ござさんの魅力を語る部屋

ピアニストござさんについて、熱く語ります

夏の終わりと、まちがいさがし/ Piano Cover動画

 



ござさんのYoutubeチャンネルで久しぶりに新しい動画が投稿されていた。前回のTank!の動画が6月だったから、2か月ぶりだ。

 

 


今年の夏、ござさんは1週間ごとに別の本番のステージに立つという具合で多忙を極めていたので、その間Youtube配信を挟んでくれながらも(それもすごいことですね)、投稿された動画を眺めると、どこか懐かしい感じがした。

なんだか久しぶりに会ったみたいな感覚(別にストーカーじゃないです)。実際はTank!と同じスタジオ、弾いているピアノもたぶん同じもの。だから夏の終わりに再会したんじゃなくて、Tank!のとき、6月の演奏にもう一度出会ったってことになるのだけど。

理論上は、というか時系列的には。

 

しかし物事はそんな論理通りには解明されないこともある。

というか……

演奏はあのときの、Tank!弾いた日と同じと分かってるがしかしピアノの演奏ははっきりと時間の流れを感じさせてくれる。

ござさんのピアノにはいつも季節の移ろいが織り込まれてるのだ。

これは投稿の季節をも踏まえて、撮影時そういう解釈で演奏されたのだ、きっと。

自分の勝手な意見だけど。

でも、音楽というか芸術は鑑賞する側によって様々な解釈があるじゃないですか?見る人の数だけ解釈が違うのが、音楽、芸術ですよね。

 

 

というわけで勝手に独自路線で解釈する、「まちがいさがし / 菅田将暉 Piano Cover 」動画の感想です。

 

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ござさんと夏

少しだけ色褪せた麦わら帽子のリボン。忘れ去られたように物干し場で揺れる、浮き輪とビーチサンダル。

日々短くなっていく夕焼け、暮れなずむ時間。

ひぐらしが遠くで鳴いている。

少し寂しい、名残惜しいような気分。

 

あの楽しかった時間は願っても戻ってこない。

 

ござさんの体験した今年の夏のかけがえのない時間といえば。

勝浦の海の見える場所でのコンサート。

翌週には新宿でSummer Piano Junctionに出演し、

その週末には新潟の湯沢に弾丸日帰り行でフジロックフェスに出演し、

翌日東京に帰り打ち込み音源を直前に作ってネピサマ配信。

今月末にはまたSTAND UP! CLASSIC FESTIVAL 2023 ONLINEが控えてる。

 

この夏を振り返るにはまだ早いのかもしれないが。

 

ござさんにとっては初共演の演奏者の方もいた。

フジロックフェスとかは、イベントの趣旨としても、場所も、生まれて初めての環境だったと思うんだ。いろんなシチュエーションで、色々な客層の聴衆に、しかもハードスケジュールの中、舞台の上で最高の演奏を届けていた。(現地で聴いてないから想像だけど)

踏んだステージの数だけ、味わいを深めていくピアノの音。客席からのオーディエンスと相互に呼応しながら、彼らのリアクションに半ば確信に近いものを掴みながら……

ロックフェスでは観客と自由にコール&レスポンスしあうことで、自分たちの持つ音楽のグルーヴ感みたいなのを共有できてると、肌で感じられたのではないか?そういうふうに、より生の感覚で実感されたんじゃないかと思う。有観客の公演ならでは、フェスならではの一体感。

 

ござさんの作り出すピアノの世界は、めくるめく色彩にいろどられた絵巻物のように美しい。

聴く人は様々な物語をその音楽の中に目撃したことだろう。

コンサートホールのステージに、客席に、また大自然のフィールドに、煌びやかな音がアラベスク紋様のじゅうたんみたいに隈なく散り敷かれていく。

 

音は糸のようにしなやかに伸び、また緻密に構築されて複雑に絡み合う。

時間と空間を軸に座標をとってさらに見えない方向に延びる四次元のマトリックス

 

