ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

ござさんのスタイルと、3/17の生配信

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

前衛的

ござさんのピアノは不思議な音がする。

旧来の懐古的な響きでもなく、

安定したおなじみの展開でもない。

なぜならそれらは、ござさんが過去に全て通ってきた道だからだろう。

そしてその過程ですべて掌握してしまった領域だからだろう。

 

ござさんは見たこと無い景色を見ながら新しい道をたどりたいのだろう。

でもその道は危うい。

破綻するかどうかの境界線を眼下に眺めつつ、

ぎりぎり境目の稜線を颯爽と闊歩する。

踏み外すという単語はござさんの辞書にはないらしい。

 

ござさんのやっている音づくりはそれくらい前代未聞なのだ。

でも、誰もやらないから新しい。

聞いたこと無いから面白い。

前と同じことやらないからこそ。

 

ござさんはいつも、新しいこと思いついた!という風にいたずらっ子のような目を輝かせて一つ一つ音を紡ぐ。ただその速さが見てるぶんには目に止まらないだけで。

 

自分はござさんの果敢に攻めたアレンジが好きなのであって、また如何様にもなる表現が好きなのだ。

新しい調の組み合わせ、新しいリズムの取り方、色んな音楽のジャンル……

ほら無限に面白くなるでしょ?

とでもいうようにござさんの手は鍵盤の上を踊る。

ござさんにとっては常にピアノで実験してるだけなのかもしれない。

手当たり次第に組み合わせてるわけではなく、ござさんの過去のおびただしいアレンジ解説動画を見てわかる通りその手法にはセオリーや王道テンプレともいえるパターンが無数に生かされている。

これはアレンジで演奏されてる人は誰もが取り入れてることのはずだが、自分はござさんのアレンジが水になじむらしい。理由は知らないけど。

 

こうやってござさんが自由に音で遊べるのは、言うまでもなく理論と知識が徹底的に叩き込まれてるからであり、また日々の膨大な練習量がその理論を現実にする。これを音大行かずに仕事しながら何年もかけて習得されたというところにござさんの自己完結した世界と飽くなき音楽への執念を感じる。

この今使ってるシンセも前代のやつからしてステージでプロがライブに使うやつだが、そのマニュアルを仕事しながら昼休みに覚えてるところとか。体力仕事の介護職で合間にやることじゃない。

n回目ですけどこのツイートを引用します。

仕事しながら何かを習得するというのはよほど確固たる意志がないと、資格にしろ何でも難しいことです。

 

ござさんにとってピアノの練習とは演奏の練習と音楽理論の構築を含めて、描いてる世界を具現化する手段にすぎないのであり、演奏そのものを目的というよりは、演奏はあくまで理想の音楽表現への通過点なのかもしれない。

ござさんが提唱する音楽の世界はピアノにとどまってないから。

 

 

これらの各楽器の音源ソフトを入手されたようで(というか以前に)、音源ソフトを使いこなすための実験と実益を兼ねた趣味などとのたまわれておられた。各パート楽譜に起こし、バンドスコアまで作って。もはやそれは趣味っていうかアレンジ曲の作曲家というんです。

それを匿名SNS(いうても公式アカウントではあるが)で何気なくそっと置いてて、単に公開しているだけというのが……

そういう雑念はこの記事では書かないことにしたんでした。

 

3/16の生配信

この記事ではあわせて3/16の生配信のことを書きたいのだった。

ピアノ弾いてますリクエスト募集中! 2024/03/17 - YouTube

 

といっても、具体的に述べるのは素人なのでできない。

自分が言いたいのは、

「全くトークできないのでピアノ弾こう」

とござさんが言い始めたらそのときの配信はアレンジが格別に冴えわたってるから絶対に聞き逃さないように、ていうかYoutubeだからアーカイブあるから必ず、で き れ ば  ど う に か し て ゆったりと聴ける時間を作って、ぜひござさんの作る世界に存分に浸ってほしいということだ。

 

あ、この部屋を読んでる人はそんなのご存じですね。すいませんでした。

ござさんの第一言語はピアノでしたね。なので、トークが全然振るわず、手持ち無沙汰にピアノ弾き始めた時点で、その日の配信は最高なの確定です。永久保存版です。いえいつもアーカイブ置いててくれてるので大丈夫ですけど。自分の中で永遠にリピート決定版です。

場繋ぎに演奏されてる間奏がすでに音楽としてえもいわれぬ完成度です。

そんなのいつもでしょという説もあろうかと存じますが、確かにいつもですが、でもあえてトークが振るわない日は中でも格段に素晴らしいということを自分は意地でも申し添えたい。

 

自分はアレンジの有識者ではないため、具体的に曲について言及しませんが。

ござさんの配信は見た目に「あの曲弾いてるんだな」という客観的事実では推し量れない。

上記に述べたアレンジの引き出しの膨大さから、ほんとに、同じ曲でも一回として同じ演奏は無いと断言して差し支えありません。

え?そんなの今更大きな声で言わなくてもわかってる?

いいじゃないですか敢えて明文化するくらい。

 

とにかく、毎回アレンジ違うので正確にアレンジごとに分類しようなんてことは不可能で、およそ250回を超えるYoutube配信と、アーカイブ残ってないから回数不明のツイキャスとニコ生を含めればその歴史をたどることはもう無理といえるござさんの演奏遍歴には、文字通り天文学的なアレンジのアイデアが玉手箱みたいに詰まっている。

ござさんは、自分みたいな素人にだって平易にわかりやすく聴きどころに山場をつくり、心に響く印象深い演奏をしてくれる。

 

ござさんほどの腕を以てして、素人のために分かりやすい音楽を奏でてくれるのだ。

なんか、ここが自分が今まで抱いてきた音楽家のイメージと決定的に違う点でしたね。だって偉大な演奏家は偉大なままで、その演奏がどうすごいのかは聴衆が音楽の情報を集め、多くの演奏を聴き込んで知識を積まないとわからないものだったじゃないですか?

でもござさんは偉大な存在だと思いますけどでも演奏の表現手法は素人に近づいてきてくれてる、だから素人でも楽しめる部分はある。いちいち予習しないでも、ござさんのピアノは楽しいし美しいし洗練されてるのは誰が聴いても首肯するところだろう。

そうやって表現を磨き上げつつ、どこかにちょっと笑える機知を潜ませてくるお茶目でやっぱりいたずらっ子なのだ、ござさんは。

 

そして、聴いててもじゅうぶん楽しめるのだが、ござさんは毎月月刊ピアノに楽譜と解説記事を連載されている。2019年暮れからだから、連載4年目に突入してることになる。この月刊ピアノはあくまで例えで、Twitterにも楽譜付きの演奏動画を投稿されていたり、またソロアルバムの楽譜集も公式に発売されてるから、ござさんの演奏は本格的かつ難解だが誰でも手に取ることができる。

だからござさんの演奏の秘密に触れることは、誰でも可能でもある。

楽譜の公開というか販売って普通、やります?

アレンジが伝家の宝刀であり秘術なのだったら普通それは企業秘密として秘匿しますよね。

それをどんどん楽譜付き動画とかまたは販売楽譜として公式に出している。

ということで、企業秘密にするより、ござさんはアレンジをファンと共に楽しみたいのだと思う。

いつか、ファンの音楽偏差値あげるんだというようなことを言われてたし。

そんな教師みたいなことではなく、あくまで少しでも多くの人と音楽の楽しさを分かち合いたいっていう意味だったような気がする。

 

まあ自分はござさんの楽譜を練習してるけど実際にその理論がわかるまでは地平線の彼方までの道程が必要なようで、遠い道のりです。

 

しかしござさんの楽譜は見てわかるというより素人には鍵盤を押しさえすればその不思議さの一端はわかるというか。

まるで今まで見たことない和音使って、世の中のセオリーからすると「次はそうはならんやろ」という展開で意表を突くのです。

月刊ピアノもかなりの回数を重ねてきましたが、しかし毎回盛り込まれてる要素がいちいち本格的。なのに全く話題は尽きない。

 

ござさんの配信聴いてると、やっぱり不思議な和音と不思議なリズムが目白押しで、さらにいろんなジャンルが交錯して、聴いてて一瞬たりとも飽きない。

 

結論としては、ござさんの演奏は聴いてて楽しいし、感動する。

だが実際に弾いてみると、さらに楽しい。

 

どっちにしてもござさんはファン全員に楽しんでもらいたくてその一心でピアノ弾いてる……んだろうな。

いや、ござさんが楽しくピアノ弾いてたら、ファンも楽しめる演奏になってる。といったほうが正しいかもしれない。

 

 

 

 

 

ソロアルバム「Fantasia」リリースとござの日ライブ開催決定にあたって

 

唐突ですが自分がござさんのピアノを知ったのはこの動画からだ。

動画投稿は2019/12/25。まだ、介護職とピアニストを兼業されていた頃。


このブログ部屋をご覧になっている皆さまにも、それぞれござさんのピアノとの出会いは様々なシーンがあり、それぞれに思い出があることだろう。

 

でも自分の中でのござさんは、どんなに演奏スタイルが変わっても基本的に変わらない。自分が知る前も知った後も、配信始めた13年前からいやもっと前のネット掲示板でのセッションスレの頃から……

ござさんがやってることはずっと変わらない。

それはピアノ弾いてるということだ。

そんなのいちいち言わなくても見てればわかる?

 

そうですけど、この動画を見つけて咄嗟にこの部屋を開設したのも、自分の潜在的な意識の中でもっと違う形でもっとたくさんの人にこのピアノを聴いてほしいっていう思いがあったのだと思う。

結局、自分が見てたのはござさんのピアノそのものよりも、社会的・表面的なことに過ぎなかったということなのかなあ。

 

ござさんには、楽しそうにずっと一生ピアノ弾いててほしいんだけどなあ。

それだけなんだけどなあ………

でもそのままだといつか介護職へ戻って行かないか、今のままでのピアノ演奏は楽しめなくなるのではないかという意識が心のどこかに澱のように淀んで去らない。

(自分は石橋を3回くらい叩いた挙句予備の石橋を渡してそっちを行くタイプだから)

 

というのが常々抱いてる自分の願望なわけですが、そんな横槍を入れるまでもなく、ござさんはちゃんと自分で強固な橋を選び、足跡を盤石なものにしながら進んでいたのでした。

 

万全整ったところで颯爽と渡っていくござさんの姿は威風堂々というにふさわしい。

 

 ↓ イメージ

 

というわけで。

この記事は、ござさんの2/25の配信で告知された2ndアルバム発売とソロコンサート開催について書いていきます。

 

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

告知配信

ござの日ライブ

さて、先日2024年2月25はござさんからの久しぶりの告知配信でした。

告知って何か?ほんとなら大喜利大会をこの部屋で繰り広げたいところでしたが個人的にそんな場合じゃなくて、思考回路が中途半端に錯綜するにとどまってました。

 

グランドピアノ配信というところからも、何か改まった告知なのだなということはわかる。そこで過去のグランドピアノ配信を思い出すと、

2023年ござの日ライブ(東京)のお知らせ
【ピアノ配信】告知配信 2023/03/24 - YouTube

2023年1月のソロコンサートのお知らせ(アルバムの楽譜集発売の関連でPiascoreスタジオから配信)
出張グランドピアノ配信! 2022/10/15 - YouTube

2022年ござの日ライブ大阪のお知らせ
告知があります!!! 2022/02/25 - YouTube

 

全部ソロコンサートかござの日ライブのお知らせなので、今回もライブのお知らせなのだろうと、だいたい存じ上げてはいた所ですが。でも想像にすぎませんし。

それにソロアルバムEnVisionのリリースが2021年11月だったので、あれから約2年ほど経ったということでアルバム発表かなあと思っていた所でもありましたが、それも想像でしたし。

ノリで発言するようなことは、石橋を叩く主義の自分はそういう発言は絶対しないので黙ってました。それでもし違ったら目も当てられませんしね?

