目次: クリックで各項目へ飛べます
資料コーナー(ツアーの他公演について)
・5/30 尼崎市 アルカイックホール・オクト
・番外編 グッズ、リリース記念ミニライブ
・ 6/13 静岡 札ノ辻クロスホール
・6/14 名古屋 今池ガスホール
千秋楽
ツアーのラストを飾るのは東京の第一生命ホール。
最終日の公演を千秋楽と呼ぶのは古く大相撲とか、国立劇場の歌舞伎界隈での言い方ではある。そうした一か月であったり二週間通しての日程を乗り越えて迎えた最終日。この単語には公演に出る側、観戦・観劇するファン、どちらにとっても特別な思いがこめられている。
個人的には劇場とか近くに無くて1か月連続公演という形態を見たことはないけど、しかし変則的スケジュールではあるが(アルバムという)統一したテーマをもとにライブを行ってきたござさんのツアーもまたこの千秋楽という観点で振り返ることができると思う。
以下、独断と偏見によりござさんのツアー千秋楽を振り返る。
趣味と職業
そもそもアマチュア時代(~2019年)のござさんが企画していたのは新宿の定員30人のピアノサロンが会場で、いつも配信で人気がある曲をリクエストしてもらったり即興したりしてお客さんと交流するという、極めてこぢんまりとしたコミュニティだった。
本業(介護士)をやりながら趣味としてピアノを弾いていた時期だったから、当時の規模としてはぴったりな形態だったのかもしれない。
しかし、演奏とか音楽理論においては《個人的視点からみて》昔からずっとプロだったと思ってる。(初めてきいたストリートピアノ動画も音大教授が変装してやってると思った)
でも今の演奏と、2019年以前の動画や配信つまりアマチュア時代の演奏の間には、歴然とした差を感じる。兼業時代も発想は今に通じるものがあるが、しかしどれももっと掘り下げてほしいのにという余地を残して終わっている。そこが兼業しながらの、物理的限界だったのかもしれない。
だからござさんにはどうあっても今のままピアノを生業 ( なりわい ) として、主たる職業として、ずっと携えていてほしいと心底思う。
必然的な無意識
世の中の通年としてはこのツアーは3rdアルバムEvolutionのリリース記念ツアーであって演奏曲もアルバムの物が中心で、ツアーのどこで聴いても同じクオリティで仕上げるというのが前提条件なのかもしれない。
特にクラシック畑の演奏だとそういうイメージがある。また、バンドとか歌手のアルバムツアーも連日の公演が続く中でいつも同じパフォーマンスができるかどうか、 というのがプロとしての基準みたいなところがあると思う。
そこでござさんのピアノは特色としてはリクエストを拾って即興とアドリブで応えるという点を信条としているから、自分は今回のツアーを(複数個所)回ってみようと決めるにあたって、一番見所として意識したのはその点だった。
アルバム音源という決まった展開、しかも今回同時発売で公式楽譜まで公開しているという徹底ぶり、それを踏まえて、どう出るのか?
実際に自分は尼崎、静岡、名古屋と回って聴いたが最後の東京も含めて結果論からいうと
アルバムという公式音源を元にしているという点は最大の強みだったし、そこをベースに自由に発展させてて生ライブならではの衝撃も備わっていた
と、まとめることができると思う。
ひとことでいうと、虚を突かれた気がした。
それも途中で感じたのではなく東京まで全部終わってみて振り返ってみると、なんかとんでもない現場を目撃したなあーと実感したという感じ。
アルバム曲を半年間同じクオリティをキープして聴衆に届けるということは、継続して一定の水準を求められることから、それこそがプロとしての矜持を示すところだと自分は今まで思っていた。
しかしござさんがアルバムをもとに複数個所ツアーを行うにあたり、素人の自分でも危惧する点として思いつくのが
「ござさんは即興とアドリブが命なのにそれを封印するってこと…?そういえば、去年複数個所を回られたときはどういう表現をされていたのだろうか…?」
という点だった。
早く言えば決まった曲のみ(今回でいえばアルバム音源だけ)を元に演奏すると飽きる と思うのだ、ござさん自身が。
決まった楽譜をもとにした曲だけを弾くツアーなんて、ござさんの演奏じゃない。
じゃあどうするのだろう?
そこで東京公演のMCの中で(家路の前に)自ら語られていたところでは、「『ツアーを通して弾いていく』ことを念頭にアルバムを構想し、組み立てていったこともあり、今まで楽しく練習できました」
ということだった。
つまり。
決め譜の中にも弾いてて楽しい要素を介在させる
=きっちりねじを嵌めない、遊びと余裕をもたせた設計
をアルバムの中に自ら盛り込んだのだと思われる。
ツアーの演奏の中で随時カスタマイズを自ら施すことができるのも、すべては自分で作ったアレンジだから。
構造を知ってるからこそ後から手を加えることも不可能ではない。
Evolutionつまり進化、進展、発展という意味がまさにぴったり。
アルバム曲ははじめyoutube動画として投稿されていたものも多いし、去年2025年のツアーでも演奏されていた曲もある。
しかしツアーで演奏された曲はアルバム収載の音源と並べても、もはや完全に別物と化していた。
いわば生配信でも素晴らしいアレンジの数々でおなじみだった曲たちだし、
それらがyoutube動画に上がってきたのを聞いてすごいな!?と感じ、
さらにアルバム音源に収録されてその垢抜けた表現に驚き、
そして実際にホールでの演奏を聴いてみて、ええ?と度肝を抜かれる。
ござさんの演奏がその都度、劇的に印象を変えていく様は、まさに根本的に別の個体に進化していくようないわばカルチャーショックだったといって過言ではない。
言い換えれば、時系列でそれらの楽曲が生態系でいう種として、進化していく様を目の当たりにしたともいえる。
そしてこれらの現象はござさんご自身にしてみれば、
「意図してないところから発生した偶発的な出会い」
とでも思われているのであろう。
しかし深層意識の中で緻密な計算が行われているはずで、それを計算していると気づかないござさん。
たとえば文字書くときに、ひらがなのあの字をどうやって書くんだっけ?って悩まないですよね。
ござさんにとってピアノは第一言語だからそこは無意識にアレンジは紡がれて出てくるものなのだろう。あくまでござさんにはその場限りの発想との新鮮な出会いを楽しむ、少年みたいな初々しさをいつまでも持っていてもらいたいと思う。
(いつもの配信を聞いていればお分かりの通り、思いついたアレンジを嬉々として弾いてる様はまさにいつまでも少年のようだったので、ファンとして全く安心している)
ツアーの最終日という存在は、こうした変化を胸に秘めつつ最後でさらにどういう変化を見せるのか、胸を躍らせながら現地を訪れる、いわばファンにとってはご褒美みたいなものだった。
それより表現者としてのござさん自身にとってはこうした変化を自覚されていたのかどうか、最後にどういう結果になるか蓋を開けてみないとわからなかった可能性はある(単なる想像)。
トリトンスクエアとホールの光景
千秋楽を迎えるにあたっては、それまで自分が回った3か所の演奏からどのように変化してくるのだろうか、という不安と期待を抱いたまま、現地へと足を運んだ。
場所は晴海トリトンスクエアの一郭を形成する、第一生命ホール。月島とお台場とか豊洲に挟まれたいわばウォーターフロント地区。
再開発ビルというか都会にはこういうオフィスとかホテル、ホールに商業施設といった様々な機能が組み合わさった複合機能ビルをよく見る。
田舎には大きなビルがあったとしてもせいぜいゆめタウンとかイオンモールなので、こういう立体構造もよくわからない近未来的風景のなかにホールがあるってだけで盛り上がりますねっ!
