この間、アニメ映画「BLUE GIANT」を見て来た。
それはいつも聴いてるピアニストのござさんがつぶやいていたから。
BLUE GIANT、観てきました。熱い本編を見た後のチルいスタッフロールが沁みました。今日は18歳を自称します。
— ござ 🎹 (@gprza) 2023年2月27日
ござさんが観て、「熱い」っていう映画。
やっぱりJAZZはござさんにとって特別な意味を占めてるんだ……
そう思って自分も映画を見に行き、感想も書いてみた。
半信半疑で行ったものの、やはり何か書かずにはいられなかったので。
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ござさんとJAZZ
ござさんは主にYoutubeでピアノ生配信をやったり、動画を投稿されている演奏家だ。
また、作編曲家として雑誌にアレンジ楽譜を連載されたり、イベント出演やアレンジ曲提供など活動は幅広い。
ござさんの作風といえば、編曲手法は主にJAZZに則っていると語られていた。また、その構成の中で自分らしさを出すのはアドリブであると。
(出典:2021/5/8~9に行われたピアノフェス、PIANIC出演者へのインタビューより。【インタビュー】けいちゃん&ござ&さなゑちゃん&ハラミちゃん&よみぃが語る、ストリートピアノ | BARKS )
また、生配信でも演奏の多くはJAZZ風にアレンジされており、またレパートリーとしてもスタンダードJAZZやボサノバにラテン音楽、ファンクやフュージョンの曲まで、JAZZだけでも幅広い。
他のあらゆる分野もレパートリーにあるようだが、生配信では基本的にリクエストがあればなんでも弾く、という体裁を取っている。
ストリートピアノ動画にはスタンダードJAZZをメドレーにしたものもある。
ござさんの最近のツイートからJAZZについてのものも貼っておく。
コンファメ(1945作曲)のコード進行についてちょっと調べてる。英語wikiには前年作曲のポピュラー曲Twilight Timeとの関連が記述されている。コード進行を2倍に引き延ばすと、同年代のI'll close my eyes(1945)とかThere Will Never Be Another You(1942)もそう。それ以前はたどれない(情報是非)
— ござ 🎹 (@gprza) 2023年2月27日
コンファメ進行はハレハレユカイでありジャパリパークでありpretenderでもありミックスナッツでもある。本当に偉大。
— ござ 🎹 (@gprza) 2023年2月27日
I'll Close My EyesもThere Will Never Be Another Youも今ではジャズスタンダードの印象が強いけど、元をたどると前者はストリングスの入ったバラード調が初録音で後者は映画音楽。コンファメ進行がアドリブしやすいからのちにジャズ界隈に浸透したんだろうな感ある。
— ござ 🎹 (@gprza) 2023年2月27日
「BLUE GIANT」の音楽を創る演奏家たち
この映画のサントラそして劇中ライブシーンの曲を、作編曲・監修・演奏(ピアノ)を担当しているのはJAZZピアニストの上原ひろみ氏。
映画に登場するのはJAZZ演奏家を目指す若者たち。
彼らが立てた目標は壮大だ。
しかし物語に決定的な説得力を与えているのは、上原ひろみ氏が設計した鉄壁の世界があるからだ。
ストーリー展開にも、ライブシーンの迫力も、そこには生のJAZZの息遣いが聞こえる。揺るがない世界観がそびえているからこそ、観るものの胸を打つ。
上原ひろみ氏が日本人では最前線をいくJAZZのトッププレーヤーだから?
