ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

ござさんの遅い夏 9/3の生配信

 

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夏休みの日記

9/3(日)のこと。前の配信はいつだっけ8/20?それから、スタクラ配信ライブを挟んで、ほぼ二週間ぶりのござさんのYoutubeライブだった。

夏大好き、暑いほどテンション上がるらしいござさんはこの夏の思い出を名残惜しそうに語ってくれた。

 

菊池さんと回ったいろんな土地での様々な舞台。

フジロックのプログラムにルパン三世のテーマがあったらしいので、この動画はストピの連弾だけど原案は同じと思うので貼っておく。ただ2台ピアノになって演奏もさらに磨きをかけられ、フジロックでは一層迫力のあるものになっていたのは間違いない。

2人が久々の都庁で久々のルパンをぶっつけ本番で連弾した結果・・・!?with 菊池亮太 - YouTube

 

ストピイベント出演とホールのコンサート、セッション形態での演奏会、ロックフェス、ネピサマ配信フェス、そしてスタクラ(リアルで開催されていれば大規模イベント)。

場所も、勝浦の海を臨むホールから、北アルプス?を超えて湯沢のスキー場、都心のクラシックホールから横浜の倉庫街(の予定だった)まで。

公演のラインナップを見てるだけでも、胸が躍るような、宝箱の中をのぞくようなわくわくするプログラムの数々だった。

ござさんの目には、それらの景色は眩しく輝いて目の奥に焼き付けられたのだろう。

訪れる土地の風土も思い出にいっそう彩りを添えたに違いない。

 

秀でた山の峰々に、せせらぎの音が涼感を醸し出す……(実際の現地は酷暑だったようですけど)

 

勝浦では広大な太平洋の水平線と白砂のビーチも見てこられたはずで、あっ大好きなラーメンのレポも美味しそうですね!

 

二年前の景色ですがPIANICのときも富士山を眺めるすばらしいロケーションで楽しまれたようです。ござさんのつぶやきには季節感とか風景とかがさりげなく添えられてて、言外に詩的な雰囲気を醸し出してるところが好き。

 

素晴らしいロケーションといえば?

来月にはこちらのイベントの開催も迫ってきております。まだチケット販売中、ご都合つく方はご検討されてはいかがでしょうか?(こっそり拡散してみる……)

 

 

イベントが目白押しだったござさんの夏だが、プライベートでも夏を満喫されたようでした。なんか楽しみ方が中高生の学生ぽくて、そんな時代は遠くに過ぎた年代には懐かしく聞こえた(* ̄▽ ̄)ノシwwwwwwwww

映画

夏休みと言えば映画。さわやかな気分になれる映画。ジブリ好きなござさんはきっと気になってるんだろうなーと思っていたらやっぱりな。

(ただこの映画は謎が多いし、自分の中ではジブリの新作映画はポニョか千と千尋、それから(間は抜かして)風立ちぬで終わってるからウチは見てないのでスルー。)

 

プール

海といっても勝浦のコンサートの頃は弾丸行程だっただろうし詰め込みスケジュールの連続だっだでしょうから、ここでひとつプールへ泳ぎに行かれたようです。

このプールというのがラグジュアリーホテルのプールなのか(そんなわけないだろ)、またはテーマパークに併設してるスライダーとかがあるプールにピアニストさん達でワイワイ出かけられたのか?でも筋肉痛ってねえ?と思っていたところ。

配信で解説されたところでは普通に公共のプール(年中やってる25mの温水プールみたいなとこ?)だったみたいです。そりゃそうですよね。このためにプール用品を揃え、ちゃんと準備運動をし……学生のプールの授業みたいになってきたな。夏休みの課外的な?ウォーキング用のレーンで歩いてみたり、また泳いでみたり、確かに全身運動としてスイミングは根強い人気がある。

え?ラグジュアリーホテルのプールサイドでロッキングチェアに陣取ってカクテル飲んでたのかと一瞬思ったんですけど?それじゃあ筋肉痛にはならないなwwwダイエットになってないwww夏休みの課外授業にもならないしwwww

 

自由研究

まあ上記の通り、ござさんはこの夏のスケジュールが、体がというかスタミナがもつかどうかという限界チャレンジの様相を呈していたので、今からがござさんにとっての夏季休暇・SummerVacationだったというわけですね(だからプールはラグジュアリーホテルのプールでカクテル飲んで寛いでおられればよろしかったのに)!

