ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

ソロコンサート

この記事は、2022/1/15(土)浜離宮朝日ホールで行われた、ござさんのソロコンサートについてです。

配信アーカイブもあり、1/21まで視聴可能です。お求めは下記リンクからぜひどうぞ。(ここを読んでる人は多分視聴されてるとは思われますが、一応念のため)

eplus.jp

 

 

ござさんがネット上でピアノ演奏を流し始めたのは2009年8月ごろらしい。

画面には無言でピアノを弾く手だけが映っていた時代。

 

そんなネット投稿動画の黎明期を経て、

ござさんの演奏スタイルはゆっくりと変遷をたどっていく。

※参考動画(投稿:2019/5/12)

 

 

手だけの配信から、

サングラスとキャップ被ってストリートピアノへ。

配信ではペンギンマスクつけてみたり。しかし視界は500円玉の世界だったそうだが。

 

でもどの時期のござさんも、自分にとってはござさんだ(そりゃそうだ)

いろんな演奏スタイルの移り変わりが今のござさんを形作っているのだ。

この紹介動画の冒頭で述べられている「すべてのジャンルのピアノを弾きたい」という野望っていうのを思い出してみよう。

今回のソロコンサートを聴くとその野望は見事に実現されているのではないかと感じる。

それまでの道のりは決して平坦ではなかっただろうけど。

 

 

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

 

 

不吉な記憶と、一抹の不安

さて、自分は夜公演のチケット持ってましたが、諸事情によりドタキャン、客席を空席にしてしまい申し訳ありませんでした。なので配信をリアタイで見てた視点から書きます。

自分がドタキャンした諸事情の原因は、コロナウイルスである。

全ての元凶はそこ。

ござさんのリアルコンサートは以前にコロナウイルスの感染拡大により中止。

または、ござの日ライブは無観客で開催されている。

「いちいちこのコメントを持ち出してくることないでしょ?雰囲気悪くしないで」とか、「これ以上傷口に塩を塗るな」とか言われそうだが、自分としてはこのトラウマに正面から向き合って乗り越えないと、先に進めなかった。

お守りがわりに以前自作したキーホルダーをいつも横に置いて眺める毎日。 

今回も、夜の部の公演を配信でラストまで見届けるその瞬間まで、心のどこかで気が抜けなかった。(神社に祈願に行ったものの安心できるわけではなかった。)

何があるか分からないという緊張感。

だから今回、誰よりも観客ありのコンサートやりたかったと思ってたのは、そして無事終えて喜んでるのは、ござさん自身だと思う。途中のトークでも「10年以上配信でやってるので実際のお客さんから目の前で拍手をもらうことはほぼ初めてと言っていい」と言われていたし。

 

さて。

コンサート開始時間から、ござさんの登場まで少し間があった。

配信の自分たちは画面の前でござさんのピアノをBGMに聴いていたからいいのだが、現地では静かに待たれていたのだろうか?

そこへござさんが衣装の裾を翻しながらゆっくり現れ、じっと客席を見つめながら、左右、2階席も眺めながら、丁寧にお辞儀されていた。

その姿に客席のすべてのファンから贈られる、割れんばかりの鳴りやまない拍手。

自分はこの光景ですでに号泣してるわけです、こっちは画面越しにだけど。何かにつけ泣きだしているので、ハンカチとタオルが手放せなくて大変でした。

ほら、大丈夫だったでしょ、ござさん。

ファンは実際に居ましたよね?

その姿をご覧いただけて、自分は満足です。

 

 

外見が素敵な件

さてござさんはどんな衣装で現れるのか。自分の最大の注目点(そこか)。

タキシード?燕尾服?

そんなわけないですよね、堅苦しい

 

さて実際にござさんが着てたのはベージュの上下にベージュの長い上着……

落ち着いたホールの内装に合わせたような色合いと、ゆったりした風采。

なんとなくねぴらぼの時みたいなレトロな印象がある。

 

しかし今回の長い上着はニット……?

いや違う!?