 

しかし予想していたことがしかも同時発表だったということで取り急ぎ、お祝いにこの記事を書いている。

 

 

 

これはたぶん定番の展開なのでしょうけどこの台詞を言いたいがために足掛け三年かかってるので、自分はこの際声を大にして言う。

ソロアルバムリリース、そのプログラムを携えてコンサート開催!

わーい!!!

.゚+.(´∀`*).+゚..゚+.(´∀`*).+゚.

🎉🎉🎉🎉🎉🎉
 ↑
わかりにくいけど泣いてる

 

このねぴらぼinventionが終わったころに(まだ毎週グランドピアノ配信されてた頃)、こんなツイートあって、「長い時間をかけていたあるものがひと段落した」、それはソロアルバムの演奏の収録だったのではと仮定してみるわけです。

この後アルバムリリースの発表は10月にされ、その後の2022年ソロコンサートにつながるわけですが、自分の中では上記の仮定からEnVisionのソロアルバムはもっと前に演奏・収録済んでた派なので。
【配信】重 大 発 表 2021/10/02 - YouTube

 

何が言いたいか?

今回のアルバムは実際の今のござさんの演奏を録音し、そのままのプログラムを再来月のござの日で聴けるということです(アレンジの違いはあれど)。

 

たびたび振り返りますが、最初に予定されてた2020年ござの日ライブは確か都心からちょい離れたとある音楽サロンにて、定員30名で予定されていたものです。なぜ定員30名だったのかというと、その前2019年に2回開催されてたライブも定員30名だったからです。

 

今回は紀尾井ホールで開催ということで、ここはサントリーホールと並んでクラシック演奏会のメッカらしいので、ござさんの音を生で、すばらしい響きで堪能できることでしょう。
紀尾井ホール/公益財団法人日本製鉄文化財団

そう、クラシック演奏向けに設計されているので去年の葛飾ホールと同様スピーカーを通さずに生のござさんの音が聴けます。

いつもYoutubeツイキャスを通して配信されてますがそれは電子ピアノのソフト音源なので、告知配信でもグランドピアノで演奏されてる通り、ござさんの音は一目見たらわかるというか一瞬聴いただけでもわかる特徴的な魅力的な音。

演奏曲のジャンルも下記に述べますが多岐に渡っていてあらゆる表現を楽しめることでしょう。

ぜひ演奏会に足をお運びいただき鑑賞されることをお薦めします🎹

 

と、通り一遍なことを書いてみたものの、告知でのござさんはいつも通りグランドピアノを触れて楽しそうな配信であった。ツイートに上がっていた写真にあるように、マイクも本格的でピアノの音が最高でした。え?顔が見えない?そうですね、仮にもCDも発売になろうかというのにご本人がマスクしてるとはいえ顔出ししてないのは販促活動としては致命的ではないのかという意見もあろうとは存じますけど、とにかく事実、配信で顔出しされてないのでそこはスルーするしかないですよね?単なる部外者がこんなとこでわーわー騒いでも意味ないので次行きますね。

ござさんの発言には内容が前後することが多々あり、自分もこの部屋で散々ツッコミを入れて来た過去があるが、そんな不穏な空気を察知されたのか、告知配信にはスタジオに同伴されたのか匿名のスタッフさんが字幕を配信画面に載せてくださっている。以前の告知でもこの字幕には大変お世話になった記憶があるな。

ござさんも告知に先立って「配信での言は意味ないので皆さま字幕および公式サイトをご参照ください」とのべられている。字幕、大変助かります。ありがとうございます。

…………それじゃ告知配信の意味ないじゃん!?ΣΣΣ( ̄ロ ̄lll)

とにかく配信は、告知と名付けたござさんが楽しくグランドピアノ弾くタイムなのであった。自分ら視聴者もウキウキでピアノ触るござさんと素晴らしい演奏を楽しく鑑賞するタイムなのであった。

 

この配信のみどころとは。

それは鍵盤が見える角度だということだ。

ござさんが押さえてる複雑な和音や一部の指だけが動くややこしい和音。

瞬時に正確に押さえられるすごい幅で跳躍して飛ぶ音。

(たぶんメトロノームを内蔵してるんでしょうけど)寸分の狂いもなくタイムを計ったように細かく決まるリズムと、複合拍子のややこしいアレンジもサラッと演奏されている。

それらが全部、至近距離で楽しめる。

過去に2020~2021年にかけてグランドピアノ配信を続けられていたが、その前半の時期?くらいはピアノの上から写す角度の配信だったので遠目にではあるけど、鍵盤を演奏される様子も楽しめた。しかしこのような鍵盤が全部見える角度でのグランドピアノ配信は、ピアスコアスタジオでもそんなことはなかったので初めてかもしれない。

上から鍵盤を映してる角度の家での配信は多々あれど、このグランドピアノ配信は貴重だと思うので、末永く楽しみたい。

なんといってもカメラがずっと後ろから鍵盤へ固定してるのですべての曲を鍵盤見ながら楽しめるのですよ。ええ、素人には押さえてる和音がなんなのか具体的に推察することはできませんけど?でもこの音の時にこういう動きなのかーっていう新しい発見の連続ですよね、そんなすごいことしてるんだΣΣ( ̄ロ ̄lll)!!!って改めて思い知ったというか。

この演奏を支えてるのは?いうまでもなく毎日の膨大な練習量があるから、ござさんの不断の努力の賜物にほかならないので、ござさんにはなんも他の事を気にせず憂慮する要因無く、思いっきり毎日ピアノ練習できる環境が続くといいなあという思いを強くするのだった……

 

ちょっと重箱の隅を楊枝で洗っておこうか。

「アルバムに収録した曲は、配信でリクエストを拾うことを避けていた」と言われていたが今までの配信でもこの告知配信でも、避けていた曲はリベルタンゴくらいなのでは?それとオリジナル曲の「そして鐘が鳴る」。

あ、そういういらないツッコミはしないんでしたね、失礼しました。

 

《どうでもいい視覚的な情報》

どうでもいいと言いつつ、とりあえず備忘録として貼っておく。

 

今回告知配信ではスーツを着用されてて、見ててこちらも身が引き締まる思いでした。

青いスーツはたしか2022年の『日本遺産物語コンサート』で着られていたのでツイートを引用させていただきました。ついでにインナーのチェックのシャツも同じでしょうか。

ネクタイだけ今回ストライプになっててちょっと違いますね。

ほんとどうでもいいですが、このスーツぴったりござさんに合ってて、ピアノ弾いてて窮屈かもわかりませんけど見てて似合ってるので自分は大好きなのでいちいちメモ代わりに書いている。

このスラっとしたスーツが似合うのにいったいどこからあのピアノ演奏するエネルギーが湧いてくるんだといつも不思議に思うところではある。

 

2nd ソロアルバム

箝口令とは

実質、レコーディングの話はこのあたりですでに匂わせ発言が繰り返されていた。

ござさん、ここでレコーディングってはっきり言っちゃってるじゃん( ´∀` )wwww

もう9割9分アルバム収録ってわかってましたが公式発表がなかったのでそれに触れるのは避けてました、というか自分はこの部屋で去年から休止中だったので筆が止まってたのでした。

その後の配信でのトークによると、レコーディングは四日間にわたったとのこと。

なんかこう、ござさんは、純粋にピアノを練習して演奏し、ファンはそれを鑑賞するというコンテンツに集約されているので、ファンは見てる景色の視界が明瞭で進む方向もわかってるから安心して推せるというのはある。

 

そのとき聴いてて面白いのは、しかしファンとしてはすぐ飽きる。

いわゆるすぐに廃れて捨てられるファストファッションみたいなものである。消費され淘汰されることを前提としたニーズ、安価で使いやすいデザイン、すぐ次に移ろっていく購買者の嗜好。

 

というわけで、ござさんにおかれましてはじっくり納得するまで楽曲に向かい合っていただけたのではないか?と、ファンとしては思うわけです。

1st アルバムの「EnVision」がいままでのレパートリーや投稿動画をアレンジして演奏されていたので、その後出る投稿動画はアルバムを意識されてるのかなあ、というようなスタジオ収録の完成された演奏が多かった。ストリートピアノ動画も二つ投稿されていましたのでそれはそれで嬉しかったのですが。

研究者が史料の学術的な面を研究したり、科学的にあらゆる可能性を否定せずに追求したり……という、楽曲に対して妥協せず、限界まで攻めた姿勢を崩さないござさんのスタイル。

聴いてて飽きないのはそれが理由かもしれない。

綱渡りするようなぎりぎりの線上をかろうじて踏み外すことなく持ちこたえながら、バランスを保って渡る。

ござさんの音使いにはそのような常に挑戦する姿勢を感じる。

平凡な日常なんてつまらない。

ござさんの音楽アンテナをもってすれば原曲を原曲通りにピアノで弾くことは可能だ。

しかしそこから踏み込める限界線まで鋭利に切り込んだ、常に冒険者のスタンスを崩さないござさんのアレンジは聴いてて心地よいスリルを味わえる。変化のない日常に刺激を与えてくれる。

音楽の深い森には果てしない未踏の地が広がるが、その闇を切り裂いてござさんの太刀筋が翻り、鋭く閃く。

ござさんは自称17才だが、言い得て妙である。

自我の無い子供でもないが完全に自立しきっていない、まだ未来に無限の可能性を感じている17才。実年齢は存じませんけど、ござさんのつくる音楽には全てそういう若々しさと、真実がどうなのかを恐れない勢いと潔さがある。しかし、演奏は確固たる円熟の域に達し、老成されたとさえいえる技術と圧倒的な知識に裏打ちされたもの。