そういう先入観なしに、この映画において音楽は、問答無用で主役を張る顔なのだ。
そしてピアノの上原氏と共にテナーサックスの馬場智章氏、ドラムの石若駿氏もまた日本を代表するトッププレーヤーであり、彼らのセッションには、言葉を超えて訴えてくるものがある。
音楽は言語とはよくいったものだ。
主人公たちの歩いてきた道とJAZZ
上原氏は若いころからJAZZの才能を見出され、演奏だけでなく作編曲の英才教育を受けた、名実ともに日本、いや世界のトッププレーヤー。
しかし映画の主人公たちは、ピアニストの雪祈がクラシック曲を学んでいたほかは、いやJAZZに関して言えばみんな独学、それぞれに模索しながらJAZZと関り、成長していく様が描かれている。(自分は映画しか見てないが、原作漫画には上京するまでの主人公、大の物語がより詳しく語られているらしい。)
その姿は、自分が好きなピアニストであるござさんにぴったり重なるのである。
映画の冒頭で雪祈が吐き捨てるように言う。
JAZZは瀕死の淵にある。ライブでもおんなじ手法でぐるぐる回してるだけ、それじゃ成長はない、未来もない。
また、大が初めて入ったJAZZバー、take twoは今はもう生演奏をやっていない設定、JAZZ聴く人も減って……とバーのママが嘆息する。
しかし大の視線からは、壁一面を埋め尽くすJAZZレコードから「この人、JAZZを信じてるんだな……」と読み取ったらしい。
今の時代の流れに乗らない、頑なに伝承文化を受け継ぐ人のような描かれ方。
主人公たちが初めてライブをさせてもらったJAZZクラブでも、マスターは「若いお客さんが増えるなら……」と言う。
雪祈が大に、サックスを始めた動機を尋ねた言い方が、「よくあるアレでしょ、ブラバン(=吹奏楽部)とか?」という、どこか軽んじる雰囲気があったことに抗議はしない。(しかし一般民も音楽を生涯の趣味として、楽しめる土壌をつくることに貢献している点は認めてほしいけど)
JAZZにしろクラシックにしろ、道を極めるには部活動ではカバーしきれない膨大な時間と熱量が必要だからだ。
このように奏者としての道のりは、いずれにしても平坦なものではあり得ない。
しかしクラシック音楽もCDは10万枚売れれば大ヒットの部類などという、およそ利益を度外視した常識がまかり通っているが、別にその未来は衰退するとも瀕死の淵とも言われていない。
何が違うのか?
クラシック音楽もJAZZも日本発祥ではない。しかし一般社会において意識するかどうかにかかわらず、クラシック音楽はTVやメディア、学校生活やイベント現場などで常に身近に存在するもので、知らない間になじんでいるからだ。別に小さいころから音楽を習わなくても親しめる音楽、さすが何百年もの間受け継がれてきた文化だけはある。
演奏家も若手がどんどん現れ、世代間に受け継がれている。
じゃあJAZZは?
ふだんから馴染む場所、身近で楽しむ機会、演奏の第一人者はモノクロの世代の歴史の彼方、CDや音源、文献も日本語のものも少なく、研究するにも資料に乏しい。
ただしこれは自分の先入観だけど。
実際には第一線で活躍するJAZZプレーヤーは多いようだが一般的に全く関係ない客層に広まってない、と言いたい。
同じ顔触れの世界の中で循環する文化は、衰退し廃れるのが運命。
雪祈がいう「JAZZは瀕死の淵」っていうのはそういう意味かなと思った。
ござさんが選んだ道
繰り返すが自分がJAZZを知ったのはござさんの生配信がきっかけだ。
この映画の主人公たちは、ドラムの玉田は初心者だとしても、みんな音楽に、JAZZに自分なりの夢を描き、ひたすらその夢に向き合っている。
ござさんも、部活は音楽じゃなかったとしても、ピアノ教室にずっと通って、また図書館行ってはピアノ(クラシック)のCDを片っ端から借りたと言われていたし、ほんとうにピアノを中断したのは受験生の時の半年くらいだけらしい。
また、この生配信でも述べられている。
【Live】重大発表!!!! 2020/02/15 - YouTube
音楽やってきた人につきつけられる選択肢、それは就職のときに訪れると。社会人になっても音楽と関わるかどうか、そこには決心が求められると。
ござさんはそこで、就職してもずっと何らかの形で音楽をやっていたい、という気持ちが強かったと言われていた。職種もそこを基準に考えた、と。
漫画とは違う現実世界でも音楽を続けるにはどうしたらいいのか。そうして一人暮らししながら仕事と家事の合間に動画を作り、ピアノを練習し、生配信を続けて……
その姿もまた、音楽を信じているという表現に通じる気がした。
ただ、ござさんが追い求める音楽はもっと普遍的なマトリックスを展開していて境界線は見えない。
JAZZをその精神の根底に置きながらも、発想はもっと自由に羽ばたく。
純文学作品が文字による表現を追求するように、クラシック音楽は音そのものを表現する。楽器による演奏はその伝達手段だ。
音の存在を追求する……まるでそれは哲学の世界。
伝達手段が楽器という点では一緒だが、JAZZは大の言葉を借りれば
「感情すべてを演奏で表現する」音楽。
だから静も動も、音が熱い。
ござさんは何を表現しようとしているのだろう?
