ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

#ござさんはもっと評価されるべき 6/11の生配信感想

 

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夏はウキウキする季節

気温も25度、いや30度を超え、さわやかな初夏の熱気がビールを美味しくさせる季節が到来しましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

え?初夏はもう過ぎて梅雨?

毎日雨で洗濯物乾かないし、湿気100%でさわやかどころじゃない?

さわやかって、どこかのハンバーグチェーン店?

 

そうかもしれませんけど、梅雨がないことには田植えはできないわけで。恵みの雨なのです。湿気で髪が広がるのとかは日本の夏ではもはやデフォなのでいいんです。

確かにね、小学生のころプールの水着乾かなくて大変でしたけどね。

 

とにかく暑いと元気になる。自分は気温25度を超えてようやく本調子が出てくる爬虫類なので、冬は冬眠してるし、夏になると何もかもテンション上がるのである。上がりすぎてピアノの曲も新しいのに無謀にも挑戦し、基礎練もばっちり。

色々充実しすぎて世の中バラ色の季節である。

生き残れるかどうかの瀬戸際の冬をかいくぐって来た爬虫類としては、夏は陽射しがまぶしいだけでも生きてる!って実感できる。何もかもモチベ爆上げである。気温は40度を超すとたぶん具合悪くなる程度。

 

ブログだけは自分で書いてるわけではなく単に字幕が来なければ書けない ので更新のペースがどうとかは言われても困る。

更新頻度???字幕流してる誰かに言ってください。

とにかく田舎は夜になるとアマガエルが大合唱しててピアノの音よりもある意味、大音量。それはもはや冷蔵庫のモーター音などと同様に通常の環境音として定着しすぎてて、夏はやっぱカエルが鳴いてくれないと始まらないしその鳴き声なしには眠れない。

 

 

というわけで、ござさんの夏になると元気になれるってところに非常に共感する。

生配信も春頃からだんだん気分も上向き、季節の曲で夏の曲をテンションアゲアゲで弾いてくれると、こっちもウッキウキになれるんだ。

結局この譜読み始めたクラシック曲はマゼッパであることが6/11の生配信で語られてました。

正式名称は

超絶技巧練習曲より第4番「マゼッパ」(リスト作曲)

という。

 

ここでマゼッパを弾く前の状況を取材してみましょう。

曲の記憶は、記憶領域倉庫(HDD)に格納されているようです。その容量はなんでもチャレンジャー海淵より深いっていう噂です。ほんとかいな。

クラシックメドレーだからヨユー♬って構えのとこに「次マゼッパだよ~!」って言われて、倉庫管理人は仰天して突然イスが滑って頭から床に落ち、イスはキャスターが壁に穴を空け、はずみで持ってたコーラのボトル(幸いフタは閉まってる)は綺麗に放物線を描いて空を舞うという阿鼻叫喚の地獄絵図。そんな中うろたえる暇もなく楽譜を瞬時に捜索し、満身創痍になりながら滑り込みでござさんの脳内タブレット画面を差し替える、アーカイブ倉庫職人さんの超速技。

 

自分はショパンエチュードも、ござさんのピアノ配信を聴くまで存在知らなかったし曲名聴いても練習曲集でしょ?と思ってあまり聞くことも調べることもなかった。そういえば別れの曲がエチュードの1曲だったことを知ったのはもっと後のことだった。

実際は演奏会用練習曲という側面を持っていて、練習という名を冠していてもその実は難曲ぞろいでなおかつ音楽性豊かな曲ばかりというロマン派の時代に流行した作曲形式。でも実際にござさんにとっては、ほんとに練習曲として練習してるんじゃないかと思ったりする。実際にござさんのレパートリーは10-4にしてもそうだけど早いパッセージの練習用として常に弾いてるんじゃないかと思ったり。レパートリーとして維持するには定期的に練習しないといけないし、弾けるようにメンテナンスしてると自然と指の練習にもなって一石二鳥!ってなってそうだな、と思った。

 