コートかな、横から見るとちゃんと後ろにベルトついて、ノーカラーのトレンチコートって感じ?靴も合わせてて、バングルもつけてて、髪もパーマかかってて素敵です。

スタイリストさんありがとうございます。

この通り、途中のトークでござさんも「さっぱり話が通じなかった」と話されていた💦nonchiさん、大変な現場だったと思いますが、ござさんのあたたかい人柄を形にしたみたいな素敵なセットアップしてくださって、ありがとうございました。

髪形も、ねぴらぼinventionの時からござさんが「この髪形気に入りました!」(振り返り配信から)と言われていたパーマで真ん中で分けてるセットだった。「ござさんらしさ」を意識してくれたコーディネート、型にはまらないけどきちんとした組み合わせ。

おかげでござさんものびのびと演奏できていたのではないかと思います。コンサート聴いてたファンとしても、感謝です。

 

【※参考資料】この時の髪形がござさんは気に入ってるらしい。 

 

これを書くに当たっての自分の視聴環境

PCにヘッドホン、そしてこの周辺機器を接続してます。いわゆるサウンドカードです。

これの特徴。

録音環境が良くないと思われるところの音を、非常にリアルに拾う。たとえばストリートピアノ。まるで目の前でピアノが鳴っているかのような臨場感。

・では録音環境が良いところの音はというと、その音のよさを拾ってさらに立体的かつ繊細に表現してくれる。自分が集音マイクになったかな?って錯覚する。

つまり最高の音響の朝日ホールの音は、ほんとにその場で震えてる弦のうなり、ござさんの呼吸まで聞こえて来そうな再現度で聴けたといって過言ではない。

この自分にとっては最強アイテムを片手に、配信聴いての印象を書いてみます。

 

 

演奏を振り返る

さて今回(おそらく余りの高倍率だったからだろうか)夜だけから、昼夜2部制に変更されたわけですが、そのためござさんの身体的負担は相当なものになったと思われる。

だいたい1回のリサイタルで、ピアニストは2~3キロ?くらい痩せるらしい。そのくらい体育会系並みに体を消耗するのがピアノ演奏。誰ですかピアニストは箸以上の重い物持っちゃいけないとか言ってるのは?

というわけで自分が配信で見た夜公演はトーク部分も椅子に掛けての進行となっていたのですが、途中で息切れされてたのは気のせいか。

それでも最後の最後まで熱のこもった演奏。

文字通り身を削って今回のコンサートに全て捧げられていたのだと思う。

燃え尽きても何も残らなくてもいいや、と今持てるだけのありったけをつぎ込んだというか。そこにござさんのこのコンサートに賭けていた熱量の大きさを感じる。

(これだけの規模の)コンサートでお客さんを前にしての晴れ舞台。

どれだけここで演奏するのを楽しみにされていたか。

そしてお客さんに演奏を届けることが出来るのをどれだけ嬉しそうに話されてたか。

だから自分も全身全霊を賭けてその演奏に、その全力でぶつかってくる姿勢に正面から向き合おうと思う。

 

ござさんの音楽家人生の第1歩をこうして見届けることができて、ファンとしても感無量。

 

しかも楽器はとびきり最高のスタインウェイさん。

スタインウェイさんを操る……ちょっと違うな?「初めての場所ではまずそのピアノと仲良くなり……」「楽器ごとに特色を見極めて……」と多分去年2/23のスタインウェイ配信で言われていたと思う。

今回の会場のスタインウェイさんとも、仲良くなれてたと思うんです、リハ動画のツイートを見るからに。その動画見て後頭部殴られたかのような衝撃が凄すぎて、コンサート行けなくなりふて腐れ捨てかけてた(持参するはずだった)手紙を探し出し、発作的にブログに仕立て直して投稿しましたもんねえ。拗ねて引っ込んでる場合かっていう。

 ↓ ※応援記事

 

 

アルバムのタイトル「EnVision」

envision【他動】〔将来起こり得る良い事を〕心に[思い]描く、想像する

出典:envisionの意味・使い方・読み方|英辞郎 on the WEB

ござさんのアルバムはオリジナル曲のほかは主にアレンジ曲やJAZZの曲で構成されている。自由自在に鍵盤を操る演奏から無限に繰り出される多様なアレンジ。それがござさんのピアノの看板に掲げられた聴きどころだ。

それらのアレンジを駆使して作られたソロアルバムはこのツイートにある通り入念に考察を重ね、アレンジや構成を練りに練って隅から隅まで作り込まれたござさんアレンジ集。これぞござさんの世界観、それをあらわす決定盤である。

これを聴けばござさんがわかる。

ソロアルバムは、いわばござさんアレンジのステレオタイプ

どれだけ作り込んでたのかというと「長い時間をかけてた」とご自分で発言する位。

この「あるもの」がソロアルバム、だと思う。なぜなら本来有観客の予定だったござの日ライブに合わせて、本来リリースの準備がこの頃進んでたのではないかと思うから。

 

 

