ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

NEO PIANO Far Beyond 2023の感想

 

 自己紹介ーー初めてこのブログ部屋へおいでた方へーー

※これ書いてる人は、ござさんファンです。超絶熱血究極に単推しのござさんファンです。ござさんが一瞬でも関わってるとすぐ自動的になんか書いちゃう症候群。よってこの記事の内容は、セッションライブにしては不自然にござさんに偏ってます。ご了承ください。

あと、JAZZとかクラシックとかピアノとか全く分かんない人です。あっ違った。自分は学生時代が吹部だった関連で、管弦楽と器楽はちょっとだけ知ってる。ピアノは小さい頃チラッと習ってただけでまっっっったく何もわかりません。

 

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

 

NEO PIANO Far Beyond 2023

1月21日 inかつしかシンフォニーヒル

 

今回の記事は、このセッションコンサートの感想なわけですが、去年の2022/4/24にも同様な名称のコンサートが開催されていたため、区別するために今回のライブ名に2023を付け足してみました。

※去年のコンサートおよび、今回の開催告知を含めて過去に書いた記事一覧を念のため置いておきます。

 

キャッチフレーズ

今までは、自分は感想を書く前に、そのイベントまでのいきさつをまとめて、今回の演奏がどういう位置づけなのかを考えながら当日聴くし、感想もそれまでのことを思い出しながら考えていた。

しかし、もう自分はこれまでの過去、道程を振り返らないつもり。

前回のねぴふぁびの頃からコロナ流行の様子を見ながらも、徐々に有観客イベントが行われるようになった。出演者の面々もあの頃からさらに活動の幅は広がり、もう同じ俎上では語れないからだ。皆さん演奏もアレンジも進化し続けていて、今現時点でどんな奏者なのか?それは本番の演奏が全てを物語るのだから特に予習記事も必要ないと思って書かなかった。事前のイベント周知のためには書いた方が宣伝になったのかもしれないが、そんなのは公式さんがリードすることだし。

…と思ってたら本当に公式さんからの案内とか広報がない。

なんで?

2020年の第1回ねぴらぼの時は、事前プロモーション的にみなとみらい駅デジタルサイネージ広告が展開されてたりした。でもあの頃の無観客開催で全く先行きも読めなかった時とは違い、イベントも元来の形に近くなりファンにとっては多様な選択肢が戻ってきた。音楽の鑑賞の仕方はコロナ流行期の在宅とかリモート、配信から抜け、J-POPやクラシック音楽のコンサートが従来のように開催されるようになりつつある。

 

しかしNEO PIANO の名を冠するこのコンサート。

ねぴらぼの文化を継承するからには相当な実験的なプログラムなのだろうと自分の中ではいやでも期待が高まっていた。

Far Beyondつまり、「遙かに超えて」「遥かに遠く」

という言葉で訳されるようにこのイベントには時代の先を読む気風がある。

参加する奏者たちを見ると、誰もが考えなかった音楽へのまだ見ぬアプローチ、新しい道のりを模索するという気概を持っている。

芸術への飽くなき探求心。

既成概念とは全く別の観点から、真摯に音楽に、芸術へ向き合う姿勢。

こういうコンセプトのもと企画されたねぴらぼシリーズのコンサート、第4弾。

今度はどういう舞台になるのだろう?ある意味もう何がきても驚かないぞと腹をくくって、自分は画面の前に座った。

 

 

公式さんから発信された事前のご案内。ちょい遅いですけどね…?

今回のコンサートはねぴらぼの流れを汲むため、配信チケットもあります。

配信アーカイブ公開期間は、1月31日(火)21:00まで。

チケットは、今からでも購入可能です。もしまだの方おられましたらいかがでしょうか。(これ読んでる方の中にはいらっしゃらないかもですが)

 

さて今回自分は配信組だったわけですが、予習してなかったこともあり、配信チケについては特に確認してませんでした。色々片付けて、さあ配信10分前、視聴環境スタンバイ……

配信URLの案内メールから入ればオッケー……

メールは…

あれ?無いぞ????

そこで開始10分前になって慌てて配信チケを買った自分のことはどうでもいいのでコンサートの感想を書きます。

 

 

イントロダクション

開始時間ぎりぎりの配信画面には、何かのコラージュかのような待ち受け画面に素敵なピアノ演奏が流れていた。1曲だけではない。どうやら色々な方の演奏が…もしや出演者さんたちの録音演奏だろうか?

そこでイントロ部分の曲名を予想しながら出演者さんのツイートを拝借させていただきます。

瀬戸一王さん 

(2曲目)

バレエ音楽「恋は魔術師」より火祭りの踊り リチュアルダンス Falla El amor brujo : Danza ritual de fuego  ピアノ曲版(マヌエル・デ・ファリャ) 

瀬戸さんは自分的にはポケモンカービィゼルダなどゲーム音楽耳コピ演奏で有名だ。アンダーテールのアレンジで昨年コンサートに出演され、CDアルバムも出されている。

 

たくおんさん 

・冒頭の1曲目 ピカデリー(サティ)

・3曲目 ウィーンの夜会第6番(リスト)

たくおんさんのコンサート後のツイートが写真も多角的で、公演の概要も書いて下さり、感想も加えられていて非常に的確なレポとなっております。ありがたいことです……。冒頭で演奏されてた曲は、ピアノ曲に詳しくない自分はわからないのでそのままにしておきます、すいません……

 

菊池さん オリジナル曲

 パガニーニ変奏曲 Paganini Variations 

菊池さんの曲はオリジナルでサントリーホールのリサイタルで演奏されていた曲。

ござさんの清新の風も含めて、このイントロの録音演奏は各自代表曲といっていいものを持ってこられていた気がします。つまり開演まで、お客さんにはこの曲を聴いていただきコンサートの概要をつかんで欲しかったのでしょうか。なるほど?

 

ござさん オリジナル曲

・清新の風

・夕さり

ござさんの曲も代表的なオリジナル曲だった。逆に言えばここで流れてるのは本編で演奏しないってことか?と思って聴いていた。

 

 

オープニング、そこで示唆された課題

さて開演の時間、ステージにライトが差すと同時に、客席の1000人を超える観衆から大きな拍手を贈られて颯爽と現れるピアノ男子の4人。ファッションはみんなネイビー調コーディネートでまとめられ、菊池さんはいつも通り黒一色。

そして4人による和やかなのか何なのかわからないトークでコンサートは幕を開けた。つつがなく挨拶しているようでいまいち誰が主導してるのかわからないまま、

「先陣を切っていただくのは、瀬戸一王さんです!」

との紹介の声と共に、爽やかな笑顔の瀬戸さんのオープニング演奏が始まるのだった…

いやいや、菊池さんがなんとかボケようと隙を伺い、ござさんがそれを見逃すまいと菊池さんを絶えずガン見していたようではあるが。去り際、最初の挨拶とセットか?「じゃっ!よいお年を~~」という滑りまくりの誰も突っ込まないボケに、「もう無理デス…」と顔をしかめながら?ござさんが退場してるように見えたのは、たぶん気のせいだ。

 

あれ?背景にいくつも並んでいる電球ふうライトには見覚えがある。

どこだっけ?これか?

2020/12/19ねぴらぼinvention告知放送、木更津のホテル三日月からの生配信。

 

2021/2/11に開催されたねぴらぼinventionは「音楽における発明と探求」が確かテーマになってて、発明と言えばエジソン、ライブ当日の2/11もエジソンの誕生日ってことで、このレトロなランプがモチーフに使用されていた。

あのランプを彷彿とさせる舞台セット。コンサートのコンセプトは移り変わっても、前衛的な試み、時代の先を読む音楽を志向するという気風はねぴらぼ系統のイベントへずっと受け継がれているという暗示なのかもしれない。

 

そこまでは建前だ。

今に至るまで真に受け継がれているのは、お笑い要素の深刻な欠如という解決しがたい難問であった。

※ ↑↑2020/12/19のねぴらぼinventionの告知配信関連の過去記事を参考までに貼っておく。

あの日は木更津のホテル三日月から、事務員Gさんのチャンネルにおいてyoutube配信という形で告知されたのだが、実際の内容はボケっぱなしで誰も突っ込まないという、目を覆うような惨状であったことを付け加えておこう。

しょうがないから自分のその時の記事(上記リンク)の中でちゃんとツッコミしておいたので、コピペしておきます。その時自分はいちファンとして同じ過ちは繰り返すまいと心に刻み、そして誓ったのだった。

《引用》

「今日は告知。ねぴらぼ饅頭発売決定!」

饅頭?買いませんけど。違うだろwwGさんこれ以上引っ張らなくていーからww

なんかさーこの間から、ベタなボケにどうリアクションすればいーのwww

全体的にいって

"質の良いボケ欠乏症"

というか、

"場が引き締まるボケ担当"

が必要ですね、謎の組織(株)G興業には。ボケるのには高度なセンスが必要なはず、人材確保は容易ではないwww

 

じゃなくてツッコミ部門が欠落してたのが問題だったのだ。

しかし、時は移り現場はもっと悲惨になりつつある。

今回運営の方から、まさかの本番の最中にこのようなコメントをいただくとは、如何ともし難い由々しき事態なのでは?

どのような惨状だったのかは言わずもがな、おいおい今回のアーカイブ全編をご覧いただければ分かる事、ぜひ曲間のトークにご注目ください……

 

しかし裏を返せば運営さんがこうつぶやいてるということは、音楽的にさしてアクシデントはなかった、ということでよろしいでしょうか。自分は配信を見てましたが、素晴らしいの一言に尽きます。壊滅的なボケ役同士のトークは見なかったことにすれば。

 

 

共演の弦楽器奏者の方、及びコンサート会場

使用楽器:グランドピアノ

2台。客席から見て左がスタインウェイ、右がベーゼンドルファースタインウェイは向きが逆だからか、反響版は外されている。集音マイクがセットされているがそれは配信に向けたもののようで、ホールのお客さんには、スピーカーもなく生のピアノの音だけ、そして生の弦楽器の音だけが届いていたようだ。前回のねぴふぁびでは現地のホールにはスピーカーを通して音が鳴っていたようだったので、今回生の音を通してピアニストさんの素晴らしいタッチを堪能でき、ホールで聴いていたお客さんは本当に幸せだったと思う。

 

指揮者の方

よく考えよう。弦楽セクションには、ピアノの反響版にほぼ姿が隠されてて目立たないけど指揮者の方がついててアンサンブルをまとめてくれている。室内楽として弦楽4重奏とピアノ、という既存のクラシック曲の演奏ではなく、弦楽セクションが参加した曲はジャンルも奏法もさまざまであった。

自分的には幻想即興曲変拍子をきっちり指揮棒で捌いてたのがかっこよかった。
(こなみ感)そして、弦楽器が入るときござさんは指揮者をガン見して鍵盤ほぼノールックだったりする。

 

弦楽セクション

ヴァイオリン2人、ヴィオラ、チェロの4重奏(カルテット)編成

前回ねぴふぁびもそれに続くござの日ライブでも、弦楽合奏の方が色々ゲストとして参加されていたのをここで思い出す。でも今回の弦楽セクションの方々、演奏が素晴らしいのは特筆ものだ。今までピアノ界隈で弦楽器の音色といえば、ゲーム音楽とかPOPSで「シンセに入ってる弦楽器風の音色」として効果的に使われる、という場面しか自分は目にしたことがない。弦楽器自体の演奏も、素人の自分にはくわしいことは分からないが、なぜか今回演奏がステキだったので急遽このコーナーも作っちゃった。

「楽曲に加えられた弦楽器風の音」ではなくて、今回の弦楽器セクションの演奏は、きっちり一つのパートとして独自に音楽を解釈してて、ピアノと対等に音楽的に対峙していた。

弦がちゃんと鳴ってるというか楽器が歌ってるというか、その音色には艶がある。はっきりと音が飛んでくる。

ああ弦楽器の音って大好きだーって思い出した……その勢いだけでこのコーナーを書いている。(まじで自分は弦楽器の演奏のことは何もわからない人だけど。ただ五嶋みどりの演奏は好きだったりするが)

最初、瀬戸さんのCLANNADの曲では慎まやかで穏やかな演奏だったが、

ござさんの幻想即興曲による幻想曲で変拍子についてくるべく覚醒した感がある?

