ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

【ネタバレ注意】6/13静岡公演のレポ 「ござ コンサートツアー2026 -Evolution-」 【ネタバレ注意】

 

【 注 意 喚 起 】

※こ の 冒 頭 部 分 は 前 の 記 事 の コ ピ ペ

この記事はネタバレを含みます。

希望されない方はブラウザの戻るボタンでお戻り下さい。

 

ござさんのツアー、2026/6/13静岡公演に行ってきた感想を書きます。

 

がっつり内容を書くので、まだツアー参加していない方、内容を知りたくない方はここでお戻りください。

 

 

≪ここから以後、目次を含めてネタバレを含みますが、ご同意いただけますか?》

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・ネタバレに同意しない----

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伏字なしで全部書いてるため、今後のツアー東京公演のみに行かれる予定の方はツアーが全部終了してからお読みになる事をお薦めします

 

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・ネタバレに同意する-----

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ほんとに読みますか?(注意喚起3回目)

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ほんとにいいんですか????

 

はい、しつこすぎて心が折れかけてる方々、ここから目次です。

ではどうぞ~

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目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

 

決め譜と即興アドリブ演奏

時間がないのでサクサク考えます。

この記事は6/13のござさんのソロツアー静岡公演の感想です。

 

このコンサートは3rdアルバムEvolutionのリリース記念ツアーでもあったが、でもござさんのピアノの根幹を成してるのはアドリブであり即興演奏だ。

アルバムの副タイトルにJAZZピアノコレクションってついてるが、これはガチのJAZZファンへのメッセージではなく、ござさんのアレンジが即興をメインに据えてるためにそのスタイルをJAZZと形容したのかもと思った。

でもアルバムに収録するということは、物理的に決まった筋書きによる演奏をござさんの演奏としてメジャールートにのせて売るわけで、そことござさんの即興との兼ね合いはどういう整合性を取るのか?

自分は考えていた。

それは1stアルバムが出た時からずっと考えていた。

この部屋の記事が2024年から以後書くペースが階乗の勢いで減ってるのは、その解決が自分の中でついてなかったからだ。2024年の2ndアルバム発売から、その内容はまだ自分の中では過渡期だったのかもしれない。そこに自分的にはっきりと解を示したくなかったのかもしれない。

 

生配信だとあれだけあまね く世に存在するすべてのジャンルを掌中にして自在に操り、見事にござさんならではの音楽の世界を形成してるのに。

ござさんの演奏がCDとかの音源に収録されるのも夢ではあったけど、

逆に決まった音源になるということは、即興を型に嵌めてしまうことになる。

それはござさんにとっていいことなのか。

CDの販路に乗るということは、ござさんのピアノがYoutubeとかネット以外で初見の人の目に触れる機会が多くなることを意味するから、画期的な変化であったはずなのだけど。

 

まず3rdアルバムのEvolutionを手に入れてみて聴いて、そういう自分が勝手に抱えてた葛藤が気にならなくなるのを感じた。

即興の要素が決め譜に馴染んでいた。

また、録音も素晴らしくて、理由は分からないけどこのアルバムはエンドレスでいつまでも聴いていられた。

 

そんな今までと違うなという感触を手にしながら尼崎のコンサートに行ったところ、こういった決め譜として世に流通してるバージョンとはまた別の印象、しかし即興を交えつつもきちんと、この曲はこうっていう鉄則を崩さずに演奏されていた気がする。

ここまでは前回の感想で書いたかもしれない。

 

Evolutionというキーワードはこのアルバムのアレンジ、そして演奏そのものに懸かっているのだと思っているけど、つまり内容そのものだと思うけど、しかしござさんのソロコンサートそのものも試行錯誤からの変化を模索している最中なのかもしれない。

決め譜を披露する場のソロツアー、そこでどうその場ごとの特色を出していくのか。

まだその行程は五里霧中なのかも。

 

 

6/13(土)静岡の場合

都市の機能と、札ノ辻という場所

静岡市は古くは駿府と呼び慣わし、駿河と遠江の二か国を支配した今川氏の拠点として栄えたことは周知のとおり。そのあと時代は移って家康が隠居した場所として、また明治維新後は徳川慶喜が政権を譲ったあとに城下に住み、(当時は珍しかった)写真などを趣味として悠々自適の生活を送った所としても駿府の地は有名だ。

東海道五十三次の府中宿としても栄えた駿府城下、旧東海道の道筋に今回の目的地、札の辻クロスホールはあった(ビルの6階に)。

旧街道沿いで札の辻って言う地名は、城下町だし、高札とかが上がってた広場でもあったんかなと思ったら、たぶんその通りみたい。街道であり各地からの人々が行き交う場所には定期の市も立っていたのかもしれない。そこに官報である高札が立てられて、こういう人が集まる場所では処刑も行われたりしたがここがそうだったかは知らない。刑場は穢れでもあったからこうした日常の場とは隔絶された河原などに置かれた場合も多いので。(近くの安倍川あたりだったかもしれない)

とにかく駿府は今も昔も人々が、文物が、商人が行き交う要衝であったことに違いはない。今どのように要衝なのかといえば国道一号線、東海道本線、東海道新幹線、東名と第二東名高速が市内を走ってるくらい。名実ともに日本の大動脈。

しかし。ここは現代は県庁所在地ではあるが静岡の経済の中心地ではないのかもしれなくて、繁華街はこぢんまりとしていた。

なんかござさんのコンサートは、東京はどこでもいいホールがあるからよりどりみどりだが、地方でやるとき、こういう繁華な地域じゃないけど歴史があるみたいな立地のとこ選びがちじゃないですか(気のせいですか)?

奥ゆかしいというか。要するに選択が渋いなあと思った。

 

いつもどおり自分はコンサートの近所にお城とかあったら訪問する習慣があるので、当日の午前中は駿府城に行っていた。しかし戦国時代の遺構は石垣が残ってるどころか、全て地中に埋まってて発掘調査中とかいうことになってたので、僅かな江戸時代の石垣(右側の写真)でも貼っておく。

 

わざわざ遺構も残ってなかったお城の写真を貼ってるのかというと、札ノ辻ホールに行ったものの写真を撮り忘れたからです。ウキウキしてて忘れてたんです。正確にはアンコールの動画は撮ったけど他の席の人が映り込みすぎててここには上げられない。

なのでお城でお茶を濁しておく。

 

ホールとピアノのこと

実際に行って聴いてきた自分はここぞとばかりに言いまくることにする。

ここのホールで聴いたピアノの音は素晴らしかった。

小さなシューボックス型の空間で、壁に反響板?みたいな階段ぽい突起がある。

ホールの概要に、

「客席は平らなところにスタッキング型のイスを並べる」

という所だけを見て、客席に傾斜が無いってこれござさんが弾いてるとこよく見えないんじゃないの?とそれしか注目してなかった(ほんとうにすいません)。

実際、ピアノの演奏が素晴らしければ客席からの見え方とか些細なことはどうでもいよくなるものだ。現地に行ってみないとやっぱり本当のところはわからない。

どんな所でもどんなピアノでも、ござさんが弾くピアノはそのままござさんを体現してるのだから。

ホールの概要にピアノの説明も書いてあって、YAMAHAの小ホール向け規格CF6を置いてるということだった。

スタインウェイのコンサートグランドピアノで大きなホールで聴くのも華やかでいいんですけど。

この小さなホールでYAMAHAのピアノで弾くござさんはほんとうに気持ちよさそうで、音がいきいきしてて、聴いててなんていうか一目で相性いいんだなってわかった。

ござさんもいつか言われてたが(詳しくは忘れた)、

「ピアノって個体差あるじゃないですか。経歴も種類もいろんなピアノがそれぞれのホールにあって、ピアニストってそこのピアノと仲良くしなきゃいけないから、最初サラーっと指慣らしのスケールしながら触ってみて、どんななのかなって手探りで合わせていく」

というような(意訳)ことを言われてた気がする。ピアノスタジオでグランドピアノで練習するのもその場所のピアノの状態によって弾き心地は違うだろうし、本番で演奏するピアノとなると、むしろ弾く曲とかそういうのよりも楽器との相性が一番大事なのかもしれない。

そこで、ござさんは今回のピアノとものすごく仲良くなれてた気がした。相性がいいとござさんも気分がのってくるようで(そらそうよ)、ござさんってその時のノリで演奏がガラッと違ってくる気がするから、結果として静岡のコンサートは全体的にござさん節が炸裂しててすごかったのです。

ピアノの音も素晴らしく、アドリブも同様に。

そしてこのノリだと翌日の名古屋公演は移動も近いし、体力的に余計な負担さえなければ、日曜はより一層素晴らしいコンサートになるのは容易に想像がついたのだった。

 

※ついでに衣装のこと

たぶん尼崎のときと同じ?か、紺色か濃いグレーのスーツ。スーツは見た目のお洒落度を左右する重要なファクタ―だと思うけど、しかしござさんのソロコンサートにおいてはござさんはアスリートなので(そうですよねっ)、ござさんが着ていて楽そうなのであればなんでもいい派。ただ、ピアノを演奏する筋肉の動きを妨げるような窮屈なのは反対派。3時間の間にちょっと休憩するだけでマラソンにも通じるカロリー消費量の有酸素運動みたいな演奏してしかもアドリブとかその場で考えるとか、アスリートじゃなくてなんなんですか?

また、今回はスーツの中にはえんじ色のシャツに濃い緑色のネクタイ。どういう組み合わせだ…?と一瞬思ったけど、ここは静岡で駿河湾から美味しい海鮮が水揚げされるところだし…

シャツの色は特産の桜エビ?

緑色のネクタイはもうひとつの特産の緑茶?

( ↑ 特産の緑茶)

って一瞬思いついたところで、自分はそれ以上考えるのをやめた。

なぜならござさんは登場と同時くらいの勢いでまずMCじゃなくてコンサートの一曲目に入ってしまうので、自分も演奏に集中することにしたから。ただ、この発想は気に入ったので、その日は一日ござさんを見てもあーエビと緑茶なんだなって思うことにした。


コンサートの感想

当日ホールに行くともう開演五分前とかいう結構ぎりぎりで、お客さんはほぼ全員着席し終わっていた。そのようすをチラッと後ろまで見渡すと、ファンの贔屓目というフィルターを通したから?かもしれないが、凡そ全席埋まっているように映った。

それはそうなのだ、中部地方の人がいるのはもちろんとして。駿府こと静岡市は東京駅からだと新幹線で約一時間(?)、こないだの尼崎は都合つかなかった東日本方面の人とかもアクセスの良さから静岡には来ている可能性もあった。

なんにしてもこぢんまりしたシューボックス型のホール、お客さんの席からピアノまでもやたら近くて、後ろまでだいたい満席。

極めつけにピアノはYAMAHAのCF6。

嫌でも期待は高まる。

1 エリーゼの変容

2 忘れられた街

たくさん書くことあるのでサクサクいきます(名古屋編を端折るとは言ってない)

まず冒頭で2曲弾かれたんですが、この曲順は尼崎とは変えられていた。ござさんのアレンジはアルバムの枚数を数えるごとに普遍化していっているように感じられ、どのような順番とかシチュエーションで演奏されてもその場ごとにまた違った表情をたたえているように見える。

それが今回アルバムを何回聴いてもしっくりくる理由なのかもしれない。

見た目は標題音楽ではあるけど聞き手の解釈に身を委ねてくれている気がする。

 

この2曲のアレンジはアルバム音源に原則忠実に演奏されていたが、だからこそ尼崎とはまた違った印象になるのが自然と浮き彫りになった格好だ。

(もうちょいピアノのことをつぶやく)

ござさんの芯があってよく透る、控えめにそっと輝いている音、そんな本来の姿がストレートにホールの空間に可視化されたようだった。

余計な装飾がないかわりに、どんな表現もそのまま映し出す許容量をもっていた。キャンバスみたいな美しい空白にござさんの自由な言語が縦横無尽に描かれていき、ピアノのポテンシャルは無尽蔵に引き出されるかのように感じられた。

しかし。

どこかでよく耳にした、ござさんファンにはとてもよく馴染んだ風景のような、シンプルですこし角の取れた感触がするピアノの音。

なんなんだこの既視感は?

自分はこの感覚の正体をつきとめたくてしばらく客席で考えてたが、小さめのホール向けにフルサイズのコンサートグランドピアノを1サイズ小さく設計したようなピアノの躯体を見ているうちに思い出した。

たぶん、音を聴いた感触が、ござさんの2020.11~2021年末ごろまで続けられてたグランドピアノ配信のピアノの音によく似てるのかもしれない。

たぶん。配信と生ピアノの音っていう違いはあれど、機種も違うのかもしれんが、同じYAMAHA系統、親戚筋みたいな共通点があるのかもしれない。

爆音といっていいくらい良く響く音にもあまり圧倒されずに、無意識に親しみを感じれたのはそういう理由なのかも。

 

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スタインウェイが孤高に咲く一輪の牡丹の花みたいな、華やかに花弁をめぐらす印象とするなら、

YAMAHAはござさんの音と共通点多いと思うんですよね。

(個人的な主観)

印象をいうなら真珠みたいな感じ?

粒が揃ってるといえばそうだがござさんの真骨頂は左手の自動化された16分ビート奏法に隠されたわずかな拍のリズムだと思うので、揃ってるというよりは、真珠みたいな粒が滝つぼに落ちていって辺り一面に霧がかかり虹が出てるヴィクトリアの滝みたいな?

 なんか話がそれた。

えーとなんだっけ。

エリーゼの変容の冒頭だけ、つまりコンサートの冒頭だけ、慎重に始まった気がする。シンプルな原曲に近い旋律で始まる曲なのもあるけど、リハーサルはやってただろうけどお客さんが入っての音響ってまた違うと思うので、あくまでコンサートのイントロは楽器の調子を確かめてるのはあるかもしれない。それはどのコンサートでもどのピアニストでも同じなのかもしれないけど。

で、そこで、このピアノの音好きかも?って思われたのか、そこから一気に伸びやかな演奏に変貌していった。音って言うか鍵盤の感触とか?具体的にはわからんけど。

アレンジを加えながらも原曲の面影を残している演奏から、折り返し地点を迎えて、「ゲーム音楽ふうなエリーゼのために」という概念でいうと戦闘シーンというかボス戦みたいな緊張感あるJAZZのリズムに変わるところ、そこから後はもうござさんのペースに客席はみんな巻き込まれていたといっていい。

気づいたらゲームの背景変わってた的な場面変換。

ライブならではのテンポの良い疾走感と、大胆なダイナミクスが楽曲に命を吹き込む。

 

この次の曲は忘れられた街で、しかし作曲の順序からすると曲名は後付けらしい。和音の出だしというかコード進行を先に思いついて、結果的にできあがったものに名前をつけたというのが本当のところか。

エリーゼの変容が動ならこの曲は静をイメージさせる。改めてゆっくりと鍵盤の感触を確かめるように、ござさんは自作の曲にみずから耳を澄ませて何か考えながら弾いているように見えた。というかピアノの躯体が精いっぱい放つ和音を存分に浴びている風で、上からシャワー来てるんですかと思うような、時々というかしょっちゅう鍵盤ノールックで気持ちよさそうに弾いていた。

-----MC-----

ござさんはソロのトークもだいぶ慣れたものなのか、もうメモ見ながらつっかえたり、頭真っ白になったりしないで配信みたいな自分のペースで話せてる感じがする。

ここはツアー3か所目の静岡ですねとまず挨拶され、

お天気も良く(当日は快晴だった)、

ピアノの音も美しく(ほんとうに!!!)

そして(客席を見渡して)みなさんもお美しく、

ん????????????????

なんて??????????????

ここで客席のファンはみんな最初から続いていた緊張の糸が一気にほどけたみたいにこっそりウケてたと思う。大爆笑じゃなかった(と思う)けど。ござさんいつからそういうキャラになったん?え?大丈夫?ピアノ弾きすぎてついに宇宙人になっちゃったの?それかついに精神が尋常じゃなくなってしまったとか?ていう、みんなが鳩が豆鉄砲を食ったように一瞬目を見開いてた(と思いますよ、そうでしょ?)。

自分はメモを取りながらこっそり肩を震わせて笑った。これが飲食OKの野外ライブかなんかだったら飲み物とか吹いてた自信がある。あんなにトークひとつで頭真っ白になってフリーズしてたござさんが!なんとファンにサービストーク!これはなんか事件の前触れか?ていうか誰からそんなん教わった?ていうか仕込まれたん?そりゃ一人しかいないな、これはK池R太さんのお家芸ですよね。ござさんほんまにどしたん?ファンサ……って考えて咄嗟に思い出したのがK池さんだったんか。よりにもよって感がある。

過去の名セリフから引用しとこう、せっかくだから3連発。

 

ハミングがきこえる

THE GARDEN OF EVERYTHING 〜電気ロケットに君をつれて〜

MCしながら、ツアーも三か所目になるとネタがなくなってくるとぼやくござさん。

どのへんが?

ござさんは普段、個人情報を完璧に遮断して隠蔽してるからファンに知られてる事なさすぎて、今日の朝ごはんとか、好きなスーパーはどこだとか、今やってるゲームとか、ほんとしょうもない事でもファンは大喜びすると思いますけどね???だって生配信のトークも長く話してくださると思ってたら全部ピアノのアレンジか練習の話に終始してますもんね。まだまだござさんのことは巧妙に隠されてて謎に包まれたままなので。

(ねぴらぼinventionのときに付録だった本、ねぴらぼ日和にアンケート100問とかあったけど、あんな販路の狭かった限定ムック本の情報は、一般に普及してるとは言わない)

 

アルバムリリース記念ツアーということで、今回はアルバム音源にあまりアレンジを入れてこないでお客さんの持ってきたイメージが壊れないように、あまり踏み外さないイメージがあるけど、しかしそれを前提にしてもやっぱりライブの演奏は生き物という表現がふさわしい。

ホールのピアノとも一期一会ではあるが、何よりござさんの演奏そのものが意思をもって鍵盤で動き回ってるかのごとく、そのホールでの演奏ごとにその場所ならではの個性と脈動が感じられる。

まるでござさんによって固有名詞と人格を付与されたかのように、生き生きと「その場所での演奏」は自己を主張し始めるのだ。

 

こういうことができるのも当日のピアノと仲良くなれたござさんならではの離れ業。

さすがYAMAHAのおひざ元、静岡県。ピアノ、そしてそれを生かすホールがとにかく素晴らしかった。ござさんの本領を遺憾なくなく引き出していた。このピアノがあることを調べていてこのホールに決めたのかもしれないな、と途中で聞いてて思った。

ハミングがきこえるの曲はウォーキングベースが印象的なJAZZアレンジだが、このウォーキングベースがほんとにいきいきしてて、ござさんはほぼ上を見ながらノールックで爆速で左手を走らせていた。左手自動化計画は16分ビート奏法ならではの得意技じゃなかったんか、あれ?つまりなんでも自動化できるんですね!?(白目)

途中のカデンツもじつに重厚且つ軽やかに可愛らしく、ほんとに鍵盤の感触を楽しんでるようにしか見えなかった。

 

もう一つの曲、THE GARDEN OF EVERYTHINGもこのホールで聴くとまた違った印象だった。個人的にいうとこの曲を動画で見たときは韃靼人の踊りをアレンジしたんだな!誰のアイデアかよくわからんけど!?と真剣に思っててそれ以上の印象がなくて、ラーゼフォンのアニメ映画のEDとかいう情報はだいぶ後になってから存在を知ったので、ここの項目は(尼崎の記事同様に)一般的情報に留めたい。

ござさんのアレンジでききどころは、どうやらこの原曲のボーカルはDUOで男性と女性が歌ってるパートの掛け合いなんだけどそのやりとりとか二人がハモる部分とか全部右手で領域内に納めててすごいなってなる。

左手が16分ビート奏法なのは言わずもがな。

この曲もふくめて、アルバム音源って立ち位置としてはいわゆる静止画みたいな役割を持ってるのかもしれない。サンプルとして一部分を切り取ったみたいな。

で、ライブの演奏が同じ曲の動画としての役割を担ってるのか。具体例を提示してくる感じ。

しかしアルバム音源もちゃんとした音響(有線イヤホンとかヘッドホン)で聴くとホールの音がするから自分はアルバムを最近エンドレスでずっと聴いてる。というか、ずっと聴いていたい。

(ここでいう同じ曲で以前にYoutube動画に上げられてたものがあるからそれでじゅうぶん参考になるじゃないかと以前は思ってたが、アルバム音源とライブを聞いてみると、Youtube動画はまさに絵で言うデッサンまでで留めているにすぎないのだなと思った。演奏のアレンジは完成されてて行先は提示されてるけど全体像はまだあれは見えてない地点だったのだなと。)

-----MC-----

ここで次のネタを必死でひねり出したのか、昔のお題を思い出したのか、ござさんは「こういうとき定番ですが~」って言いながら、お客さんは今日どこから来られたかアンケートを取り始めた。

定番なのかそれは?

まあそんなツッコミはさておき、東京から出るようになったのもここ数年の最近のことにすぎないござさんには、どこの地方も未知の世界なのでしょうけど。

メモが手元にはっきり残ってないけど、確か

東海地方の方

中部地方の方(?)

関東地方の方

近畿からの方(?)

北海道の方

中四国の方

九州の方

………え~と、海外からの方は?おられないですね~(暖かい笑いがわきおこる)

という具合でアンケートを取られていたがメモがこのへん追いつかないまま次の曲にいったから記憶は曖昧である。ていうかこういうアンケートで初めて中四国地方の方って言われたんで、四国の島の住民である自分は今までたいていハブられてたから、ここぞとばかりにこっそりと手を挙げた。ねっほかにもいらっしゃいましたよね、中国地方と四国から行った人!?

自分は前から5列目?あたりにいたのでこのアンケート結果がどういう分布だったのか見てないが、全部の地方でパラパラと手が挙がる中、静岡県とか?東海地方は多いのはそれはそうで、東京というか関東からの人だけで座席は体感5割、いや7割?埋まっていたのは気のせいか。やっぱここの席が後ろまで満員だったのはそんだけ東京からの人が多かったからか。

でも、それを基準にコンサート地方公演を決めてると地方公演は無しで東京だけでやってりゃいいじゃんってことになってしまうので、そんな多数決アンケートの数のみを見て基準にされるような軽率な判断はどうかなさいませんように、ござさんには切にお願いしたいところです。

地方でもいろんなコンサートは開催されてますが、ござさんのピアノじゃないと生きていけない民も地方にはたまに棲息してるので、そんな影の需要を掘り起こすためにも、実質ボランティア事業であっても、地方ツアーはぜひ今後とも続けていただきますように。(切実)(こう書いてみるとほんと身勝手な希望ではあるが、やっぱ切実)

 

何度も書いてるが、身近で、よく知ってる場所で、日帰りだから、だからこそじゃあついでに行って見よーか、よく知らんけど暇だしーっていう需要を掘り起こせるのは、やっぱり各地を回ってこそだ。

 

エチュード幻想曲

「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズ

ここでMCの終わりに「コンサートの前半はこの2曲で終わりです」というご案内が本人からあった。(自分の携帯は電源落としてたため、経過時間はわからなかったけど)たぶん、この2曲で前半終了つまり45分経過なんだなと思われた。そうだとしたら相変わらず、ござさんの体内時計のストップウォッチ機能はガチだ。短いあと残り数分とかいう区分でなんか一曲っていう需要にも応えられるけど、こういう長いスパンもきっちりわかってやってるんだなーと、ほんとにどういう感覚でやってるのかシロートにはさっぱりわからない。

 

そして個人的にここのホールの音響なら今回いちばん聴きたかった筆頭の曲は、このショパンの曲をモチーフにしたエチュード幻想曲だった。クラシック音楽として作られたものは、やっぱ楽器とホールそのものが演奏を左右すると思うので。

こういうメドレーものって配信ではなんとなくメドレーって呼んでいる。

前のアルバムのCHOPIN SYNDROMEはもっとたくさんの曲をメドレーにまとめたものだけど、それは単にパーツを分解してメドレーとして並べたっていう印象だった。エチュード幻想曲も去年の今頃Youtube動画に上げられてたけど、やっぱりその時点ではまだ実体が見えてなかった気がする。アルバム音源になって、ちゃんとしたヘッドホンで聴いてみて初めて、ござさんの意図がわかってきたかもしれない。

メドレーっていうイメージではなくて、ショパンの曲からモチーフを借りてきて、ござさんの手持ちのパターンに落とし込んでて、こういうオリジナル曲ですってまとめてきたという気がした。

こういう意味での進化なのかなーと、Evolutionの和訳を見ながら今更思い当たったりしている。それ以上詳しく説明できないけどEvolutionのアレンジは今まででいちばん、どれも素直に身に馴染んだ。

演奏も、ライブでやってるのを聞いてみれば、なるほどYoutube動画の演奏は音と録音に演奏自体も素晴らしいが、しかし演奏の表現はいわゆる台本の本読み段階というか、まだ草案だったのかもしれない(時系列からしても)。でもYoutube動画、アルバム音源、それから同じ曲のライブ演奏で印象がはっきり違うと感じたのはこのEvolutionのアルバムが初めてだった。

この曲は、ホールで聴くときは妙なる響きに身を任せる幸せな時間。

演奏も回を追うごとに解釈は磨かれて洗練されていっているように感じた。

 

 

「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズの曲も、これははっきりと演歌の原曲があるので著作権の関係はなんか申請はしてるのだろうけど、とにかくござさんによってはっきり主題を洗い出され、まるで刃物に焼きを入れて鍛え直すみたいな別の姿になってるなあと感じた。

ホールが違うからだといえばそうかもしれない。とにかく曲の解釈が、尼崎ではアルバム音源に沿ったスマートな表現だったと思うが、ツアーの回数を重ねてきて徐々に音に脂が乗ってきた。ホール一杯に存分にピアノの躯体を鳴らし、コンサート前半のスタミナもこれ限りとばかりに全身で主張するござさん。

ピアノも音が割れることもなくござさんの要求に見事に応えていた。

YAMAHAのふくよかな丸みのある音は、ござさんの滑らかで上品な

アルペジオによく映える。

津軽海峡のアレンジ中盤では左手に対旋律みたいな中低音が来て右手で上下に高速アルペジオが走るけど、ここの運指もYoutube動画見ればトリッキーなのがよくわかるけど聞いてみた印象では、ねぴらぼでやってた宝島アレンジの中間部のアルペジオを思い出すのだった。

(あのスポットライト浴びてキラキラ光るござさんが弾いてたキラキラのアルペジオ、今ねぴらぼの公式チャンネルに残ってる動画には入ってない宝島アレンジ。)

もう出会えない宝島の右手アレンジ大好きだったので(一年間アーカイブあったから覚えるまで聴き倒したけど)、今回別の曲だけど、アルバム音源とホールでの演奏というアップデートされた音に、なつかしい記憶の片鱗を見た気がした。

初めて弾く楽器とは思えない阿吽の呼吸。ほんとに体の一部みたいになってて、とってもピアノと仲良くなれたんだなーということが窺えた。

全体的に力強く歌い上げられてて、前衛的な和音の展開と共に劇的にコンサート前半に幕を下ろす。尼崎では最後の曲だったが今回は前半のトリにもってきた。どっちにしてもそういう〆にぴったりの印象的な終わり方だ。