エントランスのガラス屋根が青空の下に幾何学的な線を引いていて素敵です。
ここへのアクセスは、最寄り駅に地下鉄がある。埋立地に位置するので運河を渡っていくのだけど、橋を渡ろうとして、自分のすぐ前を歩く人たちが皆すぐ左側の入口へ入っていく。もう開演も間近となった時間帯でたぶん全員目的地は同じと思われ、自分も同じく橋の左側の入り口に行ってみた。そこは「トリトンブリッジ」 という名がつけられた歩行者専用の橋で、いわゆる動く歩道になってて、 透明アクリル?の屋根と壁つきの全天候型 になってるではないか。さすが税収が国内トップクラスの中央区。資金を湯水のように使って公共インフラに還元しても全然痛くも痒くもなさそう。
しかし最寄り駅からこのホールまで、建物がぎっしり並んでてずっとコンクリートとアスファルトなのに辟易した。東京駅とか新宿とか渋谷周辺がターミナル駅として施設や商店が集積してるのはまあわかる。ここは単なる地下鉄の沿線にすぎないのに、土地がぴったりと隙間なくしかも立体的に埋め尽くされててゆとりの空間が無くて、詰め込みすぎやろと思う。こんだけ都会ならその辺に屋根付きベンチとか広い遊歩道とかの空間的な緩衝地帯があってよさそうなものだけどな?動く歩道ってなんか使い道を間違えてる気がするな?そこじゃないていうか。(あとで調べたらホールの向かい側には公園もあったらしいけど)
まあ、こういう再開発ビルはたまに遊びに来るテーマパークみたいな感じとでも思えば面白いのかもしれない。
さて。ビルの外観はともかく、今回の東京公演の目玉はなんといってもこのホールそのものにある。第一生命ホール、去年のツアーの最終日も確かここだったらしいし、その後のBudoさんとバレエ音楽のコラボで出演されたのもこのホールだったようだ。それらの公演を鑑賞された方々によれば、ここのホールの音響は素晴らしいものだったと聞く。
このホール両端に2階席がちょっと見えるが、これが1階席を楕円形に取り囲んでいて立体的な構造になっていた。
反響板もばっちりめぐらされていて、浜離宮ホールとかの音楽ホールとはまた違った思想で設計されているのだろうか、置かれたピアノもスタインウェイのグランドピアノではっきりいってこれ以上の環境は望めない。っていうぐらい、音楽的に豪華な空間に見えた。
そういえば浜離宮ホールでメモを取ろうとして紙をめくるのも音が響いた事を思い出して、念のため今回は音のしないメモ帳を持参してたのだけど、試しに開演前にちょっと触ってみると、ダイレクトに紙の音が反響をもって聞こえてきて(のような気がして)、あわててメモ帳を膝の上に戻した。
確かにFFさんたちが口をそろえて、「ここのホールで聴くござさんのピアノは、ほんと最高だよ~~~っ!!!!!」 ってのたまうだけはある。
まさにツアーの最終日、伏線を回収しに来るのにふさわしいではないか。
コンサートの印象
おまけ:外見のこと
いえ別に見た目は演奏に関係ないとは存じますが、念のため衣装を簡単にメモしておく。というか髪型はさっぱりと前でふたつに分けていて、巻くとかなんか色々手を加えられてないのは今回のツアーで共通のようで、短めの襟足とかもあわせてピアノの演奏を邪魔しなくてお似合いだしいい感じだった。スーツもツアー通して同じぱりっとした素材(?)の濃いグレーのスーツ、そこにえんじ色のシャツに、途中で気づいたんだがえんじ色の蝶ネクタイ…?名古屋の蝶ネクタイは、黒のシャツに真っ赤なネクタイでコナン君ふう(たぶん)だったし、今回のシャツも蝶ネクタイも赤ってなんか意味あるんですか…?
