ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

ポルノグラフティのストリートピアノ動画

 

事の発端は今週の日曜にさかのぼる。

って数日前のことだ。

そそそそそれは、みなとみらいのストリートピアノじゃないですか。

ストリートピアノ行ったんですか、ござさん!

ござさんのストリートピアノ、大好きなんですけど!(あえて今さら強調する)

 

(突然ひとりごとモード発動)

自分がござさん知ったのはストリートピアノだったし(n回目)。
Official髭男dismメドレー弾いたら大勢が静かに聴き入る異様な空間が…!! - YouTube

ストピ動画の演奏はみんな曲名からアレンジから何から何まで思い出せるくらい全部聴き倒してるくらい大好き。動画を再生リストにしてエンドレスで聴き倒してました。全部覚えたので再生リストは分解しましたってくらい大好き。

曲順も考えられてて、季節とか時間帯とか、観客の客層とかも考慮されてて、時には観客からリクエストもされてて、真摯に応えてるところも大好き。

 

ござさんの真骨頂はYoutubeの生配信だ。自由奔放な選曲、洗練されてて且つ攻めたアレンジ、情緒豊かな表現でめくるめく夢の世界へいざなってくれる。

ストリートピアノの動画には、そんなござさんの世界が短縮版で凝縮されているのだ。

コロナウイルス感染が流行しだした当初、外出制限もかかっていて自分はそんなござさんの生配信とYoutube動画をひたすら聴き倒していた。

 

その後ウイルスの感染の動向に伴って外出制限とかイベントの制限も少なくなり、コンサートやイベントが有観客で従来通り開催されるようになった。Youtubeに集中していた音楽ファンの足は、再び演奏の舞台を鑑賞できる現場へと回帰していったといっていいだろう。

また、ストリートピアノが流行するに伴って色々な事例が見られ、ピアノの設置について賛否両論がネット上で、また様々なメディアで見られるようになった。

 

ストリートピアノって何だ?

自分はもともとNHK-BSの「街ピアノ」・「駅ピアノ」でその存在を知ってはいた。色々な国の街頭や駅に置かれたピアノを定点取材して、そのピアノを起点に交錯する人々の交流を淡々と描いたドキュメンタリー。ピアノを通して知り合う人、また音楽を通して触れ合う人々の感情。

そもそもピアノという楽器、そしてピアノのために書かれた曲は欧米を発祥とするものが多いとはいえ、音楽って人類共通で分かち合える文化だなと思った。登場する人々が思い思いに音楽を奏でて、それが通りすがりだったり、まるで日常の背景のごとくすんなりと住民の人生のそれぞれの1シーンとして音楽が根付いてるんだな、と思わせられるいい番組だった。

先入観とかキャッチコピーとかなしに、淡々と事実を描く番組が作れるのは、さすがNHKだ。

 

それらの、街に置かれた背景としてのピアノと自然に流れ聞こえてくるピアノの音。

それとは昨今のストリートピアノの流行は別物として考えたい。

Youtubeを主な媒体として流行の俎上に挙げられるストリートピアノ動画。

それらの音楽は日常に溶け込んでいるわけではなく、通りすがりに地元住民がサラッと弾いていく何気ない、たわいもない音楽というわけでもない。

 

ござさんのストリートピアノ動画は、自分は生配信のショート版という位置づけで楽しんでいた。しかし投稿は2021年12月が最後だった。その後約2年間、自分はなんで投稿があれで最後だったのかをいろいろシュミレーションして考えた。そうするとだいたい上記のストリートピアノってそもそもなんなんだ?という疑問に行きついた。

なるほど?

そうするとござさんのピアノは「日常に息づくピアノ」でもないし「通りすがりにサラッと弾いていく地元住民」なわけでもない。と自分の中で仮説を立てた。

 

最近のござさんのyoutube動画はスタジオ録画だったんだけど、生配信のグランドピアノ放送が家のFantom8での放送になるのと入れ替わりにストピからスタジオ録画になったので、自分の個人的にはあれは嬉しかったのですよね。

ストピっていう周囲の環境音込みの演奏、アップライトピアノでの録音よりはグランドピアノのスタジオのほうが音響、演奏共に聴きごたえがあるにきまってる。アレンジもキメキメで、絶対最高な動画になる。

実際それらのレパートリーはのちに考えるとコンサートのレパートリーになったりしてて、そのためにスタジオ録画して持ち札を増やしていってたのかなと今になっては思う。

 

そういういきさつがあったとしても。

自分はござさんのストリートピアノ、大好きなんですよね!

 

ござさんにはピアニストとしてはっきりした道筋をご自身で組まれてたと思うし、盤石の布陣で臨んでたはずでして。

誰しも職業として取り組んでる音楽活動には、明確な道筋と将来への見通しがあるはずでして。

その中でも石橋を叩いて渡ってるござさんには、その一つ一つの言動に絶対何らかの意味があるはずだ。

理屈で考えるのはそろそろここまでにしとこう。

 

というわけで、ここで自分がわーわー叫んでるのはファン界隈の片隅でブツブツ言ってるたわごととお捨て置きくだされば結構です。

ござさんのストリートピアノ動画、大好きなんですーーー!!!

自分がそんな叫びを最近書いてなかったのは、ござさんには上記の通りなんらかの意図があってストリートピアノ動画を出さないのであるから、自分が横から余計な意見を出すべきじゃないと判断して書かなかっただけでして。ござさんの意志、意図に反して余計なことをつぶやいても、邪魔になるだけですよね?というわけでナリを潜めてました。

2年間。

ござさんはストピ動画、つまりYoutubeを基点には活動しないって決めたんだな、じゃあ自分もYoutubeからは距離を置こうと考えた。

そうすると生配信もあれが活動の基盤とはならないと解釈すればいいのか、次にござさんが出してくる「もうすぐある告知」って何だ、それによって自分の次に書くお題を決めようか……

などと試行錯誤する日々が続いてた。

 

今回、ここでひさしぶりにストリートピアノ動画が投稿されたとして、また定期的に投稿されるようになるとは限らない。この動画だけって可能性もあるぞ。(という、想定しうる限りあらゆる選択肢を排除しないで考えるくせがあるので、悪しからず。究極にネガ思考です。)

 

 

と、色々想定されるあらゆる説を書いてみたので、そろそろストリートピアノ動画大好きなつぶやきに行っていいですかね?

わーい(≧▽≦)!

 

まずサムネを貼ろう。

サムネ自体は……変わらないのか?そこはまあどうでもいいです。

 

この場所が久しぶりってことだけで思い出してこみ上げるものがありますよね(感傷的)。

 

言わずとしれた2020/12のこの動画の場所ですね。

この動画も例に漏れず自分はアレンジの順番やら展開まで覚えてしまった。生配信でこれらの曲弾いてくれてもまずこの動画が浮かぶくらいには覚えた。というくらい好き。


今回この時と違うのは、音に連動して光が出るシステムが無いのと、ピアノのステージが赤いカーペットになっててスポットライト当たってるのと、ピアノがLovePiano3号機になってることですね、蜜蜂と遠雷からイメージをfutureされたペイントのさわやかなイメージのピアノ。

3年前はピアノはステージにあるけど影だったんですけど、今回はスポットライト当たっててそれだけで感動(ピアノ聴く前から)。

 

動画見ながら考えた。

Youtube生配信はずっと、毎週やってくれている。

動画投稿も折に触れて投稿されている。

それらも全部素晴らしくて自分は大好きなんだけどでもストピ動画を観たくてそっちを再生するんですよね。なんで?

きっと、誰もいないござさんの部屋で一人で配信してたり、スタジオで一人で録画してたりする事実を認めたくなくて、このピアノを誰かと分かち合いたいって思ってるからかもしれないな?

いや、チャット欄で盛り上がったらいいんだし、Twitterでひとりごとをつぶやけばいい話なんですけどね。でもそこで交流しうる人々はすでにござさんを知っててチャンネル登録したり毎週配信聴いてたりする人々なわけで。

ストリートピアノって街を行く見知らぬ人々がピアノを聴いて足を止めてくれて聴き入ってくれたりするわけじゃないですか?忙しいこの世の中に。

そこは、自分の描くストリートピアノの世界とはちょっと違うけど、でもござさんのピアノを聴いて思わず足を止め、呆気に取られて聴き入る人々。

ござさんのストピって聞いてる人たちはみんなそんな感じ。スマホで動画撮ってる人もいるが、しかし呆然と聞いてるだけの人が多いのは気のせいか、ファンの思い込みか?

