【 注 意 喚 起 】
※こ の 冒 頭 部 分 は 前 の 記 事 の コ ピ ペ
この記事はネタバレを含みます。
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ござさんのツアー、2026/6/13静岡公演に行ってきた感想を書きます。
がっつり内容を書くので、まだツアー参加していない方、内容を知りたくない方はここでお戻りください。
≪ここから以後、目次を含めてネタバレを含みますが、ご同意いただけますか?》
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伏字なしで全部書いてるため、今後のツアー東京公演のみに行かれる予定の方はツアーが全部終了してからお読みになる事をお薦めします
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ほんとに読みますか?(注意喚起3回目)
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ほんとにいいんですか????
はい、しつこすぎて心が折れかけてる方々、ここから目次です。
ではどうぞ~
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目次:クリックで各項目へ飛べます
決め譜と即興アドリブ演奏
時間がないのでサクサク考えます。
この記事は6/13のござさんのソロツアー静岡公演の感想です。
このコンサートは3rdアルバムEvolutionのリリース記念ツアーでもあったが、でもござさんのピアノの根幹を成してるのはアドリブであり即興演奏だ。
アルバムの副タイトルにJAZZピアノコレクションってついてるが、これはガチのJAZZファンへのメッセージではなく、ござさんのアレンジが即興をメインに据えてるためにそのスタイルをJAZZと形容したのかもと思った。
でもアルバムに収録するということは、物理的に決まった筋書きによる演奏をござさんの演奏としてメジャールートにのせて売るわけで、そことござさんの即興との兼ね合いはどういう整合性を取るのか?
自分は考えていた。
それは1stアルバムが出た時からずっと考えていた。
この部屋の記事が2024年から以後書くペースが階乗の勢いで減ってるのは、その解決が自分の中でついてなかったからだ。2024年の2ndアルバム発売から、その内容はまだ自分の中では過渡期だったのかもしれない。そこに自分的にはっきりと解を示したくなかったのかもしれない。
生配信だとあれだけ
ござさんの演奏がCDとかの音源に収録されるのも夢ではあったけど、
逆に決まった音源になるということは、即興を型に嵌めてしまうことになる。
それはござさんにとっていいことなのか。
CDの販路に乗るということは、ござさんのピアノがYoutubeとかネット以外で初見の人の目に触れる機会が多くなることを意味するから、画期的な変化であったはずなのだけど。
まず3rdアルバムのEvolutionを手に入れてみて聴いて、そういう自分が勝手に抱えてた葛藤が気にならなくなるのを感じた。
即興の要素が決め譜に馴染んでいた。
また、録音も素晴らしくて、理由は分からないけどこのアルバムはエンドレスでいつまでも聴いていられた。
そんな今までと違うなという感触を手にしながら尼崎のコンサートに行ったところ、こういった決め譜として世に流通してるバージョンとはまた別の印象、しかし即興を交えつつもきちんと、この曲はこうっていう鉄則を崩さずに演奏されていた気がする。
ここまでは前回の感想で書いたかもしれない。
Evolutionというキーワードはこのアルバムのアレンジ、そして演奏そのものに懸かっているのだと思っているけど、つまり内容そのものだと思うけど、しかしござさんのソロコンサートそのものも試行錯誤からの変化を模索している最中なのかもしれない。
決め譜を披露する場のソロツアー、そこでどうその場ごとの特色を出していくのか。
まだその行程は五里霧中なのかも。
6/13(土)静岡の場合
都市の機能と、札ノ辻という場所
静岡市は古くは駿府と呼び慣わし、駿河と遠江の二か国を支配した今川氏の拠点として栄えたことは周知のとおり。そのあと時代は移って家康が隠居した場所として、また明治維新後は徳川慶喜が政権を譲ったあとに城下に住み、(当時は珍しかった)写真などを趣味として悠々自適の生活を送った所としても駿府の地は有名だ。
東海道五十三次の府中宿としても栄えた駿府城下、旧東海道の道筋に今回の目的地、札の辻クロスホールはあった(ビルの6階に)。
旧街道沿いで札の辻って言う地名は、城下町だし、高札とかが上がってた広場でもあったんかなと思ったら、たぶんその通りみたい。街道であり各地からの人々が行き交う場所には定期の市も立っていたのかもしれない。そこに官報である高札が立てられて、こういう人が集まる場所では処刑も行われたりしたがここがそうだったかは知らない。刑場は穢れでもあったからこうした日常の場とは隔絶された河原などに置かれた場合も多いので。(近くの安倍川あたりだったかもしれない)
とにかく駿府は今も昔も人々が、文物が、商人が行き交う要衝であったことに違いはない。今どのように要衝なのかといえば国道一号線、東海道本線、東海道新幹線、東名と第二東名高速が市内を走ってるくらい。名実ともに日本の大動脈。
しかし。ここは現代は県庁所在地ではあるが静岡の経済の中心地ではないのかもしれなくて、繁華街はこぢんまりとしていた。
なんかござさんのコンサートは、東京はどこでもいいホールがあるからよりどりみどりだが、地方でやるとき、こういう繁華な地域じゃないけど歴史があるみたいな立地のとこ選びがちじゃないですか(気のせいですか)?