ちなみにこういう色合いですが。
去年がスーツが真っ赤でシャツが白だったから東京タワーって言われてた気がする。
じゃあ今年は夜のライトアップ版東京タワーですか…?(テキトーな推測)よくわからないですね…赤って気合入る色なのかもですね…
※資料:去年のスーツ。この上下赤のスーツを探すのが地味に大変だったとかなんとか
エリーゼの変容
忘れられた街
(基本的には、今回のラインナップも原則はアルバム音源に忠実であったことを付け加えておく。)エリーゼも、冒頭がJAZZふうにリズムを崩して始まった あとは基本的に原曲の雰囲気を保っていた。
ござさんのアルバム音源がクラシック曲から故意にペダルを切って「ゲーム曲みたいな」民族音楽のように軽快なリズムに変えてたのがそもそも革新的ではあるけど。『変容』というネーミングも、今まで「(JAZZ風)」とか「(ゲーム風)」とかの観念でアレンジに名前をつけてこられてたござさんが、曲名に固有名詞つけて、その場限りじゃないちゃんと現存する個体として認識されるようになったんだなあと思うと、配信主体だったころからの変化がはっきり感じられて感慨深い。
しかしここまで徹底的にアルバムを聞きこんできた耳には、
(たぶん冒頭はコンサート導入部、王道展開としてきちんとイメージ通りでくるだろう)
という自分の観測通り、予想を裏切らない結果となった。
忘れられた街は何か抽象的なモチーフや主題をもとにしてるわけではないようで、純粋に思いついたコード進行を元に、浮かんだ印象を題名にしたそうだが、コンサート版は題名の寂しいイメージからは見事に乖離した演奏になっていた。
中間部のアドリブがクラシック曲、それもモーツァルトとかハイドンの古典派みたいな典雅さと上品さを備えた即興演奏で彩られていて、それはもう息を呑むような美しさ。
果たしてここのホールは、ござさんの演奏をしてビロードのような手触りとつややかな光沢を備えた素晴らしい音たらしめる、噂にたがわぬ名建築だったといえる。
ござさんの音をそのように聞こえさせるというよりは。
ござさんの音の真の姿をありのまま伝えることができているという意味で名建築だと思う。
どこで演奏してもござさんのピアノはござさんらしさを失わない。しかしこのホールで最初の音の初めから印象的だったのは、エフェクトとかブーストとかフィルターとかかけずに、生の音、純粋にそのままのピアノの音が今まで聴いたござさんの演奏の中でも最も輝いていると感じた点だ。
それはホールという外的要因が、求められている役割を最大限に果たしたから。いや期待されている以上の仕事をみごとにやってのけてみせたからだ。少なくとも自分はこのホールに対してこうした最大限の賛辞を贈りたいし、またここでコンサートの機会があればぜひ行ってみたいと思う。
(ツアーと関係ない後日談)な んか幻が見えた
余談。この間ローカルTVのニュースで地元の音楽科ピアノ専攻の高校生を特集していた。譜面台に置かれたショパンの楽譜は触らなくても表紙が落ちそうなくらいボロボロだった。
ござさんは、ニュースに出演してた音楽科の高校生とは違う道を歩んではきたが、そこまで使い込むくらい練習してきた事実は、想像だけどたぶんそう変わらないと思う。
目指してる夢は違うかもしれないけどそれだけピアノが好きでひたすら練習してるというのは同じに見える。
ピアノを触るのが楽しいから練習続けていたらうまくなっていたと言ったほうが正しいのか、それも共通点のように感じられる。
ござさんは演奏するというよりは小学校の音楽室じゃなくてパソコン室で、休み時間に作曲してたというくらいだから演奏で表現するというより音楽で遊ぶという表現のほうがいいのかもしれないが。
その番組に出ていた高校生は「曲のストーリーを考えたり演奏に感情を乗せることが得意です」と紹介されてて、それってござさんそのままやなと思った。
音楽科とか高校での教室の詳細はともかく、番組見てて、ありし日の高校生のござさんがピアノの練習に打ち込むさまをタイムマシーンに乗って横で見てるような錯覚に陥った。
制服のござさんが画面の中で先生と弾いてるように見えて、「ござさん、大人になってもピアノだけを職業にできてるで、ずっと一生懸命練習してきたんやな、ものすごい練習したんやな、今も楽しそうにやってるみたいやで、よかったな」と思わず画面に話しかけそうになった。
(一見関係ないニュースに幻影が見えてきたのでだいぶやばい部類のファンだなあと、はっと我に返った。)
ハミングがきこえる
THE GARDEN OF EVERYTHING 〜電気ロケットに君をつれて〜
気を取り直して演奏の感想を書く。
この2曲もビロードみたいな手触りで優雅にまとめられている。ハミングの曲はウォーキングベースがついてJAZZがベースだしここのピアノとホールのイメージからは外れるという声も聴いたが、しかしこのツアーはクラシック曲のみがテーマとかいうのではない。JAZZでも存分にこのピアノは存在感を発揮していた。というかそのように見事にござさんが弾き分けていたように感じた。ピアノに、いくら曲調がはじけても受け止められる度量がある、みたいな。
クラシックみたいなイントロから幻想的に始まる電気ロケットも、というかこの曲のイントロとラストが、一番今回のピアノの演奏の白眉かもしれない。これらの繊細な印象を一切失わずに、見事に電気ロケットの曲というイメージを演じ切ってみせていたというか。サビの左手16分音符ビートの音もきっちり機械的に拾ってきて、かつ余韻を残している。
MCでは引き続き咳嗽が出て困っている話だった。本番が7/20(月)だったが、直前の土日の生配信もやろうと思ったが大事を取ってやめたそうで、あれだけ配信ジャンキーなのに丸々一週間飛ぶのはさぞ苦しいことだろう。お察しします。
あら奇遇ですね、咳がすごいといえば自分も東京のライブから帰ってから次の週の一週間、黄銅色みたいな痰出て夜も寝れんかったし、ほぼ声出なくなって電話で喋る部署なのにめっちゃ困ったので、なんか似てるんじゃないですかね。
そうなると昼夜問わず咳が出て寝れなくなるのわかりますし。
しかしここで管楽器とか弦楽器だと楽器吹いたり弓で弾いたりするのに咳が出ると演奏できなくなるところがピアノだと関係なくなるとか、美容院行ってものど飴でがんばったとか、とにかく外出できないから練習がはかどったとか、前向きに捉えられてて要するに気持ちの持ちようだなあと思った。
いやほんと、咳で寝れなくなるとまじで練習どころじゃなくなるはずなんですけどね。
どうやら肺炎とか気管支炎とかの感染症ではないようで、アレルギー体質からくるもののようですが、どうですござさん、やっぱ東京の空気が悪いからじゃないんですかね、ここはひとつ空気のきれいな(たぶんね)わが四国とかに来てみたらどうですかね。ピアノ配信なんてリモート業務みたいなもんで、どこにいてもできるからいいんじゃないですかね。空気のきれいな(水が綺麗とはひとことも言ってない)四国とかだと体質も改善するんじゃないでしょうか(^o^)
(あっコラボのリハーサルとかアー写撮影とかインタビューとか、たぶん職業としての活動はやっぱどっかの都会じゃないと無理なのはあるよね、そうですね)
………余談が多い。さっさと次の項目へいこう。
エチュード幻想曲
今回もほかの3か所と同様、たぶん曲の前だったか右手だけで4つのモチーフをサラーっと解説していくござさん。この片手で弾くさまが自分からは鍵盤も見えてなかったけど簡略化されたモチーフがなんとも粋で洒落ていた。
生配信で颯爽と素敵なメドレーを披露しといて、「……みたいな、ねっ」と照れ隠しかなんかみたいに軽く笑ってごまかす、あの感じ。客観的な形容はいいから、演奏聞いてくれという無言のアピールか。
さて、クラシック向けのホールでスタインウェイの状態のいいピアノとくれば、この曲が一番演奏がどうなるか気になる筆頭ではあった。
いえ結果としてはそこが焦点とはならなかったけど。