そうやって人類の限界を超越したような難曲を練習台にしながら何やってるのかというと?人間離れしたアニソンの左手のリズムとかの維持に役立ててるのかなーと思う。

ござさんはいろんなアレンジを考えるうえで原曲をガチ再現してるのはおろか、さらに魔改造されて非人間的な動きをしてることが多いから、そういう時のためのトレーニングを欠かさないのだと考えると、つじつまが合う。

 

 

 

6/11、日曜午後の生配信

この日の定期生配信は珍しく昼間だった。午後15時昼さがりの生配信。

【ピアノ配信】リクエスト募集中 2023/06/11 - YouTube

 

生配信を毎週一回やってくださるようになってから、というか家での生配信として定着してから、午後八時開始に落ち着いてたけどたまに昼間のときがある。

理由は?

(ご本人が言わないので単なる想像だけど)次の日にイベントとかコンサートのリハの予定が翌日午前中から入ってるとか。

または、動画を撮るためにピアノスタジオの予約を一日枠で翌日の朝から押さえてるとか。

なんか知りませんがそういうスケジュールの流れから、昼間に配信終わってないと都合悪いことがあるんかなあ、と想像する。

時々昼夜逆転してることありますよね。

 

 

しかし、それは時間的な件であって本題ではない。

 

ピアノ以外の話題

今回6/11生配信のとき、ピアノ以外の音、つまり話してるときの声が聞こえないという意見が多かった。Twitterでも見かけたしなんなら今回はYoutubeのコメント欄でも多かった。

それは自分のパソコンに接続したサウンドブラスターで修正をかけた音でヘッドホンで聞いてもなお拾いにくい音。

(このサウンドブラスター、電子音じゃなく自然音の動画や、野外演奏の動画に関してはものすごい感度で音を拾って増幅してくれる機能がある。それは人間の声でも同じで、これで聞こえにくいとなると、スマホのスピーカー出力だとほぼ無理、ピアノ演奏との音の調節の差が大変だったと思う)

 

ござさんの今の定期的なネットでの活動は生配信である。

コンサートや本の出版、CDへの楽曲収録や楽譜集発売は別ジャンルだしそれらのリリースは今一段落してると思われるのでここでは取り上げない。

 

ニコニコ生放送時代には、無言で一枠30分をコメントのリクエストから拾って(?)演奏して終わるだけ、ツイキャスでも当時は最低限の業務連絡みたいなコメントしかせずに無言で終わってたみたい(録画を見る限り)。いや、今もツイキャスはランダム練習キャスとして存続してるがちゃんと無言っていう表題がいつもついてる。

その後Youtube配信になってトークタイムができ、ござさんはのんびりとチャットのコメントを全部拾いながら、質問にも丁寧に応えたりして、マイクで話すようになったようだ。ただしこの時期、ピアノ以外に画面に出演するようになったのは、ござさんのだけ。そのため「手だけの人」とか「本体は手」とかいう説が本気で流れてたくらい(?)。

そのあとペンギンマスクかぶって全身うつった状態でシレっと「顔出し生配信」と標榜するようになるのだが、ここまでは全部介護職と兼業である。

Twitterでピアノ講座動画が再生数バズったりしてたようだが、あくまで生配信の同接人数は100人とか50人とか一桁とか(?)。

ござさんのこの演奏スタイルと見た目(手またはペンギン)、おだやかな口調のトークとピアノが好きな人が集まるチャット、それらが好きな、ほんとにピアノが好きなファン、ござさんの演奏が好きなファンと静かに交流する生配信だったんだな、と過去のアーカイブ見て思う。

 

 

ただ今は当時と状況が違う。ござさんは紆余曲折を経ながらも音楽専業で活動されている。

Youtube配信を聴くこと自体は無料なのだけど。

そこに矛盾が生じる原因があるのかなと思う。

 

ファンの目線

この配信自体が素晴らしいという事実、それについては恐らく配信を聴いた人々の中で意見は一致してるはず。

だからトークという演奏以外の要因で、特に通りすがりの人たちに悪印象を与えて生配信のイメージを貶められるのは非常に惜しいっていう歯がゆい思いを抱えててる人が多いのだろう。

