたラテンやJAZZ寄りの曲も多いので、この頃からJAZZに興味を持たれていたのかなあと思う。

空色の幻想 (Turquoise Daydreams) [ジェームズ・ホゼイ]

動画がサムネで貼れないのでURLだけ。

https://www.youtube.com/watch?v=HaahAga0scE

(これも名曲だと思うけどシロフォンの協奏曲みたいになってるせいかメジャーな扱いじゃないのか、Youtubeにあまり動画がない。)

 

野球応援でよく聞く曲

ここのコーナーの原曲動画の再生リスト(4曲)

野球応援でよく聞く曲(2つ) - YouTube

 

吹奏楽のジャンル分けとして一分野を占めてるのが野球応援(でも日本限定で)。学生の部活で学校ごとに攻撃中の演奏をすること。しかしそれは演奏だけでは成り立たなくて、コロナ期に声出し禁止にしたらなんか物足りなかったように、演奏とバトン部(チアリーディング部)、学校の在校生とか保護者とかその他観客席からの掛け声、この三者の息がぴったり合ってこその野球応援になる。

そのためここの部屋はピアノアレンジの原曲を見ていくから、野球応援の演奏そのものについては考察しない。

ただござさんのアレンジの中に、ほかに分類できない曲があるのでここに分けておく。

 

野球応援という文化が日本独特なのか、海外の動画に野球応援というジャンルがないので国内の動画から引用する。学生の吹奏楽の発祥地としてはアメリカのマーチングバンドとか大学の吹奏楽とかが挙げられるが、それらはあくまで吹奏楽の演奏分野として独自に発展してきたのであり野球応援とは紐づけられてない。世界最大のマーチングイベントもアメリカで開かれるし、学生スポーツの応援としてはアメリカだとチアリーディング部が有名なのかもしれない。

 

野球って見てて絶対おもしろくなるエンタメだと思うんですよね。大正時代に甲子園ができて、あんまり野球が人気過ぎて政府から(?)制限しろと通達が出たのも納得です。最低限ルールさえ覚えれば、こういう演奏とか掛け声で応援するのはおもしろいですよね?ただ現地観戦は暑さとの闘いだし、プロ野球ファンはチームごとにこだわりがおありでしょうから無理には勧めませんが。でも現地に行けば定期的な攻守交替あるから、応援しててもメリハリきいていいですよ。その回ごとにアウトカウントで絶対に盛り上がるのもポイント高いです。

個人的には、学生時代に(そのときは強制的に)部活で野球応援に毎年行ってて、ルールわからんけど見てておもしろいなって思ったのが応援に興味持ったきっかけですかね。

(この記事はピアノアレンジ曲についてです、念のため)

 

エルクンバンチェロ [ラファエル・エルナンデス]

この曲もラテンの曲なのだけどあまりにも野球応援でおなじみのため、分けてみた。

だいたい野球応援の動画は公式が出してるのが少ないので(野球は応援が主役じゃないから当たり前で)、演奏してる学校ではないが、球団が出してる公式動画から引用。

(頭出し済み)

ことしの千葉ロッテマリーンズの公式試合で6/19に習志野高校が応援の演奏したときの公式動画によるメドレーから。念のためイヤホンとかヘッドホンで大音量できいてみてください。ただ、本来の野球応援は学生のチアリーディング部とか保護者や在校生の声援と共に演奏するものだから、この動画は特殊な設定だけど演奏がいいので引用した。

この試合がどういうふうに特殊なのか。

まずプロ野球の試合で学生のプレーに対する応援じゃないので試合はエンタメだし応援もエンタメの一環として、球団が公的に高校生を招待して演奏を依頼してる設定。

ついでにいうとこのエルクンバンチェロは、打席の池田選手がこのとき応援に来てた習志野高校のOBで、在学当時にエルクンバンチェロで応援してもらってたため、特別にこの日だけ演奏しているていう特殊仕様(普段は池田選手の応援歌はまだ決まってないはず)。

 

※ラテンの原曲版による演奏

この演奏のノリっていうかそういうのが好き。色んな意味でプロの楽団では絶対に見られない、羽目の外し方。えっほらいるじゃないですか、演奏でハメ外すのが好きなピアノ弾く人。やっぱこういうノリって大事ですよね。

あとこの演奏は大学生とか社会人の合同編成と思うが、指揮がばっちり決まっているので要所を押さえてて全体的にキレキレなのがいい。やっぱ大編成は指揮によって全然違う。

 

 

アフリカン シンフォニー [V.マッコイ]

ついでに、この曲もロッテの応援動画メドレーから引用。イヤホンかヘッドホンできいてみてください。

(頭出し済み)

 

 

ござさんがピアノアレンジするにあたり、いつもというか必ず、アフリカンシンフォニーの見せ所ともいえるホルンのグリッサンドを、いちいち正確かつ大幅に強調して拾ってる。なぜならござさんの担当楽器がホルンと同音域のユーフォニアムだったため意識してるんだと思われる。旋律に呼応して合いの手みたいに入るグリッサンドに注目してみてください。

 

※プロによる演奏会での原曲版。もともとはこういう曲だったのを野球応援向けに編曲して、幅広くおもに高校・大学などの応援で使われている。

 

海外の吹奏楽曲(オリジナル)

ここのコーナーの原曲動画の再生リスト(24曲)

吹奏楽 海外の作曲家 - YouTube

 

冒頭のあたり?で書いた通り、ここからは純粋に吹奏楽編成のために書かれた曲つまりオリジナル曲についての原曲動画。まずは海外の作曲家から。

アルフレッド・リード

この作曲家は有名とか人気とか以前に、マーチ以外の演奏会での吹奏楽曲というジャンルを確立したというか、吹奏楽という音楽の祖みたいな存在。

吹奏楽に関わってれば以下の3曲は必ずどこかで耳にするだろうし、ござさんの配信メドレーにも頻回に登場する。

平易で明快な曲が多いが音楽的に表現するには高い技術が必要という、学生からプロまで幅広く親しまれている名曲が多い。この3曲のほかにも演奏会でよく取り上げられる曲はたくさんあって、初心者でも解釈しやすい曲も多い。

エル・カミノ・レアル 

春の猟犬 

アルメニアン・ダンス パート1

A・リードが東京佼成を指揮するために初来日し、録音された音源。

 

 

ジェームス・スウェアリンジェン[James Swearingen]

A・リードが吹奏楽の祖なら、スウェアリンジェンは近所のおじさんっていうくらい、吹奏楽やってた初心者学生にとっては身近な作曲家。ステージとか人前で初めて演奏したのはこの人の曲っていうパターンは非常に多いのではと推察する。

初心者向けの演奏入門に適した難易度と表現。中学生の演奏会とかコンクールのラインナップに必ず入ってる作曲家。

ござさんのレパートリーにもたくさん入ってるのは、ござさんも中学生?の時とかにやったからなのではないか。あら奇遇ですね、自分もこの4曲のうち2曲は中学校のコンクールでやってましたねえ。曲の思い出というか部活と青春の思い出ですねえ。

Centuria

コヴィントン広場 

シーゲート序曲 

管楽器と打楽器のためのセレブレーション (Celebration for Winds and Percussion) 

 

フィリップ・スパーク

ござさんのレパートリーに比較的多く取り入れられている、今に至るまで日本でも人気で親しまれている現代イギリスの作曲家。

イギリス人なので、英国といえば(産業革命にともない労働者が工場や職場で結成した)金管楽器と打楽器を主体とする英国式brass bandのふるさとであるため、吹奏楽曲つまりWind Ensembleウインドアンサンブル向けの曲とともに、brass bandブラスバンド向けの曲も多い。

アローザのための音楽

 

 

A Huntingdon Celebration

 

ドラゴンの年

もともとは英国式brass bandのために書かれた曲。日本では吹奏楽編成にアレンジされ演奏されている。

動画---ルクセンブルク・ウィンド・オーケストラ
指揮:フィリップ・ノエセン

(※ちなみにこの拍子取るのも難しい現代音楽をマーチングでやった学校があるらしい、部活のコンクールで。コンクールというと勝ち負けという評価基準が先にくるかもだけどそんな概念はどっかいってるレベル。公式動画じゃないので引用しないが検索すればすぐに出てくるだろう。)

 

Jubilee Prelude(ジュビリー・プレリュード)

youthの演奏だけど正しい英国式金管brass bandの編成で、実際にサクソルン属の楽器ってどれなのって見てわかるので聞いてみてください。

 

ノルウェーのロンド 

 

宇宙の音楽 

個人的にはスパークの曲でこれが一番好き。これをピアノアレンジしようという発想もすごいけど。何食べたらそういうこと思いつくんですか?

 

バーンズ

アルヴァマー序曲

この曲は有名でござさんもたびたび配信で弾いてるのでご存じのことと思う。

 

 

※ござさんのピアノを聴く上で吹奏楽曲のときの見どころ

このへんの演奏会向けの曲をみてもわかる通り、吹奏楽は複数の楽器からなるアンサンブルという形態をとる。

それをピアノ一台でぜんぶ和音からリズムから担当してやってしまうとなると、他人とリズム揃えるとか音程合わせるとかいう合奏の基本という概念が覆されてしまって、当初はピアノ配信で吹奏楽って言われても(他ジャンルの曲も同様だったが)、どういうふうに聴けばいいのか思考がバグって戸惑うしかなかった。

そこで、ピアノで弾いてるどの音がどの楽器のパートを意図してるのか解析してみると、なにげに大まかに全部のパートを拾ってたりしてやっぱり理解不能だったりする(アドバイスになってない)

というか聞かせたいパートをピックアップして増幅してたり、またはちょっとお茶目に原曲をいじって遊んでみたりしてるので、そういう箇所を探すのもおもしろいかもしれない。

配信によっては癒し系だったりゲーム風だったりjazz風だったりする中に吹奏楽曲が(たとえば宝島とかが)混ざってたりしてて、聞いてて飽きない。

 

ホルスト

ホルストの組曲は吹奏楽やってれば誰もが通る道かもしれない。それくらい基礎の基本。いわゆるクラシック曲の吹奏楽の分類。ござさんの配信ででてきた箇所を曲名として挙げたが、引用動画は全曲版。

吹奏楽のための第1組曲 第3楽章 マーチ 

参考動画:ミシガン大学シンフォニー・バンド 【軍楽隊のための第1組曲 変ホ長調 作品28-1(1909年)】
グスタフ・ホルスト 作曲 
マイケル・ヘイスコック(指揮)

吹奏楽のための第2組曲 第1楽章 マーチ 

演奏:N響の管打楽器セクション

(動画は第二組曲の全曲)

ヴォーン・ウィリアムズ

イギリス民謡組曲より第3曲 行進曲「サマセットの民謡」 (March - Folk Songs from Somerset)
イギリス民謡組曲より行進曲「日曜日には17歳」"Seventeen Come Sunday" 

これも吹奏楽のクラシック枠。ござさんはこの第三曲と第一曲がレパートリーらしい。でもたぶん第二曲の間奏曲もふつうに弾けると思う。イーストマン・ウインド・アンサンブルの演奏を引用しておく。

 

サー・マルコム・ヘンリー・アーノルド

これらのイギリスの伝統的な作風を受け継ぐ現代作曲家。この曲は練習ツイキャスでやってたと思うが、個人的にはこれの他にも映画『六番目の幸福』の音楽(第六の幸運をもたらす宿っていう曲名でも呼ばれる)も好き。

伝統的な音使いなのに理知的なリズムと端正で奔放かつ大胆な曲の展開がなんかギャップ萌え(伝わらない)。

4つのイングランド舞曲 から第2集(頭出し済み)(Four English Dances Set I & II) 

 

ヤン・ヴァン・デル・ロースト

ベルギーの作曲家。日本でも非常に人気が高く、演奏会で取り上げられる曲も多い。なぜござさんのレパートリーにふたつしか入ってないのかよくわからない。もっとあるはずというか、弾いてないだけで弾けるはずだと思う。

このように実は弾ける曲といういわば隠れレパートリーが多いはずなので、吹奏楽メドレーって言われたり、または最後のノーストップメドレーで、レパートリー表にない曲をたまにリクエスト流したりする。そうすることによりござさんが弾けることを思い出したりしないかなーという期待をかけて。

だってアローザの音楽とかツイキャスで聴いたけどそれまで弾けるって知らんかったし。ありますよね他にも埋もれてるのが。

アルセナール (Concert March "Arsenal") 

 

プスタ 「4つのロマの舞曲(ジプシーダンス)」~第1楽章

プスタとは、ハンガリー東部から東ヨーロッパにまたがる大平原を指す。

また、ロマとは(インドヨーロッパ語族を起源とする)移動居住する民族、ジプシーまたはツィガーニともいい、彼らの民族音楽にモチーフを求めたエキゾチックな曲調が印象的。たぶん生配信でこの曲の冒頭1~2分くらいを弾いていたが、ぜひ全曲どれもかっこいいので聞いてみてください。

 

ヨハン・デ・メイ

オランダの作曲家。トロンボーン奏者であることからトロンボーン協奏曲も作っていたりする。スパーク、ヤン・ヴァン・デル・ローストと並んで人気がある作曲家だけど演奏するには難曲が多い。ほかに、交響曲2番ビッグ・アップルも名曲。

↓ たぶんこの曲を配信のどっかでやっていた(と思う)

「指輪物語」(全五楽章)より魔法使いガンダルフ

トルーキンの指輪物語をもとにしたsymphony。エルフとホビットが住む森の世界。

 

ジム・アンディ・コーディル

吹奏楽のための民話

 

C.T.スミス

ござさんは生配信の中でこのクロード・トーマス・スミスさん好きですって公言してるのでレパートリーも多い。しかしどうやって覚えたんだろうか、そしてどうやって弾けるようになるまでこぎつけたのか、謎は尽きない。

Festival Variations (フェスティバル・バリエーションズ)

https://www.youtube.com/watch?v=rhsiGbMkoM0

アメリカ空軍バンドの演奏。ただただ圧巻。

ピアノ放送 リクエスト受付中! / Piano live 2019/05/27 - YouTube

ちなみにけっこう原型の展開を遺したピアノアレンジが生配信に残ってる。つまり生演奏。何度見ても目を疑う。

ルイ・ブルジョアの讃美歌による変奏曲

 

(※讃美歌つきの動画)

華麗なる舞曲 

大阪市音楽団の優雅で端正な演奏。これをどうやってピアノソロでアレンジしたというのか。しかも生配信で、よくわからないですね……

 

※ ↓↓ ネタとしてこれも。

ただし音大のシンフォニックウインズでいわばプロの卵が専攻楽器でやってるからか、観客席があんまり驚いてなくて逆にびっくりする。最速演奏以外にも、技巧的には5:00ごろからのファゴットソロに続いて入るピッコロトランペットのソロ(2本)が有名。プロじゃなくてこれを安定して吹けるのは音大の吹奏楽団ならでは。

www.youtube.com

これらの二曲はござさんによればほんの一部分しか覚えてないとかとても弾けないとかでレパートリーに入れたくないようでしたが、ござさんの弾けない発言なんて全然信用ならないので勝手にリストに入れておく。というかツイキャスでフルで弾いてたのかもだが、アーカイブが無いのも多いし真相は闇。

