ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

忙しいから配信する件 4/10ライブ

 

忙しいから配信する。(最近の生配信のトークから?)

リハしてて休憩になったから、やったーピアノ弾こうってなる。(ねぴらぼ後?けいちゃんさんのセリフかもしれないが皆似たようなもの)

いつのセリフか忘れたが、ござさんのこういう所が好き。

 

 

ところで小耳に挟んだのだが、ある地域のイベントにござさんが出ていたようだった。

勝浦とは。

那智勝浦じゃなくて千葉県の勝浦?

どっちにしても地域の住民が参加する、ストピが舞台のコンクール?みたいな感じらしい。

(↑会員向け記事なので内容が分からないけど)参加者は地元住民限定。

 

ピアノの愛好家が集まるイベントで、ござさんは観客に見守られつつ楽しそうに弾いていたようで、自分は写真を見てなんだかほっこりしたのだった。

ござさんには有名になろうが名前が売れようが、こういう観客や参加者と交流されるイベントで演奏されるのはやめないでほしいなーと思う。やっぱりござさんのピアノは、そこで聴いてくれてる人がいてこそだ。それに応えることで生きてくると思うので。

後で耳にした限りでは多分この話をまとめてくれたのはGさんである。いつもありがとうございます。どうかこれからもござさんをよろしく(こんな所で何言ってるんだ?)

 

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

 

ござさんの活動は「マイペースがモットー」な件

(このセリフは3/31の配信で発言されたかもしれない?)

ござさんは静かにいつもの口調で話されていた。

しかしマイペースがモットーなのは自分も同様だ。

何を基準にマイペースなのかが違うと思うけど。

 

いま世の中のネットピアニスト界隈は、何かと賑やかな話題で持ちきりである。

コロナ流行前を思い出すとまさに隔世の感がある。

明らかにそれまでのピアノを取り巻く環境とは違って、聴く人もそして演奏する人も従来と変わったというか増えたと思う。そのきっかけとして以前からのストリートピアノの流行が根底にあった事は間違いないが、それはきっかけにすぎない。

というか「ピアノはクラシック界隈で演奏されるものという古来からの概念(JAZZ ピアノというジャンルもあったらしいが、自分はござさんのピアノからそれを知った)からとっくに枠を飛びだしたと言っていい。

ストピの流行という一過性の現象を通して世の中にはピアノの多様な可能性が提示された。それをきっかけに、ネットからすらも飛び出してピアニストさん達の個性が存分に発揮されるようになったというか、色々な個性が存在していたことに世の中が気づいたというか。

ピアニストさんたちは様々な分野で様々な経験を積むチャンスを、未だかつてない規模でその手に握っている。彼らは、柔らかい新芽が春の陽光を浴びるように柔軟にそれらを吸収し、経験を全て自らの音楽性に組み込んでいくことだろう。彼らにはそれを容易にするだけの、無限の感性が備わっているから。

 

人の人生において、無駄な経験というものは存在しない。過程無くして現在はない。

全てが実となり糧となって個性を形成するのだ。

彼らの個性はそれぞれに違う。

個性は比べるものではなく、違いを楽しむべきものだ。

 

そんな中自分はイマイチ違いを楽しみ切れていない。

自分の推しを推すだけ。

自分の推しとは、ござさん。

 

ほんとは色々な人に興味を持ち応援できればいいのだろうけど、

色々な違いがはっきりしてくるほど、自分の場合はただ

「ござさんを何が何でも推す!」

っていうスイッチがONになり、エンジンがかかり、新たなエネルギーが投下される。

 

ネットピアニスト界隈で活躍する人たちのすばらしさを痛感すればするほど、

自分は

「じゃあ、ござさんのいい所はそもそも何だ」

と原点に立ち帰り、自分の推し方をあらためて思い出すだけだ。

そうやって、

ござさんのピアノのここが好き、ござさんのピアノじゃないと嫌な理由…

と一つずつ自分の気持ちをゆっくりと反芻し、いくらでもわいてくる事に苦笑しながら今日もこの日記を書くのだ。

そういう意味では菊池さんのピアノは色々な点でござさんとシンクロしている(もちろん平行線をたどっている部分もある)ので、こうやって時々自分の気持ちを振り返りつつ、菊池さんのピアノも、常に自分の中でインストールし直している。そのたびに、いつも方向性が全くぶれていないことに安心するのだった。