 

そういう呆然と聞いてる人たちに共感したくて動画見てるのかもしれない。

 

ストピ設置の本来の意義とは違うという意見はわかります。

ここではござさんの奏でるピアノをみんなで国宝の如く鑑賞したいって言う願望を、画面を、そして空間を通して、聴いてる人たちで共有したいって言う気持ちがあるだけです。

ござさんには2年間ストピの投稿間隔が空いてるとかいう意識はなくて気づいたら2年経ってた、みなとみらいのストピ懐かしいな、ひさしぶりに行って見よーかなとかいう何気ないきっかけにすぎないのかもしれない。

 

でも2年経ってることで、別人かと思うくらい、ピアノの演奏自体が変わった。

生配信聴いてても、ねぴらぼとかあの頃2019~2020年、それ以前の生配信聴いてると、発想やらアレンジは今よりも自由奔放、トークも自然体でこぢんまりしたコミュニティでほっこり話してるのどかな配信。ピアノも発想が面白くて楽しい。

今の配信はそれから年月を経て、想像もつかないような練習量を得たことで演奏はまるで別人かというように変わった。昔の自由な配信大好きだったのだけど、最近の配信のあまりのすごさに、大好きだったはずの昔の配信が今聞くと全然違うように聞こえて困ってる。助けて(ほめてる)。

 

その磨きをかけた演奏でこの間Tank!の動画を再録画してくださってまったく溜飲が下がったところだったが、而して今回のストピ動画もピアノの演奏そのものがすばらしくて息を呑む。

 

テンション上がること必至の、ポルノグラフティのメドレー。

いつも夏になると生配信で弾いてくれることの多かったラテン系アレンジ。

 

Youtubeのストリートピアノ動画は再生回数めあてじゃないかとか、

バラエティ番組と一緒で話題性とか目新しさ路線だろうとか、

そういう観点からストピ動画の投稿をしなくなったのかなーと自分は色々考えた。

考えすぎてハゲそうになった。

とにかくござさんの判断に従ってその時ござさんのやってる活動を応援しようと決めてたのだけど。

 

しかしござさんのストリートピアノ動画大好き民としては、過去動画を定期的に聴いて養分を補給するしかない。そこで再生数を見てると、そんな自分と同じ民が多いのか?やたらストピ動画の再生数がどれも、徐々にだがうなぎのぼりに増えている。

やっぱみんなござさんのストリートピアノ動画大好きなんだよ!!

再生数とかどうでもいいんだよね。

あの宝箱を開けたようなおどろき、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさが5,6分の間に凝縮されたような動画。キャッチフレーズの話題性につられて動画見に来るんじゃなくて、やっぱござさんのピアノは、演奏そのものがエンタテイメントなんだよ。

 

そこで美しいイルミネーションが背景のみなとみらいに来て、バラードの曲とかJAZZとか背景に沿った選曲じゃなくてラテンぽいポルノグラフティを選ぶところが意表をついてて………

あーこんな教科書的なこと言いたいのではなくて、

2年ぶりの動画の投稿がポルノグラフティとか最高ですやん!ずっとテンション上がりっぱなしのメドレーとか最高です。最初の緊張してますコメントが違和感しかないずっと飛ばしっぱなしのラテンのリズム。

聴きどころですか?

左手ですよね。

ラテンアレンジならではの、右手の(和音の)旋律と別のリズムで動くというかうごめく左手のベースラインが最高。どの曲も低音部がかっこいい。つまりイヤホンかヘッドホンできくとかっこよさが数倍増し。

左手の16分ビートの裏に綺麗に右手の旋律が嵌まってる。

 

初期の動画を思い出すと、今の画面はテロップもすっきりしてて私服のスタイルもスマートで、舞台にはスポットライトが照らされて………

何もかも変わったんだけど、やっぱピアノ、今の演奏のピアノを家のシンセだけじゃなくて、いやシンセの配信も毎週すごいが、生ピアノでしかも人前で弾いてくれたことが嬉しい。なんか親目線?ほっといてください。

曲順ですか?定番の3曲がまずすごい。MUGENの左手とか魔物が棲んでるのかと思う。

そのあとに短いアレンジとかしっとりめの曲を挟んで、最後の盛り上がりに向けてタメをつくった後のラストのイントロが異次元的にすごい。前奏から入る念の入りよう。この前の配信の、戦場のメリークリスマスを思わせるんですよね?独創的なイントロ。

何か来るぞって聴衆にいやでも印象づける。

そこからのラストが見てても息をするの忘れる。

 

ポルノグラフティの曲と言えば、ござさんのチャンネルではありませんがガチタンバリンの大石さんのチャンネルから、2020年2月の動画を拝借します。

ピアノのござさんと!アゲハ蝶→サウダージ - YouTube

この名セッションですがござさんのサングラスにキャップ時代なのにマスクだけなので自分はあえて誰にもこの動画をおすすめはしなかったのですが。ござさんがこの動画を広めてほしいのかわからなかったので。

しかし演奏が素晴らしいので自分はこの動画こそ、魂と同化するくらい聞き倒して覚えてしまった。

なので今回のストピ動画の冒頭がサウダージ、ラストにアゲハ蝶ときて、「あら?この動画と逆じゃん」と違和感を感じ、この動画が好きすぎてやっぱ最初にアゲハ蝶からのサウダージじゃないとイケてないんじゃない?と思う始末。

このサウダージのイントロのクレッシェンドがまた最高。

確かにラテンアレンジのストピ動画ってありませんでしたね。どのストピ動画も大好きですが、スタンダードJAZZ動画とはまた違ったリズムのラテン風の曲は、よりいっそうござさんのリズム感を存分にはっきりと描出してて凄みが際立つ。

 

今回のストピのラテンのリズムに、まさしく周りの人たちは身動きできずにただ見つめるだけなのが印象的。あんまりスマホで撮ってる人ばかりじゃない。通りすがりに聴きに来たというよりその場で動けなくなった感がある。

 

単なるストピ動画大好き民としては、この動画にすぐさま100件くらいコメントがついたのを見て、しかも異口同音にみんなストピ動画大好き待ってたありがとうございますっていう感じなのを見て、やっぱみんな一緒なんだなと思ってこの記事を書こうと思うに至った。

だって2年間ストピ動画のことは触れられませんでしたので。久しぶりに書くとなると積もった思いも色々あるので、悩んだけど。

 

自分はほんとは、この居並ぶござさんのことをたぶん大部分は知らない人たちに、

「ござさんはこういうJ-POPとかラテンアレンジもすごいけど、ほかにもいろんなジャンルのピアノの練習にいそしんでてそりゃもう演奏はすごいんやで」

っていちいちビラ作って配って回りたいところだが妄想に留めとく。

 

いろんなジャンルって何って?

もう全部ですよ。

ざっくりしすぎててわからない?

そういう人は2023/1/28がまずメンバー限定になってない配信なので聴いてみたら参考になるかもしれない。

お久しぶりピアノ配信 リクエスト募集中 2023/01/28 - YouTube

 

または、この辺のコンパクトにまとめられた生配信にいろんなジャンルが詰め込まれてる。

ネピサマ リクエスト募集中! 2023/07/29 - YouTube

告知があります!!! 2022/02/25 - YouTube

【ネピサマ】す ご い 配 信 Ⅱ - YouTube

【ネピサマ】リベンジ!ござの新居お披露目Live! - YouTube

 

 

何かのジャンルに特化して毎回配信すれば、とか思うが、そうするとそのジャンル以外のファンに不公平といってやらないだろうし。

なので自分がここで勝手に叫んでおく。

ござさんは、いろんなジャンルの演奏を生配信でもYoutube動画でも流してるが、最も得意なジャンル?

全部です。

 

以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感無量の境地

 

当初この部屋は、ついったらんどには140字の規制があったから、書ききれないからこのブログを開設しただけで、しょせん好きな事をつぶやいてるだけなのだけど。

書ききれないくらい衝動的にいろいろ浮かんできた最初のきっかけはやっぱり、ござさんの当時の現状と自分のイメージがあまりにも乖離していたからだと思う。

 

自分がござさんを知ったのはこの動画だった。見つけたのは2020.2.28のことだった。

 

www.youtube.com

 

その頃ストリートピアノの動画がたくさん投稿されていたけど、色褪せて擦り切れたキャップにユニクロのダウンを着込んで、サングラスにマスク……あっそうか、どっかの音大の教授なんやな(当時自分は音大の信者だった)、でも若いな、有名な人かな、顔出しNGなんかしら??と思っていた。

生配信でもペンギンマスク、その後もキャップにマスクにサングラスで配信されていたからやっぱなんか有名人なのかと思いきや。

 

あろうことか本業はほかにあってピアノは趣味だという(その時には仕事は辞めていたそうだが、でも10年仕事しながらピアノ弾いてたという意味になる)。

ていうか仕事は介護職だったそうだが、残業が無くてピアノと両立できるという意味でその職場を選んだとのこと。

もう何からツッコミ入れたらいいのかわからなかった。

ただあらゆる意味で強烈に違和感というか憤りしかなくて気づいたらブログを10本くらい書いていた。

将来ござさんの活動がどうなっていくのか、コロナウイルスの流行とちょうど重なってまったく先が見えなかった。生配信は単にござさんの部屋でサングラスとキャップかぶり、何なら洗濯物も干しててあー家事きっちりやってるんだーって思って……

違うー!