 

-----休憩-----

今回は調律師さんが入っていた。あんだけピアノを精一杯限界まで鳴らしていたので、合間でこうして調整してくれると嬉しい。ござさんの使う和音はぎりぎりまで攻めてるとこあるから、ちょっと音がずれてるとあれ?って気持ち悪くなるっていうところはあるので。えーと調律……写真……あっ無いんだった()そういやホールの壁には反響のためか?小さな階段の踏板みたいな突起が水平にたくさんつけられてて面白いルックスだったことを報告しておく。(だから写真は撮り忘れたんで……)

 

間奏曲

この曲は演奏のイメージとしては尼崎といっしょ、さらにアルバム音源をそのまま再現してたといっていい。

曲の役割が「場面と場面をつなぐ、ゲーム音楽の転換点をイメージしたもの」かなんかだった気がする(じゃなくて戦闘とかそういうお題がある以外の場面のBGMを想定してるらしい)。

ひょっとしたら後半冒頭の曲は、少なくともツアーではこの曲固定なのかもしれない。ござさんもそういう役割をこの曲に担わせてるのだろうし聴いてても自然に思考回路がリセットできる感じで、抵抗なく後半に切り替えれた気がした。音楽によって聴き手をスムーズに次の展開に案内してくれる仕様になってるのは、さすが、ピアノが第一言語のござさんならではだ。自分らファンとござさんはまさにピアノでコミニュケーションを取り合ってるのだ。

聴いててほんとに自分が今までフィールド歩いててこの曲の冒頭を合図にどこか洞窟とか、宿屋のドアとか、なにか別画面に背景が変わったような錯覚まで見える(だいぶ妄想入ってる)。

 

みんな大好きリクエストコーナー

コンサートの後半は、舞台に出てきたござさんが無言で間奏曲の演奏から始まるという展開はもはやテンプレ形式と化してきた感があるが、そのあと挟んだMCは心なしかござさんは声も表情もやたら弾んで見えた。

後半冒頭のメインコンテンツは、リクエストコーナーだからだ。

いつも挟まれるこのコーナー、古くは菊池さんとの2台ピアノコラボでも会場の現場で挙手によりリクエスト募ったりして、何らかの形でこのコーナーは大切に受け継がれてきたのだと感じる。

リクエストの形式は今回のツアーで初めて、チケットを購入する際にリクエスト曲を応募する欄があって(ネット購入では)、つまりチケット一枚につき各会場で席数のぶんだけリクエストが集まってるって設定になる。それらの中からスタッフさんが(A4コピー用紙らしきものに)まとめてくださった表が、当日はピアノの横に置かれていた。

ござさんいわく

「曲リストをスタッフさんが見やすく作ってくれました。譜面台に置くともはや配信と変わらない感じでイイですね。」

とかなんとかコメントされていた。逆に緊張するとかいう発言も自分のメモに残ってるけど実際どうだったか定かではない。

そしてリストを譜面台に置き、うーんとかなんとか言いながら何気なく弾き始める。無言で、特に弾く曲は明言せずに。(尼崎ではかろうじて断腸の思いで選びましたみたいな感じを醸し出しながらも5曲選んでから弾いてたけど。)

 

もう一度言う。後半のメインコンテンツは、ある意味、このリクエストコーナーだ。

ござさんの最大にして最強の武器は即興アレンジとアドリブだ。

アルバムとYoutube動画における録画と録音はそれらの即興のひとつの風景、ひとつの案を形に切り取ってリリースしたものなのだと思っている。

世にござさんの存在を問うにあたり、こうした規格での演奏は必要不可欠ではあるが、ござさんの即興の粋を如実に映したレベルとしては今回の3rdアルバムで初めてそれを実現できたと自分は思ってて、だからツアーの感想も、アルバム曲の印象も逐一書くことにしたのはある。

即興のエッセンスが反映されたアルバム。ござさんの即興と楽譜に起こされたアレンジはこうして融合したんだなと思うと感慨深い。

それが叩き台にあるから、コンサートでアルバム曲とは別に即興演奏をメイン看板に掲げることができるんだなと、そこにもしみじみと時間の経過を感じる。

生配信同様に、もはや曲名もその場で考えることにしたのか、リストを譜面台において演奏し始めるござさん。

曲順ごとに並べてみるとこんなふうだ。どのリクエスト曲にもそれぞれに込められた思いと物語が秘められていることだろう。そう思って自分はありがたくミニ劇場を鑑賞する心持で聴き入った。

 Waltz For Debby (Bill Evans )全体的に楽しげで軽快なリズムで始まるメドレー。可愛いアルペジオで飾ったJAZZワルツ。

キャラバンの到着(ミシェル・ルグラン)~Moon River(ヘンリー・マンシーニ) これも原曲に沿ったアレンジ。リクエストだから曲のイメージを大切にしてるのかもしれない。キャラバンの到着が何回聴いても輪唱みたいに入るイントロが慣れない。てか個人的イメージは三菱のランエボ。(連弾でやる編成もふつうにソロで聴けるのは贅沢なのだと我らファンは気づくべき)それから映画音楽つながり?でムーンリバーの旋律が美しく歌われる。

月の光(Debussy)豪華な和音で盛ったアルペジオつき原曲バージョン(なんのこっちゃ)、それから Waltz For Debbyふうに可愛らしいアレンジ。

月のワルツ(諫山実生)原曲版というか1st ALBUMのEnVisionアレンジから入る素直な演奏(月の光がトリッキーな展開だっただけに)、その後 Waltz For Debbyの影響か後半はJAZZワルツに変えられている。あーなるほどワルツつながりなのねって勝手に納得。いやいや途中でJAZZに変えるって事は和音構成がガラッと(言語変わる勢いで)変わるのだからアレンジもややこしいはず。たぶん。

G線上のアリア(J.S.バッハ )月のワルツから壮麗なつなぎ部分があってこのつなぎだけで天国行けそうな美しさ。教会音楽の敬虔な祈りのイメージはそのまま、壮大なアレンジになっていく。このへんのシンプルなモチーフが変幻自在になるあたりが最大の聞きどころ。コンサートのメインコンテンツたる所以。

Flower Dance  確か6/11のYoutube生配信ふうだったような…つまりワルツアレンジ。

ここでモチーフがWaltz For Debbyに戻ってあーアレンジが一巡したんだなーってそれぞれの曲の印象を思い出しながら、月の光でメドレーは締められた。

みんな知ってるおなじみ癒し系曲を、JAZZワルツの代表曲Waltz For Debbyを所々にあしらいながら、愛らしく軽やかにまとめたという印象。

振り返って見ると、コンサートの中盤でちょっと一息ついてほしいみたいな意味だったのかもしれない。

知らんけど。

 

このへんの「その日その場にいる人のためにサービスする」っていう精神はござさんの生配信の最初から変わらないのかもだが、実際にステージでこう綺麗にまとめられてくるのを見て、要求されたことに結果を出されてるのがこう、職業としてピアノ弾いてる人っぽくなって来たなあと思う。(いえ実際にござさんは職業としてピアノ弾いてますすいません)

(※その場にいる人のためにサービスしてる例)

(基本的にストリートピアノの動画は全部そういう内容だけど、やっぱこれが見てて一番面白いから)(これ読んでる人はみんなご存じとは思いますが念のため)

 

 

なんでも弾いていいコーナー

ここでもう一回MCが入る。即興が楽しかったのか余計浮足立って…じゃなくてウキウキ楽しそうなござさん。やっぱライブ2時間ぜんぶ即興メドレーでもいいんじゃない…?と心の隅でこっそり思ったが、そういう思いつきは心の隅にしまっとくことにした。

このツアーはアルバム収録曲お披露目ツアーだからな。

アルバム音源をホールの演奏でさらにすばらしい音で聴いてもらうツアーなのだよ。

 

それはさておき、リクエストコーナーに続いて、なんでも弾いていいコーナーを設定したと説明されるござさん。

「今リクエストコーナーやったから別にいいんですけど、一週間前の僕が決めたことだったんで」

とかなんとか言い訳されてた気がする。そんな後ろめたさに苛まれながら言わんでも……一週間前っていつだっけ忘れたがもうちょい即興アレンジコーナーを長めに設定したってことらしい。リクエスト曲に基づかない、ござさん選曲のその場で決めるメドレー。

ここで客席の全員から無言の「いいぞもっとやれ」って念が飛んでた気がする。何の縛りもない自由な即興がもっともござさんらしく、もっとも面白い結果になることをファン全員が知ってるから。

イメージで並べるとこういう曲順だった。

Waltz For Debbyみたいなイントロと即興ぽい曲

みずいろの雨

雨だれ

rain stops, good-bye

イントロ部は前のリクエストコーナーからJAZZワルツを繋ぎに使った印象で即興アドリブから入る。

それからメドレー全体が壮大で格調高く、間の雨だれのところでちょっとしっとりした雰囲気になり、最後のrain stops, good-byeでふたたびワルツ風かつ交響曲のラストみたいなスケールの大きい曲に変貌していた。その規模感を保ったまま雨だれが再登場して感動のラスト、とはいかずに和音が現代風というか原曲通りの定型じゃないなんかいじってるな?っていう形の終わり方。

MCからご本人のコメントを拝借すると「季節柄、雨の曲を弾いてみました」ってことらしい。好きな曲弾いていいよ!っていうコーナーも結局、『お客さんはどんな曲が聴きたいのかなー?』という基準に帰結していくようだ。やっぱ実質リクエストコーナーの続きじゃん。それ、コーナーを二つに分けた意味あるんか?無いな。やっぱ、実質コンサート2時間ぶん全部即興メドレーにしちゃえばいいのでは……(以下自主規制)

まあ、ござさんの自称「なんでも弾いていいコーナー」のほうが、選曲もアレンジもぶっ飛んでてイケ散らかしてるのか?と思いきや、こっちがむしろおしとやかにまとめられたまであるから、実際やってみないとどうなるかわからないものだ(なんのこっちゃ)。

 

この即興演奏のあたりのMCで、リクエスト曲の傾向がいろいろあっておもしろいとか言われてた気がする。重い曲が多いとか?なんとか……弾いてほしい曲の定義もいろいろあったりとか……

( ↓ どうでもいいおまけコーナー)

えっ自分がリクエストした曲ですか?(誰も訊いてない) だって有識者のみなさんがそれぞれのジャンルで渾身の知恵を振り絞って名曲・難曲をリクエストされてるわけですよね、自分みたいな若輩者はそんな名だたる有名レパートリーが並ぶ中に割って入ってリク投げるわけにはいかんですよね。

というわけで、自分は誰も書かないであろうリクエスト、吹奏楽の隠れた名曲を延々と書いたのであった。だって、生配信とかキャスとかで「は?それ弾けるって聞いてないんだが?配信での演奏、初だよね?」って曲に吹奏楽だけでも沢山遭遇してきたので、ござさんが自分でも忘れてるだけで実は覚えてる曲はたくさん地層の中に埋蔵されてると思われるから。そんなのを発掘すんのも面白いじゃないですか。ね?んで、そういうレア曲はレアすぎて、生配信でリクエストしても拾われませんしね。こういう曲のためにリクエスト制度は存在するんですよ(持論)。

え?実際そんなレア曲拾っていただかなくて結構です。客席でも知ってる人の割合が少ない吹奏楽曲、リクエストコーナーで弾いてどうすんですか、盛り上がらないでしょ。じゃあなんでリク書いたんだって?それは、こうでもしなきゃほんとに地層の中に沈んでいく名曲も多いと思ったんで…(以下略)

 

ワルツ第1番

「名探偵コナン」メイン・テーマ

この2曲(という雑な括りですいませんが)、アルバム収録のアレンジに忠実な演奏と表現になっていた。前のリクエストコーナーで楽しかった反動か。襟を正した、音源通りというイメージ。ワルツ第1番が素直な曲調だなと思うのもあるが、どの曲も、名実ともにござさんの代名詞というか看板を背負うに足る曲になってきたなと思った。

曲の説明になってなくて誠にすいませんが、しかし当日演奏されたイメージとしてはこの2曲はアルバム音源の範疇を出ない。それだけアルバム収録の音がすばらしいというのもあるが。

これらはいわば表の曲、公式な演奏、ハレの曲。部外者にも一見さんにも説明なしでお出ししても通用する、看板曲。

毎週のリクエストと即興をベースとする生配信が日常、つまりケの場とするなら。

日常で練られ編まれたアイデアは余すところなく見事にハレの場で披露されるべく、きちんと普段から整理され、調査研究されていつでも使えるように引き出しに仕舞われてると思われた。生配信はべつに聞き返すことあまりないと言われていたけど、そういう意味じゃなくて、毎週の生配信でのアレンジはそのまま血となり肉となって記憶の中に流れているのだ。

※参照: ハレとケ - Wikipedia

それを裏付けるように、コナンの演奏を終えたござさんはマイクを取る前にウンウンとひとりで頷いた。その動作と表情は、演奏が満足いくものだったことを無言のうちに物語っていた。

 

家路

静岡のコンサートの直前の生配信で、つまり6/11の配信のラストで「新しい楽譜が出ます」という話が出ていた。紙の楽譜で尼崎のコンサートと同時に販売開始された曲とは別に新しい楽譜が出るということらしい。アルバム収録曲の残りの顔ぶれになるということか。

この楽譜についてござさんの口からあらためてアルバムタイトルのEvolutionについて「進化」という定義が語られた。

・僕のピアノのスタイルの変化

・僕のピアノの曲の中でのアレンジの変化

これらの変遷について、アルバム音源で、またコンサートでの演奏で実際に感じてほしいというような話だったと思う。

ふたつの即興演奏コーナー、またアルバムのアレンジと実際のコンサートでのアレンジが融合していく様など、今回のアルバムとツアーでは今までとはまた別の感覚で聞けた気がするから、このござさんの話には聞いてて非常に首肯する点が多かった。

 

さて、果たして今回の静岡の演奏で最も即興が炸裂してたのはこの家路だった。

なんでやねん。

と自分は心の中でツッコミを入れた。

この直前で、アルバム版はちゃんと型どおり、即興演奏も存分に盛り込んで、おおー?決め譜とアドリブを使い分けてきたぞ?なかなかそれ実際にコンサートで実演できんやろ?と初めての感触に自分はメモが盛大に奔ってひとりで盛り上がってたというのに。

しかし聴き終わって、この曲はござさんの中で即興演奏枠にしたのかなと、心の隅でふと思った。ドヴォルザークの交響曲の一郭ではあるけど実質ボヘミア民謡だし、ござさんの得意なシンプルな旋律の民族音楽を即興演奏でアレンジするってまさにこの曲はうってつけかも、と思ったからだ。

とにかく。

この家路は完全なる静岡オリジナルバージョンだった。どういうバージョンにするのかはその場で決めてるのだろうか。謎は深まるばかり。

メモを片手にアレンジを辿ってみると。

不穏で現代的な展開で始まるイントロ部。

スタンダードな主題が前衛的な装飾音を纏った和音をベースにしながら穏やかに展開していく。

この前衛的な要素を遺したまま徐々に感動的に盛り上がりクライマックスへ昇っていく。

一編の重厚な物語を読んでいるかのような充実感。

ラストに前衛的なユニゾンが現れる。完全なユニゾンじゃなくてどこかに解決できない箇所を故意に残したユニゾンが。

それからさらに壮大な規模のラストへ。

これ一曲でなんか短編映画でも見たかのように感情が忙しかった。

真に看板に掲げるべきなのは、ツアーにおいて、この家路かもしれない。演奏聴いてからの後出しじゃんけん的な意見だけど。

客席も、この形式が最も即興アレンジが冴えわたることを痛いほど分かっている。演奏後の拍手もこの曲がひときわ大きく、驚嘆と感動が入り混じった複雑な感情が入り混じった不思議な空気が会場を覆っていた。

 

宝島

家路に続いてMC無しの連続なのはほかの2曲づつと変わらない。

冒頭に、宝島ふうな家路のモチーフが見え隠れするアルペジオがあしらわれていて、しかし本編はちゃんとT-SQUARE版と、吹奏楽版を織り交ぜた本来のアルバム音源に沿ったものになっていた。

ここは羽目は外していない。

全部暗譜なのが今更思い出され、アルバム音源に寸分違わないというよりコンサート向けに柔軟に表情を変えるとかいう器用なことまでしてきてる感じがして、アルバムリリース記念ツアーっていう看板と演奏が一致してきたというか、足元が危なげない盤石なものになってきたなと感じた。

 

アンコール-----糸(中島みゆき)

最後の宝島を演奏後、舞台袖に下がったござさんは短い時間を於いてアンコールの拍手に応えて登場した。最後の演目をおえて精力尽き果てたござさんは何言ってるのかわからなくなるIQ3仕様なので、それは客席のファンも同意するところで、ここでご案内の影アナウンスが尼崎と同様に流れてくる。

テンプレと化した一連の説明で、ファンが知りたいのはSNSに動画を公開するのは可能かどうかというところで、その点は主催者とござさんの判断によるのではあるが、説明の内容も薄々ファンはわかってきたためもうアンコールにござさんが登場した時点で携帯を構えて待ってる人はたくさんいた。(だって途中は電源落としてるから、用意してないと間に合わないですよね?)

 

品の良い音づかいと、コンサートの締めくくりを飾るにふさわしい壮麗な和音。

ソロ公演を弾き終えて心地よい疲労に身を委ねたござさんは、しかしこのピアノの美しい響きに別れを惜しんでいるようでもあり、残されたわずかな情熱を全部ピアノに託すかのようなそれは素晴らしいアンコールだった。

 

自分は今年はツアーで各地の公演に行ってるが去年は行けなかった。来年も行けるかはわからない。だいたい、おそらくござさんがツアーに来てるであろうと想定してるお客さんはそれぞれの地方の地元民なのであり、ツアーぜんぶ聴く人がいるっていうのはたぶん考えられてないのだと思う。

商機としては逆であり、そりゃ何か所でも聴きにおいでいただき席を埋めていただくのがいちばんいいのだろうけど、そういう都合がつく人ばかりではない。

というわけで現地に行けないひとがファン全体の大多数を占めているであろうと思われるため、やっぱり、ござさんの好意に依存してるとはいえ、アンコール動画だけでもネットで共有できるのは非常にありがたい。

(書いてることが毎回一緒になるかもしれないが)

 

この記事はツアーにおける静岡・名古屋2日連続公演の最初、静岡について。

つまり前半。

後半の名古屋については別記事を書く。

そんなん内容がかぶる点も多いやろと思われるであろうが、しかし書きたいことも多いため、また後日投稿する予定。

 

 

 

【ツアーコンサートのネタバレを含む】番外編② 音楽へのアクセス---レコード店でのミニライブ

【ネタバレ注意】

★★★この記事はタワレコミニライブについてですが、ツアーの尼崎公演の内容を含みます。

ネタバレにご同意いただける方のみ、お読み下さい。

 

 

この記事は2026/5/30、ござさんの「ござ コンサートツアー2026 -Evolution-」尼崎公演のあった日の夕方、梅田のタワレコでアルバムリリース記念ミニライブがあった件についての個人的なメモです。

 

ツアー本篇の感想はこちら。

 

上記のツアーのコンサートの感想本篇に対し、今回はスピンオフ記事その②です。

スピンオフその①グッズ編はこちら。

 

(※)なお、この部屋全体の共通点として、すべて自分の主観による独断と偏見が全体の論調を占めるものであることをご了承ください。

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

レポ編:誰のためのイベントなのか

さて、ござさんのツアー1週間前のこと、グッズ発売の告知があったのに伴ってもうひとつ告知があった。

 

いわゆる、アルバムリリース記念のタワレコ内でのインストアイベントってやつです。

CDは通販が主流となった今、リアル店舗を維持しててこうした連動企画を主催できるのは、ほかの流通形態に対してタワレコならではの強みという気がします。

そんなことよりも、アルバムのリリース記念イベント、略してリリイベ。このワードをアイドル業界とかロックバンド以外のジャンルで、ござさん界隈で耳にすることになろうとは。

自分はござさんは絶対こういうイベントには縁がないのだろうなと割り切っていたので。だってイベントって販促が目的だし、ござさんは販促っていう目的を持ってなさそうだし、レコード店がこのイベント開けるって判断基準に達しないと関係ない件だし、リリイベではサイン会とかツーショット撮影の特典がつく事もあると聞くと、もはや絶対ござさんには関係ないなと断言できると思ってたから。

しかしグッズ発売、アルバム連動楽譜集も発売、それに加えてリリイベ開催ときたら何か知らんが手段はともかく行くしかない。急遽、自分の思考回路はミニライブに行く方向へ向けて舵を切ったのだった。

 

タワレコ公式アカウントからも発表が続く。

 

これらの公式情報によれば、渋谷店、梅田の茶屋町店それぞれで店頭購入した人に対して整理券(番号はランダム)がアルバム1枚につき1つ発行され、この番号順に、当日のミニライブ会場の先頭列から順に並んで入れる権利があるらしい。

番号がランダムに割り振られる点は公平だと思うが、とにかくこの整理券は店頭購入した人にのみ発行されるとのこと。タワレコ公式情報によれば現地のイベントスペースの定員は渋谷でだいたい50~100人弱?梅田で200人程度。

 

ここで自分含めたござさんファン、自称「公式グッズを絶対に手に入れる委員会」数人がまた額を突き合わせて密談したうえで想定したところでは、

「タワレコに来たファンみんながイベントスペースに入れるとは限らない、少なくともフラットなイベントスペースでは前の方で見れるに越したことは無い」

という結論が出たため、自分は不本意ながらFFさんに梅田のタワレコでCDの購入を代わりに頼んだのだった。(なぜなら?尼崎のホールでグッズに並ぶか、当日にタワレコにCD買いに行くのか、時間的にどっちか二択せざるを得なかったからで、自分としてはグッズの列に並びたかったため)

こんだけ事前に計画しても、当日は綿密な計画とか色々現場を動いたり必要で、ちょっと一言いいたい。

告知がコンサート一週間前で、しかもグッズ販売は当面はコンサート会場で先行のみって、あまりにも色々と言うのが遅すぎる。

これをグッズの記事でも書いたけど、タワレコのミニライブに至っては、梅田の場合コンサート当日にコンサートの後に開催になるわけで、ようするにそれまで立ててた計画を変えたりする人も多いかもしれんのですよ。

移動方法が予約が必要な手段で来る人も多いっていう想定はできなかったんですか?

と、そこで自分は考えた。

整理券を発行する対象が店頭でCD買った人だから、あくまでタワレコミニライブは地元の人、タワレコの店舗に普段から買いに行ったりその地域に住んでる人を対象に開催する設定なのかもしれない(ござさんの場合)。もっといえば、ピアノにも何も関係なくてタワレコに普段から出入りしてるいろんなジャンルの音楽ファンに、ござさんの新アルバムに目を留めてもらって(なんなら視聴もしてもらって)、偶然CDを買ってくれた人っていうのを、このイベント対象者として想定してるのかもな。

だから新幹線だの飛行機だの、長距離移動で来てる人は想定してないんかもしれない。

ツアーのコンサート開催地からしてもそんな意図をそこはかとなく感じる。

(でも実際問題、CDを買う層っていうのは遠距離から来るファンと重複してるのだから、想定されてなかろうが招かれてなかろうが、ミニライブがあるって言われれば行きたくなるものなので、招かれざる客ながら自分はFFさんに委託し、タワレコでのミニライブ整理券をゲットしたのであった)

後々考えれば、上記のような地元民でタワレコ常連のような音楽ファンを想定してるのなら。

ミニライブ演奏中に、店内をフラっと通りすがった何の関係もない、他ジャンルの音楽リスナーっていうのが、潜在的に想定された、本来のこのイベントの対象者なのかもしれない。

梅田のタワレコはK-POPとかその他各種サブカル分野の音楽を中心に扱ってるようだったので、ござさんのアレンジに根本的にかぶってるところもあるし、この店の常連であればござさんのピアノを耳にしてなんか琴線に響くものがあるんじゃないのかなあと思ったりしたから。

 

リリース後のリリースイベント

ここでリリースイベントとはタワレコが主催するのだが、店頭購入者に整理券を配ってる点からも、このイベントはタワレコでのCD売り上げに貢献するのが目的だ。

店頭でのCD売り上げ、このワードは自分の身の周りではもう20年くらい前から徐々に聞かなくなっていったイメージがある。田舎では数少ないTUTAYAでのCD販売コーナー(レンタルコーナーとは別に)も、そもそもCDレンタルエリア自体が縮小されててその空間はコミックと文具売り場に姿を変えていた。

HMVは渋谷自体から店舗を撤退して久しい。もう本格的に網羅したラインナップでCDを売る店はタワレコだけなのかもしれない。この販売CDのメディアが衰退した理由は市場がサブスクに移行したときにレコード会社が権利を囲い込みすぎたとか色々な説があるが、とにかくタワレコもいつまであるかわからないなと自分は思ってる。

だからこそこのリリースイベントでCDを売るっていうのはタワレコにしてみれば死活問題で、確実に売るための生命線かつ最低売上ラインを担保するものなのかも。

そういう目的があるのならですよ、

なんでござさんCDリリース日とリリース後にイベントを打ったんですか?

意味無くないですか?

演奏家側にこのイベントに対しての意義があるなら、リリース日までに数週間~1か月くらい空けて全国複数個所のけっこう小さい規模の都市までいろいろ周り、各地で販促活動と演奏を披露してアルバムの内容の周知につとめるのが、本来の意味でのリリースイベントだと思う。

ほんとなら。でもござさんがCD告知のみ目的のミニライブで全国廻ってる様は到底想像がつかない。

なぜなら?だって「その期間ピアノ練習できないから」て理由で海外旅行も渋ってたし、国内であっても告知のために全国を行脚するござさんはちょっと想像つきません。

梅田の前にリリース当日の渋谷でのライブも実施されていた。

このときはクラシックジャンルのフロアでのイベントだったせいか、楽器はグランドピアノだったらしく、すばらしい音でござさんの演奏を楽しめたそうだ(by東京のござさんファン)。

演奏のほか、売り場ではござさんの貴重な直筆サインも掲出されるなど、ファン垂涎の眺めとなっていたようだ。

 

では、このリリースイベントというのがアルバム発売においてタワレコの販売の主力戦略なのだろうか。

いや、そんなわけがない。

現地に当日行った人はファンのうちほんの一握り、都合がついた人が行っただけにすぎない。

イベントはあくまでレコード店がCDを売る中でのおまけ的な存在であって、ござさんの方針の中ではCDで演奏を聴いてほしいというのが本懐だろう。

だからこそこのイベント開催の報に、自分は耳を疑ったのだけど。ほんとにござさん同意したんか?と。

 

CDという存在に対しての姿勢

ちなみに当日、尼崎でのコンサート後、梅田の阪急三番街近辺にあるタワレコに行っても自分はまだ半信半疑だった。

このイベントのコンセプトに対して信用したわけじゃなかったからだ。

当日は暑いくらいの陽気で、一番気温が高い16時ごろにタワレコ近辺で待機する羽目になった自分らファンは、その辺でお茶でもしばきながらライブ開始を待った。

しかし実際始まってみないとイベントはどういう風になるのか想像もつかなかった。

でもござさんの演奏する姿は小さなイベント会場で近くで見れるという。

いや、ピアノはタワレコの店がサブカルジャンルということもあって電子ピアノかもしれなくて………

中々カオスな思考回路の中、入ったカフェはハワイアンカフェ?で、頼んだドリンクもパッションフルーツティーっていう浮世離れ?した謎の味でパイナップル刺さって出てくるし、飲んでも味もよくわからんし、どうしたらいいんか状態。

 

会場に入れる整理券の番号はランダムで配られていたが、とにかくFFさんと相談してみんなでイベント行こうってことになり、店頭でのCD購入をFFさんに委託することで自分ら一行はそんなに後ろのほうじゃないであろう番号を手にしてはいた。

その番号を思い出しながら、パッションフルーツティー?を通らない喉に無理やり流し込みつつ、どうしたもんかと自分の気持ちはずっと逡巡する。

《いや、なりゆきで、みんなで相談してるうちに気づいたらこういうことになってて……そんなイベント会場に行くってまだ決めたわけじゃ……うーん……》

とか悩んでいた。

ピアノ弾いてるござさんを遠くから眺めたかっただけなんです。

それじゃコンサートで聴いてりゃいいだろって?そういう今までも何度となく見てきたホールで演奏するござさん(ある意味ホールで演奏する姿を今までみてきてるからそれが本望ともいうけど)、そういうんじゃなくて、こういうイベントをタワレコが企画してくださって、そこにファンが制限人数いっぱいに詰めかけててみんなでござさんのピアノを楽しんでる風景を、生で目撃したかったというか………?