 

 

本番イベント前の習性

さて、ござさんからはいつものお知らせがきた。

どーぞどーぞ気の済むまで練習なさってください。あれだけいつも弾けてるじゃんと思いつつ、さらに修行に励むと聴いてファンとしては安心するのであった。ござさんに言わせれば「練習するからあのレベルをキープできてる」とか言いそうだな。

※参照:以前ねぴらぼ直前のスタジオに缶詰の際の投稿動画

All the Things You Are - YouTube(2020年7月のねぴらぼ前、メンバーシップ限定動画)

 

毎日練習三昧。頼もしい限り。いつもあれだけ弾けてるのにこれ以上練習したらどうなっちゃうんだと別の意味で心配。

ゆっくり弾いてるのはクラシックアレンジ中心のねぴふぁび関連の曲でしょうか。ゆっくりに落として細かく演奏を確認されるのはプロでもやってることなのですね。自分もゆっくりから練習します。(←←←そしていつまでも速度は上がらないまま

 

ただ最近の生配信は家のFANTOM8つまりシンセでの配信が主になっている。ござの日ライブではバンドセッションだし、シンセも交えたアレンジが中心になるという意味だろうか?そうすると白いショルキーもワンチャン登場する可能性が微レ存。楽しみだなあ。

※参考資料:白いショルキー(音声なし)が使用されてる動画---去年のPIANICより

 

そんな中ござの日まで一か月、配信無いならゆっくり過去のアーカイブまでさかのぼり、書きかけのブログにも手をつけ、……色々画策していた自分のもとに、あっさりと配信のお知らせは届けられたのだった。

 

修行してるんじゃないんかい!??

缶詰になって練習するってのはどこ行ったんだ!!

(↑ そうとは誰も言ってない)

 

 

 

検証:結局ござさんって何なの

ござさんのピアノは単純にジャンルを分類することができない。

 

今読んでる本によると。

存在というのは時間を根拠に成立する、らしい。(違うかもしんない)

今のござさんをござさんたらしめているのは過去の時間だ。

今までの経験を積み重ねてきたことで、ござさんのピアノの今がある。

また演奏においてどういう指針を置いているのかは、これからの演奏活動を大きく左右する。

つまりござさんの現在の存在は、過去と未来無くしては語れない。

 

それに、生放送はリクエストによって成り立っているし、放送のチャット欄や動画のコメント欄はファンの書き込みによって構成されている。また、Twitterでござさんへリプしたり# つけてつぶやくのもファンである。このことから、このござさんの

「過去、現在、未来」

を構成するのはござさん本人だけではなくファンもその一角を組成しているといえる。

 

今回ござさんは自宅からの配信というのもあるがシンセ音源を新しく購入されていた。またチャット欄の入力制限?をされていて、コメントの流れが緩やかになったようだ。チャット欄の設定はあの早すぎる流れでどうリクエストを拾うか?という、他チャンネルでも話題かもしれない未だ解決を見ない案件である。速度制限にしたと聞いて、そういう手があったか!と思わず自分は唸った。誰も傷つかない平等な手段でござさんはこの問題の解決をはかったのだ。

配信で演奏されるリクエストの構成、演奏を聞くファンの姿勢、色んな意味でファンはその放送を写す鏡だ。

 

膨大なレパートリーを維持するという側面も生配信の役割としては挙げられるが、ござさんはやっぱり音楽を、ピアノの音をファンに楽しんでほしくて弾いてると言うのが生配信の本懐だろう。ファンのために配信するというより、最適な表現ツールが生配信だったという、目的のための手段ともとれるが。