黒鍵のテーマから続いて、別れの曲の旋律が劇的にあらわれる。原曲の楽譜上もそういう展開だけど、単に順番がきたから現れましたていうのじゃなく、もっとこう、満を持して登場みたいな衝撃を感じた。
暴れん坊将軍のドラマで悪役たちが「ま、まさか…」とかうろたえる中、上様が正体をばらす時の展開に似てる。え?たとえがピアノじゃない?まあ分かりやすいからいいじゃないですか。
この劇的な雰囲気がなんかこう、次の曲の演歌のノリを感じたのは気のせいですかね。
そんな中、さりげなくアルペジオが木枯らしにすり替えられて、その中を左手の中音域のモチーフが儚い影の薄さで通り過ぎる。以後の部分も含めこの曲はスタインウェイの上品さが最も活かされた、アルバム音源の印象に最も近いものとなっていた。曲の編成の中でも最もクラシック寄り、前のアルバム収録のCHOPIN SYNDROMEが活動的な印象だったのでそれとの釣り合いも取れていて、こういうコンサートの編成の中でも存在感がある名アレンジだなあと感じた。
「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズ
ビロードみたいな音色だなと感じた今回のスタインウェイ、その本領が最大に発揮されてたのはショパンじゃなくてこっちだと思う(素人感)。
イメージで言えば一番劇的度が高いアレンジ。
ピアノのテンションを最大に引き出してる。
たとえば電気ロケットに君を連れてのラストシーン、高音部に向けて弱音で締めるところ、客席がまるで水を打ったように静寂に包まれる。
津軽海峡の序盤もそのような弱音でモチーフを淡々と提示するところがあった。
そういう最弱音に近い音、PPP(ピアニッシッシモ)のレベルで限界まで、果敢に境界線上のぎりぎりを攻めまくってくるござさん。
また逆に、どれだけ強く打鍵しても音がちゃんと和音として成り立ってて全く音が割れないし濁らなかった。津軽海峡の演歌としての見せ所、決めの場面がまるで歌舞伎の見栄を切るシーンみたいに型どおり目に見えるようだ。でもくどい程のクライマックスの表現も、ダメ押しで大音量で鳴らしてくるのにあくまで上品で脂っこく感じない。
ござさんはどこのホールでもピアノときちんと向き合い、いちから手に馴染ませて仲良くなり、正面から対峙しているように見える。
ここのピアノは過去の経歴から2~3度めだったかもしれないが、初めてではなかったと思う。そこで今回、前の手ごたえを思い出していたのか、
「どこまでいける?もっといろんなパフォーマンスできるよね?」
と、ピアノに尋ねるというよりは、演奏のパートナーなのにむしろ煽りまくって挑発してた感がある。
しかしピアノはそんな無理難題を突き付けられてなお涼しい顔で返していた気がした。
ピアノのポテンシャルも高かったと思うが、ここのホールならではというか、ござさんの真の姿を見たというか、これが本来の演奏なのかもしれない。
過去の仕事と兼業時代の配信や、ストリートピアノ動画を聞いていた時代、「これご本人のほんとの演奏ってどんななんやろな」と、いつか解明したい世界七不思議のひとつみたいになってたから。
リアルにホールで演奏聴けるようになって徐々にその謎は解かれつつあったがまだ、どこかにわだかまりがのこっていて消えなかった。
それがついにここのホールで明かされた感じ。
ござさんは「いつもリクエストに応えてたら、自分の弾きたい曲を自由に弾くのが突然ではできないですねえ」とかいって「あなたの聴きたい曲を弾く」っていうスタイルを堅持してたと語られてるが、実態はかなり乖離している気がする。
実際はござさんの弾くアレンジが聴きたいから、みんな配信とかライブに集まってくる、のがほんとのところではないのか。
ござさんのアレンジ、展開する和音進行、選ぶフレーズの多彩さ、どれをとっても揺るがないござさんの意思、強い主張をはっきりと感じるからだ。
ござさんはどこでも自分の音を見失わずに冷静に提示してきてて、それを隠さずに自分の音だけで勝負してきている気がする。
いい演奏は自然と人を惹きつける。
ござさんのピアノのホスピタリティは、そこが本質なのかもしれない。
間奏曲
ここで15分間の休憩を挟んで後半がはじまり、最初の曲は他の公演と同様に間奏曲から始まった。この曲は少なくとも今年のツアーでは曲の元の構想通りにゲーム音楽での場面を区切る曲と同様、コンサートの前後半を仕切る物理的障壁をイメージしているようだ。
どの曲も、アレンジ、また現地の演奏の微妙な呼吸の間とかがこなれてきて、やっぱり現地でお客さんの前で演奏を重ねていくと譜面が手になじんでいくってほんとなんだなと感じる。ござさん、東京の自宅で生配信は続けていただきたいですけど、こうして人前で弾く機会は大事だなって感じましたので、ぜひ次もツアーという形式は続けていただきたいと存じます(素人ながらに)。
さて後半最初のアナウンスが流れ、喧騒に支配されていた客席が瞬く間に静かになったかと思うとござさんが登場したが、しかし沸き起こる拍手が終わって再びホールの空間が完全な静寂に支配されてから、その瞬間を待っていたようにござさんは鍵盤に手を置く。やっぱり純粋に演奏家としてここのホールと、このピアノと対話したいのだろう。
決して対戦ではない、対話するのだ。
さてこの曲は和音の展開で印象が変わっていって、次第に背景とか場面が変遷していく情景を思い出させる。ゲームで言うところのステージが進む緩衝地帯でのつなぎBGMを想定している、とござさんは語られていた。
はたして曲全体のモチーフは基本的にスタッカートで高音のそれは金平糖が転がり出るようなかわいらしさ。
しかしこの曲の展開は和音が基調になっていて、その変化で曲自体が進行していく。和音の変化が曲の表情すべてを物語る根幹を成す。
特にここのホールでの演奏は、和音ひとつひとつに燃え立つような豊饒な幻影が見えるようだった。
この倍音の多彩さは、エンジニア処理されたアルバム音源では表現しきれてない部分があると思う。その生きた音の波動を同じ空間で手に取るような感触で楽しめるのが、ライブならではの醍醐味だ。
そしてやっぱりこの曲もサビのクライマックスの頂点の音量でも、全く音割れしない。複雑な倍音を、どっしりした重厚な音圧に換えてくる。ござさんの表現と楽器のレスポンスの素晴らしいコラボレーション。
リクエストコーナー
さて。去年のツアーから引き続き、今年も各公演でもおなじみとなったリクエストコーナー。というか今年はチケット販売時、公にリクエスト曲を募ったのでそれぞれの公演に対するリクエスト曲から選んで弾いていくスタイル。いままでの目をつぶって客席を指さす方針から脱却したござさん。そうそう、あれは無理があったと思いますね、公平という意味で言えば、チケットを買った全員に権利が発生する今の方針のほうが良いと思います。
ぎっしりと並んだ曲リストを眺め、東京公演には格別に思いの籠ったファンが多かったのか、ござさんは
「リクエスト曲にも傾向があって、優しさを感じるタイプ、叱咤激励してくるタイプ、などと色々あります。ござ甘えんじゃないぞ、と言って下さってるわけですね」
とかなんとか、自虐気味にぼやいていた。前半を終わってあまり残されてない体力を慮りながらなのか、もうあまり余力が遺されてないことを示唆していたのか、にしてはその後の演奏と矛盾するが。
メドレーはスタンダードJAZZから始まった。自分の手元のメモにうっかりチュニジアの夜とか書いたが違う、ガーシュウィンのサマータイム だ。JAZZの中でも元祖の分類、ブルースってことだ。いつも生配信で拾われにくいスタンダードJAZZを採用してくださりありがとうございます。アドリブが得も言われぬ妖艶さを醸し出してて 何よりも本人が一番乗っていた。
はっきり言っていいですか?ここまで婉曲な表現とか色々使って散々言及してきましたが、もう言っちゃっていいですか?年齢レーティング無い範囲で言っていいですよね?