じゃあピアノ聴きに行ったわけじゃないじゃんって?

ああっ石を投げないでください……

詰めかけてたお客さんの後ろの方に、イベントやってることは知らなかったけどなんとなく足を止めて聞いてみてる人を発見したので、ある意味目的は達成されましたので…

 

ござさんのピアノを聴いてみて結論からいうと、なんかこういう販売路線に従ったイベントに出られても、その方針に沿って演奏されてて、でも即興アレンジはいかにもござさんらしさが前面に出ていた。

トークがこなれてきたなと感じたのもそうだが、ご自身の表現をCDというある決まったひとつのアレンジでファンに問うという形式をとり、それを現地に買いに集まってくれたファンに対しての、なんていうんですか?ござさんなりのファンとのコミニュケーションの場だったのかもしれないと思った。

ファンとのコミニュケーション、それが現地でのライブの本来の目的じゃないかって思われるかもしれませんけど。

でもござさんは現地でステージとお客さんは最前列だとほんの2~3m?くらいしか離れてなかったと思うんですが、見事に目線はお客さんと違う方向を向いてて芸術的なほどに目線が泳いでたということを報告したいんです。

この記事はそれが言いたいだけです(それだけのために無駄なn000字を費やす)

目線は絶対に宙を舞ってたのだけど、ピアノは集まったファンのためにコンサートともまた違った趣向で最高だったことを記しておきたい。

 

おぼろげな演奏の記憶

その場でメモを取れないくらい客席はすし詰めに立ってみてたので、曲名はあいまいだけどなんとなく書いておく(本来この内容がメインの記事のはずだけどなあ)

最初の曲が家路、途中でサビにちょっと世界に一つだけの花が混ざるバージョン?_

このあとのMCで、コンサートでは直前の曲の宝島に引っ張られてしまって(ラテン調?みたいになってしまったから?)このイベントでは本来のオーソドックスなアレンジで演奏できたのでリベンジ?できてよかったです、とかいう事を語られていた。

やっぱコンサートでの家路は、事故みたいなもんだったのか。アルバムの感じと違うぞと思ったら。うっかりそういう流れになってしまうこともあるんだなあ、そりゃ生配信で色々思いつくだろうしあれだけ好きなように弾けたら毎週やめられんよなと変なとこで感心する。なんでもないことみたいに言われてもはや感覚がバグっている。

 

そのあとはショパン詰め合わせだった。

ノクターン9-2、エチュード幻想曲、CHOPIN SYNDROME、そこに幻想即興曲も入ってたと思う。たぶん、ひとつひとつじゃなくて、こういうひとまとめの括りでメドレー?というか途中で混ざりながらざっくりしたショパンの曲コーナーみたいだったというか。CHOPIN SYNDROMEとか二十数曲あるのに、そのほかのアレンジとも整合性をきっちりさせて辻褄あわせながらまとめてくるコントロールがすごかった。

というかどの曲もアレンジが洗練されてて、立って聞いてたがファンはみんなうっとりと聞き惚れるのみ。

というか、ござさんのアレンジに、演奏に、心底惚れ込んでるからこそ、みんなピアノ聴きたさに万障繰り合わせて集まってくるのだろう。

(または、惚れ込んでるからこそ、いつかは聞きに行くぞと決意を新たにするというか。それぞれのタイミングで、ござさんのピアノはいつでも待っててくれるイメージがある)

 

次のアレンジは、JAZZ風アレンジ詰め合わせコーナーといおうか(この後のMCで言われてた(と思う))。

コナン
ルパン三世
ハミングがきこえる
ミックスナッツ
最後にコナンに戻る(たぶん)

………あれ?アニソンメドレーだったかもしれない。

ある意味、このコーナーが一番演奏がいきいきしてたまである。

アルバムの副題であるJAZZというテーマは、これらの曲のアレンジにも生かされてるけど、でもJAZZの曲という分類とはござさんのアレンジは明確に一線を引いてると思う。JAZZの曲という印象でそこに期待して聞くと、なんか違うと思う。

(↑シロートの想像)

クラシックの根底には厳格な理論があるように、JAZZにもまたクラシックとは違うところの理論がはっきりとある。

それはリズムだったり和音だったりするのだと思うが、ござさんはそうした世間一般の何らかのジャンルの理論という枠組みから自由に逸脱してて、その縛りから自由だからこそ、ござさんはござさんたりえるのだと思う。

ござさんのアレンジはござさんのピアノでしか楽しめないのはそういう由来からだろう。

 

そしてこれらのアニソン詰め合わせによって、またコンサートに続く演奏という疲労感からか、MCでなんか休憩したいので癒しの曲を弾きたいと述べられ、休憩代わりに演奏されたのはござさんのピアノではもうおなじみの、MISIAの Everything だった。ござさんにとっては癒しで休憩なのかもしれないが、自分には個人的にこの曲がいちばん胸にくるものがある。

なぜって?それはこの記事読んでる方それぞれにもこの曲には思い入れがあるのではないか。それぞれの胸に去来する来し方のあれこれを静かに思い出しながら……

 

さて、ここでござさんの演奏ではおなじみのせりふ

「宴もたけなわではございますが……」

この台詞には続いて「この次の曲で今日のライブは最後となります」という趣旨の言葉が続くはずで、しかし客席で聴いてる我らはお決まりの言葉を叫ばずにはいられない。

「ええ~~~っ????????」

あれ、これは尼崎のコンサートでも最後の曲の前に言ってたっけ、どうだっけ、そういう記憶はともかく。

自分らファンはどさくさに紛れて思いっきりござさんのピアノへの思いのたけを叫ぶのだ。

つまり意訳すると、もっと聴いてたいのに~~~~!!!!!終わるの嫌です~~~!!!!!って。そんなのライブはこの曲で終わりってわかってるけど、このお決まりのファンのわがままなコール聞いてござさんはちょっと困ったような、しかし一瞬嬉しそうな表情を浮かべた気がする(だいぶ妄想入ってる)。

ええ~~~って叫んだぶんだけでも、このミニライブの時間は伸びるじゃないか。そういう不毛な発想ですけどね。いいじゃないですか。

宝島

このアレンジはミニライブ最後の曲と位置付けられただけあって、きちんと襟を正したアレンジでアルバムの演奏に沿ったものとなっていた。つまりT-SQUARE&吹奏楽版がミックスされて随所に配されたアレンジ。って書くとどっちが正しくて襟を正してるんだかわからんが、こんだけこの演奏を聞き慣れ親しんでると、アレンジのカオスぶりもまた、そういう曲だったっけという錯覚に陥る。

これ涼しい顔で弾いてるけど、生で見ても、ていうか何回見ても、よくこんだけ自然にふたつのアレンジミックスできたなと聞いてるほうが混乱する。

 

ここまでの感想のいろんなところで書いたかもしれないので重複するかもだが。

Evolutionの録音が自然すぎて、いつまでもエンドレスで聴ける。

これを聴いてからその前の2枚のアルバムもあらためて聴き込んでみたら、なんか、最初の2枚の演奏はどこか空気が張りつめてる感じがするんですよね。アレンジに、演奏に、持てるだけの全てをつぎ込もうっていう鬼気迫るござさんの決意が痛いほど刺さってくるんですよね。それに対峙するためにあの2枚のアルバムは聴いててもこっちも緊張するんですよね。

で、今回リリースのEvolutionは尼崎公演までに自宅に届いてから日数があったからじゅうぶんな回数聴けたっていうのもありますが、しかし、あきらかに演奏が違うと思うんですよね。ファンのひいき目かもしれないしシロートの気のせいかもしれませんが。

尼崎コンサートの感想でも書いたと思うのでやっぱ重複しますけど、ござさんの演奏には、ピアノを演奏することを生業にする行き先がはっきり見えているからか(その行き先はシロートには与り知らない境地だが)、この3rdアルバムは和訳も進化だしはっきりと発展途中っていうコンセプトを前面に打ち出してきて、どういう道を辿って行けばいいのかござさん自身がはっきり自覚されたからなのか、全部押すんじゃなくて演奏とかアレンジに余白を感じる。

この余白があることにより音楽として完成している気がする。

 

引く美学というか。マイナスを加えるべきところをはっきりご存じなのだなというか。

 

ちなみにアルバムの録音は、コンサートの感想でも書いたけど、Youtube動画の音響とは全く違うものとなっているので、それだけでもこのアルバムは必聴だと思う。

 

 

そういや忘れちゃいけない、最後の写真撮影。

いえ自分はこの写真の画角内にいたが映り込みを絶対避けるマンなのでちゃんと前の人よりもしゃがんでばっちり写ってなかった。という工夫は無用であって、上がってきた写真はちゃんとモザイク処理されてたのだ。なんという有難い対応。

このござさんが、演奏中は集中力を保つため何も食べないという習慣から、尼崎から子のタワレコミニライブの終わるまでおそらく絶食状態だったこともあり、二か所の演奏を終えてほぼ思考がフリーズしてたからか、視線が放心状態ですね、ござさん。

コンサートを終えて「では~~」っと速やかにステージ後ろにさがったかと思いきやスタッフさんにステージに押し戻され、「なんかトラブル?」と一瞬疑うもなんのことはなくファンの人々をバックに写真撮ってくださいっていうことだった。

ナイス、スタッフさん。

演奏も終わり、心地よい疲れに浸り、消えるようにステージから下がりたかったであろうそのタイミングで写真のことを持ち掛けることにより、ござさんの表情は完全に虚を突かれたみたいなあまりにも無防備で今までみたことないような素の表情となっている。

レアすぎます。

いえ、コンサート会場でピアノをバックに記念撮影のいつもの写真も素敵ですけど、そういう表の姿じゃないとこが見れて、リリイベも案外悪くないなと思うのでした。

 

(完全に書きっぱなしのとりとめもないつぶやきです。これは単なる個人用メモです)

 

 

 

【ネタバレ注意】「ござ コンサートツアー2026 -Evolution-」 5/30尼崎公演のレポ【ネタバレ注意】

 

【 注 意 喚 起 】

この記事はネタバレを含みます。

希望されない方はブラウザの戻るボタンでお戻り下さい。

 

ござさんのツアー、2026/5/30の尼崎公演に行ってきた感想を書きます。

 

がっつり内容を書くので、まだツアー参加していない方、内容を知りたくない方はここでお戻りください。

 

 

≪ここから以後、目次を含めてネタバレを含みますが、ご同意いただけますか?》

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伏字なしで全部書いてるため、今後のツアー3か所のいずれかに行かれる予定の方はツアーが全部終了してからお読みになる事をお薦めします

 

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ほんとに読みますか?(注意喚起3回目)

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ほんとにいいんですか????

 

はい、しつこすぎて心が折れかけてる方々、ここから目次です。

ではどうぞ~

あ、ちなみにこの記事28000字くらいあるので、時間あるときにちょっとずつ、のんびりお読みください~\(^o^)/

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ぼちぼちどうぞ~  

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目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

もう一回書いておくが、この記事はござさんのツアーの5/30兵庫県の尼崎公演レポです(n回目)。

 

現地のようす

さて!ござさんは晴れ男という定説どおり、宇宙まで透き通るかと思うような青空のもと、やってきました尼崎はアルカイックホール!(尼崎市総合文化センターのホールの愛称)

なんの加工もせずに(もう廃盤の)iPhone10のカメラで撮っただけなのにこの綺麗な青空。まるでコンサートの成功を祝ってくれてるようじゃないですか。

途中で見えてきたアルカイックホールの文字を見て思わず撮影。ただし見えてる建物は大ホールで築50年前後のため今は休館・改修中、今回は大ホールの奥にある中ホール=オクトホールのほうでの開催だった。席数の規模からも、ござさんのコンサートはいつもこのくらい、500席前後のところが多い。

アルカイックホールは尼崎駅からちょっと離れたところにある。だいたい500m、徒歩で約10分。高架遊歩道でホール前までつながってる、とアルカイックホールの公式サイトに駅からの案内動画まで上がってるがさっぱりルートがわからなくて(歩道が高架上にあるとか立体になるともうお手上げ)、動画を必死に見て予習した。なにしろこの500mを間違うと現地に着けないし、現地まで絶対に時間をロスするわけにはいかなかったから、1分たりとも無駄にしないために何回も地図を見てルートを覚えた(しかし電車を間違えて結局時間をロスしたのだったが)。

 

ただ。関西は我ら四国住民にとっても安価な高速バスとか新幹線のアクセスもよく、気軽に遊びに行く都会として神戸や梅田、難波とか電気街の日本橋(にっぽんばし)は馴染み深いけど、尼崎ってあんまり訪れない場所である。

野球ファンとか家族連れには甲子園とキッザニアのある西宮、学生なら友達とUSJ、あと宝塚も劇場があったりしてファンには聖地だが、尼崎は観光地でもなんでもなくて工業地帯としては有名だけど遊びにいくところではないイメージ。

いわゆる東京とか横浜に対して川崎みたいな(雑な分類)。

というわけで今回のアルカイックホールはつまり尼崎市民会館であり、地域の発表会とか各種市民活動の拠点なんだよーという話を、開場までの時間にロビーで自分はFFさんに説明したりしていた。まあ、遠方からこられる人には梅田からちょっと離れていたりして少々乗り換えがややこしいなあ、などと。

(関西でいえば去年の高槻然り、その前の豊中然り、ござさんはその土地での地元民向けの場所で開催している気がする。要するに、ツアーではそれぞれの地元のひとに現地のホールでの演奏を聴いてもらいたいという趣旨なのかなあ?と思っている。)

アルカイックホールの本来の姿(大ホール)

と、自分は当日現地でこういった一般的な解釈を話していた。

しかしそれは一般社会に向けた仮の姿。

自分は公共の空間、初対面の人が多いところでは常に猫を被るのだ。

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尼崎のアルカイックホールは、自分には若い頃から耳タコで知っている場所である。尼崎といえばアルカイックホール。もはや脊髄反射で二つのワードは紐づけられている。

ここの大ホールは関西の吹奏楽(アマチュアの楽団)の聖地として有名なんである。

まず、日本でも指折りの実力を誇る市民団体の尼崎市吹奏楽団がアルカイックホールを拠点として活動してて(創設して50年以上)、ちなみにお隣の西宮市吹奏楽団、それから阪急百貨店吹奏楽団(最近休業中?)も関西だと古豪として知られるし、とにかく吹奏楽が盛んな土壌が古くからある。カテゴリとして学生とか職場とかいう分類なしに社会人団体というのがあって、アルカイックホールはそれらの楽団の公演の場として昭和の時代から長く親しまれてきた。

収容人数も多く音響もよく駅からも近い。たとえばコンクール地区大会つまり関西大会は代々ここで開かれてきたし、全国大会(の大学社会人の部)も開かれたこともあるし、吹奏楽を趣味で聴いてる者にはアルカイックホールを知らない者はいないだろう。

吹奏楽の聖地としての描写はアニメの響け!ユーフォニアムにもそっくりそのままの施設として登場する。

関西は戦前からプロの楽団としては大阪市音楽団がある土地柄(なじみの作曲家も指揮者も大阪出身)。また西宮市吹奏楽団、阪急百貨店吹奏楽団もそうだけど、尼崎市吹奏楽団はCDもたくさん出ている。アルカイックホールでのライブ録音音源があったので貼っておく。なんどもいいますがね、ここ市民団体なんですよね、仕事とか学業とかほかに本業を抱えながら活動してる団体なのです。もう50年以上も。(ほかにもそういうアマチュア社会人団体はたくさんあって演奏会も盛んに開かれている)

 

ついでにもうひとつ置いとく。

どこでの録音かわからんけど、1977年なのでアルカイックホールが前の尼崎市民会館から新築してる途中の時代?曲は大阪の作曲家、大栗裕の吹奏楽のためのバーレスク(いわゆるコンクールのために作曲されたその年の課題曲)。

ほかに社会人吹奏楽団としてはYAMAHA浜松、ブヂリストン久留米などと共に尼崎は国内でも五本の指に入る団体なのですけど、たしか今年からアルカイックホールの大ホールは耐震化に引っかかったのか?老朽化もあってか改修中らしく、今回訪れたときは大ホール棟の扉は閉ざされていた。改修中は定期演奏会などは他の場所でやるのだろうか、それはよくわからない。

--------------妄想タイム終わり。

 

ここでござさんのツアーの中にアルカイックホールの名前がでてきて、しかしピアノとアルカイックホールを紐づけろといわれてもどうしても脳内でバグが起こってエラーになる。……?よく見ると、ツアーのコンサート会場は「アルカイックホール・オクト」ってなってて、オクトってなんじゃそらと調べると、どうやら中ホールの形状からそういう愛称があるらしく、大ホール以外は改修中でもなくて使えるらしいことがわかった。

なんだそりゃ!?紛らわしいな?

 

というわけで当日は駅から見て大ホール棟の奥の方にある中ホール・オクトに向かった。しかし11:30のグッズ販売開始時間にあわせて10:00過ぎに行くと(え?)、まだ朝だからかエアコンは入ってなくて微妙に暑く、まばらに到着してくるほかのファンの方々と、場所合ってるんかなあ、ほんとにここでいいんですかねえと世間話をしながら気長にグッズの販売を待っていた。

※ちなみにコンサート前のグッズ販売のようすはこっちにまとめてみた。

 

この別記事に書いたとおり公式グッズをツアーに連動して売ってくれること自体がござさん界隈だともはや革新的事件なので、グッズの売り方がどうとかはこの際棚にあげておくことにしよう。通販待たずにツアー現地でぜひ買いたいって人はたぶんこういう事情はすでに織り込み済みだろうし。

 

ホールの概観

グッズを早々にゲットした自分は予約してた店にお昼ごはんを食べに行き、戻ってみるともう開演まで時間もあまりない。

ロビーには華やかなお祝いの花が飾られていた。

 

関西って空間の使い方に余裕を感じるなあ。東京のホールに行くと、移動の途中もふくめて関東というところは僅かなすき間にまで商業を詰め込むというかなんか息詰まるものを感じるのだけど、関西ってゆったり構えてるというか鷹揚さを感じるのだ。このホールが70~80年代設計というのも理由かもしれないが。

客席に座ると、前の席との間にキャリーケース置けるだけのもの凄く広い幅がある(キャリーケース持ち込まないけど)。前の人とちょっとでも距離が空いてるだけで全然違う。ていうか前の席の背もたれに、なんかデジカメくらい置けるであろう幅の巾木?框?がひっついている(デジカメとか置かんけど)。現にお客さんはみんな何かしらこの巾木?的なとこに色々物を置いていた。席の幅も横に広めにとられていて、落ち着いて座れるし、演奏に集中できる。

というわけで、観客として座るぶんにはいいホールだった。椅子のクッションもよくきいている。

ホールの名前の由来であるオクトっていうのはギリシャ語で8という意味で、客席とステージ含め上から見た図が八角形だかららしい。実際に客席の後ろを見ると多角的に壁が席を囲んでいる。なので客席は最後列まで同じ数で並んでるわけではないが、しかしそんな後ろまでお客さんで埋まってたわけではないようだ。

客席の風景

こんなお題を出すとござさんが金輪際、地方でコンサートやらなくなるっていうリスクを孕んでるのだけど、しかしうわべだけのレポも意味ないので、ここで検証する。

東京でやるコンサートは500席あったらほぼ埋まるくらいにはいつも盛況である。それは当然のことで、東京っていうか関東一円だとクラシックコンサートに限定しても年間一万件を超える公演があってジャンルも多様、演目も攻めたやつも多くて奏者も一流ばかり、要するに芸術資源が極端に東京に偏ってるのだ。

東京以外の地方は(関西はそこまで壊滅的じゃないにしても)、おおむね東京と正反対の条件と考えて間違いない。

 

そんな中でござさんの作る音楽と演奏というのは、いかにもこうした音楽に精通した知識と経験あるプロにこそ良さがわかる傾向がある気がする。そうしたプロっていうのは公演が多くある関東特に東京に自然と集まってるから、東京の公演は絶対にチケットが売れるというのはあるだろう。

しかしここでいうのはあくまで分布の確率の話であって、つまり音楽市場をビジネスと捉えたときに東京周辺がいちばん事業として容易に成り立つというだけのことだ。つまり自分らが聴きに行ってるのは音楽っていう芸術であって、家とか服とかの物を買いに行ってるんじゃない。人がいればその数だけ全国津々浦々に芸術の需要は存在するのであって。ござさんの一昨年の大阪公演がたしか200席あまりの豊中の市民ホール小ホールで、あれ少なすぎたと思うんですよね。で、今回も中ホールは埋まるだけのお客さんが来てるわけですよね。少ないとしても地方には(いうてもこれ関西ですし)絶対ファンは存在するわけで。

ござさんのピアノの運営には、露ほどもビジネス目的の動きが感じられなくて、純粋にこうした地方に存在するファンにもピアノ聴いてほしいという動機のもとにツアーが組まれてると感じられるため、こうした地方公演はこれからもたまにでもいいですから(つまりござの日のツアーとかなんでもいいですから)定期的に回ってほしいところではある。ビジネス目的だったらもっとわかりやすい立地で、わかりやすい広報を打って、わかりやすく短絡的な特典とかついてると思うんですよ。

この短絡的なビジネス行為を戦術とするなら、ござさんのピアノは戦略といえるのかもしれない。

ござさんは意図的に戦略と考えてはないはずで単にピアノを練習してアレンジしてホールで弾いてるだけ、と考えてるかもしれないが。

たしかにござさんは数を稼いでないが配信を中心とする演奏活動は当初から一貫して変わらなくて、それらは今のござさんの原点というか起源というか存在の由来となっている。

ピアノを弾き続けて新たなアレンジを模索することそのものが、ござさんのピアノの戦略。

 

特殊なホールと珍しいピアノ

今回のピアノ(自分の席からの遠景)。艶消しタイプ?のスタインウェイ。らしい。

そしてアルカイックホールの大ホールはともかく、このオクトホールは席も移設できるようになってるようで、演奏会以外にも色々な用途で使用できるらしい。つまり音楽専用ホールではないらしい。

いつもなら高い天井から照明が下がってることが多い印象のコンサート会場、今回はなんか近い所に照明があるな?と思いきや、そういうことなのかもしれない。

そこでひとつ言いたい。

ピアノのコンサートなんだから音楽専用ホールでやろうよ、ござさん。せっかく貴重な地方公演の機会なのにさ?自分ら地方民は楽しみに出かけてきてるんだよ?てか地方公演なら行くけどって人を何人か知ってますしね?

そんなレアな年に何回もないござさんの地方でのソロコンサート。

もう一回言おう。

もったいないんですよ。

それからこれは後から思った感想だけど、ピアノの音がなんか現場で響いてなかった。ホールの設計が音楽専用じゃないからか。楽器がそういうピアノだったのか。真相はわからない。ピアノはそれぞれ全然違うから、結論は現地で弾いてみないとどういう楽器かわからんという、ある意味ギャンブル要素をはらんだ楽器ではある。

具体的に何がもったいないのかというのを下の感想で書いていく。

コンサートの感想

まずいつも通り開演時間になると客席の照明が落ち、ほどなくしてござさんがスーツ姿で現れ客席の四方に深々と頭を下げる。クリーム色のチェック柄?のネクタイにスーツはグレー?薄いネイビー?のようなパリッとした生地(?)。

(去年はブラックのスーツに蛍光イエローのネクタイで阪神タイガースがモチーフだったらしいから、今回はお好み焼き色のネクタイにお好みソース色か?と一瞬頭に浮かんだが、演奏に思考を切り替えるべくそういう妄想は消去した)

そして無言で一曲目を弾き始めるのももはやおなじみとなり、生配信でも演奏から始まってMCは後なので、だんだんとござさんのソロ公演に自分らファンは慣れてきた感じがする。

もう客席の照明が落とされた時点で一瞬ホールの中は水を打ったようにほんとうに物理的に物音が一切消えて無音の空間となり、客席が一丸となって、舞台袖からござさんが現れて始まるであろうピアノの演奏を、大切な壊したくない宝物みたいにして、まんじりともせず各席で待ってるという雰囲気だったからだ。

あの、客席がふっと暗くなると同時に無音になる一瞬の間隙を感じると、あーござさんのライブに来たんだなって実感する。なぜならコラボの演奏会だとこういう一体感が無いから。

なんか前置きが長いな。

とにかくこのコンサート始まる瞬間ってござさんのピアノの芳醇な音が紡ぎ出される最初の瞬間で、それが楽しみで現地行ってるまであるんだけど、今回の一曲目がエリーゼの変容だったんだけど、最初で自分は違和感を感じたんですね。

 

(※項目で曲名を2つ3つ続けて書いてるのは、複数曲を間のMCなしで連続で弾いてたと思うので、それらの曲はひとつの括りとして項目もひとつとしてまとめた)

エリーゼの変容と、その後のハミングがきこえる

この曲は冒頭は原曲にやや忠実に、旋律も単音で伴奏も最初だけは一緒だし、いったんペダルで旋律を区切りながらフレーズごとに単元を決めるみたいな始まり方をする。

そのため響きがいちいち区切られてんのはたぶんペダルで音を止めてるんだな、ござさん細かくペダルを使って和音を使い分けるからな、この曲も最初の旋律ってペダル踏み分けてたよな、と自分はアルバムの曲を思い出しながら、Youtube動画ではどうだっけ、あ、やっぱ一緒かな、とか思いつつ演奏を聴いていた。

いや???違うぞ?