これに対しソロコンサート(に代表される、配信も含めてのライブスタイル)は即興の醍醐味を味わえると思う。

今回のコンサートで演奏されたのは12年を数えるネット活動歴でも代表曲とされるものばかり、しかしどの曲も過去の生配信ライブも含めて二つと同じアレンジはない。いつ聞いても新鮮な驚きと新しい発見がある。

ござさんのピアノは一期一会の演奏というか、発想が化学反応起こして思いもよらない演奏になってたりするところが面白いのだ。

今回のソロコンサートではアルバムをベースにしているから即興演奏とは少しニュアンスが違う。しかしその場で考えたのだろうか、CD収録とはアレンジが違う。そしてCDも、コンサート版もそれぞれにその楽曲の違った表情を様々に引き出している、という意味でどちらも素敵。

この無限に出てくるアレンジの発想に盛り込まれた、溢れんばかりのオリジナリティ。

これこそが、音楽家という人生を選んだござさんの手に握られた最強の武器だ。

ござさんの動画、生配信、たくさんYoutubeに残ってるけど聴き飽きた(そんな事態、未来永劫あり得ない)というのではなく次の投稿も楽しみだなという気持ちになるのは、いつ聴いてもそこに新鮮さを感じるからだろう。

 

「いいピアノですから」(2/23のスタインウェイ配信より)と、かつて憧れと慈しみのまなざしで見つめられていたグランドピアノ。

今回、晴れてファンの方を目の前にして実際にこのピアノを弾ける。その喜びをかみしめるかのように、一つ一つの音をピアノと対話しながら、確かめながら紡ぎ出してる、気がする。

 

 

一つ鍵盤を押すと。

ペダルを踏むと。

スタインウェイが表情豊かな音にして返してくる。

低音は威厳のある重々しい土台となって。

高音は軽やかな羽根の様に舞う。

心なしか一つ一つ音を確かめてるようにゆっくりのグリッサンド

また複雑なコードを押して生まれる様々な表情の和音は、風が吹けばそよぐ木の梢のざわめきと、それに伴ってゆらめく木漏れ日のように繊細な移ろいを見せる。

それらが反響し合い、生まれてくる音楽はより一層魅力的な表情を持って自分達聴衆に語り掛けてくるかのように余韻を残す。

さながら一幅の絵巻物のよう。

また音の一つ一つに物語性を感じる。それぞれの音には意味があって、それらで美しい叙事詩が紡がれているかのようだ。

 

 

 

各曲の印象

※専門的なことはわかりません。

イントロは多分コード進行とアルペジオだけ?(←素人はわかってない……)

でも自分は、ストピ動画でも生配信ライブでもこのイントロとか曲のつなぎの何でもないエリアが好き。色々な方法を試してるようにも見えるし、でもその考えてるような展開も含めて、曲に入るまでの部分が好き。

今回も自分が見たのは夜公演の配信だから、昼公演でこのピアノとは仲良くなってるはずだけど改めて時間を置いたことで、このイントロの演奏は、鍵盤の状態を確認する準備だったのかもしれない。そういう目的があったとしても最初に鳴る一音、その瞬間から全て音楽になってるところが、すごい。

え……何言いたいか分かります……?💦

 

 

清新の風

こうして魅惑のイントロダクションから、いつのまにかござさんの世界にいざなわれていったのであった。曲紹介の出し方までロゴを組み合わせたかっこいいフォントで出され、10/29の追加発表配信?からさらに工夫が加えられた感じで、運営さんありがとうございます。

この美しいピアノの響きと永遠に戯れて居たいという風情のござさんの手から徐々に主題があらわれて曲名に気づき、早速自分は画面前で泣いていた。

この曲を初めて聴いたのはいつだっけ、ねぴらぼinvention?その時はバンドと一緒の演奏だったと思うが、今回ソロピアノ演奏ということでリズムとかベース部分とか「指足りない現象」になるはずが、吹奏楽をイメージされているこの曲、みごとに色んな楽器のニュアンスまで細やかに表現されていてさわやかな五月の風を感じる(冬だけど。なんのこっちゃ)。

この曲が持つ爽やかで瑞々しい曲調、明るい風が吹き抜けていくような清涼感。どこまでも広がる青い水平線と白い雲、そこに降り注ぐ太陽のあたたかい陽ざし。

スタインウェイのやわらかな音色が、この曲の持つ未来へ拓けていくイメージを優しく包む。緊張感に少し震えながらも、ねぴらぼinventionで初めて聴いた時に思い浮かべた通りの大海原へ向けてゆっくり漕ぎ出していくござさんをのせた船を、そっと後押しするかのように。

 