さらにたくおんさんのオブリビオンでのピアノ3重奏。もう言葉は不要。これだけで自分は白ご飯3杯イケる。

またラプソディインブルーという大曲、そしてアンコールでも威風堂々のいわばメイン部分を朗々と演奏され、色々自分は幸せだった……それぞれの曲の部分で好きなだけ感想書こう。うん、そうしよう。

アレンジも、より弦楽パートを生かす方向に進化してる。効果的に弦楽器の音色や奏法が編成に取り入れられ、贅沢な演奏となっている。聞いていたところただ弦楽器の音色をアレンジに取り入れるだけではなくて、音楽を構成するなくてはならない要素としてものすごく重要な立ち回りを演じていた。

 

コンサートホール

このホールはござさんの場合の視点で言えば。去年の日本遺産コンサートでも使われた音響が素晴らしいホール。スピーカー設備が必要なかったのもうなずける。毎回このホールでねぴ関係の公演してくださってもいいくらい良い場所なんじゃないかと自分は思う。

 

照明

クラシック曲の演奏を純粋に楽しむ公演とはまた違うので、こういうエンタテイメント要素も注目どころ。いつも印象的に的確な演出してくださって、コンサートのクレジットにこういうスタッフさんは名前が挙がってこないが、カメラ撮影担当の方、あと配信のミキシング担当の方がいるはず?で、そういったスタッフさんの協力あっての舞台ということを忘れてはならない。配信における視聴がまるで現地かと思うほどリアルである。2台の最高級のピアノの響きを高音は華やかに、低音は大編成の楽団かと思うような音圧で、しかもどの音も割れずに美しく演奏のタッチを的確に拾っている。

関わっているスッタフの方全てに言及したくなるくらい、配信で見ているだけでも、今回の公演は素晴らしかった。

 

 

瀬戸一王さん

「Undertale/アンダーテール」ゲーム音楽メドレー

そしてござさんいわく演奏会の「先陣を切る」のは瀬戸一王さん。

自分は究極にござさん単推しのため普段ネットピアノ界を縦断して視聴できてるわけではない。なのでござさん以外は予習できてなくて、この本番配信を聴いた印象をそのまま書く。

今回のメンバーの中では初々しいネットピアノ界の新星とでも言おうか。しかしネピサマで初めて自分が知った頃から超絶技巧の使い手で(リンク:【ネピサマ】瀬戸一王ピアノライブ【PIANO LIVE】 - YouTube )特にゲームとかアニメの耳コピを得意とするところは、自分の推すござさんと特色がよく似てる。

そしてこのアンダーテールBGMのアレンジ曲は、去年CDアルバムとしてメジャーリリースされていた。ゲーム曲はゲームやってる人が各々に一家言あるところだと思うので自分はここではコメントは避ける。ただクラシックの正統派な演奏の印象がある瀬戸さんは、音もリズムも正確にして厳格、端正だ。スタインウェイの幅を左右の限界まで使って原曲そのままに再現する様は、すべてのUndertaleファンを唸らせるに違いない。

こういう海外で人気のゲームは日本を飛び出して広く色々な国にファンが居そうで、瀬戸さんのyoutube動画にもこういうゲームアレンジ動画には日本語じゃないコメントも多い。そういう風に今までの部屋の中から、自分がネットで知ったピアニストさんは皆それぞれの一歩を踏み出していて、再会し一回り違った姿を見ているみたいだ。ちょっと背中が大きく見える。

音響も最高、(youtube動画もすばらしいが)それとは異次元の美しい演奏。原曲のエコーを人力ディレイ(FFのプレリュード的)で再現し、照明も相まって幻想的な世界が広がる。

 

オリジナル曲「横笛のソナタ」(仮題)

基礎的にはクラシックの道を歩んできたであろう瀬戸さんであるが、作曲もするらしい。このネットピアノ界隈、作曲とか編曲とか耳コピとか即興とか……多かれ少なかれそんなことが出来てしまう人ばかり。でもみんな得意分野は違っていて、多才というか、つくづく外から評価されるだけの価値観では測れない世界観持ってるなと思う。

そしてこのオリジナル曲、初公開らしい。なんとまだ曲名も決めてないらしい。有料公演ではこういった実験段階での演奏も見聞きできるのが醍醐味でもある。その演奏家の歩む道を一緒に体感できるというか。

軽快なフルートの演奏をモチーフにしてるようだが中間部の歌う旋律が自分は好き。フルートの独奏曲はバロックの曲のイメージがあるのでこういう現代曲は逆に新鮮味がある。

 

【※2023/1/28追記】

上記の通り、瀬戸さんのゲーム音楽やアニソンメインからござさんへと続く流れで、自然と後半部のクラシックゾーンと対をなしている構成になっていた。

瀬戸さんは去年CDでもリリースされたアンダーテールメドレー、自作曲、そしてアニソンで弦楽器コラボと、非常に斬新かつ挑戦的、熱意のこもったプログラムを掲げられている。

自作曲もフルートをイメージされているから吹奏楽曲の冒頭みたいな感じがするが、いやいや??瀬戸さんの作る世界だから、どう考えても正統派RPGの旅立ちのテーマみたいじゃないですか。そう思ったら最後、眼前にはもう山や海、村とかお城が点在するフィールドしか見えなくなった。間にクラシック調のアルペジオが入って格調高い展開がさらに中世の勇者の旅っぽいですよね??

 

瀬戸さんの項の冒頭に貼ったyoutubeライブのリンク。それは2020/8/29のネットリレー配信、ネピサマのものだが、そこでも瀬戸さんはトップバッターを務められていた。その時の自分の感想記事から、瀬戸さんのイメージの部分をコピペしておく。

元記事:ネピサマ!♬とりあえず雑多なつぶやき🎵 - ござさんの魅力を語る部屋

【2020/9/5(土)の菊池さん配信ライブより引用】

「トップバッターって大事ですよね。その最初の人の印象で、『このイベント面白いな』と興味を持ってもらえてその後続けて見ていってくれるかどうか決まる」

自分は、まさにこれだったのかも。無意識のうちに。だって、そういえば菊池さんのあいさつ聞いたらござさんまで離脱しとくつもりだった。しかし瀬戸さんの演奏に呼び止められ、さらにgaoさんの所で色々な意味で目が点になる。「こりゃすごいよ。全部聞こう。感想も書かなきゃ!?」となりましたから。

あの時自分の知識はござさんのストピ動画で瀬戸さんを見た印象がある程度、ほぼまっさらな状態のところにネピサマの冒頭で聴いて鮮烈な衝撃を受けたし、それは月日が経ってこのねぴふぁびにおいても本質的な位置づけは同じなのだと思う。

そこに観客が加わり、弦楽器とコラボもでき、携える相棒が自室のグラピから舞台の上でのスタインウェイに変わってさらにグレードアップしたとしても。先陣を切って何もない原野を切り拓く勇者……ううんやっぱりRPGのフィールドが浮かぶんだよね!?

 

新しい印象を持ったといえば、弦楽器コラボの曲。下記の通りCLANNADのBGMを演奏されていましたが、最初聞いた印象が先入観ありき。アニソンに使われる弦楽セクションはあくまで「弦楽器の音色を使っているだけ」なのだという認識だった。しかし改めてアーカイブ全編の弦楽セクション部分を俯瞰したとき、このアニメBGMもまた深い味わいを持っていることに気がついた。ピアノの美しく儚い旋律と合わせて、背景に流れる弦楽器パートが低く穏やかに語り掛けてくる。その様は淡々と描かれる中にしみじみと感動を与えるアニメのストーリーそのもの。そしてヴァイオリンのこの上なく美しく劇的な響きが深く、聴く人の胸を打つ。

ーーーーー※追記ここまでーーー

 

アニメ「CLANNAD」より 弦楽合奏と共に

なんといっても瀬戸さんは初々しいのである。オリジナル曲も人前で発表するのは初めてで……と照れている。このCLANNADの曲も、弦楽セクションと合奏するのは憧れだったので、と嬉しそうである。

演奏も、何ですかね?アレンジが純粋で美しいんですよね。ピュアなんですよね。揺るぎない的確な演奏も相まってストレートにその曲の良さを感じられ、上述のゲーム音楽などはファンは歓喜ものだったと思います。

このCLANNADていうゲーム及び京アニ制作のアニメを調べててうっかりはまりそうで深く調べるのをやめた。これ知っててこの演奏聴いてるとほんと涙腺崩壊ものでは…?

その裏表のない端正な演奏を聞きながら、キラキラ輝く夢の余韻に浸っていた。

いつまでも綺麗な美しい世界でいられると思っていた。

そう、このアニメ曲が終わるまでは。

(………べつに火曜サスペンス劇場の演出を志向してるわけではない。)

 

 

その演奏が終わり、弦楽セクションの方々へ瀬戸さんがお礼を述べて次に名をコールされ「はーい」と現れたのは、ござさんであった。瀬戸さんとお揃い?のネイビーのジャケット、赤いボタンがアクセントのブルーのシャツに蝶ネクタイ……冒頭で見かけた所ではたくおんさんもスーツに蝶ネクタイでしたね。クラシックコンサートじゃないからみんな衣装はエンタメ風味入ってるんですね。

ここから以降トークのネタは滑りっぱなし、

そしてアレンジと演奏はご覧の通り素晴らしく、

……このギャップがすごすぎてコンサート序盤の夢のような時間は坂道を転がり落ちていき、いつしかステージは大阪風お笑い劇場の東京支部と化していたのであった。

「瀬戸さんと以前お会いしたのは、確か(2020年1月の)川崎のストピ…?」

「え……????」

「まさかの、記憶に無い?」

それはござさんが合ってますけど。この時瀬戸さんはスキップして飛び入りだったから忘れちゃってたんですね多分。

【丸サ】演奏中にまさかの飛び入り!?けいちゃん&瀬戸一王さんと夢の連弾!!【大きな古時計】 - YouTube

そしてCLANNADで感動していた後だというのに、ござさん「僕もCLANNAD好きなんです~だんご3兄弟のやつですね~」ナチュラルにボケをもれなく入れ込まないでください。違いますだんご大家族です。笑顔で瀬戸さんに突っ込まれてるじゃないですか。せっかく感動してたのに……この気持ち返してください。

参考動画:CLANNAD だんご大家族 - YouTube

 

 

2台ピアノ:瀬戸さんとござさん「コロブチカ」

原型動画:【ピアノ講座】テトリスあの曲でラテンアレンジ講座! - YouTube

そして二人の演奏曲はこざさんアレンジのテトリスの曲「コロブチカ」であった。

え?テトリスは皆さんご存じっていう前提ですよね?ここ、解説しませんけどいいですよね?ゲームボーイみんな知ってますよね??