 

邦人作曲家

原曲動画の再生リスト(4曲)

吹奏楽の邦人作曲家 - YouTube

 

上記のように海外ではさかんにマーチングや金管brass bandや金管アンサンブルが発達し、そして吹奏楽団によるオリジナル曲も多くの名曲が生まれていたが、法人作曲家による吹奏楽曲が一般的に広まり評価されるに至ったのは2000年代入ってからなのではという気がする。それまでも法人作曲家は活躍していたが、特にアマチュア楽団的には演奏の比重はやはりよく知られた曲として管弦楽からのアレンジ物が多かった。

「若いうちに名曲にたくさん触れさせておきたい」

という教育上の指針もあっただろうが、核となる法人作曲家による吹奏楽曲群という拠り所が2000年代に入って確立されたのは大きいと思う。

 

ちょっと自分はここらへん(2000年代?)の曲に明るくないのでコメントは飛ばす。演奏会でもリアルタイムで聞いた事ないし。

たぶん自分らの年代とござさんの吹部経験時代はちょうど10年ずれてるので、その時代に流行ったトレンドみたいな情報が全くかぶってなくてよくわからない。(ちょっとだけわかるけど)

とりあえず原曲動画をつけていく。

ウィンドオーケストラのためのムーブメントII「サバンナ」 [石原忠興]

 

The Seventh Night of July (たなばた)  [酒井格]

七夕の季節の風物詩。たぶんござさんも自分が演奏したか、学生指揮でスコアを分析したかの経験がおありなのであろう。この曲自体が、作曲家が高校生時代に作ったそうで、みずみずしい感性にあふれた旋律が奏でられる。

 

森の贈り物 [酒井格]

丘の上のレイラ [星出尚志]

 

※これ以外に有名なところでは大栗裕、伊藤康英、古関裕而、兼田敏、櫛田昳之扶、武満徹、天野正道、阿部勇一、藤田玄播、岩井直溥、三善 晃、黛 敏郎、東海林修、真島俊夫、福島弘和、保科洋、長生淳、小長谷宗一、西村 朗、田中賢などの邦人作曲家(意外と多いな)がいるが、ピアノアレンジ曲リストにないのでこの記事の再生リストには入れない。

(下記の課題曲に作曲家として入ってる人はいる)

 

しかし。

いちいち書いてて思うが、こういうご案内の記事を作らないと認識が広まらないあたりが、やっぱり吹奏楽界はガラパゴス化してるなーと思う。

(野球応援とかで身近に触れる機会もあるかもしれないが、そもそも吹奏楽が盛んな地域じゃないと部員そのものも減ってきてて、野球応援に吹奏楽部が出ないところもあると聞いた。)

というわけで、ピアノ配信で吹奏楽曲やマーチを取り上げてくださり結果的に吹奏楽文化の普及に貢献してくださってるござさんには感謝しかない。

 

さて邦人作曲家の分類には、吹奏楽界隈がガラパゴス化してる最たる要因?というか逆に存在意義であるともいえる、コンクールの課題曲を入れなければならない。

コンクールの課題曲

原曲動画の再生リスト(12曲)

吹奏楽の課題曲 - YouTube

 

1974 高度な技術への指標 [河辺公一]

曲名がそのまま難易度を表してるというよりは、どっちかといえばこれはJAZZ枠。

1977 ディスコ・キッド[東海林修]

https://www.youtube.com/watch?v=qvDMj2DgVVg

演奏:ブヂリストンタイヤ久留米吹奏楽団

↑ この2曲は70年代にしてJAZZとポップス枠なのがおもしろい。ちゃんとグリッサンドとかソロとか、素人には無理レベルのパートもあったりする。

これらの2曲だけ70年代なのだが、名曲だけあって今でも演奏会で取り上げられたりするし、どこかでござさんも聞いた事があって耳に残っていたのかもしれない。ジャンルもポップスとJAZZだし、ござさんの何のジャンルの音楽も習得したいという知識欲に触れたのかもしれない。

 

1990 カタロニアの栄光 [間宮芳生]

演奏:イーストマン・ウィンド・アンサンブルの来日公演時の録音
指揮:ドナルド・ハンスバーガー

 

演奏:陸上自衛隊中央音楽隊  指揮:野中図洋和

サムネ画像のとおり、この曲はスペインの建築家ガウディに敬意を表して作られた。

 

2003 イギリス民謡による行進曲 [高橋宏樹] 

この曲でイギリス民謡の雰囲気が気になったひとはヴォーン・ウィリアムズの曲を聞いてみるといいかもしれない。

演奏:大阪市音楽団

 

2003 マーチ「ベスト・フレンド」 [松浦伸吾]

演奏:天理高校

 

2004 エアーズ [田嶋 勉]

 

2004 吹奏楽のための「風之舞」 [福田洋介]

 

2005 ストリート・パフォーマーズ・マーチ [高橋宏樹]

 

 

 

2011天国の島 [佐藤博昭]

 

2015 マーチ「プロヴァンスの風」[田坂直樹]

 

(おまけ:京アニのアニメ響け!ユーフォニアムの動画。舞台のモデルは尼崎市民会館アルカイックホール)

www.youtube.com

2021 僕らのインベンション [宮川彬良]

 

 

コンクールの功罪は色々と語られていて、勝つためだけの演奏やら音楽性に欠けるとか揶揄されているけど、そんなコンクールで実際に勝てて県や地区代表になれるほんの一握りの実力派団体の話はしていない。

今も昔もコンクールっていうのは舞台とか演奏会に立つ機会の少ない少人数部活の年に一回の目標で大切な存在だ。毎年新しく作られる課題曲には1枠れっきとした作曲家賞が設定されていて、新人作曲家の登竜門にもなっている。

スウェアリンジェンなどの曲と共に、初心者が最初に出会う曲として、進度に合わせた各難度の曲を複数揃えることはコンクールを主宰する吹奏楽連盟の大事な使命だと思う。

日本では学生が吹奏楽人口の大部分を占めるなかで、コンクールが果たす教育的意義は大きいので、一方的に否定とか非難しないで、実際にコンクールの現場に足を運んで、目標に挑戦してる学生の演奏に耳を傾けてはどうだろうか。

ござさんのピアノレパートリーに10以上課題曲が並んでて、確かにござさんは吹奏楽部の活動が楽しかったんだと思われる。楽しかったからこそこうしてその時の経験と知識は血となり肉となって今のピアノ活動に活かされているのだともいえる。



「ござ コンサートツアー2026 -Evolution-」 6/14名古屋公演のレポ

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

資料コーナー:ツアー関連記事

※ござさんのツアー 尼崎の感想

※グッズとアルバム発売ライブのスピンオフ編 in 関西


※ござさんのツアー 静岡公演の感想

※名古屋公演の日、午前中に行った犬山周辺の記事(ピアノと関係ない)

 

 

この記事はござさんのソロツアー 6/14の名古屋公演の記事です。

 

上記の資料通り、当日はぎりぎりに会場に着いたわけだけど、ぎりぎりといっても開場時間にちょっと間があるくらい。なぜか開場時間まではロビーに入れない?とかいう謎の事態になってて(ロビーがそんなに広くないから?)、なぜか入り口から非常階段含めて会場に入れるまで並ぶっていうよくわからんことになっていた。

アレルギー出るくらい行列苦手な自分としては、待つ場所が無いなら、自由にロビーに入れるようになるまで1階とかで時間潰せば?(ホールは9階)って思ったが、並んでる人はまあいつもコンサートで会う面々だったので、話をしながら待つのも悪くないかーと思ってとりあえず並んだ。

……いうてコミュ障の自分は結局、FFさん以外とはあんまり話できなかったんですけどね(汗

 

ミクロな視点からマクロな活動

今回初めてツアーを複数個所(札幌以外の全部)回ってるんですが、去年言われていた通り、どの会場の演奏も同じ曲なのに違って感じられた。

(曲によっては、部分によっては同じ解釈だなと感じるものもあった)

こうした多角的な表現は毎週欠かさず続けられている(ツアーも合間を縫っての)生配信と、また月刊ピアノの連載などに裏付けられた膨大な量の出力による賜物なのだろう。ござさんは何かに教わるとか学ぶとかいうより、ご自身で実演し、試しながら身に着けていくタイプらしい。

恩師というならござさんが通ったピアノ教室の先生は、基礎と技術を叩きこんでくださったという意味では教えを仰いだ師といえるだろうが、しかし真のステップは実際の音楽の世界そのものな気がする。ピアノの先生はござさんのこうした探求を妨げなかったという意味でも恩師なのではないか。

誰にも指針を求めずに独自に学びを究めていく姿勢は、先例とか道標とかないだけに、行き先を見失っているようにも映る。

しかし折々のインタビューでは、活動において足元がはっきり見えている気がする。

spice.eplus.jp

 

※2ndアルバム時のインタビュー

spice.eplus.jp

 

ござさんは、あくまでも現場のフィールドワークという足場を離れずに、ひとつひとつ検証して学びを深めていっているようだ。

 

これらを踏まえて、一見すると個としてしか存在しないものが、線として、面として繋がってきたのかもしれない、とコンサートを回ってみて感じた。

それぞれの曲のアレンジ、毎週の配信、毎月の月刊ピアノ連載と楽譜。

投稿動画の収録、そしてアルバム音源の収録。

様々なテーマでの演奏会。

ござさんは寡言にして語らないけど、アルバムタイトルになっている進化と変化というのは、折々の演奏が彩りも鮮やかに鍵盤の上に映し出してくれる。

 

はっきりした展望を持ちながら道程を歩んでいることが伺えるのだ。

この点がござさんのピアノを楽しみにして待ち続ける理由なのかもしれない。しかもこの歩みは歩調も変わらないけどしかし決して止まらないのだろうなと、根拠のない確信をもって断言できるので(シロートなので理由はわからないけど)。

 

格調高い場所(噂はあてにならない)

さて今回、静岡のホールは小さなシューボックス型のサロンみたいなところで、ステージも身近な感じだったけど、名古屋の会場はどんなところなのか。

そこで事前にFFさんの声を聞いてみたところ、

FFさんA:「今池でしょ~?あそこ地下鉄駅から直結でね、便利なんだけどちょっと古めかしいんだよねえ」

FFさんB:「いやー名古屋はいいホールいっぱいあるんだよ。なかでもあそこのガスホールは老舗でみんなおなじみというか、要するに設備が、音響が(以下略)」

とかいう話を耳にした。

自分は前述の通り東海地方には修学旅行で来たっきりで土地勘がないのでネットで調べてみたけど、綺麗なところじゃないですか?という感覚でしかなかった。音響が、設備がってどういういことですか?という疑問を抱いたまま、現地へ赴く。

 

(開演前のホールのようす)

 

現地に着いてみたらロビーも豪華なレリーフが施されていて華やかだったし、ホールの中もこのとおり古めかしい感じとかしなくて、端正なビジュアルでかっこよかったんですが。

築40年くらい経ってると言われればその通りでちょっと懐古調っぽい雰囲気はあれど、FFさんが言葉を濁してる理由が自分にはわからなかった。

当日の楽器はスタインウェイのグランドピアノだったようで、スタインウェイの本来の響きとホールの関係をどうこう言ってる人もいたようではあったが、自分らはござさんのピアノを聴きに行ったのでありスタインウェイの音色を聴きに行ったのではない。

楽器から発する自然な音色を大切にするコンサートとはござさんの演奏は一線を画すると思っている。ござさんの演奏とピアノの相性は自分はいつも気にして聞いているので、そういう意味ではいいコンビだったなあと思っている。

 

ロビーには今回もグッズとアルバムの販売ブースが並んでいた。

少なくともこのグッズ販売スタッフ、またアルバム制作やアルバム連動の楽譜を通じて、ござさん以外の人たちがボランティアではなくちゃんと職員として携わっていることが可視化されてきた感じがする。

ござさんが全部手弁当で作っていたコンサートとグッズの時代を思い出すと、その頃とは別次元で各分野にプロが関わっるのがはっきりとわかってきて、ござさんはますます純粋にピアノの練習と公演、楽譜のアレンジに没頭できる環境が整えられてきたのだなあ、と思うと感慨深い。

アルバムに収録された音源が、いつものYoutube配信が、さらに洗練されてきていると感じるのは気のせいではないだろう。

 

ござさんはいつも通り開演時間どおりに(そらそうよ)、拍手に迎えられてステージに現れた。拍手と言ってもこのこぢんまりした会場は満席になっていたわけではないが、しかしツアーの目的は現地民のござさんのピアノをはじめて聴く人に楽しんでもらう事なのだろうと思ってるので、たぶんチケ買えなかった人はいなかったと思われるからいいんじゃないか。

衣裳は昨日の静岡と同じと思われるパリッ?とした生地のスーツに黒いシャツ、赤い光る素材の蝶ネクタイ。

赤い蝶ネクタイ………?

