ぼんやりとした不安が辺りに漂う。
自分はただの思念体で空気みたいなもんである。
これ書いてる時だけ現世にやってきて実体を持つ。
ピアノ練習してる自分は、まだまだ実体というにはほど遠い。楽器が鳴ってるけど鳴らしてるとはいえないポルターガイスト現象である。あー怖い。
※もう冬も終わりで関係ないですが、指先が冷えると言われていたので、以前はこんな手袋されてたからこういうのもありなのでは?(この配信の18分くらいから手袋はめてる)この時は二の腕まで袖をまくってたから寒かったのかもしれませんが。以前の部屋で、2月でしたし。
顔出しピアノ リクエスト受付中! / Piano live 2020/02/07 - YouTube
卒業の季節
世の中は卒業、そしてまた入学を控える季節。(※ただし欧米では9月に入学式だから季節が違うが)
学校を巣立っていく人たちを眺めながら、自分は卒業できたのか?って考える。
学生という職業はとっくにやめてるが、じゃあ何か得るものがあったのかといえば、何を一体学んだというんだろう。
高校までの学校という場所は、いわゆる教えてもらう場所だった。言われたことだけやってればよかった。学ぶというのは用意されたことを覚えることだった。
それから大学へ行ってみたが、ただしゆるーい学校だったが、先生は楽しそうだった。教えるのが楽しそうというよりは自分の好きな事を好き放題やれて楽しそうだった。自分のいたゼミは学校の中でも一番風変り、ガッチガチの点の取りにくい所として有名で、全く人気がなかった。しかし先生は専門分野の事になると途端にキラキラとオーラを発し、聞かれても無いのに語りだしたりしていた。
先生は、教えるプロというより学ぶプロだった。自分の好きな分野を追求して新しい事を発見することの楽しさを知っていた。
そういう姿を見て、今までの自分は指図されていただけだったんだと思い知った。じゃあ自分のやりたいことって何だ……?ゼミでやってた分野を飛び越えて本を色々読みたいことかな……?
それからの自分のモットーはこんなふうだ。
古今東西世の中のすべての事は本の中にある。文字ですべては表現できる。(ネットがあるから本は必要ない?ネット上にある情報は機動性はあるけどネット上に無い情報の方が圧倒的に多いはずだ。電子本になってんのはほんのわずか)
歴史、思想、科学、……文字で表されないことはない。政治だけは日々変わっていくから一瞬たりとも目を逸らしてはならないけど、政治の背景にあるものを理解せずにはそれを読み解くことはできない。
つまり文字から得られることは限りなく、一生かけて自分はそれを追い続けるだろう。
高1男子に言わせれば「母さんはしょせん70億人のうちの一人なんや」だそうだが、ほっといてくれ。自分が習った時は60億人だったぞ。そんなことはどうでもいいから、向上心を持って生きようと思っただけだ。
生涯学習って言葉もあるしな。
本というのは日本だけでも毎年70000冊以上新刊が出て、世界中でカウントすると毎日何冊発行されてるのかもわからない中どんどん絶版になっていく。自分が読んでいるのはその中のほんの一握り、世の中の片隅のほんのわずかな事象に過ぎない。
だから自分の中では卒業という言葉は、一生似つかわしくない、と思う。
そんな重症活字中毒の自分がある日ござさんのピアノを知って、なんでそこに傾倒したのか理由はわからないけど、本質的にピアノを追求してる気がしてそこに共鳴したのか、???自分が知った当時ペンギンかぶっててサングラス姿で素顔も正体も何も情報が無い中、ピアノで語るというか、ピアノで全てを表してるみたいなところに共鳴した、みたいな??
何か知らないけどあの音に無意識に引き寄せられる。
未だに生配信でも全然顔見せてくれないというのに。という点は全く自分にはどうでもいい。
でもござさんのピアノはああいうふうに自由にピアノでなんでも表現できたら楽しいだろうなあ、っていう純粋な夢が持てるのだ。
卒業がテーマの演奏には一段となにか思い入れを感じる。
ござさんなりに学生時代の想い出を込めてるのか。
介護職やりながらピアノ弾いてたことを思い出されてるのか。
中音域でシンプルに奏でられる旋律がストレートに訴えてくる。
色んなことがあったねと。
左手が映画のクライマックスからエンディングみたいに感動的。
そこにスポットライトみたいに華やかに光る左手のキラキラした高音。
ござさんの選ぶ曲はどれも時代を超えて名曲。最新曲でもござさんなりのこだわりを感じたりする。そもそも楽曲がどれも秀逸なのが揃ってる。
そこにテーマみたいな感じでござさんの演出が光ってて、1曲が1本の映画を観たような印象深さ。メドレーで通して聴いてるとさらに緩急自在に組み合わされた奏法に、思わず唸る。重厚な感動的演出の中にあらわれるswingのリズムとウォーキングベースやボサノバ風アレンジがメドレーに新鮮味を添えている。
みんなそれぞれこの季節には思い入れがあり色々思い出すこともあるだろう。
卒業する人は今までいたところに愛着と懐かしさを、またその時代はもう二度と戻らないということに一抹の寂寥を覚えるのだ。
ござさんは定番曲を弾いてくれながら、そんな複雑な気持ちを汲んでくれるかのように曲の展開に一風変わった音を入れ、含蓄ある味わい深い響きをもたせているようだ。
そんな音を聴きながら、自分は胸に去来する気持ちを噛みしめている。
様々な思いが色鮮やかなスライドになって昨日のことのようによみがえってくる。
星屑みたいな、宝石のようなもの
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい
愉快 になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛 を吹 きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼 の加減か、ちらちら紫 いろのこまかな波をたてたり、虹 のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光 の三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或 いは三角形、或いは四辺形、あるいは電 や鎖 の形、さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのでした。引用リンク:宮沢賢治 銀河鉄道の夜より
ござさんのピアノは真っ暗な空に無数に明滅する星あかりのように、夜空を埋め尽くす星の流れのように、季節は違うけど上の引用の天の川みたいにきらめきながらその流れは絶えることはない。
よく見ると大小の星たちは、青白くぼうっと光っていたり、ほんのり紫がかっていたり、ピンク色の星雲が見えたり、緑色に見えるものからアンタレスみたいな真っ赤な星まで、それらはまるで姪っ子が持っている宝箱に集められた綺麗な色の石みたいだ。
絶えず流れているござさんのピアノっていう清流のほとりに立ち、自分はそっとかがんで、透き通った川床にきらめいている星たちを手に取って持っていた駕籠に集めて回るのだ。
お気に入りの星たちですぐに駕籠はいっぱいになりそうだ。
でも星たちはきれいな川に沈んでいるからこそ美しく光るのかもしれない。
拾って集めるのはここまでにして、水面を通してゆらめいて光る様を自分は遠くから眺めて楽しむことにした。
川面は深い所でもどこまでも透明で、怖いくらいだ。
自分はまた大きい駕籠を用意して、きっといつかまた綺麗な川の流れのほとりに立ち、今度はもっとたくさん、お気に入りの色の星を拾って集めてみたい。
それまでは空に光る星たちを地上から毎日眺めることにしよう。
憧れの星も今から決めておこう。