ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

番外編:現代音楽とユーフォニアム

★★普段はこのブログでピアニストござさんについて書いてます★★

★★今回は番外編で、現代音楽と吹奏楽ユーフォニアムについて書きます★★

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

 

風聞

それは今年の5月も半ばのことだった。

Twitterのどこかで吹奏楽のコンサートの話題を見かけた(気がした)。

それがいつだったか忘れたが、その後コンサートの感想と画像がTLへ流れて来た。何で自分のTLに流れてたのか、この人が自分と同じくござさんをフォローしてるからか?自分がいつも吹奏楽関連のアカウントを見てるからか?それは知らない。

 

とにかくこのコンサートのパンフレットを、自分は食い入るように眺めた。

 

 

テーマは?

三善晃だ!
参照リンク:三善晃 - Wikipedia(みよし あきら、1933年1月10日 - 2013年10月4日)

現代音楽で名を馳せた作曲家。今回は吹奏楽曲を取り上げていたが、合唱曲の分野でも秀作が多い。

 

楽団は、東京佼成でもなくシエナでもなく、

現代奏造Tokyo。

(公式Youtubeチャンネル:現代奏造Tokyo - YouTube )

オール現代音楽プログラムだ!現代音楽専門の楽団なのだろうか。しかし自分はその楽団知らないけど……

 

しかもユーフォニアム協奏曲!

参照リンク:ユーフォニアム - Wikipedia

ユーフォニアムは、サキソフォンなどと同様に、楽器としての成立は19世紀に求められる比較的歴史の新しい楽器(管弦楽団の編成には入っていない)。主に対旋律や内声を受け持ち、BASS音域に豊かな音色と柔らかい音飾で彩りを添える。しかしソロ楽器としてはレパートリーは多くはない。

さらに今回演奏されていたのは委嘱作品、つまり今回初演。

 

どこを切り取ってもこのコンサートは攻めてる。

聴いてもないのになんとなくそう思った。

 

ここで、演奏聴いてもないのにイメージだけで評価するっていう自分の悪しき習慣が邪魔をした。つまり"何となく凄そうやな"と思ってそれ以上追及するのをやめたのだ。

何となく前衛的な楽団のコンサート、何となく凄そうなソリストの人という無難で一般的なイメージに落ち着き、それ以後自分の興味の範囲からはしばらく姿を消していた。

コンサートは東京のことだーーそう思うと、どこか外国での出来事のように思えて現実味が薄かった。

 

 

現代奏造Tokyoーー時代を拓く

吹奏楽団というコミュニティが持つそれぞれのカラー

その後自分がこのコンサートのことを思い出したのは、あれから1か月後、Youtubeに演奏動画が投稿されていたからだ。聞きに行けないのは残念だなーと心残りではあったため、思いもよらない動画の投稿に自分は胸が湧きたった。

(繰り返すが)公式チャンネル:現代奏造Tokyo - YouTube

ここでYoutube動画のライブ録音についてわざわざ言及するのは、ホールに聴きに行けないと分かっているロケーションだったからであって、本来は音楽は全て演奏される現場で生の音を聴くのが一番贅沢かつ最上の楽しみ方だ。しかしすべての公演をすべてのファンが現地で楽しめるわけではないので、ここでは地方ファンがYoutube動画を聴いてみたという前提に書いていく。

※自分のネット環境はデスクトップパソコンに有線ヘッドホン、周辺機器としてサウンドカードを接続してサラウンド音声にして聴いている。(画像参照)

 

自分がいつも推してるのは大阪市音楽団、愛称オオサカシオンだ。100年の歴史を持つプロの市営楽団、その気風は柔軟にしてリベラル。

日本を代表する吹奏楽団としてはこのオオサカシオンと東京佼成ウインドオーケストラシエナウインドオーケストラの3大楽団がある。

自分が学生時代からCDやラジオで追いかけてきたのはこれらの楽団であり、海外の楽団を除くとほかの団体は全く存在を知らなかった。なぜなら、これらの3大吹奏楽団と他団体には、演奏内容に海よりも深い溝があると思っていたからだ。

それほど自分は、3大吹奏楽団の実力を揺るぎない絶対的なものとして信頼していたし、追随し得ない境地を極めた人たちの集団として畏敬の念を抱いていた。

 

特筆すべきは楽団単位というより個人の演奏

結論から言おう。

このコンサート動画をYoutubeで聴いてみようと思った動機は曲目が三善晃だったからであり、またユーフォニアム協奏曲がメインコンテンツだと目したからだ。

そんな先入観に凝り固まっていた自分だが、演奏聴いてみて、取るものもとりあえずこれを書いている。新鮮なその時の気持ちというのは大事である。

自分の中では現代音楽専門の楽団ということは看板はそのレパートリーの革新性であり、あまり知られていない演奏機会の少ない曲を世に紹介することを目的に活動しているのかなという認識があった。