ござさんの演奏、特に即興、色っぽいんですよね。
配信始めてからでも(少なくとも)17年かそれ以上、いま年齢を重ねてきて創作にも最も脂が乗ってきている境地に差し掛かっているのではと思われる。濡れたようなつややかな輝き、そしてそれに奥行きを与える、重々しく深みのある渋い音。
ござさんの演奏で最も鍵を握っている、そして聴きどころとなるのはこの色っぽさだろう。
サマータイムから短いアルペジオの間奏を挟んでモルダウがいきなりメインモチーフのサビ から入った。そしてメドレーの短縮版だからか、いきなりラスサビの盛り上がってるところへワープする。この盛り上がりパートを最大限に使うためかラストの展開は全部乗せ豪華バージョンで、次にいきなりワルツになった。
あれ?オリジナルのワルツ第一番?そんなわけないやろもっと曲は複雑だ、でもなんだこれ?と思っていたら、ワルツ風に改竄されていただけのキテレツ大百科のはじめてのチュウ だった。えー、悩んだ自分の気持ち返してください。でもワルツ風なだけあって超かわいく擬態されている。もともとの曲もかわいいけど方向性が違う。
このへんで、ライブも後半だしござさんもお茶目になってきたというかそろそろ遊びたくなってきたのだなと推察する。いい子でアルバム曲だけ弾くフェーズは終わりを告げたのだと。リクエストコーナーだから自由にしてもええやろ説あるし。
ワルツつながりだからか、Waltz For Debby(Bill Evans) でこれもJAZZが採用されていて生配信でなかなかお目にかかれなくなってきたジャンルだけに、いっぱい聴けて(しかも生で)嬉しかった。オーソドックスな展開で、スマートで軽妙なアドリブが跳ねる。
それから続いてワルツつながり?で Waltz for Ariah (たしかVenus & BravesってゲームのBGM?)、印象的なテーマが抒情豊かに語られる。ござさんならではの間合いを用いて。美しい高音部のパートを経て、ラストに掲げられたのはジブリのあの夏へ だった。前の曲から畳みかけるようなダメ押しの展開。さらにPPPの表現になると、雫が滴って波紋が幾重にも広がっていくような美しい和音が透き通るように美しい。しかしペダルの効果もあるだろうが、あくまで複雑な和音も濁らせまいとする繊細に設計された表現が胸を打つ。
仕上げには長調版のモルダウ が据えられてメドレーのトリを飾っていた。全体的に癒し系に徹することにしたのだろうか。最近のござさんのこういう傾向、テクい方向から表現に全振りする方針がござさんの最近の演奏の艶っぽさとあいまって、自分の感情にストレートに入ってきて本当に胸打たれるのだった………
さてこのツアーのリクエストコーナーを総括してMCで語られていたところでは、今年新しく考案した試みだったけど結構たのしかったとのこと。
ござさん曰く「リクエストコーナーはみなさんの優しさに支えられてできている。」
でも、生配信のようなその場で曲を募って即興でやるコーナーは実質ここだけなのだから、ツアーの中でもござさんにとって貴重な自由時間かつ癒し枠、なくてはならない存在と思われるので次回のツアーでもぜひ採用していただきたいです。ファンとしても、珍しい配信では採用されにくいような曲も、ござさんの目に留まるチャンスなので、来年もこのコーナー楽しみです。
未定のコーナー
続いて、他のツアー公演と同様にリクエスト曲からではない完全に自由な選曲のコーナーとなった。リクエストコーナーを採用曲を曖昧にして即興メドレーに仕立てたのと同様、気づいたらもうひとつ即興コーナーが作られていた感じ。ツアーで決められた譜面での演奏が続く中、この流れはござさんにとってひょっとして生命線なのかもしれないなと思ったのも、他の公演と同様だ。
だってあれだけ配信ジャンキーで即興演奏一週間に1~2回(うち片方は練習キャスだから原曲通りだとしても)しないとメンタルが滅ぶござさんが、ほんと全曲譜面通りのツアーって矛盾するってなったのも当初自分が危惧してた通り。
去年、一昨年のござの日公演でもリクエストコーナーでは即興があったし、それぞれの楽曲に時折自由な即興は組み入れられてきたが、今回はっきりと事前に即興と掲げられたコーナーになってきて、ござさんはこの仕組みに明らかに手ごたえを感じてる気がする。ここで自由なアレンジを入れることで、ほかのアルバム曲の部分は原則シンプルな演奏にして、表現の点で揺らぎを持たせるという意味では各公演で違いが出ていたというふうに住み分けていたのかもしれない。
選曲のほうは、
「(意訳)7月序盤に梅雨明けしてからというもの暑さが厳しいですが夏真っ盛りということで、夏祭りの曲でアレンジしてみましょう」
という簡単な説明からさっさとござさんは演奏に入ってしまった。そりゃそうだよ、アレンジ思いついたらコード進行とか忘れないうちにさっさと弾いてしまわないとどっかいくか賞味期限過ぎるんですよね?