有無を言わせない説得力をもつ演奏の前に聴衆はただ感服して聴き入るのみである。

 

いつだってござさんのピアノは聴く人にえもいわれぬ充足感を与えてくれるが、ござさんの中でも納得のアレンジで演奏されたという意味で、このCD収録はファン垂涎の演奏と言っていいだろう。

 

下記に挙げる収録曲から、ござさんのフライング。ちっとも隠せていませんwwwwこの時点で、レコーディング?CD??トロイメライ入るの???ってファンはざわついておりましたがまだ未確認情報に過ぎませんでしたので。

(※トロイメライの演奏)

 

ちなみにござさんのピアノは、ござさんが構築する音楽の世界を鍵盤で表現したに過ぎない。ピアノ以外にも無限にフィールドは広がっている。その一郭をピアノというツールで切り取ったに過ぎないのだ。CDでの表現が全てのように記述すると、現実との甚大な齟齬を生み誤解を与えるので、ござさんの描く音楽シーンをほかにも貼っておく。

ござさんの音楽活動は全て実験室、ファンはその試行錯誤の過程を一緒に迷いながら跡をたどっている。

 

ござさんのシンセにはプリセットされた内臓音源の多様なものがあるが、また市販で音源をダウンロードされて使われてるらしい。(そういうのは楽器演奏をサンプリング録音して鍵盤に対応させて再生できるようにしてるようだ)

そこでクラリネット音源をてにいれたからって、中学の部活でクラリネットされてたからって、このレベルでわずかな息遣いの揺らぎからアーティキュレーションのリアルさまでサラッと再現、感性で遊ぶってこういうことでしょうか。

 

こっちはJAZZアドリブ。JAZZは奏者の数だけアドリブが存在すると言っても過言ではない。そこで耳コピしたからってセッションのサウンドを楽器ごとに完コピ。すごい。このテナーサックスのリアリティが、本物よりも本物に迫ってる。

 

こっちもセッション。一人ドラムが………といいつつ絶対楽しんでるに違いない。

 

 

話が横に逸れた。

さて、CDのお取り扱い店は下記のようになっており、それぞれ通販または店頭販売で対応されている。それぞれに特典が異なっているのでご確認ください。特典の在庫は、多分予約の先着順です。

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CV52P75H/

楽天楽天ブックス: 【楽天ブックス限定先着特典】Fantasia(L判ブロマイド) - ござ - 4582552480425 : CD

セブンネット:https://7net.omni7.jp/detail/1301548469

TOWER RECORDSござ/Fantasia

HMVFantasia : ござ | HMV&BOOKS online - EM-37

 

《収録内容》
※曲順未定
Chopin Syndrome
幻想即興曲
悲愴
リベルタンゴ
ミックスナッツ
森の出来事
大きな古時計
空の陰影
そして鐘が鳴る
Tank!
トロイメライ

(Amazonのサイトより)

 

 

トロイメライから読み解くござさんアレンジの謎

さて、再びトロイメライのツイートを貼る。なぜならこの曲はござさんのアレンジの歴史そのものでもあるからだ。

 

つまりこのアレンジが原型と思われる。

 

さらに楽譜も販売されている。ちなみにEnVisionアルバムからの楽譜集よりずっと前に、ござさんが仕事の傍らまとめられた楽譜である。ほんと仕事の傍らとは思えない世界観の究めっぷりですごいですね………(語彙力)

【楽譜】トロイメライ / シューマン ジャズバラードアレンジ / ロベルト・シューマン (ピアノソロ / 中級) - Piascore 楽譜ストア

 

そしてそれらの、以前まとめられた楽譜は13編もある。どれもござさんのこだわりと思いが詰まった珠玉のアレンジばかり。いかがですか。

 

そこで、これらのアレンジは一見優しそうに見えてものすごく難しい。自分が素人だからなのもあるがこれよりずっと取り掛かりやすい月刊ピアノの楽譜でさえ、自分はちっとも習得できない。

なぜなのか?(そりゃ君が素人でヘタだからやろwwという野次馬のツッコミは放置します)

 

指運びが難しい。

リズムも難解。

でもそれだけではなくて、上のほうでも述べたがござさんが操る和音が難しいのだと思う。ピアノを習ってきた初期の教本でおなじみの和音たちは全く影をひそめて、「なんでそこでそう来る??そこはこうやろ???」っていう展開ばかりで、脳がバグるというか本能的に拒否ってる気がする。

「それはクラシックの定番展開をイメージしてるからやで、ござさんの使うのはJAZZの和音やから展開がまた違うんやでwww」

というツッコミもありそうだが、でもJAZZアレンジにしても、YoutubeとかCDで聴くスタンダードJAZZの演奏とは何かが違う。

何が違うってそれはわかんない。それがわかってたらとっくに自分もJAZZアレンジ弾けてますよ、わかんないので困ってるんだ。

そこでだ、界隈の某有識者のHさんから助言をいただいて推測してみたが、

「(いろいろな曲をJAZZアレンジに読み替えて)さらにござさんならではの和音展開にしてるからこそ、耳慣れない独特の響きになってて、それこそが魅力」

なのだそうだ。

ふうん??????

だから、ぱっと見では覚えられないのか。

 

この独特な和音使いこそ、

ござさんのピアノの特色。

ござさんのピアノを聴く醍醐味。

「ござさんのピアノでないとなんか違うな?」ってなって満足できなくなる要因の、正体ということか。

聴衆を引き寄せる問答無用の説得力。

惹きつけて離さない強靭な引力。

すると、このござさんならではの和音使いは、ござさんが広い芸術の海を泳ぎ切っていくなかでの切り札になるだろう。伝家の宝刀ともいう。

 

ござさんの演奏するピアノ、ござさんの編集された楽譜から、ありがちな和音が聞こえて来たことが未だかつてあっただろうか、いやない(反語)。

そういう意味ではクラシック曲を弾いていてもなんらかの手心を加えてござさんふうに読み替えている気がする(詳しくは知らないけど)。

ほんと全く油断ならない。

 

 

大きな古時計の歴史

今回のアルバム曲の中で、トロイメライと並んでござさんのアレンジの歴史をいろどってきた曲に、大きな古時計がある。

そしてまたしても黙っていることができないござさん。ほんと、箝口令とは……?

 

このアレンジもまた遡ればここに行き当たる。そして楽譜もこのときすでに発売されている。この時代、すでにござさんの描く音楽の世界は大体完成されていたということもできる。

 

さらにござさんの独特な和音についての解説動画。

ちょっと疑問なんですが、自分はピアノ習ってて小学六年でやめましたけど、それまでにこういう内声とか和音の工夫って言う指導はピアノ教室ではやらなかったんですけど???個人のピアノ教室へ通ってましたけどね、バイエルとかソナタとかソナチネツェルニー等の教本しかやらなかったんですけどね。この和音を工夫して自分なりに曲の表現を変えるとかいうことはやらなかったし、知識を仕入れとけばござさんのいうアレンジを弾くのに今ここまで悩むこともなかったんですけど。

なんでなん?(わからない)

 

その後もござさんからは月刊ピアノの連載シリーズで三つのアレンジが提唱されている。それぞれに平易で短く素人でも挑戦できるアレンジとなっている。

月刊Piano 2020年10月号「ござさんの All that Goza's Piano Arrange」第10回 大きな古時計(ラヴェル風) - YouTube

月刊Piano 2020年11月号「ござさんの All that Goza's Piano Arrange」第11回 大きな古時計(ジャズ・バラード風) - YouTube

月刊Piano 2020年12月号「ござさんの All that Goza's Piano Arrange」第12回 大きな古時計(80年代AOR風) - YouTube

 

また、現在毎週の生配信の冒頭ムービーのBGMとしてござさんの演奏が毎回流れてるのは皆さま周知のことと存じます。

おまけで、ストピ動画にも大きな古時計アレンジがある。この動画の前半が、ござさんによるアレンジ演奏である。この動画が好きすぎて、自分はもしこの動画がカセットテープだったら間違いなく擦り切れていたであろう回数を聴き倒して、もうアレンジの展開も全部覚えてしまったくらい、大好きである。

【丸サ】演奏中にまさかの飛び入り!?けいちゃん&瀬戸一王さんと夢の連弾!!【大きな古時計】 - YouTube

 

編曲が古典的または有名な童謡とかが多いのは、童謡や民謡は主題が明快で、モチーフとしてアレンジしやすいとかいうことをいつかござさんは語られていた気がする。

それにだれでも聴けば知ってる曲で、挑戦しやすいこともあるだろう。

ござさんファンなら知らない人はいないであろう、ござさんと共に歩んできたアレンジがこのたびアルバムに収録されることになり、(いや自分は弾けないけど)感無量です。

ござさんのレパートリーが幅広すぎて、最初のアルバムEnVisionの曲を選ぶにあたって絶対悩まれたと思うんですね。でもこうして足跡を新たにされていくことで、ファンもまたござさんの活動をリアルタイムで追うことができてファン冥利に尽きる。

 

 

ござさんの詩的な世界

ござさんの作りだす独特な世界でもうひとつ特筆すべきは、言葉選びだろうか。ござさんの使う言語はピアノでありリハモというかアレンジ言語なので、日本語は第二言語だと思いますけど、曲の題名につけられる言葉が独創性にあふれてて、どんな曲だろう?って色々と想像が広がる。

 

まず最初にござの日ライブを開催するにあたり、アー写のロケ地に選んだのが旧古河邸っていう時点で独特のこだわりを感じる。

( ↓ この背景が旧古河邸)

 

※ついでに、アー写撮影時に収録したと思われるYoutube動画。背景に映る旧華族の邸が、和洋折衷でレトロな落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 

また、介護職を辞めた当時(2020年2月当初)、どこにでかけてたのかをたずねられて「六義園です」と答え、ぜろいちさんに「おじいちゃんだな」とツッコミを入れられていたのもいい思い出です。

そんな思い出はさておき。今はこのアー写も差し替えられておりますので。

 

なにげなく切り取られた風景も絵画的で情緒がある。この、花がつぼみのところに趣を感じるのが日本の古典文学に通じるものを感じるのです。

 

そしてござの日ライブで初めて東京以外(大阪)に行くものの観光せずトンボ返りしてこの都立植物園に行き、「観光してきました!!」とのたまってたのは置いといて。

ござさんの目に入るのは自然物というか静かに植物と対話してる感じがします。

 

ネコも登場してみたり。去年の京都での桜音夜の帰りと思われ、後日の振り返り配信によれば、京都から西に電車で向かってみたそうで、ネコと坂道で有名な文学作品ゆかりの町尾道だそうな。

