ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

観月の宴に寄せて

 

今月末、京都は東山の麓、平安神宮でコンサートが開かれる。

 

 

中秋の名月を愛でながら、様々なアーティストの奏でる音楽に耳を傾ける優雅な催し。

 

お月見といえばすすきの穂と月見団子を飾って月を眺める行事だ。しかしそれは江戸時代以降に庶民に風習が広まってからのこと。

中国では中秋節として親しまれているこの季節。

平安時代には貴族の邸宅で華やかな管弦の宴が催され、庭園の池に船を浮かべて水面に浮かぶ月を愛で、また酒の盃に月を映して楽しむという風に、趣向を凝らしていたようだ。

(管弦の宴ではいわゆる雅楽で使われる笙(しょう)や篳篥(ひちりき)、四弦琵琶、筝の琴などで構成される合奏や、それに合わせて舞が披露されることもあった。)

 

水面にゆらめき移ろう月の姿に……

また澄んだ空気の秋の夜に華やかに響く管弦の調べに……

貴族はそれらの情緒をこまやかに和歌にうたう。

そのように楽しまれてきた平安時代の上流階級の風習、観月の宴。

 

平安神宮で催される月音夜は、この観月の宴を再現しようという試みということで、場所も当時の大極殿を模した拝殿を借景に、様々な演奏家が集い音楽が奏でられるという。

 

 

 

ーー貴族の文化に見える月と管弦合わせーー

このシーンでは宴というより姉妹のプライベートな場面を描いているが、管弦の楽器を奏でながら月を愛でるという趣旨は、観月の宴に重なるといえなくもない。(ほかにも観月の様子を扱っている作品は枕草子とか数えきれないほどあるけど引用する史料が足りないため取り急ぎ源氏物語絵巻から。)

源氏物語絵巻より橋姫

《八の宮の宇治の山荘。晩秋の一夜、薫は八の宮の姫君である大君、中の君の姉妹を垣間見る。邸内には筝の琴と琵琶を合奏する姉妹。》

(画像引用:源氏物語絵巻 - Wikipedia )

通説では、琵琶を前にして、撥で雲の陰りからでてきた月を招くようにするしぐさをしているのが妹の中の君。

左側で筝を前にし、夕日を撥で招き返すことはきいたことがあるけれど、と返答しているのが大君。

(右側は垣間見している薫の君)

参考リンク:第33回 『源氏物語』「橋姫」段の「大君・中君姉妹をのぞき見る薫」を読み解く | 絵巻で見る 平安時代の暮らし(倉田 実) | 三省堂 ことばのコラム

 

 

自分は平安神宮 月音夜のコンサートに10/1に出演されるござさんのファンなので、京都新聞のござさんへのインタビューから引用したい。

ござさんはロケーション、つまり立地や背景、季節や時間帯など演奏にあたってのシチュエーションを踏まえていつも演奏してくれる。

聴衆にはどのような人々がいるのかをも考慮されたり、その時によって聴衆に最も合った音楽を届けてくれる、といったほうが正しいかもしれない。

 

場所は京都の平安神宮、設定は中秋の名月を愛でる演奏会。

今回は、このうえなく雅な雰囲気漂う会場に合った演奏を披露してくれることだろう。

 

定期的なYoutube生配信の演奏でも、決まってこの季節には月にちなんだ曲を演奏されている。今月は9/3(日)のYoutube配信で、月の曲を沢山弾いてくれているので参考までにリンクを貼る(頭出し済み)。

スタクラありがとうございましたリクエスト募集中! 2023/09/03 - YouTube

 

2020年には、Youtube動画で月の曲を色々演奏されている。


ピアノ曲を単体でというのではなく、クラシックの曲をいろいろ織り交ぜていたり、またシンセの伴奏機能を使っていろんな形態の一人セッションになっていたり、この動画ひとつとっても、ござさんの眼下に広がる音楽の世界は多彩な万華鏡のように次々と変わっていって一つに留まらない。

 

クラシックやポップス、JAZZなどとインタビューではレパートリーの範囲を説明されているがそれ以外にも民族音楽とか童謡なども得意とされているから際限なく幅広い表現をされるピアニストだ。

ある音楽をどのように変化させたらイメージにもっとも最適な表現に近づくことが出来るのか、そういう方法論を追求されているから、月にまつわる曲という標題音楽に基づいてござさんがどのような表現で月のイメージを作り上げるのか、観月の宴に相応しい音楽としてどのような演奏に仕上げてこられるのか、そこがみどころだろう。

 

 

この平安神宮では春にも「紅しだれコンサート2023 桜音夜」として演奏会を開催されている。ただし春は大極殿前ステージではなく、神苑の殿舎と庭園の池、桜のライトアップを背景にした幻想的な舞台だった。

(参考資料:その時の感想記事)

 

秋の月夜と共に、桜は平安時代の当時から和歌に詠みこまれ愛されてきた。

桜の、華やかな姿を留めることなく刻々と遷り変るさま。

月夜の、秋の虫の音を背景に美しく輝くさま。

そういった姿が人々に長く愛されてきたのだろう。

 