という違和感は次の3曲めのショパンの曲くらいではっきりと実感に変わったんだけど、

やっぱ音楽専用ホールじゃないイベントホールならではの響きが途切れる感じがした。

ストリートピアノみたいな…?駅は……まわりの雑音があるからなんかシチュエーション違うな。音の反響が少ないショッピングモールの吹き抜けイベントスペースでやるピアノって感じか?(そういうとこで聞いた事ないからよくわからんが)

つまりござさんのピアノってどういう状況でもござさんらしさを失わないと思うんだけど、今回のホールの環境的にはホールじゃなかったと言おうか。

そんな中で音響工学的に、思い通りの演奏効果は狙えないけど、演奏の印象を左右することはできないけど、しかしアレンジをこのピアノに合わせて音作りしていくことで、このホールならではの演奏に仕立て上げていたというか。

ピアノ自体はスタインウェイだったらしいが、自分がスタインウェイに抱く印象つまり触っただけで響き渡る華やかな音色というイメージは当日の演奏からは感じ取ることはできず、ござさんのピアノもほかのソロライブで感じるような匂い立つエネルギーといったものは見えなかったのだけど、ござさんはピアニストとしてここの今回のピアノに寄せた演出を凝らしてるのを感じ取ってほしい、ていう雰囲気があった。

《 ↑↑ 完全に自分の主観であり、聴いた人によってそれぞれ感想は異なるはずではある》

 

さてとにかく1曲目、エリーゼの変容は自分の中で上記のような整合性を考えながら聴いていたのでいまいち集中できなかった。

しかしYoutubeの音源は現地の録音からきちんと編集され、アルバムはさらにスタジオ音源をプロのエンジニアの手を経て商業ベースに載せられるよう調整されたいわば理想的な演奏なのに対し、やっぱライブの演奏は生き物であってエリーゼの中間部のゲームっぽいところ(ござさんいわく民族音楽ふうだがRPGのケルト風ってことか)、ハミングの最初から最後までウォーキングベース満載の迫力とか、まさにこれ聴きに現地行ったんだよという醍醐味がある。

ホールの影響かピアノがそうだったからか原因はわからんが残響が極端に短い演奏会ではあったけど、でもそういうクラシック音楽ならではの「自然発生に限りなく近い音楽を楽しむ」というより、自分らファンはござさんの設計したござさんならではの音楽が作る空間を体験しに行くって感じがしてるから、というかどこで弾いてもござさんはござさんだ。

 

2曲目のあとのMC

MCは最近、budoさんとのコラボで「トークは大部分をほかの人に依存していて」とか語られていたが、しかしござさんひとりでもじゅうぶん話できてると思う。よく考えたらたんなる一般人だったござさんがこんな何百人もの前でカンペなしで喋るとか、そりゃ話題にも困るよなと今になって思う。同じことしろって言われたら自分は絶対無理だと思うし。

さて、はるばる尼崎まで!やって参りましたという挨拶から始まるトーク。

「なんかこの間の渋谷でのアルバムリリース記念ミニライブから今回の尼崎、この後も梅田?かどっか?でミニライブ、と本番が立て込んでて、皆さまもしご都合つく方はタワーレコードのほうへもお越しください」

などと流暢に話されていた。(タワレコミニライブはアルバムを店頭で買った方が優先招待なのだから尼崎の会場にいたほとんどの人が知ってたとは思うけど)

それから今回リリースされた3rdアルバム「Evolution」の紹介をされて、これでアルバム3枚目であり、ひとつにつき12曲くらい必要になってきて2枚出したことでこのあと収録できるというか弾く曲あるんかという問題が発生してたが、意外とこれがあったんですねえ、とボケなのか素で言ってるのかわからんことを言う。

当然、その場にいたファン誰もが「そりゃあるだろうよ収録候補曲、一体レパートリーいくらあると思ってんねん、ここにいるファン何百人か知らんが皆それぞれにアルバム収録希望曲を募ったら全員違う曲を言うと思うよ?」って心の中で総ツッコミしたに違いない。しかしそれがござさんらしさなので、いやいやそのままで居てくださいとも全員が思ったことであろう。

しかしエリーゼの変容の曲紹介では、まずYoutube動画として投稿する目的でスタジオ演奏・録画したらしい。クラシックアレンジは、ショパンの曲は業界の中で寛容に受け入れられてる気がするが、ベートーベンの曲ってそのへんクラシック警察さんが飛んできそうな危険性があったけどチャレンジしてみた、ということらしい。確かに。ベートーベンとモーツアルトって古典派?の二大巨匠として普遍の価値観が築かれてるというか、なんか崇められ奉られてて触っちゃいけない感があったかも。

ん???

クラシック警察が飛んできそう????

え????????

なんか言いましたか??????

ござさんのしらじらしいトーク聞きつつ、自分の脳内ではこのへんの動画が飛び交ってて、いやいやいやまたまた御冗談を~~~……ってひとりでツッコミいれていた。

ていうかこれもベートーベンの曲でいじり倒して遊んでるやん。

まあ、動画投稿するのと、アルバムにレパートリーとして入れてレコード店によってはクラシックジャンルの棚に並ぶのとでは、クラシック警察に見つかる頻度が違うってことかなあ。

 

「ハミングがきこえる」はいわゆるアニソン枠としてアルバムに採用されたようで、そのほかにも、昔から根強くリクエストが絶えず多い曲だったため、アレンジを一つの案としてきちんと形にしてのこしてみよう、と思ったそうだ。

ござさんは生配信は振り返って再び聴くとかしないらしいし、即興で弾いたものはその場かぎりのものとして思い出さないのかと思ってたが、しかしこの曲、アニソンにしてはJAZZ要素満載で構成が面白い?のか、そこがござさんの眼鏡にかなったのか。なんにせよござさんの選曲は流行とか知名度とかじゃなく、構成とか展開が面白いという意味で名曲かどうかっていう判断基準だと思う。そこで選ばれるってことはなにかしら面白いんだな、とシロートとしては安心して身をゆだねる気になるのだ。

(誰もこれがアニメちびまる子ちゃんのOPだったとか今言われてもピンとこないのはある……あの作品にしてこの曲ありという気がする)

 

続いて次の曲のMCと演奏、いわゆるショパンのアレンジ

ござさんのショパンアレンジ曲には、2ndアルバムFantasia収録のCHOPIN SYNDROMEと、今回のEvolutionに入ってるエチュード幻想曲のふたつがあり、この2曲を連続の途中MCなしで演奏されていた。と思う。アルバムリリース記念ソロツアーだから、ふたつを混ぜるとか、そういうことしなかった。と思う。(たぶん)

と簡単そうに演奏してたしここで感想も簡潔に書いてるけど、それはソロツアーだからアレンジ少な目でこういう演奏で来るだろうなっていう心理的ショックが少なかったからであって演奏は素晴らしかったんですよね。

ただエチュード幻想曲の全体にちりばめられた宝石のしずくみたいな黒鍵のモチーフがなんか硬い音でふんわりきらめきが空にかかり虹のように輝く……みたいな様子を夢想してた自分には違った景色ではあったが。

くれぐれもいうが今回のホールの演奏の印象はストリートピアノであって、そのため通常コンサート行くとその余韻と感触に浸っていたいからYoutube動画もアルバムも聴けなくなる症候群になって困るところを、今回はなんかアルバムが普遍化されたミキシング後の音源なのにそっちが素晴らしいふうに聞こえるぞ?っていう謎現象を起こしていた。

コンサート後なのにアルバムふつうに聴けたのは初めてで困惑した。

CHOPIN SYNDROMEを初めて聴いたのは浜離宮ホールだったと思うので、その違いがはっきりと感じられて、同時にござさんがこのピアノでどう弾こうとしてるのかがはっきりとわかってきた。

響きが硬くて残響少ないならそれはそれで対策することにしたらしい。

しかしアレンジが決まってるアルバム収録曲をおもに演奏するツアーというコンセプトがあるから大胆なてこ入れはしないことに決めたのか、自分が想定したような抜本的な対策はしてこなかったけど。

なのでアルバム収録の演奏と比較してどうしても響きが硬いという面が残ったのは否めないがそれはそれで、コンサートやってればいろんなことがあるよって自分にはいい経験になったしそれはござさんのピアニストとしてのひとつのシーンとして経験に刻まれるだろうから、これに懲りずに、ござさんには引き続き精力的に地方公演ふくめ様々なところでコンサートを開くことにご尽力いただきたいと思う。

こういうこと含めて、現地のファンと交流していただいてこそプロとしての演奏家だと思うので。

 

MC---出版物

ここで他人事のように「グッズの物販についてアピールしたほうがいいらしいんで!」と仕方ないとかいったふうに話すござさん。あの、そういう言い方すると宣伝効果なくなるんですよ…?

実際にライブ開演前、正確にはライブ前の物販で販売開始後20分で行列長すぎて途中で並ぶの自体が打ち切られたらしく、開演時点でほとんどの品目が売り切れてたらしいので、なんかこう後の祭りという感じはしたが。とにかくござさんが主張するおすすめグッズは、楽譜であった。

生みの苦しみというか、「ぼくと製作者さんの血と汗と涙と努力の結晶」ゆえにおすすめする、と語られていた。

自分であの独創的なアレンジ作る時点でシロートの想像の域を超えてる。さらに楽譜に起こす時点でどういう手間がかかってるのか、とにかく紙の楽譜をグッズと一緒に買ったら表紙にその旨をはっきりと書いていた。法令遵守の決まり文句といっしょに、

楽譜は、とても多くの手間と時間をかけて作られています。楽譜出版に従事する人たちの生活を守るため、何卒お一人お一人がご購入いただきますよう、ご理解の程お願い申し上げます。

という注意書きが大きく書かれている。

いうまでもなくライブ会場で売られた楽譜は紙媒体だから簡単にコピーして知り合いに配ることができる、と予想されたからだろう。

この楽譜に書かれた見慣れない出版社?のロゴもそういうござさん以外のスタッフが出版に関わっていることを想起させる。

 

それからグッズ企画とかデザインも、専門の業者に発注されたっぽい。

 

昨年ごろからござさんがしきりに楽譜作ってるとかアレンジがとか編曲してるとか言われてたのはどうやらこの楽譜集のことを指していたらしい。足掛け半年以上の長丁場。コンサートのアレンジをコラボで依頼されたら3日で楽譜を上げてくるござさんが、それだけ入念に作成に携わられた楽譜、それから数々のグッズのラインナップ、このへんまでくるとござさんひとりで作る規模のステージではなくなってきたなというのを実感する。それらの煩雑な作業の合間でもござさんはしかし配信も欠かさなかったし各種コンサートも出られてて、ピアノの活動が疎かになってる印象はなかった。

あくまでござさんのピアノを中心に、各業種のプロの方々が協力してこのツアーを作られてるんだなと、いわば当たり前のことだけどしかし今までその点が曖昧かつ徹底されていなかった感じがしただけに、今回よりいっそうござさんはピアノに集中できてる感じがしたし、この楽譜の苦労話を聞いて、より多くの人に支えられてござさんのピアノは本領を存分に発揮してるのだなあと感じられたのだ。

それだけに!

ホールの響きとござさんのピアノの演奏の乖離ぐあいがいつもより大きく、しかしアルバムの録音の仕上がりは過去最高に素晴らしく、どうしたもんかと自分は感想書くのに困るのだ……

 

趣味

楽譜にちなんでというかついでのように、

「楽譜っていえば、ぼく物心ついたころから曲聴きながら楽譜眺めるのが趣味だったんですよね。そうですねえ、3歳ごろですか?あと、趣味はプラレール。そのころなりたかった職業は、ピアノ弾きじゃなくて、バスケットボール選手でした」

というどこからツッコミ入れたらいいんかわからん情報がサラーっと語られた。

なに?

物心ついたころから、曲聴きながら楽譜見るのが趣味?

はあ?????

って客席の全員が目を見開いて反応がフリーズしたことであろう。なんだそりゃ物心ついたころって。字が読めるより前ってことでしょ。はあ?????なんとなく音符とか眺めてるのが好きだったってことですか。

ちょっと何いってるのかわかりませんけど?

物心ついたころねえ、そのころ、自分は絵本ばっか読んで保育園の部屋ん中ばっかりでいたから保育園の先生が親に「あのう、おたくのお子さんちっともお外でお友達と遊ばないんです…」って真顔で相談されて名実ともに陰キャ扱いされてた時代ですね…?

楽譜…??????

ござさんの第一言語がピアノなの、ちょっとわかった気がするな(わからんけど)。

三つ子の魂百までっていうもんな。なるほどな。

その後で発されたプラレールという単語に、一般人ぽさを感じて安堵する客席のファン一同。あ、人間ぽいとこもちょっとはあるのね的な。でも大部分やっぱ理解できんわという客席とステージとの大きなわだかまりを残したまま、MCは終わったのだった。

 

ワルツ第一番と、THE GARDEN OF EVERYTHING 〜電気ロケットに君をつれて〜

(なんか迷いながら書いたからここが一番まとまりがないのに長い)

呆気にとられている客席のファンを置き去りにしてござさんはさっさと次の曲紹介に入る。

次は、オリジナル曲のワルツ第一番(と聞いて、たぶんみんなの脳裏にああ、アルバムの途中のなんだっけ?あれかというおぼろげな記憶が浮かんだことだろう)、それとTHE GARDEN OF EVERYTHING(途中の旋律がボロディンの韃靼人の踊りになるあれ)ですということで短く曲名が伝えられ、演奏が始まった。

ワルツはござさん曰く「アルバムのアレンジはどうしても重めになる曲が続く中、間で変化をつけたくて作った曲」とのことで、しかしアルバムのブックレットにはまた別のしかし気軽な解説も簡単に付け加えられていた。

2ndアルバムFantasiaにもそうした意図なのか、途中でオリジナル曲が挟まれていて、お料理でいう箸休めという位置づけなのかもしれない。

ござさんのいう「テクい時代」つまり今はもう演奏不可能とか言われてた過去動画のシュレーディンガーの猫みたいなひたすら技術を追求するアレンジの時代はしかしもう10年以上も前のことで、ファンから見るとござさんの作風(編曲の)はそこから技術的にも表現上からも、一歩引いて俯瞰する要素が入ったように見える。

容量があればあるだけ詰め込む時代は過ぎて、意図的に空白を入れる演出、といったらいいのだろうか。踏み込むのじゃなくあえて引く、みたいな。

その意図的な空白というのも、間隙という名の演出要素を構成してて、なんていうの?無音っていう意味じゃないがゆとりをもたせた演出が聴く方に空想の余地を与えてる。

さらに一瞬、まともな終止形とかが垣間見えてセオリー通りじゃんと安心する箇所があると思いきや、全体としてはござさんらしい前衛的な和音と攻めた展開でまとめられててあんまりゆったり構えることはできない、というなんだか狐の嫁入りでも見させられているような不思議な気分になる曲。それがござさんのオリジナル曲。

結局よく知られてる曲のアレンジより、聴いてていちばん緊張するまである。何が箸休めなのか、何が重めの曲が続く中で変化をつける目的なのか、オリジナル曲がいちばん油断ならないではないか。

 

それからMCなしの連続で(だったと思う)、THE GARDEN OF EVERYTHINGが演奏された。劇場版アニメのラーゼフォンEDテーマ(?)らしく、しかし自分はござさんのピアノから菅野よう子氏と坂本真綾氏を知ったのでこの曲もYoutubeのピアノで弾いてみた動画から必死で覚えた中のひとつ。ござさんのいうニコニコ生放送全盛期の2000年代ひとケタ時代の記憶は自分には無い。だいたい劇場版アニメのEDテーマっていうのを耳コピして掘り起こしてるあたり、ござさんが動画にする曲はどれも構成が素晴らしいから何か知らんが自分も動画を鬼リピして覚えた記憶しかない。

ちなみに元ネタとしてニコニコ動画に上がってる昔の演奏。なんでこんなに再生が少ないんだろう。youtubeのほうは10万再生いってるのでちょっと溜飲が下がる(いややっぱおかしい)。

www.nicovideo.jp

ニコニコ動画と同じ日にYoutubeに上がってるので、確かに12~3年ぶりに弾いてみたというのはほんとらしい。ここから去年新しくYoutubeに上がってる動画が何が違うのかと言えば、弾いてるピアノがアップライトのサイレント機能の録音なのとグランドピアノのスタジオ録音で違うし、なにより決定的に10年以上の時間を隔てて、ござさんがこの曲を演奏しようとしてる意図が決定的に違う。 

でも自分はこのニコニコ動画の時点でござさんのピアノは到達できる限界点に達してたんじゃないかと思っていて、今弾き直してみた動画を上げてさらにアルバムに入れたというのは、当時の到達点からござさんがどう変わってきたかという軌跡を定点観測する曲なのかもしれない。

・・・ってうわああぁぁぁぁぁ?ハミングのアレンジ電子ピアノ版がニコニコに残ってるじゃないかーーー(と思わず持ってきた)

www.nicovideo.jp

横道にそれるのはやめよう。ていうか、どうせござさんのアレンジはどっから掘り出してきたんだという曲揃いなのだから深く考えるのはやめとこう。

この曲の特徴的な左手、いわゆる16分音符ビート奏法。それが聴きどころだと思って耳を澄ましてたけど、やっぱりこのホールのピアノはなんか違ったと思う。

アルバム収録の音源が、あまりにも完璧かつ完全無欠だったのもあるけど。

自由に旋律の間隙を突いて曲に躍動感を与える左手のリズムのはねた感じが、当日のピアノには何か軽快さというものが欠けていた。でも何が違うのかというと、鍵盤も演奏する手も見えない自分の席からは何を想像することもできなかったので違和感はそのままになった。

CD音源の製品として仕上げられた非の打ち所がない音と演奏とはまた違った世界線の、ホールでの演奏。原曲のイメージというのがこの曲に関しては自分は全く持ってないので、このピアノで表現できるなりのござさんの演奏だったと思う。16分音符左手以外にも、高速3度和音で動く左手とか跳躍する左手とかオクターブ旋律の右手とか、いろいろ見どころ満載だったし、あのピアノはそこまでいうほど壊滅的だったか?というと、そうじゃないと思う。

ほっといても素敵に聞こえる響きのホールと申し分ない響きを備えたピアノ、いつもそういう環境でホールで聞いてたけど、結局ござさんの演奏はどこで聴いてもござさんなのだし、どこで聴いてもござさんのそれとわかる音ってほんとだなと逆説的に証明された気がした。

----休憩の時間----

ちなみにここでグッズのご案内のアナウンスが流れるが、しかし実際は現地の窓口で買える現物はライブ開演時間の時点で、ほとんどの品目が売り切れていた。たぶん次の静岡公演では、もっとじゅうぶんな在庫を持参されるはず(たぶん)。

演奏時間はここまでで約45分くらいだっただろうか。というわけで後半も同様の尺を取っていると仮定したばあい、全体としてたぶん1時間半(純粋に演奏時間だけを足したら)くらいだろうと思われた。この曲数と演奏時間のペースもだいたいいつもと同じで、あいかわらずタイマーで測ったんかいと思うような、ピアノ弾きながらのリアルタイム進行形での時間調整能力に舌を巻く。

間奏曲

さて休憩の終わりを告げるアナウンスが流れ、客席にあわただしく全員が戻ってきて照明が落とされるとござさんが静かに無言で入ってきて挨拶され、そのまま演奏が始まった。なんだっけ、この断定的なリズムから入る、自身と肯定感に満ちた曲……

というわけでライブの後半は、アルバムに収録されたオリジナルの新曲、間奏曲から始まった。まさに演奏会の前半と後半を分かつ転換点、そこでライブの雰囲気を区切る役割?テレビで流れる洋画劇場の合間に挟まるCM?みたいな感じ?

詳しくはアルバムのブックレットを皆さまご覧になってください。

このままライブの後半はじめの曲として定番化されてもいいかなと思うくらい、当日聞いてた身としては演奏会の展開にはぴったりだった。

 

この曲も全然違和感なく演奏を聴けたし、このホールのピアノ、いつもの演奏と違和感はあったけどそれは物理的なものであって、ござさんの演奏はこの日なりに、(いつも通り)素晴らしかったことを申し上げておきたい。

それがピアノ固有の状態により何か違った点があるのは否めないけど自分はそれが不服だったとは思わなくて、こういうピアノだったらござさんはこういう弾き方するんか、ええープロってこういうことできるのがプロって言う所以やな、とピアノの事情はよくわからんままに、演奏に驚くしかなかったので。

 

お楽しみのリクエストコーナー

さて!やってきました、この日のメインイベントであるリクエスト曲の時間。

しかしメインイベントだったなと感じたのはライブが全部終わってからの結果論です。

当日までは、

・ツアー5か所だからリクエストが拾われる曲は合計5曲かー

・何百もリクエストされるであろう中からの5曲かー

・絶対宝くじよりも確率低いなー

・深く考えるのやめよーかなー

と思って自分はチケット申し込みする際に深く考えないでリクエスト曲書いたから。

ここでござさんはMCで皆さまお待ちかね(だったか何だったか)、リクエストコーナーですって言いながらなぜか嬉しそうにウキウキソワソワと、ピアノの蓋の後ろ側にセットされた曲目メモを見て

「5曲くらい弾こうかなーっと♬♪ ( ^^ ♪♫ でも、うっかり配信モードになっちゃうと終わらないんでちゃんと気をつけなきゃなー ♪♫ウキウキ」

とかなんとかぼやき、リクエスト曲のメモをずっと見つつも全然決まらないらしい。

ここで疑問だったのは、このメモにはリクエストがどのくらい書かれていたのか?という点だ。チケットを購入する際に膨大な曲数がイープラスを通じてござさんに伝えられてきたであろうと思われるが、それらの全部をメモして持ってて当日その場で決めたのか?あるいは尼崎でやる曲候補としてある程度事前にピックアップしてきた曲をいくつかメモで持ってて最終的にステージで気分で選んだのか?どういうシステムだったのか超気になる。

 

どっちにしてもこのツアーはアルバムリリース記念であり原則演奏するリストはアルバム曲でありアレンジもCDに収録された版で演奏するものだから、ここのリクエストコーナーが実質ござさんの当日の裁量で決められる自由時間だったのだろう。

ござさんはリストを読んで、どうしようかなー♪♬決まらないなー♬♩あーこれもいいなー♬うーん………などとうわべは悩んでいる雰囲気を漂わせつつも、それとは裏腹に口調と表情はウキウキと逸る気持ちを抑えきれてないのがバレバレで、客席からは

「ござさんメドレー楽しいタイムですよーもう好きにやっちゃっていいですよーどんなのになるんだろー」

という、みんなで微笑ましくござさんの悩む時間を見守る会みたいな感じになり、悩むござさんを和やかに待つ謎の時間となっていた。

そこでいちおうござさんは苦渋の決断を下し、断腸の思いでリクエスト候補から5曲に絞ったようであった。「それより多いとまじで配信のノリになってやめられなくなるじゃないですか?ライブの時間も長さは決まってますし……」とかなんとかまた同じような言い訳をするござさん。よっぽど名残惜しいんですねわかります。

リクエストコーナーに選ばれた5曲:

蠍火
ソーラン節
海の幽霊
ニューシネマパラダイス
空も飛べるはず

こういったラインナップが発表され、客席からは歓声やら拍手やらどよめきやらが上がりつつ、ござさんは即座にピアノに向かって前奏代わりのアルペジオを弾き始める。

ほんとに即興演奏やっていいってなると、まったく水を得た魚になるござさん。俄然ピアノが流暢になるのが明らかにわかる。客席で見てて「もうアルバムとかいーから2時間ノーストップ即興ライブでもやったらどうですかね…?」って台詞が喉まで出かけてるのをファンとしては理性でこらえるわけですが。

海の幽霊と蠍火で、いつもだとありえないところでなんか音が引っかかっていたが、たぶんその点が今回のピアノの音が?か鍵盤が?か何かが硬かった?のが原因かもしれない。

しかしそういう楽器の個体差とかどうでもよくなるレベルで、やっぱござさんの即興演奏は聞いてて鳥肌立った。神がかってて、ピアノの状態が万全ならもっと人間離れした演奏になってたかもしれんと思うともったいなくもあるけど、そこはピアノの個体差という特性と向き合うしかない。

何が鳥肌ものだったのか。まずえもいわれぬ美しいアルペジオから観客はござさんの世界観にいざなわれる。

そして一曲目にコールされた蠍火だ、と客席に緊張が走るやいなや、そこに突如マイナー調?で混ぜられてくる、空も飛べるはず。音ゲーに短調で混ざるJ-POPというカオスな世界でメドレーは幕を開けた。

そのあと、流麗でスマートで優雅な歌い方のソーラン節が入り、聴いててファンとしてはござさんはあのトラウマをここまで掌中におさめるほどに克服されたのかと感慨に浸りたいところだ。しかしベースががっつりきいてるはずの元々のアレンジの印象があるところに幽雅な演奏が聞こえてきて、どうしてもイメージが乖離してしまってせっかく超絶感動したい気分なのに邪魔される。えーいお茶目なござさん、自分は感動したいんだから横槍入れるのはやめてくれないか。

(え?もうリクエストコーナーのそれぞれ元の曲の動画とか、もういいですよね?みなさんご存じですよね、貼らなくていいですよね?)

そしてその美しい流れのまま、Youtube動画アレンジのバージョンそのままの、あの思い出深い海の幽霊が堂々と演奏された。なんせYoutube動画が上がるまでに、耳コピ採譜練習の過程?の生配信まで行われてたくらいには練習が難航をきわめてた節のある、海の幽霊。その驚愕のアレンジに自分は度肝を抜かれ、動画をいったい何度見返したことだろう。これも当然ござさんの演奏から原曲の存在を知ったパターンで、しかし名曲に違いない。

海の幽霊の情景を大切に胸の中に反芻しながら演奏に聴き入り……しかし鍵盤硬そうだなあ?とちょっと大丈夫かなと思いつつ感動していると、そこに突如前触れなくアネモネが参入してきたではないか。

アネモネ・・・!