 

ござさんの使う言語はピアノであることは間違いないとして、でも第二言語の日本語にも、奥ゆかしさと洗練された意識を感じる。

含蓄に富んだ言葉遣いによって何か深いところの意味を示唆しているような表現だ。

森の出来事

空の陰影

そして鐘が鳴る

(オリジナル曲の曲名)

 

また1stアルバムの「夕さり」という曲も、古語に由来を取った古風な言い回しだ。

夕さり - YouTube

 

その言葉は古く万葉集にも見える。

玉かぎる夕さり来ればさつ人の弓月が岳に霞たなびく

 

また、古今和歌集 紀貫之の和歌の詞書にも夕さりの語がある。

雷鳴り(かんなり)の壺にめしたりける日、おほみきなどたうべて、雨のいたくふりければ、夕さりまではべりて、まかり出でけるをりに、さかづきをとりて

秋はぎの花をば雨にぬらせども君をばましてをしとこそ思へ  貫之

 

 

また、アルバム名の「Fantasia」は音楽では幻想曲というほどの意味である。

ござさんの作る世界はすべて幻想の世界ということか。いやいや幻想即興曲という、収録曲にちなんだ題名なのだとは思いますが。


 

でも幻想曲という単語自体も、ござさんのアレンジを的確に表現しているのではと思います。

配信ではほぼ全部即興アレンジだし、同じ曲でもその時によってアレンジが違うのでファンは毎回新鮮な表現を楽しめるし、ござさんも配信での即興が一番アレンジがアグレッシブで攻めてる感がある。

そしてそれらの表現は楽譜に残らないから毎回一期一会の表現をござさんとファンで共有していることになる。そういう意味で幻想。

 

 

 

 

音楽についての短いつぶやき

 

ピアノは毎日練習しないと上達しないし、少しでも練習の間が空くとたちまち習熟したことは無に帰すも同然になる。

それは楽器全般にいえることだが。

だから、自分は楽器が演奏できる人を尊敬する。

いまどきシンセサイザーに代表される電子楽器が隆盛を極める時代、楽器演奏の習熟とは単なる技術だけには終始しないのだが、でもそういったツールを使いこなす土台としては基本的に楽器そのものを演奏できることが前提といっていいだろう。

 

こつこつ目に見えないものを積み上げるように継続できるひとだけが手に入れられる、また到達できる境地。

そこから見える景色は努力を怠らなかった人だけが味わうことのできる、何物にも代えがたい、素晴らしい眺めに違いない。

そういった不断の努力だけが形作る音によって自由自在に表現できる、

それこそがまさに音楽家の醍醐味であり悦楽の時なのではないだろうか。

 

また、音楽を演奏するという事はそういった鍛錬に裏付けられた技術が反映されるだけではなく、演奏者から滲み出るというか燃え上がる情熱、見えない炎が音となり形になる自然現象。とでもいおうか……

奏者の感性が音という形代に拠って発露する。

それが、音楽であり楽器で演奏するということだ。

 

その音の表現に上も下も横もない。

あるのは、ただ聴き手による好みであろう。

それは人間が聴くところであるから好みは千差万別、聴く人の数だけ好きな音楽表現は違う。

 

でもただ一つ言えるのは、どの演奏、どの音楽にもそれぞれの魅力があり、相対的に比べるべきものでは決してないということだ。

 

音楽はそこにただ存在するだけで最高の芸術表現なのだ。

 

それらをどう捉えるか?

聴く人の人間性がそこに反映されるのだろう。

 

自分は個人的にござさんのピアノに心酔するところがあって、だからこの部屋でござさんのピアノについて語ってるということだ。

 

でも音を奏でる人の数だけ、音楽が存在し、

また音楽を鑑賞する人の数だけ音楽の解釈は存在する。

それらの概念は決して一束にまとめることはできないし、また画一的に語ることもできないだろう。こういった多様性が演奏シーンを極彩色にまばゆくいろどるからこそ、音楽は一生を捧げるに足る芸術たりえるのだろう。

 

 

 

 

ブログを休む話

 

この部屋で三年半くらい書いてきたわけですが、

書きたいことは一段落した気がするのでこの辺でこの部屋は休止します。

 

最近個人的に身辺が落ち着かないのでしばらくここの部屋のことは考えられないのもありますが、他にも要因はある。

 

ござさんの世界については、本質的には書いても尽きることはないはずだけど、自分の書ける範疇はここまでです。

あとは音楽アレンジの内容に懸かることなので自分の理解の及ぶ圏外です。

そこは有識者の方が解説したらよろしいかと存じます。

 

特記するべきことは尽きてきたと一年位前から思ってたのですが惰性で続けるのも意味ないのでここで筆を置きます。

今までご愛読いただきありがとうございました。

年末からここの記事を休んでみて、お試し期間というかその間にやっぱ書く気になるかどうか様子をみてたけどやっぱり同じだったため。

 

あまりにも視点が近すぎて解像度が逆に下がってた説もあるので、いったん休んだら何か見えてくるかもしれないし。

 

どっちにしても事件の匂いを嗅ぎつけるとすっ飛んできますのでご心配なく。

気性が新聞記者のため。

若い頃は新聞記者になりたかったし。

でも今思うとそういうメディアの屋台骨というか看板を背負ってやるのは言論に制約しかないので、自分は野良で好きな事やってるのがいいし。こうやって好きな時に好きな事つぶやいてるのがいいです。

 

久しぶりに大河ドラマが好きな分野のためそっちの記事でも書いてみます。

別の歴史オタク部屋で。

その感想のツイートも別アカウントのため、ピアノのTLをお騒がせすることはありませんのでご安心ください。

 

最近ござさん本人から明らかにもうすぐ告知あるぞムーブがきてますが、本来、告知関連の情報はそんな個人のつぶやきでもたらされるものではなく、もっと「第何次プレスリリース」的であるはずだ。

つまり、個人でつぶやいてるうちは、取材してほしくないモードなんだなと解釈しました。

 

というか売りたい雰囲気を感じないので、このブログで拡散する意欲が出てこない。

あのレベルの演奏家さんに必ずあるべき、広報部が発信する形式の情報がない。

あるのはただ演奏だけ。

あまりにも無造作になにげなく、野辺の茶堂にそっと手向けられた音楽。それは行き交う人の心を慰め、元気づけ、癒す。

ただ自由にひっそりと存在する音を、無碍に脅かしてはいけない。

 

事件の端緒をつかみ、取材してほしい雰囲気がどこかに感じられたらまたこの部屋に戻ります。

たぶん。

 

それまでは別の歴史部屋に棲息しているのでそっとしといてください。

では。

(歴史部屋の記事は大河ドラマの#つけてテキトーにTwitterにでも上げることにする)

 

 

 

 

 

 

12/3の生配信 ござさん14周年おめでとう

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

 

ワダツミの木


12/3(日)のYoutube生配信はワダツミの木で幕を開けた。

この曲は前日の12/2(土)にござさんもゲストで参加された、中孝介さんのワンマンコンサートの中の一曲だ。コンサートに参加できない遠隔地民とか都合つかないファンの人たちに、コンサートの雰囲気を分けて下さったのだと思う。

有難いというかなんというか。

自分は勝手にござさんからの無言の心づくしだと思うことにした。

なんというかファンの方を向いてくれてると思うんだ、音楽的に。

思い込み?ええ何とでも言ってください、自己満足とでも何とでも。行けないけどコンサートに思いを致してるファンもいるんだってことを、ござさんは忘れないでいてくれてるって思うことにしたんだ自分は。

 

ーー以下、ヲタクの早口ーー

ワダツミっていうのは海神と書く。ワタツミ、海津見ともいう。つまり海を司るというか海を主宰する神のことだ。

沖縄と奄美は由来とか歴史が厳密には違うけど、概して南西諸島は南方つまりフィリピンとかインドネシアの東南アジアの海洋民の系譜を継ぐ。遺伝的にも、文化的にも。

彼ら南方の民の死生観というのは遥か海の彼方の常世の国と往来するものであって、そこにはニライカナイという豊穣をもたらす世界があった。特に海の底ではなく海の向こうという意味だ。

生活の場も交易も海を舞台に、海に生きた民族。奄美の民謡には彼らの祈りがこめられている。

 

ござさんのピアノは静かな波をたたえる青い大海原のように……どこまでもひろがる壮大な世界を、奔放な筆致で描き出す。

ござさんのオリジナル曲の清新の風は大海原に漕ぎ出す冒険の始まりであり序奏。

ワダツミの木はそういった航海者をも全てを俯瞰して包み込み抱擁するかのような、海という存在そのもの。歌詞は人の心の機微を書いているが、曲調は民謡の憂いを帯びながらも美しい旋律が印象的。

 

 

ござさんの生配信は14周年

そして何気なく拾われたリクエストは戦場のメリークリスマス。この曲のござさんの演奏は生配信を中心に名演奏揃い。坂本龍一氏への畏敬の念がそうさせるのだろう。

メドレーで目まぐるしく変わっていくアレンジとは違い、腰を据えて聴かせてくれる。季節の曲というよりは、その時のござさんなりの解釈が盛り込まれてて、いつも考えさせられる曲だ。

でもござさんとしては「昔からリクエストをたくさんもらう人気の曲」だから生配信で弾く、とのこと。やっぱファンの方を向いてくれてるんだよ、ござさんは。音楽的に。

ファンが望む曲を、どういうふうにしたらより魅力的にして届けられるか。

それがござさんの配信のテーマだ。

その姿勢は一貫して昔から変わらない。

 

ござさんがYoutube配信を始めたのはだいたい2015~2016年頃?だがその前はツイキャスとかその前はニコニコ生放送で配信を行っていた。

そして突然生配信中に告げられる、配信開始して何年か記念。

このニコニコ生放送履歴(アーカイブは非公開)を見ると確かに先月25日で14周年記念日を迎えている。

 

 

ござさんのピアノ配信は、

2009年以来のニコニコ生放送ござで御座います。-ニコニコミュニティ )

ツイキャスござ 🎹 (@gprza) 's Live - TwitCasting )

と、媒体を変えながらも定期的にずっと続けられてきた。

今年で14周年。

大学に通いながら、仕事をしながらと生活基盤の変遷を経て、途中に中断もあったのかもしれないけど、自分はリアルタイムで聴いてないのでわからないがとにかく続けられている。

ずっとリクエストを拾いながら。

自分が知ってからのござさんは、それまで続けられてた介護職から音楽専業になり、(途中でペンギンマスクをかぶりながら、)ピアノも買い替え、引っ越しし、CDも出してオリジナル曲の楽譜集も出してコンサートも開催して……と活躍の場を広げられている。