夏と言えば自由研究。

なんかVacationというより夏季課外の授業みたいになってきたけど、ござさんは何やってたんでしょう。アレか、水泳もダイエットしなきゃってことだったのなら、研究といえばリングフィットやって、摂取カロリーと運動量に比した体重の変化とか調べたのだろうか。またはラーメン店のメニューと立地の関係とか調べたんかしら(ダイエットから遠ざかってるな)?

と余計なことを考えるまでもなく、研究はピアノのことだった(そりゃそうやろ)。

 

表現者は見える範囲の表現の裏に膨大な量のインプットがあるはずだ。この夏の過密スケジュールはそうやって調べたり、色んな音楽やエンタテイメントを鑑賞したりする猶予が無いという点では、ござさんの内なる引き出しの中身は消費されるばっかりなんだよなあ、と心のどこかでは危惧していた(でも活躍されてることは一番嬉しかったのだが)。

でもござさんはやっぱこうやって時間見つけてはテーマを設定して、ござさんならではの研究に勤しまれていたのだった。学生みたいだなとか揶揄してすいませんでした。

あれ?

でもこれはコード弾きというかJAZZアレンジとかやってる分野の奏者だと一般的に幅広く求められる技能というか、アイデアなのかもしれない。

 

そしてコード弾きのアレンジをするにあたってコード弾きじゃない文化圏からアイデアを拝借するという、知的財産を旺盛に貪欲に捕食していく、なんかこれぞ研究者とも言うべき内容であった。

いわゆる楽曲分析っていうんですか。

芸術作品はその存在がすでに芸術、それをどう捉えるかは鑑賞する側にかかっている。

見る人によっていかようにも変わる表現、それが芸術……

楽曲全体そのままではなく、音楽の組成からアイデアを盗み出す。

それを自分の血肉として手足のように使いこなせるように、配信や即興の場で瞬時に繰り出せる武器として、引き出しに格納しておきたい。

そういう思いを訥々と語るござさん。

 

芸術を自分の手中に納め習得する第一歩は、模倣からである。

画家の鍛錬はまず模倣からというのは定石であって海外の美術館行くと学生がデッサンしてる。

音楽の世界でも表現においては理想と目する演奏家の音を聴き、それを基にしたイメージを自分の中で生成しておくのが肝要だ。

 

ござさんは音楽を自分なりに表現する手段として、演奏というより音楽を構成する要素をプロ(作曲家)から学ぼうとしているのだろう。その手法が、草の根を分けて模索してるというか地に足がつきすぎててすごいというか……人海戦術を一人でやってるようなもんでしょこれ。

原典を渉猟して、味付けのためのスパイスをひそかに蒐集していく……

 ↓↓ちょい分野が音楽から離れるので別に書く。

中国の古代史研究でいうと(マニアックすぎ案件)。中国って文字の文化っていうか、紀元前の遥か昔から、何千年も前から現代まで一貫して自前の文字を持ってたし(細分化もしてるが)、その文字の記録がずっと残ってる。近世(=清の時代)に大規模な古典の編纂事業もあってまとめられてはいるけど、しかし時代を経るなかで散佚した古典も多い。その断片を網羅したものがある。それが太平御覧。

歴史学では史料に沿って自説を展開するのだが、手持ちに自由に扱える史料がどれだけあるかが、論説の根拠づけ、また論考の幅広さを左右する。

太平御覧を片っ端から訳していってキーポイントとなるような史料片をピックアップし、整理して使えるようにしておく……(自分がこれやってたとは言ってません( ̄▽ ̄;)

ござさんは果てしなく広い世界を音楽で表現しうる引き出しを持っている。

引き出しは、常に原典に還ることで補われ、気の遠くなるような作業によって細かくメンテナンスされているのだろう。

まさに一人で人海戦術

 

ござさんならではの学び方、それによって、よりござさんらしい音楽になっていく…

ござさんの音楽の探求には終わりがない。

大部分、未知数にして未完成の音楽、それをリアルタイムで追ってると実感できるのが、ファンとして何よりも幸せな瞬間。

 

 

 

さてこの記事は9/3の生配信についてなので、冒頭にも貼ったがもう一回配信リンクを貼っておく。

 