1stアルバムに連動して出版された楽譜集にすでに載ってたアレンジで、練習しても全く上達しないシロートの自分のピアノ、その短い練習歴の中でも和音の響きがあたたかくて好きだからって部分的にでも習得できた数少ない思い出の曲、アネモネ・・・!でも自分には鬼のように難曲だったし、そりゃもう血の涙を流し、血を吐きながら練習したし、でもちょっとでも弾けるようになったとき、ほんと言葉では言い尽くせないくらい幸せだったし、なんていうかござさんが味わってるこの和音を自分のピアノで共有できたんだっていう、演奏を聴くのとはまた違った意味でファン冥利に尽きる時間を過ごせたというか。

とにかくそこにアネモネの姿を垣間見ることができて、それだけでも(いえほかにも聞きどころ満載のコンサートではありますけど)現地に行って良かったと、客席の隅で勝手に個人的に感動の涙に打ち震えたのだった。

それからニューシネマパラダイス、このアレンジはたくおんさんのチャンネルから委嘱されて作成され、あちらのチャンネルに嫁に出されたものとして自分の中では断腸の思いで別れを告げた曲だったけど、よく考えればアレンジした当のござさんは自分のコンサートでも演奏して大丈夫だったということを忘れてた。そうだ、嫁には出したがいつでも会えるんだこのアレンジ。そう思ってちょっと安堵する。

とか和やかな気分にひたってたのは僅かな時間で、途中から蠍火がサビからラストにかけての部分がここにきて現れ、それに続いて空も飛べるはずがラストの大トリとして、感動巨編に仕立てられて満を持して登場した。ござさんならではの筋書きに、いやいや泣かされんですからと構えつつも色々涙なしには聞けなくて、自分は途中でバッグからハンカチ出したかったのに暗闇で見えず、ガサガサと物音を立てるわけにもいかず、しかたなく涙が滂沱と流れるにまかせるのだった……

 

MCでござさんは息切れしながら、客席からは「蠍火と海の幽霊とかいうリク拾ったらそらそうですよね?」とかいう冷ややかで温かい視線が投げかけられ、ござさんはこの出来レースみたいなビミョウな空気の中で「蠍火は練習なしにいきなりやってはいけない曲ですねえ」とかいう謎コメントを発していた。

やっぱ客席から投げかけられる「はあ??????????????????」っていう視線。だってね10年以上リクエストからその場で即興で拾って配信で演奏しといてですよ、この期に及んで練習なしに蠍火弾くもんじゃないとか、いったいどういう顔してそういうこと言うのwww笑wwwwって感じの雰囲気で失笑やら当惑やら面白い雰囲気に包まれる客席。

あのですね、ツッコミ入れるとすれば蠍火でなんか音ていうか鍵盤?が引っかかってたのは、今回のちょっと変わったピアノのせいであり(たぶん)、いつも本番に向けて鬼のようにピアノを徹底的に弾きこんでくるござさんがですね、蠍火とかいう古典的レパートリーがどうとかで引っ掛かるわけないじゃんねーって客席の全員が分かってるんでいいんですよ別に。

と、当日声に出してツッコミ入れるわけにいかなかったのでここでつぶやく。

 

忘れられた街と、コナンのメインテーマ

ござさん曰く

「アルバムを出すには12曲くらい必要であるところ、オリジナル曲も2つくらい作ってアイデアがしばらく出なかった中、なぜか外出先でこの曲の冒頭の和音が思い浮かんだのでメモし、帰って整理してできあがったのがこの忘れられた街だった」

ということらしい。

ござさんのオリジナル曲の傾向がなんかはっきりわかってきたなーと思っている。

チャイコフスキーみたいなキャッチーな旋律とシンプルでストレートな和音から構成される曲じゃなくて。

ござさんは第一言語がピアノなだけに、オリジナル曲は曲自体がインタビューに対するござさんの答えみたいな立ち位置で、聴きこんでるとそのうち曲の雰囲気と抑揚で喋ってるかのような印象に変わってくる。

ござさんはピアノと向き合うと途端に饒舌になって、豊かな語彙で語り出す。

それに静かに耳を傾けてゆっくりと噛み締めて味わう時間。特徴的な展開を耳を澄まして黙って聴き入る。

曲名に写実的な意味を求めるよりも、曲の印象そのものから聞く人がそれぞれに自由に曲の背景を想像すればいいのかもしれない。

 

さて、それとYoutube動画にもソロアレンジとして上がっていた名探偵コナンのメインテーマ。

(↓ござさん版アレンジ)

(※参考までにYoutube動画を貼ってはみたが、これはライブの演奏とはまた別の存在だ。この動画の演奏はひとつの習作、そしてアルバム収録の音源は聴くことに焦点を絞って特化したもので芸術的にエンジニアの方が調整している。それらとは別に、ホールでのライブ演奏はそのときだけの別の生き物っていう感じでそれぞれの存在意義が違う。ここに貼ったYoutube動画とは違う演奏を、みなさん都合がつくかぎり、いつかどこかで、今回のツアーじゃなくても、ホールでのござさんのピアノに遭遇してほしい。まさしく文化的衝撃を受けるっていう体験となることをお約束しよう。)

さて。

コナンのアレンジの初見は自分にとっては菊池さんとのストリートピアノでの連弾だった。それしか資料がなかったから去年Youtube動画であがってきて、えっこれ一人で弾けるんや、連弾曲じゃなかったんかと意表を突かれたけどそれは単に自分の先入観でしかない。だいたい世の中で言う連弾曲なんてござさんのソロのレパートリーにはほかにいくらでもあるじゃないですか。

トークでござさんは「コナンは昔から弾いてみた動画が多かったし、ほかの動画投稿者さんをリスペクトしたくて今回アルバムにいれてみた」と言われている。 

しかしYoutubeにござさんのソロ動画が上げられたのが去年だから、たぶんその時点でござさんはアルバムに入れると決めてたのかなあと思う。とにかくこの動画をソロで撮ってみたこと自体がほかの弾いてみた動画投稿者さんをリスペクトしてのことだと思うし、ござさんのソロアレンジは見事にほかの動画投稿者さんの演奏と対を成しててそれぞれに完成形といえるまでになってる、とシロート目線では思う。

ござさんのアルバムにはアニソン枠があると自分は思ってて、葛飾しかり、tank!とかミックスナッツとかほかにも名アレンジ揃いでござさんのアニソンへの造詣の深さが光る。J-POPと基本的にアニソンは同じ構造で2番、それから間奏、さらにCメロがあったりする点が似てると思うけど、ござさんはそういう曲の展開でいちいち丁寧に和音をいじってきたりどっかにJAZZっぽさとか絶対にひねりをいれてきて意表を突くからおもしろい。

弾いてみたアレンジの傾向というのは単に個人差であり、いろんなアレンジがある中で自分はござさんの発想が好きだから聴いてるんだけど、ござさんがリスペクトする「ほかの動画投稿者さん」ってもう言ってもいいですかね?だからそれは菊池さんのことですよね要するに。ていうか絶対に(偏見)。

数あるコナンメインテーマ弾いてみた動画の中で、ひねり方が酷似してるんですよね。動画はいちおうこれを置いときますがこれがござさんと似てると考えるのは単に自分の偏見です。似てるというか、ござさんのいうところの数あるコナン弾いてみた動画のなかで、一番傾向が同じと思われるので。

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ふたりのアレンジがはっきり違ってくる点は2番から入れてくるアドリブがそれぞれに個性的な点だろうか。そしてほかの弾いてみた動画とは、これらのアドリブとJAZZの傾向が組み込まれてる点が違う。

 

ござさん版アレンジでは、2番部分がブルース調になったりウォーキングベースが走ってたりして、ライブでもこのJAZZふうな口調は堅持されててピアノが重たく感じることはなかったというかむしろ硬い音にはこの曲は合ってて不自然さはなかった(だからそのかわりにキラキラ感は消えてたけど)。

(というわけで自分は徹頭徹尾、ござさんアレンジが好きでそれ以外は聞かない)

ござさんが他の動画投稿者さんのアレンジをリスペクトしてるのは、編曲者として多様なアレンジの発想に対しどれも面白いなと思ってからだと思う。

ちなみにアニソン枠でも、コナン動画と同時期にソロ動画として投稿されていたLast Train Homeはどこ行った?って思ってますが……また別の機会にどっかに収録されることもあるのだろうか……気長に待ってみよう。

 

この次のMCで前にも増して息切れしてるござさん。

やっぱりリクエストコーナーにいろいろ盛り込みすぎです。

ね?そんなのご自身で選んだんだからわかってやってるんでしょ?それをですね、自業自得っていうんですよ。わざわざ鬼畜アレンジ曲ばっかり拾ってどうするんですか?あのですね、リクエストコーナーのあとに計5曲も控えてる計算なんですよ?ちょっとそういうのを視野に入れて選びましょうよ、リクエスト。

宝島については第一回ねぴらぼが初演だったけど、今回それぞれの原曲へのリスペクト多めに再アレンジされたとのこと。

手短に説明された後、コンサートの演奏はこの三曲をもってラストとなった。

宝島、家路、「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズ

宝島とござさんのこと 

宝島のことを勝手に補足すると。

(※個人的にいうと、自分は生粋の吹部員だったし吹奏楽オタクなのに、なぜか宝島を演奏したことがなくて吹奏楽バージョンは実際のパート分けとかは詳しくは知らない。)

MCで語られていた通り第一回ねぴらぼが(配信のみだったけど)、この曲に関して言えばグランドピアノでの演奏の嚆矢だ。

ござさんの音楽活動は宝島をもって幕を開けたと言っていい。それくらいあらゆるところで、あらゆるアレンジでござさんのピアノ人生を彩ってきた名曲。ござさんの歩む道のターニングポイントで目立たないけどいつも重要な位置を占めてきた、ござさんにとっても思い出深いであろう、ファンのの自分らにとっても特別な思いが胸を去来する曲。

この曲の登場する演奏を振り返ってみても、投稿動画とかひとり合奏とかソロコンサートとか生配信とか、枚挙に暇がないとはこのことだ。

(頭出し済み)

 

(頭出し済み。ねぴらぼライブ告知放送の冒頭で景気よく宝島をひとりセッションしてたかと思うと、ライブ告知後の配信後半で色々思うところを語られている。でももうこの話も過去の事であり、この時代には戻れないし、もう戻らなくていいのだとファンとしては色々な安心感と感慨をもってこの配信を振り返っている)

 

そんな思い出の曲であるので、いざこの曲が単体アレンジ動画としてYoutubeにちゃんと上げられてきたときも、自分は虚を突かれた気がしていざ聴くとなると精神的に動揺し、あんまり冷静にこの曲と向き合えてはいなかった。

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そんなもやもやする気持ちを抱えたまま今回のコンサートに参加したため、なんかこの曲に関しては自分の中であまり整理できてない。

吹部民としてはあんまり記憶にはないけど、ござさんファンとしては余りあるほどの思い出がこの曲には詰まっている。最初の1stアルバムにsecret baseは入れられてたのに同様にねぴらぼで演奏されてたこの曲はなんで収録されてないんだって当時自分はこっそりと憤っていた。

ござさんのアレンジは生配信でも同じ演奏は無いように、この曲のアレンジもひとつの案としてこの動画のバージョンという結論を得たのだろう。しかしまた生配信などではふたたびアレンジは変遷していくのだろうと思われる。

アルバムに収録され、また今回のホールで演奏された版は今の時点でのござさんのなかでの最適解なのだろう。

その発想がピアニストとしてはぶっ飛んでるけど。T-SQUARE&吹奏楽版どっちもいいからじゃあ混ぜちゃえばいいじゃん、という普通誰も思いつかない謎のノリでほんとにこの偉業をやってのけている。

混ぜちゃえというか。

それぞれの版の特徴を丹念に拾いながら、ござさんがこだわる萌えポイントみたいなのを配しつつ、前半はおもにT-SQUARE、後半は吹奏楽版を重点的にまとめてふたつのアレンジを美味しいとこ取りしてみた、というか。

なのでこの曲の演奏は、ホールでも冷静だったというか、ラテン調の入ったフュージョン曲だけど情熱がほとばしるという風ではなく、むしろその対極の、楽曲を俯瞰して冷静に眺めながら全体のバランスを考えるみたいな演奏が印象的だった。他の曲もアルバム収録のアレンジが中心だから全体的に冷静ではあったけど、この曲はよりいっそう原曲を分析する要素が強めだったからかも。

そして自分からは手元は見えない角度だったけど、聴いてて、あれ???って思う和音がでてきてこりゃピアノが弾きにくいかなんかで設定とは違う音弾いてるなと思いつつ、しかし弾いてる音が予定と違うなら違うで、それはアレンジの振り幅の範囲内ということにしたのか、当日のアレンジはそういうパターンだったのだなという拡大解釈?の中にふつうに納められていた。

(アルバム収録音源がすばらしすぎて、手元に届いてから本番までの数日でめっちゃ聴きこんだから、またYoutube動画でも聴き倒してたし、なんか曲の展開とか和音とか変なの混ざってたらぴんとくるくらいには耳慣れている曲なので)

 

宝島はござさんが音楽と、ピアノと生きていくうえで、常に大切に携えられている思い出の曲。

今回の大きな節目でござさんがこの曲を手に新たな局面を拓いていくところを目の当たりにした気がして、その劇的な場面に立ち会ったのだという意味で、このコンサートに来た目的はいろいろあるけどこの曲に現場で出会えたのは大きいなと思った。

 

なんかいつもと違う家路

家路っていうのは愛称である。正式名称はドヴォルザークの交響曲第九番「新世界より」から第二楽章のことである。あまりにも有名な郷愁を誘う旋律は、迫力ある第四楽章と共に世界中で親しまれ、そして愛されている。

オケ原曲の動画。オケではイングリッシュホルンが朗々と有名な旋律を歌い上げる。(なんかホルンみたいな名前だけど実はオーボエの仲間の中低音を受け持つ木管楽器)

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この第二楽章は日本では歌詞をつけられてて、よく小中高生の宿泊学習とかでレクリエーションの一環で合唱曲として歌われたりもすることで有名だ。

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-------------ここまでは世の中に知られるステレオタイプの家路。

 

そういや、ござさんのピアノアレンジにおける、アルバム音源録音前の習作みたいな動画があったのを思い出した。この動画の中に家路が収録されている。この録音と今回のアルバム音源もまた全く演奏の表情が違う。

youtu.be

 

さて。

この曲、要するに原曲がクラシックという枠を超え、時代と国境を越えてポップスのノリで愛される勢いの人気曲なんですよね、これ。

ござさんのレパートリーとしてもおもに生配信で様々にアレンジされ、その時々で違う表現ながらこの印象的な旋律は大切にされてずっと演奏されてきた気がする。

確かコンサートというかイベントだと、京都の桜音夜で弾いてたことがあるかもしれない。でも人前での演奏はそれくらいだったかもしれなくて、生配信で常に違う姿を見れるのもその場限りの楽しみではあるけど、こういうちゃんと目に見える形でアルバム音源とそのアレンジを生で聴けるコンサートという場は非常に貴重なものだったと思う。

……ていう、原曲も素敵な家路がござさんのちょっとひねった現代的な和音をのせてひとつひとつ噛み締めながら曲が展開していく……という音の風景を、ござさんと客席のファンで共有するゆったりとした時間、になるはずだったんですけど。

 

あれ?なんかノリがいいぞ???

というかこの直前の曲の宝島のノリのまま、ちょっとPOPS寄り?ラテン風?かなんかのリズムが付与されたちょっとだけ元気のいい家路になっていた。

なんだそりゃwww

って自分は席でメモ取りながらこっそりと脳内でツッコミを入れる。ハリセン持ってたら舞台に上がってござさんの後ろからシバキ倒したいところですが弁えてるファンたる自分はもちろんそんなことしませんのよホホホ。

じゃなくて!

ホールで聴ける貴重な機会、配信以外のグランドピアノで聴ける貴重な家路の演奏を返して~~~~~!っていう一人ボケツッコミを脳内で繰り広げながら、ちょっとだけ肩を震わして客席の端っこで苦笑する自分。

そうこうするうちに、家路のおもろいアレンジは短い尺で終わりを告げたのだった……

 

「津軽海峡・冬景色」によるパラフレーズ

この曲もござさんのPOPSアレンジというか、ほかのいろんなジャンルを演歌調に変えてみたりとかいう場面で使われる鉄板中の鉄板ジャンルということができるだろう。

アルバム収録前と思われる、去年投稿されてたYoutube動画を置いときますが、やはりアルバム音源とは似て非なるもので、演奏としてはYoutubeは習作の段階なのだなというのがはっきりわかる。

 

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しかしこのパラフレーズってなんなんですか、いつのまにそんな肩肘張った表現に……要するに原曲の主題から取った変奏ってところですか。パガニーニの主題による変奏曲みたいな感じ?

お題が最初にシンプルに提示され、そこから展開・発展していくパターンですね。

個人的にはこのYoutube動画が投稿されたとき、ちょっとペダルの音が大きめなのが気になってたので、今回アルバムにも入ったしコンサートでも聴けて、もう思い残すことないです。

えーと……家路がエチュードとエリーゼと共にクラシック枠ぽいからこの津軽海峡は、いわばJ-POP枠ってところでしょうか?演歌ってもはや若者世代にはあんまり存在を認知されてないみたいだし、広くPOPSの枠に溶け込んでるのかもしれない。現代では演歌に歌われてるような根性で我慢するって風潮はもう過去のもので、歴史の教科書の中のことみたいに語られてるらしいから。

 

しかし。名実ともにこの曲がコンサートのラスト、トリを飾るメイン曲。演歌風にこぶしをきかせているが、しかし後半からはござさんのアレンジに多用される変則的、前衛的で、定番の音楽理論からはたぶん外れてるのかもしれない和音が聞こえてくる現代音楽風アレンジ。今回のコンサートが全体的にアルバム音源を踏襲していてあんまり道を踏み外してないというか、この演歌アレンジも発表されてる通りの作風から大きく変わっていなかったので、コンサート全体としては、冒険要素はなくてアルバム収録曲の広報に徹していた印象はあった。

ていうかですね、コンサートなんだしこの公演を録音とかしないんだから、当日の演奏ならではでちょっと遊びを入れたアレンジくらい入ってくるのかなあ(ワクテカ)って待機してたんですが、そうしたアドリブ演奏含めて今回のコンサートというかツアー全体かもだが、遊び要素は少なめと思われた。

 

この曲も含めて、ござさんのアレンジは常に変貌を遂げている最中なのであり、自分らファンは常に変遷をたどるアレンジの瑞々しい姿をちょっとでも記憶にとどめようと必死についていく。

一瞬目を離すと、ござさんが描き出すアレンジの鮮やかな印象はもう見れない、聴けない、味わえないかもしれないから。

でもいつもござさんはファンが真摯にござさんのピアノに向き合っていればいつでも呼びかけに応えてくれる。ござさんのピアノといつも一緒に居たいと思うとき、ファンのスタイルにあわせて、すぐそばに、手の届くところに、待っていてくれているイメージがある。

 

※アルバム収録音源についてはシロートの自分がダラダラ語るよりも、公式インタビュー記事が出てるのでこっちの詳細な内容をご覧ください。

spice.eplus.jp

 

アンコール

さて公演の全プログラムが終わり、アルバム収録曲を弾き切ったござさんは心地よい疲れをたたえたような表情で、万雷の拍手に見送られながらステージの袖に姿を消した。

自分らファンはこの後にお楽しみがくるとわかってるのでさっさとアンコールの拍手にうつる。え?だってオーケストラのアンコールと違い、ござさんはこういうとき間髪入れずにすぐにアンコールに入ってくれる傾向があるので。だって本編の演奏だけで終わるってあまりにも画一的ですしね?

ていうかアンコールとかの即興演奏がござさんのコンサートだとむしろそっちメインまでありますよね?ファンみんなの総意ですよね?

というわけで速やかにござさんは再登場され(ありがとうございます)、おもむろにマイクを持ってMCを始める。

「ではここでカゲアナウンスの方に……」

誰ですか?カゲアナウンス……?

じゃなくて、影アナウンスさんのことだった。袖でアナウンス流してくれるスタッフさん、という意味だったらしい。アンコール演奏に先立ち、アナウンスの方があらかじめ決まっていた台詞を読み上げてくださる、という算段だったようだ。

アナウンス(要約):

「アンコールの演奏時におかれましては、撮影は問題なく、また、SNSへの投稿につきましても、問題ございません。撮影される皆様におかれましては法令遵守のほど、よろしくお願い申し上げます」

という意味の内容が放送され、客席から控えめな、しかし大きな反響と拍手が沸き起こった。

ていうかいちいちこの棒読み状態のアナウンスにござさんがボケるというか、いちいちステージ上で一人でリアクションしててその姿がまたウケる。

コンサートでときどき話題のアンコール演奏に限ってネット投稿オッケーってやつじゃないですか!一回そういうのやってみたかったんですよね!しかしそのあと動画撮影してみるも自分の化石同様な型落ちiPhoneでは画質・音質ともにダメすぎたので、この記事をお読みになってる皆様におかれましては、Twitter等でこのツアーのタグがつけられてる動画を検索いただいてアンコール演奏をお楽しみいただきたいと存じます。

果たしてアンコールの即興演奏は、大きな古時計だった。

やはり即興演奏はござさんのコンサートのメインコンテンツの名に恥じない素晴らしさです。

アルバム曲のアレンジとかいうしがらみから解き放たれたござさんは、それまでの日本語よりも100万倍くらい流暢にピアノで喋る。自由自在に鍵盤の上で羽ばたく。

このアンコール動画の撮影は、自分がライブ行けないときは、現地の演奏を知る唯一の手段でありお楽しみ要素でもある。

著作権問題ですか?3000曲以上のレパートリーを誇るござさんには、もはやレパートリーというがいねんというかその辺の物音も拾ってアレンジしてなんか曲作るくらいですし、弾いちゃいけない曲を避けてもこういうときのためのストックは無限にあるから大丈夫ですし。

しかし選ばれたのはみんな知ってる大きな古時計で、その中にウォーキングベース、ストライドJAZZ、ワルツ、壮大な和音と連符とアルペジオ、下降する左手の和音、なんか全部載せで、ござさんの浮き立つ気持ちがそのまま表れてるような楽しげなアンコールだった。コンサートをひとまず終えたという安堵感からか、短い時間でもなんかできるなっていうござさんのお茶目ないたずら心からか。

ノリノリで弾く姿は自分らファンが大好きな、ピアノと戯れてる無邪気なござさんそのもので、ああいつまでもこうして楽しそうに弾いててほしいなっていうファンの願望をステージ上にしばし留めてコンサートは幕を閉じた。

 

※えーいちおうツアーの尼崎公演の感想はここまでです。自分はあと三か所のツアーも行くつもりですけど日程は詰まっていて感想書くかどうかわからないです。そのためというか、まず初回に行った場所の感想ということで尼崎での印象をまとめてみた。

ほかの三か所は、都合がつけば書くことはあるかもしれない。

ではとりあえず尼崎のことはここで筆を於く。

 

 

 

番外編① ---グッズと楽譜を巡る物語

 

この記事は、ござさんのソロツアー尼崎公演の、グッズ関連のスピンオフです。

コンサートの感想は別記事になります。ご了承ください。

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

完璧を期す

(※ちなみに完璧の語源は史記から。「完璧」の由来となった物語 【意味・例文・年表・歴史地図】 )

 

さて、ソロツアー尼崎公演から遡ること1週間、公式アカウントにて告知があった。

公式グッズ

 

グッズ?

グッズ??

グッズですって???????

いまグッズ先行販売って言った???

もう一回言ってもらっていい?????

兵庫公演でグッズ販売?

世の中では公式グッズには単に公式が出すラインナップと、その年のツアー関連の公式グッズがあるけど、ここで言われてるのはツアーとアルバム発売のタイミングで出した新しいグッズ、というほどの意味らしい。

 

とにかく。

2021年の1st アルバム EnVisionリリース時の公式グッズ販売以来、5年。公式サイトの通販ページはずっと品切れになっていた。

というかホールのコンサートってふつう黒字出すのは大変で、CDもアコースティックな分野で利益でるほど売れるのは例外と言われてるし、だから演奏家がどこで利益出すのか?というと、やっぱグッズになるはずなのに、今までグッズの追加生産もツアー限定グッズの新規販売も全然やってこなかったのに?

どしたん????

どういう風の吹き回し?(勘違いしないでいただきたいがこれでも喜んでる)

グッズって別にピアノと関係ないやんと思われたそこの通りすがりのかた、その通りです。だからこそ今まで追加生産されてなかったのも当然かもしれませんけど。

しかしファンはグッズを身につけることで推してる人を身近に感じるもんなのです。

そんなんアイドルといっしょやん、もっとピアノを聴けって?はい、その通りです。

でもファンはピアノ以外のところでもいろんなシーンでござさんと関連づけられていたいものです(そうですよね?

それにコンサートにそのまま持っていけるグッズもあるし。共通のものを持っててファン同士で盛り上がれるのも公式グッズならではです。

(しかし応援のスタイルには各々思うところがおありだろうから、ここに書くグッズ観は自分の私見であり一般論ではないことをご了承ください)

とにかく。

ここにきて新しい公式グッズ?ファンのみんなが5年間待ち望んでたやつ?

しかもロゴめっちゃおしゃれやん?

品ぞろえもなんかめっちゃツボを押さえてて、これは売れるぞ???

例を挙げるときりがありませんがね。なんなん直筆サインカード入りパスケースとか、どこに巻いてもおしゃれ度アップのロゴ入りスカーフとか、ブレスレットってまさかのアクセまで出してきた(ござさんジャケ写でアクセに目覚めたんか?)、革キーホルダーってのも軽くて実用的ぽいし、眼鏡ケースって自分も小学生時から眼鏡を手放せない身からしたら神グッズ、極めつけにガチャですか?