答えの片鱗はこの動画に書いてある。
要するに……
「すべてのジャンルの音楽をピアノで表現したい」
ということらしい。
全てのジャンルって、何?
こういうことか。
民族音楽を探求したり。
東欧の音楽を聴いているとしょっちゅう出てくる上からかかるような装飾音符(?)をクレズマー音楽の用語でkrekhtsと言い、これを含めた装飾の総称をdreydlekhというらしい。アイリッシュ音楽におけるカットとかにあたるものなんだろうけどアイリッシュと比べて日本語記事が全然見つからない。
— ござ 🎹 (@gprza) 2023年3月7日
日本の曲もにも造詣が深い。
年末に「埴生の宿」と「庭の千草」のメロディがふとどっちがどっちかわからなくなるという事態に陥り、歌曲の記憶の補強のためやむなく実家から持ち帰ってきた物 pic.twitter.com/F0fxz9DKQr
— ござ 🎹 (@gprza) 2023年1月3日
こっちも日本ならではの曲。
日本の唱歌『夏は来ぬ』のメロディと歌詞が好きすぎて、そのヤバさが伝わるPV的なものを作ってしまいました。歌詞のヤバさ伝われ…! pic.twitter.com/IWVWXaDTdd
— ござ 🎹 (@gprza) 2020年7月20日
さらにクラシック音楽とJAZZも組み合わせてみたり。
「太田胃散×ビッグバンド」という謎電波を受信したのでやってみました。 pic.twitter.com/3MZGMw9j1N
— ござ 🎹 (@gprza) 2023年2月1日
さらにJ-POPと生活の中の音楽も関連付けてみたり。
街に出るとこういうまったく役に立たないアイデアを思いつくことありますよね pic.twitter.com/X41UZorO5S
— ござ 🎹 (@gprza) 2022年8月22日
追いかけようとする世界はとめどなく尽きることはない。広げてみた風呂敷には入りきらない。
このツイートには、厳密に言えばJAZZではないというリプがついている。
そうなのかもしれないが、情報はいつも取捨選択するもの。物差しで引いたような基準に収まらないものは否定するのは、まったくJAZZの蚊帳の外から見た門外漢には違和感を感じる。
ござさんの言うようにJAZZは名演奏家のアドリブ等をたくさん聞いてパターンを習得するのが奏者としては近道。
そういった演奏の歴史を踏まえてござさんなりに解釈したアレンジ手法なのだと思う。
自分なりのジャズのスイングの手順を「聴いたら何となく分かる」感じで動画で説明してみました。「Fly me to the moon」をだんだんスイング感を強くしながら弾いています。左手のウォーキングベースに対しての右手のタイミング、そしてフレーズの選択が重要な気がします。 pic.twitter.com/cas9pDff2h
— ござ 🎹 (@gprza) 2022年8月14日
少なくとも聴いてるファンとしての自分は理論言われてもわからないので、ござさんのピアノをきっかけに集め始めたJAZZのCDを、ひたすら聴いてみる。Youtubeにもたくさん動画は上がっている。
習うより慣れよ、考えるより感じろってことですよね。
ほかにもござさんはJAZZアレンジをたくさん作ってる。
今日はなぜかディキシーランドジャズの打ち込みに挑戦していました。この時代のぶっきらぼうな曲の終わり方が好き pic.twitter.com/YOa6rQmh1x