奥ゆかしいというか。要するに選択が渋いなあと思った。
いつもどおり自分はコンサートの近所にお城とかあったら訪問する習慣があるので、当日の午前中は駿府城に行っていた。しかし戦国時代の遺構は石垣が残ってるどころか、全て地中に埋まってて発掘調査中とかいうことになってたので、僅かな江戸時代の石垣(右側の写真)でも貼っておく。


わざわざ遺構も残ってなかったお城の写真を貼ってるのかというと、札ノ辻ホールに行ったものの写真を撮り忘れたからです。ウキウキしてて忘れてたんです。正確にはアンコールの動画は撮ったけど他の席の人が映り込みすぎててここには上げられない。
なのでお城でお茶を濁しておく。
ホールとピアノのこと
実際に行って聴いてきた自分はここぞとばかりに言いまくることにする。
ここのホールで聴いたピアノの音は素晴らしかった。
小さなシューボックス型の空間で、壁に反響板?みたいな階段ぽい突起がある。
ホールの概要に、
「客席は平らなところにスタッキング型のイスを並べる」
という所だけを見て、客席に傾斜が無いってこれござさんが弾いてるとこよく見えないんじゃないの?とそれしか注目してなかった(ほんとうにすいません)。
実際、ピアノの演奏が素晴らしければ客席からの見え方とか些細なことはどうでもいよくなるものだ。現地に行ってみないとやっぱり本当のところはわからない。
どんな所でもどんなピアノでも、ござさんが弾くピアノはそのままござさんを体現してるのだから。
ホールの概要にピアノの説明も書いてあって、YAMAHAの小ホール向け規格CF6を置いてるということだった。
スタインウェイのコンサートグランドピアノで大きなホールで聴くのも華やかでいいんですけど。
この小さなホールでYAMAHAのピアノで弾くござさんはほんとうに気持ちよさそうで、音がいきいきしてて、聴いててなんていうか一目で相性いいんだなってわかった。
ござさんもいつか言われてたが(詳しくは忘れた)、
「ピアノって個体差あるじゃないですか。経歴も種類もいろんなピアノがそれぞれのホールにあって、ピアニストってそこのピアノと仲良くしなきゃいけないから、最初サラーっと指慣らしのスケールしながら触ってみて、どんななのかなって手探りで合わせていく」
というような(意訳)ことを言われてた気がする。ピアノスタジオでグランドピアノで練習するのもその場所のピアノの状態によって弾き心地は違うだろうし、本番で演奏するピアノとなると、むしろ弾く曲とかそういうのよりも楽器との相性が一番大事なのかもしれない。
そこで、ござさんは今回のピアノとものすごく仲良くなれてた気がした。相性がいいとござさんも気分がのってくるようで(そらそうよ)、ござさんってその時のノリで演奏がガラッと違ってくる気がするから、結果として静岡のコンサートは全体的にござさん節が炸裂しててすごかったのです。
ピアノの音も素晴らしく、アドリブも同様に。
そしてこのノリだと翌日の名古屋公演は移動も近いし、体力的に余計な負担さえなければ、日曜はより一層素晴らしいコンサートになるのは容易に想像がついたのだった。
※ついでに衣装のこと
たぶん尼崎のときと同じ?か、紺色か濃いグレーのスーツ。スーツは見た目のお洒落度を左右する重要なファクタ―だと思うけど、しかしござさんのソロコンサートにおいてはござさんはアスリートなので(そうですよねっ)、ござさんが着ていて楽そうなのであればなんでもいい派。ただ、ピアノを演奏する筋肉の動きを妨げるような窮屈なのは反対派。3時間の間にちょっと休憩するだけでマラソンにも通じるカロリー消費量の有酸素運動みたいな演奏してしかもアドリブとかその場で考えるとか、アスリートじゃなくてなんなんですか?
また、今回はスーツの中にはえんじ色のシャツに濃い緑色のネクタイ。どういう組み合わせだ…?と一瞬思ったけど、ここは静岡で駿河湾から美味しい海鮮が水揚げされるところだし…
シャツの色は特産の桜エビ?
緑色のネクタイはもうひとつの特産の緑茶?

( ↑ 特産の緑茶)
って一瞬思いついたところで、自分はそれ以上考えるのをやめた。
なぜならござさんは登場と同時くらいの勢いでまずMCじゃなくてコンサートの一曲目に入ってしまうので、自分も演奏に集中することにしたから。ただ、この発想は気に入ったので、その日は一日ござさんを見てもあーエビと緑茶なんだなって思うことにした。
コンサートの感想
当日ホールに行くともう開演五分前とかいう結構ぎりぎりで、お客さんはほぼ全員着席し終わっていた。そのようすをチラッと後ろまで見渡すと、ファンの贔屓目というフィルターを通したから?かもしれないが、凡そ全席埋まっているように映った。
それはそうなのだ、中部地方の人がいるのはもちろんとして。駿府こと静岡市は東京駅からだと新幹線で約一時間(?)、こないだの尼崎は都合つかなかった東日本方面の人とかもアクセスの良さから静岡には来ている可能性もあった。
なんにしてもこぢんまりしたシューボックス型のホール、お客さんの席からピアノまでもやたら近くて、後ろまでだいたい満席。
極めつけにピアノはYAMAHAのCF6。
嫌でも期待は高まる。
1 エリーゼの変容
2 忘れられた街
たくさん書くことあるのでサクサクいきます(名古屋編を端折るとは言ってない)
まず冒頭で2曲弾かれたんですが、この曲順は尼崎とは変えられていた。ござさんのアレンジはアルバムの枚数を数えるごとに普遍化していっているように感じられ、どのような順番とかシチュエーションで演奏されてもその場ごとにまた違った表情をたたえているように見える。
それが今回アルバムを何回聴いてもしっくりくる理由なのかもしれない。
見た目は標題音楽ではあるけど聞き手の解釈に身を委ねてくれている気がする。
この2曲のアレンジはアルバム音源に原則忠実に演奏されていたが、だからこそ尼崎とはまた違った印象になるのが自然と浮き彫りになった格好だ。
(もうちょいピアノのことをつぶやく)
ござさんの芯があってよく透る、控えめにそっと輝いている音、そんな本来の姿がストレートにホールの空間に可視化されたようだった。
余計な装飾がないかわりに、どんな表現もそのまま映し出す許容量をもっていた。キャンバスみたいな美しい空白にござさんの自由な言語が縦横無尽に描かれていき、ピアノのポテンシャルは無尽蔵に引き出されるかのように感じられた。
しかし。
どこかでよく耳にした、ござさんファンにはとてもよく馴染んだ風景のような、シンプルですこし角の取れた感触がするピアノの音。
なんなんだこの既視感は?