そうじゃないんだ、そんな自分の部屋で籠って、ネットに配信してるとはいえ、ひっそりリスナー向けに放送してる場合じゃないやろー!

このピアノはもっとたくさんのお客さんを前にきらびやかなスポットライト浴びたところで演奏するべきやー!人類の至宝がこんなところに埋もれてるとかありえないー!

というわけでこのブログを書くに至ったわけで。

 

 

そこから紆余曲折を経て、音楽活動を専業にされて今に至りますが。

ござさんが音楽的に目指してるところはどこなんだろう。

自分はただ……

ござさんのピアノをもっとたくさんの人に知ってもらいたい、

その演奏をもっとたくさんの人に聞いてほしい、

その一心でこの部屋で書くようになった。

根本的にはTwitterのつぶやき代わりだったけどこうなったら絶好の宣伝ツールになるということに気づいたので。

 

でもござさんは宣伝を目的として弾いてるんじゃないだろう。

楽しいからピアノ弾くんだし、

色々アレンジしてみるのが楽しいから生配信やってるんだろう。

何よりも、リスナーの皆さんのリクエストに応えたくて、その一心でやってるように見える。

 

コンサートの舞台に立つのも根本的にスタンスは変わらないだろう。

それが大舞台であればあるほど、解放される真の姿がスケールが大きくなっているようには感じたけど。(フジロックの話聞いてそんなふうに思った。)

 

自分の持てる音楽の世界、それだけを手に携えて常に挑戦の姿勢を崩さない。

真摯に向き合い、妥協せず、音楽の持てる可能性に賭けている。

 

そういう意味ではもう夢に見た演奏は叶っているのでは、夢見た舞台にはもう立てているのでは、と言えるのかもしれない。でもその夢見た舞台というのはファンの自分から見た一方的な願望で、ござさんの目指してる地点はまた別なのかもしれない。

 

というか目指してる地点なんてそもそも無いのかもしれない。

そんな地点には永遠に到達し得ないのかもしれない。

ゴールなんて見えないから面白い、それが音楽。

一生そうやって試行錯誤しながら、現れては消える幻影を追い求めていくのだろう。

 

自分らファンはその過程を生配信で垣間見ている。

ござさんは音楽のあらゆる可能性を除外しないから、音の実体は揺らいでいて同じ顔を見せない。

まるで追っては消える蜃気楼のように。

 

自分がこの部屋で発作的に叫びたかったことは大体書き尽くしたので(でも三年半かかってるな)、もう役割は終わったのかもしれないと思ったため一か月くらい?書くのをやめていた。

しかしござさんは全然終着点についたとは思ってないと思う。

自分も終着点が見えたとは全然思わない。

 

CDアルバムとかアレンジ曲の編曲とか、そういう実績はできたけど、でも単に客観的な物差しでしかない。

ござさんのアンテナはもっと多次元に張られていてあらゆる角度で吸収され、また思いもよらない表現で発信されていく(そしてちょっとした遊び心がいつも潜んでいる)。

 

ござさんが晴れ姿で檜舞台に立つところ。

ある意味それは実現された。

 

でもござさんの考える檜舞台、それはもっと別の世界にもあるはずだ。

ござさんが追い求める音楽に果てはないから。

 

 

 

 

観月の宴に寄せて

 

今月末、京都は東山の麓、平安神宮でコンサートが開かれる。

 

 

中秋の名月を愛でながら、様々なアーティストの奏でる音楽に耳を傾ける優雅な催し。

 

お月見といえばすすきの穂と月見団子を飾って月を眺める行事だ。しかしそれは江戸時代以降に庶民に風習が広まってからのこと。

中国では中秋節として親しまれているこの季節。

平安時代には貴族の邸宅で華やかな管弦の宴が催され、庭園の池に船を浮かべて水面に浮かぶ月を愛で、また酒の盃に月を映して楽しむという風に、趣向を凝らしていたようだ。

(管弦の宴ではいわゆる雅楽で使われる笙(しょう)や篳篥(ひちりき)、四弦琵琶、筝の琴などで構成される合奏や、それに合わせて舞が披露されることもあった。)

 

水面にゆらめき移ろう月の姿に……

また澄んだ空気の秋の夜に華やかに響く管弦の調べに……

貴族はそれらの情緒をこまやかに和歌にうたう。

そのように楽しまれてきた平安時代の上流階級の風習、観月の宴。

 

平安神宮で催される月音夜は、この観月の宴を再現しようという試みということで、場所も当時の大極殿を模した拝殿を借景に、様々な演奏家が集い音楽が奏でられるという。

 

 

 

ーー貴族の文化に見える月と管弦合わせーー

このシーンでは宴というより姉妹のプライベートな場面を描いているが、管弦の楽器を奏でながら月を愛でるという趣旨は、観月の宴に重なるといえなくもない。(ほかにも観月の様子を扱っている作品は枕草子とか数えきれないほどあるけど引用する史料が足りないため取り急ぎ源氏物語絵巻から。)

源氏物語絵巻より橋姫

《八の宮の宇治の山荘。晩秋の一夜、薫は八の宮の姫君である大君、中の君の姉妹を垣間見る。邸内には筝の琴と琵琶を合奏する姉妹。》

(画像引用:源氏物語絵巻 - Wikipedia )

通説では、琵琶を前にして、撥で雲の陰りからでてきた月を招くようにするしぐさをしているのが妹の中の君。

左側で筝を前にし、夕日を撥で招き返すことはきいたことがあるけれど、と返答しているのが大君。

(右側は垣間見している薫の君)

参考リンク:第33回 『源氏物語』「橋姫」段の「大君・中君姉妹をのぞき見る薫」を読み解く | 絵巻で見る 平安時代の暮らし(倉田 実) | 三省堂 ことばのコラム

 

 

自分は平安神宮 月音夜のコンサートに10/1に出演されるござさんのファンなので、京都新聞のござさんへのインタビューから引用したい。

ござさんはロケーション、つまり立地や背景、季節や時間帯など演奏にあたってのシチュエーションを踏まえていつも演奏してくれる。

聴衆にはどのような人々がいるのかをも考慮されたり、その時によって聴衆に最も合った音楽を届けてくれる、といったほうが正しいかもしれない。

 

場所は京都の平安神宮、設定は中秋の名月を愛でる演奏会。

今回は、このうえなく雅な雰囲気漂う会場に合った演奏を披露してくれることだろう。

 

定期的なYoutube生配信の演奏でも、決まってこの季節には月にちなんだ曲を演奏されている。今月は9/3(日)のYoutube配信で、月の曲を沢山弾いてくれているので参考までにリンクを貼る(頭出し済み)。

スタクラありがとうございましたリクエスト募集中! 2023/09/03 - YouTube

 

2020年には、Youtube動画で月の曲を色々演奏されている。


ピアノ曲を単体でというのではなく、クラシックの曲をいろいろ織り交ぜていたり、またシンセの伴奏機能を使っていろんな形態の一人セッションになっていたり、この動画ひとつとっても、ござさんの眼下に広がる音楽の世界は多彩な万華鏡のように次々と変わっていって一つに留まらない。

 

クラシックやポップス、JAZZなどとインタビューではレパートリーの範囲を説明されているがそれ以外にも民族音楽とか童謡なども得意とされているから際限なく幅広い表現をされるピアニストだ。

ある音楽をどのように変化させたらイメージにもっとも最適な表現に近づくことが出来るのか、そういう方法論を追求されているから、月にまつわる曲という標題音楽に基づいてござさんがどのような表現で月のイメージを作り上げるのか、観月の宴に相応しい音楽としてどのような演奏に仕上げてこられるのか、そこがみどころだろう。

 

 

この平安神宮では春にも「紅しだれコンサート2023 桜音夜」として演奏会を開催されている。ただし春は大極殿前ステージではなく、神苑の殿舎と庭園の池、桜のライトアップを背景にした幻想的な舞台だった。

(参考資料:その時の感想記事)

 

秋の月夜と共に、桜は平安時代の当時から和歌に詠みこまれ愛されてきた。

桜の、華やかな姿を留めることなく刻々と遷り変るさま。

月夜の、秋の虫の音を背景に美しく輝くさま。

そういった姿が人々に長く愛されてきたのだろう。

 