ござさんの本領は即興演奏でありその場での化学変化、自然現象だから。

 

生配信があるたびに違うござさんがそこに居る。

演奏するたびに新しい表情をまとい、その音はより深みと味わいを増し、しかしどこまでも透明だ。

そもそもござさんという人格の中に色々な表現という引き出しが多すぎて、結局その全容を解析はできそうにもない。

 

配信では聴きなれたはずの曲もある。

またござさんの配信で初めて聴く知らない曲もある。

でもその中に隠されたひねった和音が、畳みかけてくる低音が、曲の合間を埋める細かい音符が作用するのだろうか?どれも聴いていて深層心理をえぐられる。

いちいちどの曲にも感動し、ワクワクし、懐かしい思いにしんみりと涙が滲んで、一つ一つが短編映画を観ているのかというくらい起承転結に富んでいるから、感情は目まぐるしく動いていそがしい。お気に入りの曲を聞いた後は観客がそのスクリーンの前から去って行っても、自分だけはそこに残っていつまでも余韻をかみしめている。

 

JAZZアレンジは経験を積むほど表現が豊かになるそうだ。最近のござさんの演奏にはリズムと言い和音進行といいJAZZの要素がふんだんに使われているのか?より洗練され垢抜けた、余計なもののない中に差し色のように光るものがある。

でもそれだけではない。

POPSやボカロの左手が刻む速いビートの疾走感。

感動的な旋律に向かって盛り上がっていく和音。

特徴的なリズムを刻む裏で細かく入る休符が軽快な印象をつくる。

いつも演奏してくれる曲も絶対に違うアレンジになり、かつその曲のまだ知られていない一面を露わにし、更にいっそう聴くものに訴えかけてくる。

 

 

配信が終わったあと。

祭りの後の静けさ。

その場所に係留された自分の心という船は、ロープで杭に繋がれて離れられないままだ。

 

 

 

春になると動き出す(どっかで聞いたような?)

 

何といっても今回の配信の白眉は、ござさんの日本語がIQ3じゃなかったことだ。

(そこ?)

 

たまに、Bill Evansの人」とか、演奏がハードになっていくのはリクエストするファンの責任だのという謎の政治家ばりの発言とかが飛び出しつつも、チャットからの嵐のツッコミも華麗にかわしてトークの調子は絶好調のようであった。

自分のブログはブラウザを二面立ち上げて、ブログを書きながらもう片方のブラウザでYoutubeの配信を流してこれを書いていて、時々マウスの操作を誤ってYoutube再生速度が気づかないうちに1.80倍になってて慌てることがある。

今回のトークはその勢いかというくらいすごかった。

どうしたんだござさん、新しく生まれ変わったのか?

 

まあ、ある意味そうかもしれない。

暑さ寒さも彼岸まで。花冷えの頃も過ぎて陽光は窓外に眩しく降り注ぐ。

 

桜色に 衣はふかく染めて着む 花の散りなむのちのかたみに

古今和歌集 紀有朋

(訳:桜色に衣(ころも)は深く染めて着よう。花が散ってしまった後の思い出(の品)に)

 

ござさんは寒いのが苦手らしく、真冬の寒い時期は(引っ越し前は特に)動画作成のペースも落ち、まじめに布団から出られない、どこにも出かけられない状態だったらしい。しかしここ最近の春の陽気に誘われて、ござさんはウッキウキの様子である。

夏に35℃くらいになっても全然平気らしい。

 

奇遇ですね。自分も冬に身動き取れないくらい寒いの嫌いなところから、春がこれから暖かくなるから気分的にウッキウキで、夏は35℃だろうが40℃だろうが別に扇風機で平気なところも一緒ですよ。

そうそう周りから温められないと体温上がらないですよね。自分は多分変温動物ですね。ヤモリとかカエルとかの仲間だと思いますね。

 

とにかくござさんのトークはとどまるところを知らない。

 

言葉のキャッチボール、

言葉のドッジボール

言葉のデッドボール???