……さて、コロブチカの原曲はロシア民謡らしいが、それまでの瀬戸さんの作り上げた水晶のような美しい世界はどっかへ飛んでいき、ござさんに操られて謎のカオスの世界にみんな引きずり込まれていく。合掌。いや、生きてますけどね。

ワルキューレの騎行みたいなイントロからずっと右手でトレモロし続けている瀬戸さん。なんて鬼アレンジなの、瀬戸さんが可哀そうでしょござさん………!と思う暇もなくその後もタイトなタイミングでギリギリの世界を、二人が交互に伴奏と旋律を交わしながら超絶技巧が次々と繰り出される。転調やら変拍子やらやりたい放題のござさんアレンジ、そういえばテトリスだったっけこれ。

ベーゼンドルファーならではの低音部の鍵盤追加部分まできっちり使い倒すマニアックアレンジであった。BASS音域すぎて音が混じってる?気がするが、まあいっか。

ここで瀬戸さんから明かされる:ござさんはコロブチカの編曲楽譜を一晩で仕上げてきたらしい。その後おそらくそんなに無い日数でお互い練習を仕上げてこれるのがすごい。

 

【2023/1/28追記】

ござさんと瀬戸さんは、川崎のストピ以来の再会ではありません。皆さんご存じこの生配信でCASIOの6000円キーボードで共演されてましたよねっ!??

【ゲストたくさん】スタジオからグランドピアノでお送りします!Vol.460 - YouTube

瀬戸さんの十八番であるポケモンのシロナ戦BGM、また216番道路BGMがグランドピアノの迫力ある演奏とござさんが操るキーボードのピコピコ音源により夢の競演を果たしてたアレですよねっ!???というわけでゲーム音楽のゲーム音源によるコラボを熱望してるのでよろしくお願いいたします。

とにかくピコピコ音源ではなかったけどゲーム音楽コラボという意味ではコロブチカは夢見た舞台には違いない。上記の通りゲームの概念をすっ飛ばしてカオスになってたけど。アドリブ何パターンあるんですか。そしてソロコン全暗譜に続きござさんはなんでこの複雑アレンジも全部暗譜できてるんですか謎です。

 

この曲もキメごとに背中越しに視線でタイミングを合わせてアドリブを切り替えてる場面があったが、なんでピアノは背中合わせなんでしょうか?

絶対やりにくいですよね。お互い見えなさ過ぎて、途中瀬戸さんが右手ずっとトレモロの指酷使ゾーンで、トレモロから手を外してニヤッと笑い、客席にピースイエーイ(^o^)ってやってるし。

ござさんは旋律やってて気づいてないし。

コミュニケーション取れてないやんwww
( ≖ᴗ≖​)ニヤッ

そういうとこやで!(大草原)
wwwwwwwwワラww

 

表向きはね、こういうピアノアレンジ演奏ガチ勢のコンサートゆえに、「お互い背中向けててもセッションできるんか?」という半ばドッキリテレビの企画じみた酔狂な発想からきたとしか思えない、この配置。彼らは背中越しにでもなんでも分かり合えるエスパーだったのか…?

真に恐ろしいのは、このドッキリじみたセッティングで、次々と鬼のようなセッションを難なく涼しい顔でこなしてくこの4人である。

どうなっとるんですか(汗)

 

ーーーーここまで部分的追記ーーー

 

劇的なラストのあと、二人でトークをしようとして涼しい顔の瀬戸さんの横でござさんは窒息しそうな息切れ具合……いや瀬戸さんは若いですからね?しかし今日他のコンサートと掛け持ち、ダブルヘッダーだったということで、これで瀬戸さんの出番はラストまでお預けとなった。

 

 

ござさん

原型動画youtubeから貼っておくがこのコンサートでの演奏はまた全く別物なのであまり参考にはしないでください。あくまでござさんアレンジの原型があるという事実をリンクしておくだけです。

ダニー・ボーイ

原型動画:ダニーボーイ(Jazzy style) / arr.ござ【月刊ピアノ掲載】 - YouTube

瀬戸さんが去ったあとござさんは目に不敵な笑みを浮かべて(気のせいだ)、おもむろに「まずは駆けつけ1曲」とでもいうようにトークをさっさと切り上げて弾き始めた。うんうんトークする暇はもったいないですよねわかります。スタインウェイベーゼンドルファー両方揃ってるボーナスステージですからね、1秒でも長く弾いてたいですよね、うん。

無言で弾き始めたが多分客席の皆さんは「どっかで聞いた事あるなあ・・・?」と思っているだろう。ござさんアレンジはそんな耳になじみ深い曲が多い。そういうシンプルな曲を題材に取りながら、作り出していく世界は闊達にあらゆるイメージを行き来する。

しっとりバラード調で始まり、swingJAZZ風になり、次第にビートが効いてアップテンポで熱を帯び、さらにラテンの血が混じって、一度落ち着いたゆったりアレンジで終わる、ことはなくさらに映画のラストのような壮大なアレンジになって幕を下ろす…みたいな感じ?自由過ぎて追いきれません。ござさんいわく「ちょっとJAZZ調」ってサクッとまとめてますけど無理がある。

いつもラストのアンコールに使ってた曲だから、今回メインの曲に入れてみたそうな。ほんとなんでもありですね……

 

およげ!たいやきくん

原型アレンジ:およげ!たいやきくん(Japanese popular song)Jazz cover - YouTube

最近の動画:【JAZZ】およげ!たいやきくんを高速ジャズで弾いてみた - YouTube

ここのソロ曲たちは、ベーゼンドルファーで演奏されていた。素人のイメージですいませんけど、スタインウェイが華やかな響きなのに比してこちらは骨太かつ重厚な低音、高音部もシリアスでシャープな輪郭……なのかな?

スタインウェイの演奏は今までのライブで何度か体験されてるから、ござさんははじめましての機種にすっかり心躍って、新たな感触を楽しんでるかのようだった。

このアレンジも去年のござの日ライブに続き、先日のソロコンサートでも演奏されおなじみのプログラムになりつつある。日程が接近していたので定番曲を持ってきたのはあるかもしれないが、しかし楽器が違うとこうなるのかと思うような変わりぶり(に素人には見える)。

じゃなくてこのねぴふぁびには、他の3人の出演者の方のファンも多いだろうし、彼ら初見の人々は「およげたいやきくん…?はい…??」ってなってそうで、そのイメージが劇的な展開になって意表を突かれてたら自分はしてやったりというところだ。また若い人は単純に知らない曲だったりして、ござさんアレンジをデフォとして覚えてくれたら嬉しいなあ。(その場合原曲聞いたらなんのこっちゃってなりそうだが)

 

トークの時間

挨拶もそこそこに、生配信のチャット欄は…?とカメラまたはモニタを探してステージじゅうを隅から隅までさまようござさん。客席からは温かい笑いに包まれている(?)。モニタが分からんから虚空に向かってとりあえず手を振っていた。律儀だな…

その後スタッフさんからチャットのタブレットをもらって「言えばもらえるんですね~!」とツッコミなのか何なのかわからん発言。それと共にコメントを確認するも、そこにはソロコンの時と同様やっぱり拍手が並んでいるのだった。

こういう感じなので、ファンとしては、音楽的にはそりゃ現地のホールで生の楽器の音を聴いた方がいいに決まっているが、でも配信画面に向かってカメラ目線で手を振ろうとしてくれてる様子を見ると自分は配信でも寂しくないなって思うのだ。

心は、客席で一緒に音楽をたのしんでるんやで。

ござさん曰く「時代の進化を感じるというか…会場に来てくださる方、配信で聴いてくださるお客さん、いろんな楽しみ方があるんだなと思う」

それは自分らファンにとってはいい方の変化だ。

 

「ねぴらぼ、ねぴふぁび…(仮にねぴシリーズと名づけるとして)そのたびにいろんな挑戦をさせてもらえて、非常に光栄に思います」(幻想即興曲による幻想曲の演奏後)

ねぴシリーズは色々実験的だなあと思っていたが、やっぱござさんも意識してやってたんだなあ!と思った。そもそもござさんアレンジそのものが可能性への挑戦に満ちている。ちっとも守りに走らない。どうしよう?って逡巡してるところなんか一瞬たりとも見たこと無い。常に100%攻めの陣地にいるから見失わないように、また振りほどかれて置いて行かれないようについて行ってみよう。

 

【2023/1/28追記:完全なるござさんファン目線から】

瀬戸さんがゲームとアニソンとするならござさんエリアはJAZZにPOPS、フュージョンといった様相で幻想即興曲からうまく後半部のクラシックコーナーへ繋げられている。トークなしに、まずは…といってダニーボーイから入るのも、雰囲気作りが大事というJAZZの手順だろうか。この動画でも、言われてますよね雰囲気づくりはだいじって。

違和感ゼロ?!都庁でジャズメドレーに【あの曲】を混ぜてみた結果…? - YouTube

さてJAZZの真骨頂はコード進行とアドリブであるからどっちにも素人の自分はツッコミを入れられず、どっちにしてもござさんのエリアでは自分はうっとりと演奏する姿に見入り、音に惚れ惚れしてるだけのツカエナイ人間と化している。ステキ……

ダニーボーイは今までのソロライブから毎週の配信、ソロアルバムでもおなじみのいわゆる定番曲となりつつあるアレンジだ。楽譜もコード進行も見ないで弾いてるから今回も実際その場で考えたコード進行なのかも、定番アレンジなんか存在しないとも言うが。

有無を言わせない圧倒的な説得力と、あらゆるジャンルがつめこまれた原色のおもちゃ箱のようにめくるめく七変化するアレンジこそが、ござさんのピアノの聴きどころ。

こういう、曲名からは見えない、そしてござさんも言葉では説明せずいつも黙って演奏してるだけの、いわゆる聴いてもらわないと伝わらないことが、今回はねぴふぁびだからござさんファン以外もたくさんいらしてたり、また配信でも聞かれてると思われるので、そういう「ござさんて誰?」という人にちょっとでも知ってもらうきっかけになったかもしれないな、と思った。

たいやきくんJAZZアレンジも、幻想即興曲と弦楽セッションも、その演奏は初めて聴く人の度肝を抜いたのではないかと想像するに難くない。1曲弾くたびに汗だくになるくらい精魂込めた演奏が無言のうちに全てを物語っている。

そのくらい、今回のスピーカーを通さない生のピアノ、完全アコースティックのコンサートは完成度が高かったと思う。生配信で聴いててもとにかく音が、映像が、演出が何もかも素晴らしい。

 

また、映画に助演俳優賞があるとすれば、今回のコンサートで助演賞とは何よりも2台のピアノ(と調律師の方、そしてそれらを最高の環境で配信してくれるミキシング担当エンジニアの方)が挙げられる。

各奏者の渾身のエネルギーと情熱、心の底を汲み取るような繊細な表現、全てを余すところなく見事に受け止めて、彼らの世界観をこれ以上ないくらい克明にステージ上に描き出してくれている。

特筆すべきなのはベーゼンドルファーの低音部。どれだけ低くなっても音が割れず、しっかりと和音の基音部を支えて豊かな響きをもたらしてくれている。(←単なる低音好きの人の個人的なつぶやき……)

 

また、次に挙げている幻想即興曲アレンジ版もござさんの類まれなるセンス、奇才、鬼才ぶりを余すところなく現出している。

この変拍子と左右で違うクロスリズム、動画撮影できたのもすごいと思っていたらまさかのコンサートで生演奏ときた。しかもそれを弦楽合奏とアンサンブルって、……

ピアノソロ版がござさんアレンジ。

ということは弦楽器パートもござさんが編曲されたんですか?(今気づいた)