夏の思い出ーー9月3日のYoutube配信

夏の曲メドレー

忘れ得ない憧憬の念。

もう二度と会えない夏に惜別の情が湧く。

 

減量のためとかいってお茶を濁すござさん。そうやってごまかすのは通常運転の仕様だ。そうじゃなくてござさんはきっと、夏の名残を噛み締めていたかったんだろう。

夏の木陰を吹き抜ける風のように………

むせかえる熱気を孕む。

それでいてさわやかに吹き抜ける疾走感。

 

しかしござさんにはまだまだ夏の燃料が温存されていた。

太陽の表面で燃え上がるフレアのような圧倒的な熱量をもてあましているかの如く。

去っていく夏の後ろ姿を直視したくない、

まだあの熱気にあふれた季節を忘れたくない。

輝かしく眩しかった夏をすぐそばに留めておきたい……

 

「夏は終わらないよ……」

とさりげなくつぶやいて、おさらいと称しつつ夏メドレーを弾き始めるござさん。このメドレーの編成にはっきりとござさんならではの世界が描出されている。

ござさんにとって音楽は言語だから夏への思いも全部メドレーに込められているからだ。原曲は夏らしく情熱的なものが多いが、そんな曲調をときにはスローテンポで情緒豊かに表現している。山でとんぼを追った夏、海に向かって精一杯駆け抜け叫んだ夏……まるでモノクロ映画のような郷愁を誘う雰囲気に酔いしれる。

この曲調と、原曲そのままの勢いを持ったビートがメドレーの中で自在に織り交ぜられ、このメドレーだけでまるで一編の往年の名作映画でも鑑賞したかのような馥郁たる余韻をもたらす。

 

夏に格別の思い入れがある自分は、夏メドレーにこめられているであろう気持ちそのままに、名残惜しさをもって静かにメドレーを聴いた。

 

夏にもいつかは別れる時がくる、その時までの一瞬の短い時間でも大切に過ごしたい。

夕暮れがすっかり早くなり涼しくなった夕暮れの時間、薄暮の空をあてどもなく眺めるのだった。

 

 

月の夜

ござさんは季節の何気ない変化をとらえてピアノに映してくれる。

現実の世界では庭先で朝夕に鈴虫が鳴き、ちょっとしたひんやりした風が秋めいた空気を連れてくる。夜空には月が皓々とかがやく。稲の穂はこうべを重そうに垂れ、半ば色づいて刈り取りを待つ……

世の中はすっかり秋なのだ。自分はまだ全く夏から抜け切れてないけど。

少しづつ遷り変っていく季節をピアノに描き出して印象を留めてくれるござさん。

余韻嫋々としてかすかに消えていく響きに耳を傾ける…

重々しく鳴らされる低音の持続音、そこに旋律で青く光る月の光が幻想的に表現される。

今から秋の間、月をテーマにまた配信で弾いてくださることも多いだろうけど、そのたびにハッとするような心に響く音で月を表現されるのだろう……

 

こういうイメージはクラシック曲に拠っている。

 

しかしござさんはアニソンから童謡からクラシックに洋楽まで自由な編成にしつつ、独自の語り口で起承転結をつけてくる。

それぞれの曲、それぞれの標題がつけられたメドレーに、周到に用意された場面設定と、綿密に練られた脚本があるかのように。

深く心を打つ展開、そして目を奪われずにはいられない劇的な瞬間がある。

 

ファストファッションみたいに使い捨てのデザイン、消費される物として聞かれるのではなく、ただそういう楽しみ方もあるだろうが自分はござさんのピアノには足を止めずにはいられないのだ。

ござさんがメドレーの手を止めるまで息を詰めて、まるで魅入られたように一編の音絵巻を眺めている。

 

その一連のフレーズは、単一で弾かれる曲でも展開は同様だ。それぞれに短編映画のような重厚な世界観と、美しく且つ圧巻の迫力で語られる物語を秘めている。

 

 

休憩時間:一時間では弾き足りない人たち

フジロックフェスでは2台ピアノで菊池さんと出演されたござさん。持ち時間は決まっており、プログラムもあらかじめ決められた曲で、他の出演者の人々に連なって演奏を披露されたわけだが、それは8/26ー27に行われた配信フェス、スタクラでも同様であった。

