ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

音楽との向き合い方 

クラシック音楽とは?

しばしば芸術と称される。

それはアコースティックな楽器つまり物理的な手段で演奏されるもの。声楽も体そのものが楽器だ。

そこでは特にピアニッシモの表現に良さがあらわれる。

最も美しくかつ最も難しいテクニックが要求されるから。その表現に精神性さえ要求される。

 

 

しかしクラシックとは。

音楽という果てしない世界において、ほんのわずかな一面を占めているに過ぎない。

 

ただ。クラシック音楽そのものを否定しているのではない。

ピアニッシモの表現が音楽家としての技量をあらわすのであれば、それを含めて端正、華麗、華奢、幽玄、深淵、豪胆、土俗的、等々。クラシック音楽を表現できる言葉は無数に存在するしそれだけでひとつの宇宙を成している。

いかにして表現するか、音楽家が人生を賭けて追求するにふさわしい命題だ。

 

 

しかし。

音楽は、そういったひとつの物差しでは測れないのだ。

現代、クラシック音楽と呼ばれているものは、あらゆる音楽ジャンルの中のひとつの分類として認識されているに過ぎない。

少なくともクラシック音楽ファン以外の世界においては。

 

現代に存在するあらゆる音楽ジャンル、それぞれが固有の特色をもち、それぞれを愛するファンが存在する。

それぞれに良さがあるのであって、序列をつけることも比べることもできない。

そしてどの分野からも別の分野への入り口はボーダーレスに開かれている、はずだし、そうあるべきだ。

 

人間は常に新しいものへの興味を持っているから。

新しいもの、新しい世界を知るのはこの上ない喜びだから。

 

そうすると、自分が好んでいる分野の音楽に、まだ見ぬ新しいファンが興味を持ってくれるのは喜ばしいことなのだ。

共に喜びを分かち合える仲間が増えるのだから。

彼らはまた新しい世界を見つけて遷移していくかもしれない。それはそれで自然現象であるから見送ってあげればいいのではないか。

 

繰り返すけど。

敷居が低くなることで気軽に興味を持ってくれるファンが増えることは、ものすごく喜ばしくありがたいことと認識すべき。

 

 

最近、地元でピアノのコンクールがあった。クラシック音楽の。

 

でも一次審査の時点で何十人といた参加者が、何回もの予選を経て決勝ではたったの5人に減っている。

どの人の演奏も素晴らしいのに、最初の段階からどんどん順序がつけられる。

まずピアノの演奏のくわしいことがわからない素人の自分には、演奏に順番がつけられるという事実がある時点で、現地で聞くという選択肢はなくなった。そんなのひどすぎません?

何十人も参加者があるなら、そういうピアノ演奏のフェスみたいにして、聴衆がいいと思った人に投票でもして、お祭りみたいにしてしまえばいいのにって思った。

なんで順番つけるんですか?

このレベルの素晴らしい演奏に優劣つけてなんか意味あるんですか?

って疑問に思ってしまって、現地には行かなかった。Youtubeで聞いてみて、やっぱどの人もすごいじゃん、順番なんかどうでもいいじゃんって思ってしまった。

そこに違いを感じられなければクラシックは楽しめないって言われたようで、自分の中でのピアノの敷居はますます高くなった。

 

現地で聞いてないのにわかんないだろ好きなこと言うなって思われるかもしれませんけど。

 

でもネット環境が今みたいに整うまでは、クラシックの視聴といえばCDでしたので。名盤、名演奏は昔から知られていて、ネットがあれば隠れた名盤を検索するくらい。

CDで聴くような巨匠の演奏会などは一生に一度聞ければいいようなもので。個人的事情を言えば自分は地方住みなのでリアルコンサートに行く選択肢はなかったし。

 

現代においても、クラシック音楽を普及させるには、現地でコンサートを楽しむ以外のコンテンツをメインとして確立しなければ業界としての未来は先細りするだけという気がするが。

ネットは何のためにあるんだ?

クラシック以外では、とっくにネットを武器にして新たな世界を開拓してるじゃないか。

 

とにかく、クラシック音楽はそれだけで独立し、かつ完成された伝統文化ともいうべき守るべき遺産。それは言うまでもない事実。

しかし。現代の文化はそこに留まらず常に流動的に変化している。

クラシック音楽の文化も素晴らしいが、そこから発展し、または全く別の発想から生まれてくる音楽を楽しむのもまた一興。

 

クラシック音楽だけの価値観にとどまっているのは非常に人生の楽しみ方を損している気がして、自分は常に新しい方向に差してくる光を求めて歩いている。

 

吹奏楽が好きなのは単に部活でやっていたからであり、クラシックとしての管弦楽、またjazzとしてのビッグバンドとしての境界線は曖昧だ。しかしレパートリーは一般に知られてないものも多く、まだまだマイナー分野、アピール不足だなあと思う。

 

クラシック音楽もアピール不足なのだ。いや、アピール不足かどうかは聴衆が感じることだから一概には言えないが。

少なくとも業界の発展を願うならファン界隈以外の人たちへのアピールを怠っていては未来はないと思うのだ。

 

どんなに素晴らしい芸術であっても知ってもらえないことには意味がない。座して待っているだけではいまの世の中待ちぼうけである。知ってもらえないなら、知らない人のとこまで出かけて行って彼らに話しかければいいのではないか。

そういう地道な努力なしには発展はないし、現に独自のルートで自らを発信している人には見事に結果がついてきている。固まった概念を捨てれば、すぐそばにいくらでも、魅力に気づいてくれるようなファンは無数に存在するのだ。

より多くの人に聞いてもらえればそれが音楽の本懐というものでは?表現方法に拘り続けるのは本末転倒なのでは?

 

まあ芸術への知識がないままこんな不満を述べていても不毛なだけなので、先のコンクール動画でもYoutubeで見てみて知ってる曲を増やす努力しようと思う今日この頃………

知ろうという興味が全てを左右する。

 

彼らすべての若い芸術家へ敬意を表して。