夏祭りの曲っていうのは原曲がJitterin’ Jinnで、たぶんござさんのアレンジはWhiteberryがカバーしたほうみたいでちょっとアレンジがマイルドな気がするが、これぞ夏っていう永遠の名曲です。ござさんの配信で夏メドレーでもほぼ確定で必ず入ってくる、おそらくお気に入りの曲。構成がシンプルなのか、アレンジしやすいからなのか?わからないけど。
イントロはいつもの3倍は遅めに設定されたであろうと思われる、華麗なアルペジオから入る感動版。ツアー千秋楽限定の豪華版というかいつもより多く回しております感。
それから我に返ったような爆速の原曲モードになってそのまま突っ走るござさん。途中に爆速のまま勢いで「あの夏へ」の旋律を拾ってるが、目にもとまらぬ速さ。
一瞬息をついて穏やかになったかと思いきや、そこから荘厳で重厚な感動アレンジへとなだれこむ。ラストに向けてテンションもリズムも、ござさんが自らを追い込んでいくかのような息詰まる展開に、客席は息もつかせぬ鬼気迫るアレンジに呆気にとられ、誰もが気を呑まれたように視線はござさんに釘付けになっていた。
-----※過去動画の引用コーナー-----
夏祭りのアレンジで個人的に印象に残ってるアレンジが、今回のツアーとは全然状況も使用楽器も方向性も違うけど、これはこれで自由で面白かったなと思ってるので動画を置いておきます。メンバー限定じゃないから誰でも見れます。
言わずと知れた2020年のネピサマライブ。このサムネにも当初から夏祭りの曲はメイン曲のひとつとしてセトリに入っていたようです。
今振り返って見てようやく余裕をもって話せる。初回のネピサマのほうですか?自分は二度とあれはトラウマになってて見れないです。
(これを企画されたのは菊池さん、またござさんも手探りの状況だったと思いますが、ネピサマを配信でやってくれて、ファンとしてもどれだけ救われたことか。)
VIDEO
たしかこれの冒頭に甚平にバンダナ巻いてござさんが登場して、それだけで嬉しかったですねえ。アレンジもこの前の8/16の一人合奏配信からさらにバージョンアップしてて最強モードになってて、楽しかったのを覚えている。
以上、引用コーナー終わり。
ワルツ第一番
自由なコーナーが終わって、ござさんはMCで次の曲目のワルツ第一番について解説を始めた。
他の公演でも言われていたがこの曲の目的というか存在意義は、アルバムリリースと同時にツアーすると必然的にアルバム曲ばかりのプログラムとなり、したがって難曲ばかりの濃いラインナップになってしまい、実際にツアーで弾くと演奏するのも大変だし、ファンの方々も聞いてて食傷気味になって大変である。
そのためライブの演目構成にメリハリをつける目的で、ワルツみたいなのがあれば箸休めみたいな感じでいいのではないか。
ここまではたぶん前回までのコンサートで言及されていたことだ。
しかし、ござさん曰く。
「そのつもりだったんですが、なんか違うことになってきてて。作曲してるときの自分が悪さするというか悪い事考えてて、『ツアー当日に実際に弾くのは別の自分だから、少々難しかろうが大変だろうが、まあいっかー』ってなりがち。
そうして結局は、しんどい曲が完成してしまう。
で、がんばるのは本番演奏するほうの自分。まあ、しょうがないです。」
………???
ござさん、ドッペルゲンガー現象で分身 しちゃったんですか……?
じゃないですね、結局アレンジしてるときの自分は現実の演奏を考えてなくて、面白いアレンジ思いついたーとか、この和音進行かっこいいーとかいうノリで作曲してしまい、あとで我に返って後悔するも時すでに遅しって感じですか。
なるほど、いかにも変態 おもしろいアレンジマニアのござさんならではです。
このMC通り、このワルツの曲もどう見ても演奏されてるござさん本人が一番乗ってるのが何よりの証拠かもしれない。
インタビューで言われてた「お客さんだったらどう聞こえてるかというのが客観的に演奏中にわかってきた」という感覚がもたらした結果なのかも。
ワルツという曲のジャンルの特性上、曲調は優雅に展開していく。でもござさんならではの数字とか楽譜上にはあらわれない訛りみたいなちょっとした拍の間合いがアクセントになってて、ござさんのライブでしか聴けない、自作曲ならではの面目躍如といったところか。
ウィーンフィルが演奏するウィンナワルツが、独特の間合い(3拍子の間合いが絶妙に遅れる)でもって他の楽団にはないオリジナリティを出してるのと同様に。
「名探偵コナン」メイン・テーマ
ルパン三世と同様にJAZZ要素の詰まったアニソンだと思うが、しかしござさんのアルバム収録アレンジではクラシックが基調となっている気がする。
この日の演奏もひとことで言えば、優雅で高貴といったところか。
Youtube動画に投稿されたときのキャッチフレーズはおしゃれアレンジ だった気がするが、そういう平凡で一般的な概念でこの曲を見ると正体を見失う。ござさんは故意に何げない表現でアレンジに込めた真意をごまかして、曲への視線を逸らす癖がある気がする。
原曲のフレーズをもっと鋭く解析してアルペジオとかちりばめた緊張感あふれる名アレンジだと思うが、特に東京の演奏が優雅に聞こえたのは、ほかでもないホールの響きがすばらしかったから印象がクラシック寄りになったっていう、いわば結果論だ。
どちらにしても、アルバム収録曲はどれも既存の音楽ジャンルからは逸脱している。どれもござさんならではのアレンジに彩られていて、しっかりそこに軸足を据えて動かない。今までの2枚のアルバムではいまひとつ焦点がよく見えない気がしていた。しかし、今回のEvolutionではっきり作風がわかってきた。ござさんの拠り所とするスタイルも、ファンとしてどういうところを推せばいいのかもはっきり形を伴って把握できつつある気がする。
MC
・コンサート終盤に向けて僕の喉はどんどん終わりに近づいている。
---------だからござさん、空気のきれいな場所に引っ越したらどうですかね。住む場所はそうですねえ、大きな山がない島とかに移住してしまえば、花粉症とかも含めて関係なくなるのではないですか?はい、そんな小さな島はウーバーイーツが無いだろうから引きこもれないので無理?しょうがないですね・・・
じゃなくて。こうしてのど飴でがんばりながらも千秋楽を迎えることができたのは、咳がひどいというアレルギー体質寄りの現象にとどまっていたからに過ぎない。ちゃんと医療機関を受診されていたようだからよかったですが、気管支炎とか肺炎とか系の感染症にやられてたらそれどころじゃなかったはずです。あの咳でそういう炎症がひどかったら普通に数週間入院ものだったりするし、そっちの咳じゃなかったと分かって自分は胸をなでおろしましたけど。
