ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

雑感ーござさんのピアノを聴いて

 

気がつけば、季節はすっかり春の盛りになっていた。

夕暮れに咲く満開の桜。ソメイヨシノじゃないらしいので、珍しいので撮ってみた。

 

 

古くから三寒四温という言葉があるように。

時に雪が降り、また冷たい雨に当たりながらも世の中は、つくしが顔を出し野の花も一斉に芽吹き、一日ずつ前へ動いていることを感じさせる。

 

世は桜の真っ盛り。

しかし自分は個人的には桜は散ってしまう儚さの中に美があるから、ござさんには例えたくない。

ござさんはもっと普遍的な美を求めていると思う。

いや、美という一方的な価値観じゃなくて、森羅万象すべてのものごとをあまねく捉えて表現する、その方法がござさんにとっては音楽だったのだろう。

 

ときはなる松のみどりも春くれば今ひとしほの色まさりけり

古今和歌集 第一巻 春歌上 源宗干)

常に変わらないはずの松の緑色も、春が来ると、一段と色が鮮やかになる。

春の到来は松の色さえもあざやかに見えると詠んだ歌。

 

ござさんの活動スタイルは演奏家というより研究者といったほうが、自分の中では腑に落ちる。

研究者を続ける方法として演奏家をやっているという方がイメージとしてしっくりくる。

でも自分は、ござさんのピアノが大好きなのでなんとしても多くの人に聞いてもらいたいと思っている。

この部屋を続けようかどうしようか冬の間悩んでたけど再開させたのはこのためだ。

 

ござさんのつくる音楽の世界は通りすがりには取っ掛かりがなさすぎて、世間に広く訴えるキャッチーさはない。

いや、ひとたび聴きさえすれば、誰もがどこかに心に響くものがあるはずで、絶対リピーターになってくれるポテンシャルがあると思うのだけど。

その聴いてもらうまでの障壁が高すぎるだけだ。

この障壁を下げる手立ては数えきれないほど素人の自分でも思いつくが、かといってそういった対策を講じている気配は特に感じられない。

部外者なので特にそういう具体的なことはここでは挙げないでおくが。

でもひとつだけ言わせてもらうとすれば。

 

ござさんのTwitter投稿動画、これを自作できるひとは、打ち込み動画いわゆるDTM界隈にたくさんおられると思いますけど、ゲーム音楽とかもそれらのひとつのジャンルですが、その演奏をアドリブを交えてJAZZにしたり、クラシック曲をアレンジしたり、ここまで自由に演奏できる人はかなり稀有な存在だと言えると思う。

 

 

 

いわば看板、売りにできるジャンルの一つであるはずのござさんの一人合奏動画ですが、このようにYoutubeのような動画メインサイトに投稿するでもなく、かといって# を特につけるでもなく、検索にあえて引っ掛からないようにしてる感さえあるコメントを何気なくつけるだけでこのような動画をTwitterの片隅に置いておくのはどう考えてももったいない。

部外者が何言っても詮無いことではあるがどうしてもこれだけは言いたかったので。

 

ござさんは研究者気質なのだと思うんですよね。

何を演奏してもたぶん永遠に満足してないと思う。アドリブのアイデアとか、コード進行の奇抜さ?とか、常に自分の中で試行錯誤して、気分はずっと研究生のままなのではないかと思う。

 

演奏家は演奏して音楽を表現するが、

ござさんは音楽そのものを構築する研究家として、演奏はその表現の一手段なのだろう。

ござさんの部屋は研究室。

だったらJAZZ専門の大学とか音大のJAZZ科とかで院に進めばいいのにな?と、疑問に思うこともあったが、今思えば、限られた学閥の中で与えられた課題というのは、ござさんにとって意味をなさないものだったかもしれない。

研究環境としてそういった施設は充実しているかもしれないが、ござさんは別にそういう外的要因は必要としてないんじゃないかと最近思うに至った。

学閥が考える既存の枠はござさんにはどれもあてはまらないと思う。

 

ござさんにはありあまる好奇心があってそしてピアノ演奏が大好きなだけ。

ちょっとした遊び心があるのだ。

3/30の配信の最後、蛍の光の直前のモルダウの最終盤、BASS音域が鳴る中で弦楽器が最弱音でアルペジオで動くところを、このアルペジオの調を変えて2~3往復している。単純にアルペジオを弾くだけじゃつまんないじゃない?とでもいうように。

冷徹な研究者肌にして、このお茶目心が随所に現れているギャップ感が、大好き。

 

 

新しく2ndアルバムもリリースされることが決まっている。

Fantasia | ござ オフィシャルサイト

 

ござさんの演奏は13年以上生配信でアレンジを演奏してきても、およそ同じものはひとつとしてないと言っていい。

自由自在な活動の拠り所として、形としてのこる可視化された演奏を発表することで、ござさんの研究活動はこれからも飛躍的に……ではなく、一日ずつ地に足をつけた確実な進歩を遂げていくことだろう。

 

自分はこの部屋でわかりやすい広報でも一発打ち出したいところだが、

ござさんの活動姿勢を鑑みて、粛々と生配信を聴きそのアドリブというか奏法を理解しようと努めることにしたい。