月に桜、そして下記に掲げる曲水の宴にと、刻一刻として移り変わる様を愛でるという貴族の美意識は共通して顕れている。

 

 

【資料コーナー】

春には桜のほかにも貴族の楽しみがあった。

邸宅の庭につくられた遣水(やりみず=小川)のほとりに歌人がならび、遣水に酒の盃を浮かべてそれが流れて来る間に、決められた歌題で歌を詠む。

いわゆる曲水の宴である。このように和歌を詠むことは貴族の嗜みであり教養の一つであった。

 

曲水の宴は王羲之(東晋:303-361)の蘭亭序からきている(もっと古くに起源を求める説もあるが)。

353年に会稽山の麓の名勝・蘭亭(現在は浙江省紹興市)に一族や名士総勢42名を招き、曲水の宴を開いた。その時に作られた詩37編(蘭亭集)の序文として王が書いたもの(草稿)が「蘭亭序」である。

書跡の名品として伝えられるが、曲水の宴の文化はここから日本へ伝わり、奈良時代には宮廷行事として定着したようだ。

 

 

王羲之*1「蘭亭序」*2白文・書き下し・現代語訳

 

※凡例:白文、書き下し文、現代語訳 です。

永和九年,歳在癸丑きちゅう,暮春之初,會于會稽山陰之蘭亭,脩禊事也。群賢畢至,少長咸集。
永和九年、歳は癸丑きちゅう*3に在り。暮春*4の初め、會稽山かいけいさん*5の蘭亭に会するは、禊事けいじおさむるなり。群賢ぐんけんことごとく至り、少長しょうちょうな集まる。
永和九年(353年)3月3日、癸丑の年。会稽山の麓の別荘、蘭亭に一族や名士などを招き、心身を清めみそぎを行った。知識人がことごとく至り、老いたものから年少者までこぞって集まってきた。

 

此地有崇山峻領,茂林脩竹,又有清流激湍,暎帶左右。引以爲流觴曲水,列坐其次。雖無絲竹管弦之盛,一觴一詠、亦足以暢叙幽情。
此の地 崇山峻嶺すうざんしゅんれい茂林脩竹*6有り、又た清流激湍げきたん有りて、左右に映帯えいたいす。引いてもっ流觴りゅうしょう曲水を為し、其の次に列坐す。絲竹管弦しちくかんげんせい無しといえども、一觴一詠いっしょういちえいた以て幽情ゆうじょう暢叙ちょうじょするに足る。
この地には高い山に囲まれ嶮しい嶺が連なり、また青々と生い茂った竹林が広がっている。清らかな渓流や激しい流れの早瀬があり、瑞々しくも美しい景観が見渡す限り続いている。清流を導いてきて蘭亭の庭園にさかずきを流すための曲水の流れとなし、集った人々はそのほとりに整然と並んで座す。笛や琵琶に琴など雅やかな音楽はないが、一杯の酒を飲み一つの詩を詠む、それは静かな奥深い心情へと思いを巡らすのに十分である。

 

是日也,天朗氣淸,惠風和暢,仰觀宇宙之大,俯察品類之盛,所以遊目騁懷,足以極視聽之娯,信可樂也。
是の日や、天朗らかに気清み、恵風和暢けいふうわちょうす。仰いで宇宙の大を、俯して品類の盛んなるを察す。目を遊ばしめおもいをする所以ゆえんにして、以て視聴の娯しみを極むるに足れり。まことに楽しむきなり。
この日、空は高く晴れ渡り空気は清らかに澄みきって、肌に心地よい春風がのびやかに吹いていく。仰ぎ見れば宇宙が果てしなく広がり、また地上にはあまねく生物がさかえている様が感じられる。目にも美しく素晴らしい季節を堪能しながら、存分に思いをめぐらせて、目で、また耳で喜びを感じることができ、ほんとうに楽しい事であった。

 

夫人之相與,俯仰一世,或取諸懷抱,悟言一室之内,或因寄所託,放浪形骸之外。
れ人のあいとも一世いっせい俯仰ふぎょうするや、或いはれを懐抱かいほうに取って一室の内に悟言ごげんし、或いは託する所に因寄いんきして、形骸のほかに放浪す。
さて、さまざまな人間が同じ時代を生きていくにあたって、心中の見識を大切にし、室内で述懐しあって理解しあう人もいる。また、自分の志のみを拠り所として何かの型を気にすることなく自由奔放に生きている人もある。

 

雖趣舎萬殊,靜躁不同,當其欣於所遇,蹔得於己,怏然自足,不知老之將至。
趣舎万殊しゅしゃばんしゅにして、静躁せいそう同じからずといえども、其のう所によろこび、しばらく己れに得るに当たっては、怏然かいぜんとして自ら足り、老のまさに至らんとするを知らず。
人生の進む道は人それぞれであり静、動のようすは一通りではないが、しかし選んだ道程において悦びを得たり、しばらく思うままにうまくいっているときには心地よく満たされた気持ちになって、老いの足音がすぐそこまで近づいていることにも全く気付かないものだ。