自分はこの感覚の正体をつきとめたくてしばらく客席で考えてたが、小さめのホール向けにフルサイズのコンサートグランドピアノを1サイズ小さく設計したようなピアノの躯体を見ているうちに思い出した。
たぶん、音を聴いた感触が、ござさんの2020.11~2021年末ごろまで続けられてたグランドピアノ配信のピアノの音によく似てるのかもしれない。
たぶん。配信と生ピアノの音っていう違いはあれど、機種も違うのかもしれんが、同じYAMAHA系統、親戚筋みたいな共通点があるのかもしれない。
爆音といっていいくらい良く響く音にもあまり圧倒されずに、無意識に親しみを感じれたのはそういう理由なのかも。
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スタインウェイが孤高に咲く一輪の牡丹の花みたいな、華やかに花弁をめぐらす印象とするなら、
YAMAHAはござさんの音と共通点多いと思うんですよね。
(個人的な主観)
印象をいうなら真珠みたいな感じ?
粒が揃ってるといえばそうだがござさんの真骨頂は左手の自動化された16分ビート奏法に隠されたわずかな拍のリズムだと思うので、揃ってるというよりは、真珠みたいな粒が滝つぼに落ちていって辺り一面に霧がかかり虹が出てるヴィクトリアの滝みたいな?
えーとなんだっけ。
エリーゼの変容の冒頭だけ、つまりコンサートの冒頭だけ、慎重に始まった気がする。シンプルな原曲に近い旋律で始まる曲なのもあるけど、リハーサルはやってただろうけどお客さんが入っての音響ってまた違うと思うので、あくまでコンサートのイントロは楽器の調子を確かめてるのはあるかもしれない。それはどのコンサートでもどのピアニストでも同じなのかもしれないけど。
で、そこで、このピアノの音好きかも?って思われたのか、そこから一気に伸びやかな演奏に変貌していった。音って言うか鍵盤の感触とか?具体的にはわからんけど。
アレンジを加えながらも原曲の面影を残している演奏から、折り返し地点を迎えて、「ゲーム音楽ふうなエリーゼのために」という概念でいうと戦闘シーンというかボス戦みたいな緊張感あるJAZZのリズムに変わるところ、そこから後はもうござさんのペースに客席はみんな巻き込まれていたといっていい。
気づいたらゲームの背景変わってた的な場面変換。
ライブならではのテンポの良い疾走感と、大胆なダイナミクスが楽曲に命を吹き込む。
この次の曲は忘れられた街で、しかし作曲の順序からすると曲名は後付けらしい。和音の出だしというかコード進行を先に思いついて、結果的にできあがったものに名前をつけたというのが本当のところか。
エリーゼの変容が動ならこの曲は静をイメージさせる。改めてゆっくりと鍵盤の感触を確かめるように、ござさんは自作の曲にみずから耳を澄ませて何か考えながら弾いているように見えた。というかピアノの躯体が精いっぱい放つ和音を存分に浴びている風で、上からシャワー来てるんですかと思うような、時々というかしょっちゅう鍵盤ノールックで気持ちよさそうに弾いていた。
-----MC-----
ござさんはソロのトークもだいぶ慣れたものなのか、もうメモ見ながらつっかえたり、頭真っ白になったりしないで配信みたいな自分のペースで話せてる感じがする。
ここはツアー3か所目の静岡ですねとまず挨拶され、
お天気も良く(当日は快晴だった)、
ピアノの音も美しく(ほんとうに!!!)
そして(客席を見渡して)みなさんもお美しく、
ん????????????????
なんて??????????????
ここで客席のファンはみんな最初から続いていた緊張の糸が一気にほどけたみたいにこっそりウケてたと思う。大爆笑じゃなかった(と思う)けど。ござさんいつからそういうキャラになったん?え?大丈夫?ピアノ弾きすぎてついに宇宙人になっちゃったの?それかついに精神が尋常じゃなくなってしまったとか?ていう、みんなが鳩が豆鉄砲を食ったように一瞬目を見開いてた(と思いますよ、そうでしょ?)。
自分はメモを取りながらこっそり肩を震わせて笑った。これが飲食OKの野外ライブかなんかだったら飲み物とか吹いてた自信がある。あんなにトークひとつで頭真っ白になってフリーズしてたござさんが!なんとファンにサービストーク!これはなんか事件の前触れか?ていうか誰からそんなん教わった?ていうか仕込まれたん?そりゃ一人しかいないな、これはK池R太さんのお家芸ですよね。ござさんほんまにどしたん?ファンサ……って考えて咄嗟に思い出したのがK池さんだったんか。よりにもよって感がある。
過去の名セリフから引用しとこう、せっかくだから3連発。
太陽がまぶしいね!
— 菊池亮太🎩(Anoatari) (@komuro_metal) 2021年6月1日
太陽よりあなたの方がまぶしいけどね
今日は曇りだね。
— 菊池亮太🎩(Anoatari) (@komuro_metal) 2022年5月17日
みんなの美しさに空が嫉妬してるみたいだよ。
みんな魅力的すぎるよ。
— 菊池亮太🎩(Anoatari) (@komuro_metal) 2015年10月21日
俺も負けないぞ
ハミングがきこえる
THE GARDEN OF EVERYTHING 〜電気ロケットに君をつれて〜
MCしながら、ツアーも三か所目になるとネタがなくなってくるとぼやくござさん。
どのへんが?