ござさんコナン君になったの…?それ取り外してトランシーバーにして喋り出すの?(気のせい)

 

 エリーゼの変容
 忘れられた街

名古屋のコンサートは後から振り返って見ると静岡と曲順は変わらなかったという事実に驚いた。

でもそれは結果論だ。聴いてる途中ではまさか曲順まで同じだったとは夢にも思わなかった。それくらい毎回違う演奏に思えたので。

でも曲想の大枠は外してこなかったと思う。

というかツアー行って3か所目になってくると、アルバムをスマホのiTunesに入れて聴き倒してたのもあるけどもう曲自体を暗記してしまって、(百人一首の上の句と下の句を競技かるただと一瞬で連想できるっていうくらいのレベルで)だいたいござさんのアルバム曲は思い出せるようになってしまったから、というのもあるかもしれない。

だからござさんの演奏が羽目を外してるのかどうなのか分かってきて、聞いててアドベンチャー気分が削減された気がしてきた。

曲全体のイメージとしては、仕上がりがクラシック枠に設定された2曲なのかなと思った。

しかし大枠は外さない範囲で、ちょこちょこ遊んでた気はする。

エリーゼの変容で短調ぽい左手アルペジオがイントロの中に織り込まれて、なんとなく全体が不協和音でまとめられてたり。

忘れられた街も中間部はテーマが変形、変化していくとこでアドリブの即興ぽいのが入ってみたり。

アルバムの副タイトルがJAZZ Collectionとなってるが、毎回違う即興性と創造性をJAZZ風と呼ぶならござさんの演奏にはJAZZ風の傾向を帯びている部分もあり、そうしたアレンジの変化する途中という意味では確かにJAZZ Collectionかもしれない。

ただ、保守的なスタンダードJAZZを想定して聞くと予想とは違うものになるだろう。

 

突発的な事案(個人的に)

この回の感想、特に前半部分がさっぱりした内容にとどまってるが、というかその影響で後半もさっぱりしがちだと思うが、名古屋で見てた席が船酔いみたいな気分で演奏もステージもあまり確認できなかったからだ。

なぜかというと自分の前の席のひとが、なんか時計の振り子運動みたいな感じで常に揺れてて、ちょうど自分の視線とステージのピアノを結ぶ線上にその揺れてるひとの席があったため、演奏をよく見ようとして目を凝らすと酔ってきてて駄目だった。

そっか目をつぶればいいんだ?と悟るも、それじゃ現地に来た意味なくない?と割り切れなくてスタッフさんに申告し、中間の休憩時に席を変更していただいた。そのため後半の視聴は船酔い状態からは免れたが。自分の斜め後ろに座ってたひとも同様に自分が移動した付近に来たが、やっぱ周りのひとも同様に見てて酔ってきて駄目になったらしい。

しかしあくまで個人的意見を聞き入れてくださり、席変更に対応してくださったスタッフさんに感謝です。いままで吹奏楽も含めていろんなコンサート行ったが、こういうこと初めてだった。しかし無理な時は我慢せずに申告することも大事だなと思った。

 

コンサートの前半の感想はこういう船酔いみたいな感じでメモしてたので、いまいち解像度が低いか、または焦点がぼやけているが、長い間ピアノ聴いていく中でこういうこともあるよなと妙に納得できた。ホールにはいろんな人が聞きに来て、いろんな座席に座ってて、そのなかではこういうことも起こりえるんだなと。

-----MC-----めんつゆの考察

ここで挟まれたコンサート最初の挨拶は通常の内容の範囲を出なかったので詳しくは割愛する。

すっきり前髪をタイトにセンターで分けて知的な印象だけど、それにしてもどんどん痩せてきてる気がするな?ピアニストはコンサートごとに2~3kg痩せるっていうけど、それならこの連日の設定は無理があるのではと思ってしまった。だって尼崎の時点で明らかに痩せてましたもんで。スリムとかかっこいいとか表現は色々あるけど、あのエネルギー全力放出の演奏に耐えられるのか、スタミナ不足で倒れないのかいつもハラハラする。

ピアニストはアスリートですので体が資本だと思うから。

(でも時々自炊のメニューをツイートされていたのでちゃんと食べてるんだなと安心はしているが)

 

MCの内容はざっと思い出したところでは、静岡のコンサートで後半にアルバムリリース記念ツアーだったなという事を思い出して最後にアルバムの宣伝を挟んでみた、などと述べられていた。

そうそう、Youtube動画からアルバム音源、それからYoutubeの毎回の配信とこのコンサートツアーという括りで聴いてる身としても、演奏とアレンジと楽譜の流れは一連のものとして確かに実感できる気がする。

ここで述べられてる宣伝というのはコンサートの現地に来られてる一見さんに伝わってるといいのだけど(消極的)。

そんな通り一遍の尼崎でも言ってたかもしれない内容はおいといて。

 

ござさんのトークとしては、

・個人的には年末に引っ越しをしたというのが大きな変化といえる

・新居の特徴はハエが出ることで、別に生ごみを出しっぱなしにしてるわけでもないので原因がわからない

・ハエに効果的なのはめんつゆという知識をみなさんと共有したい(何のことだか)

 

だいたいこういうセリフを言われてたような。(曖昧な記憶)とにかく、話題は全部はハエとめんつゆがかっさらっていってしまった。なんでピアノコンサートでハエとめんつゆになるんだ?どうして?

これを素で言ってるのだとしたらそれはそれで才能じゃないですか?

静岡の、ピアノの音も綺麗でみなさんもお綺麗で…のくだりに続く、活きのいい天然ネタ。なんのこっちゃ。

でも閉鎖的空間のマンションで虫が発生すると確かにちゃんと駆逐するのは大変そうである。ピアノに専念できない環境っていうのは問題だ。

 

※ちなみにマジレスすると。ござさんの言ってたのは種類別にはハエじゃなくてコバエらしく、コバエは市販の薬品トラップの原料を見ると中身はやっぱり酢の物みたいな材料のゼリーが入ってて、要するに醤油と酢の成分がコバエの好物だから引っかかるらしい。あと、網目というか渦巻をたどる性質があるからフタは渦巻き状にスリットがあるといいらしい。

ということは?

めんつゆは醤油とダシとみりんだから酸っぱい成分は無いはずだ。どうせ仕込むならぽん酢というか、ぽん酢醤油がまさにそういう成分構成だからピッタリなんじゃないの?どうせトラップを手作りするならちゃんと対策取れば?と思う。

(ピアノコンサートの感想です念のため)

 

ハミングがきこえる

THE GARDEN OF EVERYTHING 〜電気ロケットに君をつれて〜

(この二曲は尼崎・静岡とアレンジというか曲調が同じだったので感想メモは省く)

曲調が静岡と同じだったというか、この辺から上記の船酔い現象がひどくなってきて自分のメモが曖昧になってるため。ピアノ聴いてるどころじゃなかった。一瞬、帰ろうかと思ったレベルでひどかった。次の曲との間のMCも含めてここから前半終わって休憩までの記憶があんまりない。

 

この二曲は冒頭のクラシック風な枠とは区別して、自分的にアニソンポップス枠と呼ぶことにした。ござさんはJAZZっぽい要素の枠として採用されたとMCで言われていたが。

 

エチュード幻想曲
「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズ

ここもピアノの演奏はほぼ聴けなかった。ただこの二曲に限っては、ここのホールとピアノの音は好きだなと自分は思った。スタインウェイでいうところのステレオタイプとは違うと思ったけど、

ござさんはホールに合わせてピアノの響きをコントロールして最適化してるように感じた。

それ地味に難しいと思うんですよね。(シロート感覚)

曲の感想から逸れるけどエチュード幻想曲は、アルバムのインタビュー記事にあるとおりCHOPIN SYNDROMEとは違って全体的に癒し系にアレンジされている。優美な黒鍵のモチーフが穏やかにホールに響く。前のJAZZとPOPS枠が左手16分ビートを駆使した忙しさだったぶん、ピアノそのものの美しい音色がストレートに味わえた。

「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズも展開はドラマチックだけどこの曲は全体がクラシック曲のサビみたいなノリ(の展開形)でここは素直にピアノの良さに浸る時。

(このとき船酔い状態がひどかったからか、自分のメモにはピアノがいい感じとだけあって、ほんとに演奏そのものに癒されていた)

ここで津軽海峡の終わりかけのタイミングでフライング拍手がきた(と思う、たぶん)。そこで計算高い自分の脳内では船酔いも吹っ飛んで一瞬にして演算されて

「えっそれって今回は一見さんもいるってことですよね、この多くない客数のなか、ありがとうございます、よかったらござさんのピアノ好きになってくれたらいいんですけど」

とかなんとか不謹慎な思考がよぎった。いえ、演奏会としてはフライング拍手は無い方がいいのは存じてます……ていうかフライングでもなんでも、演奏終わるなり拍手したいなって思う人がいてくれたという事実に感謝したいです……

 

そういえば。エチュードの前のMCだったか、いきなりござさんが左手でマイク持ったまま曲の解説をし始めたのが静岡とは違う点だったかも。右手だけで曲に編み込まれてる三つのエチュードのモチーフをなにげなく弾いていく。そのようすがなんともスマートで見ててうっとりするのだった。

 

ここまでの感想は省略形です。上記の通り、自分の手元のメモもほとんど残ってないので。

(休憩を挟んで)間奏曲

後半は他の公演と同様、休憩後にMCを挟まずに演奏から始まった。

静岡のときは跳ねるような軽いステップで全体を刻んでたけど、あの時はピアノが好きなタイプだったからか、東京から初めての場所に来ての演奏でちょっとわくわくしてたのか、実際のところはわからない。

名古屋では穏やかで落ち着いた演奏でコンサートの後半が幕を開けた。前日に比して違いを出す意図もあったのか、ツアーのアレンジがだんだん地に足をつけたものになってきて、息するように操れてる?というかござさんの実験場と化してるのかもしれない。いつも家で電子ピアノで配信してるし、そのノリをこうした現地のホールでの演奏に持ち込めてるというのは、非常に普段通り、落ち着いた冷静な状態でやれているといえるんじゃないだろうか?

(ここまで全部想像)

このあとのMCにおいて、ござさんが楽曲を解説されていたところでは

・シンプルだけどおもしろい曲

・他の曲がアルバム候補に入った後、オリジナル曲を考える過程で考えた

・エリーゼの変容と共にゲーム音楽風というか民族音楽風の曲が欲しいなと思って作った曲

そう考えると、コンサート前半がクラシック枠?とPOPSアニソン枠だった可能性があるのに対し、この間奏曲とエリーゼの変容(←クラシック枠でもある)=ゲーム音楽枠っていうつもりなのかもしれない。

RPGゲームの戦闘曲以外の場面で、BGMに使われてそうな感じがある。

(みんな大好き)リクエストコーナー

今回のツアーではリクエスト曲はチケット注文時に(おもにネットで)応募というか投票する形になっていた。そのため採用されるかどうかはともかく客席からの挙手により曲を募集する形式は今回は姿を消した。

おもむろにA4コピー用紙を取り出し、譜面台に並べ始めるござさん。

やたら手際よくなってきた。

ステージの場数を踏むことで、段取りだけではなくて演奏自体にも影響が出てきてる気がする。

アルバムのインタビューで

「(デビューしてすぐの頃に)コンサートで演奏しながら、客観的な耳で自分の演奏を同時に感じられるようになった」

とあるから、最近のアルバムにもそうした感覚が取り入れられているらしく、聴いててより自然なアレンジに聞こえるのはそのおかげかもしれない。

 

 

今回のリクエスト曲一覧を見ながら、ござさんはひとりで「ふーん、なるほどー」とか言う(言ってたと思う)。

それから譜面立てを眺め、いつもの配信でメドレーを弾く時みたいになにげなくアルペジオのイントロから入った。あまりにも自然すぎて配信の現地収録でも見てるのかと錯覚するくらい。いつもと違う点を挙げるとすれば?

やっぱり有料コンサートにお運びいただいたお客様がリクエストしてくださった曲という背景があるからか。リクエスト曲は静岡の演奏に比べても、より原曲に近いイメージで再現されていた。この曲のここが好き!こういうイメージが好きだから演奏してほしい!という熱意に応えたという気がする。お客さんからチケット料を代償に出された希望なのだからどの曲にも様々な思いが込められているはずだ。

・スペイン

 アランフェス協奏曲のモチーフで始まるイントロ含めて原曲を踏まえた演奏。それからメインテーマをSwing調に崩してて、時折ラテンのリズムに戻りながら熱量が高まっていく。そしてスペインと言えばっていうオクターブ高速ユニゾンでおなじみの有名なキメからアドリブになだれこみ、客席も巻き込んで鬼気迫る展開。その勢いはもう誰にも止められん。

・パリは燃えているか

そして、はたと思い出したように、物悲しい雰囲気にがらっと変わったかと思うとこのテーマが流れ、きっと客席の誰もがあのNHKスペシャルの白黒の画面を思い出したに違いなかった。

・All The Things You Are

演奏自体は、昨今の配信ではもう珍しくなったオーソドックスなスタンダードJAZZだった。

ただこの曲がきて、客席の方々はそれぞれに思うところがあったかもな?と推察する。

自分もいろいろ考えた。配信で最近多く演奏されてるのはJAZZ風アレンジで、こういった元々JAZZ曲として知られたいわゆるスタンダードは影を潜めたというかあまり姿を見なくなった。

それだけに、またアルバムタイトルにもJAZZコレクションとあるだけに、そして何よりござさんの独特の和音運びによるJAZZアレンジはみんな大好きであろうだけに、ここでリクエスト曲として弾いてくれて、自分はしみじみと感慨深く懐かしいJAZZの音に耳を傾けたのだった。

しかしアルバムタイトルにJAZZと掲げられてるのは、ある意味こうした世に知られたJAZZをやるというよりは、アレンジやアドリブが自由とかそういう意味なのかもしれないなと思った。そういう方向に進化してる途上っていう意味というか?

 

今は昔となった第一回ねぴらぼの直前(2020/7/17)、おそらくピアノスタジオで缶詰になってグランドピアノをひたすら弾き込んで練習してたであろうござさんが、その合間に、ファンにとってはファンサービスとしての(メンバー限定公開の)動画として、当時は珍しかったグランドピアノの動画でこの曲をYoutubeにあげてくださったことも懐かしいです。

思えば遠くに来たものです。

これ書いててもしみじみと感慨深いです……

 

・幻想即興曲

ここまで原曲に忠実にやってきて、ちょっと魔が差したのか、今までも投稿動画や配信で散々アレンジしまくってきた幻想即興曲だから思わず手が滑ったのか。ござさんならではのいたずらっ子な一面が顔をのぞかせるかのように、ちょっとだけ右手がショパンエチュードのエオリアンハープみたいな変則型で、それから原曲に戻ったかと思うとさらに短調?か何か不穏な感じに変えられててこの曲だけ自由に走り回っている感じがした。

 

・ラストに四曲の短縮メドレー

それから思い出したように一曲目のスペインのテーマに戻り、それから順に四曲を短くしてダイジェスト版と称するかのように弾いていく。

個人的にはこのラストのダイジェストコーナーが好き。尼崎と静岡でもあった(たぶん)と思うし、投稿動画のストリートピアノでもラストによくダイジェスト版をつけていた。

メドレーを聞いてどのアレンジも心に刺さるものがあるなーと浸ってるとこに、もう一回多く回しときますねってちょい出しして並べてくれる。最後まで詰め込めるだけ詰め込んできて意地でも手を抜かない。

「もっと楽しませてやる」っていうあふれ出るサービス精神を感じる。(思い込みですか?そうかもしれませんが勝手に解釈するのはファンの特権なのでそっとしといてもらっていいですか?)

(下記動画の字幕から引用。え?情報が古い?すいませんね……)

www.youtube.com

 

自由なコーナー

リクエスト曲に続き、MCのマイクを執るやいなやござさんは「もうちょっと自由にやるコーナーにしましょうか」とかいう趣旨のことをつぶやく。(台詞は要約で、そのままではない)

客席は一瞬「えっ」とか「Σ_('ω'_ )_ファッ!?」とか、一瞬だけ呆気に取られてた気がするが、しかしすぐにホールの空間は歓声とわずかなどよめき、少しの苦笑と万雷の拍手で埋め尽くされた。

ござさんの真骨頂は即興演奏とアドリブです。その場で自由にやるのが一番輝く。そこに異論はないですね?(強制的)

だからこそ曲名だけその場で決めてつないでると思われるリクエストコーナーを楽しみに会場に足を運んだファンも多いと思うが、それに続き実質即興コーナーのいわゆるアンコール状態としてもう一曲やってくれるとはまさか誰も思ってなかったはずだ。

なので青天の霹靂というか、降ってわいたご褒美というか、運を使い果たしたというか、なんでもいいから客席のファンはみんなこの幸運な時間を共有すべく、運命共同体として(大げさな……)静まりかえって演奏を待った。

そこに一定のシンプルな伴奏系の右手で始まる有名なイントロ、つまり久石譲のSummerだ!と客席は暗黙の了解のうちに無言で顔を見合わせるかのように胸を高鳴らせた(ように見えた)。夏の曲!ござさんはやっぱ夏男!みたいな、客席の無言の盛り上がり。

イントロのシンプルなリズムに左手が高音部にクロスしながら夢幻なイメージで演奏は始まり、それから自由なパターンに姿を変えていく。

高速スタッカートの分散和音を伴いつつさらに左手がクロス

↓

2連打和音によるテーマなどモチーフを様々に変化させていく

↓

ワルツ風から壮大風のクライマックスへ怒涛の展開、さらにダメ押しでこの部分を2連続繰り返してラストへ

シロートが思い出した限りではこういうアレンジ。

 

はっきりいってこういう一曲を無限に組み合わせて編曲してるの大好きなんですよね?