当たってどうする!wwwwww

と、このように。

 

バラエティ番組のMCのように饒舌で、

実況アナウンサーのように冷静に、

落語家のようにオチを心得ている。

 

ござさんの言葉を借りれば「立て板に水のような」よどみない流暢な語りである。

 

最後の挨拶のところの語りなんかあんまりにも完璧だ。

 

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面白すぎるwwwワラwwwww

 

じめじめと陰湿な日影の環境というのは引っ越し前のござさんの部屋がそうだった。

(※メンバー限定動画:この配信の最後で部屋の湿気について語られている)

一人合奏放送 リクエスト受付中! / Piano live 2019/10/19 - YouTube

(※メンバー限定動画:ネピサマ振り返り。これによると引っ越し後はカビが無いらしい。当たり前である。)

【配信】20分雑談→スーパーチャット読み(予定)2020/09/04 - YouTube

 

過去とは違い、今の部屋はじめじめでも何でもないはずだ。

暑い?

もう夏日なんですよ?

エアコンをドライにすればいいじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

ピアノはガチャという説

 

確かに。

プロとして演奏を極めるとそれだけ楽器へのこだわりも細かくなると思うが、ピアノという楽器は基本的に持ち運べない。行くところで用意された楽器を弾くしかないという意味では不利かもしれない。

(その点管楽器や弦楽器はポータブルだから自分の楽器を使い込めるし、パーツを使い分けたりして演奏シーンごとに色々な演出を楽しんでいる)

でも言い方を変えれば奏者ごとに特性があるように、ピアノも楽器としての個体の特性はそれぞれにあるわけで、その楽器のくせみたいなものをつかめれば、逆にそれを生かした演出や演奏は可能かもしれない。

 

……とサラッと書いたが。

そもそも本番で緊張したりしないでいつも通りの演奏をできるだけでも凄いと思うが、さらに出先の楽器に合わせてパフォーマンスを変えるって、歩く万能頭脳じゃあるまいし。でもそんなAIみたいな機械的な思考回路じゃだめだし、やっぱりあの人たちの考えてることは素人には理解不能

 

※色々な場所のピアノを自由に弾きこなすといえば、自分の知ってるクラシックピアニストでは一人しか調べてないので引用する。

 

以下、引用:スヴャトスラフ・リヒテル - Wikipedia

ワルシャワでのドイツ・グラモフォンとの録音セッションでエンジニアを務めたハインツ・ヴィルトハーゲンは、この時使用したピアノについての証言を残している。スタッフが現地で調達したピアノはタッチにひどくむらのある粗悪な代物で、スタッフは当然リヒテルに拒否されるものと考えた。しかし彼は黙ってピアノの前に座ると、キーの感触を一つ一つ確かめながら、むらなく聴こえるようになるまで練習し、難のあるピアノを自在に操ったという。

 

 

1958年には、同年2月25日にブルガリアソフィアで行ったリサイタルの録音が西側でもレコードとして発売された。ムソルグスキーの『展覧会の絵』などを含むこの録音は名演奏と称えられ、リヒテルの当代一のピアニストとしての真価を知らしめた[3]。同年に第1回チャイコフスキー国際コンクールが開催され、この大会を制したヴァン・クライバーンが滞在中に聴いたリヒテルの演奏について「生涯で聞いたなかでもっともパワフルな演奏であった」と帰国後に語ったことで、このピアニストの評判はさらに高まることとなった。リヒテルはこの第1回チャイコフスキー国際コンクールで審査員を務め、クライバーンに満点の25点をつけ、他の全てのピアニストに0点をつけた。

翌1959年にはドイツ・グラモフォンのスタッフがワルシャワに乗り込んで録音が行われ、数枚のレコードが発売された。その中でも特にスタニスワフ・ヴィスウォツキ指揮のワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団と共演したラフマニノフピアノ協奏曲第2番の録音はこの作品の名演と称えられ、その評価は現在に至るまで揺らいでいない。