分刻みのプログラムに合わせて機材や楽器の配置、演奏のリハなども分刻みで進行していかなければならない。

スタクラフェスでは各出演者の持ち時間は1時間であったがそれらの配信機材の設定などの時間が必要だったためか?実際の演奏時間は、それぞれ40分くらいであった。

その話題を持ち出して、

『菊池さんと共にまだまだ弾き足りないよねとお互い言っていた』

と回顧されるござさん。

『もし仮に、その後行われたスタクラの打ち上げ会場にピアノが設置されていたなら、菊池さんと一緒に延々と弾いていたに違いない』

とも。どんだけですか。そもそもスタクラのリハでも、プログラムに無い曲ばかり演奏されていたそうですし。それは果たしてリハとしての意味があるんだろうか。

 

1時間では弾き足りない。

ということでござさんのYoutube生配信はいつも2時間にわたって演奏される。

少なくとも最後の、テーマを決めずにござさんが自由にリクエストを拾うメドレーは要するにござさんの休憩時間だ。それから音ゲーメドレーもついでに休憩時間みたいなものだろう。ニコニコ生放送時代というかそれ以前から演奏されてた分野、ほかにもボカロとかアニソンとかも決まって生き生きとピアノ弾かれてますので。

 

音ゲーやったことがなく、ゲーセンにはクレーンゲームやりに行ってた自分が、なにげなくござさんのピアノから原曲に飛んでびっくりした曲を並べておきましょうか。

[AC] Beatmania IIDX 22 PENDUAL - SP 突撃!ガラスのニーソ姫! Another [EX HARD] - YouTube

DRAGONLADY (Original) - YouTube

どっちもすごい。あのいかにも機械ぽい打ち込み音をピアノで弾けるのが現実とは思えない。恐るべしござさん。そしてこういうのほど生き生きして弾いてる。

 

これだけ即興演奏で次々と演奏できるということは、つまり即興で色々弾いていないとすぐにアイデアが停滞してきて、それらをストックできないし演奏せざるを得なくなるからだろうか?

ござさんの尽きない独創性と、底抜けのエンターテイナー性を浴びるように堪能しながらメドレーを楽しむ。

個人的に推し曲をリピする楽しみ方もあると思うが、でもこの最後のメドレーは絶対メドレーとして聴いた方が楽しい。その時のござさんのアレンジの設計と、曲順の展開はアーカイブで何回繰り返しても楽しいのだ。

 

いつもの10-4。命中率(?)も素晴らしく間髪入れずに次のリクエストを探すござさん。

そこでふとチャット欄を眺めると、「コメント読みながら弾く曲ではないと思う」というコメが流れて来る。そっか、メドレーのリクエスト拾いつついつもの10-4を弾いてくれるのは普通の風景じゃなかったんかという気づきを得た。

 

クラシックの難曲を次々と投入しつつ意外な曲がJAZZアレンジになったりする中、突如ノーマル版の千本桜が始まった。わー懐かしい。一周回って通常版の千本桜が新鮮だなあーと懐古調な気分になっていたが勿論そんな単純に終わるわけもなく。

千本桜の(ござさんの中での)古典的アレンジの見本はこういうのがあったと思う。

そんな教科書的手法からは今回大きく逸脱し、もれなくWaltz for DebbyとSummer Timeが混ざってきて千本桜はJAZZ風に改造されたのであった。

 

しかし月の曲メドレーで月光ソナタをいろんな曲と一緒にアレンジしつつ、こういうやりかたもあるなーと一人で悦に入りながら、でもすぐ忘れてしまうんでしょうねえと寂しそうにつぶやいていたござさん。

そういう絶え間なく出てくるアレンジが一過性のもので姿を留めておくことができないのは残念ですけど、消えていくぶんだけ、新しくつくられるイメージもあるだろう。

ファンとしてはそんなふうにどんどん新陳代謝して生まれていく次のアレンジを楽しみにしていたいと思う。

メンバーシップにさえ入っていれば、過ぎ去った一過性のアレンジも全部配信を聴いて楽しめますし。

 

 

記事の途中でファストファッションとは違うと述べた。

 

しかしある意味でどんどん変貌を遂げていくござさんのアレンジは、一点に留まらないという意味では消費、消耗されるアイデアなのかもしれない。

 

ただ。消耗するだけではなくその記憶を蓄積して新たなアレンジを生むところが、一過性の文化とは袂を分かつ決定的な差だと思う。