月に桜、そして下記に掲げる曲水の宴にと、刻一刻として移り変わる様を愛でるという貴族の美意識は共通して顕れている。

 

 

【資料コーナー】

春には桜のほかにも貴族の楽しみがあった。

邸宅の庭につくられた遣水(やりみず=小川)のほとりに歌人がならび、遣水に酒の盃を浮かべてそれが流れて来る間に、決められた歌題で歌を詠む。

いわゆる曲水の宴である。このように和歌を詠むことは貴族の嗜みであり教養の一つであった。

 

曲水の宴は王羲之(東晋:303-361)の蘭亭序からきている(もっと古くに起源を求める説もあるが)。

353年に会稽山の麓の名勝・蘭亭(現在は浙江省紹興市)に一族や名士総勢42名を招き、曲水の宴を開いた。その時に作られた詩37編(蘭亭集)の序文として王が書いたもの(草稿)が「蘭亭序」である。

書跡の名品として伝えられるが、曲水の宴の文化はここから日本へ伝わり、奈良時代には宮廷行事として定着したようだ。

 

 

王羲之*1「蘭亭序」*2白文・書き下し・現代語訳

 

※凡例:白文、書き下し文、現代語訳 です。

永和九年,歳在癸丑きちゅう,暮春之初,會于會稽山陰之蘭亭,脩禊事也。群賢畢至,少長咸集。
永和九年、歳は癸丑きちゅう*3に在り。暮春*4の初め、會稽山かいけいさん*5の蘭亭に会するは、禊事けいじおさむるなり。群賢ぐんけんことごとく至り、少長しょうちょうな集まる。
永和九年(353年)3月3日、癸丑の年。会稽山の麓の別荘、蘭亭に一族や名士などを招き、心身を清めみそぎを行った。知識人がことごとく至り、老いたものから年少者までこぞって集まってきた。

 

此地有崇山峻領,茂林脩竹,又有清流激湍,暎帶左右。引以爲流觴曲水,列坐其次。雖無絲竹管弦之盛,一觴一詠、亦足以暢叙幽情。
此の地 崇山峻嶺すうざんしゅんれい茂林脩竹*6有り、又た清流激湍げきたん有りて、左右に映帯えいたいす。引いてもっ流觴りゅうしょう曲水を為し、其の次に列坐す。絲竹管弦しちくかんげんせい無しといえども、一觴一詠いっしょういちえいた以て幽情ゆうじょう暢叙ちょうじょするに足る。
この地には高い山に囲まれ嶮しい嶺が連なり、また青々と生い茂った竹林が広がっている。清らかな渓流や激しい流れの早瀬があり、瑞々しくも美しい景観が見渡す限り続いている。清流を導いてきて蘭亭の庭園にさかずきを流すための曲水の流れとなし、集った人々はそのほとりに整然と並んで座す。笛や琵琶に琴など雅やかな音楽はないが、一杯の酒を飲み一つの詩を詠む、それは静かな奥深い心情へと思いを巡らすのに十分である。

 

是日也,天朗氣淸,惠風和暢,仰觀宇宙之大,俯察品類之盛,所以遊目騁懷,足以極視聽之娯,信可樂也。
是の日や、天朗らかに気清み、恵風和暢けいふうわちょうす。仰いで宇宙の大を、俯して品類の盛んなるを察す。目を遊ばしめおもいをする所以ゆえんにして、以て視聴の娯しみを極むるに足れり。まことに楽しむきなり。
この日、空は高く晴れ渡り空気は清らかに澄みきって、肌に心地よい春風がのびやかに吹いていく。仰ぎ見れば宇宙が果てしなく広がり、また地上にはあまねく生物がさかえている様が感じられる。目にも美しく素晴らしい季節を堪能しながら、存分に思いをめぐらせて、目で、また耳で喜びを感じることができ、ほんとうに楽しい事であった。

 

夫人之相與,俯仰一世,或取諸懷抱,悟言一室之内,或因寄所託,放浪形骸之外。
れ人のあいとも一世いっせい俯仰ふぎょうするや、或いはれを懐抱かいほうに取って一室の内に悟言ごげんし、或いは託する所に因寄いんきして、形骸のほかに放浪す。
さて、さまざまな人間が同じ時代を生きていくにあたって、心中の見識を大切にし、室内で述懐しあって理解しあう人もいる。また、自分の志のみを拠り所として何かの型を気にすることなく自由奔放に生きている人もある。

 

雖趣舎萬殊,靜躁不同,當其欣於所遇,蹔得於己,怏然自足,不知老之將至。
趣舎万殊しゅしゃばんしゅにして、静躁せいそう同じからずといえども、其のう所によろこび、しばらく己れに得るに当たっては、怏然かいぜんとして自ら足り、老のまさに至らんとするを知らず。
人生の進む道は人それぞれであり静、動のようすは一通りではないが、しかし選んだ道程において悦びを得たり、しばらく思うままにうまくいっているときには心地よく満たされた気持ちになって、老いの足音がすぐそこまで近づいていることにも全く気付かないものだ。

 

及其所之既惓,情隨事遷,感慨係之矣。向之所欣,俛仰之閒,以爲陳迹,猶不能不以之興懷。況脩短隨化,終期於盡。古人云、死生亦大矣。豈不痛哉。毎攬昔人興感之由,若合一契,未甞不臨文嗟悼,不能喩之於懷。
其のく所既にみ、情は事に随いてうつるに及んで感慨之に係れり。さきの欣ぶ所は、俛仰ふぎょうかんすで陳迹ちんせきと為るも、お之を以ておもいをおこさざるあたわず。いわんや脩短しゅうたんは化するに随い、ついに尽くるに期するをや。古人*7云う、死生もた大なりと。に痛ましからずや。つね昔人せきじん感をおこすすのよしるに、一契いっけいを合せたるがごとし。未だかつて文に臨んで嗟悼さとうせずんばあらざるも、之をむねさとすことあたわず。
しかしやがて悦びも心地よい気持ちも倦怠に変わり、心情も現実にしたがって遷移すると嘆息せずにはいられまい。ほんの昨日までの喜びはたちまちの間に見る影もなく過去の遺物となり果てる、これだけでも感慨を興さざるを得ない。老いて永く生きながらえている者も若く短命だった者も、年を経て変化するにまかせて皆やがて命が尽きる事は自明の理だからだ。いにしえの人のことばに「死生はまことに人生の一大事である」とあるが、なんと痛ましいことであろうか。いにしえの人が心を動かされた理由を観ると、まるで割符をぴったり合わせたように、いつも私の思いと一致する。その文章を読んで今まで嘆き悼まないことは嘗てなかったが、それを、死を悼んで嘆く自分の心に諭させ納得させることはできなかった。

 

固知一死生爲虚誕,齊彭殤爲妄作。後之視今,亦猶今之視昔、悲夫。故列叙時人、録其所述。雖世殊事異,所以興懷,其致一也。後之攬者,亦將有感於斯文。
もとより知る、死生を一にするは虚誕きょたんたり、彭殤ほうしょうひとしくするは妄作たりと。後の今を視るも、お今の昔を視るがごとし、悲しいかな。故に時人を列叙し、其の述ぶる所を録す。世ことなり事異なると雖も、おもいをおこす所以は、其のむねは一なり。後のる者、まさの文に感ずる有らんとす。
しかし私はもちろん知っている、古人が生死を同一に語っていたのは誤りであり、長寿と短命を同じに扱うのは無知蒙昧の所業であることを。後世の人が現在の私を見るのは、今の私が昔の時代の人々を見るのと同じだ。なんと悲しい事だろう。

それ故に、今ここに集った人々の姓名を書き連ね、彼らの綴った詩を書きとどめておくことにした。時代は遷り世の中の事情は変わっても、人々が感慨を覚えるところの真髄は変わらないだろう。よって、後世にこれを手に取って閲覧する人は、きっとこの文章に感じ入るところがあるに違いない。

 

 

 

*1:王義之:303生まれー361年没。中国東晋の政治家・書家。漢時代からの隷書から、行書や楷書を確立したとして後世の書人に多大な影響を及ぼし、梁の王志と並んで書聖と称される。代表作として蘭亭序のほか十七帖、楽毅論[光明皇后が臨書したものが正倉院宝物として伝わる]

*2:蘭亭序:王義之の書の中でも最も名高い。唐の太宗が王義之の真跡を蒐集し、蘭亭序もついに手に入れ、太宗の死後陵墓に副葬されたとされている。つまり蘭亭序の真跡は現存せず、現在伝わるのは後世の墨跡や模刻、写本のみ。こうした書は代々、中華帝国の正統な王朝へ継承されていった。
中華帝国は古代より、徳をもった皇帝が天命を受けて天下を統治するという思想があり、天子という言葉の語源にもなっている。天子が徳を失ったとき、天命は別の徳ある者を探す。つまり命が革まるということから革命と言われるようになった。実際に中国では古代から王朝が入れ替わるときは人口の大部分を占める農民による反乱がおこっている。
皇帝は、天命を受けた徳のある統治者である。彼らはこうした古代から伝わる書画や文物を所有することで、正当な王朝の後継者であることを証明しようとした。蘭亭序の写本にはその証の歴代王朝のおびただしい印璽が残る。