どう考えてもね?ピアノの向こうに座っていらしてる弦楽器奏者の方々の顔が、この曲の時だけ異質にこわばってるのは気のせいですかね。

だって何時も演奏されてるであろうクラシック曲にこんな変形したロボットアニメ的なモーションになった曲って、ないと思うんですけど絶対。この曲をやる羽目になっためぐり合わせって何なんだ、でも血が騒ぐ…みたいな謎の雰囲気が流れてる、気がする。

 

ーーここまで部分的追記 2023/1/28ーーー

 

幻想即興曲 弦楽合奏と共に

原型アレンジ:幻想即興曲(ショパン)超絶アレンジして弾いてみた - YouTube

「原曲に疾走感のあるアレンジを加えまして、さらに弦楽セクションが加わることでどのような化学変化になるか?」という曲解説と共に、弦楽器パートの皆さんが紹介された。

この弦楽合奏が加わることで劇的な変化を遂げている。原曲アレンジが既にイントロも全く違い、変拍子あり、ボサノバが混じり、色々変則的すぎるが、この弦楽器パートが加わったことで、決定的に別物の曲へ変貌していた。このコンサート聞いてよかったなと思う曲の一つ。いや全部大好きなんですけどね。

変拍子続きのどうやって合わしてるのか分からないタイミングで、絶妙にピアノと弦がキメを合わしてるその瞬間の緊張感がたまらない。弦の響きが入るとまるで推理ものの映画でクライマックスの逃走劇か何かのシビアな場面で効果的に、映像もコラージュ入ったりする手の込んだ場面とかで使われてそう(という妄想)。

ござさんは両手で違うクロスリズムを刻み、弦楽器も変拍子のパートが続き、指揮の人も弦パートの休符部分をシビアにカウントを取る。

ござさんも「この曲、弦楽器セクションの人大変だったと思います、ついてきてくれて感謝です」と述べられている。ライブでしか味わえない豪華な演出だったといっていいだろう。

 

シンセのストリングス音源と生の弦楽合奏の決定的な違い

この理屈は電子ピアノと生のピアノ演奏との違い、と同一であると思う。

つまり、シンセに収録されてるまたは別売り音源というのはアコースティック楽器の演奏音をサンプリングで録音したものを再現してるのであり、その音単体では同じ音かもしれないが、しかし物理的に楽器というのは音を発するとその音だけではなく色んな音が自然発生している。これを倍音という。アコースティックな楽器は全てこの倍音が多かれ少なかれ発生しているが弦楽器も例外ではなく演奏時に豊かな倍音を発し、それが人間の耳で聞いたときに美しい響きとなって聞こえるのだ。

倍音 - Wikipedia

「倍音」を理解させてしまう動画【音楽理論の基礎!知って損なし!】 - YouTube

つまりアニメ音楽とかゲームBGMに登場する弦楽器の音は少なからずシンセの打ち込み音だったりして、その音単体で存在するから理論上は倍音は聞こえないことになる。

このコンサートで登場された弦楽四重奏では中低音のチェロとヴィオラ、バイオリン2部編成でピアノに似た幅広い音域をカバーし、またそれらの合奏により発生する倍音が、曲に音楽的に表情と奥行きを与えている。瀬戸さんも「実際に弦楽合奏とあわせるのは夢だった」などとコメントされ、ござさんもまたこの幻想即興曲アレンジの合奏で意外な化学反応みたいな演出効果?を生み出したことに充実感を覚えているような表情だった。

ただし。

この贅沢さはコンサートの場ならではのものであり、シンセのサンプリング音源は様々な場所でも本物の楽器に近い音をしかもデジタル処理可能な形で演奏できるから、どっちがどうとかではなく、用途に合わせて使い分けるべきものという前提はあるが。

 

 

ござさんと菊池さん

夫婦善哉…… ではなく仲が良い夫婦漫才の二人

ここで菊池さんが登場されてからが、このコンサートにおける真のカオスだった(なんのこっちゃ)。

決して相容れない2人の要素がせめぎ合う。

矛盾とはまさにこのこと。

必死でなんとしてでもボケようとする菊池さんと、それをメンツにかけても食い止めたいござさんの一瞬たりとも油断を挟めない緊張感あふれる攻防が繰り広げられる。

いや??菊池さんのボケを聞き逃すまいと、ござさんはなんとかツッコミを入れようと頑張ってたのかなあ?

「重みのある一言をどうぞ!」「体重が増えて……」
「やっぱ餅のせいですか?」「そう、気持ちの問題がね……」

ボケは拾えずツッコミにも至らず、永遠に滑りまくるトーク。まるでハムスターが走る回し車のようにどこまでも止まらない。

菊池さん曰く「ござさんが絶対にまとめてくださると信じているので……」

…菊池さん、確信犯かい!と無言でござさんの目が物語る。

でもござさん「ぼくもピアノで(セオリーから)結構外しまくりますが、そういう時菊池さんは頼りになりますよ」ていう台詞はフォローでもなんでもなく心からの本心だよねって思う。

うんうん仲いいよね!

「周りから、気が狂ったようにピアノ弾いてるって言われる」
「そう休憩中もずっと弾いてるんですよ、ござさん」
「はぁ!??そちらの話でしょ?」

うんうん!やっぱ仲いいよねwww!お互い様ですね!!(ここ大好きすぎるので当然自分はメモった🖋)

「さあでは演奏へ……」「ん?」「え?」とどこまでも平行線の二人。楽器に触れれば言葉は要らない2人なんですけどねえ…やっぱ菊池さんのボケは難易度が高すぎですねえ……ござさんもっとツッコミ修行してください(切実)。

 

 

2台ピアノ:ファランドール《「アルルの女」第2組曲より ビゼー

オケ原曲:Bizet - L'Arlésienne Suite No. 1 & Suite No. 2 / Nathalie Stutzmann - YouTube
ござさんの一人合奏版:ライブ開催告知放送! / Piano live 2020/06/13 - YouTube
(各動画、ファランドール部分を頭出し済み)

この曲は同様な2台ピアノ編成で、先日11月に池袋でのイベント STAND UP! CLASSIC FESTIVAL’22 in TOSHIMA、いわゆるスタクラにてござさんと菊池さんは一度演奏されている。その時も相当盛り上がったらしいが今回はさらにアドリブに容赦がなく、二人の攻防は手に汗握るものがあった。

※もともとのモチーフは南仏プロヴァンス民謡の「3人の王の行進 (March of the Three Kings - YouTube) 」からきている。

 

※原曲ではーーー
冒頭でまずカノンのように掛け合わされる旋律が提示されたあと、16分音符が通奏低音みたいに刻まれ、終盤へのダイナミクスは理性的に制御されてる。タムタム?と低音弦楽器でずっと刻む16分音符にのって、一気に終盤になだれこむはずだ……

 

しかしお行儀よく最初の旋律を提示すると早々に、リズムを担う16分音符を心臓の動悸のような裏拍で強調しつつ、二人は互いに乾坤一擲のアドリブを容赦なく応酬し合うのだった

ベーゼンで刻まれ始めたリズムが地底からの野獣の咆哮さながらに轟きながら受け継がれていく。地を揺るがすような無限のエネルギーを秘めて土俗的な魂の鼓動が鳴り渡る。

原野に走り出した猛獣の如く縦横無尽、変幻自在に放たれるアドリブは変拍子に不協和音や不思議な和音進行、同音連打にリズムはフレームアウト。ござさんは不思議なコード展開を駆使しながらも、19世紀らしい型にはまった和音できっちり終止形に落としてきてる。菊池さんは変拍子のリズムもさらに外しまくり、どっかへ飛んで行ってしまいそうになるが、ござさんは猛獣使いを思わせる射るような視線で手綱を握り、その難解なコード進行の行く末をきっちり受け止める。

それらの嵐が吹きすさぶ中、おもむろにユニゾンの単調な旋律に戻る。あの光速アドリブからこのユニゾンの音の頭を揃えるようにピタッと落とし込むのがさすがのリズム感。

そこからは原曲リスペクト、さらに高音部は華やかな音のスタインウェイでござさんがオクターブの16分音符でシャープに動き、中音域の対旋律はベーゼンドルファーで菊池さんが重々しいオクターブで動いてて(でも同時に右手でなんかやってますね)、ピアノの役割分担的にもぴったりで楽しめる。

最終盤にこっそり左手オクターブで高速で上下降するのをねじ込むのも忘れない菊池さん。かっこよ。最後に寸分違わずぴったり合うところまで終始鬼気迫るタイミング、魂が呼応してるんでしょうか?シンクロしてるというか?

 

【 2023/1/29  ファランドールのオタクな追記スルー推奨

トークは聞かなかったことにします。トークさえスルーすれば、本当に素晴らしい完成度のこのコンサート、いちいちトーク聞いて笑ってる暇はないんです。少ないアーカイブ期間、ひたすら再生を回して聴きまくって演奏をたたきこんでるので悪いけど君たちにつきあってる場合はない。じゃっ✋✋

最初にござさんが長調?で和音を弾き、菊池さんがオクターブ上をポーンと押す。今日のご機嫌はいかがですか?そういう二人の会話はそっとしといて。

 

(以下自分のTwitterより抜粋、補足)

結論を先に書く。

ござさんのスタインウェイで旋律、つまり華やかな木管とヴァイオリンを担当。

しかし主役は菊池さんパート。ベーゼンが渋い注目どころを全部持って行ってて鳥肌もの

何やってるかがわかるとまじでえげつないかっこよさ。

bravo!!

・1:36:10~以降に入るヴァイオリンのグリッサンドを、2人で交互にナチュラルに入れ込んでる。装飾音単位の瞬間に4連符を。どうやって……?謎。

・1:36:20~40以降、菊池さんの左手が(それまできっちり均等に16分音符だったのに)なぜかアクセントつけて裏拍を取り始める。菊池さんは職人なのでこの16分音符を表情を変えず寸分狂わず刻む。その後、定型部分から1:36:45~以降アドリブ部分にかけて、菊池さんは16分音符リズム部にも変拍子をねじ込んで遊んでる。表情を替えずにシレっと。

 

・アドリブは噂ではスタクラでは3曲くらい別の曲を混ぜてたらしい。たぶん思い付き?だったが、今回のアドリブはガチで手加減なし、リズムでガンガン行ってお互いを煽りまくり。上記の通り菊池さんがリズムを改変して遊べば、ござさんは低音で鍵盤壊れるだろ的な圧かけてきててスタインウェイなのに酷使されてて可哀そう案件。バスドラムかその音量はヤヴァイやろって思う。アドリブの掛け合い、拍子に不協和音に転調?して同音連打してリズムはフレームアウト、フージョンかみたいな踏み外し方、あーお互い信頼してるからできるんだね!!ってレベルのぶっ込み方。※1:38:20、ござさんの不協和音からの下降形の裏で、リズムやってるはずの菊池さんが左手で下降形合わせてキタwwwまじで?wwwお互い見えてないのになんでそのタイミング合うの?www

 

・こんだけ踏み外してるからその後のキメがなにげに難しそう高速で飛ばしてるとこから急ブレーキかけて、1:38:45ここでいきなり2人揃って単音のユニゾンに戻るから音の頭を揃えるのが難しそう。

ただ惜しいのは1:39:30(原曲なら弦と木管の全部ユニゾンで上下にうねるように動く)もうちょい迫力あれば? ←無理な注文

 

この曲でおいしいのは菊池さんパート。主に左手。渋い。渋すぎる。キメがばっちりはまるか?固唾を呑んで見守るばかり。

みなさまどうぞご堪能あれ。

要するに1:39:10以降。

そっからはリズムを改変しなくてガチ勝負にきてるわー!と思って手に汗握るんだ。

まるで列車が近づいてくるみたいな迫力の左手。

それが8分音符に変わるとこの和音(1:39:20)……わー決まったぁぁぁ(確かにフィギュアに似てるなこのノリは)!