しかしそれはここ3~4年ほどの話。

上記の通り、ござさんの活動は基本的には黙ってリクエストを拾いながら生配信でピアノ弾くのである。ペンギンマスクかぶる前は画面も手だけの出演であった。ニコニコ生放送では、登録名を空白にすると自動的に  _ っていうアカウント名が割り振られるらしい。つまり名前とか入力せずにただリクエスト拾ってピアノ弾いてたってことになるが、ファンからは _ 先生、つまりあんだば先生と呼ばれて慕われていた。

どのくらいファンがいたのかというとニコニコ大百科に項目を立てられているほど。

あんだば先生とは (アンダバセンセイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

奇を衒った趣向もなく目を引くキャッチフレーズもない。目を引くというより、度肝を抜くのは演奏そのもの。そこにファンがさざ波みたいに静かに寄り沿ってピアノに耳を傾ける。

ござさんの活動の本質は今も昔もそこにある。

 

ニコニコ生放送時代のレパートリーは、このプロフィールによると
資料:【 ござで御座います。-ニコニコミュニティ 】

三大巨頭(byござさん)である東方の曲、ボカロ、それとアイマス。それからアニソンにゲーム音楽音ゲー……

限られたファンによって支えられてる狭いコミュニティ?そうかもしれないけど再度注目されたりして、ござさんによれば「形を変えて伝えられてる」ものも多い。

 

【春夜宴桃李園序(の冒頭)】(李白

夫天地者萬物之逆旅、 それてんちはばんぶつのげきりょにして

光陰者百代之過客。 こういんはひゃくだいのかかくなり

而浮生若夢、 しこうしてふせいはゆめのごとし

爲歡幾何。 かんをなすこといくばくぞ

(現代語訳)月日は万物を泊める宿。時の流れはゆきかう旅人のようなものだ。生者と死者の違いは夢を見ているか、夢から覚めたかの違いでしかない。楽しい事と言ってもどれほどのことがあるだろう。

松尾芭蕉奥の細道にも引用されてるこの李白の詩を意訳すると、

「だからこそ、その時代の『今』を全力で楽しもうよ」

ってことだ。

きっと記憶に残るからだ。

 

ござさんの年齢が12才だったり17才だったり14才だったりするのは要するに追及するなってことでしょうから、謎の存在ってことにでもしときましょうか。

時代も、そして国境も民族の壁も超えてあらゆる音楽に精通するござさんですから。

 

そんなござさんにも心の故郷はあるわけで。

ニコニコで流行ってた曲がござさんの帰るところなのだろう。

10代に聞いた音楽は一生聴き続けることになるっていうし(え?ござさんの年齢ですか?シリマセンケド)、それは精神的なベースを築くことになる重要なファクターだ。

心の拠り所があるって人間形成のうえで必要不可欠だから。

今流行ってるかどうか、そういう議論はしてない。

 

ニコニコ生放送でよく弾いていた曲

さて何気なく拾われたリクエスト、戦場のメリークリスマス

坂本龍一氏の曲でもありござさんは思い入れがあるのだと思う、いつも印象深い演奏をされる。まずイントロが標題音楽風に幻想的な雪景色を描いてて、それからJAZZバラードふうにとかSwingで盛り上がったのも束の間、さらに冬のぴんと張り詰めた空気みたいなオルゴールふうな中間部から終盤へ劇的な展開を見せる。

戦争という普遍的なテーマをも超えて、かといってクリスマスという標題で終わるわけでもなく。ござさんの抱くイメージは抽象的、哲学的なものを内包しててもはやひとつの宇宙を形成していてコンテンポラリーダンスの舞台を一本見たかのような重厚な世界観。どう解釈するかは聴き手ひとりひとりに委ねられている。

この曲とござさんが歩んできた音楽活動の歴史そのものが凝縮されていると言えるかもしれない。

ニコニコ動画(いりすさんのアカウントから):まだあんだば先生と呼ばれてた頃のござさんと、いりすさんによる演奏。

 

リクエスト曲の栄枯盛衰を辿るーー組曲ニコニコ動画と、ニコニコ動画流星群

最近コンサートの練習が続いていたから、自由に自分の持ちレパートリー(いうても2000曲以上あるわけですけど)を弾きたくなったのだろうと思う。それがきっかけ?

今年は先月でちょうど14周年ということで、ニコニコ生放送でむかし良く弾いてた曲メドレーやりましょうと弾き始めるござさん。

そして俄然色めき立つチャット欄。

きたか…!!

  ( ゚д゚)
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
  \/    /
     ̄ ̄ ̄
  ( ゚д゚ )
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
  \/    /
     ̄ ̄ ̄
  ( ゚д゚ ) ガタッ
  .r   ヾ
__|_| / ̄ ̄ ̄/_
  \/    /

 

 ⊂( ゚д゚ )
   ヽ ⊂ )
   (⌒)| ダッ
   三 `J

 

このくらい一斉にチャット欄が湧いて一気にコメントが来た。みんなどこにいたんですかそこだったんですねっていうくらい、藪に隠れてたんかと思うくらい。 

ニコニコ時代、たぶんこのキーワードですでにテンプレのメドレーをみんな思い浮かべてたのかもしれない。

いつも隙あらば配信でアニソンを選び、ボカロとかゲーム音楽のリクエストを拾うとなると時間を忘れて楽しんでるござさん。そういう姿の原点を見た気がした。

※今回ござさんが生放送で弾いてたメドレーの元動画:投稿は16年前。
ニコニコ動画流星群 - ニコニコ動画
組曲『ニコニコ動画』 - ニコニコ動画

(※原曲版(?):「ニコニコ動画流星群」を原曲だけで再現してみた - ニコニコ動画
( 組曲『ニコニコ動画』を元の曲で再現してみた(最終調整版) ミラー - ニコニコ動画 )

と言っても、もともとは個人ユーザーが耳コピして作ったDTM打ち込み音源らしい。

ひとこといいですか?

耳コピして音源作るって、ござさんの耳コピしてピアノ弾いてみたとやってること一緒じゃありませんか?

ござさんのホームグラウンドがニコニコ動画と生放送なのがなんなく腑に落ちた。そういう自由な創作の場で混沌としたカオスの世界なんだな。ちなみにルールは存在しない。

そういやこの冬曲メドレーの粉雪のところでこなあああああああ(以下略)って字幕がついてるけど、ニコニコの弾幕そのままだなってことに、今気づいた(遅)。
観客0人が2分で満員コンサート!?冬うたJPOPメドレー! - YouTube

ござさんのニコニコ動画の概要欄に決まって「ゆっくりきいていってね!」とあるのも、(東方キャラの)霊夢魔理沙ゆっくり実況ふうなんだな!ってことにも今気づいた(遅)。
黄金の太陽「サテュロス・スターマジシャン戦」を弾いてみた - ニコニコ動画

 

ニコニコ生放送で人気を博し一世を風靡したニコニコ動画メドレー。

ござさんのピアノメドレーは、上記に挙げた既存のメドレーを新しく曲を組み替えて要所を押さえてるところに、並々ならぬ思い入れとこだわりを感じる。

当時をリアルタイムで生きてた生放送の住民:ござさんの独断と偏見満載の選曲。メドレーの元の構成からベースライン強調してみたり(らき☆すた)、曲の別のところをピックアップしてみたり(True my heart(きしめん) )、ボカロも混ざっててローリンガールは激しい原曲がバラードのサビ風になってて感動する。

微に入り細を穿つ演出の再現度につられ、思わずチャットに浮上したと思われる人々であふれててめっちゃおもしろい。ニコニコ動画時代からのファンの方かなあ?と思うとなんだか嬉しい。知らない民としては聴きどころがわかって参考になりますし。

ござさんならでは、ここでしか聴けない組曲「みんなのニコニコ動画」。

いえここでなくてもほかにもニコニコ組曲その他一連のメドレー曲を弾いてみた動画はネットに上がってますが、自分はござさんの演奏が好き。上記のようにござさんならではの視点が反映されてるから、そういうアレンジが好きなので。

最後のさくらさくらの曲も原曲通り(?)のエフェクトかけて音程外れた琴みたいな感じにしてくるところも大好き。そこでチャット欄が

そこまでやるんだwww

音の外れがバッチリwww

組曲まんまwwww

とか、総ツッコミの嵐で笑う。

 

(自分ですか?ええござさんの生配信で細々と覚えてたところに、この組曲が9割わからなかったので、必死でニコニコ大百科で調べてたら一週間かかってこの感想書くのが遅れてすいません)

 

しかし当時の流行から10年以上、このメドレー動画から数えて16周年らしいので、少なくとも流行ってる曲というカテゴリでそれらの曲をリクエストしてくるファンはもういない。

「自分と同様に、当時を懐古するファンはしかし一定数いる。」とござさんは前置きしながらも、リクエストにも時代の流れがあり、ファンの思いに応えるかたちでずっと演奏してきたからニコニコ時代の曲のリクが飛んでこなくなったことにござさんは、もう取り戻せない時間の流れを噛み締めていることだろう。

そんな現在のYoutube生放送には、一抹の寂寥感が片隅に居座って去ろうとしない。

………どうするって?

リクエストし続けたらいいんじゃないですかね。自分らファンが当時の曲を。上記のメドレーにある曲に限らずいっぱいありますよね、ニコニコ時代からおなじみのござさんのレパートリー。

世の中の流行が絶えず変遷していく様子はもう生き馬の目を抜く勢いで目にも止まらない速さだが、ちょっとくらい昔を思い出してリクエスト飛ばすのはいいはずです。

だって歴史と同じく語り継がなければ記憶は人々の心から消える運命なので、ござさんが弾き続けることで文化は継承されるのではないだろうか。

何をリクエストすればいいかって?

そんなん自分も全然リアルタイムではシリマセンデシタけど、このござさんのニコニココミュニティに曲リストあるからこういうのをリクエストすればいいのでは?