逆に言えば、ここでトークの音量について指摘されている人々はそれだけござさんの演奏に並々ならぬ思い入れを持っている人と言えそうで、そうではないlightなファンの人たちは無言で配信の視聴をやめて去っていると思われる。何これ話聞こえないじゃんって。

 

ござさんの姿勢(客観的に)

衣装は昔よりすっきりスマートになった。ペンギンマスクもやめ、ちゃんとスパチャに対してカメラ向いて挨拶してくれる。いや、そうではなくてござさんはただピアノを聴いてほしいだけなのでは。

 

配信の各要素つまりサムネ画像や配信時の字幕などのエンタメ的演出、トークや髪等。それにマスクとかマスクとかマスクとかマスクとか(ドップラー効果風)。

そういったピアノ以外のことについては主張したくないし、むしろそこに注目してほしくないというはっきりした意志を感じる。

ある意味その点については拒否されてる感すらある。

 

 

自分の個人的な意見

このように複雑に色んな立場の見方が交錯してて、現状はややこしい。

しかし自分は単にござさんのピアノの音が好きなので、ピアノが聴きたいだけである。あらっ奇遇ですね、個人的にはござさんの方針とあってるじゃありませんか(偶然に)。

ペンギンマスクから以降、グランドピアノ配信を経て今に至るまで自分も色々葛藤がありそのためにこの部屋を開設したようなものではあるけど。

そりゃ生配信の衣装から部屋の背景から配信の不安定な音質や画面、概要欄の雑な記載、ツッコミどころを挙げればきりがありませんでしたし、ござさんの音楽活動にコロナも関連して将来が不透明だったからなおさら。

不安な気持ち、ござさんの演奏に対するいわゆる#もっと評価されるべきっていうジレンマで押しつぶされそうだったので、この記事に全部ぶつけていた。

しかしそういうジレンマはあくまでファン側の心理で、ござさんは別のベクトルで動いてるからそこは悩むところじゃないっていう結論に至りました、最近。

それはあくまで個人的な結論で、実際にlightなファンは今のままじゃ去っていくということも事実。

でもそれを踏まえてのござさんの現在の活動姿勢があるから、そこはファンは黙って見ているしかできない。ある意味ペンギンマスクやサングラスかけてた時代のジレンマよりも、もっと正念場を迎えてるというか後戻りできないという点でよりシビアな状況と思うけど、ござさんのやり方が変わらない以上、できる事っていえば信じてピアノ聴くしかできないっていうことだ。

自分の個人的な意見がただピアノ聴きたいだけというのは、省略しなければこういう意味だ。

 

 

では具体的に、ござさんはピアノでどう自分らファンに正面から向き合ってアピールされてるのかというと、

ひたすら自由時間はピアノ練習してると思われ(ちゃんと寝ようよ?)、

 

そしてイベントやコンサート本番が近づくとyoutube配信できないからといって、ツイキャスで配信したいっていう(ござさんの)願望を補ったり、

 

常にピアノ関連のいろんな発想が絶えないのか、一方的につぶやいてることも多々あったり、

 

……………アピールっていうかピアノのことしか考えてないだけでは???

ござさんの音楽活動に、そもそもアピールとかいう作為的な営業活動の片鱗も感じないんですよね……?

それで、もっと売れる方式を傍目で見てる素人でも思いつくだけに、このままじゃもったいないって、やきもきして落ち着かないだけなのかもしれない……

まあ、いいんですよ自分はござさんのピアノさえ聴ければそれで。

 

 

ござさんのピアノ

上記の通り、ござさんはファンへのサービスも何もかも、ピアノの演奏に込めている。

季節感を持たせた演奏を意識されているのもその一環。

今回のように梅雨や雨の日は、雨をテーマにした曲を弾いてくれる。

春夏秋冬の時季に沿って、まるで腕利きのシェフが料理を最も映えるように吟味するかのごとく。

最適な曲を最適なアレンジで、目にも美しく盛り付けられた料理のようにファンのもとに届けてくれる。

 