その後の1:39:25から2回繰り返す裏拍からの低音の2つの音もキマッたぁぁかっこよー!(やっぱノリがフィギュア)そっからオクターブでバンバン降りてってからが菊池さんオンステージ。

1:39:35~原曲なら金管全員でハモる最大のヤマ場を全部右手だけで拾ってる。おいしいとこ独り占め。しかもフュージョン風味に和音とリズムをシレっと外してくる菊池さん。現代風になっててさすがです。

1:40:00~の菊池さんの左手が高速オクターブで上がって下がっていくのがこの曲のクライマックス。たぶんオリジナルで入れたのか?いかにも菊池さんらしい感じがするパート、ラストに向かって疾走するブレーキ壊れた機関車って感じで大好き。

 

あんまりマニアックすぎて元々書いてなかったけど開き直っていれてみたwww…(-_-;)ゞ

 

ーーーー2023/1/29追記 ここまでーーー

 

 

ござさんとたくおんさん

たくおんさんはyoutubeチャンネル名たくおんTVからの呼称であり、本名を石井琢磨さんというが、自分はこの記事ではあえてニックネーム風にたくおんさんと書かせていただく。そのほうが親しみがわくかなあと思ったから。自分は超熱血単推しござさんファンであるが、たくおんさんのピアノもYoutubeにストピ動画が上がると見に行ったりしていた。

ウィーンの宮殿でのクラシック演奏も素晴らしいけど、なぜかカフェでケーキ食べてピアノ弾いてたりして面白いし、それから美しい街角でのストピ動画は海外らしく観衆が盛り上がってて楽しめる。他にもYAMAHAショールームに行ったりと動画内容はバラエティに富んでいて見てて飽きない。

 

音楽を独自に解析して組み立て、わかりやすく且つ自由な語法で演出するござさん。

それに対してたくおんさんは全く別方向から、クラシックの世界から斬新な手法で音楽の本質にアプローチしている。既成概念としてのクラシックという存在を手段として使い、いかにして音楽を分かりやすく伝えるか?という点に腐心しているようだ。そしてその手法はバラエティ的な演出を伴って、聴衆に伝えるという目的を見事に達成していると言っていい。

 

分かりあえてきたトーク

しかしお二人のトーク通り、前回のねぴふぁびで4人で合奏した以外は共演は実質初めてのようなもの。よって距離感があるのは否めないがそれもまた演奏に程よい緊張感を生むのではないだろうか(←前向き)。またここで図らずも二人ともボケ役という事実がご自身により明かされた。

何も知らずにこのステージに放り込まれた瀬戸さん…( ;∀;)憐憫の情を禁じ得ない。うん、音楽以外にも経験を積むのは大事なこと。ネットピアノ界隈、このような一癖ある人ばかりの中を泳ぎ切っていくには人生経験も必須スキルである(誰かツッコミを…

 

ポンコツって言われます。もの凄く真面目に喋ってるのに、皆さんお笑いになるでしょ?ーーいいえたくおんさん、別にポンコツって言ってませんよ自分はね…その明るいキャラが皆さんに愛されてるのではないでしょうか。クラシック曲も多彩なレパートリーがあるようですがそれだけではない一面を持つところが人気の秘密なのでは?

にょんにょーんはともかく、僕は真面目なキャラで売ってます。ボケ…?真面目です。ーーあっそう真面目だったんですねござさん(棒読み)、ふうん初めて知りました(真顔)。ええ存じてます優先すべきはピアノの演奏ですよね。にょんにょーんの真相は別に明かされなくて結構です……

ござさんの隠し切れない正体はファンのみぞ知る。いずれにせよこの先、年月が経つにつれ追い追い明らかになっていくだろう…そのお茶目な正体が……でも結局ござさんの正体って、裏も表もなくて時間ある限りずっとピアノ弾いていたいだけの鍵盤マニア…?でもセッションでバッキングで合わせていくのも得意ですよね…?んー、簡単には表現しきれないです降参します……

 

2台ピアノ:フーガと神秘(アストル・ピアソラ

ここで思った。普通2台ピアノコンサートではピアノの配置はお互いが向き合うように置き、顔を見ながらコミュニケーション取れるようにするものだ。ピアノ本体も互い違いにぴったり形が合うから、それぞれの弦が共鳴して物理的にも音がハモるというか、演奏上の相乗効果があるかもしれない。

……それはピアノ曲はCDもコンサートも、ネットではまるまでは絶対に聴いてこなかった素人の自分から見た付け焼刃的な知識だ。

今回ピアノは奏者が背を向け合うように配置されている。なぜだ・・・?というか型にはまらないコンサートていう概念が念頭にあるから、伝統芸能のテンプレみたいな約束事は今回関係なかったかも。過去のねぴらぼでも、そういうセッティングはしていない。

 

たくおんさんが提案してきたプログラムは、ピアソラのタンゴだった。

「クラシック曲にはいい曲がたくさんある。色々な角度から、それらの曲をみなさんにご紹介したい」というスタンスがたくおんさんの持ち味のようだ。楽曲を解析し自由に楽しむござさんとは、目的とする音楽へのアプローチが対極に存在している。

目的地まで近づいていくたくおんさんと、自分の領地に目的地を構築するござさん。

ここではたくおんさんのターンである。クラシック寄りのタンゴ作曲家ピアソラが作りだすラテン音楽とクラシックジャンルの融合という概念が、この型にはまらないねぴふぁびコンサートにおけるクラシック曲としてぴったりだったかも。

ラテン音楽にも数えきれないジャンルがあり、それゆえにござさんの言葉を借りれば「ラテン音楽のことを調べようとしても日本であまりにも普及してないからか日本語の文献とかほとんどなくて苦労しました」という状況だ。実際自分もタンゴとかピアソラとか、言葉は知っててもどういう音楽でどういう歴史をたどってきたのかは知らなかった。

考えるより聴くのが早い。たくおんさんはそう言っているかのように曲名を短く紹介するとさっそく二人で弾き始めた。

ござさんがまずタンゴ独特のアクセントとキレキレのリズムを効かせてテーマを演奏する。たくおんさんも掛け合いでフーガの様式に則ってパッセージを繰り返す。ラテンなのに、タンゴなのにフーガ。タンゴの様式自体にも厳格なルールがあり、ピアソラの曲の解釈にも様々な意見があるらしいがそんな専門知識はここでは必要ない。

バロック式な曲の展開に合わせるように幾何学模様の照明が暗いステージに静かに回って動いていく。ござさんの右手がキメの部分で指揮者のように踊る。もともとは舞曲のタンゴだがこの編曲は2台ピアノ向け版だろうか。ござさんが編曲に関わってたら、こんなセオリー通りのちゃんとした展開には絶対ならないしな。

終盤に幻想的な、夢見てるような箇所を一瞬挟んで劇的に終わるバロック調タンゴ(?)

 

確かにたくおんさんのいう「色々な手法でクラシック曲をご紹介」するという趣旨は面白いなと思った。クラシック曲と言ってもロマン派音楽のように貴族のサロンで演奏された優雅で美しい曲ばかりではないということだ。

 

たくおんさん

オブリビオンピアソラ):ピアノ3重奏

ござさんはたくおんさんと漸くトークがかみ合ってきた(と言えるのか)けどしかし、ここで退場となった。次はたくおんさんソロ曲のターンである。

たくおんさん「ぼくも新しいことに挑戦したい」

そしてここで選ばれたのはピアノ、それに弦楽セクションからヴァイオリンとチェロの方に参加いただいたピアノ3重奏という、オーソドックスな室内楽編成。

演奏されたのは原曲版のままなのか?こういう編曲版なのか?よくわからない。たくおんさんの解説を借りれば「タンゴのなかでもミロンガという舞曲、そしてクラシックつまり弦楽とピアノが融合」して作られた曲。

 

弦楽器の音色に哲学を感じる。

たくおんさんのピアノが時折半音階?のタンゴ風展開を入れながらも、単音で温かい軌跡を描く。

そこに、思索するようにチェロの深い音色が広がる。

ヴァイオリンはいわばこの曲におけるソリスト。繊細なのに力強い圧倒的な音色で奏でられる哀愁が込められた旋律。生の楽器の音を堪能する醍醐味とはまさにこのこと。奏者と楽器が一体となって、色味を抑えた美しい絹のような音を紡ぎ出す。

それらが織りなす深遠な精神世界の淵に、ピアノの音が美しく落ちていく。

 

ござさんと同様、ラテン音楽は速いリズムで熱く奏でられるという先入観を持っていた自分は、ここでまた新たな世界に出会った。熱い情熱を持ちながらもこの曲は静かな世界の内にその輝きを秘めて終わるのだ。

たくおんさんの指摘するとおり、まだまだ世の中には知らないことがたくさんあって、それらを探していくのは何と楽しいことだろう。

 

 

共演された弦楽器奏者の方々

弦楽セクションの方は、れっきとした共演者だがどこにもクレジットが上がってこないのはなぜ。共にこの芸術的ステージを作り上げる一翼を担っていたのに、なぜ。指揮者の方もいたのに公式さんからも発表なし、現場で配られたパンフレットにも名前が無いようです。

素晴らしい演奏をなさった皆さんに拍手だけでなく、画面のこちら側の配信組からも賛辞を贈りたいときはどうすればいいんでしょう?気になって他の演奏会はどちらへ出られるのかって調べたくても動けません。

 

指揮の方もね……あのござさんの幻想即興曲アレンジ版のマニアックな変拍子を眉一つ動かさずにセッションでまとめてくださっていて、また終盤の大曲2曲もピアノ4人に弦楽器4人という謎の編成をきっちり仕上げられていたし、ほんとに、どなたなのでしょう?

仮に自分は地方組なので実際行けるかはともかく、演奏気に入ったので奏者について知りたいっていうシンプルな動機に対して何もナビゲーションしていただけてないのは、公式さんの手落ちでは?

という疑問がのこる公演でした。演奏が素晴らしかったから余計に。重箱の隅?ええ何とでも言ってください…

 

アダージョバレエ音楽「眠れる森の美女」より  チャイコフスキー

ピアソラの現代的な情熱を動と静で描いたたくおんさんと、弦楽セクションの方。彼らの演奏で静謐な感動に浸っていたのだが。たくおんさんのソロプログラムでいうクライマックスは、曲の規模でいえば次のチャイコフスキーだった。

バレエ音楽「眠れる森の美女」から、薔薇のアダージョ

アダージョといえばBPM56~63くらいの速度を指す音楽用語だが、バレエ音楽では男女で2拍子で踊られるバリエーションを指すらしい。全幕もののバレエだとクライマックスで主役の二人によって踊られることも多い、スケールの大きな壮大な曲。

「いい曲だなーと思っていただければ、今日の任務完了、かな!」

まさに名曲なのだが確かに、バレエって特定のファンは多いが一般的には広く知られているとは言い難い分野。この曲も「もっとみなさんにご紹介したい曲」の一環なのだろう。

たくおんさんの選んだピアノはスタインウェイ

暗めのスポットライトで照らされたたくおんさんは瞑想の底に沈んでいるようだ。

夢見るような儚く美しい主題が冒頭で提示され、続いてメロディメーカーとして知られるチャイコフスキーの親しみやすい旋律が、スマートかつスタイリッシュに奏でられる。どこか都会的な洗練された音。

 

チャイコフスキーの音楽は

だれにでも親しまれるメロディを持ち、

それを壮大かつ華麗な和音が彩り、

シンプルなオーケストレーションと迫力あるベースラインが曲を支える。

ひとことで言うと?