結論としてはそれは間違いではなくその通りだったと思うが、しかし自分は演奏自体に仰天した。

映像を通してだけではない、それぞれの奏者が楽器を鳴らして聞こえてくる音が、理屈抜きに素晴らしい。気に入った。惚れた。一目でファンになった。この辺、語彙力が死滅してるので説明できなくて幼稚園児みたいだけどしょうがない。聞いた事ない楽団だったけど、第一回定演も2016年と新しい楽団みたいだけどそんなことはどうでもいい。

現代音楽の難曲ばかりをレパートリーとするアグレッシブさとそれをものにする技術にも驚嘆するけど。

 

音楽って音ひとつ、ロングトーンひとつで物語がある。それは建前と思ってたけどこの楽団の演奏は集団としてまとまりながらも、ひとりひとりがソリストみたいにはっきりとした自我をもって主張する、個性ある音の集まりだった。

抜群に安定した音程、pppからfffまで自在に操るダイナミクスレンジ、丁寧で美しいアーティキュレーション、そして妖艶なまでの表現力。(日本語おかしいかもしれないが素人の表現なのでご容赦ください)

それはプロとして当然の演奏であり取り立てて書くことではないのかもしれないけど、実際にここまで訴えかけてくる演奏は管打楽器編成では自分は見たことがない。

プロの世界には上には上がいる。技術的に言えば上手いとされる奏者は世の中に数えきれないほど存在するし自分も今までそんな素晴らしい演奏を数えきれないくらい聞いてきたつもりだったのだが、そういう技術や表現力、という通り一遍の基準では表現できない、…………

楽曲を究めようとするかのように対峙する姿勢、その研ぎ澄まされた目には高潔という表現がよく似合う。

 

現代音楽への眼差し

現代音楽は、現代美術と同様に、抽象的な表現が特徴でありリズムも難解で、知名度も人気も高いとは言えない曲が多い。クラシック音楽はある程度市民権を得て来たように思うが、現代音楽はまだその域に達するには程遠いと言っていいだろう。

芸術とは。前衛的である間は現代音楽なのだ。今では巨匠と称されるストラヴィンスキーの楽曲も初演では大きな物議を醸したし、もっと言えばベルリオーズ幻想交響曲も、さらにさかのぼるとベートーベンの作風も当時としては革新的、だったはず。

時代に受け入れられるまでは、芸術は前衛的という称号を授けられて大衆文化とは一線を画したどこか高尚な存在、と位置付けられ、一段高いところに置かれて腫れもののように誰も触りに来ない……または芸術とみなされず誰にも顧みられないまま打ち捨てられる……という不遇な境地に甘んじているのが現状だ。

 

それらのまだ世間一般に評価が定まらない、一般に知られていない名曲を積極的に演奏会で提案していく。

実際に客席で聴いてもらう。

そうすることでまだ未知数な楽曲の解釈を提示し、世間に楽曲への評価を広く問いかけるという意義もあるだろう。

現代音楽とはその名の通り今の時代をリアルタイムで生きている曲であり、どう表現するか、どう感じるか、それもまたその時代が作っていくものだ。

曲の歴史は演奏されるごとに変遷を経て彩られていく、その1シーンを堂々と担っている、そういった気概がステージの奏者一人一人から強烈に感じられた。

 

この楽団は、そういった志を抱いた人たちの集まり、なのかもしれないと思った。あまりにも、音もリズムも冴えわたっていたので。

実験的なレパートリーの数々から推察するに、この楽団は単体では商業的に存在し得ないと思われる。すると、楽団員はそれぞれに本拠地として所属があり、現代音楽に携わるという目的のためだけにここに集まってきている有志のひとたちなのかも……

そう思うとこの驚愕の演奏レベルにもおのずと納得がいくというものだ。

ほんの一瞬のフレーズ聴いただけでも、

ただ者ではない。と背筋が寒くなるような……

見た目若い人ばかりというのに。つくづく、世の中の若手演奏家、という呼称がどれだけいい加減であてにならないかというのを学んだ。

 

 

※コンサートの演奏曲リンク:

三善晃吹奏楽民には、コンクール課題曲の作曲者として有名だ。もちろんその膨大な作品にはそれ以外にも名曲が多いけど。今回の曲でも、深層の祭と吹奏楽のための「クロス・バイ・マーチ」はコンクール課題曲である。しかしどちらも、中高生がメイン参加層のコンクール向けとは思えない難易度。深層の祭は1980年代、クロスバイマーチは1992年。しかし今聞いても斬新である。