重く暗い雲が垂れこめて空を覆う。

雨粒がぽつんぽつんと、池に落ちては描きだす幾何学的な水紋。

霧の中に浮かぶ幻想的な灯りと街の夜景。

水田に広がる蛙の鳴き声も夏の風物詩。

そんな情景を描きながらも、Summe rrainなどでアグレッシブな要素を、その流れのままボカロも加味しつつ軽快な雰囲気を入れることも忘れない。

緩急の付け方が素晴らしい。

 

この配信の白眉は雨メドレーの雨だれから童謡のあめふりにかけて。

梅雨という陰鬱な標題を軽やかなアルペジオと印象的な低音で謳い、童謡の有名な主題をして次第に厳かに、かつ華やかに彩っていく。

この曲名からこういう展開になるって絶対誰も想像つかなかっただろう。

心を鷲掴みにされるとはこのことだ。

 

 

クラシック

珍しさでいえばクラシックメドレーのツィゴイネルワイゼンがメインかもしれないけど。管弦楽またはピアノ伴奏と、ソロバイオリンで演奏される言わずと知れたサラサーテ作曲の難曲だ。
(原曲の参考動画:Zigeunerweisen, Bojidara Kouzmanova, Pablo Sarasate - YouTube )

これを始めて聴いたのかというと2020/4/6のペンギンマスク時代に弾いてくれているんだけど、当時は視界が500円玉のペンギンマスクだからか、色々命中率が低い。使ってる音源も今とは違う。だからなのかなんなのか、打鍵ははっきりござさんだとわかるんだけど、しかし控えめにいっても別人レベルかっていうくらい今回の演奏がすごかった。

※参考リンク(メンバーのラーメンプラン限定):顔出しピアノ リクエスト受付中! / Piano live 2020/04/06 - YouTube

 

この曲はロマ(というと差別用語なのでそもそも使いたくないけど)の音楽を題材に取って作曲されている。ほかにチャルダーシュや、ブラームスハンガリー舞曲、ドヴォルザークのスラヴ舞曲、あとハンガリー狂詩曲も同様にロマ音楽がモチーフだ。

スペインや南フランスの陽気な音楽にも通ずる(フラメンコはロマ音楽が起源)、情熱的な旋律。

※ロマの音楽の大きな特徴として、テンポや強弱の激しい変化や交替、細やかなリズムや奔放な修飾[1]、ソウルフルなヴォーカル、そして音高をすべるように移動するグリッサンドの多用などが挙げられる。音階の上では、和声的短音階の第4音を半音高くして二つの増二度音程を持つ独特の音階(ハンガリー音階などと呼ばれる)が用いられることが多いのも特徴である。

参照:ロマ音楽 - Wikipedia より引用

前半のヴァイオリンで歌い上げる憂いがこもった主題と後半の超絶技巧、弦楽器ソロの中でも難曲をなぜか鍵盤でやってしまい、伴奏も左手でこなす。ヴァイオリン特有のピチカートやグリッサンドや重音とかをなぜか鍵盤で再現してしまう。

そんな物理的な目に見える現象も驚嘆に値するけど、この民族音楽、いわゆる放浪の民であったロマが受け継いできたリズムをそのまままるで何か乗り移ったかのように?本能のままに感じてるように見えるところが、単なるピアノで研鑽を積んできただけではない何かを感じる(語彙力……)。

ポーランドマズルカ、またウィンナワルツとか、果ては徳島の阿波踊りまで地元民にしか出せないリズムがあると思うが、そんな目に見えない、楽譜には無い音楽の感じ方まで自分のものにしてる気がして、そこがほんと背筋が寒くなった(語彙力……)。

 

ツィゴイネルワイゼンに全部持っていかれたので、その後ぼんやり聞いていたらなぜかリストの超絶技巧練習曲マゼッパが始まってさらにカオスだったことは前項で述べたとおり。えええ即興メドレーにそれ突っ込んでくるのーってチャットでも大混乱であった。そうでしょうね。なんでそれを弾こうと思ったのか?それは最近練習してたかららしい。そんな気軽にやるものだったのか知らなかった。ちょっと弾きたかったってどんなんですか。そりゃ肩も凝りますよね。

 