演奏効果が抜群。絶対に、盛り上がる。みんな大好きチャイコフスキー

ロシアの寒冷な気候と凍てつく大地を彷彿とさせる、穏やかにして冷徹な曲調。自然を愛したチャイコフスキーならではの雄大な曲の展開が、さらに聴く者の心を深く包み込む。

これがたくおんさんの真骨頂です。今日のメインイベントです。(どの曲でも言ってるかもな…)オケからの編曲版ならではの迫力と華麗さを存分に味わえる。全体重をかけ、渾身の思いを込めた低音部が支える美しい旋律。そして穏やかに消えゆくような終止形で幕を閉じる。bravo!素晴らしかった……!コロナのせいで会場では叫べない風潮あるが配信組は画面の前でいくらでも叫べるのが特権だ。

 

※ちょっと小声……オタクのつぶやきも付け加えておきます。どうでもいいのでオタクな人以外は次のコーナーへどうぞスルーしてください。

【スルー推奨:どうでもいい、しかし譲れない考察】

この曲がディズニー映画からか、バレエ音楽からかという論点はともかく。結論から言えばバレエ組曲からである。チャイコフスキーのバレエは全幕上演されると3時間を超え、あまりのスケールにレパートリーとして踊れるバレエ団も少なく、生でバレエ公演を見れる機会はそうそう無い。そこでチャイコフスキー自身により選ばれた名曲から成る組曲版がある。

今回のコンサートではその組曲プレトニョフが編曲したものから、アダージョを選ばれたようだ。つまり組曲版でいう、第一幕からのローズアダージョ

この曲は、16歳になり美しく成長したオーロラ姫、つまりバレエ公演でいう主役が颯爽と登場する場面で踊られる。可憐なハープの序奏がオーロラ姫の初々しさを表現し、また主役にふさわしい豪華な曲で、バレエ序盤の最初のクライマックスだ。

参考動画:バラのアダージョ「眠れる森の美女」第1幕、アンナ・シェルバコワ/Anna Schcerbakova - Rose adagio from "Sleeping Beauty" - YouTube

組曲版の編成では第2曲にあたる。

本作は、以下の5曲から成る演奏会用組曲としても演奏される。これはチャイコフスキー自身の選曲によるものだが、作曲者の生前は内容が固まらず、まとまったのはチャイコフスキーの死後であった。
1.リラの精(プロローグより序奏)
2.アダージョ/パ・ダクション(第1幕よりローズ・アダージョ
3.パ・ド・カラクテール(第3幕より長靴をはいた猫と白猫の踊り)
4.パノラマ(第2幕より)
5.ワルツ(第1幕より)

 ※出典:眠れる森の美女 (チャイコフスキー) - Wikipedia

 

でも、ふと原曲動画聞きに行って思ったんですけど、

「あれ、違くない……?」

じゃあ眠れる森の美女でアダージョって、他にこの曲バレエの中のどこで聴いた事あるんかなって思ったら第3幕だった。オーロラ姫が100年の眠りから覚めてデジレ王子と結婚式挙げる第3幕、その最終盤に来るバレエ公演の最大のみどころ。盛り上がりも最高潮。主役二人による華麗なるグラン・パ・ド・ドゥを構成する、舞踊としても大きなキメが満載で見ごたえたっぷりの曲だ。

第3幕「デジレ王子とオーロラ姫の結婚式」の最終盤の場面
グラン・パ・ド・ドゥ・クラシック (Grand pas de deux classique)
 入場 (Entrée)
   アダージョ (Grand adage) ←これ
   デジレ王子のヴァリアシオン (Variation du Prince Désiré)
 オーロラ姫のヴァリアシオン (Variation d'Aurore) 
 コーダ (Coda)

参考動画:アダージョ~グラン・パ・ド・ドゥ「眠りの森の美女」第3幕、キエフバレエ団、クハル&ストヤノフ - YouTube

これだよね?組曲版のアダージョってこれだよね?

ねっっっ?????

でも何をどう探しても組曲版は第一幕ローズアダージョですとしか書いてない。なんでだ、ついに自分は認知症になったんか…?いや認知症は、そのイベントがあったこと自体を忘れちゃうからまだまだ自分はそんなんじゃないぞ…?

それが引っ掛かって、ピアノを聴きながらも、バレエの場面でどっちを思い浮かべたらいいのかさっぱりわからないからリアタイした時にはイマイチ感情移入できずじまいだった。どうにか気持ちに区切りをつけて今これを書いてるところ。割り切るって大事ですよね。(しみじみ)

 

 

菊池さんとたくおんさん

ここまでチャイコフスキーの甘美な世界の夢に浸ってた自分は、その特等席からまるでトコロテンが押し出されるように現実に引き戻された。

ええ菊池さんが登場なさって「ラの後藤?とシの……???」とかなんとかスピチュリアルな世界に行ってしまわれてましたので。はあ、ラが現世ならシはそれを超えたネクストステップですか。ははあ、菊池さんの魂はついに現実の肉体から離脱してスーパーモードに変貌されたわけですね?

……さあさっさとピアノを弾いてもらいましょうか?(=_=)

他のボケには自分は断じてツッコミませんからね……そこはプライド(何の?)が許さないです……あああ誰か有望なツッコミ要員を現場に供給してください…

まあ、この一糸乱れぬチームワークは自分が知る限り、遡ること1年半前、たくおんさんが故郷の徳島県鳴門で主催したストピイベント、なんと鳴門大橋のたもとの山の上までグランドピアノを持ち込み地元学生さんと連弾・さらに菊池さんを呼んで連弾しちゃおうていう企画の時から続く歴史ある(?)ボケツッコミであり、温かく見守ってあげるべきコンビなのであったwww

・たくおんさんチャンネル:【菊池亮太】渦潮の前にあるストリートピアノで超高速グリーグ弾いてみた! - YouTube
・菊池さんのチャンネル:海辺で世界的プロと「最速クラシック曲」ガチ連弾したら観客が大爆笑!?【ストリートピアノ】【たくおん×菊池亮太】天国と地獄/剣の舞 Session with a world-class pianist - YouTube

 

2台ピアノ:死の舞踏(サン=サーンス

「もともとオーケストラの曲であり、随所に細かいキメがある難曲です」by菊池さん

たくおんさんが関わってる曲は、ピアノのために書かれた曲が多い。この曲もオケが原曲だが作曲者自身による2台ピアノ版があり、今回はそれを演奏されたのだと思われる。

 この二人は自分の中ではネット界でもクラシックの名手、上記の通りまったく存在意義をなさないボケツッコミはともかく演奏はお互いが本領発揮の域である。

 サン=サーンスならではのウィットの効いた旋律はあまりにも有名。この曲をレパートリーに持つピアニストはネット界隈だとかてぃんさんのお洒落かつ軽快な演奏があるけど、今回のライブでは曲本来の不気味さが前面に出されてて自分は満足。

スタインウェイのたくおんさんパートは輝きを失わない上品な旋律だが、菊池さんパートは渋くて澱んだリズムで今にも骸骨が踊り出しそう。菊池さんの言う通り緻密な構成の編曲で、全部がキメといってもいい。それらが互いに対旋律となり、時にユニゾンとなり、表裏一体に絡みあって恐怖感が増幅されている。

ベーゼンの低音の和音のキメ、半音階で高速で下がっていく最終盤、ホラー映画か?的な。こういう時の菊池さんは終始職人に徹しているのでこの曲は絶対怖くなるって分かってるからな…

サン=サーンスの曲では骸骨がカチカチいう描写はほかにも、動物の謝肉祭に出てくる「化石」にも使われている。ほんとフランス人らしい遊び心満載。

※モチーフは中世14世紀ペストの流行を背景にしていると言われ、美術としては骸骨が踊る様が描かれている。死の舞踏とは人口の3~5割が亡くなったと言われる別名黒死病の恐怖から生まれたキーワード。サン=サーンスのこの曲では深夜0時の鐘の音と共にまさに骸骨が墓場から出てきて踊り出し、生ける者を死の世界へいざなう様を彷彿とさせる。

 (画像リンク:死の舞踏 (美術) - Wikipedia ) 

 

 

しかし現世では死神も骸骨も、生きる者に直接は手出しできない。

そこで現場では地下指令室から鉄槌が下された。

どこかから聞こえる天の声ーーー……

今日は時間もタイトなスケジュール。君たちには明日も新たな指令の地に飛んでもらって張り切ってやってもらわなきゃならんのだよ。わかるかね?今回配信だから全国の人が聞いてくれてるし、一見さんも多いかもしれない。どこで気合入れるんだ?今だよ。ラの後藤にソの佐藤、フグに鮭に鴨川シーパラダイスなどという架空の施設まで持ち出してきて遊んでる暇はない。湯水のように時間を浪費し、お客さんを回復不能になるまで打ちのめしてる場合じゃないんだ。

このリカバリは可哀そうなたくおんさん一人に任せていてはいけないのだ……

警告は死の舞踏の前から繰り返し幾度となく発せられていた。

しかしここにきて闇の指令室では最後の決断を迫られたため、猶予期間はあっさり打ち切られたのだった。やむなく現場に下される最後通牒

 

マンボウってかわいいよねwww大きいしwwまるで石井琢磨さんの広い心のように…」ーーー饒舌に喋る菊池さんの会話を尻目に、突如ステージを闇が支配した。正確には菊池さんとたくおんさんの足元に落ちるスポットライトを残してすべては闇に呑まれたのだ。

マンボウで最後の墓穴を掘ったまま、ボケのマンホールから生還できないでいるそこのあなた方…聞こえますか……今、二人の脳内に直接話しかけています……いいですか…これが最後のチャンスとお思いなさい……今すぐボケを回収するのです…いいですか…どんな手を使ってでも巻きでMCを進めなさい…すぐにです……)

あっあわわわわわ…!

うわあああああ!

