ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

人間万事塞翁が馬 

 

思わず、勢いよく拳を振り上げた。

でもその拳をどこに向けるわけにもいかず、行き場がなかった。

ござさんはピアノにその気持ちをぶつけていたみたいだ。

 

しょうがないので自分も、この記事にありったけの気持ちをこめて叩きつけといた。

 

ござさんはコロナ感染のためBEMANIコンサートに出ることができなくなった。

それが分かったときのご本人からのツイート、どんな思いで書かれたか。また事務員Gさんと瀬戸さんに出演を依頼されたことから、当日も出されたお礼とお詫びのツイート、あれも本番(の配信)をどんな思いで見ておられたのか。

 

ござさんの味わった悔しさ、それは単なるファンに過ぎない自分にはわかるはずのない感情なのだ。

 

あの時立つはずだった、立つことの叶わなかった場所。

そこに集結していた、昔からござさんが弾いてきた曲に縁(ゆかり)のある方々。彼らとの共演という夢の舞台。

そのために仕立てたのであろうとっておきの一張羅。

この舞台に向け、寝食を惜しんで、血の滲むような練習を積んできたに違いない難曲の数々。

 

それらが自分の意思ではないところで目前にしてその手から奪われた時の衝撃を考えたとき、自分はとてもござさんにかける言葉は思いつかなかった。

ただ、部屋からも出れず病気の症状で苦しみつつ、一人この事実に泣き伏しているであろうござさん。自分は黙ってそっとハンカチを差し出したかった。無理だけど。

 

掴もうとしてその指から蜻蛉のようにすり抜けていった夢。

形になりそうで雲散霧消していった、かつての演奏の幻影。

 

久しぶりの、6/21のYoutube生配信。

「咳が残ってるだけ」と称して(それまだ症状が残ってるじゃないか)、配信の場に、自分らファンの前にござさんは姿を見せた。こうして冷静に事情を説明して挨拶し、ピアノを弾く配信に顔を出す心境に至るまでには、血を吐くような葛藤を乗り越えてきたはずだ。

 

……冷静に事情を話す?

ちっとも冷静じゃなかったですね。

でも、もう言っても詮無いことです。

過去の話なのです。

現実には終わった話です。

 

だから配信っていう自分の庭というか、ござさんとファンが集う空間では(初見さんもいらっしゃったとは思いますけど)、「喉まで出かかってるはしたない言葉」でも何でも聞くので、思う存分鬱々とした気持ちでも憂さ晴らしでもぶちまけていただいて良かったんですけど。

何でも聞いたのに。

 

 

ファンとしても、悔しかったわけです。

ござの日の緊急事態宣言に伴う無観客化とは事情が違います。

イベントの由来からしてもござさんが1番楽しみにしてたとは存じますけど、ファンの端くれとしてもござさんが音ゲー界の公式イベントなるものに招待されるという事実は誉れであり、参加されるメンバー、演目からしても歴史的コラボになる予感でした(自分は音ゲーのことはよく存じませんでしたが)。

 

自分のモットーとしては、ござさんの演奏は生演奏で聴くと衝撃の印象を受ける。ネット経由で聴く音とは全く別次元で、これを音ゲー界の方々が目の前で聴いたら絶対びっくりするに違いないと、まるでドッキリテレビを見るようなノリで楽しみだったのに。

いや、音ゲーの名曲をタキシード着て弾くござさんの演奏を、その感動を生で純粋に分かち合いたかっただけだったのに。

 

ファンにとっても、そういった幻影は目の前で儚く姿を消したんです。

 

ござさんの悔しさは自分らファンの悔しさです。

他人行儀にかしこまって挨拶してくださらなくても…やりきれない気持ちは配信に置いていって、切り替えて次に進んでほしかったんです…

 

でも、ござさんは律儀に「ご迷惑をかけた皆様、そしてファンの方々へ」とお辞儀しながらもやっぱりいつものござさんであった。

 

気持ちは全部ピアノで語られていたのだった。

 

使ってる和音がいつも以上にひねってる。おなじみの曲も複雑な響きがして、ちょっと立ち止まって考えさせられる。

明るくて素敵な曲もそこに込められてる深い意味を感じる。

喋る声は抑揚もなく不自然に感情が平坦だった。でもその分、ピアノに全振りしている風だった。

和音も、アレンジの展開も、ひねってて奥行きがある。

 

ピアノってなんだろう?

ござさんは、なんで存在してるんだろう?

なんのためにピアノ弾いてるんだろう?

