ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

招待券

 

※この記事はフィクションです。ご注意ください※

 

 

それは立春を過ぎて日没もだんだん遅くなり、空の明るさも心なしか増してきたように感じられたある日。

いつもの日常。相変わらず厳しく冷え込む中、慌ただしくすぎて行く日々。

 

先月のござさんのソロコンサートは大成功に終わった。自分も配信で見ることができたのは大切な想い出だ。ござさんにとっても自分らファンにとっても色々初めて尽くしのコンサートだったけど、とにかくピアノの演奏は今までのどの時よりも格段に輝きを放っていた。あの素晴らしい音は一生忘れない。

 

そんなソロコンサートの想い出はいつまでも胸に抱いて、自分は次々と新たに動き出しているござさんの影を懸命に追っていた。

 

 

と、そんなある日。

 

カタン・・・

家の表のほうで物音がした。

 

かすかなポストの音、そしてバイクが走り去る音。

 

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ポストを覗きに行くと、無地の白い封筒が入っている。

そこには切手も消印もなく差出人も書いていない。

えっじゃあ今のバイクは何なんだ?と思って周りを見渡しても、その姿は跡形もなく消えていた。

 

 

封筒に入っていたのは小さな和紙カードである。

かわいい鶯と紅梅に金色があしらわれた、優しい色のイラストが添えられている。

 

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何だろこれ、招待券?

自分何かチケ買ってたっけ……?

 

こういうネーミングのTV、昔BS2の深夜番組であったような…?(参考資料:クラシック・ロイヤルシート - Wikipedia )オープニング画像がこういうステージの幕が上がるみたいだったやつ。……関係ないか。

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(画像リンク:パリオペラ座=ガルニエ宮 - Wikipedia  )

 

 

カードの裏には謎の案内文。

 

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ハッと思って目を上げると、自分の部屋のクローゼットがいつの間にか一枚のドアに変わっていた。色々よく分からないシチュエーションである。とりあえずこのドア入ればいいんだろうか?もうすぐ上演開始だって(何の?)、急がなきゃ。

 

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しかしこのドアの先はどうなってるんだろう。

招待券って何だろう。

間もなく上演って何があるんだろう?

 

そんな不安な時こそ、先に何が待ってるか気になるものだ。

とにかく行ってみよう。

キィー………

 

 

ドアの向こうは、広いコンサートホールの客席だった。

一瞬この動画と錯覚する。

 

でも、今回はどうやら違う場所みたいだ。

 

壁の放送スピーカーから、機械的なアナウンスが流れてきた。

「ロイヤルシートへようこそ。お客様はお一人のみ、指定席となっております。客席中央列、真ん中のお席へどうぞおかけください。間もなく上演開始時間でございます。」

ホールに鳴り渡る開演のブザー。

慌てて自分は指定された中央の席に座り、ぴんと背筋を伸ばした。

 

とそこに。

ござさんが広いステージの袖から現れた。

黒一色にまとめられたシックな装いを身にまとって。

 

なんんmですtってr???
(びっくりして誤字った)

何なの???

これ一人で聴いてていいの?

どうなってるの?

 

そんな風にあれこれどぎまぎし、不意を突かれて口から泡吹いて倒れそうな自分をよそに、涼しい顔でステージ中央に歩み出るござさん。

格調高い大きなホールのステージ、そこに置かれているのはコンサートグランドピアノ。ござさんの衣装もフォーマルなスラックスにきちんとした黒の革靴で揃えているようだった。

ござさんはコンサートの時と同じように客席をじっと見つめて深々と頭を下げる。

ここで自分一人しかいないけど、ござさんに万雷の拍手を………!

と行きたいところだが、自分は泡吹きそうなのを何とか止めるのに精いっぱいでそれどころではない。

だっだめだ、そんな事でどうする。

そこで思わず自分もござさんのお辞儀に合わせて客席からお辞儀してみた。

何やってるんだ自分?

実際聴きに来たら手が痛くなるくらい拍手するって決めてたじゃないか。

もーいーや、なんでもいいからちゃんと聴こう・・・!

 

 

ござさんがおもむろに演奏し始めた曲は、つい最近もどこかで聴いたものだった。

自分はとてもよく知っている。

それはソロコンサートで。

アルバムにも入ってないショパンの曲だ。

Impromptu op. 29; Etude d'apres l'impromptu op. 29 de Chopin
Michalowski,A.   アレクサンドル・ミハウォフスキー(1851-1938)

 

 

クラシック曲は名曲揃い。ショパンの曲だけでも有名なもの、名曲と言われるものは数多い。ござさんは今回なんでそこじゃなくて、調べても録音もあまりなく、ネットで調べるだけでは全容が見えてこない編曲版を選んだのか。

それはござさんがこうして述べているとおり、この編曲家の音楽性に自由を感じるからではないか。

 

音楽とは、クラシックとは、ショパンとは、こうあるべき。

そういう固定概念を覆す発想と、それを実現するだけの技巧を持ち合わせた編曲家でありピアニスト。曲から受けるイメージを受けて自分の中で生まれる世界を、その有り余る知識と才能を駆使し、色々な垣根を超えて新たな音楽性を構築する。

ミハウォフスキーさんを調べていくとこういう印象を受ける。

 

この辺にござさんは共感するものがあって、この曲を選んだのかもしれない。

というか、調べれば調べるほどこの人、ござさんそのまんまじゃない……?ござさんのピアノにぴったりだよねこの人…?