ござさんは普段、個人情報を完璧に遮断して隠蔽してるからファンに知られてる事なさすぎて、今日の朝ごはんとか、好きなスーパーはどこだとか、今やってるゲームとか、ほんとしょうもない事でもファンは大喜びすると思いますけどね???だって生配信のトークも長く話してくださると思ってたら全部ピアノのアレンジか練習の話に終始してますもんね。まだまだござさんのことは巧妙に隠されてて謎に包まれたままなので。
(ねぴらぼinventionのときに付録だった本、ねぴらぼ日和にアンケート100問とかあったけど、あんな販路の狭かった限定ムック本の情報は、一般に普及してるとは言わない)
アルバムリリース記念ツアーということで、今回はアルバム音源にあまりアレンジを入れてこないでお客さんの持ってきたイメージが壊れないように、あまり踏み外さないイメージがあるけど、しかしそれを前提にしてもやっぱりライブの演奏は生き物という表現がふさわしい。
ホールのピアノとも一期一会ではあるが、何よりござさんの演奏そのものが意思をもって鍵盤で動き回ってるかのごとく、そのホールでの演奏ごとにその場所ならではの個性と脈動が感じられる。
まるでござさんによって固有名詞と人格を付与されたかのように、生き生きと「その場所での演奏」は自己を主張し始めるのだ。
こういうことができるのも当日のピアノと仲良くなれたござさんならではの離れ業。
さすがYAMAHAのおひざ元、静岡県。ピアノ、そしてそれを生かすホールがとにかく素晴らしかった。ござさんの本領を遺憾なくなく引き出していた。このピアノがあることを調べていてこのホールに決めたのかもしれないな、と途中で聞いてて思った。
ハミングがきこえるの曲はウォーキングベースが印象的なJAZZアレンジだが、このウォーキングベースがほんとにいきいきしてて、ござさんはほぼ上を見ながらノールックで爆速で左手を走らせていた。左手自動化計画は16分ビート奏法ならではの得意技じゃなかったんか、あれ?つまりなんでも自動化できるんですね!?(白目)
途中のカデンツもじつに重厚且つ軽やかに可愛らしく、ほんとに鍵盤の感触を楽しんでるようにしか見えなかった。
もう一つの曲、THE GARDEN OF EVERYTHINGもこのホールで聴くとまた違った印象だった。個人的にいうとこの曲を動画で見たときは韃靼人の踊りをアレンジしたんだな!誰のアイデアかよくわからんけど!?と真剣に思っててそれ以上の印象がなくて、ラーゼフォンのアニメ映画のEDとかいう情報はだいぶ後になってから存在を知ったので、ここの項目は(尼崎の記事同様に)一般的情報に留めたい。
ござさんのアレンジでききどころは、どうやらこの原曲のボーカルはDUOで男性と女性が歌ってるパートの掛け合いなんだけどそのやりとりとか二人がハモる部分とか全部右手で領域内に納めててすごいなってなる。
左手が16分ビート奏法なのは言わずもがな。
この曲もふくめて、アルバム音源って立ち位置としてはいわゆる静止画みたいな役割を持ってるのかもしれない。サンプルとして一部分を切り取ったみたいな。
で、ライブの演奏が同じ曲の動画としての役割を担ってるのか。具体例を提示してくる感じ。
しかしアルバム音源もちゃんとした音響(有線イヤホンとかヘッドホン)で聴くとホールの音がするから自分はアルバムを最近エンドレスでずっと聴いてる。というか、ずっと聴いていたい。
(ここでいう同じ曲で以前にYoutube動画に上げられてたものがあるからそれでじゅうぶん参考になるじゃないかと以前は思ってたが、アルバム音源とライブを聞いてみると、Youtube動画はまさに絵で言うデッサンまでで留めているにすぎないのだなと思った。演奏のアレンジは完成されてて行先は提示されてるけど全体像はまだあれは見えてない地点だったのだなと。)
-----MC-----
ここで次のネタを必死でひねり出したのか、昔のお題を思い出したのか、ござさんは「こういうとき定番ですが~」って言いながら、お客さんは今日どこから来られたかアンケートを取り始めた。
定番なのかそれは?
まあそんなツッコミはさておき、東京から出るようになったのもここ数年の最近のことにすぎないござさんには、どこの地方も未知の世界なのでしょうけど。
メモが手元にはっきり残ってないけど、確か
東海地方の方
中部地方の方(?)
関東地方の方
近畿からの方(?)
北海道の方
中四国の方
九州の方
………え~と、海外からの方は?おられないですね~(暖かい笑いがわきおこる)
という具合でアンケートを取られていたがメモがこのへん追いつかないまま次の曲にいったから記憶は曖昧である。ていうかこういうアンケートで初めて中四国地方の方って言われたんで、四国の島の住民である自分は今までたいていハブられてたから、ここぞとばかりにこっそりと手を挙げた。ねっほかにもいらっしゃいましたよね、中国地方と四国から行った人!?