ガチャって回せば回すほどほしいやつが手に入る確率上がるから、ついついいくらでも回しちゃうっていう依存度爆上がりで話題のアレですか?パチンコと原理があんまり変わらないっていうアレ?(ちょっと違う)そういうのは個人の財力に依存してるところがあるので自分は導入に反対だったんですけど…ついにござさんは手出しちゃったんですか?なんでですか?????(ブツブツ)

えーでもガチャの中に、こないだ5/2の秩父のbudoフェスで着けてたと話題のピンバッジあるじゃないですか(手のひらクルー)よく見たらコインケースもちゃんとした造りで気になるし(さらに手首がちぎれそうになる)

 

このグッズラインナップと販売時間を一瞥するやいなや、自分の中で

「公式グッズを絶対に手に入れる委員会in尼崎」

なるシステムが起動し、クロック周波数5GHzで自動的に演算を始めた………

「ねえこれさ、通販って書いてないよな、兵庫で先行販売で物販ブースのみなんだな、これ買いにみんな殺到するんちゃうやろな????????販売時間11:30~12:15ってそれ、たったの45分間しか無いやんかい、並ぶと想定される人数に対して45分間でなんか絶対に捌けんやろと思うんやけどな?現実を甘く見てない?」

「ていうかなんで発表がコンサートの一週間前なん?コンサートに合わせて各種移動手段を予約してる人も多いとは考えんかったんか?????グッズごときにそんな買いに来んやろと思ってる??????現地で買いたい人は少数派って見なされてるんか、やっぱ甘くみられてるな???????」

 

というわけで、同志に迷惑メールbotみたいに脊髄反射で呼びかけ、行列志願者を召喚し、額を突き合わせて水面下で作戦を練る。ヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソ砒素……三人寄れば文殊の知恵、出た結論はというと。

関西というアクセスの良さから、現地に行けばグッズ買えるという設定のもと、絶対に行列ができるはず。ということは販売開始時間どおりに行って買える保証はない。しかし、行列開始の許可時間は書かれてない。つまり、並ばないけどロビーで待ってることは禁止ではない。という結論になる。

 

結局当日、自分は電車を乗り間違えて30分ロスし、現地到着は10時半。しかもそのときすでに、先客が2人いた。おそるべし、公式グッズを絶対に手に入れる委員会。

今考えれば通販はおそらく絶対あるはずだが、自分が朝から行ける数少ない立地の大阪ていうか兵庫で、こういうの一回並んでみたかったのはある。ござさん界隈に行列できるのを見るのは、2ndアルバム発売時のござの日以来という気がする。なんか知らんがわくわくするじゃないですか。

 

ーーーー当日の顛末ーーーーー

販売開始1時間くらい前に、スタッフさんが

「このエリアはアルカイックホールのロビーであり公共の空間のため、長時間の行列によって占拠することはお控えください」

「散会してまばらな状態で待機してください」

と注意事項を説明されていた。なるほど。関係ない人にはこの行列は単にスペースを占領する邪魔ものだ。

しかし販売開始10分前になってスタッフさんが「現地に来られた順に行列にお並びください」と指示される。そんな現地に来られた順ってなにそのテキトーな概念?証拠ないじゃんよ?と思いつつ、とりあえず自分は2列に並んでいーよと言われ、2番目に買えたので、あらかたほしいものを買いガチャを2回まわしてみた。スタッフさんからなぜかコンサートでコインを買ってカプセルガチャ回す。意味わからんシチュエーション。

 

とにかく自分は開始10分で購入を終わってしまった。そこで後ろを振り返ると何人並んでるんか数えることもできない。というわけで委員会の目的は無事に遂行できたのであった(なんのこっちゃ)。

ロゴ(グッズオリジナルのデザイン)

ここで何が話題を攫っていたかというと、ロゴだったと思う。だいたいござさんのアイコンイメージはニコニコ生放送では無名から自動的に「_ 」の記号が割り振られてあんだば先生って呼ばれてからの、ファン投票とその後日譚から、ござという呼び名が定着した経緯があるし、なんかビジュアルイメージがご自身からこれという代表的なのが発信されなくて、いまいち定まらない感じがあった。

Twitterは今もいらすとやさんの畳だし、Youtubeアイコンはファンの方のイラストのネズミさんだし、一時期はYoutube配信でペンギンかぶってたし、戦略としてビジュアルを売り込まれていなかった印象がある。

そこで2021年の1stアルバムリリース時にグッズ発売といっしょにこのアイコンがデザインされお披露目されたときは、やっとここに落ち着いた感があってアーティストとしてファンからみての拠り所みたいなのが出来た気がした。拠り所はピアノなんですけど、しかしシロートからみてなんか形があるのは安心する。

goza.jp

自分としてはこの公式サイトのロゴ好きなんだが、今回のグッズで採用されてるロゴが全く新しいものだったので、たぶんだけどグッズ向けに新しくデザイナーさんに依頼されたのだと思われる。要するに、グッズ向けに、より一層ファッション性を持たせたイメージ?みたいな。一目見てござさんのグッズってわかるように、Oの英字にト音記号が重ねられててピアノっぽい。

アルバムの冊子の終わりにスタッフクレジットが挙げられててたくさんの人がこのアルバム(と、そしてまたツアー)に関わられているのだなと実感したし、またグッズのデザインという、ござさん本人と明らかに別の人々がプロとして参画されてるという事実を目の当たりにして、

「ござさんのピアノはこうしたプロの方々に支えていただいて、然るべきところに然るべき形で発信されることで、ようやく本来の姿を現し始めたんだな」

という実感がわいてきた。

いえ、グッズというあくまでファン界隈からみての需要という側面でここでは語っているが、その本懐はCDに収録された音源が物語っていることはいうまでもないけど。それはまた別のところで書く。

しかしやはり一連の流れを総括してみて随所にござさんの人柄は現れていると思ったし、やはりプロのスタッフの方々に関わっていただくことでこそござさんのピアノはいっそう輝くのだ。

正当に世の中から評価され始めた気がして嬉しかった。(いえ、正当に評価されてるとは言いません。され始めたと言っただけです。)

 

以下、実際に買ってみたもの。

コースター

ござ柄コースターは、前回はイグサ素材だったかもだが、今回のは横に©2026GOZAってタグがちゃんとついてて(ここポイント)、素材がラバーっていうかゴム?みたいなやつなのでちゃんと洗えて干せるし衛生的。だってコースターって今からの季節、結露するドリンク置くための必須アイテムですものね、洗えてこそです。

眼鏡ケース

売ってた状態ではぺったんこに畳まれていた。展開してみたら中は合成素材の起毛でフェルトみたいなやつ(なんていうの?)、折り畳みのマチをひらいて組み立てて三角形にして眼鏡を収納する。つまりふだんは畳んで持ち運び可能。これ、一泊する旅行とかにコンパクトでいいな。

しかし。普段使いする気にならない。飾ってもうしばらく眺めてからにする(意味ない)

リボンスカーフ

これは散々多くのところで語られてるのでいいですか?別にいいですよね?バッグの持ち手に巻くもよし、シャツの襟もとに結ぶもよし。いろんなシーンでアクセントとして。さらさらの手触りの10cm幅くらいの使い勝手のいいスカーフ。落ち着いた緑色。表にロゴ、裏は色が反転して五線譜と音符。

革のキーホルダー

素材が革だからか、緑色に着色というのは難しかったのか、色の展開は革そのままとブルーの二色だった。てのひらサイズのちっちゃい厚めの革タグに、キーリングが2種類ついてる。値段も手ごろでこれが一番実用的なのでは?という印象。

トートバッグ

ちょっと薄めのきなりの生地、帆布よりは薄いが帆布くらいの丈夫な印象がある。事務的サイズでいえばいわゆるA3超の大きさ。A4のもの(楽譜とかね)が幅も考えたらゆったりめに縦に入ると思えばいい。ちなみにマチの設計とかいう立体的なものはない。

これを買ったので物販ブースのスタッフさんはほかに買ったグッズ含め全部このトートに入れ始め、自分は「わー!全部、こっちのマイバッグにいれてください!」と持参したマイバッグを差し出す。はあ???と怪訝な顔をするスタッフ。「このいそがしいのに何言ってんねんこの人は。」って感じだったが、すいませんね、トートバッグも含めて綺麗な状態で持って帰りたかったんですよ。え?そんなの少数派?ほっといてください。

 

ガチャ

自分はこのシステムは嫌いです(個人的に)。だってパチンコと同じじゃないですか(上でも書いたな)。何回でもお金出せば回せちゃうし(理論的には)、人によって出る商品にばらつきと偏りが出てしまうし、意図せずして不公平な状況を招きません?

という小学校の先生みたいな理想論は置いといて、実際にやってみたらこれが一番楽しかったまである(てのひらクル―)。

その場でガチャの全然キラキラしてない昔ながらの昭和っぽい機械があってコイン入れて回す、え?ウチはこんなことやりにここまできたんか?何やっとるんだと自問自答しながら、ダイヤル回すとなんかカプセル落ちてきて面白い。ガチャガチャ、なにげに人生で初めてかもしれん。

その場で商品確認する時間は無かったので、グッズを取ったらカプセルをスタッフさんに返却し、その場を離脱してよく見るとなんかピンバッジだった \(^o^)/、それと缶ミラー。FFさんと協議してはんぶんこ。(ほかに革コインケースとか巾着があったらしい)

ここで強く言いたい。ござさん、ライブにはこんくらいの楽しみはあっていいと思うんですよ(ファン目線だと)。なんか新しいネタをありがとうございます。

 

楽譜

グッズ告知と同時に上がってきた楽譜販売のお知らせ。

公式グッズ発表で舞い上がっていた自分の頭上に、突如浴びせられた冷や水。

 

1st アルバム連動の楽譜集以来、月刊ピアノ連載も新シリーズになり難易度が上がってシロートには手が出ない域になりもうシロートは練習しなくていいってことかなー(違)って安穏と構えてたところに突如3rdアルバム連動の楽譜集。一見、おだやかでゆったりした平易な曲が集められてるのかと錯覚するが、それは全部ござさんの策略だ。

ござさんはにっこりと微笑みながら、グッズで浮かれているファンの背後に佇み、そっと肩を叩いてこの楽譜を提示し語りかけるのだった(という幻がみえる)。

 

「ね?ちょっとずつでも、練習してみましょ?ピアノ、楽しいですよ?住宅事情?最近は電子ピアノとかいう便利なものもありましてね、諸事情に対応可能ですし……」

「あっネタとして月刊ピアノの連載に楽譜と解説を載せてますし」

「アレンジの運用はござ式の本をご参照いただき、ご自身で解釈をひろげてみてください」

 

ござさんの楽譜はシロートの自分が断言するけど難解を究め、技術的にも演奏は困難きわまりないのだ。

どこがって?基本的に単音の旋律とかいうイージーエリアはなくて、隙あらば旋律は全部和音で動く。しかも不規則な和音展開だから脳内で次はこれかなーって惰性では弾けなくて緊張が続く。

左手がもっとイレギュラーで、単純な伴奏っていうんじゃなくリズムをかたちづくったり、旋律の和音を補助したり、ていうか左手が旋律を担当したり、という具合にひょっとして右手よりいそがしいし油断ならない。

指使いもセオリーじゃないから書きこんでどうするかをいちいち研究しないといけない。んで案の定どうやっても運指が物理的に不可能エリアがあったりして頭を抱える。

 

しかし、練習を積むとやっと光明が差してくるみたいな、修行の果てに救いが見えるというかなんか一筋の達成感が見いだせる瞬間もなくはない。そのわずかな満足感を得るために膨大な練習を積まないといけないが、ござさんはシロートの自分らファンに(いえファンにはシロートばかりではないと思いますが)そうした修行を積めと暗に誘っているのだろうか。

ストイックな練習って楽しいですよと。

ござさんの楽譜の恐ろしいところは、練習を積んでうっかり弾けてしまったときに、えもいわれぬ耽美な曲展開とか前衛的な和音の刺激とかいう中毒要素がすごすぎて、普通の平易な曲で練習したいのにそれじゃ嫌だと思ってしまうところでしょうか。

この アルバムEvolution 連動の楽譜も手を出すとうっかりそういう沼にはまる危険をはらんでいるのだが。

(だいじょうぶシロートには今の所、この楽譜集には沼にはまるだけの簡易な曲はなさそうだからまだ安心)

そんな危険をはらんでると知りつつも、グッズ売り場に積まれてる楽譜集を見て買わない選択肢はない。え?すぐに弾けなくても買ってもいいですよね?練習するつもりがあればね?いつ弾けるかはわかりませんけどね?(弾ける民にしばかれそうだな)

 

なんか妄想を語っているが、しかしござさんファンの自分はたぶん幸せなんだと思いますね、

生配信で毎週いつも新鮮ていうか斬新なアレンジを聞けて(過去と同じアレンジはあまり無いといっていい)、

リクエストにすぐ応えてくれるし(全部にとはいってない)、

アレンジの秘訣は本になって刊行されて、

雑誌にも毎月新しい楽譜と解説載ってて、

代表的アレンジはアルバムの音源で聴けるし楽譜見て演奏してみることもできるという。

理論がわかればおもしろい。でも理論を知らなくても直感でござさんのピアノは面白いし楽しめる。

 

楽譜がどうだったかって?それはござさんと同じくピアノのプロのご意見を聞きたいところですね……

菊池さんはここ数年おいそがしそうにしておられたところですが、やっぱ休憩よりも練習が好き同士、暇があれば10時間ピアノ弾いてても楽しい同士としてござさんと菊池さんには同じアレンジ文化を共有してもらっていたいというか。どっかで同じようにピアノで遊んでてほしいと思う。もはや時間的に無理があるのだけど、だからこそ菊池さんにはこの楽譜とアルバムでもご覧いただき、好き勝手にさらに魔改造して遊んでみてほしいなと思う。

すごいっていうかね、菊池さんのアレンジを楽譜に起こせばこの曲どころじゃないすごいのばっかりが出来上がりそうですが。そういうの見てみたいんですが?菊池さんどうです?(と誰も聞いてないのをいいことに好き勝手つぶやく)

 

 

 

 

 

 

画期的インタビュー-----Budoさんから見たござさん

 

2026/3/30に投稿されていた「厳選 ! 目で知るクラシックチャンネル」のYoutube動画

"前職は介護士!?ピアノ系YouTuberのレジェンド「ござ」を徹底解剖!"

について、いちいち文字起こししながら振り返ってみるだけの記事です。

だいぶ時差投稿ですが気にしない。

 

目次:クリックで各項目へ飛べます。

 

 

千載一遇

この「ござさんを深堀ってみよう」の動画は、インタビューであってピアノの演奏はなく、ござさんのプロフィールをbudoさんが詳細に聞き取りしたというスタイル。

第三者の目線からいちいちツッコミを入れることで、ござさんの無意識の領域、潜在的な感覚とかを見事に引っ張り出していた。

ファンから見てもわからなかったポイントをあらわ にしてくれた気がする。

今回投稿されたインタビュー動画の内容と好一対をなしてるのが、2025年11月のしまなみ海道ストリートピアノに出演された際に、今治のコミュニティラジオでござさんがインタビューに答えられていた企画。(←スマホにヘッドホンを当てて録音するとかいうラジカセ時代みたいな方法でちゃんとデータは残してる)インタビュアーの質問もかなり踏み込んだものだったけど、対するござさんの口述もかなりくだけていて素に近いものを感じた。他人の眼を気にしないでしゃべるとこうなるのかーという。

今回の動画を見ると、あのときラジオで話してたときのご本人の自覚されてる立ち位置との違いが、まざまざと浮き彫りになっている。ござさんの自覚と、客観的な印象はこうも違うのか。

 

今までプロフィールのまとまった情報は公式サイトが2021年に開設されてから徐々に情報が追加されていったが、でもそれを見ても、初見さんは多分いまいち概要がつかめないと思うんです。

(↓ 公式サイトのプロフィール欄)

goza.jp

 

ひょっとしてこの惨状はござさんが意図してこういう状態にしてるのかもなと最近思い始めた。ピアノ演奏に焦点を当てて注目してほしければ、バックグラウンドはノイズというか雑音なのかも。時間が流れるに任せて個人情報は記憶の彼方に消えていくように、自然に淘汰されるのを待ってるように見える。

しかし。そうは問屋が卸さない。

よく考えなくてもござさんの経歴は誰が聞いてもびっくりするし意外だし、色んな意味で示唆に富んでる。

budoさんが動画の企画として取り上げてくださったのはそういう人目を惹く要素があったからだと思う。しかし理由はなんでもいいから、ござさんからの公式情報ではまだまだ秘匿されている正確な情報をわかりやすくまとめてくださったので、もうちょいこの記事でさらに深堀りしてみようとするものである。

 

ござさん大先生を深掘ってみようのコーナー

あまり知られてないござさんの生い立ちとかバックボーン

ござさんのプロフィールは元々はニコニコにまとめられている。このページの最後に箇条書きで簡単な来歴がある。

しかしこのページはファンが作ったまとめページで、公式情報ではない。そもそもニコニコ生放送してた時のことだから作成も2010年当時の情報で古い。まあでもござさんのネットピアノ活動の来歴はニコニコ(とか)由来だから少なくとも必読ではあるが。

あんだば先生というニコニコ生放送時代の愛称自体が、名前未登録で生放送してたら自動的に_(アンダーバー)の記号が割り振られて、そこからファンにあんだば先生と呼び習わされて親しまれてたくらいだから。名乗ってもないのに"先生"って愛称をつけられるのが、ござさんの人となりを端的に表してると思う。

 

そのあとござさんが発信されたプロフィールといえば、2019年当時の情報がある。

自分はこのツイートをことあるごとに引用するので存在を知ってるが、しかしもう7年前のことで検索しないと出てこない。さらに、巧妙に今の年齢とかわからないように細かいことは伏せられてて肝心なことはわからない。

 

Youtubeチャンネルにも紹介動画があるけどこれはピアノのレパートリー紹介であってござさんのプロフィールではない。演奏家としての詳細はわかるけど、なぜそういうレパートリー構成になったのかという足跡はたどれない。

 

 

ござさんはピアノ弾いてればピアニストとしての自己アピールになると思われてる節がある。

しかし世の中では通常、ピアノ演奏以外のことがアピール要素としてものを言う。要するに肩書ってやつが。

音楽的に肩書なんて意味ないはずだが、しかし世の中はそれによって回っている。

 

Budoさんから見たときに、ござさんの生い立ちとバックボーンこそ最大の肩書と映ったのだろう。

その通り。だと思う(ファン目線)。

かくして第三者のBudoさんから客観的に見たござさんのプロフィール大解剖動画が作られることとなった。こうでもしないとござさんは自分のこと喋らないし過去の事振り返りませんしね。

強制的に日の当たるところに引っ張り出していただかないと永遠にまとめられることのなかったであろう、音楽専業になっても6年もの間放置されてた断片的な情報をまとめていただき、ファンとしては嬉しいです。

謎でも何でもなく調べれば出てくる情報(年齢とか学歴以外は一応公開されてる)。しかし調べないと出てこないし、新しくござさんを知った方はそういう来歴を知らなければ調べるきっかけすらなくて漫然とYoutube配信を聞き流すだけになる。

なんともったいない(ほんとに……)。

Budoさんにはこれを動画としてまとめられた動機というのはまた別の理由があるのだろうけど、とにかくござさんファンとしてはご本人からでないと公式にまとめようがない件に正面からツッコミをいれていただきありがたい限り。

 

ミステリー:"ボーダーレスござ"はいつ生まれたのか?

・出身は東京で(住所として)一回も外に出たことがない

ござさんが初期にソロでのコンサート会場を東京から他の場所に移さなかったのはなぜか、っていうのがこの発言で分かる気がする。東京に住んでると文化的に手の届く範囲で興味とか行動が完結してしまうので、わざわざどっか行こうっていう発想が無いのかも。

ござさんは語りがアナウンサーみたいで落ち着いてて好きっていうのはあるな。Budoさんいわく「シティボーイですよ皆さん!!!県立じゃなくて都立高校‼」(そこ?)

じゃなくて。「方言なくて、語りに安心感と包容感がある」。これの理由は東京生まれ以外にもこの後のお題に解答が語られてると思う。

しかし。ござさんはレパートリーも地域とか時代とか国境とかをすっ飛ばしてるし、どこに住んでるのかあんまり関係ないというか、東京に住んでるっていう自覚がござさんには全く無いのでは。ござさんにとっては住んでる場所がネット上で、物理的にどこにいるかとかどこへ行くかとかどうでもよかったんじゃないか。

最低限、出身が東京であることがござさんにとって何が利点だったのか?通えるところにピアノ教室とか大学があったことと、実家に帰省するのに労力使わなくていいところくらい?

 

ござさんは語ってても終始サラーっと次の話題に行こうとするからBudoさんがいちいちテロップで強調し、繰り返しツッコミ入れないと「あ、そう」みたいな感じで軽ーくかわされる。最初から最後まで絵面がシュールすぎる。たぶん脚本があるんだろうけど、ござさんは常にこの調子だから演技じゃなくて素だなと思われる。

小中高時代

ござさん:「高校卒業するまでは街のピアノ教室の先生に通ってて、クラシック分野を中心に練習してこの頃の音楽のベースはクラシックでした。学校も公立小中から都立高校から某一般大学の商学部で経営を学んでました。」

ちなみに補足すると、

・小学校のころはピアノ教室以外にも公立図書館でCD借りたりして片っ端から聴いていろんな曲に出会ったらしい。おもにベートーベンとか?なんでベートーベンなのかというと、家で親がベートーベンのピアノソナタとか流してたかららしい。

・それから小学校のころにいわゆるパソコン室で休み時間に作曲ソフトかなんかで作曲して遊んでたこともあったらしい。この曲はいつかの配信で演奏されてたが、その曲は拡散してほしくなさそうだったのでいつの配信かはここには書かないが。

はい、ござさん、こういう情報はご自身で申告していただかないとBudoさんから話題を振ることはできないんですよね。ふつう学校で休み時間に曲作るとかしないんですよね。というか休み時間だよっていわれて曲作って遊ぶあたりがね、今のピアノのリハーサルで休憩時間にピアノ弾いてるのとあんまりやってる事変わらないですね。ピアノを仕事にするって、こういう細胞レベルで寝ても覚めてもピアノ好きな人だから成立するんだろうなって思ってる。上手に弾かなきゃ、練習しなきゃとかいう義務みたいな意識がござさんには微塵も感じられない。そういう発想なさそう。

(このあたりのことは対談動画にちょっと残ってたかもしれない。違うかもだけど。ご参考までに)

 

Budoさん:音高=音楽大学付属高や音楽科コースの高校には通わなかったんですか?

ござさん:普通の都立高校でしたねえー

ここでも補足すると普通の公立中から都立高校へ行くにあたり、中高で部活は吹奏楽部に入り、ピアノ以外にも音楽的な活動をされていたという件を追記したい。

今も吹奏楽曲はござさんのレパートリーの一角を占める。

自分も吹部民だった身から言わせてもらえば、ござさんの担当楽器は中学でクラリネットつまり旋律担当、高校でユーフォニウムつまり和声を構成するパート。ということは、楽曲の様々な構成要素を身をもって体験されてるし、中低音を担当してたことは今のござさんの内声を自在に操って曲の展開とか表情を変える、いわばアレンジの根幹とも思える部分をこの時期に習得されたのかなあとも思ったりする(根拠はない)。

高校では指揮(吹部では学生が指揮する)も担当されてたとのことで、スコア解析からも楽曲のなりたちとか和声の仕組みとかいうことを自然と身につけてたのかも。

 

Budoさん:(大学も一般的な学部に行った)クラシック一本でやっていこうという考えはなかったんですか?

ござさん:クラシックも大好きだけど、それも含めて好きな曲を好きなように弾けるようになりたいと思っていた。正確にいえば音大は現役時代に受験するも受からず、浪人後に商学部に進学しました。

Budoさんはプロフィール調べればすぐ出てくるが正統派のクラシックを音大で学んでるから、ここからの展開がBudoさんとござさんで意識が違っていて見てて興味深い。というか、budoさんは一般的な従来のピアノ奏者=クラシック奏者の立場なのかもしれない。自分もネットでござさんを見つけるまではピアノ曲=クラシック曲だと思ってたし、クラシック曲以外がピアノで弾けるとは思ってなかったから、Budoさんのコメントに素直に共感できる。

Budoさん:(当初ござさんが受験した音大はクラシック系で)ござさんはそこには収まりきらなかったわけですね。一個の指針でしかないですから。今でこそ音大に行かずに音楽の道を志すルートはあれど、ござさんはある意味その第一人者なのでは?

ここでござさんがクラシック音楽研究の殿堂ともいえる音大とは袂を分かち、文系学部に進学したあたりでBudoさんがものすごく辻褄が合ったというふうに納得してるのを見て、ここがBudoさんのいう「ボーダーレスござはいつ生まれたのか?」という分岐点なのかもしれないなと思った。少なくとも世間のいう肩書を基準に見ればそうだ。だってそれまではクラシックピアノ教室だったんだから。

 

大学といろんなジャンルの音楽

厳密に言えば、「ボーダーレスござはいつ生まれたのか?」という問いは正確な答えはないとしても、自分は高校時代じゃないのかと思っている。大学生になったからピアノ教室をやめたから色んなジャンルをいきなり弾くようになったわけがなく、明らかにそれまでにいろんなジャンルを家で(アップライトのサイレントピアノで)練習していたからこそ、即座にクラシック以外のジャンルに跳び込めたのはあると思う。

ここでアップライトのサイレント機能つきピアノだったのは大きいと思う。アコースティックな楽器としての性能はこの際横に置いておく。サイレント機能だったから家で好きなジャンルを好きなだけ練習できたのでは?ニコニコ生放送やってたのも初期はこのアップライトピアノだったのだから、この放送を始めたのが大学時代だったとしても高校時代からずっと同様な曲を練習してたのだろうと考える。

 

……どうでもいいがピアノ教室も高校卒業と同時に卒業したと語られる中、この対談でもついに親の意向は語られなかった。自分は第一にござさんの努力と熱意に敬意を払ってるけど、それ以上に感謝してるのがご両親だ。

こんだけピアノ上手ならもっといい先生を選ぶとかコンクールに応募するとか、またはピアノが好きなら音大にがんばって受験しよう!と仕向けるとか、なんかどっかで関与してきそうなものだけど。自分が親だったら?と想像して、どっかで我慢できずに口出してそうだな、と子を持つ親としてはあらためて自戒する場面だ。

ござさんとピアノの人生にはやっぱりご両親の影はピアノ教室に通わせてくれた以外に関与の形跡がない。ほんとにない。ござさんの好きなように好きなだけピアノ練習させてくれて、人生の中でピアノとどういうふうに共存するかっていう選択もあくまで自主的にござさんが考えてるし、黙って遠くから見守ってくださってたからこそ今のござさんがあるのだなあとここに来てしみじみと感じられて、ほんとにただただ感謝しかない。

 

ほっといたらござさんはご両親のことに絶対言及しないので勝手にここで触れました。

というかござさんは大学に入ってから

・ピアノサークルでクラシック曲(一年間だけ)

・ジャズサークルに入ってジャズの楽器とともにピアノを弾く

・家で夜にネットでポップスを弾く

とか言われてますが、たぶん大学入る前に(=高校時代に)ニコニコ生放送以外のいろんなネット環境でたぶんピアノを弾いている。もうアーカイブ無いのでここでは割愛するが。

ピアノサークル

打ち上げ目当ての人とかいたり、好きな曲を好きなように弾いたり色んな人がいたということだが共通するのは

「でも音楽が好きだから集まってピアノ弾いてる」

という点で、コンクールとかコンテストとかで順位とか点数とか先生の指示とか気にせずに楽しんでピアノ弾いてる点がBudoさんには

「憧れる~!」

と映ったらしいのもシロートから見ると新鮮だった。でもそれはクラシックのサークルだからござさんの中ではピアノ教室の延長線上だったからか?途中で辞めている。

 

ジャズサークル

これはござさんのツイートを再度借りるとビッグバンドのことだ。だからバーみたいなところでジャズトリオとかでやるというよりは人数構成的には吹部に似てるとこはある。レパートリーと奏法がジャズに変わったということか。ビッグバンドといえば戦前のアメリカ、SwingJazzとかがレパートリーだったのかなあ。

 

ジャズの習得にあたってはこんな感じらしい。しかしジャズのジャンルは今のござさんにとってはなくてはならないアレンジだし、今回リリースされるアルバムEvolutionは副題がJAZZ Collectionだ。

でもこのバンドもサークル活動だし、ござさんは今まで一貫してジャズについてもあくまでレパートリーの一環として位置づけられていて、メインコンテンツとしては扱っていないと思う。ござさんはジャズが主なレパートリーであると捉えられたくないのだろうと推察する。

 

ポップスとの出会い---家で夜にネットで

ここをござさんは一番サラーっと語っていたが、しかしござさんの本拠地かつ故郷はここだろと言いたい。故郷はクラシックかもしれないが、今やござさんの手掛けるレパートリーで大部分を占めるのはこっちだからだ。

検索できる範囲でいうと、このYoutube初投稿の動画が2009年8月。ニコニコ生放送はIDが公開されてる点から登録時期を推察するに2007年の中頃。

budoさんから見るともはや「歴史上の人物、いわゆるネット第一世代」ってことになるらしい。そうそう、そこをアピールしていただき誠にありがとうございます。他にも第一世代の方として事務員Gさんが挙げられていたし。

ござさんはサラーっとポップスというジャンルで通り過ぎようとした感があるが、具体的に当時ネットで演奏されてたジャンルを挙げれば

アニソン
ゲーム音楽
音ゲー曲
東方
ボカロ
洋楽
(ほかにクラシックとか吹奏楽とか)

とか、色々ありますよね?配信でこれらのジャンルを弾いてる時が一番生き生きしてるのを見れば何が得意かは一目瞭然。なのに家でポップス弾いてたとかいう供述が非常に不自然だったのでここでむりやり追記した。ここまでくると、「ボーダーレスござはいつ生まれたのか?」という問いにもある程度答えは見えてきたような気がする。

 

Budoさんの「ござさんを昔から応援してくださってる方」という解釈に含まれる語弊

ござさんの生配信歴がニコニコ時代の2008年ごろから(受験とか就職時期を除き)ほぼ途切れてないという点から、Budoさんはござさんファンに対する印象をこう述べる:

「一体感があるというか、深さとか、時代を経てきた厚みみたいなのをいつも感じる」

しかし昔から応援してくださってる方という言い方は自分は違うと思っていて、それはござさんが言及されていたが、

「ストリートピアノの流行において僕のピアノを見つけてくださった方も増えたが、他にも長年やってるなかで様々な山とか谷とかあって、それらのどこかで見つけてくれた人がいたりして、今の僕の周りが出来上がっている」

いえ昔からござさんを応援してくださってる方がいないとは言ってない。ござさんのスタンスが、ずっとピアノを聴いてくれてる方へ向けて弾いてるというよりは、なんていうんですか?難しいですね……?