そういう発想あったのか!って聞いてて度肝抜かれて常に驚きっぱなしなのが楽しいです(もはや中毒)。しかし全体として統制が取れててちゃんとスマートにまとまってるというなんか手品みたいな、職人技。それを一瞬で考えてるという謎の現象。

(↓ 参考動画。つまりこういうパターン。え?資料が古い?すいませんね……)

www.youtube.com

 

-----MC-----

ござさんによると、Summerについて「弾いてみた動画でおなじみということで、やってみた。夏の思い出の曲でもあります」という趣旨の説明をされていた。

しかし今年の夏はエルニーニョ現象にはならないのではないか、ここ二年ほど続いた酷暑にはならないのでは、という見通しも話されていたようだがさてどうなるか。

 

ワルツ第1番

「名探偵コナン」メイン・テーマ

ここでのワルツは、静岡と同様にアルバム音源に沿ったものだったと思う。というか楽譜第一弾として紙媒体でコンサート会場で売られていた曲リストにこの曲も入っていて、要するに、シンプルな展開で速度もアレンジもおとなしめで初心者に優しいですよってアピールなのかも、と聞いてて思い始めた。

簡単ですというアピール。

しかしそれは甘言を弄して近づいてくる幻術師みたいなもので、ござさんの不断の努力と貪欲な探求心、そして何よりピアノ練習自体が心底楽しくて三度のご飯より大好きっていうござさんだからこそ、結果論として簡単になってるにすぎない。

ござさんのアレンジはどれも一筋縄ではいかないし、単純には解釈できない和音が豊富に盛り込まれてるし、リズムもこっそりと難解なのを紛れ込ませている。練習すればするほどやりがいを見いだせるというか、噛めば噛むほど味が出るスルメみたいなものか(違)。

 

それに対し次のコナンのテーマもまたアルバム音源に沿った解釈で、これもまた公式楽譜第二弾としてアルバムタイアップ(電子版のみ)の楽譜があとから発売されていたと思う。この曲もまた練習したら演奏できるよってアピールですか、ござさん。そんな冗談はともかく。

コナンはこの日の公演の白眉だったといっていい。

素晴らしい仕上がり。息を呑む展開。客席もステージと一丸となってまんじりともせずに、ござさんの指が鍵盤を走るその一挙手一投足を見守る。

ホールの素晴らしい響き、スタインウェイの重厚な音はコナンによく合っていたと思うしこの曲の劇的な展開と演奏効果を存分に引き出していたと思う。

そのくらい、この曲のリズム感というかダイナミクスというか解釈が板についてきた気がする。

飼いならしてきたていうか、掌中に納めつつある。

 

-----MC-----

コナンのYoutube動画(アルバム収録時なのかもしれない)について語られていた。

・録音が一番大変な曲だった

・苦行というにふさわしい

・この曲の5分に何十テイクと繰り返したことか

・やってるうちに左手がゲシュタルト崩壊してたのがトラウマとしてよみがえる

もうなんか涙なしには聞けない。どの曲も、少なからぬこだわりと、こうした苦難を乗り越えて獲得された末の境地なのだ。そう思うとなおさら愛おしく、大切にしたくなる。

 

確かに全然曲が弾けなくて、延々繰り返してるうちに曲のリズムがゲシュタルト崩壊してきてよくわからなくなり、しまいに脳内をエンドレスで回り出すってことならありましたけど。シロートの自分にも。

え?シロートの練習とこの曲を一緒にするな?

すいませんでした……

 

そして「次でコンサートの最後の二曲となります」ということが語られると、客席からお約束のコールとして「ええぇ~~~~~!」と親しみを込めて野次が飛ぶ。ござさんは苦笑しながらツッコミをいれてきて「なんか、いいともみたいですね」とのたまった。そしてすぐ「あ、通じないですね、すいません……」と修正される。

いやいやいや、いいともは来場してたファン層からいって全員に通じてたと思うんですけど……ござさんの年代から一回り下はもうわからないようですが。

 

家路

リクエストコーナーと自由なコーナーで自由なござさんの素顔を堪能したつもりだった。

しかし自由なござさんの真骨頂はこっちの家路で存分に発揮されていたのだった。

それもコンサート後に感想書いてるから言えるのであり、現地では、他の曲同様にアルバム音源に準拠してるのであろうという先入観から聴いていただけに余計衝撃だったというか。

既定路線で音源通りに演奏を発表していくのは見合わせたのだろうか。

ファンとしてはこっちのが面白いですけど。

もうアルバム発売して半月経つから、あらかたファンの間には行きわたったし演奏の内容もひととおり聞いた事があるっていう設定になって、じゃあアレンジのセオリーからちょっと逸脱していこうか!?という方針に切り替えられたのだろうか。

なんか僅かな間隙を狙ってきっちり遊びを入れてくるスタイルですか? 

油断も隙もないですね……(喜んでる)

アルバム音源は、いわば原曲のドヴォルザークの楽章をそのままバラード展開した感じだ。そこにテンポというか拍にJAZZ風なゆらぎを持たせている。

 

そこで名古屋での演奏は全く同じ体裁を辿らず、正反対だった。

冒頭、16分音符のトリル?アルペジオ?の中にメインの旋律が混ざる。テーマはシンプルだから隠されてもすぐわかるのだ。

↓

その次は、原曲風というかゆったりバラード風になるが、しかし使われてる音が現代的でどうやらシティポップ風に仕立てられている。

↓

その後アルペジオで豪快なキメを入れつつ一気にヤマ場へ盛り上がっていく。

↓

そこで左手に謎和音がねじ込まれ、テーマは壮大風に展開してて重厚な聴きごたえ。

↓

キラキラ宝箱からはじけ飛んだみたいな可愛いコーナー

↓

シンプルで穏やかな和音とリズムに戻る

↓

静謐に幕の合間を一区切りする

アレンジはコンテンポラリースタイルのテーマになりつつ、次の宝島に変わっていく。

宝島

そして宝島はアルバム音源の展開通りで演奏された。

このアルバムアレンジが既に十分複雑で難解だからというのはあるかもしれない。ござさんは吹奏楽部でたぶん演奏されたことはあるのであろう、おなじみの曲のはずだが、しかしこれを暗譜で演奏できるのは驚異に値する。

T-SQUARE&吹奏楽版 の両方がミックスされていてしかもパートごとに分散して埋め込まれてる感じだから、ちょっと目を離すとわからなくなる。

吹部民の自分としては、この曲はイメージ通りにやってほしいところなのでまたホールで聴けて嬉しかった。

 

アンコール---少年時代

少年時代って?夏は今からなのにもう終わるんかいっていうツッコミはなしです。ていうかまじで夏はこれからなのだから、夏は来ぬとか、サザンとか、夏っぽい曲ほかにもあるんだけどなんで少年時代になったのかは知らない。

 

とにかく、ここで前回の尼崎と静岡同様、影アナウンスが流れてアンコールの撮影やネット投稿のルールが語られた。

ちなみに名古屋ではこの角度から客席の映り込みもなく撮れたので、載せてみます。しかしほかにもたくさん画質も音質もいい動画がたくさんTwitterに上がってるので、各自検索してください(この記事の投稿が遅いだけで、これ読んでる方は全員とっくに動画を色々検索済みとは思いますが、念のため)

 

ござさんの大盤振る舞いなところはツアーのどの回のアンコールもフル尺でネット投稿可能って点です。

ござさんのファンやってて良かったなと思う。

(※やっぱこうした即興演奏がござさんのアレンジで最も光るところであるので、クラシック曲みたいな既知の筋書きと違ってフル尺じゃないと動画見ても何なんだかアレンジの意図が伝わりにくいというのもあるとは思いますが)

自分は今年は都合がついたので4か所回ることにはしたが、来年は無理かもしれない。そうした制限が誰しも個人的にある中で、しかし場所ごとに違うアンコールをこうして分かちあえるのは、ファン冥利に尽きる。

 

このアンコールの多彩さも含めて、今年のツアー回ってて感じたのは、あらゆる点で総じて次があるなと感じることができたことが大きい。

そんなどっかの広告代理店の営業みたいな売り込むことばっか考えてどうするというツッコミもあるとは思うが、ござさんの演奏とアレンジと発想が素晴らしいのは論を俟たないし自分も今までのここでの記事を350くらい弄して散々語ってきたのでそこはいいだろう。

 

そうじゃなくて、このアレンジで、この形態で、ツアーのもとになったこのアルバムで、もっとほかのパターンも聞いてみたいな、楽しみだなって実際に未来像がはっきりみえてきた気がして、見てて個人的にはそこが収穫だった気がする。

いうてまだ東京公演が最後に控えてるわけだが。

最後に全体を総覧するのはその後になるが、自分は安心して東京公演を待つことができそうだ。

 

 

 

6/13静岡公演のレポ 「ござ コンサートツアー2026 -Evolution-」 

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

決め譜と即興アドリブ演奏

時間がないのでサクサク考えます。

この記事は6/13のござさんのソロツアー静岡公演の感想です。

 

このコンサートは3rdアルバムEvolutionのリリース記念ツアーでもあったが、でもござさんのピアノの根幹を成してるのはアドリブであり即興演奏だ。

アルバムの副タイトルにJAZZピアノコレクションってついてるが、これはガチのJAZZファンへのメッセージではなく、ござさんのアレンジが即興をメインに据えてるためにそのスタイルをJAZZと形容したのかもと思った。

でもアルバムに収録するということは、物理的に決まった筋書きによる演奏をござさんの演奏としてメジャールートにのせて売るわけで、そことござさんの即興との兼ね合いはどういう整合性を取るのか?

自分は考えていた。

それは1stアルバムが出た時からずっと考えていた。

この部屋の記事が2024年から以後書くペースが階乗の勢いで減ってるのは、その解決が自分の中でついてなかったからだ。2024年の2ndアルバム発売から、その内容はまだ自分の中では過渡期だったのかもしれない。そこに自分的にはっきりと解を示したくなかったのかもしれない。

 

生配信だとあれだけ遍(あまね) く世に存在するすべてのジャンルを掌中にして自在に操り、見事にござさんならではの音楽の世界を形成してるのに。

ござさんの演奏がCDとかの音源に収録されるのも夢ではあったけど、

逆に決まった音源になるということは、即興を型に嵌めてしまうことになる。

それはござさんにとっていいことなのか。

CDの販路に乗るということは、ござさんのピアノがYoutubeとかネット以外で初見の人の目に触れる機会が多くなることを意味するから、画期的な変化であったはずなのだけど。

 

まず3rdアルバムのEvolutionを手に入れてみて聴いて、そういう自分が勝手に抱えてた葛藤が気にならなくなるのを感じた。

即興の要素が決め譜に馴染んでいた。

また、録音も素晴らしくて、理由は分からないけどこのアルバムはエンドレスでいつまでも聴いていられた。

 

そんな今までと違うなという感触を手にしながら尼崎のコンサートに行ったところ、こういった決め譜として世に流通してるバージョンとはまた別の印象、しかし即興を交えつつもきちんと、この曲はこうっていう鉄則を崩さずに演奏されていた気がする。

ここまでは前回の感想で書いたかもしれない。

 

Evolutionというキーワードはこのアルバムのアレンジ、そして演奏そのものに懸かっているのだと思っているけど、つまり内容そのものだと思うけど、しかしござさんのソロコンサートそのものも試行錯誤からの変化を模索している最中なのかもしれない。

決め譜を披露する場のソロツアー、そこでどうその場ごとの特色を出していくのか。

まだその行程は五里霧中なのかも。

 

 

6/13(土)静岡の場合

都市の機能と、札ノ辻という場所

静岡市は古くは駿府と呼び慣わし、駿河と遠江の二か国を支配した今川氏の拠点として栄えたことは周知のとおり。そのあと時代は移って家康が隠居した場所として、また明治維新後は徳川慶喜が政権を譲ったあとに城下に住み、(当時は珍しかった)写真などを趣味として悠々自適の生活を送った所としても駿府の地は有名だ。

東海道五十三次の府中宿としても栄えた駿府城下、旧東海道の道筋に今回の目的地、札の辻クロスホールはあった(ビルの6階に)。

旧街道沿いで札の辻って言う地名は、城下町だし、高札とかが上がってた広場でもあったんかなと思ったら、たぶんその通りみたい。街道であり各地からの人々が行き交う場所には定期の市も立っていたのかもしれない。そこに官報である高札が立てられて、こういう人が集まる場所では処刑も行われたりしたがここがそうだったかは知らない。刑場は穢れでもあったからこうした日常の場とは隔絶された河原などに置かれた場合も多いので。(近くの安倍川あたりだったかもしれない)

とにかく駿府は今も昔も人々が、文物が、商人が行き交う要衝であったことに違いはない。今どのように要衝なのかといえば国道一号線、東海道本線、東海道新幹線、東名と第二東名高速が市内を走ってるくらい。名実ともに日本の大動脈。

しかし。ここは現代は県庁所在地ではあるが静岡の経済の中心地ではないのかもしれなくて、繁華街はこぢんまりとしていた。

なんかござさんのコンサートは、東京はどこでもいいホールがあるからよりどりみどりだが、地方でやるとき、こういう繁華な地域じゃないけど歴史があるみたいな立地のとこ選びがちじゃないですか(気のせいですか)?