自分は前から5列目?あたりにいたのでこのアンケート結果がどういう分布だったのか見てないが、全部の地方でパラパラと手が挙がる中、静岡県とか?東海地方は多いのはそれはそうで、東京というか関東からの人だけで座席は体感5割、いや7割?埋まっていたのは気のせいか。やっぱここの席が後ろまで満員だったのはそんだけ東京からの人が多かったからか。
でも、それを基準にコンサート地方公演を決めてると地方公演は無しで東京だけでやってりゃいいじゃんってことになってしまうので、そんな多数決アンケートの数のみを見て基準にされるような軽率な判断はどうかなさいませんように、ござさんには切にお願いしたいところです。
地方でもいろんなコンサートは開催されてますが、ござさんのピアノじゃないと生きていけない民も地方にはたまに棲息してるので、そんな影の需要を掘り起こすためにも、実質ボランティア事業であっても、地方ツアーはぜひ今後とも続けていただきますように。(切実)(こう書いてみるとほんと身勝手な希望ではあるが、やっぱ切実)
何度も書いてるが、身近で、よく知ってる場所で、日帰りだから、だからこそじゃあついでに行って見よーか、よく知らんけど暇だしーっていう需要を掘り起こせるのは、やっぱり各地を回ってこそだ。
エチュード幻想曲
「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズ
ここでMCの終わりに「コンサートの前半はこの2曲で終わりです」というご案内が本人からあった。(自分の携帯は電源落としてたため、経過時間はわからなかったけど)たぶん、この2曲で前半終了つまり45分経過なんだなと思われた。そうだとしたら相変わらず、ござさんの体内時計のストップウォッチ機能はガチだ。短いあと残り数分とかいう区分でなんか一曲っていう需要にも応えられるけど、こういう長いスパンもきっちりわかってやってるんだなーと、ほんとにどういう感覚でやってるのかシロートにはさっぱりわからない。
そして個人的にここのホールの音響なら今回いちばん聴きたかった筆頭の曲は、このショパンの曲をモチーフにしたエチュード幻想曲だった。クラシック音楽として作られたものは、やっぱ楽器とホールそのものが演奏を左右すると思うので。
こういうメドレーものって配信ではなんとなくメドレーって呼んでいる。
前のアルバムのCHOPIN SYNDROMEはもっとたくさんの曲をメドレーにまとめたものだけど、それは単にパーツを分解してメドレーとして並べたっていう印象だった。エチュード幻想曲も去年の今頃Youtube動画に上げられてたけど、やっぱりその時点ではまだ実体が見えてなかった気がする。アルバム音源になって、ちゃんとしたヘッドホンで聴いてみて初めて、ござさんの意図がわかってきたかもしれない。
メドレーっていうイメージではなくて、ショパンの曲からモチーフを借りてきて、ござさんの手持ちのパターンに落とし込んでて、こういうオリジナル曲ですってまとめてきたという気がした。
こういう意味での進化なのかなーと、Evolutionの和訳を見ながら今更思い当たったりしている。それ以上詳しく説明できないけどEvolutionのアレンジは今まででいちばん、どれも素直に身に馴染んだ。
演奏も、ライブでやってるのを聞いてみれば、なるほどYoutube動画の演奏は音と録音に演奏自体も素晴らしいが、しかし演奏の表現はいわゆる台本の本読み段階というか、まだ草案だったのかもしれない(時系列からしても)。でもYoutube動画、アルバム音源、それから同じ曲のライブ演奏で印象がはっきり違うと感じたのはこのEvolutionのアルバムが初めてだった。
この曲は、ホールで聴くときは妙なる響きに身を任せる幸せな時間。
演奏も回を追うごとに解釈は磨かれて洗練されていっているように感じた。
「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズの曲も、これははっきりと演歌の原曲があるので著作権の関係はなんか申請はしてるのだろうけど、とにかくござさんによってはっきり主題を洗い出され、まるで刃物に焼きを入れて鍛え直すみたいな別の姿になってるなあと感じた。
ホールが違うからだといえばそうかもしれない。とにかく曲の解釈が、尼崎ではアルバム音源に沿ったスマートな表現だったと思うが、ツアーの回数を重ねてきて徐々に音に脂が乗ってきた。ホール一杯に存分にピアノの躯体を鳴らし、コンサート前半のスタミナもこれ限りとばかりに全身で主張するござさん。
ピアノも音が割れることもなくござさんの要求に見事に応えていた。
YAMAHAのふくよかな丸みのある音は、ござさんの滑らかで上品な
アルペジオによく映える。
津軽海峡のアレンジ中盤では左手に対旋律みたいな中低音が来て右手で上下に高速アルペジオが走るけど、ここの運指もYoutube動画見ればトリッキーなのがよくわかるけど聞いてみた印象では、ねぴらぼでやってた宝島アレンジの中間部のアルペジオを思い出すのだった。
(あのスポットライト浴びてキラキラ光るござさんが弾いてたキラキラのアルペジオ、今ねぴらぼの公式チャンネルに残ってる動画には入ってない宝島アレンジ。)
もう出会えない宝島の右手アレンジ大好きだったので(一年間アーカイブあったから覚えるまで聴き倒したけど)、今回別の曲だけど、アルバム音源とホールでの演奏というアップデートされた音に、なつかしい記憶の片鱗を見た気がした。
初めて弾く楽器とは思えない阿吽の呼吸。ほんとに体の一部みたいになってて、とってもピアノと仲良くなれたんだなーということが窺えた。
全体的に力強く歌い上げられてて、前衛的な和音の展開と共に劇的にコンサート前半に幕を下ろす。尼崎では最後の曲だったが今回は前半のトリにもってきた。どっちにしてもそういう〆にぴったりの印象的な終わり方だ。
-----休憩-----