 

及其所之既惓,情隨事遷,感慨係之矣。向之所欣,俛仰之閒,以爲陳迹,猶不能不以之興懷。況脩短隨化,終期於盡。古人云、死生亦大矣。豈不痛哉。毎攬昔人興感之由,若合一契,未甞不臨文嗟悼,不能喩之於懷。
其のく所既にみ、情は事に随いてうつるに及んで感慨之に係れり。さきの欣ぶ所は、俛仰ふぎょうかんすで陳迹ちんせきと為るも、お之を以ておもいをおこさざるあたわず。いわんや脩短しゅうたんは化するに随い、ついに尽くるに期するをや。古人*7云う、死生もた大なりと。に痛ましからずや。つね昔人せきじん感をおこすすのよしるに、一契いっけいを合せたるがごとし。未だかつて文に臨んで嗟悼さとうせずんばあらざるも、之をむねさとすことあたわず。
しかしやがて悦びも心地よい気持ちも倦怠に変わり、心情も現実にしたがって遷移すると嘆息せずにはいられまい。ほんの昨日までの喜びはたちまちの間に見る影もなく過去の遺物となり果てる、これだけでも感慨を興さざるを得ない。老いて永く生きながらえている者も若く短命だった者も、年を経て変化するにまかせて皆やがて命が尽きる事は自明の理だからだ。いにしえの人のことばに「死生はまことに人生の一大事である」とあるが、なんと痛ましいことであろうか。いにしえの人が心を動かされた理由を観ると、まるで割符をぴったり合わせたように、いつも私の思いと一致する。その文章を読んで今まで嘆き悼まないことは嘗てなかったが、それを、死を悼んで嘆く自分の心に諭させ納得させることはできなかった。

 

固知一死生爲虚誕,齊彭殤爲妄作。後之視今,亦猶今之視昔、悲夫。故列叙時人、録其所述。雖世殊事異,所以興懷,其致一也。後之攬者,亦將有感於斯文。
もとより知る、死生を一にするは虚誕きょたんたり、彭殤ほうしょうひとしくするは妄作たりと。後の今を視るも、お今の昔を視るがごとし、悲しいかな。故に時人を列叙し、其の述ぶる所を録す。世ことなり事異なると雖も、おもいをおこす所以は、其のむねは一なり。後のる者、まさの文に感ずる有らんとす。
しかし私はもちろん知っている、古人が生死を同一に語っていたのは誤りであり、長寿と短命を同じに扱うのは無知蒙昧の所業であることを。後世の人が現在の私を見るのは、今の私が昔の時代の人々を見るのと同じだ。なんと悲しい事だろう。

それ故に、今ここに集った人々の姓名を書き連ね、彼らの綴った詩を書きとどめておくことにした。時代は遷り世の中の事情は変わっても、人々が感慨を覚えるところの真髄は変わらないだろう。よって、後世にこれを手に取って閲覧する人は、きっとこの文章に感じ入るところがあるに違いない。

 

 

 

*1:王義之:303生まれー361年没。中国東晋の政治家・書家。漢時代からの隷書から、行書や楷書を確立したとして後世の書人に多大な影響を及ぼし、梁の王志と並んで書聖と称される。代表作として蘭亭序のほか十七帖、楽毅論[光明皇后が臨書したものが正倉院宝物として伝わる]

*2:蘭亭序:王義之の書の中でも最も名高い。唐の太宗が王義之の真跡を蒐集し、蘭亭序もついに手に入れ、太宗の死後陵墓に副葬されたとされている。つまり蘭亭序の真跡は現存せず、現在伝わるのは後世の墨跡や模刻、写本のみ。こうした書は代々、中華帝国の正統な王朝へ継承されていった。
中華帝国は古代より、徳をもった皇帝が天命を受けて天下を統治するという思想があり、天子という言葉の語源にもなっている。天子が徳を失ったとき、天命は別の徳ある者を探す。つまり命が革まるということから革命と言われるようになった。実際に中国では古代から王朝が入れ替わるときは人口の大部分を占める農民による反乱がおこっている。
皇帝は、天命を受けた徳のある統治者である。彼らはこうした古代から伝わる書画や文物を所有することで、正当な王朝の後継者であることを証明しようとした。蘭亭序の写本にはその証の歴代王朝のおびただしい印璽が残る。

画像引用:蘭亭序 - Wikipedia

*3:癸丑:みずのとうしの年。陰陽五行による呼称。

*4:暮春:陰暦3月。今の4月~5月中旬。

*5:会稽山:浙江省紹興にある山。春秋時代の越王句践と呉王夫差による古戦場跡。越王句践は隣国呉との戦いに敗れ、生きて捕虜となる辱めを受けた。その二十年後、越は呉をうちやぶり滅ぼした。lこの”会稽の恥を雪ぐ”の故事から、ひどい屈辱をさっぱり晴らすことという語句が生まれた。また臥薪嘗胆の故事もこの事に拠る。

*6:修竹:長い竹。

*7:古人:荘子