奥ゆかしいというか。要するに選択が渋いなあと思った。

 

いつもどおり自分はコンサートの近所にお城とかあったら訪問する習慣があるので、当日の午前中は駿府城に行っていた。しかし戦国時代の遺構は石垣が残ってるどころか、全て地中に埋まってて発掘調査中とかいうことになってたので、僅かな江戸時代の石垣(右側の写真)でも貼っておく。

 

わざわざ遺構も残ってなかったお城の写真を貼ってるのかというと、札ノ辻ホールに行ったものの写真を撮り忘れたからです。ウキウキしてて忘れてたんです。正確にはアンコールの動画は撮ったけど他の席の人が映り込みすぎててここには上げられない。

なのでお城でお茶を濁しておく。

 

ホールとピアノのこと

実際に行って聴いてきた自分はここぞとばかりに言いまくることにする。

ここのホールで聴いたピアノの音は素晴らしかった。

小さなシューボックス型の空間で、壁に反響板?みたいな階段ぽい突起がある。

ホールの概要に、

「客席は平らなところにスタッキング型のイスを並べる」

という所だけを見て、客席に傾斜が無いってこれござさんが弾いてるとこよく見えないんじゃないの?とそれしか注目してなかった(ほんとうにすいません)。

実際、ピアノの演奏が素晴らしければ客席からの見え方とか些細なことはどうでもいよくなるものだ。現地に行ってみないとやっぱり本当のところはわからない。

どんな所でもどんなピアノでも、ござさんが弾くピアノはそのままござさんを体現してるのだから。

ホールの概要にピアノの説明も書いてあって、YAMAHAの小ホール向け規格CF6を置いてるということだった。

スタインウェイのコンサートグランドピアノで大きなホールで聴くのも華やかでいいんですけど。

この小さなホールでYAMAHAのピアノで弾くござさんはほんとうに気持ちよさそうで、音がいきいきしてて、聴いててなんていうか一目で相性いいんだなってわかった。

ござさんもいつか言われてたが(詳しくは忘れた)、

「ピアノって個体差あるじゃないですか。経歴も種類もいろんなピアノがそれぞれのホールにあって、ピアニストってそこのピアノと仲良くしなきゃいけないから、最初サラーっと指慣らしのスケールしながら触ってみて、どんななのかなって手探りで合わせていく」

というような(意訳)ことを言われてた気がする。ピアノスタジオでグランドピアノで練習するのもその場所のピアノの状態によって弾き心地は違うだろうし、本番で演奏するピアノとなると、むしろ弾く曲とかそういうのよりも楽器との相性が一番大事なのかもしれない。

そこで、ござさんは今回のピアノとものすごく仲良くなれてた気がした。相性がいいとござさんも気分がのってくるようで(そらそうよ)、ござさんってその時のノリで演奏がガラッと違ってくる気がするから、結果として静岡のコンサートは全体的にござさん節が炸裂しててすごかったのです。

ピアノの音も素晴らしく、アドリブも同様に。

そしてこのノリだと翌日の名古屋公演は移動も近いし、体力的に余計な負担さえなければ、日曜はより一層素晴らしいコンサートになるのは容易に想像がついたのだった。

 

※ついでに衣装のこと

たぶん尼崎のときと同じ?か、紺色か濃いグレーのスーツ。スーツは見た目のお洒落度を左右する重要なファクタ―だと思うけど、しかしござさんのソロコンサートにおいてはござさんはアスリートなので(そうですよねっ)、ござさんが着ていて楽そうなのであればなんでもいい派。ただ、ピアノを演奏する筋肉の動きを妨げるような窮屈なのは反対派。3時間の間にちょっと休憩するだけでマラソンにも通じるカロリー消費量の有酸素運動みたいな演奏してしかもアドリブとかその場で考えるとか、アスリートじゃなくてなんなんですか?

また、今回はスーツの中にはえんじ色のシャツに濃い緑色のネクタイ。どういう組み合わせだ…?と一瞬思ったけど、ここは静岡で駿河湾から美味しい海鮮が水揚げされるところだし…

シャツの色は特産の桜エビ?

緑色のネクタイはもうひとつの特産の緑茶?

( ↑ 特産の緑茶)

って一瞬思いついたところで、自分はそれ以上考えるのをやめた。

なぜならござさんは登場と同時くらいの勢いでまずMCじゃなくてコンサートの一曲目に入ってしまうので、自分も演奏に集中することにしたから。ただ、この発想は気に入ったので、その日は一日ござさんを見てもあーエビと緑茶なんだなって思うことにした。


コンサートの感想

当日ホールに行くともう開演五分前とかいう結構ぎりぎりで、お客さんはほぼ全員着席し終わっていた。そのようすをチラッと後ろまで見渡すと、ファンの贔屓目というフィルターを通したから?かもしれないが、凡そ全席埋まっているように映った。

それはそうなのだ、中部地方の人がいるのはもちろんとして。駿府こと静岡市は東京駅からだと新幹線で約一時間(?)、こないだの尼崎は都合つかなかった東日本方面の人とかもアクセスの良さから静岡には来ている可能性もあった。

なんにしてもこぢんまりしたシューボックス型のホール、お客さんの席からピアノまでもやたら近くて、後ろまでだいたい満席。

極めつけにピアノはYAMAHAのCF6。

嫌でも期待は高まる。

1 エリーゼの変容

2 忘れられた街

たくさん書くことあるのでサクサクいきます(名古屋編を端折るとは言ってない)

まず冒頭で2曲弾かれたんですが、この曲順は尼崎とは変えられていた。ござさんのアレンジはアルバムの枚数を数えるごとに普遍化していっているように感じられ、どのような順番とかシチュエーションで演奏されてもその場ごとにまた違った表情をたたえているように見える。

それが今回アルバムを何回聴いてもしっくりくる理由なのかもしれない。

見た目は標題音楽ではあるけど聞き手の解釈に身を委ねてくれている気がする。

 

この2曲のアレンジはアルバム音源に原則忠実に演奏されていたが、だからこそ尼崎とはまた違った印象になるのが自然と浮き彫りになった格好だ。

(もうちょいピアノのことをつぶやく)

ござさんの芯があってよく透る、控えめにそっと輝いている音、そんな本来の姿がストレートにホールの空間に可視化されたようだった。

余計な装飾がないかわりに、どんな表現もそのまま映し出す許容量をもっていた。キャンバスみたいな美しい空白にござさんの自由な言語が縦横無尽に描かれていき、ピアノのポテンシャルは無尽蔵に引き出されるかのように感じられた。

しかし。

どこかでよく耳にした、ござさんファンにはとてもよく馴染んだ風景のような、シンプルですこし角の取れた感触がするピアノの音。

なんなんだこの既視感は?

自分はこの感覚の正体をつきとめたくてしばらく客席で考えてたが、小さめのホール向けにフルサイズのコンサートグランドピアノを1サイズ小さく設計したようなピアノの躯体を見ているうちに思い出した。

たぶん、音を聴いた感触が、ござさんの2020.11~2021年末ごろまで続けられてたグランドピアノ配信のピアノの音によく似てるのかもしれない。

たぶん。配信と生ピアノの音っていう違いはあれど、機種も違うのかもしれんが、同じYAMAHA系統、親戚筋みたいな共通点があるのかもしれない。

爆音といっていいくらい良く響く音にもあまり圧倒されずに、無意識に親しみを感じれたのはそういう理由なのかも。

 

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スタインウェイが孤高に咲く一輪の牡丹の花みたいな、華やかに花弁をめぐらす印象とするなら、

YAMAHAはござさんの音と共通点多いと思うんですよね。

(個人的な主観)

印象をいうなら真珠みたいな感じ?

粒が揃ってるといえばそうだがござさんの真骨頂は左手の自動化された16分ビート奏法に隠されたわずかな拍のリズムだと思うので、揃ってるというよりは、真珠みたいな粒が滝つぼに落ちていって辺り一面に霧がかかり虹が出てるヴィクトリアの滝みたいな?

 なんか話がそれた。

えーとなんだっけ。

エリーゼの変容の冒頭だけ、つまりコンサートの冒頭だけ、慎重に始まった気がする。シンプルな原曲に近い旋律で始まる曲なのもあるけど、リハーサルはやってただろうけどお客さんが入っての音響ってまた違うと思うので、あくまでコンサートのイントロは楽器の調子を確かめてるのはあるかもしれない。それはどのコンサートでもどのピアニストでも同じなのかもしれないけど。

で、そこで、このピアノの音好きかも?って思われたのか、そこから一気に伸びやかな演奏に変貌していった。音って言うか鍵盤の感触とか?具体的にはわからんけど。

アレンジを加えながらも原曲の面影を残している演奏から、折り返し地点を迎えて、「ゲーム音楽ふうなエリーゼのために」という概念でいうと戦闘シーンというかボス戦みたいな緊張感あるJAZZのリズムに変わるところ、そこから後はもうござさんのペースに客席はみんな巻き込まれていたといっていい。

気づいたらゲームの背景変わってた的な場面変換。

ライブならではのテンポの良い疾走感と、大胆なダイナミクスが楽曲に命を吹き込む。

 

この次の曲は忘れられた街で、しかし作曲の順序からすると曲名は後付けらしい。和音の出だしというかコード進行を先に思いついて、結果的にできあがったものに名前をつけたというのが本当のところか。

エリーゼの変容が動ならこの曲は静をイメージさせる。改めてゆっくりと鍵盤の感触を確かめるように、ござさんは自作の曲にみずから耳を澄ませて何か考えながら弾いているように見えた。というかピアノの躯体が精いっぱい放つ和音を存分に浴びている風で、上からシャワー来てるんですかと思うような、時々というかしょっちゅう鍵盤ノールックで気持ちよさそうに弾いていた。

-----MC-----

ござさんはソロのトークもだいぶ慣れたものなのか、もうメモ見ながらつっかえたり、頭真っ白になったりしないで配信みたいな自分のペースで話せてる感じがする。

ここはツアー3か所目の静岡ですねとまず挨拶され、

お天気も良く(当日は快晴だった)、

ピアノの音も美しく(ほんとうに!!!)

そして(客席を見渡して)みなさんもお美しく、

ん????????????????

なんて??????????????

ここで客席のファンはみんな最初から続いていた緊張の糸が一気にほどけたみたいにこっそりウケてたと思う。大爆笑じゃなかった(と思う)けど。ござさんいつからそういうキャラになったん?え?大丈夫?ピアノ弾きすぎてついに宇宙人になっちゃったの?それかついに精神が尋常じゃなくなってしまったとか?ていう、みんなが鳩が豆鉄砲を食ったように一瞬目を見開いてた(と思いますよ、そうでしょ?)。

自分はメモを取りながらこっそり肩を震わせて笑った。これが飲食OKの野外ライブかなんかだったら飲み物とか吹いてた自信がある。あんなにトークひとつで頭真っ白になってフリーズしてたござさんが!なんとファンにサービストーク!これはなんか事件の前触れか?ていうか誰からそんなん教わった?ていうか仕込まれたん?そりゃ一人しかいないな、これはK池R太さんのお家芸ですよね。ござさんほんまにどしたん?ファンサ……って考えて咄嗟に思い出したのがK池さんだったんか。よりにもよって感がある。

過去の名セリフから引用しとこう、せっかくだから3連発。

 

ハミングがきこえる

THE GARDEN OF EVERYTHING 〜電気ロケットに君をつれて〜

MCしながら、ツアーも三か所目になるとネタがなくなってくるとぼやくござさん。

どのへんが?

ござさんは普段、個人情報を完璧に遮断して隠蔽してるからファンに知られてる事なさすぎて、今日の朝ごはんとか、好きなスーパーはどこだとか、今やってるゲームとか、ほんとしょうもない事でもファンは大喜びすると思いますけどね???だって生配信のトークも長く話してくださると思ってたら全部ピアノのアレンジか練習の話に終始してますもんね。まだまだござさんのことは巧妙に隠されてて謎に包まれたままなので。

(ねぴらぼinventionのときに付録だった本、ねぴらぼ日和にアンケート100問とかあったけど、あんな販路の狭かった限定ムック本の情報は、一般に普及してるとは言わない)

 

アルバムリリース記念ツアーということで、今回はアルバム音源にあまりアレンジを入れてこないでお客さんの持ってきたイメージが壊れないように、あまり踏み外さないイメージがあるけど、しかしそれを前提にしてもやっぱりライブの演奏は生き物という表現がふさわしい。

ホールのピアノとも一期一会ではあるが、何よりござさんの演奏そのものが意思をもって鍵盤で動き回ってるかのごとく、そのホールでの演奏ごとにその場所ならではの個性と脈動が感じられる。

まるでござさんによって固有名詞と人格を付与されたかのように、生き生きと「その場所での演奏」は自己を主張し始めるのだ。

 

こういうことができるのも当日のピアノと仲良くなれたござさんならではの離れ業。

さすがYAMAHAのおひざ元、静岡県。ピアノ、そしてそれを生かすホールがとにかく素晴らしかった。ござさんの本領を遺憾なくなく引き出していた。このピアノがあることを調べていてこのホールに決めたのかもしれないな、と途中で聞いてて思った。

ハミングがきこえるの曲はウォーキングベースが印象的なJAZZアレンジだが、このウォーキングベースがほんとにいきいきしてて、ござさんはほぼ上を見ながらノールックで爆速で左手を走らせていた。左手自動化計画は16分ビート奏法ならではの得意技じゃなかったんか、あれ?つまりなんでも自動化できるんですね!?(白目)

途中のカデンツもじつに重厚且つ軽やかに可愛らしく、ほんとに鍵盤の感触を楽しんでるようにしか見えなかった。

 

もう一つの曲、THE GARDEN OF EVERYTHINGもこのホールで聴くとまた違った印象だった。個人的にいうとこの曲を動画で見たときは韃靼人の踊りをアレンジしたんだな!誰のアイデアかよくわからんけど!?と真剣に思っててそれ以上の印象がなくて、ラーゼフォンのアニメ映画のEDとかいう情報はだいぶ後になってから存在を知ったので、ここの項目は(尼崎の記事同様に)一般的情報に留めたい。

ござさんのアレンジでききどころは、どうやらこの原曲のボーカルはDUOで男性と女性が歌ってるパートの掛け合いなんだけどそのやりとりとか二人がハモる部分とか全部右手で領域内に納めててすごいなってなる。

左手が16分ビート奏法なのは言わずもがな。

この曲もふくめて、アルバム音源って立ち位置としてはいわゆる静止画みたいな役割を持ってるのかもしれない。サンプルとして一部分を切り取ったみたいな。

で、ライブの演奏が同じ曲の動画としての役割を担ってるのか。具体例を提示してくる感じ。

しかしアルバム音源もちゃんとした音響(有線イヤホンとかヘッドホン)で聴くとホールの音がするから自分はアルバムを最近エンドレスでずっと聴いてる。というか、ずっと聴いていたい。

(ここでいう同じ曲で以前にYoutube動画に上げられてたものがあるからそれでじゅうぶん参考になるじゃないかと以前は思ってたが、アルバム音源とライブを聞いてみると、Youtube動画はまさに絵で言うデッサンまでで留めているにすぎないのだなと思った。演奏のアレンジは完成されてて行先は提示されてるけど全体像はまだあれは見えてない地点だったのだなと。)

-----MC-----

ここで次のネタを必死でひねり出したのか、昔のお題を思い出したのか、ござさんは「こういうとき定番ですが~」って言いながら、お客さんは今日どこから来られたかアンケートを取り始めた。

定番なのかそれは?