画像引用:蘭亭序 - Wikipedia

*3:癸丑:みずのとうしの年。陰陽五行による呼称。

*4:暮春:陰暦3月。今の4月~5月中旬。

*5:会稽山:浙江省紹興にある山。春秋時代の越王句践と呉王夫差による古戦場跡。越王句践は隣国呉との戦いに敗れ、生きて捕虜となる辱めを受けた。その二十年後、越は呉をうちやぶり滅ぼした。lこの”会稽の恥を雪ぐ”の故事から、ひどい屈辱をさっぱり晴らすことという語句が生まれた。また臥薪嘗胆の故事もこの事に拠る。

*6:修竹:長い竹。

*7:古人:荘子

報告:更新頻度が落ちます(加筆あり)

 

【現状:忙しさはそれほどでもなかったので今まで通り更新しそうです。今後状況が変わる可能性はあり。】

 

9月の連休明けから仕事が再び忙しくなるためこの部屋の更新頻度が落ちます。

以前7月にも忙しくなるという理由で無期限休載になると書きましたが結局書きたいときには発作的になんか書いていたので、そういう言い方はやめて更新頻度が落ちるという言い方に留めておく。

 

半年か一年くらい忙しくなる予定なのでその間ほぼ更新できません(たぶん)。

 

ではまたどこかで会いましょう(たぶん近いうちにどうせ何か書く気はする)。

 

 

※9/17の配信のことは、包括して9/10の記事に全部書いているので新しく記事にはしない。というか新しく書いていると今日中に終わらないので無理。

エンターテイナー 9/10の生配信

 

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ござさんはお茶目

こんな普段の日常の片手間に思いつきで書いたものを投稿されていて、その内容がまさしく百科事典さながらにあらゆる事象を網羅してる。

それを見るにつけ、ござさんの音楽の背景に横たわる広大なバックボーンを垣間見た気がして、その底知れない広い世界にちょっと寒気がするのだ(←ほめてる)。

あくまで構えたふうにひとつひとつ考えてるふうもなく、ほんとにノリで書いてるらしいところが空恐ろしい。もう無意識レベルで、覚えてるんじゃなくて知ってることなんだろうなあ。

こういう音楽じゃないところの世界に精通してる、そういう点がござさんの音を根底から形作る元素たらしめている。

 

 

音楽を奏でるうえでの鍵

9/10のどこかのラジオで、ちらっと耳にした。

不協和音の話。

 

不協和音は理論的に基本の和音から外れてイレギュラーな響きをもたらす。

聴く人によっては不快な、また不安な雰囲気と捉えられ、また音楽の流れの中で不穏な空気を感じ取る人もいるだろう。

奏者としては、そこに不協和音が入ることでどういう音楽になるのか?を感じ取り、そこから自分たちの奏でたい音楽を構築していくことになるのだが、しかし。

イメージする音楽よりも、音程をお互い揃えることに汲々として、作りたい音楽の追及はおざなりになっていないか?音程を揃えるのは美しい音楽をつくるための単なる手段にすぎなくて、そこが目的になると中身のない音楽になってしまう。

そのようなことをラジオ番組の終盤のトークで話されていた。

 

この番組のコメンテーターはプロの吹奏楽団の奏者の方だ。なるほど?音で表現するにあたって基本の概念をはっきり語られているなあと思いながら聴いた。

 

イメージする音楽が念頭にあって、それをイメージ通りに紡ぐための手段をあらゆる手法を講じて試してみるというのがプロの音楽家の立てる筋道だ。

どうやって奏でるかは問題ではない。そこはプロの奏者は地道な練習によって基礎を積み重ねているはずなので。

 

ござさんのピアノには、はっきりすぎるほどイメージとして掲げる像がはっきり見えていてそこに近づけるために鍵盤での奏法など色々なやりかたを試しながら試行錯誤されている……

なんだかプロの言ってる事ややってる事は、どこかでつながってるんだなあと思った。

ラジオを聞いて思った、素人の素朴なつぶやき。

 

 

無意識の中のプロ意識ーー9/10のYoutube配信

 

 

最初のメドレーはTVでよく見るCM曲。その特徴上、ローカル性が出るのはやむを得ないだろう。ござさんがTVを見ていた時代(実家にいた学生時代まで)のCMだから時代も遡る。だいたい家で通りすがりに聴いてたCMなのに完コピしてるのがすごい。

地域が偏ってるというよりは?

家電屋さんとか電気屋さん(一緒やんか)とかのCMが多い気がするな……

え?気のせいじゃないですかね……?

細かいことは気にしない。そんなことより、やっぱキャッチコピー替わりに考えられた曲ばかりだから、

聞いてて楽しいんだ \(^o^)/

短調の曲とか不協和音とかCMにあんまり使いませんよね(そんな曲なかった……ですよね(たぶん))?

何をどこからどう見ても、どうやっても面白い。

 

ござさんにしてみれば、聞こえたCMを覚えてて、懐かしーって思いながら弾いてただけなんだろうけど。

 

 

いつもござさんは気の向くままに自由にピアノを弾いている。

 

リクエストからの選曲やお題の選び方は、季節を取り入れたり最近の生配信の内容を踏まえて偏りがないようにしたり、そこには几帳面にアンテナを張り巡らせて、神経をとがらせているように見える。

しかしそれはあくまで配信の骨格に過ぎない。単に目に見える曲の並びでしかない。

そういう外見だけでは、ござさんの生配信の真の姿は0.1%も理解できないだろう。

 

生放送を聴くかあとでアーカイブで聴くかには関わらず、

ござさんの最大の魅力は生配信そのものにある。

毎回聴いてみないとわからないし、

聴く人によって印象は千差万別だろうし、

ただ、聴いてもらえさえすれば分かってもらえる、それがござさんの生配信。

(ござさんにはほかにも編曲者やDTM制作とかの姿もあって生配信だけでは100%の全容は伝えきれないとは思うが。)

真相の掴めない配信を泳いでいく手掛かりに、全く音楽に精通していない民にとっては少なくとも曲名はなくてはならない道しるべだ。(ファンの立場としては)

 

配信者として。リクエストに拘泥せずに、のびのびと自由にやってるのがござさんらしい。

ペンギンマスクかぶる(2019/9)以前の手だけの生配信のころの、リクエストもチャットのコメントも緩やかに流れててござさんはそういう視聴者とゆったり会話してて、アレンジも実験的で試行錯誤しながら創意にあふれてて……

ああいうことやってる時のござさんが一番生き生きしてる。

 

でもござさんの生配信は昔からリクエストに応えるのが看板だ。それだけは変わらないござさんの信条なんだ。

襟を正して原曲そのまま耳コピアレンジで弾ける。なんせ通りすがりに聴いてたTVのCM曲もあの精度で覚えているくらいだから。

 

それらを両立させようとして試行錯誤されてるなあと思う。

そこで今回みたいに癒しメドレーとか、なんでもワルツに変換とかやってるのを見ると嬉しくなる。自分はまだその頃ござさんを知らなかったが、こういう何でもありなのが、ノリがなんとなくその頃ぽいので。

 

音楽に対して奔放に生きる。自由に変貌する。

その発想は変幻自在。

笑点のテーマは、癒し系メドレーを寝る前に聴いてるひとの安眠の妨げになってるかもしれないので、需要に見合った演奏を心がけて……」

そんな襟を正した需要に見合った演奏は、長続きしないと思いますね。

 

意表を突いたアレンジ、

引き込まれ畳みかけてくる音楽の語り方。

垢ぬけていてお洒落な和音。

ござさんのピアノにしかみられない独創性。

 

 

どこかで見た意見。ござさんのピアノは聴いてて楽しいんだから、深く考えずに肩の力を抜いてただ楽しめばいいんだよ。

そうかもしれない。

しかしござさんの配信の真髄は、配信のサムネも概要欄見てもわからない。Twitterにも簡単な告知しかされない。そしてメンバーシップの特典だから数週間するとメンバー限定エリアに隠れてしまう。

ただ楽しむにしても、まず知らない人に聞いてもらわない事には始まらないじゃないか。

 

 

" 30秒でわかる、ござさんの生配信のここが面白い!" とかいうキャッチフレーズでご本人から宣伝動画でも出されていれば分かりやすいんですが……

 