今回は調律師さんが入っていた。あんだけピアノを精一杯限界まで鳴らしていたので、合間でこうして調整してくれると嬉しい。ござさんの使う和音はぎりぎりまで攻めてるとこあるから、ちょっと音がずれてるとあれ?って気持ち悪くなるっていうところはあるので。えーと調律……写真……あっ無いんだった()そういやホールの壁には反響のためか?小さな階段の踏板みたいな突起が水平にたくさんつけられてて面白いルックスだったことを報告しておく。(だから写真は撮り忘れたんで……)
間奏曲
この曲は演奏のイメージとしては尼崎といっしょ、さらにアルバム音源をそのまま再現してたといっていい。
曲の役割が「場面と場面をつなぐ、ゲーム音楽の転換点をイメージしたもの」かなんかだった気がする(じゃなくて戦闘とかそういうお題がある以外の場面のBGMを想定してるらしい)。
ひょっとしたら後半冒頭の曲は、少なくともツアーではこの曲固定なのかもしれない。ござさんもそういう役割をこの曲に担わせてるのだろうし聴いてても自然に思考回路がリセットできる感じで、抵抗なく後半に切り替えれた気がした。音楽によって聴き手をスムーズに次の展開に案内してくれる仕様になってるのは、さすが、ピアノが第一言語のござさんならではだ。自分らファンとござさんはまさにピアノでコミニュケーションを取り合ってるのだ。
聴いててほんとに自分が今までフィールド歩いててこの曲の冒頭を合図にどこか洞窟とか、宿屋のドアとか、なにか別画面に背景が変わったような錯覚まで見える(だいぶ妄想入ってる)。
みんな大好きリクエストコーナー
コンサートの後半は、舞台に出てきたござさんが無言で間奏曲の演奏から始まるという展開はもはやテンプレ形式と化してきた感があるが、そのあと挟んだMCは心なしかござさんは声も表情もやたら弾んで見えた。
後半冒頭のメインコンテンツは、リクエストコーナーだからだ。
いつも挟まれるこのコーナー、古くは菊池さんとの2台ピアノコラボでも会場の現場で挙手によりリクエスト募ったりして、何らかの形でこのコーナーは大切に受け継がれてきたのだと感じる。
リクエストの形式は今回のツアーで初めて、チケットを購入する際にリクエスト曲を応募する欄があって(ネット購入では)、つまりチケット一枚につき各会場で席数のぶんだけリクエストが集まってるって設定になる。それらの中からスタッフさんが(A4コピー用紙らしきものに)まとめてくださった表が、当日はピアノの横に置かれていた。
ござさんいわく
「曲リストをスタッフさんが見やすく作ってくれました。譜面台に置くともはや配信と変わらない感じでイイですね。」
とかなんとかコメントされていた。逆に緊張するとかいう発言も自分のメモに残ってるけど実際どうだったか定かではない。
そしてリストを譜面台に置き、うーんとかなんとか言いながら何気なく弾き始める。無言で、特に弾く曲は明言せずに。(尼崎ではかろうじて断腸の思いで選びましたみたいな感じを醸し出しながらも5曲選んでから弾いてたけど。)
もう一度言う。後半のメインコンテンツは、ある意味、このリクエストコーナーだ。
ござさんの最大にして最強の武器は即興アレンジとアドリブだ。
アルバムとYoutube動画における録画と録音はそれらの即興のひとつの風景、ひとつの案を形に切り取ってリリースしたものなのだと思っている。
世にござさんの存在を問うにあたり、こうした規格での演奏は必要不可欠ではあるが、ござさんの即興の粋を如実に映したレベルとしては今回の3rdアルバムで初めてそれを実現できたと自分は思ってて、だからツアーの感想も、アルバム曲の印象も逐一書くことにしたのはある。
即興のエッセンスが反映されたアルバム。ござさんの即興と楽譜に起こされたアレンジはこうして融合したんだなと思うと感慨深い。
それが叩き台にあるから、コンサートでアルバム曲とは別に即興演奏をメイン看板に掲げることができるんだなと、そこにもしみじみと時間の経過を感じる。
生配信同様に、もはや曲名もその場で考えることにしたのか、リストを譜面台において演奏し始めるござさん。
曲順ごとに並べてみるとこんなふうだ。どのリクエスト曲にもそれぞれに込められた思いと物語が秘められていることだろう。そう思って自分はありがたくミニ劇場を鑑賞する心持で聴き入った。
Waltz For Debby (Bill Evans )全体的に楽しげで軽快なリズムで始まるメドレー。可愛いアルペジオで飾ったJAZZワルツ。
キャラバンの到着(ミシェル・ルグラン)~Moon River(ヘンリー・マンシーニ) これも原曲に沿ったアレンジ。リクエストだから曲のイメージを大切にしてるのかもしれない。キャラバンの到着が何回聴いても輪唱みたいに入るイントロが慣れない。てか個人的イメージは三菱のランエボ。(連弾でやる編成もふつうにソロで聴けるのは贅沢なのだと我らファンは気づくべき)それから映画音楽つながり?でムーンリバーの旋律が美しく歌われる。
月の光(Debussy)豪華な和音で盛ったアルペジオつき原曲バージョン(なんのこっちゃ)、それから Waltz For Debbyふうに可愛らしいアレンジ。
月のワルツ(諫山実生)原曲版というか1st ALBUMのEnVisionアレンジから入る素直な演奏(月の光がトリッキーな展開だっただけに)、その後 Waltz For Debbyの影響か後半はJAZZワルツに変えられている。あーなるほどワルツつながりなのねって勝手に納得。いやいや途中でJAZZに変えるって事は和音構成がガラッと(言語変わる勢いで)変わるのだからアレンジもややこしいはず。たぶん。
G線上のアリア(J.S.バッハ )月のワルツから壮麗なつなぎ部分があってこのつなぎだけで天国行けそうな美しさ。教会音楽の敬虔な祈りのイメージはそのまま、壮大なアレンジになっていく。このへんのシンプルなモチーフが変幻自在になるあたりが最大の聞きどころ。コンサートのメインコンテンツたる所以。
Flower Dance 確か6/11のYoutube生配信ふうだったような…つまりワルツアレンジ。
ここでモチーフがWaltz For Debbyに戻ってあーアレンジが一巡したんだなーってそれぞれの曲の印象を思い出しながら、月の光でメドレーは締められた。