— ござ 🎹 (@gprza) 2022年10月13日
素人から見ると。
JAZZはこうだっていう基準を考えるよりも、こういうふうに解釈を出し合ってそれぞれの違いを楽しむっていうほうが見てて楽しいし、JAZZ自体の発展に貢献すると思うが…
なんか話がそれた。
とにかく。
ござさんのアレンジにはこのように全部を踏襲してなくても、理論の根底には随所にJAZZが活かされていると思う。
コード進行はどうか、アドリブの形式は……?っていう理論はわからないけど。
ござさんの活動には、映画で見たところの雪祈のいう「勝つ演奏」という理念はない。
しかし大がめざす「世界一のJAZZプレーヤー」というところに、観念的に通じるものがあると思う。
JAZZかどうかはともかく。
世界一を目指すかどうかもともかく。
でも「自分の信じる音楽」を手に携えて、その音楽が表現するところを極めたいというところに、自分は映画を見ながらその姿にござさんを見ていた。
音楽って、勝つかどうかじゃない、そういう基準ではわからない。コンクールで順番が決まるのは便宜上なだけである。
勝つ、それよりも演奏の違いを楽しんでいたい。音楽って本来そういうものだろう。
雪祈には物語の途中で、勝つ演奏、安定して評価される演奏に審判が下される展開になるが、観ていてふと思った。
ござさんにはこういう葛藤は?
なかったんじゃないかな、と。
ーーここで話が飛びます。ーー
2022/4/24に行われたネットピアニストによるコンサート、NEO PIANO Far Beyond。
この配信アーカイブは今年の11月まで公開されていますが、
(↓↓チケットはこちらから)
NEO PIANO Far Beyond 完全版
— NEO PIANO Far Beyond (@NEOPIANO_live) 2022年11月23日
4月24日の本編の他、石井琢磨、菊池亮太、ござの秘蔵トークも収録!
詳細はこちらhttps://t.co/lJgbQ2wNR3 pic.twitter.com/weHFYK7RKs
ピアノやってきた中で衝撃?ショック?だった出来事か何かのお題だったところで、出演者の菊池亮太さんと石井琢磨さんは、それぞれに、ピアノの師匠に言われた衝撃の一言を語っている。ネタバレは伏せるが、それなりにピアノを自信をもって演奏してきた中で、価値観そのものを覆されるような衝撃の出来事があったらしい。
そこでござさんにトークの番が回ってくるも、ござさんからは「そのようなショックな出来事は、話すようなことは特にない」とのこと。
え??
特にない?
師匠から言われた印象的な、というかショックな出来事、ないの??
ネットに現れ始めたのが高校生?大学生?そのころのニコニコ動画のコメントでもすでにアレンジが完成されてるだの技術的にすごいだの絶賛されてますけど…?そこまで極めるにはピアノ教室で相当厳しい練習詰んでたんだなあ、って思ってたんですけど?
高校卒業するぎりぎりまで打ち込んでいたピアノ教室、それから後も今に至るまで連綿と続けられてるピアノ、そこまで真摯に向き合ってきたからには、壁に当たるとか、師匠と衝突とか、なんかあったんじゃないの???
現に菊池さんと石井さんは、あったって言われてるよ?
ござさんは、そういうのないの???