主にゲーム音楽音ゲー、ボカロ、東方の曲が詳しく挙げられている。その反面アニソンは詳しく載っていないが……

 

いたづらにリクエストを飛ばしてコメント欄が無駄に速く流れていくことには反対派なのだけど、しかし流行曲をたくさんリクエストすればファンも新しく聴いてくれるひとがいるかもしれないという説もあるが、しかし古い文化も大切にすることにも意味はあると思うので。

常に配信にて新しい曲を装備し、新しい世の中の流れを意識するのも一つの方向性ではあるけどそういう風潮はござさんの配信には似合わないと思うから。新しい曲だから弾く、というよりファンに求められて弾くという方針のように思われる。

昔のニコニコ動画きいてた人にこそほんとは今のござさんの演奏聴いてほしいけどな。

画質も演奏環境もよくなって全然残像じゃないござさんの手が見えるしほんと迫力が段違いです、バラード調に聴かせてくれる曲もなにもかも次元が違うんだけどなあ。

 

 

クリスマスの曲

ござさんはいつも季節に合わせてこまやかにリクエストを拾ってくれる。

まるで和菓子が、その意匠に四季の移ろいを繊細に映し出すみたいに。

秋の曲と言っても夏の残暑厳しい中に一瞬秋めいた空気を感じる初秋、澄んだ空気に満月が皓々と輝く仲秋、爽やかな秋晴れに時折木枯らしが混じるなか芸術を堪能する晩秋……といったふうに、ござさんはメドレーの構成からアレンジの演出まで細かく使い分けているのだ。

季節の曲はその時期に弾いてこそ共感される、その時期ならではのアイテムということも出来るだろう。旬の味覚は、栄養的にも味も旬の時期に食べてこそだし、また年中行事にもその時期に行われるのにはそれぞれ意味があるように、音楽も季節に応じて楽しまれてきたジャンルがある。とくに民謡や民族音楽、童謡。POPSやクラシックにも季節を描いたものは数えきれない。

 

ござさんにとって、クリスマスにまつわる曲は宗教的な讃美歌から洋楽などいろんなジャンルにわたっているしアレンジの発想は尽きない楽しいお題なのかもしれない。

今回もニコニコメドレーの後に仕切り直して洋楽弾きましょうと始めたはずが、がっつりクリスマス曲に持っていかれている。

チャット欄から、洋楽どこいったって総ツッコミだがそんなことは気にしてはいけない。ござさんが洋楽っていったら洋楽なんだ(棒読み)。ほら外国の曲ばっかりじゃないですか???

12月に入りいわゆる待降節、つまりアドベントの期間に入って世の中は街のイルミネーションも華やかに彩られ、お店のウインドーは賑やかに飾り付けされて、クリスマスマーケットではグッズを求める人々でにぎわい、子供たちはサンタさんにリクエストするプレゼントを考えるのに忙しいし、何かと気ぜわしい中にも胸躍る季節だ。

そんなワクワクする季節なのだから、待降節のカレンダーを数えるようにクリスマスの曲で盛り上がるのも悪くないだろう。

なんどもいうがござさんの演奏はあらゆる手段で趣向を変えてくるのでまあ聞いた事あるからって飽きることはほぼないですね。

ただ。ござさんのレパートリーが振り幅大きすぎるので、もったいないから同一テーマはもうちょい間隔をあけてやっていただき、もっといろんなテーマでランダムに拾っていただきたいってことくらいでしょうか。ござさんとしてはあくまでメドレーを拾うにしても偶然というスタンスを貫きたいようだから、そこを深く考えるのは無理なのだろうと推察しますが。

(個人的に)ウチでは餅はついてもクリスマスツリー出すとヒンシュクかうので、ござさんの配信が唯一クリスマスらしい雰囲気を楽しめる空間なので演奏してくださるのはすっっっっっごい楽しみです。

さらに個人的にいえば、 ジョンレノンのHappy Xmas (War Is Over)をじっくり演奏してくださって嬉しかったです。クリスマスの曲ですがこの歌詞に考えさせられることは多いです。

 

資料:過去の動画リンク。ストピだけでも4つある。生配信の曲も入れたらメドレー演奏は数えきれない(ので数えてなくてすいません)

2019/11/17  都庁ピアノでクリスマスメドレー

 

 

 

 2019/12/08(これもクリスマス曲メドレーです)

 

2020/11/23 教会で讃美歌聴いてるような響きです


 

2021/12/13 圧巻の迫力です


 

 

今年流行った曲とかいう当たり障りないお題

厳密に言えばここ数年で流行った曲メドレーらしい。そうだよねござさんはその年の流行曲を紅白見て仕入れて覚えるって言われてたから、この時点じゃ今年の流行曲はまだマスターできてないはずだ。部屋にテレビ置いてないらしいですし。

そういうわけで暫定的今年の振り返りと、ここ最近の人気曲ってくくりでいってみようってことになった。というお題の、強風オールバックがどの曲と相性いいかっていう実験でした。あしからず。

だって流行りの曲そのままやってもみんな知ってる曲だしつまんないですよね?というござさんの心のつぶやきが聞こえた(ような気がした)。

あ、B’zのウルトラソウルが聞こえるなーなんでだ今年の曲じゃないぞと思ってたらAdoさんの唱でした、大変失礼しました。セトリ見るまで間違えて考えてましたすいません。

 

この辺の曲は全部サブスクでリアルタイムで手軽に聴ける環境にあるので、まあ生放送で何が面白いってござさんの配信でいえばどうやってヘンタイな 意表を突いたアレンジしてくるかが聴きどころですしね。

クリスマス曲が洋楽からのメドレーというお題で正統派だったじゃないですか、やっぱ流行りの曲はどんだけ混ぜれるか縛りで遊ばないとつまんないですよねっていうござさんの心の声が聞こえます。

どうやって即興で混ぜてるのか。たぶん曲のキー(原曲の調)が近親関係で混ぜやすいとか?コード進行が似てるからやりやすいとか?リズムとか拍子が似てるとか?あるんだろうと思われるが素人だからくわしいことは知らない。

なぜか曲混ぜながらなのに鍵盤ノールックでモニターを眺めるござさん。チャット欄はいいように手玉に取られて混乱を極め、そんな上へ下への大騒ぎの狂乱ぶりをしてやったりとほくそ笑みながら……優しい視線で見つめながらリクエストを拾っててほんとにwwwww

メドレー弾いてみても「もうちょっと混ぜようがあるな、研究の余地が……」と練習が止まらない。それは勤勉で真面目な姿勢というのかなんて言ったらいいのか。

 

 

あと。

最後のメドレーの長調で弾くビッグブリッジの死闘も即興とは思えないです、独創性が炸裂してる。綺麗なアルペジオからショパンシューマンの曲でそういうのあったっけっていうイントロからのゲーム音楽が意外過ぎる。

長調っていっても古典派とかバロックみたいな正統派よりロマン派っぽいですね。

何言ってるんだか。

なんか優雅な宮廷サロン風で、もはや死闘でもなんでもなくなってますね。

さらにルパン三世も、葛飾ラプソディーも意表を突いたアレンジ。

 

生配信のアレンジはどれも実験的で攻めてて、聴いてて飽きないですがとくに最後のノーストップメドレーがどれも必聴ものっていうか最後の方が脂が乗ってくるというかゾーンに入ってるというか。

どれも発想の切り口が鋭角でその刃物で常識を切り裂く攻め方してて、素人ではその理屈は説明できないからとにかくみんな聴いてくださったらいいと思います、度肝抜かれるから。まあこれ読まれてるかたはいつも聴いてるかたとは思いますが。

 

(ほんとは11月のほかの配信、19日のとかも書きたいけど順番が前後しててすいません、ニコニコ動画の復習の都合上、こっちが先になりましたが11/19の感想書けるかどうかは都合によるのでわからない)

 

 

 

音楽とござさん

 

この記事の題名。お題がざっくりしすぎというか、対象が大まかすぎてはっきりしないのですけど、これ以外に適切な表現がない。

 

"音楽という人類共通の文化"

ーーーこれを普遍的に、世の中に分け隔てなく広めたい。

老若男女にあまねく親しまれるようにもっと魅力を発信したい。

ござさんの音楽に対する接し方、音楽活動における立ち位置を考えるとこうなるのです。

 

11/12のお誕生日配信でござさんはふと、さりげなく言われている。
【スペシャル】グランドピアノ弾いてますリクエスト募集中! 2023/11/12 - YouTube
(※この記事書くのが遅すぎてもうメンバーシップ限定公開になっててすいません)

「クラシック弾きましょうか?こういう特別な配信では、ひねらずに王道を弾けばいい気がするので。」

この言葉に自分は決定的に違和感を感じた。違和感ありすぎてこのお誕生日配信のアーカイブが二週間くらい振り返れなかったくらい、自分の認識と決定的にずれている何かがあった。でもそれがわからなかったのでここの日記も更新できずじまいだったのだけど。

お誕生日配信ってもっと華やかに楽しくやるんじゃないの?いつものアレンジも特別バージョンとか、豪華な盛り上がる曲でファンと一緒に今までの一年を振り返り、これからの活動の抱負を述べるとか・・・?

え・・・?ひねらず王道?????

と、オーソドックスな選曲を眺めながら自分の中で自問自答してみた。

でもどうしても答えは出なかった。

 

しかしちょっとしたきっかけで解決の糸口をもらった気がするので、考え方を変えてみた。

 

ござさんは音楽活動をしている。なんのために?

 

 

その答えはこの動画の冒頭で既に提示されていた。明文化されているのはこの時だが、語らずともその姿勢はネットで活動を始められた2009年から(2ちゃんのセッションスレを考えるともっと前かも)、ずっと一貫して続いていると言っていいだろう。

ござさんの目的は「全てのジャンルのピアノを弾きたい」

 

でもこの動画を見た時すでに、自分の中のどこかで疑問は提示されていたのかもしれない。

「すべてのジャンルをピアノでって、何のために?」

ござさんのこの徹底した満遍なくすべてのジャンルの曲を弾くっていう姿勢のために、練習内容とか選曲とか、音楽家としてのかなりのリソースをそこに割いていると思うんですよね。

それだけの腕前をお持ちなのだから、何かのジャンルを極めることなどたやすいとは言わずとも夢ではないはず。

たとえば。

JAZZアレンジを長い年月かけて掌中に納められているのですから、JAZZの本場のアメリカに行って研究なさるとか、ラテンの本場に行ってリズムを肌で体感し会得するとか…もう自分のものにしてしまわれてるけど、よりそれぞれの分野の研究が深まるのでは?それは、ござさんのレパートリーのあらゆる分野に言えることではないのか。

何かを究めたござさんのピアノ、進化したござさんの地平線の彼方に見える姿はどんなだろう?って見てみたいと思った。

自分のこの考え方がつまり現実のござさんの姿勢とずれていたから、ずっと自分の中の違和感は消えなかったし、しんどかったのかもしれない、と思う。

 

ござさんはどこまでも音楽の本質を追求している。

 

ござさん自身が演奏家として極めるため?

というよりは、

音楽の本質をつまびらかにして平易へいいに表現し、あまねく世の中に知らしめたいのでは?

