ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

その① 逡巡する気持ち

 

ここしばらく、自分はござさんのピアノから離れていた。

7/17(土)のライブ以降。

 

 このブログのような調子で最近色々気になっていて、口を開けばござさんへの注文が飛び出すという具合に、考え過ぎなのではと思う位思い詰めていた感があったので。

 こんなに気になるのもござさんのピアノが気になるからであって、どうでもいいならとっくにファンをやめているだろう。いちいち調べ上げて問題点を指摘するとか、書いていて思うがそんな手間のかかる事、好きじゃないなら絶対しない。

 気軽にファンを辞められていれば楽なのだがそんなに単純な問題なわけもなく。

 5月ごろにも、ござさんのピアノが好きすぎてしんどいとか言って「聴くのをやめよう!」と決意するも、もう聴けないと思うと辛くてその次の日仕事場で下向いてずっと泣いていた始末。

 

「1か月くらいござさんから離れてみよう!そしたらもっと冷静になれるかも!」

こんな具合に決意したのはいいが、結論としてはどちらにしても無理だった。

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あまりにも生活の一部と化していたござさんのピアノ、それを避けるとなると物凄い違和感。

まず決意してすぐに生配信を聞くのをやめた。(珍しい曲の所だけコメントしてみた)

そうするとブログも必然的に新しく書かなくなる。

何しよう?

ピアノの練習しなくちゃ!

そうして膨大な自由時間を使うと、面白いようにピアノの練習がはかどった。あれほどつまづいていた曲の練習もみるみるうちに仕上がる。そうそうござさんなんか気にしないで……

しかし違和感ありすぎて、落ち着いて寝られない。しまいには、1時間おきに目が覚める不思議現象。高齢者か?かくして生配信の7/17(土)から4日目が限度、翌週火曜日ごろにあきらめてござさんの配信聴いてみたところ、おかしいな?気が付いたら台所の厄介な油汚れの類いがすっきりきれいになっているじゃないか。無意識に手が動いたようですけど………💦

 

いつもの前置きが長い問題。とにかくござさんからしばらく離れるのは諦めたので、これ以上余計なツッコミも詮索もせず、向き合えていなかったピアノを聴いて見て感想を書きます。(次の、その②のブログで)

上のブログで書いたとおり、仕事として成り立たないとござさんはピアノも弾いていられないのは間違いではない。しかしござさんはまず演奏を聴いてほしそうだったから、自分も斜めから見るのはひとまず横に置き、正面からそのピアノに向き合ってみる。

Twitterを見ていて、そう思ったから。

 

 最近、ある意味懐かしささえ覚える動画がTwitterに流れてきた。

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この解説欄の下に鍵盤が合成された解説動画、自分は散々こういう過去動画で聴きまくっていたので。ジャンルがちょっと違うかもしれないが。

 

  

これも、同じ部類ではないだろうか。(よく知らないけど)

 

しかし自分は「思ったことその③」の気分だったので素直にリプはしなかった。もっと別にすることあるでしょ、と思っていた。

 

さらにこのツイートを見たのがまさにモヤモヤしていた当日のため忘れていたが、よく考えると。

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確かに自分が上に引用した解説動画、他にも多様な解説をござさんは過去に投稿されている。Youtubeの再生リストにまとめられているだけでも36本。Twitterでの呟きのみなら音楽理論の投稿はもっと多い。 

要するに「解説するから、音楽についてみんなで考えよう!工夫するのも、楽しいですよ!」って言ってくれてるのかな。 

  

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「ストリートピアノみたいな演奏」って何だ?

要するに楽譜にとらわれない、自由に構成された、聴き手も弾く方も楽しめる演奏って感じだろうか。その境地に達するまでには膨大な、想像もつかないような練習量と知識、センスがいるはずで、並大抵のことではたどり着けないはずだ。

しかしござさんはツイートのとおり、「ピアノを、音楽を楽しんでほしい」っていう概念をまず持ってるのだろう。喋るよりも得意なピアノの演奏でファンとコミュニケーション取るというか、あくまで演奏そのもので伝えたいのだろう。

 

 

どっかのTwitterに書いたが、ござさんのピアノは目の前で誰かに聴いてもらってこそ。 

街角で、駅でござさんが弾くとピアノの音は踊るようにあふれ出す。

聴いている人はその腕前に感嘆する人、リズムを取ってノリノリの人、様々。

何よりござさん自身が楽しそうだ。

自分はその楽しそうな様子をずっと見ていたいし、聴いていたい。

 

(その②に続く。7月7日の七夕生配信の感想へ。(←予定))