人の様々な人生の中であるときござさんのピアノに遭遇して嵌まったりとか、チラッときいてみて好きな曲弾いてたなーというおぼろげな記憶が残ってたりとか、好きで配信をよく聞いてたけど色々忙しくなってネットピアノから離れていったりとか……

聞き手にとって鑑賞する対象(であるござさんのピアノ)はそれぞれのスタンスで向き合うものであって、ござさんはいつもピアノ弾いてるので戻ろうと思えばいつもそこにいる、という存在だというのが、もうちょっと近い表現かなあ?と思うのだけど。

ござさんのピアノという存在にはもっといろんな解釈があるだろう。

これはあくまで自分の私観であり、ござさんがどこに向けて発信してるのかというイメージとして、あくまでござさんは音楽に向き合ってて、ファンは波長が合った時にござさんの周りに集い、また離れて行ったりを繰り返しているという表現を用いたい。

 

年輪というよりは波紋という表現がしっくりくるようなござさんのファン界隈には、経てきた年月が刻む岩の浸食みたいな一朝一夕には形成されない独特の文化圏が形成されてる気がする。Budoさんのいう深さとか時代を経てきた厚みっていうのはそういう意味なのかなあ。2008年から、わずかな期間を除きほぼ継続されてきた生配信(と投稿動画)が積み重ねてきたござさんの地層が、様々な感性の人を呼び寄せ惹きつけてやまないのだろう。

 

さて。

ござさんの手掛けるジャンルはニコニコでお馴染みのアニソンとかゲームの他にも、童謡・民謡とか、電車の発車音からお店のテーマソングとかCM曲にゲームの起動音まであらゆる曲を弾ける。ていうかアニメもゲーム曲も全部楽譜なんて無いのに、多様な分野の曲をいつ覚えたんだ?とか謎は尽きない。たぶん無意識に耳に入る音とかコード進行は全部拾って覚えてしまう仕様なのかも。

(もうこれどう考えても音楽を仕事にするべきですよねえ……)

 

仕事との両立

Budoさんはクラシックを基調に初めから仕事としてピアノを生涯弾いて行こうという決意を、どこかに根拠として持ってる。(一般社会に認識されてるピアニストって9割方こっちだと思う。)

「音楽を仕事として続けるにはどうしたらいいか」と考えて音大に行って演奏を究めても、しかし演奏と仕事としての収入が直結するとは限らない。Budoさんも一度ピアノをやめた時期があるとどこかで語られていたし、しかし音楽が好きだからピアノに帰ってきたのはあるだろう。

 

時系列が前後するけどネット生放送から派生してこういうピアノ講座動画が流行った時期もあったと語られた。こんなの投稿しといてバズらせときながら他方で日常のしょうもないつぶやきしてたりして、楽しそうだなーと思う。

しかしその裏舞台は過酷なものに違いなかった。

 

ここでbudoさんからのツッコミ:

ござさん「一般大学だったから就職しようかなーってなって色んな業種の中から…」

Budoさん「うんうん」

ござさん「いろいろ検討して介護職に……」

budoさん「なぜ!!!!!!??????????????」

誰もが思うであろうつぶやきを、でっかい字幕つきでツッコミ入れていただいてありがとうございます。しかしよく聞いてみるとござさんの行動には確固たる信念があって、思わず唸らされるのであった。

 

ござさんは「でも就職してもピアノ続けたいじゃないですか」という素朴でシンプルな動機を語った。誰もが首肯するであろう、これだけ聞けばなんの変哲もない動機。

仕事の傍らピアノ弾く。

しかし言うは易し、行うは難し。

そこで、「ピアノが練習できる職場なら定年まで両立して続けられるだろう」という理由で介護の現場にしたらしい。

 

この告知配信時にもざっくりと述べられていたが、しかし今回の動画でbudoさんとちゃんと対談されていたため、意図がより明確にはっきりと感じられた。

 

この点が自分から見て驚愕だった。

(吹部だったけど大学入って通学時間が長すぎて部活やめてなんとなくバイトするようになった身から見て)ござさんの好きなピアノをやめないために全力を尽くすっていうとこが目からウロコで、じゃあ自分もあのとき好きな吹奏楽やめないためにもっとできる事あったのかもしれないと自問自答した。大人になったから楽器やめてCDを手放したりしなくても、ずっと趣味として続けられる手段はあったのかもしれない。

「仕事をピアノに合わせればいいじゃない」と軽くのたまうござさんの声の裏に、どんな手を使ってでも、意地でも続けるんだというござさんの決意が聞こえた気がした。

実際に働きながらピアノを続ける中で、ござさんは目に見えない所で辛酸を舐めてきたと思う。いちいち細かく言及しないが、人生の全てをピアノに全振りしてたであろう事は当時の配信を見返すと一目で分かる。

 

Twitterでピアノ弾いてる人たちの中に就職したであろう人たちが去って行ったのを見送ったとかいう下りが、リアルな現場の空気を物語る。

しかしござさんのレパートリーに昭和歌謡とか演歌とか民謡が多いのは介護現場での経験からだそうだから、ここでBudoさんの言葉を借りれば

「やっぱ人生って無駄ないっすね」

今回の動画は要約すればこのひとことでまとめれるとも言う。

それがなんでこんな一言一句ひろって書き起こしてるのか分からんけど。

ござさんは一部分だけ切り取れば、何の変哲もない普通の市井の一般人に見えるが、というかござさんがなんでもない風に語るのでなんでもない風に見えるだけだ。

 

ござさんはピアノ系Youtuberなのか

この記事ここまで書いてそれかい!っていうツッコミはなしです。

そもそもYoutuberという肩書が職業として成り立つと認識されてきたのは2016年ごろ?でしょうか。

その当時ちょうど小学生高学年になった男子を抱えてた自分は、家で絶賛Youtuberをdisってる最中だった。子供たちの将来なりたい職業ランキングにプロ野球選手とか学校の先生に混じってYoutuberが上がってくるようになり、自分は「Youtuberなんてチャラい眉唾物の職業なんて絶対ダメですよねーっそんな芸能人より人気が水物で明日の生活もわからん仕事なんか絶対に勧められないですよねえ~~~」って言って他の親たちと一緒に盛り上がっていた。

( ↓ Youtubeに対する当時の偏見)

・Youtubeはテレビのバラエティ番組よりもくだらない三流のネタの低俗動画の巣窟

・動画流してる人はどこの馬の骨ともわからないインチキ詐欺師みたいで信用ならない

・ていうかYoutubeは犯罪者とか薬物の売人とかが跋扈してるから見ちゃダメ

・ニコニコ動画?なにそれ、紅白歌合戦で小林幸子がコラボしてた、画面にコメントが横に流れてたけどどういう仕組みなの?ネット配信?そんなもん知らんがな

っていう認識が田舎の辺境の地では一般的であり、ネット界隈は要するにハッカーとか犯罪者とかいるから危ないから見るなっていう意識が普通だったし、アニメとかゲームとかは追放されるべきコソコソ見るコンテンツだったし。(ゲームは一日60分までという条例があるうどん県民)

 

Youtubeチャンネルが収益化できるようになったからコロナ流行にかけてが、ござさんの音楽専業でやってみようと踏み切ったきっかけとなったと語られていたが、実際に投稿動画と生配信がござさんのチャンネルの二本柱であったことは否定しないけど投稿動画は今のメインコンテンツではなくなったと思う。

Youtube動画は上で自分がdisってた通り、一種のバラエティ番組であって週刊誌の記事と一緒で目新しさとか派手さとか意表を突く面白さが鍵だから、ござさんが今投稿されてるスタジオ録画の曲はそうしたYoutubeの流行のトレンドとは逆行する。

ただバラエティ番組としてのyoutube動画は編集も大変だしネタも無尽蔵に沸いてでもこないとメインコンテンツにずっと据えておくのは難しい代物だから、ござさんはスタジオ録画の曲にひとつずつじっくりと向き合うことにしたようなので自分はござさんのスタイルにはそれが合ってていいと思う。

いえ自分はそれにいいとか悪いとか発言する立場じゃないけど、しかしYoutube動画は実際レコード会社とメジャー契約持ってるわけでもないござさんが地道にレパートリーを上梓する場というか、素案を提議するたたき台として機能してると思うから。

 

Budoさんとの相性はまだわからない

この点はまだ評価がわからないというか世間からの印象が定まってないと思うのでここで言及するのは控える。自分は個人的には防府で2台ピアノを聴いたところ、相性というか息が合ってる気がしたので、このDuoのことは前向きに考えたいし、このインタビューもちゃんと聞いて考えようと思った。

まだレパートリーが限定的でこれからどうなっていくか分からない部分はあるけどこれからのふたりのステージはまだ続いていくようなので、行く末を注視していきたい。

 

( ↓ これからの参考イベント)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平安神宮 桜音夜2026

 

この記事では平安神宮で毎年開催されているお花見のコンサート「平安神宮 桜音夜」に行ってきたレポを書く。個人的事情で今年3年ぶり?に春の京都を訪れたので、前と違ったりしてたことなどを思い出しながら備忘録として書き留めるものである。

【書いてる人はござさんファンのため、内容は不自然にござさんに偏っている。ご了承ください。】

なお、これはメモであり、あまり意味のある事は書きません。

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

京都は1000年の都。(実際に天皇の居る御所としての都が置かれてたのは794年~1868年)その間、政権の変遷はあれど伝統文化を受け継ぐ古都としての歴史は途絶えることなく継承されて今に至る。

JR東海が打ったキャンペーンで流れるキャッチフレーズとテーマソングは、世代を超えて親しまれ愛されている。

と、こういうツイートを貼るのは、自分が現地で桜の写真を全然撮ってないからです。なんで撮ってないのか、桜を見に行って写真撮らずに何してたんだとなるが、それは当日が雨だったからです。

晴れ男の定説とは

《この項はおまけです》

要するに当日は大雨だった。しかもコンサートの時間帯に合わせて雨脚がみるみるうちに強まっていく豪華仕様となっていた。

なんでだ?

たぶん前日のピアニストが菊池さんだったからそのなごりで、今回は一日遅れで雨雲がきたのかな。菊池さんはどこであっても絶対に雨を連れてくるから、きっとそうに違いない。

この季節は低気圧が次々と通り過ぎてしとしとと雨が続くものだし、3~4月の雨は穀雨と呼ばれて農家には無くてはならないものだから文句は言えないが。しかしござさんが出演するときだけ晴れてくれると信じて、直前まで天気予報と額を突き合わせて向き合っていたものの、やっぱり予定通り大雨となった。

ござさんは(自分の中では)晴れ男として有名で、いつもコンサート当日は抜けるような雲一つない青空が広がるし、仮に当日雨降ってても本番の間だけ不思議に雲はどっか行ってカラっと晴れあがるものですが、今回は無効だったようだ。

 

とにかく桜の季節に京都に行くのでせっかくだから観光したい。と言いつつ自分は博物館に行った。なんでもいいから現地にしかないものを見に行くのであればそれは観光なのだ(と自分に言い聞かせる)。博物館に入った直後から大粒の雨が降り始め、軒から滴る土砂降りの雨を眺めながら、出るころには止んでないかな…?と虫のいい希望観測を胸に展示を見て回った。

Image

閉館時間まで粘るも、引き続き大雨。ていうか博物館入った時より大雨。本降り。諦めて防水スプレーを吹いた靴でしょうがなく神宮へ向かうのだった。

途中からバスに乗るつもりでコーヒー店に入ったら、同様にびしょ濡れの外国人に話しかけられて「Can I use this chair?」とか聞かれるも答えられずに無言で肯くだけの不審者と化す。ほんとすいません。どうやら自分が座ってた向かい側のイスでびしょ濡れの上着を乾かしたかったみたい。土砂降りにびっくりしたのはみんな同じ。

雨は自分にとってHPを削る致命傷。(雨がほとんど降らない地方民による愚痴)その後、神宮へ向かう路線バスはあえなく満員続きで乗れず、一緒に並んでいた人はバスを諦め、慣れた様子でシレっとどこかへ歩いていった。しょうがないので自分も博物館そばのバス停から神宮まで歩くことにした(約1km)。

この時点でHPは9割持っていかれていたようなものだ。教訓:雨の日は外出してはいけない(個人的に)。でもこの京都のチケットは当日まで天気も未確定だし、なるようにしかならない。

現場の流れと導線

現地に着くともはや地面は池だった(と言っても過言ではない)。さらに、集合時間が近づくにつれどんどん豪雨になっていく。

晴れてれば入場の案内もスムーズだったのかもしれない。

しかしたらればを言ってもしょうがない。イベントの全てが屋外なので、チケット番号からいってお客さんは1000人以上が門前に並んでいると見込まれる中、レインコート着て整理番号順にお客さんを声を枯らして誘導するスタッフさん。テントで番号を照合して、手に巻く識別バンドを配り、神宮の境内でまた整理番号順にお客さんに並んでもらい……

 

図解:①大雨の中、開場時間まで並んで待機してた門前の広場

   ②入場してから再び並んだ場所(いわゆる月音夜の客席の所)

   紫の線----入場してからコンサートの間周遊する東神苑の遊歩道

   ③今回雨で見る時間が無かった南神苑。


大雨の中メガホンでお客さんを誘導するのは、傍目に見ても大変そうだった。
要するに1000人以上のお客さんに、整理券の数字の順に純粋に並んでいただくのは無理っぽいな。園内も各所に誘導員のスタッフが(たぶん)凍えながらレインコート着て立っていた。そういや駅でも路線バスでも土産売り場でも大勢の観光客を捌くのに血眼になりながら、しかし笑顔を崩さずに対応してくれてこっちが申し訳なくなる。しかし路線バスの運転手さんだけは混雑ぶりにマジでキレていた。「ドアが閉まらない!もっと奥に詰めて乗ってくださーい!」ごもっともなことです。

話がそれた。

ひとつだけ謎なのは、この整理番号つまり現地の入場順はチケットを発券した順とは違うという点だ(購入・代金決済した順なのかもしれないが)。でも公式見解としては池泉回遊式庭園を桜を見て回りながら歩くBGMにコンサートを聞くから、入場順はそこまで関係ないのが建前か。

スタッフの方々には大雨の中を安全に誘導してくださり非常に感謝しています。

ただ、個人的にはいったい何しに行ったんだというレベルで今年は桜を見たという実感はない。しかし東神苑の桜は満開ですばらしかったのは事実で、今度は南神苑もゆっくり見たいので、それは来年以降の桜音夜ござさん出演を楽しみにするお題として取っておきたい。

平安神宮縁起

ついでに平安神宮ってなんなのかというのを思い出しておこう。

京都には御所の遺構はちゃんと残ってるし、奈良にも大阪にも古代の都は整備されて歴史公園になってる中でここを作った意義がよくわからなかった。

 

それにしては朝堂院を模した一連の建造物は専門家が史料を踏査し、正確な縮尺に復元してるようで妙に手が込んでいる。テーマパークとかそういう目的ではなさそうだ(そうかもしれんと思っててすいません)。調べてみたら御所を再現したというよりは、平安時代の政庁を復元して威厳を回復するという意図だったらしい。

(公式サイト)https://www.heianjingu.or.jp/about/history/

京都は政権を持つ都市としての機能を江戸に譲渡して以来、権威の失墜著しく凋落の一歩を辿り、いわゆる京都の人が言うところの先の戦つまり幕末の動乱から戊辰戦争にかけて街並みは荒廃しきっていたと思う。

そんな中で荒れ果て見捨てられようとしていた古都を甦らせ、かつ近代的装いを兼ね備えた街並みに作り替えようという動きの中で、かつての都の姿を象徴する平安京の大極殿を当時の政庁の姿と縮尺に忠実に再現したという所か。

都市の機能を保ちながら、伝統的な景観や記憶を次の時代に伝えていけるようにアップデートしていくのが、都市と文化財が共存していく最適解なのかもしれない。

都の盛衰を巡るなかでこの神宮を創建しようという動きが出たこと自体が、様々な時代を経て都でありつづけた京都の抱えている歴史の厚さを感じさせる。こうやってコンサートとかで身近に感じながら、当時を再現した遺構を桜と音楽と共に巡る、それもまた文化を保護するひとつの手段だろう。

(そうすると別に創建当初の建築物がかならずしも必要なわけではないなあと思ったりした。でもまったく当時の姿が忘れられてしまうと文化そのものを継承する手段が失われてしまうので、あくまで一つの手段にすぎないが)

-----おまけコーナー------

19世紀後半に近世の退廃、荒廃した古来の街並みを国の威信をかけて抜本的に作り替えた例を挙げてみると。

ウィーンの城壁を取り払った跡にリングシュトラーセ(環状道路)を走らせ、その両側に国立歌劇場、王宮、美術史博物館、自然史博物館、国会議事堂、市庁舎とかの建築物群を古典的な様式で並べるという都市計画が有名だが、ほかの都市にも同じころ同様な動きがみられる。パリ、ベルリンなども政治家主導で抜本的に都市のインフラは作り替えられた。上下水道の整備、道路の拡張や公共交通機関の充実など。

平安神宮の計画が発案された19世紀後半はそのようにして近世から近代へと変容、脱皮していく世界的な文化のうねりの真っただ中であり、そうすると古典的様式で文化の原点に立ち返ろうとした意図がよくわかる。

 

桜と雨

時間と雨の関係上、今年見て回れたのは東神苑のコンサートエリアだけだった。しかしまさに満開の紅しだれ桜が栖鳳池のほとりでライトアップに浮かび上がる様は幻想的でこの世の物とも思われない。

せっかくなので引用しておこう。シチュエーションがだいぶ違うけど。

李白の「春夜宴从弟桃李園序」から引用:

夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客。而浮生若夢。為歓幾何。古人秉燭夜遊、良有以也。

況陽春召我以煙景、大塊假我以文章。会桃李之芳園、序天倫之楽事。群季俊秀、皆為恵連。

吾人詠歌、独慚康楽。幽賞未已、高談転清。開瓊筵以坐華、飛羽觴而醉月。不有佳作、何伸雅懷。如詩不成、罰依金谷酒数。

 

宴会をしながら桜を愛でていたわけではないのでこっちの和歌も引用する。

世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし (在原業平)

 

今思えば雨のしたたる紅しだれ桜も風情のあるものだった。写真がないけど。

だいたい日本人は桜のつぼみがほころびたといっては胸を躍らせ、

一つ二つ花をつけたといっては花見の支度をはじめ、

満開の桜に胸がいっぱいになって夜桜を眺めて酔い、

雨が降り風に散る桜を眺めては花散らしの雨と胸を痛め、

せめて風流な名前をと、花びらで埋め尽くされた水面を花筏と呼んでみたり。

 

古来から桜に関する表現には事欠かない。

短い間に咲き散ってしまう桜、また四季それぞれの風景や習慣にあわせて音楽で演出するのはござさんのピアノが最も得意とするところのひとつでもあるから、桜音夜に訪れるのは自分は2回目だったが、やっぱりこのステージはお似合いだなと思うのだ。

 

先入観

この日記部屋の題名通り自分はござさん単推しファンなので、よって今回の桜音夜は手嶌葵さんとのコラボとのことだったが、全く手嶌さんの曲は予習せずに行った。今までに耳にしたことあるといえばゲド戦記のテルーの唄くらいのため、まったく何の印象も持たないままに頭を真っ白にして聞いてみようと思ったというのもある。

しいていえば先入観を持っていたとしたらテルーの唄そのままの民族衣装着て牧歌的な歌い方する人、のような感じだったと思う。

ほんわかした歌い方の人だから桜の綺麗な背景とあいまって素敵なライブになるのだろうか。と、その程度の認識でいきなりライブに行ったとなると、後で思えばかなり冒険だった感は否めない。

やっぱりちゃんと最低限のこと調べて知ってから行けばよかったと後悔することになるのだけど、それはそれで初見の印象って結構本質に迫ってたりするからと開き直ってみる。

 

(ござさん単推しであるためここから自分はいきなり解像度が上がる)

最初に共演の発表が出た際に、ござさんは以前に歌手の人とコンサートで共演したこともあるし、ほかにも歌とか楽器とかに関わらず、共演とかセッションとかやるときは相手に合わせてリズムとかコードとか?を選んでる気がするな。

これは2021年5月PIANICのとき、最後の全員セッションでござさんは左端でベースライン担当しつつ合図を送ってるところ。うーん組み合わせ的に今回となんか違うな、でもベースライン大好きなござさんならではじゃないですかね、やっぱシチュエーションがなんか違うか……

 

これも即興演奏でセッションだけど、でも組み合わせ的に今回となんか違うな……

( ↑↑ メンバー限定配信動画です、ご了承ください)

要するにござさんは曲の展開や相手の楽器の特性とか奏者の特色とかに合わせて、楽曲として仕上げることに長けてると思うんですよ。ゴールをどういうふうにするかというイメージを持っててそこに合わせていくというか。

(追加情報)

昨日2026/4/11の配信トークから引用させていただくと、この配信で4/4の桜音夜での曲を演奏されたのだがそのアレンジは当日とは当然違って、当日は伴奏しかしてなくて歌の旋律のパートとかやらなくていいから伴奏に専念できたとか言われてた。

伴奏に専念できたということは歌の旋律にあわせて好きなだけ合いの手(装飾音)とか和音を豪華にとかやれたのだろうかと想像してみる。

 

結論から言うと、4/4の桜音夜は手嶌葵さんが主役を張ってて、ござさんがゲストだったということだ。

主催者からの触れ込みはどうだったか知らないが、そして歌とセッションということは、つまり手嶌葵さんが主役なんだろうと思いながら行ったら当たっていたというか。

この組み合わせは先史時代から運命は決まってたのじゃないかと思うくらいにぴったりはまってた。

鑑賞するファンとしてはコンサートとしてこのうえなく素晴らしい演奏を聴けて感動です。

 

ソロとセッション

神苑のしだれ桜は雨粒に濡れてより一層あでやかに紅色がライトアップに映える。(写真は撮れなかったけど景色は記憶に焼き付けてきた)池のほとりの御殿とともに、ほのかな光の中に浮かぶ妖艶な姿に思わず息を呑む。

絵でも音楽でも舞台でも映画でも、今はデジタルで手軽にオンライン鑑賞できるけど、実際にコンサートに足を運ぶのは全く別の意味を帯びている。

こういうお花見でのコンサートは目で見て楽しむ音楽であり、ござさんも

「素晴らしい景色、ロケーションの中で気持ちよく演奏できた」

と配信で振り返っておられた。

その場でないと味わえない演出、そこから得られる感動は何物にも代えがたい。現地に行けない人は配信とかないと楽しめないじゃないかという意見もあると思うが、しかしこういう演出は配信という音のフィルターと画面という狭い視界を通すと、魅力はなくなるも同然だと思う。公式さんが生配信とかしないのはチケットを売るためという商業目的もあるだろうが、それよりも音楽的な演出の問題が大きいと思う。

直接自分自身で体験することが、一番感じ取れるものが多いだろうという意味では、音楽に限らず景色、工芸品、美術、建築などすべての表現を鑑賞するにおいても同様なことが言える。(例外は自然、それは人間が快適で美しいと思うものとは限らないし、本来の自然は人間の制御の範疇内にはおさまらないものだ。)

 

ただしこのシチュエーションで映えるのはこの手嶌葵さんの歌にござさんが合わせた伴奏だからこそ。そして電子ピアノの演奏だったのはその音楽的演出には些かも影響しないと思う。(ござさん熱血単推し過激派の視野の狭い意見)ござさんの生み出す和音とリズム、それに乗る手嶌さんの歌は桜の背景に魔法のようにぴったりと寄り添っていたから。

 

★★★桜音夜の曲目は第一部、第二部を合わせてござさんのソロ以外は同じ曲名であったため、感想の内容も同一とします。ござさんのソロだけ、別に感想をつける。★★★

 

ござさんのソロ

コンサートはござさんのソロライブではお馴染みの、MCより先にまず演奏から始まった。土砂降りの中で御殿(尚美館)に現れたござさんは遠目には濃い色のたぶん和服で現れた。

※現地のようすでこれ以降、たぶんとかわからんとか頻出しますが、当日雨であったため屋根のある渡殿(泰平閣)がものすごく混雑してて自分はその人込みの後ろで演奏を聴いていて、桜の写真も撮れなかったし、おふたりがどういう服だったかとか目では見てない。ただ栖鳳池の中で桜のライトアップに浮かぶ御殿を見て流れてくるピアノを聴けたので良かったという感じ。だからちゃんとメモ取っていた(隣でいた人にはゴソゴソしててすいませんでした)。髪が湿気るだけでもテンション0になる雨の耐性が全くないうどん県民的には、写真はまた来年以降リベンジする課題としたい。

 

第一部、冒頭のござさんんのソロはJAZZスタンダードのMy Favorite Things。コンサートの導入に、コース料理でいうところの温かいスープというかお通しの前菜というか、これはござさんからの無言のご案内アナウンスだ。

「本日は皆さまお足元のお悪い中、ようこそおいでくださいました。満開の桜と光のコラボレーションを、音楽と共にご堪能くださいませ」

と、静謐で厳粛な雰囲気の中に流れるござさんの丁寧なトーク代わりの演奏。

( ↑ ↑だいぶ妄想入ってる)

誰もが知る三拍子の旋律をちょっと崩してJAZZワルツふうに仕立てている。和の背景に不思議と合う洒落たリズム。桜を眺めがらお客さんが歩む不規則な足取りに添うように、ちょっと間合いを揺らせながら。しかしちゃんとござさんらしく、あれ?と思うような謎の不協和音をシレっとねじ込んでくるのもお約束。さらに童謡のさくらさくらの旋律を織り交ぜながら軽快に春の京都の心浮き立つような景色を描いていく。

和音がどんどん壮大になっていって盛り上がるなか、我に返ったようにンプルなワルツに戻るござさん。京都といえばJR東海のそうだ京都行こうキャンペーン。誰もがこの曲で無意識に京都の庭園を思い浮かべるはずで、CMを彷彿とさせるストリングスみたいなスマートな旋律でつなぎながら、演奏は再びさくらさくらのモチーフが登場して厳かに、そして華やかに終わるのだった。

 

第二部ではござさんは松田聖子の赤いスイートピーを演奏された。第一部と同様に序盤はより宵闇が深くなった会場に合わせるような、ゆったりと揺らぐ旋律で始まり、2周目はちょっと軽快にウォーキングベースを入れてswingしてみたりしてちょっとお茶目な展開だった。そして抒情的な原曲に戻り、さらに重厚な低音を印象的に響かせて壮大なサビにもっていくところは第一部のMy Favorite Thingsと似ている。ござさんの語法でいうところのいちばん聴かせたいところというやつだ。

なんかずるいんですよね、ござさん。こういう展開も意図もわかってやってると、聞いてるほうも知ってるのに、しかし聞いてて感情を鷲掴みにされて身動き取れなくされるのはずるいですね。そこに行くんだ、罠でもいい、罠と分かっててもいいから、っていう気分になる。自分の感情の制御権を持っていかれている気がして非常に危うい。

そして最後はしめやかに、そして続きを暗示するような和音で締めくくる。

なんだか生で書いてる脚本を聞かされているような気になってきた。

 

MCと手嶌葵さん

ここでござさんが挨拶される。もうだいぶMCも板についてきた感がある。ござさんの声はそもそもアナウンサーみたいな落ち着きがあると自分は勝手に思ってる。要するに声が好き(偏った目線)。ここで手嶌葵さんがゲストとして紹介された。

え?ゲスト?