何でこの曲が最初なんですか?反則ですよね?落ち着いてコンサートを鑑賞させていただきたいのですがリアタイしてて早速ここで言葉をなくしていた。

 

 

シチリアーノ

この曲は分類上クラシック、だったはずだ。しかしそうするとこの旋律は管楽器独奏と伴奏楽器のセッションが向いてるってことになる。しかし敢えてござさんのアレンジはボサノバ調。分類どうするの?JAZZ?と悩んでるとこの後の曲全部悩むことになるので深く考えないことにした。

でも自分はクラシックベースでイメージしよっと(ヒネクレてるなあ)。この曲はフォーレシチリアーノのアレンジである。フルートの奏でる陰のあるしかし美しい旋律と、ハープ、管弦楽が織りなす古風な曲。起源はルネサンス時代=15世紀までさかのぼる。

曲名のもとになってるシチリア島イタリア半島の先に浮かぶ島。そこを支配する王朝は目まぐるしく変わり、古来様々な民族が往来した地中海において宗教や文化・物流が交錯する交差点のひとつを成していた。

シチリアーナ - Wikipedia

シチリアーナ レスピーギ - YouTube

古楽器つまりリュートチェンバロ、そして室内楽で演奏されていた時代の貴族の邸宅を思わせる原曲に、敢えて、ボサノバアレンジ。

何でそういう発想が出てくるんだろう?古風な舞曲調の曲が現代のリズムで甦るって言えばいいんだろうか?不思議な組み合わせ。

陰がある旋律の中に、時おり明るい南イタリアの眩しい光が差し込んでくる。軽快なJAZZの歩調と合わせて気分も軽くステップを踏んでみるのだ。

 

海の見える街

ござさんの解説によれば、スタジオで「多重録音」によりアルバムに収録されてる曲である。発売記念コンサートを合わせて開催することが分かってたなら、なんでわざわざ多重録音までしてこんな複雑なアレンジにしちゃったんだ?ソロコンサートでも「あっ指たりなくて間違えちゃった💦」っていうのは通用しないぞ。という、いたって素朴な疑問が自分の脳裏をかすめた。

しかし「無理ぽいじゃん?」というお題に敢えてチャレンジするのがござさんのポリシーなのか。年末年始、集中的にこれを弾き込んだというような表現でもわかるように、物凄い量の練習をこの曲に費やしてきたことが伺われる。トークの中では「ラテン寄りアレンジ」と分類されているこの曲。

本来ジブリの映画で、カモメが飛び交う海のシーンで流れてたBGMのはず。

今回、ござさん2人分によるグランドピアノでの迫力ある演奏は、映画のクライマックスかのような印象。ござさんが2人いるだけあって複雑な和音の重なりも見事に表現されている。

 

合間のトークは座って話されていた。

そりゃそうか。

立って話してるのは漫才師くらいのものである。しかしござさんは座っていながらも客席から微笑を誘うというか、演奏の時の張り詰めた緊張感から一転して和やかな雰囲気をつくりだしている。絶対に無意識だと思うけど。生配信の合間でさえIQ3になるのに、こんな全身全霊の演奏の合間のトークなんて絶対に意識なくなりつつ喋ってるでしょ。

こんな自然に場の空気を一気に変えて、ピアノ1台きりのステージでトークでもお客さんの心を掴むとは、しかも作為なくそれができるとは恐るべしござさん。座ってステージで話すだけでお客さんの笑いをさらうなんて、噺家ですか?プロだったんですか(何のだ)。

トークで笑いを取るって、かなりの高度な技術だ。

聞いているのがいつもござさんの配信を聴いてるファンばかりなのを差し引いても。演奏の最中はIQ3になってると言いながらも、ちゃんとトークになってます。

※ちょっと待ったぁ!!!マスク、病院現場から言わせてもらえばウレタンマスクは効果があまり期待できません。お客さんが何百人も入ってる(みんなマスク有としても)現場ではサージカルマスクつけてほしいです。色つきのやつもあったはずです。

ついでに言えば、鼻が出ていたのでマスクとしての意味がありません。もったいない。アスリート並みに体力消耗していたからというのを差し引いても。

 

この後のトークでもポッケからいちいちメモが登場し、曲順から話題に仕込むネタまで網羅した、完璧なカンペが用意されていた。しかもIQ3だから「変な事言ってすいません」というオチまでメモに完備されている。どんだけ用意周到なんですか。思わず自分も画面越しに気付いたら笑ってたし、緊張もちょっとほぐれたかもしれない。

じゃなくて改めてお客さんを前にして堂々とコンサートが開催できたことにまたお辞儀を繰り返し感謝してるござさん。

ほんとうに……!!!