みんな知ってるおなじみ癒し系曲を、JAZZワルツの代表曲Waltz For Debbyを所々にあしらいながら、愛らしく軽やかにまとめたという印象。
振り返って見ると、コンサートの中盤でちょっと一息ついてほしいみたいな意味だったのかもしれない。
知らんけど。
このへんの「その日その場にいる人のためにサービスする」っていう精神はござさんの生配信の最初から変わらないのかもだが、実際にステージでこう綺麗にまとめられてくるのを見て、要求されたことに結果を出されてるのがこう、職業としてピアノ弾いてる人っぽくなって来たなあと思う。(いえ実際にござさんは職業としてピアノ弾いてますすいません)
(※その場にいる人のためにサービスしてる例)
(基本的にストリートピアノの動画は全部そういう内容だけど、やっぱこれが見てて一番面白いから)(これ読んでる人はみんなご存じとは思いますが念のため)
なんでも弾いていいコーナー
ここでもう一回MCが入る。即興が楽しかったのか余計浮足立って…じゃなくてウキウキ楽しそうなござさん。やっぱライブ2時間ぜんぶ即興メドレーでもいいんじゃない…?と心の隅でこっそり思ったが、そういう思いつきは心の隅にしまっとくことにした。
このツアーはアルバム収録曲お披露目ツアーだからな。
アルバム音源をホールの演奏でさらにすばらしい音で聴いてもらうツアーなのだよ。
それはさておき、リクエストコーナーに続いて、なんでも弾いていいコーナーを設定したと説明されるござさん。
「今リクエストコーナーやったから別にいいんですけど、一週間前の僕が決めたことだったんで」
とかなんとか言い訳されてた気がする。そんな後ろめたさに苛まれながら言わんでも……一週間前っていつだっけ忘れたがもうちょい即興アレンジコーナーを長めに設定したってことらしい。リクエスト曲に基づかない、ござさん選曲のその場で決めるメドレー。
ここで客席の全員から無言の「いいぞもっとやれ」って念が飛んでた気がする。何の縛りもない自由な即興がもっともござさんらしく、もっとも面白い結果になることをファン全員が知ってるから。
イメージで並べるとこういう曲順だった。
Waltz For Debbyみたいなイントロと即興ぽい曲
みずいろの雨
雨だれ
rain stops, good-bye
イントロ部は前のリクエストコーナーからJAZZワルツを繋ぎに使った印象で即興アドリブから入る。
それからメドレー全体が壮大で格調高く、間の雨だれのところでちょっとしっとりした雰囲気になり、最後のrain stops, good-byeでふたたびワルツ風かつ交響曲のラストみたいなスケールの大きい曲に変貌していた。その規模感を保ったまま雨だれが再登場して感動のラスト、とはいかずに和音が現代風というか原曲通りの定型じゃないなんかいじってるな?っていう形の終わり方。
MCからご本人のコメントを拝借すると「季節柄、雨の曲を弾いてみました」ってことらしい。好きな曲弾いていいよ!っていうコーナーも結局、『お客さんはどんな曲が聴きたいのかなー?』という基準に帰結していくようだ。やっぱ実質リクエストコーナーの続きじゃん。それ、コーナーを二つに分けた意味あるんか?無いな。やっぱ、実質コンサート2時間ぶん全部即興メドレーにしちゃえばいいのでは……(以下自主規制)
まあ、ござさんの自称「なんでも弾いていいコーナー」のほうが、選曲もアレンジもぶっ飛んでてイケ散らかしてるのか?と思いきや、こっちがむしろおしとやかにまとめられたまであるから、実際やってみないとどうなるかわからないものだ(なんのこっちゃ)。
この即興演奏のあたりのMCで、リクエスト曲の傾向がいろいろあっておもしろいとか言われてた気がする。重い曲が多いとか?なんとか……弾いてほしい曲の定義もいろいろあったりとか……
( ↓ どうでもいいおまけコーナー)
えっ自分がリクエストした曲ですか?(誰も訊いてない) だって有識者のみなさんがそれぞれのジャンルで渾身の知恵を振り絞って名曲・難曲をリクエストされてるわけですよね、自分みたいな若輩者はそんな名だたる有名レパートリーが並ぶ中に割って入ってリク投げるわけにはいかんですよね。
というわけで、自分は誰も書かないであろうリクエスト、吹奏楽の隠れた名曲を延々と書いたのであった。だって、生配信とかキャスとかで「は?それ弾けるって聞いてないんだが?配信での演奏、初だよね?」って曲に吹奏楽だけでも沢山遭遇してきたので、ござさんが自分でも忘れてるだけで実は覚えてる曲はたくさん地層の中に埋蔵されてると思われるから。そんなのを発掘すんのも面白いじゃないですか。ね?んで、そういうレア曲はレアすぎて、生配信でリクエストしても拾われませんしね。こういう曲のためにリクエスト制度は存在するんですよ(持論)。
え?実際そんなレア曲拾っていただかなくて結構です。客席でも知ってる人の割合が少ない吹奏楽曲、リクエストコーナーで弾いてどうすんですか、盛り上がらないでしょ。じゃあなんでリク書いたんだって?それは、こうでもしなきゃほんとに地層の中に沈んでいく名曲も多いと思ったんで…(以下略)
ワルツ第1番
「名探偵コナン」メイン・テーマ
この2曲(という雑な括りですいませんが)、アルバム収録のアレンジに忠実な演奏と表現になっていた。前のリクエストコーナーで楽しかった反動か。襟を正した、音源通りというイメージ。ワルツ第1番が素直な曲調だなと思うのもあるが、どの曲も、名実ともにござさんの代名詞というか看板を背負うに足る曲になってきたなと思った。
曲の説明になってなくて誠にすいませんが、しかし当日演奏されたイメージとしてはこの2曲はアルバム音源の範疇を出ない。それだけアルバム収録の音がすばらしいというのもあるが。
これらはいわば表の曲、公式な演奏、ハレの曲。部外者にも一見さんにも説明なしでお出ししても通用する、看板曲。
毎週のリクエストと即興をベースとする生配信が日常、つまりケの場とするなら。