いえ手嶌葵さんの歌がメインコンテンツであり、ござさんのピアノは歌とのセッションです。異論は認めない。

神苑のぬかるむ足元と悪天候を心配してくださるござさん。ええ、そのひとことが、気力も体力も尽きようとしていた自分の心に刺さりすぎた。ほんと雨の中足を運んで良かったなと思った(そこか)。

このときのMCを抜き書きしてみる。内容はあくまで抜粋の箇条書きであり、現実の会話は0.5倍速みたいなスローモーションで進んだ。さらに、神苑に反響する声も会話の印象を100万倍fantasy要素強めにしたことを重ねて記しておく。おふたりのCVに脳内で吹き替えながらお読みください。

ござさん「では、本日のゲストをお呼びしたいと思います、手嶌葵さん、よろしくお願いいたします!」

手嶌さん「よろしくお願いいたします」

ござさん「本日はだいぶ雨脚も強まってまいりましたが、皆さん、お足元は大丈夫でしょうか」

手嶌さん「大丈夫ですか?」

ござさん「だいぶ気温も下がってまいりましたが、水面に向かって演奏ってなかなか無いですよね、手嶌さんどうですか?」

手嶌さん「桜の木々が水面みなも に映り込んで、綺麗ですね」

ござさん「この季節ならではの景色ですね」

手嶌さん「ほんとですね、私たちが見ている景色とお客さんから見える景色はちょっと違うんですけど、でもお互いに同じ水面に映る桜を眺めながら、音楽を共有できるって素敵です」

この記事はレポなので見て聴いたままを書くが、手嶌さんの歌って幻想的で牧歌的なファンタジー登場人物そのままだと思うんだが、話しててもそのままのお人柄だった。まずござさんの発言に異を唱えず素直に同意なさって奥ゆかしい。あまりにも印象が天使とか雲の上の人みたいでいまいち実感がわかなかった。

カルチャーショックだったというか。よく考えよう。ソロライブならともかく、DUOとかコラボではいつもリーダーシップを執ってトークを牽引してくださる共演者の方々が今日はいない。ござさんはいわばボケ担当、相方が居ないとトークが成り立たない。そこに優しそうなお人柄の手嶌葵さんとのトークとなると誰もツッコミ役がいない。

お互いにスカしたボケを空に放ち、誰かが反応してくれるのを待つ。しかし待ってても誰も答える者はない。ボケっぱなしは罪です。

ただ雨脚がいよいよ強くなって無限の雫が池に水紋を作り、桜の幻影は小さな波に遮られて消えるばかり。

(手嶌葵さんには申し訳ありませんが話のノリの都合でこういう印象に見えたため、このまま記事を書く。手嶌さんのお人柄がご覧の通り、歌の通りの誠実な方であるのは周知の事実であろうから訂正せず続けます)

ござさんは話しててこの事実に気づかれたのか、途中から会話を同意バージョンから舵を切って話題を勧めていく方向に替えられたようで、次のMCくらいから明らかに話のテンポが倍速で進むようになった。

がんばれござさん。(偏った目線)

 

手嶌さんとbansouのござさん

明日への手紙

手嶌さんの歌は知らなかったので分かる範囲で書く。この曲はTVドラマの主題歌かなんかだったと思う。しかしそういうお題を横において歌を聞いてみた。

ござ / Goza's Piano Channel ござさんのYoutubeチャンネルのアカウントを見ると@qbqnqsquq、qを抜くとbnsu、つまりbansouさんになるのはご存じかと思う。ござさんのピアニストとしての横顔には多彩な面があるが、伴奏つまりセッションシーンにおいてもその特性は活かされていると思っている。

手嶌さんのトークを聞いたのは初めてだったのだが自分は歌を聴くのも初めてで(そらそうやろ)、その印象はといえば?

触れたら壊れる砂糖のお菓子。

追えば消える蜃気楼。

人が踏み入ってはいけない聖域。

この世の物とは思えない天上の世界。

(よく神秘的な歌声などと形容されるようだけどそういう単純な表現では真相を見損なう)今まで松田聖子をはじめ、好きな歌手はCHAGE and ASKAとかDREAMS COME TRUEとかいう圧倒的歌唱力の歌手が好きだったので、自分の中で分類できない歌声に出逢った気がして戸惑った部分があって、その分類を考えててこの記事書くのが遅くなった部分はあるかもしれない。しかし歌手=圧倒的歌唱力は必須条件とか思ってたのだけど、ござさんのピアノですでに前世紀の既成概念=素晴らしい演奏家という図式は根本から覆されてたのでそういう先入観は捨てることにした。

ちなみに音源としてリリースされてる手嶌さんの歌とも生の歌は全く違ってて、その点からもやっぱ先入観で表現を語るべきじゃないし、生で聴いてみないと真の表現ってなんなのかわからないなって思った。

 

録音じゃ伝わり切らない繊細さがある。

切ない感情を謳う歌声、それをピアノが艶やかに引き立てて、なおかつ飾らない美しさで間奏部分に華を添える。

夢みたいなアルペジオが旋律を追って鍵盤を滑る。

オペラ歌手みたいな圧巻の迫力とかとは違う表現を目の当たりにして、自分の知ってる世界ってつくづく真実のこれっぽちの一部分でしかないなと痛感する。

 

---------この辺から雨脚がさらに強くなって、トークが本格的に聞こえづらくなった(というか自分のテンションがさらに下がってトーク聞くよりも体力温存モードだったんかもしれん)なのでこれ以後、トークの内容の覚書はほぼ自分の妄想が入ってるので、たぶん、ほんとは全然別のこと喋ってたかも。現地で実際に聞いていた方は各自トーク内容は補正しながら読んでください……下の内容もだいぶ勝手に補正している。たぶん違う。

《歌を終えて手嶌さんが何か歌の一部分を口ずさんでいたのが聞こえたが、雨にかき消されてよく聞こえない。ただ「私の~~のところに合わせて……(詳細不明)」と聞こえた。セッションとはそういう楽譜の記号からは読めない微妙な間合いで、阿吽の呼吸でなされる演奏なのだけどほんとに自然に歌いやすそうだったなと聞いてて思った(素人目線)。》

 

( ↓↓↓このセリフもこのタイミングかどうかは不明)

ござさんは心の底から楽しそうに、

「弾いてて気持ちいいですねえ」

というような趣旨の感嘆の台詞を漏らすのだった。池に映える夜桜を前に弾く優雅さからか、または同じ表現者同士の感性が共鳴したか。それは台詞というよりはアドリブで口を突いて出た本音に違いなかった。

雨の音すらBGMになり心地よく聞こえるひととき。自分はコンサートの間だけ、雨で寒くて体力落ちてるのを忘れて聴き入ったのだった。

 

朝ごはんの歌

曲の合間のトークがほぼわからなかったけど手嶌さんが

「(要約)こんな時間ですけど、わたし、ごはんが大好きでして……ごはんの歌だけでもレパートリーが3曲くらいありまして……朝ごはんの歌を歌おうと思います」(※このトークもいちいち別世界の天使みたいな感じ。かわいすぎる。)

という内容のことを言われてるのが断片的に聞こえてきた。そのトークを真に受けた自分は「へーこんな時間だけど朝ごはんの歌ねえ……?ごはん大好きなんだ……?意外だな」と不思議に思いながらトーク聞いてたが、

そんなわけないやろ。

前の明日への手紙も、この朝ごはんの歌もれっきとした手嶌さんの持ち曲で、別に雨の夜にご飯食べたくなったから歌うのではない。断じて違う。やっぱ代表曲だけでも予習していくべきだったと後でちょっと後悔した。でも先入観なしに聞いてみたら個人的にはこの曲と次のレストランの曲とかのごはんの曲が手嶌さんの歌にぴったり合ってて素敵だった。朝ごはんの歌はジブリの映画「コクリコ坂から」の劇中歌ぽい。次々と可愛らしく歌われるメニューがどれも心底おいしそうに聞こえる。

あんまりにもおいしそうすぎて、この歌知らなかったのに具体的なおいしそうな朝ごはんのビジュアルが脳内をぐるぐる回るのでその後の休日に同じようなメニューを家で作ったくらいには印象的だった。食べてみて、あーあの歌と同じような味がするな!と、歌を聞いただけなのになぜか味まで想像と一致していた。

自分の想像する歌手って声量最大限の圧倒的な歌なんだけど、それとは正反対のスタイルなのだけど、でもなんて楽しそうに歌うのだろう、楽しそうってござさんのピアノとそっくりだなと聞きながら思った。

ござさんの伴奏も前曲とは打って変わってスタッカートぽいリズムを刻み、なんか音が跳躍してて(ピアノと鍵盤は見えないでも)ちょっとswing気味のストライドみたいなお洒落な曲だった。間の装飾音やら間奏まで明るくて雨降ってる事をうっかり忘れそうだった。歌詞もかわいい。あつあつのメニュー作ったから、味わって食べてねって歌詞も可愛すぎる。プルプルじゅわじゅわとかおいしそうな擬音語だけでこんなにあったか?と思うくらい、日本語って面白いな。

 

ござさんのピアノはどこで聴いてもどういうピアノ弾いても、どういう曲でもござさんの音がするけど、でもなぜかどの曲にも溶け込むのだ。その場のシチュエーションへの最適解を意識せずに選んでいる気がする。原曲通りに弾いていたのだと思うけど、しかしござさんらしさがしっかり出されてて手嶌さんの歌を見事に引き立てている。

 

さて次の曲の前のMCでは「朝ごはんの次は、昼ごはんということで…これを歌ったら夜ご飯になるのか(笑)」とか言ってボケを入れることも忘れないござさん。いや、ツッコミ役がいない今そういう演出はいらないです。まじめにやりましょう。まだ夜は食べてないからおなかすいたという意味なのか?やっぱりトークが滑りまくりである。

誰か…誰か仕切り役を……(ここで力尽きる)

森の小さなレストラン

次の曲は手嶌さんの持ち歌の中で、あとで調べたらEテレのみんなのうたの曲だった。しかしコンサートの中では特に曲名くらいしか紹介されず、自分も「なんだ、次は昼ごはんの曲…?おいしそうな曲ばかりですね…?」と特に不思議にも思わず聴いていた。だってやっぱりござさんの伴奏は軽快なスタッカートだったし、どんぐりがどうとかいう歌詞から始まるかわいいレストランの曲だし、赤ずきんの絵本から出てきたのかと思うようなメルヘンな曲調。ござさんのキラキラする装飾音がここでもまた活躍する。鳥が鳴いてるような歌詞に合わせてかわいく踊るアクセントの音。

??昼ごはんの曲だなあ……と思っていたら曲のあとのMCで

手嶌さん「だんだんこの曲、進むにつれて不穏な展開になりますよね」

ござさん「ほんとのところはお客さんの方々のご想像に任せます」

(逆だったかもしれない。どっちがどっちのセリフだったかは定かではない。ふたりでこういうコメントを言われていたと思う。)

不穏な展開というのは、コード進行が?とかいう意味なのか、ちょっと間に不思議な和音が挟まってるとかそういう意味か。あとでこれも調べてみたらほんとに不穏だった。なにげない歌詞も、不穏な和音もそういう意味だったのか。

(ござさんもお客さんの想像に任せると言われてるし、ここで詳しく言及することは避ける。いや可愛いみんなのうたの曲でいいじゃないですか。世の中には知らなくてもいいこともあるんだよ)

瑠璃色の地球

原曲は松田聖子の名曲で、これも特にトークが聞こえないままこれが最後の曲となりますという挨拶と共に演奏が始まったが、あとで調べたらこれも手嶌さんがカバーしてる曲だった。やっぱりちょっとは予習していくべきだったか。でもスタジオ収録で音響を調整済みの公式音源はそういう完成した製品であり、こうして生で聴くライブはまた別の生き物というかその場でしか味わえない表現だから、やっぱ先入観なしに聴いてよかったのかもしれない。

それよりも圧巻だったのは手嶌さんの歌だった。自分はござさんファンであって今日はピアノ聴きに来たはずなんだけどな、この曲も松田聖子の歌は大好きだけど自分は歌のカバー曲って聞かないことにしてるんだ原曲が好きなことが多いから、とかいう当初抱いていた雑念と曲名聞いて浮かんだイメージが逡巡していたものの、そういう固定概念はすぐにどっかに行った。

最初の控えめに隙間から人生を見てるみたいな明日への手紙の歌い方とも、間のかわいい不思議なごはんの歌とも全然違う歌声だった。

ござさんのピアノのアシストも陰に陽に支えてくれてて見事だったんだけど、しかしやっぱり歌が圧巻だった。一番手嶌さんの声を生かせてるのがこの曲じゃないかと思うくらい。透き通るような歌声が、静かに更けていく神苑の夜の闇に溶け込んでいく。

幻想的な光に浮かぶ桜も、より一層美しい歌声を引き立てている。

これ、来年も誰かとコラボだったとしても自分は行こうと思う。ござさんのソロピアノ絶対単独推しだったけど、ここにきて俄然ピアノとほかの楽器とか歌とかのコラボもいいじゃないですかと思い始めた。やっぱり食わず嫌いはよくない。

 

時間が決められてるコンサートだったから、あくまで主役は枝垂桜であるのでアンコール演奏とかはなかったけど、あとでご本人の挨拶がツイートにも上がっていたので引用します。というか衣装が見えなかったのでこの写真で再度確認。

しかし。

やっぱりござさんはどこに行ってもどういう演出でも何の曲でも見事にその場に溶け込むなあと思う。手嶌さんの歌をほぼ知らないけど安心して聴きに行ったのも、ござさんはどういう組み合わせでもしっかりセッションとして楽曲を仕上げてくるから、たぶん大丈夫という信頼感があったからで。

なおかつ、その時のセッションならではの、他に配信とか音源とかで使ったアレンジとは微妙に違う演出で弾くから、聴く側としても特別感を味わえる。

ござさんのライブにはお客さんに対して、本番ならではのアレンジに仕込まれたプレミア特典みたいなのがあるので何度同じコンサートに出かけようがおいしく味わえるのだ。書いてて思った。現地に行った人はござさんの特別仕様を体験できるからそれが限定グッズの代わりに楽しかったコンサートの記憶としてお持ち帰りくださいってことかもしれない。

 

(この記事はござさんファンが書いてるため感想もござさんのことで締めくくります。ご了承ください。)

 

 

 

ござさんのピアノについての部外者からの単なる考察

 

「事務作業をAIに任せる」とかいう話はだいぶ前からニュースで見かけるようになってきたが、ござさんも例外ではなく仕事をAIに委託してるらしい。効率化が図られるだろうし、いいことだ。

 

自営業ならではの、仕事内容について他人とミーティングできないという点をAIで補ったのだろうか。たぶん有料サービスとはいえ、便利だなあ。

お題は

「制約こそが、ピアノの無限の可能性を引き出す。」

結論は

「さあ、あなただけのアレンジを。」

シロートには何言ってるのか分からない点はある。しかしニュアンスを考えてみよう。

このリズムというのはたぶん色んな拍が入り混じってるとか書かれてるので、この動画のことを指すのかもしれない。

 

 

また、リズムといえば左手で16分音符のビートを入れていくのも、ござさんの動画におけるクラシック以外の全てのアレンジパターンに共通した特徴だと思う。

和音進行は言わずもがなですよね。ござさんが展開する独特な和音進行は、時に音楽の知識がある人をして「え????」と言わせる、

よく言えば前衛的、セオリーを踏襲するコースから外れた、

別の言い方をすると理論の常識から逸脱している

という風な特色を帯びている。

 

………という点を指摘されてるのかと思ったら、違った。

よくわからんので昔のござさんのつぶやきを貼ってみる。なんか違うな。たぶんござさんがAIに詠みこませてるのは月刊ピアノの連載とかそっちもあるだろうから、元にしてる情報量がそもそも違うと思う。

んで保続音で大気の流れを操ると。大気の流れかどうか知らんが、通奏低音てやつですね、曲のバックグラウンドを支える背景みたいな感じで雰囲気を支配してるのはあるんじゃないですかね。

あとの2項目のことは知らない。現実っていうのは、コードとか指使いとかテンポとか、実際に同時に使える和音の音の数とか、そういうのを物理的に実現可能な範囲に調性することを指すんかな。

 

 

というわけで、要するに

シロートにはよく分からないがすごいって事はわかった。

まあ、それが本来の姿ですよね。細かいことは知りません。プロの仕事って、なんも知らん人にもそれでも凄いと思わせる、ぐいぐい惹きつける圧倒的な説得力を持つものだ。

それにシロートはそういう軽々しい動機でなんとなく知らない分野に足を突っ込んでこそ、世界観が拡がるし、コアな分野はこうしたシロートが足を突っ込むことで裾野を広げるから、やっぱり軽率にいろんなとこに首を突っ込みまくってつまみ食いするのは大事なことだと思う。

ここは神社への奉納という形で平安時代初期から、代々の公家や武士が刀剣や鎧兜を奉納してて国宝とか重要文化財だらけ。

そんな難しいことは置いといて、自分みたいなシロートは、1メートルの大太刀が重さ5㎏ってどうやって振り回してたんだろう?とか、沢山刃こぼれしてて実際に実戦で使ってたんだなーすごいなーとか、大河ドラマで今やってる戦国時代の鎧となんか違うなー鎌倉時代だからか?とかいう軽率な気持ちで見て回っていたのだった。とにかく膨大な量の展示で見てるだけでも面白い。たまに奉納者が天皇とか出てきてびっくりする。

 

 

最近もこんなニュースありましたね。

え?ピアノに関係ないじゃないかって?

まあ、いいから。

これは学術、芸術分野を幅広く切り捨てる政府の方針らしく。後々調べてみると、公式から具体的に発表はしていないそうだが、でも当たらずとも遠からずだろうし、白々しく胸を張ってこの記事を否定できるものならやってみろと思う。

この施設そのものの廃止・再編の議論までいかなくても、たとえば博物館や美術館の専門職員である学芸員、それにここでは言及されてないけど図書館の専門職員の司書、彼らの処遇はもう90年代?いや80年代?からか?契約社員などが増え続け、正規雇用は減らされ続けてひょっとして今や正規職員が居ない施設も多いと思う。

博物館(とか美術館)の役割

・収集保存

・調査研究

・展示公開

・教育普及

※国際博物館会議(ICOM、イコム)規約で「博物館は、有形及び無形の遺産を研究、収集、保存、解釈、展示する、社会のための非営利の常設機関である。博物館は一般に公開され、誰もが利用でき、包摂的であって、多様性と持続可能性を育む。倫理的かつ専門性をもってコミュニケーションを図り、コミュニティの参加とともに博物館は活動し、教育、愉しみ、省察と知識共有のための様々な経験を提供する。」と定義されている。(引用:博物館 - Wikipedia  )

広義で言えば図書館、他にも動物園、水族館、植物園もこの中に含まれる。(雑に分類するなら)それらに展示収蔵するものは広い意味でいうところの資料だからだ。

専門職が扱ってこそ資料は活きるのであり、そして、それらは利益を生むこともあるけど必ずしもそうとは言えない。

もし、展示が見てて面白いのなら、それは資料がよく調査研究されてて、それらの特性を前面に出してるからだ。博物館は研究施設であって職員は研究員だから。

 

なんか話がピアノから逸れてるって?

いや関係あります。

ござさんはここでいう所の研究員なのだと言いたい。

資料を音楽理論、演奏そのものとするなら、ござさんはそれを上の(博物館学でいう)4つの役割を担いながら研究する専門職だ。

 

たとえば東京芸大付属美術館は芸術がテーマだけど収蔵品は美術品が主だ。音楽の展示は主に演奏の上演でなされているからだ。音楽の表現は生き物であり、楽譜上に物理的に存在しても表現は奏者が音に載せることで完成される。そうしたホールで演奏される音楽は日本では主に欧州からきた西洋音楽だけど、ほかにも音楽のジャンルには日本なら伝統的な雅楽から民謡など生活の場で歌い継がれてきた形のないものまで幅広い。そして民族音楽とかまたJAZZとかをみていくとやはり形で把握できない、現場で継承されていくものが多いように思う。

 

ジャンルはともかく、ござさんのピアノには、そうした普遍的かつ膨大なバックグラウンドをベースにした圧倒的な説得力がある。使わなくても手持ちの史料がいつでも使える状態にあるというのはそういうことだ。

 

ござさんのピアノ演奏自体については、この部屋で散々今まで連綿と語ってきたから今更言及するまでもありませんよね。

まさに上の博物館に気軽に行こうというところで述べた

「プロの仕事って、なんも分からん人にも凄いと思わせる、ぐいぐい惹きつける圧倒的な説得力がある」

からだ。

 

ござさんのピアノには「ござさんでないと」と思わせる唯一無二の輝きと熱量、艶がある。

禄に宣伝活動も無いに等しい(業界の中で相対的に見て)けど我らござさんファンがピアノを聴くのをやめられないのはそうしたもはや中毒性と言うに等しい特徴ゆえにだろう。

あ、宣伝活動は、必要なところにはされているなとは思いますが。公式サイトのリニューアルとか。ソロコンサートのアー写撮影とか。しかしそれらの点はあくまでピアノを楽しむうえで副次的な活動だ。

あくまでござさんはご自身のピアノを聴いてもらおうとするにあたって看板に掲げたいのは、ピアノ演奏そのものだと言いたいらしい。

しかし、海よりも広く深いござさんのピアノの世界をあまねく世に知らしめるには、ひとことで伝えることはできない。というか、ピアノを実際に聴いてもらうより先にまず存在を認知してもらわないといけないし、それには宣伝が不可欠。

演奏家に限らず世の中の全ての広報活動というのはそういう必要性のもとに展開されているわけで。江戸時代の歌舞伎でさえ浮世絵の多色刷りを大量生産して役者の宣伝に努めていたというのに。

それを、ピアノを聴きに来てくださいと奥に構えて動かないのは、選択を誤っているのではとさえ思う。

 

何回も繰り返し書いてきたので重複するけど、自分はござさんのピアノが世の中から正当な評価を受けてほしいと思ってる。

売れてほしいとかそういう数字の物差しじゃなくて、こういう人に感動を与えられる創作の出来る人、というかもはやアレンジじゃなくてござさんのピアノはその時々で作曲してると思ってるから、そういう人の発信するコンテンツはもっとたくさんの人に届いて欲しいなあと思うから。

一人でも多くの人とこういう感動を分かち合いたいので。

だから、いつもの顔ぶれが並んでる配信のチャット欄に、なんか一見さん?なのか知らない名前あるぞ?と気づくと、自分は黙って画面の手前で狂喜乱舞している。やったー偶然?ござさんのピアノの存在に気づいてくれた人キターと思って。

 

ござさんはこうしたご自身の発信する演奏とか音楽について、微塵もその特性を理解されていらっしゃらないのでは?

ありあまる才能、天賦の才がありながら、それを持て余してるとすら思ってなさそう。

思うように表現できたときにだけ垣間見せる満足そうな表情(マスクで見えないけど)と、控えめながらも充実したようすを滲ませるコメント。

それを配信とかで間近に、ほんとに今となってはこの演奏をこんな無料で頻繁に聴けるのは間近にといっていいだろう、なんかもの凄いものを聞かせられながら、ござさんの生の声もほぼリアルタイムで聞けるのはなんの贅沢だろうかと思う。

 

生配信はほんとに頻繁に、しかもコンサートが絡もうともそれらの日程をかいくぐって実施される配信はありがたいが、やはりファンが熱望するのはござさんの生演奏なのであって。

 

ござさんの生演奏は、耳にしたことがある人なら理解していただけると思うが、ほんとに最初の一音でその場にいる人を釘付けにする。

生演奏の醍醐味ここに極まれりといった素晴らしい体験ができるのは、ござさんファンならご存じのはずですね。だからこそ小さいながらもコンサート会場はいつもある程度の席数が絶対に埋まっている。

万障繰り合わせても、

なんなら這ってでも、

ござさんの生演奏という至宝に巡り合いたいがために、ファンはその現場に集うわけです。

(どのくらいの破壊力かというと、ピアノはちっちゃい頃に練習が嫌でそれ以来トラウマで聴いてこなかった自分が、スマホのしょぼいスピーカーで偶然ござさんのストリートピアノ聞いてなんかカルチャーショックだったくらいには、影響力があると思う。ござさんにはまった人は多かれ少なかれそういう経緯でピアノ聴くようになったのではないだろうか。)

このファン層というのはたとえ全国で合計してもそんなに存在しないとしてもです。それはござさんの宣伝が能動的じゃない故に不当に少なく抑えられた人数だと認識している。

 

ござさんのライブにはプログラムというのがない。

JAZZとかポップスのライブ界隈では元々そうなのかもしれないが、クラシックコンサートとはそこが違う。

それに即興演奏を身上とするござさんは、曲が他会場とかぶっても、アドリブ含め同じ演奏はまず無いといっていいだろう。

 

今年もソロツアーで全国を回られるござさんですが、ご本人もそれぞれの現場に集ったファンが客席を埋めてるのを見て多少照れくさそうに、でも彼らを絶対楽しませてやるぞという静かな熱意と炎がピアノに放たれて燃え上がるのをいつも客席から目撃してた身としては……

やっぱりござさんにはピアノで語ってもらいたいというのが本音ではある。

宣伝に身をやつしたござさんは見たくない。

 

ファンが何を楽しみにソロツアーに出かけるのか、アルバムも好調に3rdまでリリースできてるのはなぜなのか。それは全て、ござさんのソロピアノに惚れ込んでる人がそれだけいるからということの証明だろうと思う。

 

ござさんにはそこの点だけは記憶の片隅に留めておいていただきたいと切に願う。