まあそんなツッコミはさておき、東京から出るようになったのもここ数年の最近のことにすぎないござさんには、どこの地方も未知の世界なのでしょうけど。

メモが手元にはっきり残ってないけど、確か

東海地方の方

中部地方の方(?)

関東地方の方

近畿からの方(?)

北海道の方

中四国の方

九州の方

………え~と、海外からの方は?おられないですね~(暖かい笑いがわきおこる)

という具合でアンケートを取られていたがメモがこのへん追いつかないまま次の曲にいったから記憶は曖昧である。ていうかこういうアンケートで初めて中四国地方の方って言われたんで、四国の島の住民である自分は今までたいていハブられてたから、ここぞとばかりにこっそりと手を挙げた。ねっほかにもいらっしゃいましたよね、中国地方と四国から行った人!?

自分は前から5列目?あたりにいたのでこのアンケート結果がどういう分布だったのか見てないが、全部の地方でパラパラと手が挙がる中、静岡県とか?東海地方は多いのはそれはそうで、東京というか関東からの人だけで座席は体感5割、いや7割?埋まっていたのは気のせいか。やっぱここの席が後ろまで満員だったのはそんだけ東京からの人が多かったからか。

でも、それを基準にコンサート地方公演を決めてると地方公演は無しで東京だけでやってりゃいいじゃんってことになってしまうので、そんな多数決アンケートの数のみを見て基準にされるような軽率な判断はどうかなさいませんように、ござさんには切にお願いしたいところです。

地方でもいろんなコンサートは開催されてますが、ござさんのピアノじゃないと生きていけない民も地方にはたまに棲息してるので、そんな影の需要を掘り起こすためにも、実質ボランティア事業であっても、地方ツアーはぜひ今後とも続けていただきますように。(切実)(こう書いてみるとほんと身勝手な希望ではあるが、やっぱ切実)

 

何度も書いてるが、身近で、よく知ってる場所で、日帰りだから、だからこそじゃあついでに行って見よーか、よく知らんけど暇だしーっていう需要を掘り起こせるのは、やっぱり各地を回ってこそだ。

 

エチュード幻想曲

「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズ

ここでMCの終わりに「コンサートの前半はこの2曲で終わりです」というご案内が本人からあった。(自分の携帯は電源落としてたため、経過時間はわからなかったけど)たぶん、この2曲で前半終了つまり45分経過なんだなと思われた。そうだとしたら相変わらず、ござさんの体内時計のストップウォッチ機能はガチだ。短いあと残り数分とかいう区分でなんか一曲っていう需要にも応えられるけど、こういう長いスパンもきっちりわかってやってるんだなーと、ほんとにどういう感覚でやってるのかシロートにはさっぱりわからない。

 

そして個人的にここのホールの音響なら今回いちばん聴きたかった筆頭の曲は、このショパンの曲をモチーフにしたエチュード幻想曲だった。クラシック音楽として作られたものは、やっぱ楽器とホールそのものが演奏を左右すると思うので。

こういうメドレーものって配信ではなんとなくメドレーって呼んでいる。

前のアルバムのCHOPIN SYNDROMEはもっとたくさんの曲をメドレーにまとめたものだけど、それは単にパーツを分解してメドレーとして並べたっていう印象だった。エチュード幻想曲も去年の今頃Youtube動画に上げられてたけど、やっぱりその時点ではまだ実体が見えてなかった気がする。アルバム音源になって、ちゃんとしたヘッドホンで聴いてみて初めて、ござさんの意図がわかってきたかもしれない。

メドレーっていうイメージではなくて、ショパンの曲からモチーフを借りてきて、ござさんの手持ちのパターンに落とし込んでて、こういうオリジナル曲ですってまとめてきたという気がした。

こういう意味での進化なのかなーと、Evolutionの和訳を見ながら今更思い当たったりしている。それ以上詳しく説明できないけどEvolutionのアレンジは今まででいちばん、どれも素直に身に馴染んだ。

演奏も、ライブでやってるのを聞いてみれば、なるほどYoutube動画の演奏は音と録音に演奏自体も素晴らしいが、しかし演奏の表現はいわゆる台本の本読み段階というか、まだ草案だったのかもしれない(時系列からしても)。でもYoutube動画、アルバム音源、それから同じ曲のライブ演奏で印象がはっきり違うと感じたのはこのEvolutionのアルバムが初めてだった。

この曲は、ホールで聴くときは妙なる響きに身を任せる幸せな時間。

演奏も回を追うごとに解釈は磨かれて洗練されていっているように感じた。

 

 

「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズの曲も、これははっきりと演歌の原曲があるので著作権の関係はなんか申請はしてるのだろうけど、とにかくござさんによってはっきり主題を洗い出され、まるで刃物に焼きを入れて鍛え直すみたいな別の姿になってるなあと感じた。

ホールが違うからだといえばそうかもしれない。とにかく曲の解釈が、尼崎ではアルバム音源に沿ったスマートな表現だったと思うが、ツアーの回数を重ねてきて徐々に音に脂が乗ってきた。ホール一杯に存分にピアノの躯体を鳴らし、コンサート前半のスタミナもこれ限りとばかりに全身で主張するござさん。

ピアノも音が割れることもなくござさんの要求に見事に応えていた。

YAMAHAのふくよかな丸みのある音は、ござさんの滑らかで上品な

アルペジオによく映える。

津軽海峡のアレンジ中盤では左手に対旋律みたいな中低音が来て右手で上下に高速アルペジオが走るけど、ここの運指もYoutube動画見ればトリッキーなのがよくわかるけど聞いてみた印象では、ねぴらぼでやってた宝島アレンジの中間部のアルペジオを思い出すのだった。

(あのスポットライト浴びてキラキラ光るござさんが弾いてたキラキラのアルペジオ、今ねぴらぼの公式チャンネルに残ってる動画には入ってない宝島アレンジ。)

もう出会えない宝島の右手アレンジ大好きだったので(一年間アーカイブあったから覚えるまで聴き倒したけど)、今回別の曲だけど、アルバム音源とホールでの演奏というアップデートされた音に、なつかしい記憶の片鱗を見た気がした。

初めて弾く楽器とは思えない阿吽の呼吸。ほんとに体の一部みたいになってて、とってもピアノと仲良くなれたんだなーということが窺えた。

全体的に力強く歌い上げられてて、前衛的な和音の展開と共に劇的にコンサート前半に幕を下ろす。尼崎では最後の曲だったが今回は前半のトリにもってきた。どっちにしてもそういう〆にぴったりの印象的な終わり方だ。

 

-----休憩-----

今回は調律師さんが入っていた。あんだけピアノを精一杯限界まで鳴らしていたので、合間でこうして調整してくれると嬉しい。ござさんの使う和音はぎりぎりまで攻めてるとこあるから、ちょっと音がずれてるとあれ?って気持ち悪くなるっていうところはあるので。えーと調律……写真……あっ無いんだった()そういやホールの壁には反響のためか?小さな階段の踏板みたいな突起が水平にたくさんつけられてて面白いルックスだったことを報告しておく。(だから写真は撮り忘れたんで……)

 

間奏曲

この曲は演奏のイメージとしては尼崎といっしょ、さらにアルバム音源をそのまま再現してたといっていい。

曲の役割が「場面と場面をつなぐ、ゲーム音楽の転換点をイメージしたもの」かなんかだった気がする(じゃなくて戦闘とかそういうお題がある以外の場面のBGMを想定してるらしい)。

ひょっとしたら後半冒頭の曲は、少なくともツアーではこの曲固定なのかもしれない。ござさんもそういう役割をこの曲に担わせてるのだろうし聴いてても自然に思考回路がリセットできる感じで、抵抗なく後半に切り替えれた気がした。音楽によって聴き手をスムーズに次の展開に案内してくれる仕様になってるのは、さすが、ピアノが第一言語のござさんならではだ。自分らファンとござさんはまさにピアノでコミニュケーションを取り合ってるのだ。

聴いててほんとに自分が今までフィールド歩いててこの曲の冒頭を合図にどこか洞窟とか、宿屋のドアとか、なにか別画面に背景が変わったような錯覚まで見える(だいぶ妄想入ってる)。

 

みんな大好きリクエストコーナー

コンサートの後半は、舞台に出てきたござさんが無言で間奏曲の演奏から始まるという展開はもはやテンプレ形式と化してきた感があるが、そのあと挟んだMCは心なしかござさんは声も表情もやたら弾んで見えた。

後半冒頭のメインコンテンツは、リクエストコーナーだからだ。

いつも挟まれるこのコーナー、古くは菊池さんとの2台ピアノコラボでも会場の現場で挙手によりリクエスト募ったりして、何らかの形でこのコーナーは大切に受け継がれてきたのだと感じる。

リクエストの形式は今回のツアーで初めて、チケットを購入する際にリクエスト曲を応募する欄があって(ネット購入では)、つまりチケット一枚につき各会場で席数のぶんだけリクエストが集まってるって設定になる。それらの中からスタッフさんが(A4コピー用紙らしきものに)まとめてくださった表が、当日はピアノの横に置かれていた。

ござさんいわく

「曲リストをスタッフさんが見やすく作ってくれました。譜面台に置くともはや配信と変わらない感じでイイですね。」

とかなんとかコメントされていた。逆に緊張するとかいう発言も自分のメモに残ってるけど実際どうだったか定かではない。

そしてリストを譜面台に置き、うーんとかなんとか言いながら何気なく弾き始める。無言で、特に弾く曲は明言せずに。(尼崎ではかろうじて断腸の思いで選びましたみたいな感じを醸し出しながらも5曲選んでから弾いてたけど。)

 

もう一度言う。後半のメインコンテンツは、ある意味、このリクエストコーナーだ。

ござさんの最大にして最強の武器は即興アレンジとアドリブだ。

アルバムとYoutube動画における録画と録音はそれらの即興のひとつの風景、ひとつの案を形に切り取ってリリースしたものなのだと思っている。

世にござさんの存在を問うにあたり、こうした規格での演奏は必要不可欠ではあるが、ござさんの即興の粋を如実に映したレベルとしては今回の3rdアルバムで初めてそれを実現できたと自分は思ってて、だからツアーの感想も、アルバム曲の印象も逐一書くことにしたのはある。

即興のエッセンスが反映されたアルバム。ござさんの即興と楽譜に起こされたアレンジはこうして融合したんだなと思うと感慨深い。

それが叩き台にあるから、コンサートでアルバム曲とは別に即興演奏をメイン看板に掲げることができるんだなと、そこにもしみじみと時間の経過を感じる。

生配信同様に、もはや曲名もその場で考えることにしたのか、リストを譜面台において演奏し始めるござさん。

曲順ごとに並べてみるとこんなふうだ。どのリクエスト曲にもそれぞれに込められた思いと物語が秘められていることだろう。そう思って自分はありがたくミニ劇場を鑑賞する心持で聴き入った。

 Waltz For Debby (Bill Evans )全体的に楽しげで軽快なリズムで始まるメドレー。可愛いアルペジオで飾ったJAZZワルツ。

キャラバンの到着(ミシェル・ルグラン)~Moon River(ヘンリー・マンシーニ) これも原曲に沿ったアレンジ。リクエストだから曲のイメージを大切にしてるのかもしれない。キャラバンの到着が何回聴いても輪唱みたいに入るイントロが慣れない。てか個人的イメージは三菱のランエボ。(連弾でやる編成もふつうにソロで聴けるのは贅沢なのだと我らファンは気づくべき)それから映画音楽つながり?でムーンリバーの旋律が美しく歌われる。

月の光(Debussy)豪華な和音で盛ったアルペジオつき原曲バージョン(なんのこっちゃ)、それから Waltz For Debbyふうに可愛らしいアレンジ。

月のワルツ(諫山実生)原曲版というか1st ALBUMのEnVisionアレンジから入る素直な演奏(月の光がトリッキーな展開だっただけに)、その後 Waltz For Debbyの影響か後半はJAZZワルツに変えられている。あーなるほどワルツつながりなのねって勝手に納得。いやいや途中でJAZZに変えるって事は和音構成がガラッと(言語変わる勢いで)変わるのだからアレンジもややこしいはず。たぶん。

G線上のアリア(J.S.バッハ )月のワルツから壮麗なつなぎ部分があってこのつなぎだけで天国行けそうな美しさ。教会音楽の敬虔な祈りのイメージはそのまま、壮大なアレンジになっていく。このへんのシンプルなモチーフが変幻自在になるあたりが最大の聞きどころ。コンサートのメインコンテンツたる所以。

Flower Dance  確か6/11のYoutube生配信ふうだったような…つまりワルツアレンジ。

ここでモチーフがWaltz For Debbyに戻ってあーアレンジが一巡したんだなーってそれぞれの曲の印象を思い出しながら、月の光でメドレーは締められた。

みんな知ってるおなじみ癒し系曲を、JAZZワルツの代表曲Waltz For Debbyを所々にあしらいながら、愛らしく軽やかにまとめたという印象。

振り返って見ると、コンサートの中盤でちょっと一息ついてほしいみたいな意味だったのかもしれない。

知らんけど。

 

このへんの「その日その場にいる人のためにサービスする」っていう精神はござさんの生配信の最初から変わらないのかもだが、実際にステージでこう綺麗にまとめられてくるのを見て、要求されたことに結果を出されてるのがこう、職業としてピアノ弾いてる人っぽくなって来たなあと思う。(いえ実際にござさんは職業としてピアノ弾いてますすいません)

(※その場にいる人のためにサービスしてる例)

(基本的にストリートピアノの動画は全部そういう内容だけど、やっぱこれが見てて一番面白いから)(これ読んでる人はみんなご存じとは思いますが念のため)

 

 

なんでも弾いていいコーナー

ここでもう一回MCが入る。即興が楽しかったのか余計浮足立って…じゃなくてウキウキ楽しそうなござさん。やっぱライブ2時間ぜんぶ即興メドレーでもいいんじゃない…?と心の隅でこっそり思ったが、そういう思いつきは心の隅にしまっとくことにした。

このツアーはアルバム収録曲お披露目ツアーだからな。

アルバム音源をホールの演奏でさらにすばらしい音で聴いてもらうツアーなのだよ。

 

それはさておき、リクエストコーナーに続いて、なんでも弾いていいコーナーを設定したと説明されるござさん。

「今リクエストコーナーやったから別にいいんですけど、一週間前の僕が決めたことだったんで」

とかなんとか言い訳されてた気がする。そんな後ろめたさに苛まれながら言わんでも……一週間前っていつだっけ忘れたがもうちょい即興アレンジコーナーを長めに設定したってことらしい。リクエスト曲に基づかない、ござさん選曲のその場で決めるメドレー。

ここで客席の全員から無言の「いいぞもっとやれ」って念が飛んでた気がする。何の縛りもない自由な即興がもっともござさんらしく、もっとも面白い結果になることをファン全員が知ってるから。