 

 

アーカイブ期間が終わって何が寂しかったって、自分的にはこの曲とAll The Things You Are(これはメンバー限定だけど動画があったからまだいいけど…)にもう会えなくなる事だった。だからアーカイブ期間中ひたすら繰り返し聴いて、その演奏を脳裏に焼き付けたというか、断腸の思いでアーカイブと別れたというか。

その曲といきなりこういう形で再会できるとは思ってもみなかった。

ござさんがなんでここでこれを弾いてるのか、何かの収録に来た時にこの曲も録画したのか、この曲のためだけにホール借りて機材持ち込んだのか、はっきりせずどちらとも言えません。

 

少なくとも言えるのは、限りなくソロコンサートに近い状態で弾いてくれてるということだ。

 

カメラが何台あるのか、ステージ上のスクリーンにプロジェクターで映像が映し出される。サラウンドならぬデュアルカメラモード(なんのこっちゃ……)。後ろから、頭上から、色々な角度で映され、鍵盤も弾いている手も鮮明に美しく浮かび上がってくる。

 

あのコンサートの記憶そのまま。

あの場面を忠実に再現したから思う存分お楽しみください、とでもいうように。

 

ショパンの甘美な調べが流れてくる。

3度のエチュード(25-6)みたいに和音で動いていく旋律。その重厚な音の重なりが、ピアノの響きをより華やかに彩る。

ござさん独特の間合いが、単に編曲した動画を聴くのとも違う独特の表情を曲に与えている。

 

おそらくクラシックをそのまま弾くと「退屈」になるのだろう(過去の生配信から)。ショパンのストピ動画で、3小節で原曲から脱線してるし。

自分もござさんのピアノを知ってからはクラシック曲をそのまま聴くのは退屈に感じるようになった。ござさんを知るまではピアノは苦手だったから、どの道自分はピアノのクラシック曲には縁がないと言っていい。コンクール聞いてるとどういう違いがあるのか分からないから、順位がつくことに強烈な違和感を感じる。

 

自分は多分ござさんのピアノ、その作り出す世界観が好きなのだと思う。

 

今回ソロコンサートでござさんが描きだしたショパンの世界。

グランドピアノからコンサートホールの空間の隅々にまで繊細な音がやわらかに拡がっていく。

自分は謎のチケットで指定されたホールの中央の席に座っていた。

メトロノームで刻まれるリズムとも、正しく教科書通り表現される音楽とも違う。

ホールの壁、客席、天井、全てに反響して複雑に混ざり合った音は波のようにござさんと自分との間の空間を伝わってくる。

ござさんのピアノでしか味わう事のできない、様々な感情が込められた音の情景。

それを自分は全身で静かに受けとめるのだ。

 

 

ござさんは最後の和音を魂で感じ取るように神経を研ぎ澄ましている。

音が消えるまでの短い間、まるでピアノにお礼を言っているようだ。

「画面の向こうに、素敵な音楽を届けてくれてありがとう」

 

その後静かに客席に向けて深々と一礼するござさん。

いつも見慣れた10回以上お辞儀とかいうのではなく、1回頭を下げ、おもむろに去っていく。

黒い革靴の足音を重く低くステージに響かせて、ござさんはゆっくりと姿を消した。

ふとこんな言葉を思い出した。本当は女性を形容する言い方だけどその姿が美しいと思ったから……

"立てば芍薬座れば牡丹 歩く姿は百合の花"

 

そこへ誰かが耳元で囁いていた。

「このホール出入り口のドアはまもなく使えなくなります……お客様お急ぎください…」

 

自分はあわてて、こっそり持ってきた手紙と真っ赤な薔薇の花束をステージの端に置いて、それから振り返らないでドアを出た。

帰りたくなかったけど、夢を見ていられる時間は短いのだ。

 

帰路はなぜか地下鉄経由だった。自分以外には誰も居ない不思議な電車。他人の目が無いのを幸いに、自分はいつまでも泣いていた。タオルハンカチ持ってて良かった件。

 

 

 

 

 

Youtube動画を見てーーーーー

 

ホール録画映像:

 

www.youtube.com

 

こういう顛末でこの演奏は録画されYoutube動画として投稿されている。

つまりずっとリピートして聴けます。

宝物です。

コンサート中のトークでか何かで「配信の画面の向こうにいる人たちにお辞儀するにはどうやったらいいんだろう」って発言されてましたが。

その答えがこの動画なのではないかと思う。

 

 

CDとはまた形が違いますが、ござさんがあらん限りの手を尽くして最上の形で撮ってくれた動画です。

 

動画中で確認できるだけでもカメラがステージの左右からと客席と真上の4台、マイクも3台、その他録音機器があるはず(オーディオインターフェース?か何か知らないけど)。その他マイクとカメラのスタンド、パソコンにタブレット、その他多数。

 

ホールを押さえ、機材の準備をし…………

どれだけ大変だったことか、想像もつかない。

 

この動画をコンサートからあらためて再録するにあたりござさんがつぶやいていた事。

準備も大変だったはずだが、一番心を砕いていたのは演奏だったということだ。

自分としてはあのソロコンサートを彷彿とさせるシチュエーションでしかも動画で録画までしてくれて、その事実にずっと泣いている。職場など忙しい時は忘れられるけど、ふと一人になった時に思い出しては涙が止まらない。ずっとこの調子。

でも泣くのを止めたくはない。思う存分この動画の演奏とその意味を反芻して感動に浸っていたい。

 

 

演奏する事、動画を撮って編集すること、また演奏のための編曲にもここまで真摯に向き合って打ち込んでくれているとなると、聴き手の自分も襟を正して全身全霊で聴こうと思うのだ。

(まあいつも全身全霊を込めて聴いてるとも言う)