という二人の心の叫びはしかし客席にはばれていない。全ては闇の指令室の思い通り。

そしてそこから必死で二人はぶっちゃけ話をし始め、高速でMCは進む。なんだやればできるじゃないですか。うんうん、めでたしめでたし。ああよかった。

 

2台ピアノ:Mambo《「ウェストサイドストーリー」から バーンスタイン

なんでこの二人に限って、2台ピアノ連弾は2曲あるのだろうか。それは、死の舞踏がクラシックのたくおんさんからのアプローチとするなら、このラテン音楽をベースにしたバーンスタインの映画音楽にしてダンスミュージックは菊池さんの庭であり領域だからだ。

このコンビはクラシック音楽という一見共通項に見える得意技を持ちながらも志向するところは逆である。次の日もジョイントコンサートがあったようだし、そのようなコンビとして活動するのであれば2人一組、何事も2曲セットがデフォだと考える。

そのため、それぞれの曲でリードしてるのはどちらかの一人ということになる。(※この論理にはトークは含まれない。トークは今の所どこまでも急峻な崖を重力加速度を伴って転がり落ちる巨石である)

 

アクセント、複雑なリズムのバッキング、相手の風を詠みながら入れる掛け合い、全ての手綱は菊池さんが握っている。菊池さんがタブレットを持っているのはこの曲に限ってはたぶん必要ない。ていうか見てないよね。

楽譜からは読めないラテン音楽に特有のキメと呼吸。いわゆるラテンの血。それを本能のまま感じて鍵盤に現出してる。

しかし演奏によってはラテン音楽の勢いのまま狂乱の宴と化しているものもある中、実際映画版でもMamboの場面はダンスと共に盛り上がってとどまるところを知らない勢いがある曲だが、菊池さんはこの曲でも職人だった。ていうかバッキングに入ったセッションにおける菊池さんは徹頭徹尾、職人である。絶対に看板には姿を現さずに作品を作り上げる。姿は今回ちょい頭を現わせども決して主張しない。

冷静に相手のキメの瞬間を見極める。ござさんとは生態が違う種の射るような視線で、最も効果的なタイミングという絶好の獲物を逃すまいとでもするかのように。

 

 

 

菊池亮太さん

冬のエチュード

演奏会用の練習曲を模して作られたオリジナル曲とのこと。初披露は先月まで回られていたツアーにおいて、らしい。菊池さんにおかれましてはファン待望の初ツアーを無事終えられ、今年もコンサートにまた共同制作にイベントにと引っ張りだこ。自分は配信ではあるがライブで久しぶりにお元気そうな姿を拝見できて安心しました。

ネットの世界から飛び出して八面六臂のご活躍、こうなると資本は体である。くれぐれもお気をつけて。

さてトークではフグとか鮭おにぎりとか言われていたが菊池さんのソロは宝石のような美しさだった。喋るとアレでピアノ触ると素晴らしいのはどっかのござさんと似ている。

冬の夕暮れから夜にかけての物哀しい雰囲気に、煌めく粉雪の結晶が散りばめられたような美しい曲。でもどこかにPOPSの影?アニメのED感もある。

 

曲名から連想するイメージはさしずめこういう輝き。

エチュードっていう曲名から菊池さんは指慣らしなどと説明されていたが、次のメインプログラムへの導入部とも言えるだろう。自分の世界への入り口で雰囲気づくり、自分仕様へ世界観を模様替え。

さあ次へ行きますよ?

皆さん準備はオッケーですか?

という菊池さんから呼びかけられたシグナルだ。

 

 

ラプソディ・イン・ブルーRhapsody in Blueジョージ・ガーシュウィン 菊池さんアレンジ版+弦楽四重奏

このコンサートに際して自分は特に出演者の方の動画をことさらに聴き込んだりという予習は今回しなかった。記事の途中でも書いた通り、自分はござさん単推しであり色々な動画を聴き込む時間が無いのはあるが、何よりも、今このライブ現時点での演奏が全てを物語るからだ。

 

菊池さんは自分の中ではクラシックを(特にラフマニノフとリストを)演奏・研究される専門家だが、同時にそこだけが本領ではなくセッションのバッキング、作編曲家、またJAZZ演奏においても同様に専門家だ。何かの一つ括りには菊池さんのピアノは語れない。職人気質なのは性格?気風?作風であり、その掌握している世界は幅広くつかみきれないものがある。

ラプソディ・イン・ブルーはそういう意味でJAZZとクラシックのジャンルの融合した曲で、菊池さんの看板曲であることに異論はない。菊池さんの本領がもっとも鮮やかに感じられる曲というか。このアレンジの初演はいつでしたっけ…?所沢の無観客コンサート?またはサントリーホール、いつかははっきり知らないけどそこは問題ではない。

 

菊池さんのJAZZのリズム感と鉄壁の安定した演奏はいうまでもなく。

原曲から外れて?左手がswing JAZZのリズムを取り出した。そしてなぜかずっと微笑みながら客席を眺める菊池さん。なんですか?そこで寒いギャグは飛んできてませんけど?そしておもむろに両手を鍵盤から離し、指パッチンで観客を誘う菊池さん。そこにちょっと笑いが起きつつも、すぐステージは客席からの裏拍による大きな手拍子に包まれる。

自分がコロナ流行のなか無観客コンサートを眺めながら夢想していたのは、まさにこういう光景かもしれない。奏者と観客の呼吸、ステージからホール全体への問いかけと呼応。その後菊池さんの休止符的な止めの合図で一斉にやむ手拍子。うーんチームワーク良すぎです観客席の方々。ナイス連係プレーです。

コンサートの終盤のメインプログラムでこれをやる菊池さんに、なんというか人間的な器の深さを感じる。中盤の後の方にファランドールを一瞬混ぜるお茶目心も忘れていない。トークは観客を殲滅しそうな勢いだが演奏が全てを帳消しにしてくれるから問題なし。

その後菊池さんの言う「一番の注目どころ」、つまりおいしいとこ取りともいえるパートで弦楽合奏が加わった。つまり中盤のゆったりと壮大に歌われるメインの旋律のところ。あーもう大好きなんですよね今回の弦楽器セクションの方!演奏素敵です!何度でも声を大にして言おう。まじで楽器が生きてるかのように歌ってます素晴らしい。菊池さんのswingJAZZのリズムのキメと勢いに比して何ら遜色ない、息を呑む迫真の演奏。みごとに両者の音楽性はこの演奏会のソロ演奏のトリを飾るにふさわしい双璧をなしている。

【自分のコンサート途中の思考回路】ううむ、ラプソディインブルーがやっぱトリかなー楽しみだなー、弦楽セクションの方もいるからやっぱその曲だよなー、ということはあのメインの中盤の旋律はやっぱ弦楽器だなー、今回弦楽セクション鳥肌モンなんだよねー、ををっ?菊池さんがやっぱトリじゃん、そしたらラプソディーが………(以下無限ループ)

 

菊池さんのアレンジでよく見られる転調からの変則コード進行からの大きく脱線して戻ってくるパターン(もやってるのかもしれないけど分からない)、ストピ連弾ではよく見られたがこの曲ではきっちり楽譜を作り込んでいるからか、アレンジに遊びが入ってても終止形の中に納まっている。むしろ菊池さんの今持てる手数を全部盛りした感のある、聴きたいパターン全部詰まってる贅沢版だった。

ソロツアーでもこのアレンジを毎回演奏されてたのかもしれないが自分はそこまで追えてないから配信で聞けて感動。

ごめんよ菊池さん自分はござさんを追うのに精一杯だったから最近ご無沙汰しております。久しぶりに聴いた菊池さんのガチ演奏は何倍にも大きくなったようなな背中越しに聴くと素晴らしかったです、ありがとうございました。

 

【2023/1/29追記(主に、曲についてではなく)】

楽曲については、JAZZとかガーシュウィンバーンスタインの音楽にコメントできない素人なのでパスします。

菊池さんにおかれましては自分は演奏そのものの遍歴を追えていたわけではありませんが、去年はファンの方の念願であったソロツアー、熱望されながらも菊池さんは「ピアノの演奏が自身の中で機が熟すまで」、懐で温められていた節がある。

菊池さんは演奏をお客さんにご提供するにあたっては職人であるから、通りすがりの人にきいてもらうストピでは自由に演奏されていた。しかしきちんと準備して臨むコンサートにおいて、自身が開催するソロツアーにおいては、そこに込める思いは特別なものがあったのではないかと推察する。

2022年12月を以て千秋楽を迎えたソロツアーの副題はずばり

「ピアノ修行の旅」。

おや……?気が熟したからツアー開催するんじゃないんですか菊池さん!??

要するに音楽を生業とするものは、生涯かけてその本質を追求するべき存在だから演奏に到達点とかはありえないし永遠に進化を遂げるものだという世界観なのでしょうか。だから、ソロツアーという演奏にも会場にも徹底的にこだわった演奏会だからこそ、今の時点で追求できるだけのギリギリまで攻めた演奏を、ファンの皆さんと共有する場だったのかもしれないな。

と、ツアーに行ったわけではない外部ファンは想像するのだった。

CDアルバムをメジャーリリースしないのはそのようなこだわりがあるからかだろうか。あくまで日々移り変わって進化していく演奏を聴いてほしいんだろうな、と思う。それはYoutubeとかTwitterでの配信や動画投稿でこまめにファンに投げかけられているから。そして演奏会では節目として音楽研究の成果を披露する、というスタンスなのかな。

 

だから、Youtube配信ではよく生配信されている菊池さんだけど、今回のコンサートでも絶対にガッチガチに演奏そしてアレンジを研究し尽くした現在の「菊池さん」を体験できるんだ、と思って自分は配信に臨んだ。

 

そのような極限まで張り詰めた糸のような菊池さんの思いに応えるように、中間部で印象的な旋律をまるでナイチンゲール、いわゆる夜鳴き鶯の歌声のように美しく歌い上げるヴァイオリン。
(※参考動画:ナイチンゲールの鳴き声 ナイチンゲール/Nightingale - YouTube )

もう、プロが全力で渾身の力をこめて投げかける問いに、こちらもプロならではの大きな包容力によって全身でその思いを受け止めているようだ。

両者の持てる研ぎ澄まされた感性が、とある一閃する所で交わることで劇的な音楽空間を現出している。両者のえもいわれぬ美しい音色が持つ、圧倒的な説得力に惚れ惚れする。

 

ここまでの2台ピアノのプログラムまでは、セッションの片翼として徹底的に演出側に回っていた菊池さん。そのようなときの菊池さんは楽曲を真に音楽的に演出するプロ、としての矜持を前面に抱いて一瞬たりとも感情を挟まない。素晴らしい演奏のために持てる力を出し尽くす。

そのような意味ではソロピアノにおいても方向性は変わらないのかもしれないが、ただ方法が違うだけだ。ソロピアノは菊池さんが独自に曲構成を展開できるから終始自分の言葉で語ればいい、とでもいうかのように、それまでの楽譜のキメに従ってセッションしていた人とは別人のよう。

ラプソディインブルーは10分近い大曲にして名曲、しかも今回原曲に近い?構成というか弦楽器奏者との共演。

ガチですよガチ。

自分がここで楽曲について語るまでもない名曲。

クラシックとJAZZの融合、当時のNYの都会的、先進的な雰囲気の文化を体現したような洗練されたswing。今回、この曲のために選ばれた楽器はスタインウェイだった。なるほど。お家元、じゃないやお膝元ですものね。

クラック以前にJAZZに詳しくないので深く考えるのはやめるが、このアメリカのシンフォニックJAZZを代表する名曲を、キメ譜ではなく菊池さんの自由な間合いで自由に語っている。

時に客席からの手拍子を背に受けてまた走り出す。

慎重にリズムとアドリブを考えていた風な菊池さんだったがこの手拍子以降、ギアが入ったみたいに勢いが違い、それから弦楽合奏が加わって曲の厚みも増していく。

聴く者は全てその大きな海のなかに抱かれるように漂う。

現在菊池さんが成し得る限りの全てをぶつけたと言っていいスケールだった。

時に抒情的に、時にストライドにのって、また時に疾走するような、自由に変貌していくアドリブ。

観客はみな瞬きもせず魅入られたようになって、呼吸を詰めてただ音の行方を追っていく。

そして圧倒的なピアノに見事に応える弦楽合奏、特にヴァイオリン奏者に向けて個人的に祝砲を🎉鳴らしたい。

 

ーーーここまで2023/1/29 追記ーーー

 

それぞれが振り返るねぴふぁび2023

精魂尽きて汗だくになる菊池さん。

「アツかった!!!」と絶賛するござさん。

つくづくピアニストはアスリートであり、ピアノって優雅なサロンで貴族風味にお洒落に決め込む楽器じゃないなと思った。

そういう楽しみ方も場合によってあるにはあるが。

彼らにとって賞賛すべきは情熱ゲージの振り幅、重きが置かれるのは演奏の熱量であり、音色が美しかったかどうかは副産物だ。

魂がこもった演奏すると素晴らしい音色になった、そういう自然現象でいいじゃない?