イメージで並べるとこういう曲順だった。

Waltz For Debbyみたいなイントロと即興ぽい曲

みずいろの雨

雨だれ

rain stops, good-bye

イントロ部は前のリクエストコーナーからJAZZワルツを繋ぎに使った印象で即興アドリブから入る。

それからメドレー全体が壮大で格調高く、間の雨だれのところでちょっとしっとりした雰囲気になり、最後のrain stops, good-byeでふたたびワルツ風かつ交響曲のラストみたいなスケールの大きい曲に変貌していた。その規模感を保ったまま雨だれが再登場して感動のラスト、とはいかずに和音が現代風というか原曲通りの定型じゃないなんかいじってるな?っていう形の終わり方。

MCからご本人のコメントを拝借すると「季節柄、雨の曲を弾いてみました」ってことらしい。好きな曲弾いていいよ!っていうコーナーも結局、『お客さんはどんな曲が聴きたいのかなー?』という基準に帰結していくようだ。やっぱ実質リクエストコーナーの続きじゃん。それ、コーナーを二つに分けた意味あるんか?無いな。やっぱ、実質コンサート2時間ぶん全部即興メドレーにしちゃえばいいのでは……(以下自主規制)

まあ、ござさんの自称「なんでも弾いていいコーナー」のほうが、選曲もアレンジもぶっ飛んでてイケ散らかしてるのか?と思いきや、こっちがむしろおしとやかにまとめられたまであるから、実際やってみないとどうなるかわからないものだ(なんのこっちゃ)。

 

この即興演奏のあたりのMCで、リクエスト曲の傾向がいろいろあっておもしろいとか言われてた気がする。重い曲が多いとか?なんとか……弾いてほしい曲の定義もいろいろあったりとか……

( ↓ どうでもいいおまけコーナー)

えっ自分がリクエストした曲ですか?(誰も訊いてない) だって有識者のみなさんがそれぞれのジャンルで渾身の知恵を振り絞って名曲・難曲をリクエストされてるわけですよね、自分みたいな若輩者はそんな名だたる有名レパートリーが並ぶ中に割って入ってリク投げるわけにはいかんですよね。

というわけで、自分は誰も書かないであろうリクエスト、吹奏楽の隠れた名曲を延々と書いたのであった。だって、生配信とかキャスとかで「は?それ弾けるって聞いてないんだが?配信での演奏、初だよね?」って曲に吹奏楽だけでも沢山遭遇してきたので、ござさんが自分でも忘れてるだけで実は覚えてる曲はたくさん地層の中に埋蔵されてると思われるから。そんなのを発掘すんのも面白いじゃないですか。ね?んで、そういうレア曲はレアすぎて、生配信でリクエストしても拾われませんしね。こういう曲のためにリクエスト制度は存在するんですよ(持論)。

え?実際そんなレア曲拾っていただかなくて結構です。客席でも知ってる人の割合が少ない吹奏楽曲、リクエストコーナーで弾いてどうすんですか、盛り上がらないでしょ。じゃあなんでリク書いたんだって?それは、こうでもしなきゃほんとに地層の中に沈んでいく名曲も多いと思ったんで…(以下略)

 

ワルツ第1番

「名探偵コナン」メイン・テーマ

この2曲(という雑な括りですいませんが)、アルバム収録のアレンジに忠実な演奏と表現になっていた。前のリクエストコーナーで楽しかった反動か。襟を正した、音源通りというイメージ。ワルツ第1番が素直な曲調だなと思うのもあるが、どの曲も、名実ともにござさんの代名詞というか看板を背負うに足る曲になってきたなと思った。

曲の説明になってなくて誠にすいませんが、しかし当日演奏されたイメージとしてはこの2曲はアルバム音源の範疇を出ない。それだけアルバム収録の音がすばらしいというのもあるが。

これらはいわば表の曲、公式な演奏、ハレの曲。部外者にも一見さんにも説明なしでお出ししても通用する、看板曲。

毎週のリクエストと即興をベースとする生配信が日常、つまりケの場とするなら。

日常で練られ編まれたアイデアは余すところなく見事にハレの場で披露されるべく、きちんと普段から整理され、調査研究されていつでも使えるように引き出しに仕舞われてると思われた。生配信はべつに聞き返すことあまりないと言われていたけど、そういう意味じゃなくて、毎週の生配信でのアレンジはそのまま血となり肉となって記憶の中に流れているのだ。

※参照: ハレとケ - Wikipedia

それを裏付けるように、コナンの演奏を終えたござさんはマイクを取る前にウンウンとひとりで頷いた。その動作と表情は、演奏が満足いくものだったことを無言のうちに物語っていた。

 

家路

静岡のコンサートの直前の生配信で、つまり6/11の配信のラストで「新しい楽譜が出ます」という話が出ていた。紙の楽譜で尼崎のコンサートと同時に販売開始された曲とは別に新しい楽譜が出るということらしい。アルバム収録曲の残りの顔ぶれになるということか。

この楽譜についてござさんの口からあらためてアルバムタイトルのEvolutionについて「進化」という定義が語られた。

・僕のピアノのスタイルの変化

・僕のピアノの曲の中でのアレンジの変化

これらの変遷について、アルバム音源で、またコンサートでの演奏で実際に感じてほしいというような話だったと思う。

ふたつの即興演奏コーナー、またアルバムのアレンジと実際のコンサートでのアレンジが融合していく様など、今回のアルバムとツアーでは今までとはまた別の感覚で聞けた気がするから、このござさんの話には聞いてて非常に首肯する点が多かった。

 

さて、果たして今回の静岡の演奏で最も即興が炸裂してたのはこの家路だった。

なんでやねん。

と自分は心の中でツッコミを入れた。

この直前で、アルバム版はちゃんと型どおり、即興演奏も存分に盛り込んで、おおー?決め譜とアドリブを使い分けてきたぞ?なかなかそれ実際にコンサートで実演できんやろ?と初めての感触に自分はメモが盛大に奔ってひとりで盛り上がってたというのに。

しかし聴き終わって、この曲はござさんの中で即興演奏枠にしたのかなと、心の隅でふと思った。ドヴォルザークの交響曲の一郭ではあるけど実質ボヘミア民謡だし、ござさんの得意なシンプルな旋律の民族音楽を即興演奏でアレンジするってまさにこの曲はうってつけかも、と思ったからだ。

とにかく。

この家路は完全なる静岡オリジナルバージョンだった。どういうバージョンにするのかはその場で決めてるのだろうか。謎は深まるばかり。

メモを片手にアレンジを辿ってみると。

不穏で現代的な展開で始まるイントロ部。

スタンダードな主題が前衛的な装飾音を纏った和音をベースにしながら穏やかに展開していく。

この前衛的な要素を遺したまま徐々に感動的に盛り上がりクライマックスへ昇っていく。

一編の重厚な物語を読んでいるかのような充実感。

ラストに前衛的なユニゾンが現れる。完全なユニゾンじゃなくてどこかに解決できない箇所を故意に残したユニゾンが。

それからさらに壮大な規模のラストへ。

これ一曲でなんか短編映画でも見たかのように感情が忙しかった。

真に看板に掲げるべきなのは、ツアーにおいて、この家路かもしれない。演奏聴いてからの後出しじゃんけん的な意見だけど。

客席も、この形式が最も即興アレンジが冴えわたることを痛いほど分かっている。演奏後の拍手もこの曲がひときわ大きく、驚嘆と感動が入り混じった複雑な感情が入り混じった不思議な空気が会場を覆っていた。

 

宝島

家路に続いてMC無しの連続なのはほかの2曲づつと変わらない。

冒頭に、宝島ふうな家路のモチーフが見え隠れするアルペジオがあしらわれていて、しかし本編はちゃんとT-SQUARE版と、吹奏楽版を織り交ぜた本来のアルバム音源に沿ったものになっていた。

ここは羽目は外していない。

全部暗譜なのが今更思い出され、アルバム音源に寸分違わないというよりコンサート向けに柔軟に表情を変えるとかいう器用なことまでしてきてる感じがして、アルバムリリース記念ツアーっていう看板と演奏が一致してきたというか、足元が危なげない盤石なものになってきたなと感じた。

 

アンコール-----糸(中島みゆき)

最後の宝島を演奏後、舞台袖に下がったござさんは短い時間を於いてアンコールの拍手に応えて登場した。最後の演目をおえて精力尽き果てたござさんは何言ってるのかわからなくなるIQ3仕様なので、それは客席のファンも同意するところで、ここでご案内の影アナウンスが尼崎と同様に流れてくる。

テンプレと化した一連の説明で、ファンが知りたいのはSNSに動画を公開するのは可能かどうかというところで、その点は主催者とござさんの判断によるのではあるが、説明の内容も薄々ファンはわかってきたためもうアンコールにござさんが登場した時点で携帯を構えて待ってる人はたくさんいた。(だって途中は電源落としてるから、用意してないと間に合わないですよね?)

 

品の良い音づかいと、コンサートの締めくくりを飾るにふさわしい壮麗な和音。

ソロ公演を弾き終えて心地よい疲労に身を委ねたござさんは、しかしこのピアノの美しい響きに別れを惜しんでいるようでもあり、残されたわずかな情熱を全部ピアノに託すかのようなそれは素晴らしいアンコールだった。

 

自分は今年はツアーで各地の公演に行ってるが去年は行けなかった。来年も行けるかはわからない。だいたい、おそらくござさんがツアーに来てるであろうと想定してるお客さんはそれぞれの地方の地元民なのであり、ツアーぜんぶ聴く人がいるっていうのはたぶん考えられてないのだと思う。

商機としては逆であり、そりゃ何か所でも聴きにおいでいただき席を埋めていただくのがいちばんいいのだろうけど、そういう都合がつく人ばかりではない。

というわけで現地に行けないひとがファン全体の大多数を占めているであろうと思われるため、やっぱり、ござさんの好意に依存してるとはいえ、アンコール動画だけでもネットで共有できるのは非常にありがたい。

(書いてることが毎回一緒になるかもしれないが)

 

この記事はツアーにおける静岡・名古屋2日連続公演の最初、静岡について。

つまり前半。

後半の名古屋については別記事を書く。

そんなん内容がかぶる点も多いやろと思われるであろうが、しかし書きたいことも多いため、また後日投稿する予定。

 

 

 

番外編② 音楽へのアクセス---レコード店でのミニライブ

 

この記事は2026/5/30、ござさんの「ござ コンサートツアー2026 -Evolution-」尼崎公演のあった日の夕方、梅田のタワレコでアルバムリリース記念ミニライブがあった件についての個人的なメモです。

 

ツアー本篇の感想はこちら。

 

上記のツアーのコンサートの感想本篇に対し、今回はスピンオフ記事その②です。

スピンオフその①グッズ編はこちら。

 

(※)なお、この部屋全体の共通点として、すべて自分の主観による独断と偏見が全体の論調を占めるものであることをご了承ください。

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

レポ編:誰のためのイベントなのか

さて、ござさんのツアー1週間前のこと、グッズ発売の告知があったのに伴ってもうひとつ告知があった。

 

いわゆる、アルバムリリース記念のタワレコ内でのインストアイベントってやつです。

CDは通販が主流となった今、リアル店舗を維持しててこうした連動企画を主催できるのは、ほかの流通形態に対してタワレコならではの強みという気がします。

そんなことよりも、アルバムのリリース記念イベント、略してリリイベ。このワードをアイドル業界とかロックバンド以外のジャンルで、ござさん界隈で耳にすることになろうとは。

自分はござさんは絶対こういうイベントには縁がないのだろうなと割り切っていたので。だってイベントって販促が目的だし、ござさんは販促っていう目的を持ってなさそうだし、レコード店がこのイベント開けるって判断基準に達しないと関係ない件だし、リリイベではサイン会とかツーショット撮影の特典がつく事もあると聞くと、もはや絶対ござさんには関係ないなと断言できると思ってたから。

しかしグッズ発売、アルバム連動楽譜集も発売、それに加えてリリイベ開催ときたら何か知らんが手段はともかく行くしかない。急遽、自分の思考回路はミニライブに行く方向へ向けて舵を切ったのだった。

 

タワレコ公式アカウントからも発表が続く。

 

これらの公式情報によれば、渋谷店、梅田の茶屋町店それぞれで店頭購入した人に対して整理券(番号はランダム)がアルバム1枚につき1つ発行され、この番号順に、当日のミニライブ会場の先頭列から順に並んで入れる権利があるらしい。

番号がランダムに割り振られる点は公平だと思うが、とにかくこの整理券は店頭購入した人にのみ発行されるとのこと。タワレコ公式情報によれば現地のイベントスペースの定員は渋谷でだいたい50~100人弱?梅田で200人程度。

 

ここで自分含めたござさんファン、自称「公式グッズを絶対に手に入れる委員会」数人がまた額を突き合わせて密談したうえで想定したところでは、

「タワレコに来たファンみんながイベントスペースに入れるとは限らない、少なくともフラットなイベントスペースでは前の方で見れるに越したことは無い」

という結論が出たため、自分は不本意ながらFFさんに梅田のタワレコでCDの購入を代わりに頼んだのだった。(なぜなら?尼崎のホールでグッズに並ぶか、当日にタワレコにCD買いに行くのか、時間的にどっちか二択せざるを得なかったからで、自分としてはグッズの列に並びたかったため)

こんだけ事前に計画しても、当日は綿密な計画とか色々現場を動いたり必要で、ちょっと一言いいたい。

告知がコンサート一週間前で、しかもグッズ販売は当面はコンサート会場で先行のみって、あまりにも色々と言うのが遅すぎる。

これをグッズの記事でも書いたけど、タワレコのミニライブに至っては、梅田の場合コンサート当日にコンサートの後に開催になるわけで、ようするにそれまで立ててた計画を変えたりする人も多いかもしれんのですよ。

移動方法が予約が必要な手段で来る人も多いっていう想定はできなかったんですか?

