ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

AIについての一考察

 

最近AIってよく聞くので、そういや何だっけ?って思った。

 

漫画で囲碁が話題になった時に、人工知能棋士とネットで練習とか対戦とか言ってて、現実の棋士とどっちがどうなのか、っていってたのは聞いた事がある。

スパコンとか研究分野でもAIの競争は熾烈だ。

参考リンク:人工知能 - Wikipedia

 

最近身近なニュースで見るAIといえばこれだろうか。単なる運搬ロボではなくてAIによる接客機能を搭載してる。


※参考ニュース:すかいらーくグループがフロアサービスロボットを「ガスト」「しゃぶ葉」1000店舗以上に導入 次世代のテーブルサービスを提供 - ロボスタ

 

AIがここまであらゆる頭脳労働をこなし、学習機能に基づいて思考や分析ができるなら人間の労働者が要らなくなるじゃんと昔思ったこともあった。

しかし現実にはそう単純な問題ではなく、上記の接客ロボは人手不足と言われてる外食産業においては普通に有能な即戦力として機能してる。IMEとかATOKなどWindowsの言語入力システムだって言語変換を学習して予測するプログラムであり、ある意味AIだ。自動車業界でもAIが搭載された無人車による自動運転が現実化に向けて動き出している。

Youtubeに出てくるお勧め動画や関連広告も、ユーザーの閲覧履歴を学習して自動で動画を選別するAI機能によるもの。

いわば使いようによってはAIはもはや現代世界ではなくてはならないものになったと言っていいだろう。

而して労働者の雇用減少につながるのかという議論もある。

 

では頭脳労働の分野ではどうなのか。従来、その方面ではAIは存在し得ないと考えられていたようだ。

なぜか?

AIの単純な学習機能によるワンパターンの繰り返し作業では対応できない分野だから、というのがその理由かもしれない。しかしAIとはプログラミングによるもので、日進月歩、生き馬の目を抜くような速さで開発が進むIT業界においては遅かれ早かれ時間の問題だったのか、芸術分野においてもAIが話題に上り始めたようだ。

人間の存在を脅かすAIには倫理的問題が……?

そんな議論するくらいなら最初からAIなんて作らなきゃよかったでしょ。

人間て単細胞なの?

ってどっかから天の声が聞こえてきそうだが、作られてしまった存在は消せないのでやっぱり向き合って考える必要があるんじゃないか。

核技術と核兵器みたいなものだ。

 

芸術分野ーー絵の場合。

 

絵については、作成された絵の著作権はどうなるのか(ソフト会社に帰結するんだろうか)、またAIが持つ学習機能を転用して既存の作家のなりすまし行為も可能、など法的整備がどうなってるのか気になるところ(詳しくないのでここまでにしとく)。

 

文章もAIが作ることができるようだ。確かに単純に心理や情景描写ならできるかもしれないなあ。新聞記事とかニュース原稿ならAIが作ることも可能かも。

 

では音楽においては?

著作権とか法的関係についてはおいといて。

ござさんは以前夏ごろにAIについてつぶやかれていた。

AIによって現実に演奏家の活動が淘汰されることを危惧していたのかもしれない。

ピアノの演奏に関してなら古くから自動演奏ピアノなるものも存在し、演奏を録音、再演することも電子ピアノならとっくに家庭でもできる(はず、たぶん)。アコースティックピアノでもそういう機能があるものもある。

 

ござさんはここで人間が演奏する価値、つまりござさんなら即興演奏?とか人間ならではの特性を生かす方向とかそっちにシフトしようとしてるのかなあ。

というか即興演奏ならござさんの面目躍如たるところ。

 

アコースティックピアノの演奏そのものにおいては、ござさんはあくまで動画上の表現というか、ネット上に流す音源としてとらえてて、AIとは対抗しないというかこのミックス作業は人力でやるところ、と認識されてるように感じる(というかAIはまだ進出してない分野…?)。

 

作曲もAIはできることに関しては、「いい感じ」と言われてて否定されてないようだ。というかござさんはAIの存在を危惧もしてないように感じる。

AIには学習機能があって、感情も備わってるけど、傍目に見る限り、人間の考えてる思考回路を完コピはできてないと思う。

 

作曲にしろ演奏にしろ、音楽を表現するのにもっとも関わってくるのは感情だと思うので。

その機微まで、AIで表現できるとは自分はまだ思いたくない。

人工知能はあくまで人間の思考の補助的存在だと思いたい。

っていうのは人間の勝手なエゴイズムなんだろうけど。