日常で練られ編まれたアイデアは余すところなく見事にハレの場で披露されるべく、きちんと普段から整理され、調査研究されていつでも使えるように引き出しに仕舞われてると思われた。生配信はべつに聞き返すことあまりないと言われていたけど、そういう意味じゃなくて、毎週の生配信でのアレンジはそのまま血となり肉となって記憶の中に流れているのだ。
※参照: ハレとケ - Wikipedia
それを裏付けるように、コナンの演奏を終えたござさんはマイクを取る前にウンウンとひとりで頷いた。その動作と表情は、演奏が満足いくものだったことを無言のうちに物語っていた。
家路
静岡のコンサートの直前の生配信で、つまり6/11の配信のラストで「新しい楽譜が出ます」という話が出ていた。紙の楽譜で尼崎のコンサートと同時に販売開始された曲とは別に新しい楽譜が出るということらしい。アルバム収録曲の残りの顔ぶれになるということか。
この楽譜についてござさんの口からあらためてアルバムタイトルのEvolutionについて「進化」という定義が語られた。
・僕のピアノのスタイルの変化
・僕のピアノの曲の中でのアレンジの変化
これらの変遷について、アルバム音源で、またコンサートでの演奏で実際に感じてほしいというような話だったと思う。
ふたつの即興演奏コーナー、またアルバムのアレンジと実際のコンサートでのアレンジが融合していく様など、今回のアルバムとツアーでは今までとはまた別の感覚で聞けた気がするから、このござさんの話には聞いてて非常に首肯する点が多かった。
さて、果たして今回の静岡の演奏で最も即興が炸裂してたのはこの家路だった。
なんでやねん。
と自分は心の中でツッコミを入れた。
この直前で、アルバム版はちゃんと型どおり、即興演奏も存分に盛り込んで、おおー?決め譜とアドリブを使い分けてきたぞ?なかなかそれ実際にコンサートで実演できんやろ?と初めての感触に自分はメモが盛大に奔ってひとりで盛り上がってたというのに。
しかし聴き終わって、この曲はござさんの中で即興演奏枠にしたのかなと、心の隅でふと思った。ドヴォルザークの交響曲の一郭ではあるけど実質ボヘミア民謡だし、ござさんの得意なシンプルな旋律の民族音楽を即興演奏でアレンジするってまさにこの曲はうってつけかも、と思ったからだ。
とにかく。
この家路は完全なる静岡オリジナルバージョンだった。どういうバージョンにするのかはその場で決めてるのだろうか。謎は深まるばかり。
メモを片手にアレンジを辿ってみると。
不穏で現代的な展開で始まるイントロ部。
スタンダードな主題が前衛的な装飾音を纏った和音をベースにしながら穏やかに展開していく。
この前衛的な要素を遺したまま徐々に感動的に盛り上がりクライマックスへ昇っていく。
一編の重厚な物語を読んでいるかのような充実感。
ラストに前衛的なユニゾンが現れる。完全なユニゾンじゃなくてどこかに解決できない箇所を故意に残したユニゾンが。
それからさらに壮大な規模のラストへ。
これ一曲でなんか短編映画でも見たかのように感情が忙しかった。
真に看板に掲げるべきなのは、ツアーにおいて、この家路かもしれない。演奏聴いてからの後出しじゃんけん的な意見だけど。
客席も、この形式が最も即興アレンジが冴えわたることを痛いほど分かっている。演奏後の拍手もこの曲がひときわ大きく、驚嘆と感動が入り混じった複雑な感情が入り混じった不思議な空気が会場を覆っていた。
宝島
家路に続いてMC無しの連続なのはほかの2曲づつと変わらない。
冒頭に、宝島ふうな家路のモチーフが見え隠れするアルペジオがあしらわれていて、しかし本編はちゃんとT-SQUARE版と、吹奏楽版を織り交ぜた本来のアルバム音源に沿ったものになっていた。
ここは羽目は外していない。
全部暗譜なのが今更思い出され、アルバム音源に寸分違わないというよりコンサート向けに柔軟に表情を変えるとかいう器用なことまでしてきてる感じがして、アルバムリリース記念ツアーっていう看板と演奏が一致してきたというか、足元が危なげない盤石なものになってきたなと感じた。
アンコール-----糸(中島みゆき)
最後の宝島を演奏後、舞台袖に下がったござさんは短い時間を於いてアンコールの拍手に応えて登場した。最後の演目をおえて精力尽き果てたござさんは何言ってるのかわからなくなるIQ3仕様なので、それは客席のファンも同意するところで、ここでご案内の影アナウンスが尼崎と同様に流れてくる。
テンプレと化した一連の説明で、ファンが知りたいのはSNSに動画を公開するのは可能かどうかというところで、その点は主催者とござさんの判断によるのではあるが、説明の内容も薄々ファンはわかってきたためもうアンコールにござさんが登場した時点で携帯を構えて待ってる人はたくさんいた。(だって途中は電源落としてるから、用意してないと間に合わないですよね?)
品の良い音づかいと、コンサートの締めくくりを飾るにふさわしい壮麗な和音。
ソロ公演を弾き終えて心地よい疲労に身を委ねたござさんは、しかしこのピアノの美しい響きに別れを惜しんでいるようでもあり、残されたわずかな情熱を全部ピアノに託すかのようなそれは素晴らしいアンコールだった。
自分は今年はツアーで各地の公演に行ってるが去年は行けなかった。来年も行けるかはわからない。だいたい、おそらくござさんがツアーに来てるであろうと想定してるお客さんはそれぞれの地方の地元民なのであり、ツアーぜんぶ聴く人がいるっていうのはたぶん考えられてないのだと思う。
商機としては逆であり、そりゃ何か所でも聴きにおいでいただき席を埋めていただくのがいちばんいいのだろうけど、そういう都合がつく人ばかりではない。
というわけで現地に行けないひとがファン全体の大多数を占めているであろうと思われるため、やっぱり、ござさんの好意に依存してるとはいえ、アンコール動画だけでもネットで共有できるのは非常にありがたい。
(書いてることが毎回一緒になるかもしれないが)
この記事はツアーにおける静岡・名古屋2日連続公演の最初、静岡について。
つまり前半。
後半の名古屋については別記事を書く。
そんなん内容がかぶる点も多いやろと思われるであろうが、しかし書きたいことも多いため、また後日投稿する予定。