あった。

でもこれ2019年5月だからもう4年半前にもなる。

レパートリーはこの動画に集約されてるのかもしれないけど、そのほかにもCDアルバムと、連動した楽譜集と、本の出版とかYAMAHAのアレンジ楽譜連載とか表の世界で動いたことは色々ある。

解説動画は近年はYoutubeよりTwitterの方が多い気がするし。

演奏会にも多数出演されるようになったのだからそういう案内もあるのに。

公式サイトでリアルタイムの情報は手に入るようになったけど。

ござ オフィシャルサイト

 

パッと見てわかりやすい案内動画がやっぱ必要なのでは?そういう情報がアップデートされてないですよね。

いつまでも欲しがるのをやめない病みたいになってるけど。一つ手に入れると際限なくほしくなる病みたいだけどそういうのでは決してない。

 

 

最後のノーストップメドレーを早めに、「今日はたくさん弾きたいから」と言って早々に始めたのは、自由に弾く時間がまだまだ足りないって意味だったのかな。

ただ最後に同様なレパートリーを弾いてるだけと分かってても、やっぱり最後のメドレーが群を抜いて、聴いてて楽しいんですよね。

 

ござさんのピアノには夢がある。

プロってアマチュアと何が違うの、それを職業にしてるって言う意味?と思うだろうが、そういう杓子定規に線を引いたような分類じゃなくて。

見てて、聴いてて夢が広がる。

 

ござさんは無意識にいつもどおりのこだわりでピアノ弾いてるだけかもしれないが、その演奏には、聴き手を思ってもみないところに連れて行ってくれる力がある。

 

 

独特の世界観に加えて、自宅のシンセを使って色んな曲を再現されたり。

《5/18》

こんな時間に突発ランダムレパートリー練習無言配信 / ござキャス - ござ 🎹 (@gprza) - TwitCasting

 

《4/25 回線不具合につきアーカイブ分割》

こんな時間に突発ランダムレパートリー練習無言配信1 / ござキャス - ござ 🎹 (@gprza) - TwitCasting

こんな時間に突発ランダムレパートリー練習無言配信2 / ござキャス - ござ 🎹 (@gprza) - TwitCasting

 

《8/11》ジブリのオケ音源を使用して一人合奏

突発ランダムレパートリー練習無言配信 / ござキャス - ござ 🎹 (@gprza) - TwitCasting

 

このツイキャス練習配信がランダムにパソコンが拾う曲を演奏するため、youtube配信の裏でレパートリーの整合性を取るのに役立っている気がするが、このツイキャスも去年の冬からだから結構な回数をこなされている。

途中で曲に合わせて色々な音源ソフトを使って原曲風な演奏にされていたり、ツイキャスも聞いていて面白い。

 

ツイキャスYoutubeも、ござさんにとっての方向性は逆なのかもしれないが、根底にはござさんの尽きることのないエンターテイナーぶりが見え隠れする。

 

それがたとえ無意識だとしても、聴いてる人に楽しんでもらえる演奏するんだというござさんの譲れないこだわりが感じられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

単なるメモのまたメモ(言葉あそび)

 

突然自分的な宿題みたいなのが降ってきたのでメモのまたメモというか。意味をメモしてみた。

 

たぶん韻を踏んだだけ、というか暇つぶしに書いてみただけと思われるのでこんなの意味をいちいち考えてもしょうがないのですけど書いてしまった。

 

確かに漢字は特に書かないと忘れる。

でも明らかに実用的な漢字というよりは、ニコニココミュニティにござさんが残してるレパートリーの曲を漢字に置き換えた的な面白い言葉しか出てこないので絶対面白いと思ってこっちもメモした。

 

単なる言葉遊びっぽいのでほんと意味はないというか言葉を追ってると韻の踏み方がおもしろい。

いちいち意味は考えずに一緒に音読するのがこのメモの正しい遊び方なんじゃないですかね。正しい遊び方ってなんだ。

とにかくなんも考えずに音読してみると楽しい。ついでに言葉も覚えられて一石二鳥。

 

 

 

日本住血吸虫
住血吸虫症(Schistosomiasis)を引き起こす寄生虫の一種。淡水にすむ貝を媒介する。日本では100年以上前に根絶したと考えられる。

偕老同穴(かいろうどうけつ)
(海綿の仲間。この習性から転じて)共に暮らして老い、死んだ後は同じ墓穴に葬られること。転じて夫婦の信頼関係が非常にかたいことを意味する。

冬虫夏草(とうちゅうかそう)
薬膳料理にも使われる薬。

ハイドラントカスタム 
スプラトゥーン2のアイテム名。

ウンウンウニウム
レントゲニウム(Roentgenium)=元素記号Rg、原子番号111の化学元素が、元素名が正式に決まるまでの仮名がウンウンウニウム。(ラテン語の数詞から派生)
レントゲニウム - Wikipedia

礼文島
北海道最北端、稚内市の西方の島。

時々刻々
物事が引き続いて起こることにいう。 また、時を追って。 次第次第に。

耕耘機
=耕運機。手押しトラクター。エンジンを積んで、鋤や鍬の代わりに、徒歩で押しながら田畑を耕作する農機。

アゼルバイジャン
カスピ海に面し、アルメニアジョージアの東方に位置する国。

ぽぽぽぽーん
AC ぽぽぽぽーん CM フルバージョン 1080p - YouTube

圓楽さん
・落語家の名跡三遊亭圓楽」。
※エンラクBLEACHのキャラ織姫が持ってるクマのぬいぐるみ。

鐘ヶ淵紡績=鐘淵紡績
鐘紡=カネボウ。今のクラシエ

どんどん焼き
江戸時代後期に記録のある文字焼き(もんじゃ焼き)から派生し[1][2][3]、大正時代から昭和10年代にかけて、東京を中心に流行した軽食である。小麦粉を主体とした鉄板料理。お好み焼きより小さめ。ー中略ーーどんどん焼きは戦後廃れたが、東北地方の一部などにはローカルフードとして残っている。
太鼓焼き、今川焼きの別名としても使用される。どんどん焼き - Wikipedia

NEEDY GIRL OVERDOSE
2022年発売のネットを舞台にした育成ゲーム。
『NEEDY GIRL OVERDOSE』 公式サイト - WSS playground

京急蒲田
東京都大田区にある京浜急行電鉄本線の駅。

葛西臨海公園
東京都江戸川区にあるJR京葉線の駅。また駅近隣にある臨海公園の名前。

眠眠打破
カフェイン多めのスタミナドリンク。

Y.R.P野比
横須賀リサーチパークにちなんで命名された京浜急行電鉄久里浜線の駅。

googolplex
アメリカの数学者エドワード・カスナーの当時9歳の甥ミルトン・シロッタ (Milton Sirotta) による造語。ーー中略ーー「1の後に疲れるまで0を書いた数」。
グーゴルプレックス - Wikipedia

不可説不可説転(ふかせつふかせつてん)
華厳経に登場する自然数の数詞である。仏典に現れる具体的な数詞としては最大のものとされている。
不可説不可説転 - Wikipedia

みんなのゴルフ
通称みんゴル。プレステのゴルフのゲームソフト。

ゾマホン
ベナン出身の日本のタレント。また、外交官。

ンゴロンゴロ国立公園
正確にはンゴロンゴロ自然保護区。タンザニアセレンゲティ国立公園内にある。

南部せんべい
青森県の東南部・岩手県北部、いわゆる旧南部藩領で食べられているせんべい。郷土料理のせんべい汁にも使われる煮込んでも崩れない種類もある。この地域では寒流の上を吹いてくる冷たく湿った空気「やませ」の影響で冷害とそれに伴う飢饉が多かったため、米以外の穀物でも作れる食物として発達した説がある。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ
出雲神話の、素戔嗚尊スサノオノミコト)と櫛名田比売クシナダヒメ)の物語の中で登場する伝説上の生物。高志(コシ)=越の国、今の北陸の越王国から来たという説あり。

大井追っかけ音次郎
氷川きよしのシングル曲。またアルバム名でもある。

バラバラババンバン
鋼鉄ジーグのうた (アニメ鋼鉄ジーグ)の歌詞。歌:水木一郎
動画:鋼鉄ジーグ (1975) OP - Steel Jeeg OP - YouTube

ルギア爆誕
ポケモンの映画。正式名「劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕

パチンコタマデール
??。大阪市にあるスーパー玉出のことかも。詳細不明。

墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)
743年(天平15)に発布された、墾田(自分で新しく開墾した耕地)の永年私財化を認める法令。
墾田永年私財法 - Wikipedia

班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)
日本の律令制において施行された国家の農地(班田)の耕作権の支給・収容に関する法体系である。ーー中略ーー班田を耕作する者は、収穫物から一定の割合(田租は面積を基準としその公定収穫量の3%)を国へ収納し(輸租[注釈 1])、残りは自らの食料とすることができた。班田収授法 - Wikipedia