何が言いたいかって、7/12(日)にちゃんと配信を自粛してくださってほんとによかったということです。そのために休養が要るなら7/20の千秋楽は中止になってもやむを得ないと勝手にあきらめの境地になってましたし。しかしツアーの最終日という大切な節目へ向けて、体調を合わせて這ってでも出てほしい、どうしても間に合ってほしいとも思っていて、当日ちゃんと千秋楽のホールに着くまで自分の中で二つの気持ちが拮抗して折り合いつけれなくて大変でした……
何か知らんが無理は禁物です。体のことは、がんばってもどうにもならないときはあるんで。ていうか演奏家というのは自営業なので、ござさんは腕一本でやってるわけですから、まじで体が資本なので、ほんとに気を付けてほしいところです。
・この回でツアーも終わるので、夏休み気分だけでも味わいたい。体調はこんなだけど、スケジュールなんとか繰り合わせて(旅行とか)どっか行きたい
---------後日の7/25の配信を聞くかぎり、この咳が関係してることもあってどっか行くのは見合わせられたようで、それも一安心でした。
ふらっとどっか行きたくなったら都内にも六義園とかあるじゃないですか?(暇なとき息抜きに行ってたって、昔なんかの打ち上げでピアノ配信者さんたち同士で話してましたねえ。それで同席してたぜろいちさんに、「暇だからって六義園ですか!渋いですねえ!」って激ツッコミ入れられてましたねえ)
そのうち涼しくなってきたら出かけやすくなると思うし、合間を縫って静養できるようになるのを願ってます。
・めんつゆトラップ(この項はもっと前のMCかもしれない)がコバエによく効いたが、コバエによく効くギドラックス買ってさらに対策して云々。
---------このタイミングだったか、コバエの後日譚は分散していろんなMCで詳細に語られてたので、よっぽど日常生活のうえで迷惑だったのか(そらそうよ)、解決して心底ほっとしたのか、なんだっけ結局このゴジラかギドラみたいな名前の謎の殺虫剤?では解決しなかったんだっけ?忘れたが、めんつゆがよく効くのは朗報だったなと思った。
今年は暑すぎるせいか、うちにはコバエが発生していないけど、田舎は開けっ放しの空間なのでそのうちコバエが発生したらめんつゆやってみます。便利な情報ありがとうございます。
………なんかMCで大事なことを語られてたのが抜けてますね、なんでしたっけ、違う、告知をちゃんとされていた。これも確かMCが抜けないようにあらかじめ用意されてたメモを棒読みしながらだったかもしれないけど。なんでもいいから、このツアーに初見でフラッと来られた人もいるかもしれないので、ござさんのこれからの活動について、ほかにも様々な演奏に携わってるんだよとかロビーでは新しいアルバムも、連動した公式楽譜も売ってるんだよとか、それについても話してたかどうか(どうだっけ)?
まあこのツアー最終日に、次のコンサートの予定ありますって言えるって地味にすごいですよねと勝手に感動していた。
ありがたい話です、ほんとに。
今後の告知その1:9/18のbudoさんとの浮世絵をテーマにしたコラボコンサート (この記事はインタビューなので、サイトの中にコンサートの詳細も書いている)
今後の告知その2:11/28に菊池さんと月刊ピアノ30周年記念事業?の一環としての2台ピアノコンサート
家路
原曲はドヴォルザークの交響曲第九番第二楽章、家路というのは日本での愛称で、昔から合唱曲などにアレンジされてきた(今でいうカバー曲扱い)。
ここまではアルバム収録のアレンジの話。
確か尼崎公演では順序が宝島のあとに演奏されたためか、ラテンのリズムを引きずってて陽気なアドリブに占領されてた気がする。それは例外としても。
その後の静岡・名古屋と連日続いた公演では、家路は即興演奏枠として位置づけられていたようだ。今までのコンサートレパートリーでいう、ダニーボーイ枠だなと会場で誰かが言っていた気がする。自分もそう思う。民族音楽を取り入れたシンプルで親しみやすい旋律、それから(たぶん)アレンジしやすいコード進行ていうのもあるかもしれない。
静岡・名古屋で家路にこのように大幅なアレンジの改変を入れてきてたので、東京公演では個人的にはある程度心の準備はできていた。
なんでも受け止めるからかかってこいと、鷹揚に構えていたつもりだった。
不思議な浮遊感のあるアルペジオで演奏は始まった。簡単にいえばキラキラしてる素敵な幕開け、いやそんな純粋にアイドルの曲みたいなわくわくする展開ではない。
時代を超えて愛される、郷愁を誘う主題が静かに穏やかに乗ってくる中で、左手がいわゆるマイナーコード?みたいな響きでずっと和音のままリズムを刻んでいる。なんか簡単に書いてるがずっと和音でリズムって弾いててしんどそうだなって、咳よりも自分は聞いててそっちが心配になった。
それから徐々にワルツ風の拍子にのってJAZZワルツ、というかJAZZバラード系の展開へ変化していく。
ここからの展開が単なる家路のアレンジとかバラードの変形という想定を超えていた。
万感の思いを込めて、ひとつひとつ足跡をふりかえり噛み締めるように、和音をホールに向かって打ち出してくるというイメージで、ござさんはひとつひとつの打鍵になにか意味を込めているように見えた。
まわりくどいんで結果から行きますがね。
この曲、日本での愛称は家路じゃないですか。それは偶然だったかもしれないですが、しかしござさんはこの曲に対して、色々な意味で題名の文字通り、家に帰っていくという標題をつけて、ツアー各地で弾いてきたのかもしれないな、と思うようになった。
そう仮定すると、千秋楽での演奏が最も印象に残ったのもうなずける。
ござさんは今に至る道程を振り返りながら、足跡をたどりながら、この曲を弾いていたのではないだろうか(という妄想)。
原点に回帰する。
ここに到達するまでに得たものを携えて、ござさんの胸には様々な思いが去来していたように見えた。ござさんは黙して語らないけど、代わりに第一言語ピアノが思いを全部代弁してくれている気がした。
客席で聴いていたファン、それぞれにも抱えてきた思いはあるだろう。それがござさんの気持ちを雄弁に語るピアノと呼応してか、客席の自分の周りだけでも、涙してハンカチで拭う人や、すすり泣く声が聞こえた気がする(気のせいではない)。
ホールを埋め尽くしたファン、彼らが願うのはござさんがござさんらしくあること、
それに対しござさんが返せるのもピアノによって、この構図が最も如実に表れていた光景だった気がする。
なんかそれ当然だろっていう構文になってるけど、しかしござさんとファンって純粋にピアノでだけつながってるから、まさにこの通りだと思う。
宝島
この曲はほかの曲と同様に、アルバム音源に沿った表現だった。軽快でさわやかな青春の思い出。それを吹奏楽とT-squareの原曲が合体させるという、編曲の技術上どうなってるのかもはや謎に包まれてるアレンジで、それぞれの聞きどころをミックスさせてつないでいく。