ストリートピアノ動画で見る光景そのものです。ステージに立とうがちっとも変わらないその姿勢。こっちが頭下げたい。

自分も有観客コンサート開催が人生の目下の目標だったのでそれが達成できた今、もうこれで死んでもいいです。(でもアーカイブ聴きたいんで死ぬのはやめとこ)

 

 

アネモネ

最初にこの曲と出会ったのはこの時である。

時にねぴらぼのアーカイブ期間が終了し、その熱気が冷めやらぬ中。ござさんは癒しが欲しいだなんて、ねぴらぼお疲れだったんだなとか、次のオリジナル曲を考えてるなんてもう次のステップを踏み出してるんだなとか、自分もこの曲を聴いて考えるところはあった。この時期、公式にござさんのオリジナル曲と銘打って発表されてる曲は他に無かったし、この曲も名前もずっと付けられてないままだったと思う。しかしその後Youtube動画のEDに使われていたりして、今回の作曲はそこがベースらしい。

個人的にこの曲には非常に思い入れがある。詳しくは省略しますが。

曲そのものが持つ、暖炉の前で静かに置き火が燃えているのを眺めるような優しい空気が辺りを包む。ござさんの解説とは違うけど、当初の動画につけられていた題名のとおり、自分はこの曲には癒されるのだ。

この曲を無事にコンサートで聴けて、自分はこの日現地に行くのがドタキャンになり色々メンタルちっくになっていたがそういう些細な悩みはどうでもよくなった。

ござさんが一つ一つ丁寧に作り出す和音の響きが、そっと肩を叩いてくれた気がする。

そうだな、自分は元気でいよう。ござさんは多分ずっとピアノ弾いてるだろう。今日の楽しそうな姿をみてそう思った。元気でいれば、いつか見に行ける日もあるよ。

アネモネーーーこの曲につけられた花の面影がふんわりしたちぎり絵みたいになって自分の手元にいつのまにか手触りの感触を残す。またござさんのピアノが聴ける日までその感触を自分は握りしめているだろう。

 

 

ショパン即興曲 As-Major Op.29(Arr.Aleksander Michałowski

 

新しく譜読みして練習されたと語られていた曲はこれの事かなあ。クラシックは厳格な解釈の歴史があると思うが、ござさんのピアノはショパンらしさを踏襲して控えめな美しさを主張しながらも、全編が艶やかに輝く。

 

はっきり言ってござさんのコンサートでクラシックを聴くことになるとは思わなかったんだ。自分はピアノは習ってたけど嫌いですぐにやめてるし、ござさんを知ってからピアノを聴き始めたので、ある意味クラシックの演奏を極めてる人の極め具合には興味がない。ござさんの演奏とクラシックピアノの世界の振り幅が違い過ぎて、自分ははっきりとござさんのピアノに寄り添いたいから。

しかしツイートを見る限り譜読みしてるってことは配信でおなじみの黒鍵や幻想即興曲とか革命とは違うだろうし、何だろう?と思いきや全く自分の知らない曲だった。原曲を聴いてみたら素直で明るい感じだったけど、この編曲版はもっと複雑な和音で超絶技巧の粋を極めたような曲。しかしその中でも旋律のラインははっきり浮かび上がっていて、どうなってるのかよく分からない(こなみかん)。

クラシックは自分にとって速さとか正確さ、解釈するのに必要な教養を競う体育会系競技みたいに見えて、本来自分は興味がない。それとは無縁に魅力的だなあと思う曲や、素敵だなあと思う演奏にはクラシックとか分野を問わず意識が向くのだけど。

落ち着いた貴族のサロン向けみたいなロマン派風の曲が、ござさんが演奏してると俄然鮮やかな色彩を与えられたかのように躍動的に動き出す。

原曲の持つ上品な旋律が、ござさんの語法に置き換えられて元の姿以上に素敵に響く。

 

 

ALL The Things You Are

と、ここで突如スタンダードJAZZがきました。

クラシックとJAZZは全然指使いというかコードが違うから両方弾きこなすのは難しいって聞いた事ありますが。そんな事やってるから脳のメモリがなくなるんだ。なるほど。

ここでガチの素人の自分はそんなふうにJAZZと思って聴いてましたが、ネット上で有識者の方からご教示いただき、どうやらござさんの伝家の宝刀、混ぜるアレンジがここで発動していたようです。

何を混ぜていたのか?前の曲のクラシック、ショパンの曲です。その旋律、モチーフがさりげなく使われていました。

そもそもモチーフとは?