喜連瓜破(きれうりわり)
大阪メトロ谷町線の駅。

その幻想をぶち〇す
アニメ『とある魔術の禁書目録』のセリフから。
その幻想をぶち壊す (そのげんそうをぶちこわす)とは【ピクシブ百科事典】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ござさんの遅い夏 9/3の生配信

 

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夏休みの日記

9/3(日)のこと。前の配信はいつだっけ8/20?それから、スタクラ配信ライブを挟んで、ほぼ二週間ぶりのござさんのYoutubeライブだった。

夏大好き、暑いほどテンション上がるらしいござさんはこの夏の思い出を名残惜しそうに語ってくれた。

 

菊池さんと回ったいろんな土地での様々な舞台。

フジロックのプログラムにルパン三世のテーマがあったらしいので、この動画はストピの連弾だけど原案は同じと思うので貼っておく。ただ2台ピアノになって演奏もさらに磨きをかけられ、フジロックでは一層迫力のあるものになっていたのは間違いない。

2人が久々の都庁で久々のルパンをぶっつけ本番で連弾した結果・・・!?with 菊池亮太 - YouTube

 

ストピイベント出演とホールのコンサート、セッション形態での演奏会、ロックフェス、ネピサマ配信フェス、そしてスタクラ(リアルで開催されていれば大規模イベント)。

場所も、勝浦の海を臨むホールから、北アルプス?を超えて湯沢のスキー場、都心のクラシックホールから横浜の倉庫街(の予定だった)まで。

公演のラインナップを見てるだけでも、胸が躍るような、宝箱の中をのぞくようなわくわくするプログラムの数々だった。

ござさんの目には、それらの景色は眩しく輝いて目の奥に焼き付けられたのだろう。

訪れる土地の風土も思い出にいっそう彩りを添えたに違いない。

 

秀でた山の峰々に、せせらぎの音が涼感を醸し出す……(実際の現地は酷暑だったようですけど)

 

勝浦では広大な太平洋の水平線と白砂のビーチも見てこられたはずで、あっ大好きなラーメンのレポも美味しそうですね!

 

二年前の景色ですがPIANICのときも富士山を眺めるすばらしいロケーションで楽しまれたようです。ござさんのつぶやきには季節感とか風景とかがさりげなく添えられてて、言外に詩的な雰囲気を醸し出してるところが好き。

 

素晴らしいロケーションといえば?

来月にはこちらのイベントの開催も迫ってきております。まだチケット販売中、ご都合つく方はご検討されてはいかがでしょうか?(こっそり拡散してみる……)

 

 

イベントが目白押しだったござさんの夏だが、プライベートでも夏を満喫されたようでした。なんか楽しみ方が中高生の学生ぽくて、そんな時代は遠くに過ぎた年代には懐かしく聞こえた(* ̄▽ ̄)ノシwwwwwwwww

映画

夏休みと言えば映画。さわやかな気分になれる映画。ジブリ好きなござさんはきっと気になってるんだろうなーと思っていたらやっぱりな。

(ただこの映画は謎が多いし、自分の中ではジブリの新作映画はポニョか千と千尋、それから(間は抜かして)風立ちぬで終わってるからウチは見てないのでスルー。)

 

プール

海といっても勝浦のコンサートの頃は弾丸行程だっただろうし詰め込みスケジュールの連続だっだでしょうから、ここでひとつプールへ泳ぎに行かれたようです。

このプールというのがラグジュアリーホテルのプールなのか(そんなわけないだろ)、またはテーマパークに併設してるスライダーとかがあるプールにピアニストさん達でワイワイ出かけられたのか?でも筋肉痛ってねえ?と思っていたところ。

配信で解説されたところでは普通に公共のプール(年中やってる25mの温水プールみたいなとこ?)だったみたいです。そりゃそうですよね。このためにプール用品を揃え、ちゃんと準備運動をし……学生のプールの授業みたいになってきたな。夏休みの課外的な?ウォーキング用のレーンで歩いてみたり、また泳いでみたり、確かに全身運動としてスイミングは根強い人気がある。

え?ラグジュアリーホテルのプールサイドでロッキングチェアに陣取ってカクテル飲んでたのかと一瞬思ったんですけど?それじゃあ筋肉痛にはならないなwwwダイエットになってないwww夏休みの課外授業にもならないしwwww

 

自由研究

まあ上記の通り、ござさんはこの夏のスケジュールが、体がというかスタミナがもつかどうかという限界チャレンジの様相を呈していたので、今からがござさんにとっての夏季休暇・SummerVacationだったというわけですね(だからプールはラグジュアリーホテルのプールでカクテル飲んで寛いでおられればよろしかったのに)!

夏と言えば自由研究。

なんかVacationというより夏季課外の授業みたいになってきたけど、ござさんは何やってたんでしょう。アレか、水泳もダイエットしなきゃってことだったのなら、研究といえばリングフィットやって、摂取カロリーと運動量に比した体重の変化とか調べたのだろうか。またはラーメン店のメニューと立地の関係とか調べたんかしら(ダイエットから遠ざかってるな)?

と余計なことを考えるまでもなく、研究はピアノのことだった(そりゃそうやろ)。

 

表現者は見える範囲の表現の裏に膨大な量のインプットがあるはずだ。この夏の過密スケジュールはそうやって調べたり、色んな音楽やエンタテイメントを鑑賞したりする猶予が無いという点では、ござさんの内なる引き出しの中身は消費されるばっかりなんだよなあ、と心のどこかでは危惧していた(でも活躍されてることは一番嬉しかったのだが)。

でもござさんはやっぱこうやって時間見つけてはテーマを設定して、ござさんならではの研究に勤しまれていたのだった。学生みたいだなとか揶揄してすいませんでした。

あれ?

でもこれはコード弾きというかJAZZアレンジとかやってる分野の奏者だと一般的に幅広く求められる技能というか、アイデアなのかもしれない。

 

そしてコード弾きのアレンジをするにあたってコード弾きじゃない文化圏からアイデアを拝借するという、知的財産を旺盛に貪欲に捕食していく、なんかこれぞ研究者とも言うべき内容であった。

いわゆる楽曲分析っていうんですか。

芸術作品はその存在がすでに芸術、それをどう捉えるかは鑑賞する側にかかっている。

見る人によっていかようにも変わる表現、それが芸術……

楽曲全体そのままではなく、音楽の組成からアイデアを盗み出す。

それを自分の血肉として手足のように使いこなせるように、配信や即興の場で瞬時に繰り出せる武器として、引き出しに格納しておきたい。

そういう思いを訥々と語るござさん。

 

芸術を自分の手中に納め習得する第一歩は、模倣からである。

画家の鍛錬はまず模倣からというのは定石であって海外の美術館行くと学生がデッサンしてる。

音楽の世界でも表現においては理想と目する演奏家の音を聴き、それを基にしたイメージを自分の中で生成しておくのが肝要だ。

 

ござさんは音楽を自分なりに表現する手段として、演奏というより音楽を構成する要素をプロ(作曲家)から学ぼうとしているのだろう。その手法が、草の根を分けて模索してるというか地に足がつきすぎててすごいというか……人海戦術を一人でやってるようなもんでしょこれ。

原典を渉猟して、味付けのためのスパイスをひそかに蒐集していく……

 ↓↓ちょい分野が音楽から離れるので別に書く。

中国の古代史研究でいうと(マニアックすぎ案件)。中国って文字の文化っていうか、紀元前の遥か昔から、何千年も前から現代まで一貫して自前の文字を持ってたし(細分化もしてるが)、その文字の記録がずっと残ってる。近世(=清の時代)に大規模な古典の編纂事業もあってまとめられてはいるけど、しかし時代を経るなかで散佚した古典も多い。その断片を網羅したものがある。それが太平御覧。

歴史学では史料に沿って自説を展開するのだが、手持ちに自由に扱える史料がどれだけあるかが、論説の根拠づけ、また論考の幅広さを左右する。

太平御覧を片っ端から訳していってキーポイントとなるような史料片をピックアップし、整理して使えるようにしておく……(自分がこれやってたとは言ってません( ̄▽ ̄;)

ござさんは果てしなく広い世界を音楽で表現しうる引き出しを持っている。

引き出しは、常に原典に還ることで補われ、気の遠くなるような作業によって細かくメンテナンスされているのだろう。

まさに一人で人海戦術

 

ござさんならではの学び方、それによって、よりござさんらしい音楽になっていく…

ござさんの音楽の探求には終わりがない。

大部分、未知数にして未完成の音楽、それをリアルタイムで追ってると実感できるのが、ファンとして何よりも幸せな瞬間。

 