ーーーまあ、無いらしいです。
過去の発言から引用すれば、「楽しかった」ですって。(いつの発言かは忘れた)
ピアノ教室での練習は、楽しかったんだな、そして家でもサイレントピアノだったのだから延々と弾いてたんだと思う。だからすんなりとスポンジが水を吸うように音楽についても習得できたんだろうし、何より練習が続いたのは楽しかったからだと思う。
そういう環境があったからこそ、ござさんのピアノはあらゆる面で自由なのだと思った。
そして自由な発想を妨げないでいてくれた、ござさんの周りの大人、つまりご両親とかピアノの先生に、ものすごく感謝したい。そっとしておいてくれてありがとう、と言いたい。
また話が飛んだ。
とにかく周りから評価されるように、守りに入った、勝つための演奏というのがござさんからは感じられない。
アレンジ手法もジャンルの選択も和音の響きも、何もかも常にギリギリのラインというか、いやラインを超えて攻めまくりというか、常識とか考えてないというか。
そういう意味で、自由なアドリブがほとばしるような大の演奏に自分はござさんの姿を重ねていた。
また、この映画にはメンバーにベースがいない。コードを構成するピアノとソロ楽器のサックス、それにリズムは必要ということでドラムが入り、でもベースがいない。
ござさんファンとしては、ござさんはベースにも精通しているようだから、そのパートがないのは寂しいと思った。
ふと小学校に置いてあった楽器を思い出した。今思うとアンプ付きのベース専用シンセって言うめちゃくちゃ特殊な楽器だったな(低音オルガンという呼称らしいけど)。のちのベースミュージックの隆盛を見越して子供にシンセベースの良さを伝えるという素晴らしい教育方針(ちがう) pic.twitter.com/VeZVrnr5Aa
— ござ 🎹 (@gprza) 2022年11月22日
あっ………コレジャナイ???
最近のベース音源はあまりにもリアルすぎてベーシストのチューニングのモノマネができるレベル。細かすぎて伝わらないけど pic.twitter.com/RX1V75CG12
— ござ 🎹 (@gprza) 2021年6月1日
えっと、これでもない………????
突発ランダムレパートリー練習無言配信https://t.co/C3Jg06Xvo7
— ござ 🎹 (@gprza) 2023年3月8日
うーん、この間のツイキャスライブで、左手をベース音にして生配信されていたので、これを聴けばすべてがわかる…?自分が解説してもムダだしね?
しかし映画のサントラをよく聞いているとベースパートはものすごく重要な位置を占めてて(当たり前ですよね…)ライブシーンの曲に、構成上ベースが居ないけれども。でもピアノが低音部をカバーしていたのか?ベース無しの攻めた構成だったのか?どっちにしても素人にはそんなところにツッコミは入れられません。
サントラのベースがとにかくかっこいいですから、ぜひイヤホンとかヘッドホンで聞いてみることをお勧めします……
【Youtubeで聴けるサントラ音源:BLUE GIANT (オリジナル・サウンドトラック) - YouTube 】
結論がまとまりませんが……
ござさんファンとしては、全編共感できるところしかなくて、見ててずっと周りも気にせず泣いてたわけです。1回目のとき、こともあろうにハンカチを忘れ、涙もぬぐえなくてさらに困っていた(自業自得)。
練習場所は高架下の河岸?イントロの場面でも雪の中で吹いていたし……
服も靴も、着の身着のまま?それは若い男子にはありがちだとしても……
でも音楽ができればそれで幸せ、お金ないけど。
楽器だけにはこだわっている。主人公の楽器はサックス、映画ではとあるきっかけで親が買ってくれたらしいその楽器はなんとセルマー。一目でわかる茶色いケースに金色の金具。円いロゴもばっちりケースに描かれ、よく見るとマウスピースもちゃんとしたのをつけていた、気がする。さすがです。
演奏がうまい人は楽器を愛する。楽器を大切にする人は音にも魂がこもる。
もう何から何までござさんと共通するところしかなくてずっと泣いていた。
お金なくても練習場所もなくても、ひたむきに音楽に向き合う姿。
音楽に関われていることに感謝する姿勢。
何よりも……
周りの人全てを一瞬で虜にしてしまう、圧倒的な存在感を放つ、音。
ござさんが奏でる音楽は、自由だ。
映画で語られる音楽、JAZZには雪祈がいう、コードの中での自由なアレンジという縛りはあるけど、しかし奏者には特にアドリブでの自由なパフォーマンスが委ねられている。
彼らの自由に、そして幸せそうに音楽を奏でる姿を見て、彼らに出会えたことにある意味で奇跡を感じながら、自分は映画館を後にした。
JAZZという概念をあらためて感じることができたし、自分がござさんを応援したい理由もはっきりとわかったから。
この映画を見なかったら何もかも曖昧なまま、なんとなく季節は過ぎていったかもしれない。