と、そこで自分は考えた。

整理券を発行する対象が店頭でCD買った人だから、あくまでタワレコミニライブは地元の人、タワレコの店舗に普段から買いに行ったりその地域に住んでる人を対象に開催する設定なのかもしれない(ござさんの場合)。もっといえば、ピアノにも何も関係なくてタワレコに普段から出入りしてるいろんなジャンルの音楽ファンに、ござさんの新アルバムに目を留めてもらって(なんなら視聴もしてもらって)、偶然CDを買ってくれた人っていうのを、このイベント対象者として想定してるのかもな。

だから新幹線だの飛行機だの、長距離移動で来てる人は想定してないんかもしれない。

ツアーのコンサート開催地からしてもそんな意図をそこはかとなく感じる。

(でも実際問題、CDを買う層っていうのは遠距離から来るファンと重複してるのだから、想定されてなかろうが招かれてなかろうが、ミニライブがあるって言われれば行きたくなるものなので、招かれざる客ながら自分はFFさんに委託し、タワレコでのミニライブ整理券をゲットしたのであった)

後々考えれば、上記のような地元民でタワレコ常連のような音楽ファンを想定してるのなら。

ミニライブ演奏中に、店内をフラっと通りすがった何の関係もない、他ジャンルの音楽リスナーっていうのが、潜在的に想定された、本来のこのイベントの対象者なのかもしれない。

梅田のタワレコはK-POPとかその他各種サブカル分野の音楽を中心に扱ってるようだったので、ござさんのアレンジに根本的にかぶってるところもあるし、この店の常連であればござさんのピアノを耳にしてなんか琴線に響くものがあるんじゃないのかなあと思ったりしたから。

 

リリース後のリリースイベント

ここでリリースイベントとはタワレコが主催するのだが、店頭購入者に整理券を配ってる点からも、このイベントはタワレコでのCD売り上げに貢献するのが目的だ。

店頭でのCD売り上げ、このワードは自分の身の周りではもう20年くらい前から徐々に聞かなくなっていったイメージがある。田舎では数少ないTUTAYAでのCD販売コーナー(レンタルコーナーとは別に)も、そもそもCDレンタルエリア自体が縮小されててその空間はコミックと文具売り場に姿を変えていた。

HMVは渋谷自体から店舗を撤退して久しい。もう本格的に網羅したラインナップでCDを売る店はタワレコだけなのかもしれない。この販売CDのメディアが衰退した理由は市場がサブスクに移行したときにレコード会社が権利を囲い込みすぎたとか色々な説があるが、とにかくタワレコもいつまであるかわからないなと自分は思ってる。

だからこそこのリリースイベントでCDを売るっていうのはタワレコにしてみれば死活問題で、確実に売るための生命線かつ最低売上ラインを担保するものなのかも。

そういう目的があるのならですよ、

なんでござさんCDリリース日とリリース後にイベントを打ったんですか?

意味無くないですか?

演奏家側にこのイベントに対しての意義があるなら、リリース日までに数週間~1か月くらい空けて全国複数個所のけっこう小さい規模の都市までいろいろ周り、各地で販促活動と演奏を披露してアルバムの内容の周知につとめるのが、本来の意味でのリリースイベントだと思う。

ほんとなら。でもござさんがCD告知のみ目的のミニライブで全国廻ってる様は到底想像がつかない。

なぜなら?だって「その期間ピアノ練習できないから」て理由で海外旅行も渋ってたし、国内であっても告知のために全国を行脚するござさんはちょっと想像つきません。

梅田の前にリリース当日の渋谷でのライブも実施されていた。

このときはクラシックジャンルのフロアでのイベントだったせいか、楽器はグランドピアノだったらしく、すばらしい音でござさんの演奏を楽しめたそうだ(by東京のござさんファン)。

演奏のほか、売り場ではござさんの貴重な直筆サインも掲出されるなど、ファン垂涎の眺めとなっていたようだ。

 

では、このリリースイベントというのがアルバム発売においてタワレコの販売の主力戦略なのだろうか。

いや、そんなわけがない。

現地に当日行った人はファンのうちほんの一握り、都合がついた人が行っただけにすぎない。

イベントはあくまでレコード店がCDを売る中でのおまけ的な存在であって、ござさんの方針の中ではCDで演奏を聴いてほしいというのが本懐だろう。

だからこそこのイベント開催の報に、自分は耳を疑ったのだけど。ほんとにござさん同意したんか?と。

 

CDという存在に対しての姿勢

ちなみに当日、尼崎でのコンサート後、梅田の阪急三番街近辺にあるタワレコに行っても自分はまだ半信半疑だった。

このイベントのコンセプトに対して信用したわけじゃなかったからだ。

当日は暑いくらいの陽気で、一番気温が高い16時ごろにタワレコ近辺で待機する羽目になった自分らファンは、その辺でお茶でもしばきながらライブ開始を待った。

しかし実際始まってみないとイベントはどういう風になるのか想像もつかなかった。

でもござさんの演奏する姿は小さなイベント会場で近くで見れるという。

いや、ピアノはタワレコの店がサブカルジャンルということもあって電子ピアノかもしれなくて………

中々カオスな思考回路の中、入ったカフェはハワイアンカフェ?で、頼んだドリンクもパッションフルーツティーっていう浮世離れ?した謎の味でパイナップル刺さって出てくるし、飲んでも味もよくわからんし、どうしたらいいんか状態。

 

会場に入れる整理券の番号はランダムで配られていたが、とにかくFFさんと相談してみんなでイベント行こうってことになり、店頭でのCD購入をFFさんに委託することで自分ら一行はそんなに後ろのほうじゃないであろう番号を手にしてはいた。

その番号を思い出しながら、パッションフルーツティー?を通らない喉に無理やり流し込みつつ、どうしたもんかと自分の気持ちはずっと逡巡する。

《いや、なりゆきで、みんなで相談してるうちに気づいたらこういうことになってて……そんなイベント会場に行くってまだ決めたわけじゃ……うーん……》

とか悩んでいた。

ピアノ弾いてるござさんを遠くから眺めたかっただけなんです。

それじゃコンサートで聴いてりゃいいだろって?そういう今までも何度となく見てきたホールで演奏するござさん(ある意味ホールで演奏する姿を今までみてきてるからそれが本望ともいうけど)、そういうんじゃなくて、こういうイベントをタワレコが企画してくださって、そこにファンが制限人数いっぱいに詰めかけててみんなでござさんのピアノを楽しんでる風景を、生で目撃したかったというか………?

じゃあピアノ聴きに行ったわけじゃないじゃんって?

ああっ石を投げないでください……

詰めかけてたお客さんの後ろの方に、イベントやってることは知らなかったけどなんとなく足を止めて聞いてみてる人を発見したので、ある意味目的は達成されましたので…

 

ござさんのピアノを聴いてみて結論からいうと、なんかこういう販売路線に従ったイベントに出られても、その方針に沿って演奏されてて、でも即興アレンジはいかにもござさんらしさが前面に出ていた。

トークがこなれてきたなと感じたのもそうだが、ご自身の表現をCDというある決まったひとつのアレンジでファンに問うという形式をとり、それを現地に買いに集まってくれたファンに対しての、なんていうんですか?ござさんなりのファンとのコミニュケーションの場だったのかもしれないと思った。

ファンとのコミニュケーション、それが現地でのライブの本来の目的じゃないかって思われるかもしれませんけど。

でもござさんは現地でステージとお客さんは最前列だとほんの2~3m?くらいしか離れてなかったと思うんですが、見事に目線はお客さんと違う方向を向いてて芸術的なほどに目線が泳いでたということを報告したいんです。

この記事はそれが言いたいだけです(それだけのために無駄なn000字を費やす)

目線は絶対に宙を舞ってたのだけど、ピアノは集まったファンのためにコンサートともまた違った趣向で最高だったことを記しておきたい。

 

おぼろげな演奏の記憶

その場でメモを取れないくらい客席はすし詰めに立ってみてたので、曲名はあいまいだけどなんとなく書いておく(本来この内容がメインの記事のはずだけどなあ)

最初の曲が家路、途中でサビにちょっと世界に一つだけの花が混ざるバージョン?_

このあとのMCで、コンサートでは直前の曲の宝島に引っ張られてしまって(ラテン調?みたいになってしまったから?)このイベントでは本来のオーソドックスなアレンジで演奏できたのでリベンジ?できてよかったです、とかいう事を語られていた。

やっぱコンサートでの家路は、事故みたいなもんだったのか。アルバムの感じと違うぞと思ったら。うっかりそういう流れになってしまうこともあるんだなあ、そりゃ生配信で色々思いつくだろうしあれだけ好きなように弾けたら毎週やめられんよなと変なとこで感心する。なんでもないことみたいに言われてもはや感覚がバグっている。

 

そのあとはショパン詰め合わせだった。

ノクターン9-2、エチュード幻想曲、CHOPIN SYNDROME、そこに幻想即興曲も入ってたと思う。たぶん、ひとつひとつじゃなくて、こういうひとまとめの括りでメドレー?というか途中で混ざりながらざっくりしたショパンの曲コーナーみたいだったというか。CHOPIN SYNDROMEとか二十数曲あるのに、そのほかのアレンジとも整合性をきっちりさせて辻褄あわせながらまとめてくるコントロールがすごかった。

というかどの曲もアレンジが洗練されてて、立って聞いてたがファンはみんなうっとりと聞き惚れるのみ。

というか、ござさんのアレンジに、演奏に、心底惚れ込んでるからこそ、みんなピアノ聴きたさに万障繰り合わせて集まってくるのだろう。

(または、惚れ込んでるからこそ、いつかは聞きに行くぞと決意を新たにするというか。それぞれのタイミングで、ござさんのピアノはいつでも待っててくれるイメージがある)

 

次のアレンジは、JAZZ風アレンジ詰め合わせコーナーといおうか(この後のMCで言われてた(と思う))。

コナン
ルパン三世
ハミングがきこえる
ミックスナッツ
最後にコナンに戻る(たぶん)

………あれ?アニソンメドレーだったかもしれない。

ある意味、このコーナーが一番演奏がいきいきしてたまである。

アルバムの副題であるJAZZというテーマは、これらの曲のアレンジにも生かされてるけど、でもJAZZの曲という分類とはござさんのアレンジは明確に一線を引いてると思う。JAZZの曲という印象でそこに期待して聞くと、なんか違うと思う。

(↑シロートの想像)

クラシックの根底には厳格な理論があるように、JAZZにもまたクラシックとは違うところの理論がはっきりとある。

それはリズムだったり和音だったりするのだと思うが、ござさんはそうした世間一般の何らかのジャンルの理論という枠組みから自由に逸脱してて、その縛りから自由だからこそ、ござさんはござさんたりえるのだと思う。

ござさんのアレンジはござさんのピアノでしか楽しめないのはそういう由来からだろう。

 

そしてこれらのアニソン詰め合わせによって、またコンサートに続く演奏という疲労感からか、MCでなんか休憩したいので癒しの曲を弾きたいと述べられ、休憩代わりに演奏されたのはござさんのピアノではもうおなじみの、MISIAの Everything だった。ござさんにとっては癒しで休憩なのかもしれないが、自分には個人的にこの曲がいちばん胸にくるものがある。

なぜって?それはこの記事読んでる方それぞれにもこの曲には思い入れがあるのではないか。それぞれの胸に去来する来し方のあれこれを静かに思い出しながら……

 

さて、ここでござさんの演奏ではおなじみのせりふ

「宴もたけなわではございますが……」

この台詞には続いて「この次の曲で今日のライブは最後となります」という趣旨の言葉が続くはずで、しかし客席で聴いてる我らはお決まりの言葉を叫ばずにはいられない。

「ええ~~~っ????????」

あれ、これは尼崎のコンサートでも最後の曲の前に言ってたっけ、どうだっけ、そういう記憶はともかく。

自分らファンはどさくさに紛れて思いっきりござさんのピアノへの思いのたけを叫ぶのだ。

つまり意訳すると、もっと聴いてたいのに~~~~!!!!!終わるの嫌です~~~!!!!!って。そんなのライブはこの曲で終わりってわかってるけど、このお決まりのファンのわがままなコール聞いてござさんはちょっと困ったような、しかし一瞬嬉しそうな表情を浮かべた気がする(だいぶ妄想入ってる)。

ええ~~~って叫んだぶんだけでも、このミニライブの時間は伸びるじゃないか。そういう不毛な発想ですけどね。いいじゃないですか。

宝島

このアレンジはミニライブ最後の曲と位置付けられただけあって、きちんと襟を正したアレンジでアルバムの演奏に沿ったものとなっていた。つまりT-SQUARE&吹奏楽版がミックスされて随所に配されたアレンジ。って書くとどっちが正しくて襟を正してるんだかわからんが、こんだけこの演奏を聞き慣れ親しんでると、アレンジのカオスぶりもまた、そういう曲だったっけという錯覚に陥る。

これ涼しい顔で弾いてるけど、生で見ても、ていうか何回見ても、よくこんだけ自然にふたつのアレンジミックスできたなと聞いてるほうが混乱する。

 

ここまでの感想のいろんなところで書いたかもしれないので重複するかもだが。

Evolutionの録音が自然すぎて、いつまでもエンドレスで聴ける。

これを聴いてからその前の2枚のアルバムもあらためて聴き込んでみたら、なんか、最初の2枚の演奏はどこか空気が張りつめてる感じがするんですよね。アレンジに、演奏に、持てるだけの全てをつぎ込もうっていう鬼気迫るござさんの決意が痛いほど刺さってくるんですよね。それに対峙するためにあの2枚のアルバムは聴いててもこっちも緊張するんですよね。

で、今回リリースのEvolutionは尼崎公演までに自宅に届いてから日数があったからじゅうぶんな回数聴けたっていうのもありますが、しかし、あきらかに演奏が違うと思うんですよね。ファンのひいき目かもしれないしシロートの気のせいかもしれませんが。

尼崎コンサートの感想でも書いたと思うのでやっぱ重複しますけど、ござさんの演奏には、ピアノを演奏することを生業にする行き先がはっきり見えているからか(その行き先はシロートには与り知らない境地だが)、この3rdアルバムは和訳も進化だしはっきりと発展途中っていうコンセプトを前面に打ち出してきて、どういう道を辿って行けばいいのかござさん自身がはっきり自覚されたからなのか、全部押すんじゃなくて演奏とかアレンジに余白を感じる。

この余白があることにより音楽として完成している気がする。

 

引く美学というか。マイナスを加えるべきところをはっきりご存じなのだなというか。

 

ちなみにアルバムの録音は、コンサートの感想でも書いたけど、Youtube動画の音響とは全く違うものとなっているので、それだけでもこのアルバムは必聴だと思う。

 

 

そういや忘れちゃいけない、最後の写真撮影。

いえ自分はこの写真の画角内にいたが映り込みを絶対避けるマンなのでちゃんと前の人よりもしゃがんでばっちり写ってなかった。という工夫は無用であって、上がってきた写真はちゃんとモザイク処理されてたのだ。なんという有難い対応。

このござさんが、演奏中は集中力を保つため何も食べないという習慣から、尼崎から子のタワレコミニライブの終わるまでおそらく絶食状態だったこともあり、二か所の演奏を終えてほぼ思考がフリーズしてたからか、視線が放心状態ですね、ござさん。

コンサートを終えて「では~~」っと速やかにステージ後ろにさがったかと思いきやスタッフさんにステージに押し戻され、「なんかトラブル?」と一瞬疑うもなんのことはなくファンの人々をバックに写真撮ってくださいっていうことだった。

ナイス、スタッフさん。

演奏も終わり、心地よい疲れに浸り、消えるようにステージから下がりたかったであろうそのタイミングで写真のことを持ち掛けることにより、ござさんの表情は完全に虚を突かれたみたいなあまりにも無防備で今までみたことないような素の表情となっている。

レアすぎます。

いえ、コンサート会場でピアノをバックに記念撮影のいつもの写真も素敵ですけど、そういう表の姿じゃないとこが見れて、リリイベも案外悪くないなと思うのでした。

 

(完全に書きっぱなしのとりとめもないつぶやきです。これは単なる個人用メモです)