でもこれらの曲はあくまで短く編曲されているとはいえあくまで楽譜に忠実だ。それよりござさんらしい演奏は、家路と愛の夢だったと思う。この素晴らしい家路のアレンジは、京都の平安神宮での演奏に近いイメージがある。あの夢みたいな舞台で繰り広げられた世界観に、この配信聴けばいつでももう一度出会えるのだ。そう思うと、ござさんからサプライズプレゼントでももらって意表突かれて涙する人のように、ファンとしては嬉しかった。

それからの愛の夢の演奏が、これらの素晴らしいクラシックメドレーを象徴するにふさわしい壮大なラストを飾っていて、圧巻の一言に尽きた。

そもそもクラシック曲は何百年と受け継がれてきた歴史があり、どの曲にも時代と国境を越えた普遍的な魅力がある。

しかしござさんはそれに自分なりの独特な価値観を付与して全部自分の世界に引き込んでしまう、クラシック曲をも懐に取り込む、宇宙の四次元空間みたいな包容力を秘めている。

 

ござさんのピアノは、流麗な旋律や瑞々しさ、軽快で可憐なステップ、重厚さとか、またロック曲は反骨精神からきてるはずなんだけどそういう若者しか持ちえない世の中への矛盾した意識とかまで、およそ世の中に存在する何もかもを持ち合わせている。

 

聴いてる自分も、哀愁が滲み出るような美しい響きに胸を打たれたり、民族音楽に舞曲の激しいステップを想起したり、そしてロックのビートと、バンドメンバーたちがハモって倍音を出してるとこまで再現してるところに思わず釘付けになり、それからアニソンやらゲーム音楽とか映画音楽とかボカロとか色々あるメドレーもあって………

とにかく感情が忙しい。ござさんの配信に自分は刺激を求めていると書いたが、いくら刺激的っていってもほんとやりすぎである(誉め言葉)。

 

ロック曲に関しては、自分は門外漢なので………

しかしそうやってアニソンとかボカロとか今まで存在を知らなかった分野も全部ござさんの配信から曲を覚えてきたから、ロック曲も配信見ながら全部原曲に飛んでいちいち調べたのであった(そんなことやってたから感想書くのに時間かかったともいう)。マイケルジャクソンのメドレーというこれまたレアな分野も併せると、全部で20~30曲くらいあるんじゃないだろうか。曲リストによると。

というわけで粛々と覚えてたけど、youtubeでチラッと聴いても今もなお色褪せない名曲ぞろいで、さすがござさんが覚えただけあるわって変に納得した。むしろ初めて聞いた曲ばかりでも、気がついたらこのメドレーだけ永遠リピしてて、やっぱり感想を書くのはなかなか進まなかった。

誰ですか?戦前の曲とか90年代のJ-POPならわかるけどその間の70年代か80年代の洋楽はわからないって言ってたの、誰ですか?その時代は名曲多いのにってファンの人々に惜しまれてて、でもレパートリーその時代は抜けてるしーって言われてたのは誰なんですかね。

たぶんフジロックに向けて、ロック曲のレパートリーを多く仕入れてるのかもしれない。いやそんな急遽たくさん弾けるようになるわけないからやっぱ以前から弾けたんじゃないだろうか。ほんとのところは分からないけど。

 

こういうPOPSやロックバンドの曲は左手でグルーヴ感を出すというかビートを刻んでて、右手でギターのコード?やらボーカルのハモりまで全部カバーしてるのが部外者から見ても凄い。

というかござさんの作り出す和音でたどる旋律は、なんでこんなに無条件で惹きつけられるんだろうと考えてみた。

たぶん和音を設計するにあたって、より響きが豊かになる音を基本の和音構成とはほかにたくさん盛ってるからじゃないか?アコースティックな楽器で和音がハモると実際に演奏してる音の上にいくつもの倍音が自然発生するけど、そういう音を知っててわざと演奏に取り入れてるんでは?これに呼び方が決まってた気もするけどよく分からない。

とにかく自然に音が和音で響く時の構成音を分析して、より豊かな響きで聞こえるように、電子ピアノで押さえる和音を人為的に、作為的に設計してる……気がする。

たぶん。

 

ただ、これを即興演奏でやるところが常軌を逸している。(ふたたび誉め言葉)