ござさんは見て聴いてきたものすべてを貪欲に捕食しているかのようだ。これらの公演を経てござさんの音にはえもいわれぬ深みが加わった。

 

自分の実際の感想は、多忙の中、合間を見て行ってくださってるYoutube配信が回を追うごとに素晴らしくなっているというのが実際のところだ。

色々なステージでの経験はその都度、Youtube配信やツイキャス練習配信に反映され、ござさんの手数のうちに落とし込まれている。

現場で見聞された様々な演奏を、ご自身の独自のコード進行とかアレンジに沿うように微調整されながら、丁寧にこまめにインストールされているように見受けられる。

 

 

ござさんの夏の思い出の風景はひとことで言えばこれなのだろう。

Pianoに映りこむ山の翠色。菊池さんと踏んだ大舞台。限定品らしい、公式グッズのTシャツ。

 

ござさんの感性は乾いたスポンジの様に、興味ある事柄をとめどもなく吸収していく。

実際にその目で見、その耳で聞いてきた現場は、ござさんにはどのように映ったのだろう。

 

 

動画が語るもの

いつもござさんの動画はピアノに始まり視聴者への無言の礼で終わる。何も発言があったり概要欄に詳しい解説があったりすることがないのはいつもと同じ。

 

ただ動画に描出された画面が印象的というか、色の彩度を極限まで上げているからか、紺色のマスクが空の青色に見えるくらいに見えた。

(↓もう一度リンク貼る)

 

 

年代物の家具のようにいぶした色に光るピアノ。

ピアノの本体の、金属の弦と骨組みが濃い褐色を帯びていて、まるで斜陽の光が反射しているように……

このスタジオには窓は無いかもしれないのに、夏の夕日が差し込んでいるかのような錯覚を覚える。

カラーになったばかりの時代の欧米映画のような、郷愁を覚える古めかしい色調。

 

(※例:1939年公開のアメリカ映画、風と共に去りぬ)

(カラーになったばかりの時代は、日本でいえば、幸せの黄色いハンカチとかの山田洋二監督の時代でしょうか?よく知らないけど)

 

 

ひとことで言えば、まちがいさがし動画の画面は懐かしいイメージだ。

画面から受ける印象も古めかしいが、郷愁を思い起こさせるのは、なんといってもピアノの音だ。

 

俳優の菅田将暉が連ドラの主題歌として歌ったこの曲は、米津玄師にプロデュースされている。海の幽霊とかパプリカとかカイトとか、ほかにも他者へ楽曲提供された米津玄師の曲は多いが、この曲も歌詞に、また曲の展開にその作風がありありと感じられる。

………という割には自分はこの曲を知らなかったし、というか菅田将暉を知らなかったし(テレビ見ないし)、そして、この2020年の冬に投稿されてる米津玄師メドレーのストピ動画にはサムネにまでまちがいさがしの曲名があるのに忘れてたし、というくらいにはこの曲を知らかなかった。

 

 

ござさんは米津玄師の曲を配信でもメドレーにしてよく演奏してくださる。ほかにも菅野よう子氏の曲とかもメドレーでよく配信で耳にする。ござさんは曲のアレンジに携わる身として、彼らの作風に共感し、敬服し、そして傾倒しているからだろう。これだ!という和音の使い方とか、また和音進行とかにしびれるものがあるのだろう(たぶん)。

 

しかし今回突然自分が動画の感想を上げているのは、なぜか今回の動画には感じるものがあったからだ。なんで今回だけって言われてもわからないんだけど。とにかく書く。

演奏されたのは6月で、動画から懐かしいイメージを受けるのは、聴いてる季節が夏の終わりだからというバイアスを通してるからだっていう事実はあるんだが。

而してござさんは季節に即した演奏も得意とされてるがその調節は完全に手の内に掌握されてるようなので、聴く季節を夏の終わりに想定して演奏するとかいうのはお手の物だったと思われる。8/6の生配信では真冬の曲とか演奏されてたし、自由自在ぽい。