 

 

さてこの記事は9/3の生配信についてなので、冒頭にも貼ったがもう一回配信リンクを貼っておく。

 

夏の思い出ーー9月3日のYoutube配信

夏の曲メドレー

忘れ得ない憧憬の念。

もう二度と会えない夏に惜別の情が湧く。

 

減量のためとかいってお茶を濁すござさん。そうやってごまかすのは通常運転の仕様だ。そうじゃなくてござさんはきっと、夏の名残を噛み締めていたかったんだろう。

夏の木陰を吹き抜ける風のように………

むせかえる熱気を孕む。

それでいてさわやかに吹き抜ける疾走感。

 

しかしござさんにはまだまだ夏の燃料が温存されていた。

太陽の表面で燃え上がるフレアのような圧倒的な熱量をもてあましているかの如く。

去っていく夏の後ろ姿を直視したくない、

まだあの熱気にあふれた季節を忘れたくない。

輝かしく眩しかった夏をすぐそばに留めておきたい……

 

「夏は終わらないよ……」

とさりげなくつぶやいて、おさらいと称しつつ夏メドレーを弾き始めるござさん。このメドレーの編成にはっきりとござさんならではの世界が描出されている。

ござさんにとって音楽は言語だから夏への思いも全部メドレーに込められているからだ。原曲は夏らしく情熱的なものが多いが、そんな曲調をときにはスローテンポで情緒豊かに表現している。山でとんぼを追った夏、海に向かって精一杯駆け抜け叫んだ夏……まるでモノクロ映画のような郷愁を誘う雰囲気に酔いしれる。

この曲調と、原曲そのままの勢いを持ったビートがメドレーの中で自在に織り交ぜられ、このメドレーだけでまるで一編の往年の名作映画でも鑑賞したかのような馥郁たる余韻をもたらす。

 

夏に格別の思い入れがある自分は、夏メドレーにこめられているであろう気持ちそのままに、名残惜しさをもって静かにメドレーを聴いた。

 

夏にもいつかは別れる時がくる、その時までの一瞬の短い時間でも大切に過ごしたい。

夕暮れがすっかり早くなり涼しくなった夕暮れの時間、薄暮の空をあてどもなく眺めるのだった。

 

 

月の夜

ござさんは季節の何気ない変化をとらえてピアノに映してくれる。

現実の世界では庭先で朝夕に鈴虫が鳴き、ちょっとしたひんやりした風が秋めいた空気を連れてくる。夜空には月が皓々とかがやく。稲の穂はこうべを重そうに垂れ、半ば色づいて刈り取りを待つ……

世の中はすっかり秋なのだ。自分はまだ全く夏から抜け切れてないけど。

少しづつ遷り変っていく季節をピアノに描き出して印象を留めてくれるござさん。

余韻嫋々としてかすかに消えていく響きに耳を傾ける…

重々しく鳴らされる低音の持続音、そこに旋律で青く光る月の光が幻想的に表現される。

今から秋の間、月をテーマにまた配信で弾いてくださることも多いだろうけど、そのたびにハッとするような心に響く音で月を表現されるのだろう……

 

こういうイメージはクラシック曲に拠っている。

 

しかしござさんはアニソンから童謡からクラシックに洋楽まで自由な編成にしつつ、独自の語り口で起承転結をつけてくる。

それぞれの曲、それぞれの標題がつけられたメドレーに、周到に用意された場面設定と、綿密に練られた脚本があるかのように。

深く心を打つ展開、そして目を奪われずにはいられない劇的な瞬間がある。

 

ファストファッションみたいに使い捨てのデザイン、消費される物として聞かれるのではなく、ただそういう楽しみ方もあるだろうが自分はござさんのピアノには足を止めずにはいられないのだ。

ござさんがメドレーの手を止めるまで息を詰めて、まるで魅入られたように一編の音絵巻を眺めている。

 

その一連のフレーズは、単一で弾かれる曲でも展開は同様だ。それぞれに短編映画のような重厚な世界観と、美しく且つ圧巻の迫力で語られる物語を秘めている。

 

 

休憩時間:一時間では弾き足りない人たち

フジロックフェスでは2台ピアノで菊池さんと出演されたござさん。持ち時間は決まっており、プログラムもあらかじめ決められた曲で、他の出演者の人々に連なって演奏を披露されたわけだが、それは8/26ー27に行われた配信フェス、スタクラでも同様であった。

分刻みのプログラムに合わせて機材や楽器の配置、演奏のリハなども分刻みで進行していかなければならない。

スタクラフェスでは各出演者の持ち時間は1時間であったがそれらの配信機材の設定などの時間が必要だったためか?実際の演奏時間は、それぞれ40分くらいであった。

その話題を持ち出して、

『菊池さんと共にまだまだ弾き足りないよねとお互い言っていた』

と回顧されるござさん。

『もし仮に、その後行われたスタクラの打ち上げ会場にピアノが設置されていたなら、菊池さんと一緒に延々と弾いていたに違いない』

とも。どんだけですか。そもそもスタクラのリハでも、プログラムに無い曲ばかり演奏されていたそうですし。それは果たしてリハとしての意味があるんだろうか。

 

1時間では弾き足りない。

ということでござさんのYoutube生配信はいつも2時間にわたって演奏される。

少なくとも最後の、テーマを決めずにござさんが自由にリクエストを拾うメドレーは要するにござさんの休憩時間だ。それから音ゲーメドレーもついでに休憩時間みたいなものだろう。ニコニコ生放送時代というかそれ以前から演奏されてた分野、ほかにもボカロとかアニソンとかも決まって生き生きとピアノ弾かれてますので。

 

音ゲーやったことがなく、ゲーセンにはクレーンゲームやりに行ってた自分が、なにげなくござさんのピアノから原曲に飛んでびっくりした曲を並べておきましょうか。

[AC] Beatmania IIDX 22 PENDUAL - SP 突撃!ガラスのニーソ姫! Another [EX HARD] - YouTube

DRAGONLADY (Original) - YouTube

どっちもすごい。あのいかにも機械ぽい打ち込み音をピアノで弾けるのが現実とは思えない。恐るべしござさん。そしてこういうのほど生き生きして弾いてる。

 

これだけ即興演奏で次々と演奏できるということは、つまり即興で色々弾いていないとすぐにアイデアが停滞してきて、それらをストックできないし演奏せざるを得なくなるからだろうか?

ござさんの尽きない独創性と、底抜けのエンターテイナー性を浴びるように堪能しながらメドレーを楽しむ。

個人的に推し曲をリピする楽しみ方もあると思うが、でもこの最後のメドレーは絶対メドレーとして聴いた方が楽しい。その時のござさんのアレンジの設計と、曲順の展開はアーカイブで何回繰り返しても楽しいのだ。

 

いつもの10-4。命中率(?)も素晴らしく間髪入れずに次のリクエストを探すござさん。

そこでふとチャット欄を眺めると、「コメント読みながら弾く曲ではないと思う」というコメが流れて来る。そっか、メドレーのリクエスト拾いつついつもの10-4を弾いてくれるのは普通の風景じゃなかったんかという気づきを得た。

 

クラシックの難曲を次々と投入しつつ意外な曲がJAZZアレンジになったりする中、突如ノーマル版の千本桜が始まった。わー懐かしい。一周回って通常版の千本桜が新鮮だなあーと懐古調な気分になっていたが勿論そんな単純に終わるわけもなく。

千本桜の(ござさんの中での)古典的アレンジの見本はこういうのがあったと思う。

そんな教科書的手法からは今回大きく逸脱し、もれなくWaltz for DebbyとSummer Timeが混ざってきて千本桜はJAZZ風に改造されたのであった。

 

しかし月の曲メドレーで月光ソナタをいろんな曲と一緒にアレンジしつつ、こういうやりかたもあるなーと一人で悦に入りながら、でもすぐ忘れてしまうんでしょうねえと寂しそうにつぶやいていたござさん。

そういう絶え間なく出てくるアレンジが一過性のもので姿を留めておくことができないのは残念ですけど、消えていくぶんだけ、新しくつくられるイメージもあるだろう。

ファンとしてはそんなふうにどんどん新陳代謝して生まれていく次のアレンジを楽しみにしていたいと思う。

メンバーシップにさえ入っていれば、過ぎ去った一過性のアレンジも全部配信を聴いて楽しめますし。

 

 

記事の途中でファストファッションとは違うと述べた。

 

しかしある意味でどんどん変貌を遂げていくござさんのアレンジは、一点に留まらないという意味では消費、消耗されるアイデアなのかもしれない。

 

ただ。消耗するだけではなくその記憶を蓄積して新たなアレンジを生むところが、一過性の文化とは袂を分かつ決定的な差だと思う。