三善晃/吹奏楽のための「深層の祭」 - YouTube

三善晃/吹奏楽のための「クロス・バイ・マーチ」 - YouTube

 

題名は若者のイメージとアトランタオリンピックをかけている。若い人向けに書かれた曲とされているがしかし、その本質は内省的で哲学を感じさせる。

三善晃 / スターズ・アトランピック’96 - YouTube

 

また他の作曲家の作品も取り上げられていた。

この曲は金管2管編成のアンサンブルの曲のようだ。金管だけで弦楽五部に相当する、珍しい編成で、各奏者の妙技が堪能できる。金管アンサンブルというと超絶技巧を売りにした演奏会はよく見かけるが、この曲は編成も珍しいが、構成の中心に据えられているのはロングトーンと、それらから成る不思議な展開の和音。

西村朗 / 秘儀Ⅵ〈ヘキサグラム〉Akira Nishimura / Higi Ⅵ “Hexagram” - YouTube

静謐な精神世界を体現したような、厳かな空間が広がっている…

 

※フルートの協奏曲もあったがここでは触れない。自分が学生時代に木管楽器だったため、私情が入りすぎてコメントできないから。

 

日本人の作曲家でいえばほかにも推し作曲家は間宮芳生とか酒井格とか田中賢とか、大栗裕に兼田敏に保科洋に伊藤康英に、……きりがないのでやめる。

 

しかし現代音楽が好きだからといって、ではPOPS曲の吹奏楽コンサートは聴かないのかというと、自分の地元でそういったイベントがないだけだ。

それらの興業的意図としては吹奏楽コンサートや楽器の生演奏を普段聞かない人へ向けて、演奏の現場へ足を運んでもらうきっかけとしては非常に意義があると思う。ドラクエコンサートとか、ジブリの曲の演奏会などがいい例だ。

また、対象年齢を子供に絞って親子のふれあいコンサート等と銘打ったイベントも、子供の頃から生の音に触れてもらういい機会である。

それぞれの分野の音楽、演奏にはそれぞれの楽しみ方があり、色々な人に幅広く音楽に親しんでもらいたいという目標はすべてに共通していると思う。

 

この記事で現代音楽について書いたのは、それらの多様な音楽ジャンルの中で、もっと一般社会に啓蒙する余地があるのでは?と感じたから。

音楽の視聴方法がネットでのサブスク全盛となる中、恣意的に選択して聴かないとこういう音楽は耳に入らなくなりつつあるので、あえて書いてみた。

 

 

さて、この記事のメインコーナーはユーフォニアムである。

 

ユーフォニアムという楽器

アンサンブルの中での立ち位置

そもそもこのコンサートのツイートがなぜ自分の目を引いたのかというと。ユーフォニアム協奏曲がプログラムにあったからという理由も大きい。

ユーフォニアムが活躍する曲、ということならマーチの対旋律でよく使われるし、展覧会の絵のヴィドロ(牛車)ではソロがある。しかしユーフォニアムの協奏曲となると、自分の知る限りでは片手で数えるくらいしかない。

 


(画像引用:ユーフォニアム - Wikipedia )

 

オーケストラとか吹奏楽という編成の中での立ち位置としては中低音、もっと言えば内声を担当している音域といえばいいだろうか?

弦楽セクションでいうチェロの音域。(たぶん。)ユーフォの下はチューバ、上はホルンとトロンボーンという音色の違う中音域の金管楽器がある。

ユーフォのルーツはサクソルン属である。サキソフォン=サックスとなんか似てる響きがするがサックスは木管楽器、ユーフォは金管楽器で別物である。

ベースラインを担当するチューバなどのBASS音域と中音域の中間で和音を形成する楽器で、旋律を担当することはあんまりない。

この曲(部分を頭出し済み)のように和音の響きを支える役割を果たしてる。

三善晃 / スターズ・アトランピック’96 - YouTube

 

・・・よくわからない?

そうですね、説明足りないですね。

 

ここで全然関係ない動画から、ユーフォが何やってるかを考察してみよう(頭出し済み)
【完全版】千葉ロッテマリーンズ x 習志野高校吹奏楽部|2023年6月23日@ZOZOマリンスタジアム - YouTube

この演奏を見てみよう。なんでこんなに響きに厚みがあるのか、球場のBGMと応援団の声量が爆音で響く中、なんで演奏がこんなにはっきり和音で聞こえるのか?