7月お疲れさまでしたリクエスト募集中! 2023/08/06 - YouTube

 

 

冒頭から、ゆるやかにひとつづつ、丁寧にピアノで和音を響かせて語られる旋律。

原曲だとボーカルが静かに、朴訥な思いを吐露するように歌い始めるところ。

 

ござさんはさらに、ピアノでそれぞれの和音を聴きながら、その響きを確かめながら、一歩ずつ踏みしめるような足取りのごとく、鍵盤を押さえていく。ピアノから聴こえてくる音、それを噛み締めてそこに更にござさんのの思いを乗せるかのように……

 

ござさんがゆっくりと踏み出す足取り、それを画面越しに和音を確かめながら、自分もゆっくりと歩んでいる、そんな錯覚に陥る。

夏の思い出をひとつひとつ取り出しては反芻しながら。

ござさんにはござさんのこの夏の思い出があるだろう。

 

見てるファンにもそれぞれ思うところがあるはずだ。

過ぎ去った季節、あの眩しいくらい輝いていた時間はもう戻っては来ない。

寂寥が心の片隅に巣食って立ち去らない。物悲しい気分に耐えかねているところに、そっと寄り添って静かに語ってくれているような、そんなピアノ。

思索の泉は、静かにとめどなく湧き出て尽きることがない。

 

AメロBメロ、サビと続いて(たぶんオリジナルの)間奏部分に左手のアルペジオを載せながら、右手はずっと同型の分散和音で少しづつ調が動いている。その後の高音でささやくように繰り返されるサビの旋律も、立ち去る夏に傷ついて壊れそうな心を細やかに表現してる……

季節の移ろいにためらい逡巡する、繊細な感情の発露をこれ以上なく見事に表現されていると思うんです……

 

そのあと地響きのような低音の一撃とともに、激情に任せて奔流に身を委ねるかのような展開になだれこんでいく。

ござさんは稀代のストーリーテラー、音楽による語り手であり起承転結を知り尽くしているから自分はそこでこの動画でのサビが次に来ると分かっているけど、この劇的な展開に感情を鷲掴みにされずにはいられなかった。

壮観というべき奔流を前にしては、逆らわずにただ流されていたいんだ。夏と別れる寂しさに我慢したりせずに慟哭していたいんだ。

左手が跳躍してBASS音域を厳かに響かせる。そこから旋律と逆行して(たぶんオクターブで)低音域が下降していってさらに迫力を増す。

(この低音域の下降形、ねぴふぁびで菊池さんがファランドールにねじ込んでたと思う、いきなり関係ないことですいません)

原曲と同じ(自分の中では)有名な終止形で最後を飾るのかとおもいきや、その後ござさんの独自の解釈が付け加えられていた。

 

サビを転調させていった先の疑問形みたいな解決しない響きで旋律を複数回、そして低音に支えられて、夏の最後の残照のようなきらめく高音部をそっと置いていく。

それらの音を掛け合わせてペダルの工夫で残したまま、残響が静かに消える。

気づいたら早まっていた日暮れの時間、夕焼けに燃えた太陽が沈んでいくかのように。

 

 

もう夏とはお別れだ。

 

縁側からすだれ越しに吹く朝の風。

 

 

青い水田の上を舞うトンボの群れとそれを追うツバメ。

 

 

山のように切り分けた、冷えたすいかをみんなで競争のようにして食べる。

夕暮れを待つのもそこそこに、手持ち花火をするも誰かが振り回そうとして大人に注意を食らう。それから、みんなで座って静かに線香花火を見つめる。

 

あの景色は思い出にしまっておいて。

 

 

うちから巣立ったのであろうツバメの一群が羽根を休めている。

もうすぐ彼らも南へ飛び立つ季節だ。

夏の終わりを告げる最後の景色。