モチーフ - Wikipedia

ここにある通り、「動機」「楽曲を構成する最小限の単位」「独立した楽想を持った最小単位の音符の集まり」というほどの意味である。これのまとまりを主題と呼ぶそうな。

ふうん。

JAZZのコード、リズム感にどうやってショパンを混ぜ込んでいるのかという人智を超えた謎は解明できないとしても。お洒落なJAZZの進行の中に、なんとなくクラシックの上品な香りがまざっている。よく聞かないと分からない程度に、さりげなく。

正統派クラシックからJAZZへ、色々な意味で全く違うジャンルに変わった所でお客さんが自然に次の曲になじめるように、前の曲を残り香のようにそこはかとなく配置してみたのだろうか?こういうことをやり始めたということは、ござさんいよいよ本領発揮かなと思った。ガチガチ緊張状態から、ちょっと一皮むけたかな?アドリブも目にも止まらない勢い。「繊細めな感じ」ん?どの辺が……?この好きにやっていいんだよ状態の演奏が一番生き生きとされているのかも。

コード進行の工夫?こっちはわかんないです(こなみかん)

 

 

このあたりから曲の解説トークがいよいよ迷走を極めてきます。メモも全くお役に立てていないようです。ああ無力感。IQ3の境地。

だってよく考えたらそりゃそうですね、昼夜2公演全部暗譜してて、しかも「昼公演と違うアレンジで」夜公演をやっているわけです。ということは昼の部でやったアレンジを覚えててそれをベースに夜の部では違ったアレンジにした、ということになる。

これを全部暗譜でやってのけてるわけで、更にその場で微妙にアレンジを変えたりしてる。そりゃ脳内メモリが無くなって、そこから後は回転しなくなるのはしょうがないというもの。

別にトークなんぞに労力を割いていただかなくて全然いです。

 

この曲をござさん風に分類するとプログレだそうだ。(再び)どの辺が……?7/8拍子だから?このアレンジの原点は昔のツイート動画に端を発していると思う。ほかにも、ソロアルバムに載ってる曲はどれも軒並みかなり古いアレンジ動画がベースになっているはずだ。でもどの曲の動画もこの記事にリンクは貼らない。今までの過程を経て今のござさんがあるわけで、歩んできた足跡は忘れてはならないが、でもそれはあくまで過去の記憶にすぎない。

参考にそれぞれの動画を聴き比べようと思ったが、今回のコンサートと比べるとたぶん想像以上に違っているんじゃないかと思ってあえて過去動画は聞いてない。聞いてしまうとコンサートのアーカイブを素直に感動できなくなる気がしたから。

そこで今回のアレンジは「プログレ」です。拍子もアシメントリーな感じ、和音の進行も独特。原曲はレトロモダンな春の東京をバックに咲き乱れる桜―――コンサートの舞台ではさらに盛り上がる豪華版となっているようです。

レトロじゃなくてもプログレでも、通奏低音のように刻まれる不規則なリズムに乗って、澄んだ水のような旋律がゆらゆらときらめく。畳みかけるようなコードに胸が高鳴る。川岸の満開の桜並木の下を歩いていると、不意に吹いてくる風に一斉に花吹雪が舞うような絢爛豪華な光景が思い浮かんだ。(え?あ、今1月ですが何か)

 

どんなときも

このアレンジも成り立ちの動画は古い。これぞござさん、という不思議な軌跡を描く和音進行。

原曲は90年代を代表するヒット曲で、槇原敬之のまっすぐな歌声と誰もが共感する歌詞が人気だった。街へ出るとどこへ行っても流れていた曲。そんなテンポの良い明るい原曲だが、ござさんのイメージは色合いが違うようだ。

 

不思議な和音進行でためらいながら歩を進め、時には戻りながらも階段を1段づつ踏みしめて上がっていくような感じ。

降るような満天の星空から一つ一つ星が流れるのが見える。それを眺めて逡巡している胸の内を見透かすようにござさんの透明な音がゆっくりと問いかけてくる。

この歌詞がござさんの人生をそのまま表している気がして、原曲の元気な曲調はともかくござさんの古いアレンジ動画の画面を見ながら、自分の知らない時代のござさんの長い音楽活動に思いを馳せてみる。その道のりは半端なく長く、平坦には程遠い厳しい道のりだったはずだがずっとござさんはピアノを弾いてきた。

ただピアノが大好きなござさん。

練習は大変だ、ピアノなんてやめよう!とか思わなかったのかな?