ラテンが基調だが吹奏楽版が入っているのでそこまでヒートアップせずに楽しい演奏となっていた。
ござさんの意図は、この曲が家路のあとだからか、または元々こういうアルバム版に沿った素直な演奏にしようと思っていたのか。
たぶん絶対に前者だと思うんですよ(断定)。
家路で、ござさんも、客席のファンも、これまでのござさんのピアノに始まりピアノで続く人生を振り返ってきて、重いものを心の中に抱えてたと思う(たぶんね)。
そんな中ござさんのいつぞやの動画に付されてた字幕がよみがえる。
「最後と言えばこの曲!」
「しんみりするのはイヤなので、盛り上げていきましょう!」
そう、ござさんといえばこういう性格なんですよ。
今回はツアーの千秋楽をめでたく迎えたステージというお祝いムードに包まれた雰囲気で、無事そこに至った安堵の気持ちが多く含まれた演奏のように感じられたが。
しかし、いつでも、先が見えなくても、たとえ理不尽な結果に終わった場合でも、苦労が報われなくても、というか演奏家という実力社会なんて9割方うまくいかないというか、結果の出ない日々を送るばかりなのだろう。
とはいえピアニストにとっては毎日の練習こそ最も大切な演奏活動と言える。
ござさんはたぶん見えないところで毎日驚異の練習量をこなすことで、あの演奏をキープしているはずなので。でもそれが続けられるのは、ただピアノが好きだからなのだろうし、まさにピアノ弾くために生まれてきたんだなというか、天職だと思う。
自分はそう感じたので、家路の演奏に対するものとは別の意味でこの曲でも涙が止まらなかったが、ござさんのピアノは
「そんなモヤモヤとした気持ち抱えてないで、明るくいきましょ!」
と、自分の後ろから肩を叩いてきた気がした。
そうだなあ、前向きに考えるのが一番大事なのかもしれないな。
参考動画:このメドレーの最後の曲のところで出てくる字幕を参照した。
VIDEO
アンコール---情熱大陸
今回の自分の席はステージに向かって右側だったので動画撮ってるとお客さんも映り込んでしまったため、ここにはUPしない。Twitterなどにタグつきで動画が沢山上げられてるので、そちらをご覧いただきたい。
Twitterの仕様変更なのか、2:20以上の動画も投稿できるようで、ござさんのアンコールはいつも4,5分はあるのでどの投稿動画も角度が違ったり微妙に音響が違ったり、どれ見ても楽しめる。
……じゃなくて、ピアノの蓋側に座ると、弦から発する音がダイレクトに響いてくるのでピアノソロに限っては自分の座った角度はよかったらしい。なるほど?そりゃ聞こえ方は素晴らしかったですが。しかし席はあくまでくじ運によるものなので、ここでは考察しない。
全プログラムを演奏し終えたござさんは、いつもの通りIQが著しく低下してるとかなんとかで袖からのアナウンスからの指示により、動画は今回も撮影OKとなった。このアナウンス聞いてるときのござさんの姿勢というか表情というか、そんなちょっとした所作もきちんとしてて好感が持てる(いえ別にマナー警察などではなく…)。
このござさんの、なんでもないときの所作が好きっていう意見に賛同いだたけないですかね……?なんなら生配信でのピアノ弾いてる合間みたいなとこすらも、ちゃんとしてると思うんですよね…単に家なのに、きちんとしてる気がするんですが(気のせいか?)
そんな余談はいいから、このアンコール動画だけでもホールのすばらしさ、ござさんの即興が炸裂してるところが存分に楽しめると思う。
全演奏を終えて、というかツアー全公演を終えて肩の荷が下りたのか、よりいっそう即興のアドリブが疾走してていい感じに力が抜けてて、色々大義名分を省いた本来のござさんの即興が帰ってきたという気がした。
それぞれの公演で違う曲のアンコール、そして全く別の発想の即興演奏。
最後の瞬間まで、ござさんらしさにあふれたツアーでした。
即興は今も昔も、ござさんライブの醍醐味
ござさんの演奏は、ストリートピアノのメドレーでも、ひとつの生配信でも、というか曲ごとに、なんならワンフレーズにも、いやひとつの音にさえ、物語が感じられる。
プロの演奏家は実際、ひとつの音を出すのに、姿勢や体の使い方、呼吸、音の入り方から音の出方に至るまで、こだわりを持っているはずだ。
ござさんのアレンジはそこまで楽器そのものという物理的な、アコースティックな媒体に全てを委ねるのではなく、楽器とともにご自身の構築するアレンジ、和音といった表現方法も駆使して全体で音楽を表現しているという独特のスタイルではある。
結果として生まれる演奏にはござさんの全てを賭けた情熱、執念といったものが音の端々に感じられる。
執念、それがござさんのピアノを表現する語彙としてぴったりだ。
音楽を手掛ける者としてそこだけは絶対に譲らない、この一線は絶対退かないという執念。(指が足りなければ、届かなければ、じゃあ練習してできるようにすればいいじゃないという本末転倒な理念をひしひしと感じる。)
ござさんの即興演奏は、ライブそのものが映画のような起承転結を持ったはっきりしたストーリーの上に組まれた中で、意表を突く展開だったり観客を巻き込んで共感を呼んだりするうえでの重要なファクターを担ってる。
(そもそも生配信からしてそれぞれが一編の映画のように作り込まれた展開で、最初から見ないと途中の感動もラストのシーンの意味もわからない)
ツアーのみどころは毎回違うアンコールとか、現地に行けなくてもアンコール動画のSNS投稿を許可してくださったのでファンみんなで楽しめるという意見がある。
それはござさんのツアーならではの楽しみ方としてほかでは体験できないことだし、ファンコミュニティの中で平等にライブを体感できる画期的な発案だったと思う。
それを前提としたうえで、やはり、ござさんはご自分の最も得意とし、また最も観客と市場に訴求できる要素である即興演奏を、ライブの構成に組み込むことで、現地に足を運んだファンに対してピアノで応えてくれているんだな、と痛いほど感じる。
ファンとしては人生の中でそれぞれのペースでそれぞれの姿勢で各自ござさんのピアノを楽しめばいいと思う。
しかしござさんも、ファンが(あくまでできる範囲で)現地に来てくれたら付加価値をつけてくれるという事実は、ピアノを楽しむファンとして夢がある。
現地に行ったから聴けた演奏っていう付加価値。
(※ここで現地に行けない人もいるという説もあるが、その議論はここではしない。人生みんな色々な事情がある。それぞれの事情でやればいい。自分もたまたま人生のうちで今時間がとれる時期なので動いてるだけであり、いつ行けなくなるかわからないから今のうちにがんばって現地に行ってるともいう。)