つまり活動の主体はござさん自身ではなく、音楽そのものに置いているのではないか。

探求すればするほど、音楽に対して真摯に向き合うほど、ござさんの中では個としての自分の存在は音楽の中に埋没して個性は見えなくなっていく。

ござさんは唯一無二の個性的な存在であることは間違いないのだけれど、ご自身からは決して個を誇張して発信されない、という意味だ。

音楽を主体として発信するときに個はむしろ余計な存在だとでも言うかのように。

 

生配信のときにいつもあらゆる分野を長期的に見て偏りなく色々演奏されるのも、

それは聴く人全てに、あらゆる分野にわたって音楽は分け隔てなく素晴らしいのだということをわかってもらいたいからなのかも。

そのために手を尽くしてアレンジを色々試し、どのようにすれば聴き手に伝わるのかを探求しているように見える。

 

月刊ピアノでアレンジ楽譜とコラムを連載されてるのも(もう年明けから5年目になるのでは?)、

ござ式のピアノ演奏のアレンジの手引き的な本をまとめられたのも、

全部、ござさんの考えてる世界を少しでもファンに体験してもらって、一緒に音楽のすばらしさを共有したいからだと思う。

 

ござさんは超絶技巧を操り、また複雑な音楽理論を駆使して縦横無尽に夢みたいな演奏を配信で披露されている。

でもそれらの根底にあるものをわかりやすくファンにでもできるところまで解像度を鮮明にしている。なぜならファンが理論とか知らなくても、曲についての知識とかなくても、ござさんのピアノは直接心に訴えかけてくる説得力を持っているので。

 

音楽にはジャンルの垣根も国境もない。

色々気軽に取り組めるし、躊躇することなく気構えることなくやってみると、そこには無限にめくるめく世界が広がっているから、一人でも多くの人にそのことを知ってもらいたいと思われているのでは?

 

月刊ピアノの連載のコラムの懇切丁寧、優しく平易にして本格的に掘り下げた内容。

アレンジ楽譜の色んな分野を取り入れつつもしっかりとござさんならではの和音とかコード進行?が盛り込まれててしかも素人でも練習すればできるのでは?と思わせてくれる、現実的な難易度。
※動画一覧:月刊Piano「ござさんの All that Goza's Piano Arrange」 - YouTube

ござ式のアレンジガイド本の、わかりやすく系統的にまとめられた内容と、素人と中級者の方向けに分けられたステップ別の解説。そして圧倒的な量を誇る具体的演奏例と楽譜。ござさんによる何十本もの演奏音源までつけられている。

 

どうにかして、素人にも、ピアノ触ったことない初心者にも、音楽に興味持ってもらって一緒に楽しんでほしいっていう熱意をひしひしと感じるのだ。

もはや執念と言った方がいいかもしれない。

 

これらは全部自分の想像にすぎないけど、ござさんの性格とか活動の姿勢から考えてそう仮定するといろいろと腑に落ちることが多いということだ。

音楽は、時代も国境も人種も越えた、人類共通の文化。

 

音楽を英訳するとmusic、この単語が意味する狭義の音楽というのは、直截的には中世に端を発する西洋音楽を意味する。(このムーサという単語はmuseum、つまり美術館・博物館の語源でもある。)

英語の"Music"を始め、ヨーロッパの多くの言語においては、古代ギリシャ語のμουσική (mousike; 「ムーサの技[わざ]」の意)を語源とする。ムーサはミューズの名でも知られる芸術や文化を司る女神である。(※参考リンク:音楽 - Wikipedia より)

しかしござさんは民謡とか民族音楽とかも同様な視点で見ていて、そのほか音とリズムで表すことのできるすべての存在を音楽と捉えてるようだ。

ござさんの奏でる調べは世の中にあるすべての音楽に敬意を払っている。ゆえにどの曲のアレンジも聴く者の胸にひときわ深く響くのだろう。

 

 

ーーグランドピアノとござさんーー

2023/11/12の生配信はござさんのお誕生日ということもありグランドピアノスタジオからの演奏だった。

序盤の選曲も千と千尋の神隠しからの「ふたたび」という曲……

ほぼグランドピアノ配信は2年ぶりだからだろうか。

このスタジオも以前毎週通われていた配信のスタジオと同じ場所、たぶん同じ部屋でピアノも同じなのだろう。

ひさしぶりの懐かしい相棒との再会に際して「ふたたび」のアレンジをイメージされたのかもしれない。

「やっぱりグランドピアノ弾くの楽しいですねっ!」

と、ござさんは、はやる心を抑えかねてる様子。

 

グランドピアノをスタジオじゃなくて家に買えばいつでも弾ける、練習もいつでもできるという説もあるが。

ござさんはあくまでスタジオで弾きたいのだろう。

そのほうが色んなピアノに出会える。ピアノにはそれぞれ個性があるらしいから、その時置かれた状況でピアノにどう接するか、どう弾くかを工夫するのもござさんの中では楽しみの一つなのかもしれない。

家にもグランドピアノ、買えるはずですがござさんの音楽活動の中ではグランドピアノ弾くだけが全てじゃない。色んな音楽に対してフラットに接するというなら、ピアノ弾くだけじゃなくてござさんの表現方法はもっとマクロな選択肢を持つだからだ。楽器としてのピアノ演奏のみを通してござさんの音楽を理解しようとすると、途端に演奏から流れて来るござさんの思考は言葉を失ったように口をつむぐに違いない。

 

でも楽器としてのピアノ、そこでしか得られない音色も厳然として存在することに偽りはない。

だからこそござさんはグランドピアノの音色との出会いを楽しんでいるように見える。あくまで個人的な楽しみとして。

楽器は演奏すると自然な音の波長が何重にも派生して豊かな倍音を生み、音として聞こえる響きに豊かな表情をもたらす。その豪華で贅沢な音響には画一的な基準は存在しない。ござさんはピアノに実直に問いかけ、明るく伸びやかで豊潤な音のレスポンスを楽しんでいるかのようだ。

また、王道にして定番の曲としつつも、やはりござさんならではの和音の展開をひそませて、それに対しピアノから聴こえてくる響きに心地よい驚きとささやかな満足感を味わいながら、鍵盤の感触を楽しんでいるように見える。

だからこそ、ござさんにはグランドピアノの音を楽しむ空間を存分に味わっててほしいというか、好きなだけ楽器の生の音を愛でていてほしい。リクエストとか気にせずに二時間弾きっぱなしの楽しい時間でもいいじゃない。

 

と思うがござさんの生配信の題名にはいろいろ時季の文言をいれつつ絶対に外さないキーワードがある。それは「リクエスト募集中!」だ。あくまでござさんにとっては生配信はファンと、リクエストとピアノ演奏のキャッチボールの場なのだろう。多分そのスタイルはニコニコ生放送時代からずっと変わらないままだ。

 

それ見てて思うんだ。

ござさんはあくまでファンから求められてピアノ弾きたいんだろうな。

そしてファンが求める音楽という欲求に対して、演奏という形でどのように音楽を提示できるか?というキャッチボールの場、それが生配信なのかなと思う。

ファンから提示される音楽も、古今東西あらゆるジャンルに渡って音楽という存在全部を網羅せんとする勢いだ。

しかし、それに応えござさんが演奏にして現出して見せる世界は、ファンの思い描く楽曲そのもののもつ既成の概念を遥かに凌駕している。

あるときは孤高にして崇高な厳粛さを持ち、また誰もが涙せずにいられない抒情豊かな調べにあふれていて、ときにはロックやアニソンのビートが炸裂しベースラインが縦横に駆け巡る…

その発想は即興演奏のときにこそ、より鮮やかに閃いてまるで儚い陽炎のようである。

 

 

 

 

 

 

 

11/5の生配信

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

テクい時代との訣別

ござさんのレパートリーにはテクい曲つまり技巧的なものが数多くあるが、少なくとも今はもう弾けなくなった、と言われていたものを挙げてみる。
「シュレーディンガーの猫(トイコンテンポラリー)」を弾いてみた (toy contemporary / piano cover) - YouTube

この音ゲー曲である。確かこの動画撮るのに年末年始の休みを全部費やしたそうで、定期的に弾く曲にするにはあまりにも練習のコスパが悪い、という事らしい。

 

テクい曲で行方不明のものは他にもある。やはり音ゲー曲が多い。生き残ってるのを祈るばかり。

L9 (piano cover) - YouTube (←11/5 弾いてくださったため生存が確認されました)
Macuilxochitl (piano cover) - YouTube
七つの海よりキミの海(波打際のむろみさんOP) on piano - YouTube

 

(そこでふと自分のかつての好みを思い出す)

自分も、いい演奏=テクい曲の演奏、という時代があった。音楽は競技、勝ち負けが全て、っていう価値観の時代。いわゆる若気の至りってやつだ。

 

しかし音楽は早さとかテクとかいう、ストップウォッチで測れる数字だけで比べることはできない。

そもそも、音楽を鑑賞するのに比べる必要なんかない

ていうことに、ござさんのピアノに出会ってから気づいた。

芸術は聴いた人がそれぞれにどう感じ取るか。

良し悪しというか順位なんて、聴いてる人の数だけ違う意見が存在するはずだ。

そういうことだ。

その感覚と、順位は全くベクトルの方向が違う。

 

三者が客観的につけた順位、それによって評価される演奏。

他人がつけた序列には別に興味ないです。

その序列は、音楽そのものになんか関係あるんですか?

それって運動会の徒競走の順位と何が違うんですか?

音楽ってそんな物差しみたいな単一の側面でしか見れないものなんですか?