 

ねぴふぁびのござさん。

ござの日ライブで立っていたござさん。

それから今日配信で見てるござさん。

みんな違うんだ。

ござさんって今までのありえない量の練習によって成り立ってる存在だし、

毎日ちょっとずつ違うござさんになってるから。

 

自分も昨日の涙は昨日に置いてきて、

次のござさんはどんな風なのか楽しみにしながら応援するって決めた。

 

悔しさを話の表面で取り繕っても、正直なござさんは何も隠せていない。

使ってるシンセ音源が響くタイプのもの、だけではないだろう。

憂いを含んだ曲調が無言で訴えてくる。

跳ねるようなウキウキする曲の裏にも艶消ししたみたいな、トーンを抑えた渋さが隠されている。

聴いてるだけでござさんの気持ちがダイレクトに伝わってきて、配信の最初の音から、どの曲も、自分は涙なしに聴くことはできない。

 

だいたい選曲に全ての意味はこめられてる気がする。

夏メドレーがいつものラインナップと微妙に違う。そしてどれも夏を代表する歴代の名曲揃いなのに、暑い季節のテンションアゲアゲのノリのはずなのに、メドレー全編にそこはかとなく哀愁が漂っている、気がする。

 

そして「梅雨だし、配信できてない間に梅雨終わっちゃう勢いだし」とか言いながら何気なく始まった雨の曲メドレー。

これこそ叙情にあふれていて、まるで今は雨だけどいつかは晴れるんだよってござさんに言われてるみたいで。

蔭があるからなおさら音が美しく聞こえる。

どの曲も聴いてて鋭利なナイフみたいにグサグサ気持ちに刺さる。

 

それでダメ押しにSummer Rainときた。致命傷だ。それは第一回ねぴらぼの曲じゃないか。あれでマスクだけのござさん初めて見て「誰?」ってなって、セッションも有料ライブも初めて聴いて色んな意味でカルチャーショックだった思い出の曲、メンバーもみんな大好きなんだ。

大好きすぎて自分の時間というか原点はそこから動けないままだ。携帯待受もあれのまま変えられない。

 

 

聴いててなんだか「ござさんは1人で何でもやってるけど1人じゃないんだ、ピアノ界の色んな人と支えあって、切磋琢磨して来ての今があるし、これからも1人じゃない」って思えた。

物理的にだけではなく気持ちの面でみんな繋がってるというか。

 

さらに「レパートリーを維持しないと」って名目で始まったござさん自称最近の曲メドレー。はい、最近の定義が何かはともかく、レパートリーをメンテナンスしないと絶滅危惧種はたくさんありますのでぜひその維持活動に努めていただきたいところです。

これもどの曲も一歩立ち止まって考えさせられるアレンジになってることに変わりはない。

 

まだこの辺は「だいぶ配信の勘?を取り戻したような…」と冷静に語られていた。自分はもう動いて喋ってるござさん、ピアノ弾いてるござさんが見られたことで満足だったので、配信で何弾いてくれても何でも良かったのだけど。

 

ただやっぱりずっと咳き込んでいたし、わざわざスイッチ切ってまで咳き込んでたし、何も症状は収まってないじゃないかと思ったけど。

見てていたたまれないのだけどそういう風に思うのがござさんには「過剰な心配」と取られそうでいやなので、ここでこっそり呟くにとどめておく。

 

(しかしフォロワー数、視聴者数が増えてから以降はTwitterでも配信でも礼儀正しく、ファンに対して平等でありたいからか発言にものすごく気を遣っているのが見てとれた。そのぶん本音とか感情があまり見えなくてファンからは推測するしかなかった所がある)

 

でも今日のござさんはトークこそ表面を取り繕っておられたけど端々でありったけの感情をぶつけられてたし、というか演奏に全てが現れていた。そこに激情家の片鱗が垣間見えて、あーいつも冷静な人ってだけじゃなかったんだと思って人間らしさを感じたというか。

ただ、本音を言わずにはいられなかっただけなのだろう。

 

もっと感情ぶつけてくれて良かったんですけど。何でも黙って聞きますけど。それじゃ初見さんがびっくりするからだめですね、そうでした。

 

このことでござさんには計り知れない損失だった。そうかもしれない。でも過去のことを言ってもしょうがないし、回り道にも意味があった、そう思って次の道を進むしかない。

 

新調されたと語られていた正装のスーツ。

またその衣装でステージに上がられる場面を楽しみに応援しようと思う。

それがどんな舞台なのか?まだ分からないけど。

 

ストピやミニイベントでファンの人と楽しく交流されてるのもまたござさんの本来の姿だが、まだ自分も見たことない舞台で、かっちりスーツでキメて演奏するところも楽しみです。