答えは奏でられる音を聴けばわかる。

あるわけないでしょ。

 

 

(時間の都合で月のワルツ葛飾ラプソディの部分は省きます、すいません)

↑時間があれば書くかもしれないけど一応諦める。

 

夕さり

この曲名は古語に由来する。用例は古く万葉集にさかのぼる。要するに夕方を表す言葉だが、日の出ではなく太陽が沈むさまにも趣があると捉えるのは日本人ならではの感性かもしれない。

ござの日ライブでもソロアルバムの感想でも、自分はこの曲についてちっともまともな感想がつけれていなかった。(当社比)

なぜだろう。

自分は本来前向きな思考するように心がけてて、ネガティブなツイートも(そんなに)しない。で、この曲名見て「夕方ってこと……?寂しそう、そんなイメージ暗くて好きじゃない」と思ってアレルギー反応というか食わず嫌いだった感はある。CD聴いててもいまいち気持ちが入ってなかったのかもしれない?

 

この曲を表現するなら去り際の美学というか、最後の瞬間まで美しいというか。

日本人はそこに美しさを感じてきた。紅葉を美しいと感じるのも、色彩の妙ももちろんだが、散っていく間際の最後の華やかさを楽しんでいるともいえるだろう。

落ち着いてこの曲と向き合ってみて、そういうわびしい感性というのがちょっとわかったような気がした。自分がござさんのピアノが好きなのはこういう面からかもしれないと、ちょっと思った。

決して派手ではなく、落ち着いた渋い色合いのなかに密かに光るものがある。その光はいつまでも輝きを失わない。主張しないけどそれはそれで美しい。

ただコンサートでの演奏はその渋い色味を磨いて黒光りする漆器のような豪華アレンジとなっていたけど。

夕日の描写:沈む間際、燃え盛る太陽の紅色の片鱗、みたいな情熱がほとばしる。

 

 

 

Secret base

この曲は自分は黙って聴いている。

ねぴらぼのステージ、初めてライブというものにござさんが出ているところを(無観客だったけど)画面越しにでも見て、演奏を聴いた。

原曲は10代の女の子のバンド構成だったとか、色々カバーされてて気づいたら高1男子も知ってたとか、そんな基本情報はここでは問題ではない。

この曲も、どんなときもと同じで歌詞を思い出してみよう。著作権上ここに歌詞は書かないけど。

ただ、自分が初めて見たステージがねぴらぼで、その後色々なことがあったなあ、と黙って思い出したい。

というよりこの曲もコンサート版特別アレンジ?なのか、ござさんの何か言いたそうな含蓄のある和音、それを最大限に聴かせるホールの長い残響。

 

別に自分は多くは書きません。ござさんにも、ファンの皆さんにも様々な思い出とそれぞれに抱える気持ちが胸を去来している事でしょう。いろんな思いを巡らせて。

この曲は今までのござさんとこれからのござさんに黙ってエールを送るもの、という位置づけでよろしいのではないでしょうか。

 

 

DannyBoy

DannyBoyも、ござさんの配信ではおなじみのレパートリーとなっている。しかしコンサート版はまた別だ。

「これで最後の曲です」とござさんの言葉に、客席から上がる名残惜しさのあまりの悲鳴のような声。ここのトークで「アンコールは無しです」と前置きしながらも、きちんとまたしても全方位にお辞儀を繰り返し、何度もファンにお礼をのべているござさん。

お礼が言いたいのは自分の方だ。

 

ござさんは万感の思いを込めたような視線でファンで埋まった客席をじっと見つめている。聴いてくれてありがとう、とでもいうかのように。

いつまでも名残惜しいファンのためにだろうか?DannyBoyのアレンジはこのコンサートでやったジャンル総集編とも言えるような、みんなが楽しめるものに仕上がっていた。バロック調のようなクラシックアレンジから、JAZZ風?とか軽快なアレンジを経て壮大なクライマックスへなだれ込んでいく。鍵盤いっぱいにござさんの指が巡って、客席の方々も息をのんで行方を見守るだけ。

ピアノとござさんから、客席を隔てるものは何もない。そこには生のピアノの音が空気を媒介してお客さんへするどく突き刺さる。

プラズマが閃くみたいに残光の軌跡も鋭く、聴く人の脳裏に強烈に印象を残すだろう。

 

ほんとなら終演のこの拍手、自分も混ざっていつまでも手を叩いていたかった。

最後までお辞儀を繰り返すござさんに、生で演奏を届けてくれていたござさんに自分も生で喝采を送りたかった。

 