音楽を、演奏を聴いて個々人が素直に感じたこと。

それこそが、音楽に対する正直なレスポンス。

演奏に対するそれ以外の応えって、無いだろう。

 

まっさらな状態で聴いて、いいと思った演奏、いいと思った音楽が自分にとって大事な存在。

 

自分は、「自分なりにござさんのピアノが大好き」っていう感覚をずっと忘れたくない。

それは誰とも違う自分の存在意義だと思って、心の隅に大切に携えていたい。

この部屋の記事を読んで同感だと思ってくださってる方がいるとしたら一緒にござさんへの気持ちを共有できてうれしいですけど、それはあくまで奇跡みたいな偶然であり、必然ではない。

そんな、偶然ござさんへの気持ちを共有できたという喜びをかみしめながら、ああござさんの音楽に傾倒されてる人はこんなにいるんだなっていう事実に感動しながら、日々ここの部屋で自分の気持ちをしたためている。

 

 

さて、この記事では11/5の生配信のことについて考える。

嬉しさを抑えきれないござさん

配信の最後のノーストップメドレー、いつも必ず最後にお題を決めずにチャット欄からリクエスト拾ってくれる、ござさんもファンにとっても楽しい時間。

「メドレーを長めに自由に弾きたいんです」

と、とにかく好きなようにやりたいということでその台詞どおり一時間はあったのではないだろうか。

このメドレータイムの自由さ、一曲を丁寧に弾いてくれるところ、バラエティに富んだジャンル、奇想天外な発想、…どこかで見たな。

そう、2020年8月までの配信で、前半1~2時間ノーストップでやってたスタイルに酷似してきた。

そのころ、配信のら後半は休憩を挟んでスーパーチャットで投げられたリクエストをメモし弾くタイムだった。スパチャによるリクエストは今は廃止されてるので関係ないとして。

だんだんあのころのスタイルに回帰しつつあるのかもしれない。

自由に弾くのがメインのスタイルに。黙ってずっとリク拾いながら弾いてたあの姿に還りつつあるのかもしれない。

滝コメからリクエストを拾う方法として、メドレーで色んなジャンルをやるという手法が定着してる気がするが、ござさんのアレンジが冴えわたり、独創性が炸裂するのはなんといってもノンストップメドレーだと思う。

 

制約も足枷もなくなった時のござさんの発想は……

思索のアンテナを多重次元にめぐらせて、

思慮深く海よりも深い精神世界を湛え、

ひばりのように空高くどこまでも羽ばたく。

 

もはや生配信全部ノンストップメドレーでもいいやん?という暴論も常に自分の中の片隅に居座っている。しかし決まったジャンルのメドレーごとにやってほしいという需要もあるし、滝コメからリクエスト拾うのにはメドレーが効率いいから、結局今のスタイルが最適解なのかもしれない。

ただ、ござさんの独創性は膨大なインプットがあるが故の賜物だと思うので、ござさんの自由な様々なツイートを見ては、あー次の生配信も楽しそうだなーとそっちに発想が飛ぶ。

 

冴えわたるJAZZ、ついていきたいファン

11/5 この日の演奏、なんといっても白眉は冒頭の2曲、Moon Riverともののけ姫の曲である。

いや生配信は全てが名演奏なのだが、あえてこの2曲を挙げる。この2曲を聴けばこの日の生配信のすべてがわかる、とはちょっと言い過ぎ?ほかにもいっぱいあったでしょって?

ただ、JAZZアレンジが素晴らしかったと言いたいのだ。

JAZZってなんだ?JAZZに特有の和音進行、特有のリズム、特有のアドリブフレーズ……ていう色々な音楽的縛りがあるはずだけど、この記事は素人が書いてるのでそういう知識はないのでスルーする。自分はただ聴いててJAZZっぽいな、お洒落な物憂い和音だな、アドリブがアツくてかっこいいな、とか野生の勘で感じてるにすぎない。

 

(そういう素人が聴いても)このオープニングの2曲が殊更に美しくて艶を帯びていた。前奏というか導入部からのゆったりとした曲調を丁寧に、ワルツなど交えながら優雅に語ってくださるござさん、その憂いを帯びた調べに静かに耳を傾けるチャット欄。

それからもののけ姫の曲で、映画のラストシーンで流されるEDテーマ。

ござさんの演奏って楽曲という存在に魂から向き合ってるんですよね。穏やかな曲演奏してても、根底に流れる音楽そのものへの情熱は隠しきれてないんですよね。

そこから編み出される音の群れはしみじみと心に響く。

 

ござさんのピアノ、こういう音ひとつ取っても、明らかに何か語ってるんですよ。

寡黙にして雄弁。

陰翳礼讃いんえいらいさん

↑ ※元ネタは谷崎潤一郎の随筆から。【陰翳礼讃 - Wikipedia :『陰翳礼讃』は、谷崎潤一郎の随筆。まだ電灯がなかった時代の今日と違った日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じたもの。】

抒情的な音の流れが紡ぎ出すわずかな陰………

その中にござさんは細やかな感情を織り込む。

 

 

この日は配信全体がえもいわれぬ艶をまとった雰囲気に包まれていた。

J-POPのリクエストも、クラシックも、どんなリクエストもJAZZふうにリズムを揺らして崩し、ブルースふうな物悲しい和音を混ぜている。

原曲ふうな雰囲気に仕立てられた端正なショパンの雨だれが合間で顔を見せると……周りの物音がしない中、雨粒が滴る如く規則正しく刻む中低音の響きだけが波紋のように広がっていく。

 

上記の通り、この日のラストのノーストップメドレーは一時間以上続いた。

「生配信だし、弾きたいだけ弾いていいよね!」

というノリで嬉々として早速リクエストを拾うござさん。

そうです、仕事として音楽活動を続けられる中、この週に一回の生配信枠は、数少ないござさんが自由に演奏できる空間なので。

のびのびと、それはもう思う存分、好きなだけはっちゃけてください。

そんな楽しそうなござさんと素晴らしい演奏を愛でる空間と化している、ラストのメドレー。ファンとしては楽しそうなござさんを見られるのは本望なので願ったり叶ったり。

 

聴きどころって全部ですが。

特に拾っていくと……

ノーストップメドレー冒頭のJAZZ曲二つがすでにアレンジが美しい。奇抜なアドリブとかいうよりも楽曲として美しい。

 

その次のアラジンの曲も人気で楽しいアレンジだが、

革命のエチュードが素晴らしい。革命がまずフルバージョンで必聴なのはもちろん。というかメドレーなのにどの曲も長め、原曲通りとアドリブも加えて丁寧にアレンジされている。その次のアンパンマンと混ざってる革命が素晴らしい。ノーストップの白眉は何を於いても革命風のアンパンマンである。

チャットで誰かがのたまう。「あんこの入ってないアンパン」と。言い得て妙である。そして、ラストのキメがなんとなくモルダウの終盤ぽく、格調高くて壮大。何言ってるのか分からない?だってそうなんだからしょうがないです。

 

それから、I amから始まるルパン三世からのカンパネラ。どの曲にもシレっと I amが混ざってきてて油断ならない。いいからとにかく配信を聴いたら分かる。

※参考アレンジ(この配信中のアレンジ例動画、もう暗記してしまってこの曲を配信で演奏されるとこの動画が自分の中で自動再生されてしまうので困ってる)
【演奏実況】ノープラン即興演奏あるある(ピアノ)【I am(報ステ)】 - YouTube

I amが普通は、気軽に他の曲と混ざらないでしょ。

 

それからイパネマの娘につられてボサノバ風になる KICK BACK。その後ガチ版の KICK BACKも来てて一粒で二度おいしい。その後トーマスを演奏されてるが、この KICK BACKに途中から現れるトーマスではなく、単体でのきかんしゃトーマス。混ぜて下さってもよかったんですけど?

ボカロのrain stops, good-bye、ミュージカルCatsのMemoryとバラード調の原曲ふうなシンプルなアレンジ から、畳みかけるようにラプソディーインブルーの壮大なサビが続く。配信冒頭の曲調と酷似した、流れるような美しい旋律が静かに胸を打つ。ござさんのメドレーは流れを切らさず鑑賞するに限るというのはこういうところだ。

大きなJAZZの中にアクセントとして美しく壮大なバラード調の曲を挟んで雰囲気を変えているというか。

 

JAZZって本来の解釈ではアドリブが最大の見せ場、奏者の腕の見せ所、ってググったら解説サイトに書いてたので、素人の自分はずっとそういう認識だった。熱く手に汗握るアドリブの応酬こそがJAZZの醍醐味。魂の鼓動が聞こえるような熱量。そしてJAZZならではのコード進行をどういうふうに独自の展開にして織り込むか。

でもやっぱりござさんのアレンジは好きな曲を好きなように演奏してる時が輝いてる気がする(素人感)。JAZZスタンダードがやはり長年セッションの現場で受け継がれてきた有名なアドリブと共に曲の構成も練られていてJAZZとして一番しっくりぴったりくるのだが。

しかしござさんが選ぶJAZZじゃない曲のJAZZアレンジが、より一層ござさんらしさが炸裂してて聴いてて楽しいしそのセンスに度肝を抜かれる。

 

さらにJAZZアレンジから季節が飛んで、なぜか春の海が始まった。

なんでだ、もうお正月か?まだ早いぞ12月にもなってないしお年玉年賀状も発売してないし(え?もう売ってる?)、大掃除もまだ、何もかもまだなんですけど!と一瞬混乱する自分。

そしてチャット欄でもあけましておめでとうとか総ツッコミされている。そらそうよ。

春の海をシンセの琴の音色を使って演奏、とかいうひねりのない事はするわけもなく、アニソンのアイドルと、ブルースのサマータイムと、アニソンの祝福、ポケモンの曲とのコラボになっていた。

それはそれでひねりすぎでしょ……?

脈絡ないともいう、いやあるのか、それぞれのコラボ曲に共通点があるはずだ?春の海が民族音楽ぽいスケール(?)として構造が共通してる曲を選んだんかな(素人考え)?とにかく和風な和音とかを混ぜとけばいいやろの精神。あれだ、演歌アレンジにもなんかパターンがあるし、一緒やろ。

と、素人の頭脳で叩いてもホコリも出ない思考回路では考えても意味ないので。

 

このあと普通バージョンのメルト弾いてくださって、なんか癒されるというか家に帰って来たような妙な安心感がしたのは自分だけか?

 

と、全編にわたってうっとりするようなJAZZふうアレンジの調べが流れる中ちょっとお茶目なのが挟まってた気がするが、どっちもというかどれもござさんの顔である。

むしろ冴えわたるアレンジもござさんの真の姿だし、

お茶目な姿が見えないと何肩ひじ張ってかしこまってるんだと心配になる。

ござさんは、謎アレンジに引っ掻き回されて混乱してるチャット欄を微笑みながら眺めてるくらいのキャラじゃないと(え?)。

そう、まじめなだけのアレンジ配信なんてつまんない。

ご自身の生配信なのですから、そこでくらい好きなだけやっちゃってくださってもよろしいかと存じます。

 

とかのたまってるところに突然降ってきたガチャガチャきゅ~と・ふぃぎゅ@メイト。この曲名からしてすでにwwwええ?なんでもないですよ原曲通りの演奏って安定感ありますよね名曲です(棒読み)、いやほんとこの曲の展開面白くて飽きませんよねここだけ大好き過ぎて鬼リピです。はいこの曲が好きなだけでして、ござさんってなんでも弾けてすごいですよね。

 

なんか聞こえた気がしましたが気のせいです。

最近何か一つの曲のアレンジだけを弾いてるおかげで?こういった好きにアレンジできる生配信枠は冗談ではなく貴重な癒し時間となっていることでしょう、ござさんには。

ファンはなんでもいいから聴きたいし、ついていきたいし、ついて行ったはいいけど惑わされ混乱して振り回されてる感も否めませんが、まあそれがござさんの生配信の醍醐味です。

 

綺麗なだけの耳触りのいい音楽は音楽の単なる一面にしかすぎないのだ。

音楽って、芸術って世の中のあらゆる事象を表現しているもの。

ござさんの音楽にはそれらを包み隠さず、しかも親しみやすく触れさせてくれる不思議な力が備わっている。