 

なぜかござさんが敏腕司会者みたいになっている。そっちのほうにびっくりする。そしてきっちりトークをまとめてきた。まじですか?なんか唯一の欠点がトーク(とファッション)だっただけに、そこを固めてこられるとほんともう、ヒューロフティング作の子供向け小説ドクタードリトル( ドリトル先生シリーズ - Wikipedia )にでてくる180歳のオウム「ポリネシア」みたいな、老練な智恵のある生き物みたいに見えてくる。(実在のビジュアルなら?さしずめ原色のルリコンゴウインコってとこですかね。)

ポリネシア(Polynesia, the parrot)
とある船でペットとして飼われていた、180歳を超える[3]アフリカ出身のオウム。あらゆる言語に堪能で、ドリトル先生とスタビンズの語学の師である。怒るとスウェーデン語で悪態を口走る癖がある。

 

今回はタンゴ中心、ていうか舞踏曲中心(by菊池さん)、タンゴとかピアソラとかはクラシックにもJAZZにも通ずるものがあって、今回のメンバーが得意とする様々なジャンルに絶妙にフィットするレパートリーなのが良かったところですとか何とか……なるほど。

 

瀬戸さんは、そのまま純粋なピアノが持ち味です。何物にも染まらないで居ていただきたいです。こういうセッションコンサートは様々なものに出演されてきたと思うが、今回は曲目がどれもぶっ飛んでいたので驚かれていた感は否めない……

でもね?今回の2台ピアノはござさんアレンジのコロブチカで、それもガチセッションで聴いてて自分は満足でしたけど。

瀬戸さんの得意曲たとえばアレとかそれとかコレでのござさんとのセッションを諦めたわけではありませんので。シンセもありのセッションで2人が本気でぶつけあう現場を熱望してるわけです。それはあながち夢見がちな妄想ではないだろう。かたちとか曲目は遠からずとも、近い将来耳にすることができるかもしれない?

 

たくおんさんは今まで自分の中ではウィーンの音大に留学しててヨーロッパ風の演奏する人だったので、まあカフェピアノ動画でおちゃめな性格ってことは知っていたけどピアノのレパートリーも造詣が深いことを知った(当たり前か)。そしてさすがトークはうまい。菊池さんのボケに対抗できる実力を備えているか?それは定かではないが。

菊池さんとござさんはご覧のとおり(説明を放棄したともいう)。ねぴらぼで初めて有料ライブで共演してから、ここまで各々の進む道は違ってもそれぞれの現場で得るものは多かっただろう、菊池さんの第一印象「アドリブでわけわかんない事やっててひたすら怖い」っていうイメージはもう消えた。相変わらず理論はわからないけど。

ござさんは見るもの聞くものすべてを吸収して自分のものにしてる気がする。色んな現場でのセッションは全て自分の糧。何もかも芸の肥やしである。MCでしゃべる余裕がある程度には、演奏は落ち着いてできてたってことだから。

 

 

2台ピアノで4人合奏

リベルタンゴアストル・ピアソラ

今回のプログラムはタンゴなどラテン音楽が多かったということで、最後の全員による合奏はピアソラから人気曲リベルタンゴだった。

開始の合図を低音部の瀬戸さんとたくおんさんが無言で確認し合う。ござさんは最初からアドリブやる気でなんか没頭してる。その後菊池さんが低音でバッキングに回り、足で開始の合図をしてからが本番だった。その勢いで主導権は菊池さんとござさんが持って行ってしまった。ござさんとたくおんさんも合図しながら並んでシンクロして盛り上がる。

だから大丈夫なんです(何が)。

一歩間違えば破綻するセッションだが、ござさんがさまざまに、無限にアドリブを繰り出す。菊池さんがバッキングにいるから何やってもイケるイケるという勢いで。

瀬戸さんは奥ゆかしいからそのままでいてほしいです。

 

 

全員によるアンコール(+ 弦楽四重奏)  

威風堂々(エルガー) 主にござさんを見た視点から

(資料:威風堂々 (行進曲) - Wikipedia )

ござさん中心に語ります。いいですか?

この曲はエルガー作曲。独創主題による変奏曲(『エニグマ(謎)』変奏曲)とか、愛の挨拶とかで有名なイギリスの作曲家だ。威風堂々という曲名の和訳には諸説あるようだが、この曲は行進曲として作曲され、イギリスの第二の国歌、愛国歌としても親しまれている。BBCプロムス音楽祭では合唱付きで歌われたりする。

合唱付きの有名な旋律はゆったりと中間部で歌われる

冒頭は躍動的なベースラインが特徴的で高音部は主にリズムを刻む。

 

ござさんが3:12:40あたりで一瞬両手で指揮者の方とシンクロしてる所がポイント。

というか、ござさんが指揮者の方の真正面に座っているからか、逆にそのためにそのパートを担当しているのかベーゼンでバッキングを担当してるござさんは7割方鍵盤ノールックで、ずっと指揮者の方とノリを同一にしてリズムを取っている。キメの瞬間を逃すまい鍵盤そっちのけでガン見。

指揮を見る目がほんと楽しそう、この首がぴこぴこリズム取り出すとノッてきた証拠。

そう、このベースラインかっこいいんですよね……!表ラインと裏ライン(と自分は呼ぶ)があるけど、どっちも菊池さんとござさんでもれなく音を拾ってる。うんうんベースがしっかりしてないと曲は生きてこないですよね(持論)。

この曲はほんとは大英帝国を讃える歌、イギリス帝国主義反対な自分ではあるけどそういう思想はこの際関係ないので省く。

 

ベースラインもかっこよだが、この曲の真のメイン、有名な中間部の旋律に至って真の主役である弦楽セクションが加わった。

だから素敵なんですよその旋律の歌い方が……!!!惚れ惚れします…!

弦楽器は、というかヴァイオリンはソリストの楽器としての完成度が素晴らしいのはいうまでもない。それよりも今回は奏者としての弦楽器の演奏がBLAVOである。見れば見るほど、聞けば聞くほど素晴らしすぎる。

ピアノが素敵なこのねぴふぁびだが、弦楽セクションが音楽的に独立しすぎてあまりに素晴らしすぎるので、このチケは一粒で二度おいしいといっていいだろう。

 

ピアノですか?ピアノはベースラインが盤石なら高音の旋律部はキメと呼吸を押さえればいいのです。ピアノのみどころはみんなで合図を取り合ってあわせてるところです。

どうしても疑問な点と言えば。ほんと、なんでピアノを反対向きに置いたのか?というところ。なんで?これさえ向き合ってれば弦楽セクションは舞台の手前に来れてたかも。指揮の方ももうちょい位置づけに困らなかったかも。だって、反響板で指揮の方見えにくかったと思うんですよね、ピアノから。まじで謎でしかありません。誰でしょうこの配置考えたの。やっぱねぴシリーズのコンサートだから何事もセオリーを打ち破って挑戦するっていうコンセプト?いやいやほんと謎です……

中間部に入るところ、またもとの躍動的な部分にもどるところで指揮者と後ろをガン見して合わせてるござさんが確認できたので満足です。あと、終盤にかけてござさんと瀬戸さんも目と左手で、今から!っていう合図を出している。

そして最後にもう一回提示される、弦楽セクションによるゆったりした旋律。

ピアノの4人による最後にかけての畳みかける展開もぴったり合ってて、いろんな意味で繰り返し永遠に聴いていられます。

 

 

【2023/1/29 追記 多様な目線でヲタク考察…しようと思ったけどやっぱりござさん目線にしかならない🤣w】

低音パート(バッキング)ーー菊池さんとござさん

高音パートーーたくおんさんと瀬戸さん

このコンサートでの2台ピアノ、またはこの最後の威風堂々は四人と弦楽パートの合奏だったわけだけど、選曲の基準は何かと思ったら2台ピアノ用のクラシック楽譜がある曲を選んでる気がした。ファランドールは別、あれはござさんと菊池さんの嗜好によるオリジナル譜じゃないかなー明らかにアドリブが8割を占めてたからなー。

よって、この威風堂々ももともと2台ピアノ用…?みんな(3人)が開いてる楽譜画面、一緒じゃない?というわけで、2台ピアノ用譜を4人で弾いてる、つまり低音同士、高音同士、それぞれ全く同じ楽譜を弾いてるんじゃないのと思った。(上で菊池さんとござさんが別楽譜って書いてるがやっぱ同じの弾いてるよね)ということは全編ユニゾンだったんじゃないかと思って、それはそれで難易度が爆上がりだと思うんですけど?リズムも音の高さも全く同じ楽譜を別々の人間がまるで一人がやってるようにシンクロさせて、(更に管楽器弦楽器なら音程もシンクロさせるという)超ミラクルウルトラスーパーテクニックなんですよね確かユニゾンって?

 

そんで大体曲の入りがムズい。弱起(アウフタクト弱起 - Wikipedia )だし。ござさんが、みんな着席したかを確認して指揮者の方と呼吸を合わせる。最初の低音部の下降音をバシッと合わせたかったのだろうか。

ていうかピアニストって指揮者見る習慣が普通ないと思うんだ。

唯一指揮者が入る構成の曲って協奏曲ですよね、その時は指揮者はピアノへ向いて合わせてくれますよね。ピアニストがそんなにがんばって指揮者とアイコンタクト取って合わせていく事あんまりないですよね、普通。

逆じゃない?ピアニストが指揮者ガン見します普通??

というわけで自分はPIANICで旗振って電子ピアノのベースライン担当してたござさんを思い出したのだった。(該当箇所を頭出し済み)
Digest video of ”PIANIC-STREET PIANO Festival-" - YouTube

 

弦楽器が主役なのも上で書いた通り。

中間部の、原曲なら合唱付きで歌われる有名なトリオ(行進曲で言う中間部)の部分をどうぞ贅沢な弦楽器の音色でお楽しみください。

ご覧の通りこの曲はヴァイオリンとピアノのバッキング聞いてれば安心、安定なのがわかる。

 

ピアノパートはこの曲はキメ譜だから、どの部分がどうとかはあんまりない。

ただ背中合わせなのに高音同士、低音同士、ユニゾンだったとしたらやっぱりあまりにも芸術的に揃いすぎてて、みんなリズム感はタダモノじゃないなやっぱりって思った。

 

ーーー追記 ここまでーーー

 

 

ーーあとがきーー

なんだか思いましたね、自分がこの方々へ出会ったのはYoutubeの無料動画であり、また新しいファンにまず知ってもらうためには無料動画は不可欠なツールだと思う。

しかし、こういうきちんとした環境で、きちんと練習やリハを重ねて入念に準備された有料コンサートの演奏のクオリティは聴く方にとっても何物にも代えがたいし、また演奏家の方にとっても大きく飛躍する舞台になることは間違いないと思う。観客の方と呼吸を合わせながら作っていくステージは、練習室で磨く演奏技術だけではない目に見えない音楽性を養ってくれる気がする。そういう意味で、コロナ流行の時期の無観客公演というのは音楽家にとって生命線を絶たれたまさに窮地だったのかもしれない。しかしその反面、配信コンサートという習慣ていうかそういう文化を根付かせてもくれたから、現地になかなか行けない地方民、また時間が取れない事情のあるすべての人にとって今はいい流れが作られているのかなと思う。

 

(小声)少なくとも配信なしには自分は公演を振り返れないし、ここまで緻密な記事を書くことはできない。アーカイブも1週間以上あって、本当にありがたいことです。