ただ会場で聴くほかに配信も選択肢に上がる世の中になって、それだけはコロナウイルス流行以降で唯一いい方の変化なのかもしれない。こんな会場で聴くだけのピアノコンサート、従来なら行った人だけが楽しめるエンタテイメントだったから。全く同じことをねぴらぼの感想でもござの日ライブの感想でも書いた気がするが、やっぱりありがたいから。

 

 

 

 

後日談。Youtubeでの振り返り雑談配信。


何故振り返りで雑談だったのにツイキャスではなくYoutubeだったのか。コンサートには色々なお客さんが入られてて、配信も幅広いファンの方々がアクセスしてると思う。そんな中ツイキャスだとYoutubeとは視聴者層が段違いに少ないし、届けたい人達にこの振り返りトークとコンサートのお礼の話が届かないんじゃないか、と懸念されたのではないか?

単なる推測だけど。

ここで抜け殻の如く、言葉を発音するのもやっとな様子で、幻か何かのようにフワフワと話すござさん。もうね、お疲れというかそんな表現では語れないレベルで色々体力を使い果たして、力が入らなかったんじゃないでしょうか。スタインウェイさんと一緒にござさんの情念は全部あのステージで昇華してしまって全く残ってないんじゃないか。

このござさんの抜け殻である何かの存在を見ながら、思う存分完全燃焼できたんだと思って自分は嬉しかった。じゃあ自分も完全燃焼しようと思って感想をちゃんと書き残そうと思った(途中で2つくらい抜けてるけど)。

しかしござさんの視界には次のステップが、これからの景色が広がっているようだ。そんな事を話しながらも毎日ピアノの練習してるんでしょうけど。

 

 

 

(自分の中で)リアルで聴いてほしいと思う人

ご両親。それと、ピアノ教室の恩師の先生。

絶対に聴いててほしかった。なんなら現地へご招待されててどこかで聴いてくれてたらいいなと思った。

ござさんの音楽活動の片鱗にも登場もしないしかすりもしてないように見える、ござさんの周囲にいたであろうピアノ関連の大人たち。自分は最初から不思議だったのだけど、そして感謝してるのだけど、小さい頃からこれだけの腕前(アレンジやJAZZは大学以降に身につけられたとしても)があれば周りの大人たちは絶対音楽活動や方向性に介入してくるのが世の常だけど、ござさんに関わってた大人たちにはそういった動きを感じない。あくまでござさんの好きなように弾かせてくれてたのだろう、今のござさんのスタイルはそういった自由な経歴なしには成り立たない。

だからこそ、ピアノ奏者として大成(したと言ってももういいでしょう?)し、こんなふうにファンの支持を得て立派に演奏してる姿こそ、小さい頃からござさんのピアノの練習を見てきた人たちに絶対見てほしい、と思う。

こっそり運営側がこのアーカイブをDVDにしてご両親にプレゼントとかしてくれないかしら。サプライズ的な。無いか。

 

 

ネットピアニストの楽譜集に一緒に載った方々。

いつもお世話になっている事務員Gさん、いりすさん、ずっしーさん。

いつも交流されている菊池さん、ものはっぱさん、tjさん、gaoさん、ぜろいちさん。

もうどの人もネット上で有名になってしまった今、堂々と客席にはいらっしゃらなかったかもしれませんが。

そしてみんなそれぞれの道を独自に歩み始めてる今、方向性が違ってきた人もいるかもしれませんが。

「昔のネットの世界は顔出しすると別ジャンルの配信者になってしまうので手だけがデフォでしたね、顔出しタブーでした」という時代からのござさんを知ってる方々。

今ござさんの新たな旅立ちにあたって、その場に立ち会って門出を見守ってくださってたら嬉しいなというか……

 

ものはっぱさんも労ってくれていた。見に来てくれていたのかなあ。

※このツイートはサブアカ。ものはっぱさんは本アカウントのほうは

ものはっぱ / MonoHappa (@m0n0happa) | Twitter

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また菊池さんから感想もいただきました。ありがとうございました。

 

ピアニストさん達はそれぞれに演奏の特色が違うし、来てる仕事の内容もそれぞれだなーと思ってるので、菊池さんも以前のように気軽にござさんとコラボしたり、フラッとストピに現れたりというのはもう中々無いかもしれない。

でも自分の中で勝手に菊池さんの存在はござさんと二人でセットという設定なので、これからいろんな仕事が来るに従って方向性の違いが出てきたとしても、お互いリスペクトし合う存在としてこういう節目は見守ってくれてたらいいなあと思う。