それは上の段から順にチューバだけで12人、トロンボーンが約20人、打楽器の下段にユーフォニアムだけで約9人、その下段にホルンだけで約20人という充実のラインナップ(しかも彼らは個人での演奏も光ってる)。この辺の中低音の人数を削ってないからきっちり和音が倍音を伴って聞こえてくる(のだと思う)。音が立体的に聞こえるのはそういうわけだ。(※この場合は所属する部員が全員出演するとこの人数になるという事情もある)

はっきりいって旋律やってない楽器はいまいち何やってるのかわからないと言えばそうだが、しかし楽曲の中ではこのように確固たる役割を果たしているのだ。中低音がしっかり支えてない演奏は薄っぺらい紙みたいな脆弱な音になりがちだからだ。

 

それから、和音を構成していることともう一つ、ユーフォはトロンボーンなどと共に、対旋律という重要にして魅力的なパートを担当することが多い。ベース音域より少し高い音で、マーチのいわゆるBメロの裏でもう一つの旋律を担当するのが対旋律である。

(参考動画:対旋律パートを頭出し済み)

1991年度課題曲(D) そよ風のマーチ - YouTube

キング・コットン / J.P.スーザ King Cotton / J.P.Sousa - YouTube

雷神/J.P.スーザ - YouTube

 

 

 

ソロ楽器としての顔

繰り返すが、この記事を書こうと思ったのは協奏曲のユーフォの演奏を聴いたから、というのもある。

 


前述の通り、自分の中ではユーフォはソロ楽器ではなく和音を構成する中低音パートだ。(ソロ奏者としてスティーブン・ミードなどが有名だが)

でもユーフォの音を単体で聴くのも大好きな自分としては、こうやってステージでそこに焦点を当てて取り上げてくれるこのコンサートの趣旨に心底賛同したいので、この記事を書かずにはいられなかったというわけだ。

なんで自分はユーフォの音にそんなに思い入れがあったのか?というと、動機は学生時代の部活の顧問の先生がユーフォ専攻だったからだ(音大で専攻してたらしい)。

丸みがあり、あたたかな柔らかい音。

牧歌的で素朴な響き。

どこまでも優しく包み込んでくれるような包容力。

自分はどの楽器にも思い入れがあるけど、このトランペットにもホルンにも無いユーフォ独特の音っていうのが大好きなんだ。

それなのに、大編成の演奏だとたいてい和音の中に埋没してて、耳を傾けようにもはっきり聴き取るのは難しかったりする。しかしここがしっかり響いてないとその演奏は薄っぺらいものになるのは前述の通りだが、それにしてもちゃんとはっきり聴きたいものだ。

 

というわけで、ユーフォに焦点を当てた、協奏曲という形態でコンサートで上演され、しかもそれがYoutubeで公開されてるだって!!???と自分は俄然色めき立った。コンサートが気になりつつもやっぱり東京は遠いしなー、で終わってたのが実際に聴けるとあって、その時手にしてたものを何もかも放り出して自分はYoutubeにかじりついた。

(※協奏曲だけじゃなくて、この曲でも(該当部を頭出し済み)ユーフォのソロがある)

西村朗 / 秘儀Ⅵ〈ヘキサグラム〉Akira Nishimura / Higi Ⅵ “Hexagram” - YouTube

 

その演奏はミードのような名人芸の域に達した凄腕というのではなく、しかし自分が従来抱いていた吹奏楽におけるユーフォの音とは一線を画していた。

確かに柔らかくて優しい音色がする。

でも一本透った芯がはっきり見える。

骨格を太く組みながら…

あくまで思慮深い音。

 

濃い紺碧の湖を思わせる、深く艶やかな、どこまでも黒に近い青。

 

華麗な煌びやかさを誇示したりせず、実直で地に足がついた音。

 

かげろうのようにゆらめきながら、青白く燃え上がる内なる炎。不思議と触っても温度は感じないのに。 

 

 

ちょっと自分の感情は複雑だ。

東京の楽団だからコンサートに行けないとしても、じゃあCDとか買って支援しようかと思いきやそういうのはリリースされていなかった。どうしろというんだ?

 

とにかくうどん県という辺境の地では、こういう前衛的なコンサートは実現し得ないので、youtubeで楽しませていただきます。申し訳ございません。

 

 

でも、この動画見て思い知った。やっぱり、生の演奏に勝るものはない。

人生いろんなターンがあって、いつもコンサートの現地に足を運べる人というのは限られてるかもしれないが、でもいつかどこかで、そのうち機会が巡ってくるから、やっぱり生の演奏を聴きに、コンサートとかイベントとかに訪れて目の前で繰り広げられるパフォーマンスをきいてほしいなあと思うのだ。

有料イベントを現地で聴くことはすなわち演奏家を支援することにもつながるから。

コロナの流行による行動制限はいまのところ撤廃されている。しかし実際に感染は再び広がりつつある(自分のまわりでも)ので、現地に訪れる際には感染対策を講じることを前提としながらも、そういったマナーを遵守して、音楽と生演奏という文化を大切に守っていきたいと思う。

(田舎民には行けるコンサートは限られてるので、あくまで一般論で述べる)